あとはお任せします、姉上   作:ぬえぬえ

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二度あることは、三度ありますから

「あとはお任せします、姉上」

 

 その言葉――――1回目と同じ言葉を吐き出した瞬間、全身が何か柔らかいモノで包まれる感覚が。それと同時に、奇妙な出来事が起きた。

 

 

 最初は、被っていた帽子の重みが消えた。

 

 次は、頭頂部の感覚が消え、それは段々と下がってくる。

 

 やがて、耳や額に前髪が触れる感覚が消え、それに続けとばかりに額や耳の感覚も消えていく。

 

 

 いや、僕は何を言っているんだ。『奇妙な出来事(こんなこと)』、分かっている筈だ。何せ、ついさっき僕自身が言った。僕が――――『英霊 織田信勝』と言う虚偽(・・)の存在が消えているのだと。

 

 

 でも、そう分かっていても、この出来事は、この『感覚』は奇妙だ。

 

 

 確かに、今の僕は帽子の重み、髪の感触、空気の感触、聞こえる音、などの『感触』は消えうせた。しかし、僕の『意識の中』では、何処に頭が、耳が、髪の毛があるか分かる。つまり、肉体自体は既に存在していないのに、『意識の中』では未だにそれらがあり、それが存在すると言う『感覚』があるのだ。

 

 

 例を挙げるなら、幽霊だろうか。肉体と言う魂の入れ物を失いながらも、『意識』が魂を現界に辛うじて繋ぎ止めている。そんな、『存在している』と断言できない非常に不安定なモノ。今の僕は、そう言った一種の思念体の類いだろう。

 

 そして、幽霊は現界のモノに触れることが出来る。このことを、南蛮では『ぽるたぁがいすと』現象などと言うらしいが、とにかく幽霊と言うモノは『意識』の中にある『身体の感覚』を動かし、現界のモノに影響を与えることが出来るのだ。それも、誰にも見えない。周りにする全ての存在にも、己ですらも見えない、文字通り『誰にも』見えないのだ。

 

 そんな中で、ある者は興味本位で物を動かしたり、ある者は人肌恋しさ故に人々に触れたり、ある者は果てしない憎悪から人に害をもたらす。その度合いは『意識の強さ』、そして『願望の強さ』に比例するだろう。また、それが強ければ強い程に、その通りに動いてしまう。まして、入れ物であり、『意識』を抑える枷でもある肉体が無いため、その行動を阻むモノはない。それが極まり、人を死に至らしめるのであろう。

 

 

 と、そんなことはどうでもいい。僕が言いたいのは、『身体が消滅』しても意識の中にある『感覚』は未だに存在しており、消える前(・・・・)と同じよう『動かせる』ことだ。つまり、身体の一片に至るまで、この世(姉上の目の前)から消えうせない限り、僕が、『死してなお姉上の前に立ち塞がり、身勝手な願望を押し付けようとした哀れで無能な愚弟』が存在し続けてしまうことになる。

 

 

 いや、それなら良かった。『織田信勝』が消え失せるその瞬間まで、そんな『どうしようもない愚弟』でいられるのなら、どれほど良かったか。

 

 

 そう思った瞬間、脚の力が抜けた。僕はすぐに脚の筋肉に力を入れて、その動きを止める。それによって、少しふらついただけで済んだことを、『脚の感覚』が教えてくれた。そのことに、僕は『意識の中』で安堵の息を、嗚咽(・・)を漏らした。

 

 

 そう、僕は泣いている(・・・・・)。『意識の中』で、咽び泣いているのだ。

 

 

 

 目頭が熱く、目尻から大粒の涙が止めどなく零れ、頬は涙の痕が分からない程濡れている。

 

 ズズッと下品な音を立てる鼻ではもう鼻水が決壊しており、溢れ出たそれがだらしなく糸を引き、口に伝っている。

 

 肩は悲鳴の度に震え、頭は悲鳴の度に上下に激しく揺れる。

 

 つい先ほど、『感触』の消えたばかり左手は顔を覆い、右手は胸の服を掴み、どちらも痛い(・・)程握りしめた。そして悲鳴の度、上下に揺れる度に、何度も何度も締め付けてくる。

 

 

 そんな、酷い姿だ。まるで癇癪を起した子供ではないか。22歳にもなって、みっともない。

 

 

 そんな中、口は流れ込む涙や鼻水を押し退けて嗚咽が、声にならない声が吐き出した。一瞬も途切れることなく、獣の鳴き声とそう大差ない、けたたましい悲鳴(・・)を上げているのだ

 

 

 『あの人(・・・)の傍に行きたい』と、『あの人(・・・)と一緒に顔中泥だらけになりたい』と、『その顔を見合って、ゲラゲラと笑いたい』と、『肩を組んで一緒に歩きたい』と、『同じ時間を、あの人(・・・)と過ごしたい』と、『同じ思いを持ち、同じ行いをして、同じ言葉を溢したい』と。

 

 

 

 そんな、そんな『自由』を、姉上(あの人)と共に謳歌したい、と。

 

 

 そんなみっともない姿を晒している。それも、どれもこれも自分の意思で捨て去ったモノを性懲りもなく懇願している、自分のやってきたことを受け入れずただ与えられることを望む、強情で、傲慢な、子供のようなどうしようもない身勝手な我が儘を、本当の僕(・・・・)を曝け出しているのだ。

 

 

 もし、僕が幽霊なら、躊躇なく曝け出していた。何故なら、見えない(・・・・)から。僕自身に、姉上の近くに居ることの出来る、僕にとっては嫉妬の塊と言える人たちに、そして何より姉上に見えないのだから。

 

 だけど、僕は虚偽と言えども英霊(サーヴァント)。金色魔太閤様に召喚されただけで、かの方の御力が無ければこうして姉上の前にすら現れることの出来ない『無能』であるが、それでも今この時、消え失せる最後の瞬間までは英霊だ。故に、見えてしまう(・・・・・・)。視界が消え失せた僕にはもう何も見えないが、まだ消え失せていない身体は見えて、見られてしまう(・・・・・・・)のだ。

 

 

 最悪なことに、目の前に立っている姉上に。

 

 

 こんなみっともない――――――『無能』と言う言葉すら憚られる姿を姉上に見せる訳にはいかない。それだけは是が非でも避けなければならない。もし、それを曝け出してしまったら、僕は『無能』以下の存在に成り下がってしまうからだ。『死してなお姉上の前に立ち塞がり、身勝手な願望を押し付けようとした哀れで無能な愚弟』が、『無能以下』になってしまうからだ。

 

 

 そしてそれは、『出来損ない』と断じられた姉上の()から更に遠ざかってしまうことになるからだ。

 

 

 「消え失せる手前、今更何だ」と言われるだろう。でも、これは僕にとって、本当の僕(・・・・)にとって何よりも代えがたい苦痛なのだ。

 

 

 「それはお前自身が捨てたモノだろ」と言われるだろう。でも、これは本当の僕にとって、何よりも叶えたい『我が儘』――――『願望』なのだ。

 

 

 

 あぁ、遂に膝まで『感覚』が消えてしまった。すると、僕は『意識の中』で跪こうとし、同時に顔と胸を握りしめていた両手が離れて目の前に―――――姉上に向けて手を伸ばそうとしている。それを、未だに残っている足首以降が踏ん張り、倒れないようにする。

 

 

 あと少し、あと少しなのだ。あと少しで僕は消えることが、『無能』として消えることが出来る。

 

 

 だから、あと少しだけ、ほんの少しだけでいい。僕の『我が儘』を聞いてくれ。僕の『願望』を叶えてくれ。

 

 

 

 ――――――最期の瞬間まで、『姉上の隣に居させてくれ』――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、あれだけ踏ん張っていた両足の『感覚』が消えた。それは僕と言う存在が、『意識』を含めたその全て(・・)が消滅したことを表している。

 

 

 しかし、未だに僕は居る。僕と言う『意識』が存在している。金色魔太閤様の御力が消え、僕は消えてしまう筈なのに、何故か『意識』だけが存在している。

 

 

 だけど、僕はこの状況を知っている。何故なら、一回目(・・・)にも味わったから。

 

 

 あの言葉を最初に言った時、その瞬間僕の視界は真っ暗になり、同時に全身の『感覚』が消えた。でも、しばらくの間、僕の『意識』は、いや、『織田信勝の意識』として存在していた。言うなれば、『幽霊』と言う思念体になったのだ。

 

 

 それと同じなのだろうか。いや、そんなことを気にしている余裕は無い。

 

 

 『意識』が残っていると言うことは、つまり今まで抑え込んでいたモノも在ると言うこと。そして、肉体と言う枷が完全に消え去ったと言うことは、その全て(・・)を曝け出してしまうと言うことだ。

 

 

 それを肯定するかのように、口から嗚咽と悲鳴を上げる。

 

 

 『このまま消えたくない』と、『一人になるのは嫌だ』と、『もう何も背負い込みたくない』と、『理不尽な思いをしたくない』と、『姉上の傍に行きたかった(・・・)』と、『姉上と一緒に顔中泥だらけになりたかった(・・・)』と、『その顔を見合って、ゲラゲラと笑いたかった(・・・)』と、『肩を組んで一緒に歩きたかった(・・・)』と、『同じ時間を、姉上と過ごしたかった(・・・)』と、『同じ思いを持ち、同じ行いをして、同じ言葉を溢したかった(・・・)』と、『姉上に抱きしめ、抱きしめられたかった(・・・)』と、『姉上を大切に想い、想われたかった(・・・)』と、『姉上を愛し、愛されたかった(・・・)』と。

 

 

 

 そして何より、姉上の傍に、一番近くに居たかった(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 そんな、今となっては叶わない『願望』を吐き出し続けた。『意識』だから、実際に僕の耳には聞こえない。ただ、そう吐き出したと言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 『願望』を吐き出しながら、膝を折り、足元に縋り付く。『意識』だから、膝や両手、全身にそのような感触は無い。そんな動きをしたと言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 泣き喚く目から大粒の涙が溢れ、鼻をすすり、頬も濡れすぎてヒリヒリしている。『意識』だから、大粒の涙が零れるのも、鼻を啜る音も、頬のヒリヒリも、何もかも感じない(・・・・)。そんな顔をしている、と言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 『願望』を出し尽くした口が、『姉上』と何度も言い続ける。『意識』だから、僕の耳には聞こえない。ただ、そう呟き続けていると言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その筈だった。

 

 

 

「姉上ぇ……」

 

 

 それは、蚊の鳴くような声だった。小さな小さな、ちょっとした物音で掻き消されてしまうほど、本当に小さな声であった。そんな小さな声が、聞こえるはずのない(・・・・・・・・・)僕の声が、本当に聞こえた。

 

 

 その事実に驚き、僕は呟くのを止めた。有り得ないことだと思っていたことが今目の前で起きたのだから。そうだ、有り得ないことが起きたのだ。絶対にありえないことが、今目の前で起きてしまったのだ。

 

 

 それは僕の声が聞こえたことではない(・・・・)。それもそうだが、それよりも更に有り得ないことが起きた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何じゃ、信勝」

 

 

 それは、聞き慣れた声だった。それを聞いたのは、ずいぶん昔。僕がまだ生きている時代に聞いた、懐かしい声――――――いや、何を言っているんだ。その声を、その言葉を、僕はついさっき(・・・・・)聞いたではないか。

 

 

 そして、その声を聞いた瞬間、僕は自分が漏らす嗚咽を聞いた。

 

 同時に、膝を折り、足元に縋り付いている感覚と、石に触れているような冷たさを感じた。

 

 目から零れる大粒の涙も、鼻を啜るみっともない音も、頬のヒリヒリとした痛みも。全て(・・)を感じた。

 

 

 

 そう、消え失せていた筈の『感覚』が戻ってきていたのだ。

 

 

 

 そう理解する間もなく、僕は弾かれた様に顔を上げた。そして、目を丸くした。何故なら、見えるはずもない僕の視界に、不思議な光景が映ったからだ。

 

 

 青を基調とした壁に白い模様が横並びにいくつも走り、その一つ一つが薄っすらと発光している。足元は透き通るような青色の、木とも土でもない石のようなモノで敷き詰められ、その表面には何かのマークが刻まれている。その床は僕が居る場所からずっと先まで続いており、その両端には鉄のような金属で作られた敷居が床と同じようにずっと先まで続いている。

 

 

 そして何よりも、ずっと先へ続く床の上。そこに、一人の人物が立っていた。

 

 

 その顔には、『あの笑顔』が浮かんでいる。『笑顔』を振りまき、周りに居る人々を同じく『笑顔』にすることが出来る、そんな人物を、僕は一人しか知らない。

 

 

 

「あ、姉上ぇ」

 

「全く、みっともない顔しおって……」

 

 

 無意識の内に、その人物を―――――姉上を呼んでいた。対して姉上は『あの笑顔』を浮かべつつそんなことを言いながら前へと、僕の方へと歩き出した。

 

 

 一歩一歩、姉上が歩を進めるごとにそのマントが揺れ、帽子のど派手な装飾が触れ合う音が鳴る。しかし、僕の視線はずっと、姉上の『あの笑顔』に釘付けだった。

 

 

「ほれ、これでそのみっともない顔を何とかしろ。そんな顔で皆に会われたら、『儂の弟』であると示しが付かん」

 

 

 僕の目の前で立ち止まり、膝を折って僕と同じ目線になった姉上は、『あの笑顔』のまま僕に丁寧に折りたたまれた手ぬぐいを差し出してくる。しかし、その姿に、そして今この状況を把握しきれていない僕は、ただ姉上をじっと見つめることしか出来なかった。

 

 

 そのまま、ほんの少し、沈黙が流れる。

 

 

 

「ええい、じれったいのぉ!!」

 

 

 それを破ったのは、『あの笑顔』のまま黙し、手ぬぐいを差し出す腕を若干プルプルさせていた姉上だ。その言葉は怒気を孕んでおり、その言葉と同時に僕に飛び掛かるその姿は怒っているように見えた。しかし、その顔は相変わらず『あの笑顔』であった。

 

 

「わっ!?、ちょ、あ、姉上ぇ!?」

 

「黙れ信勝!! 黙らぬと舌を噛んでしまうじゃろうがぁ!! 黙らぬならその口に手ぬぐいねじ込んで屈強な男どもの中に放り込むぞ?」

 

それ(・・)だけはよしなに!! どうかよしなにお願いします姉上ぇ!!」

 

 姉上の言葉に、僕はすぐさま暴れるのを止めた。と言うか、姉上が言い出した状況を思い浮かべて、凄まじい寒気が走って全身が強張ったためだ。いや、僕の時代にも『そういうモノ』は一般的ではあるが、生憎僕にそんな趣味はない。もう一度言う、僕に『そんな趣味』はない。

 

 

「全く、『やんきー』とやらに拾われた子犬のように大人しくしていればいいものを……あ、『やんきー』と言うのは儂らで言う傾奇者のようなものじゃな。って、あれ? そうなると今の儂って傾奇者ってこと? 傾奇者……DQN……黒歴史……うっ、頭がっ……」

 

 そんなことをボソボソと呟きながら、何故か一人で項垂れる姉上。しかし、その手は相変わらず僕をガッチリ掴んでおり、もう片方の手は手ぬぐいで僕の顔を拭っている。僕の涙と鼻水でグチャグチャの顔を、姉上自ら拭っているのだ。

 

 

 相変わらず、今の状況が分からない。僕は消えた、姉上の前から消えてしまった筈だ。でも、何故か僕の『意識』が残り、そして『感覚』が戻り、目を開けたら姉上が居た。

 

 目の前に姉上が見えて、僕を羽交い絞めにして、僕の顔を拭っている。こんな状況だ。こんな状況にいきなり放り込まれた。むしろ、これで状況を把握しろと言う方がおかしい。

 

 

 と言うか、さっき姉上はなんと言った? 『そんな顔で皆に会われたら』? 『皆』とは誰のことだ?

 

 

 

「姉上、先ほどの『皆』とは一体誰のことでしょうか?」

 

「そんなの、ここ(・・)に居る者たちに決まっておろう」

 

ここ(・・)……とは?」

 

「相変わらず察しが悪いのぉ、お主は……」

 

 

 僕の問いに、姉上はやれやれと言いたげに肩を竦め、その言葉にムッと頬を膨らませる。察しが悪いのは認めるが、姉上の言葉から無能()なりに一つの答えを導き出している。だが確証が持てないし、何より僕自身が信じられないから言葉にするのを避けただけだ。

 

 

「此処は、人理継続保障機関・カルデア。そして、これからお主が会うのはこのカルデア唯一にして、この儂、魔人アーチャーこと第六天魔王ノブナガのマスターじゃ。お主だって顔を知っている筈であろう? 後の連中は、まぁ……その辺の石ころみたいなものじゃな。後、あのおっぱいデミ・サーヴァントも居るぞ」

 

 

 自信満々と言いたげに胸を張って宣言する姉上。姉上が挙げた人物に、特に驚きもしない。だって予想通りだったからだ。そして、その言葉から推測されることを更にぶつけてみる。

 

 

「……つまり、僕はマスターに召喚されたと言うことですか?」

 

「ほう、ここまで言えば流石に分かったようじゃな。そう、お主はマスターに召喚されたのじゃ。儂と同じ英霊としての」

 

「それは言い過ぎですよぉ、姉上」

 

 

 上機嫌に語る姉上の言葉を、僕は否定する。しかし、姉上の顔に不満げな表情は無い。相変わらず『あの笑顔』を浮かべている。そして、姉上は羽交い絞めにしていた僕を解放し、代わりに手を握ってきた。

 

 

「そんなに謙遜する必要はないぞ、信勝。ここに召喚されることは、『英霊』となったと言うことじゃからな。ほれ、さっさと行くぞ。これからマスターに会って、その後は他の連中との顔合わせを兼ねた宴じゃ。どっかの人斬りサークル(笑)のように、料理がたくあんと白飯だけとか『土方すぺしゃる』とか言う犬の餌が出てくるとか、そんな阿呆(あほう)な宴ではない!! 儂の!! 儂による!! お主のための!! 菌糸類もびっくりの総監修(ぷろでゅーす)じゃ!! この日のために、黄金の杯も用意しておる。それを見たら、きっとお主は腰を抜かす筈じゃ!! 何故なら、儂自ら用意したのだからのぉ!!」

 

 

 そう大声で宣言しながら、姉上は大股で歩き出す。それに引っ張られる形で、僕も一緒に歩き出す。そこまで、僕は特に暴れることなく大人しくついていく。それは、未だに状況を理解していないわけじゃない。逆に、ハッキリと己の状況を理解したからだ。

 

 

 そう、僕はまた召喚されたのだ。同じ『英霊』として、新しい命を与えられたのだ。あの固定化された空間ではない、ちゃんと時間が流れるカルデアに召喚されたのだ。金色魔太閤様のように、マスターによって召喚されたのだ。

 

 

「一つ、聞いてもいいですか?」

 

「ん? 何じゃ?」 

 

 

 ふと、僕が口を開くと、姉上はこちらを振り返る。相変わらず、その顔には『あの笑顔』があった。それを見て、僕も同じように笑顔を浮かべ、更に口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつまでこんなことをするつもりですか、マスター(・・・・)?」

 

 

 僕はそう言った。すると、姉上の顔から表情が抜け落ちる。あれだけ息巻いていた気勢も、僕の手を握る力も、僕を引っ張るために力強く踏み出していた足も、それら全てから力が抜け落ちてしまった。

 

 

 その様子に、僕は特に驚くこともない。だって、その反応すらも予想通り(・・・・)だったから。

 

 

「大丈夫ですか、マスター?」

 

 

 いつまで経っても先に進もうとしない姉上―――――僕のマスターに問いかける。対して、マスターはそれに反応することなく、ただ固まっているのみ。いや、その目だけは忙しなく動いていた。

 

 恐らく、動揺を隠す方法でも探していたのだろう。そして何か固まった(・・・・)のか、マスターは再び『あの笑顔』を浮かべた。

 

 

 

「……な、何馬鹿なことを言っておるのじゃ。いくら第六天魔王と謳われる儂でも所詮は『英霊』。英霊が英霊を召喚出来るわけなかろう? あぁ、そう言うことか。召喚されたばかりで少し混乱しているのじゃな。全く、仕方がないおと―――――」

 

「では、その懐にあるのは、先ほどおっしゃっていた『黄金の杯』でしょうか?」

 

 

 僕の言葉に、再びマスターはまた固まってしまった。今度は『あの笑顔』を浮かべたままだが、それでも頬がヒクヒクと動き、目尻に深いシワが刻まれている。

 

 その表情を見て、僕は視線を下げた。その先はマスターの懐。

 

 

 何故なら、マスターの懐からにあるポケットから、黄金の杯が―――――『聖杯』が少しだけ顔を出していたからだ。

 

 

 しかし、次の瞬間、聖杯はマスターの手によって懐の奥深くに隠されてしまう。それを受けて、僕は再びマスターの顔に視線を戻す。やはり、マスターは『あの笑顔』を浮かべていた。先ほどよりも少々崩れてはいるが、それでもまだ『あの笑顔』と言えよう。

 

 

 それは、あの光り輝く『笑顔』ではなく、それよりもちょっとぎこちない『あの笑顔』だ。

 

 

 それは、『自由』を謳歌するマスターが浮かべていた『笑顔』ではなく、身内に甘い『出来損ない』が殺そうとしている愚弟を傘下に引き入れるために必死に取り繕っていた『あの笑顔』だ。

 

 

  そしてそれは、金色魔太閤様と同じように(・・・・・)、マスターが『聖杯』を使い、英霊でもない僕を再び虚偽(・・)の英霊として召喚させたことを表していた。

 

 

「まさか気付かないとでもお思いでした? 僕は一度、聖杯(それ)で召喚されているんですよ。一度目ならまだしも、二度目となれば流石の僕でも気づきますよ。それと聞きたいのですが、貴女がカルデア(ここ)に召喚された時、目の前に誰が居ましたか? 恐らく、いや確実(・・)に『貴方のマスター』が居た筈です。それを踏まえて聞きたいのですが、何故僕を召喚したはずの『貴方のマスター』が、今この場にいないのですか?」

 

 

 初めから気付いたわけでもないくせに、僕は何を言っているんだ。カルデア(ここ)に居る理由を考えて思いついた内の一つなのに、それも最も低い(・・・・)モノとして扱っていたのに。それを、さも初めから分かっていました、みたいに言うのは本当にどうかしている。

 

 召喚したマスターがこの場に居なければおかしい、なんて『確実』に言えるわけがない。僕がそう思い込んでいるだけで、本当はマスターがその場に居なくても召喚が出来るかもしれない。もしかしたら、たまたまマスターが席を外しているだけで、次の瞬間に現れるかもしれない。もしそうであれば、マスターは僕の言葉を全否定してくれる筈だ。

 

 もしそうなれば、僕は赤っ恥をかく。あんなドヤ顔で言い切ったのだ。もしそうなれば、僕は今すぐにでも腹を切るだろう。無論、英霊だから切ったところでどうにもならないのだが、それぐらい恥ずかしい思いをする。

 

 そう、するだけ(・・)。するだけなのだ。それだけで、僕は『欲しかったモノ』が手に入るのだ。あれほど渇望し、そのためにどんな犠牲を払おうとも厭わず、己の命すらを捧げたモノ――――――姉上(マスター)の隣に、一番近くに居られるのだ。

 

 

 だから、僕は願った。『もしそうであれば』……と。

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 しかし、マスターは何も言わない。ただ、口を噤み、黙している。その顔は、『あの笑顔』すらもない。あるのは、あの時と同じ、悲痛の面持ちだ。

 

 

 それは、僕の『勝手な思い込み』が、『現実』ヘと変わったことを示していた。

 

 

 

「……何故こんなことをしたんですか?」

 

 

 いつまでも黙しているマスターに、僕は問いかける。その語気は若干怒気を孕んでいた。その言葉に、マスターはピクリとも動かない。その姿に、お門違いと分かっていても腹が立った。

 

 

聖杯(それ)を使えばどうなるか、マスターは嫌と言うほど味わった筈でしょう? なのに、何故こんなこと……と言うか、それを使ったことをカルデアの人たちは知っているのですか? いえ、そんなわけないですね。そんなことをすれば、皆で止める筈です。大方、内緒で持ち出して、内緒で使ったのでしょう。違いますか?」

 

 

 口から零れるままにマスターを弾劾する。それでもマスターは一言も、身動ぎ一つしない。その姿に、更に腹が立った。

 

 

 何故なら、僕が召喚されたと気づいたのはマスターの声を聞いた時だ。つまり、その声を聞くまでは召喚されたなどと微塵も考えていなかった。ただ誰にも見えない『意識』として、そして『意識の赴くままに』振る舞っていたのだ。

 

 それも、マスターに見せまいと必死に堪えていたモノを。一度目(・・・)と同じように、最期の一瞬まで必死に隠し通せたモノを。

 

 

 それを、見られてしまった。遂に見られてしまった。そしてそれは、僕が『無能以下』に成り下がったことを示しているから。マスターの隣から、更に遠くに行ってしまったから。

 

 

 そんな、身勝手な我が儘だ。分かっている。ただの八つ当たりだと、分かっている。だけど、それを叶えるために全てを捧げた僕にとっては、何よりも耐え難い『屈辱』だったのだから。

 

 

 

 

「答えろ!! 吉法師(・・・)!!」

 

 いつまで経っても黙しているマスターに、僕は思わず怒鳴りつけた。あの時の、降伏した僕を『一族であるから』と言う理由で許そうとした『出来損ない』に怒鳴りつけた時と同じように。公衆の面前でその幼名を声高に叫ぶ、最大級の侮辱をぶつけたのだ。

 

 あの時、周りに居た近臣たちは刀を抜き、僕に切りかかろうとした。しかし、それは『出来損ない』の一言で収まった。周りの目を欺くためにうつけ者を演じていた『出来損ない』が、先の戦場でも見せたことのない表情で、ただ一言、こう溢したのだ。

 

 

 

「うつけが」

 

 

 

 そう、あの時の『出来損ない』が―――――目の前のマスターが溢した。あの時と同じ、一切の感情を感じさせない『真顔』で、吸い込まれそうな程深く、温度を感じさせない冷めきった目で見下ろしながら。

 

 

 その一言に、あれだけ煮え滾っていた怒りが消え去った。その代りに、現れたのは凄まじい寒気と全身の震え。額に汗が浮かび、口の中が乾燥する。

 

 

 それらの症状が表すモノ、それは『恐怖』。これもあの時と同じ、殺されるために戦い、今この場で自ら殺されることを望んだ僕が、その一言、その表情、その目に『恐怖』したのだ。

 

 

 

 僕が黙り込んだ後、マスターはその表情のまま手を―――――右手を持ち上げた。恐怖によって動けない僕は、ただ目線だけをその右手に注ぐ。それに構わずマスターは持ち上げた右手を口元に近付け、白い手袋の口を噛み、ゆっくりと手から外した。

 

 

 

 その手の甲には、血のような赤で刻まれた不思議な紋章があった。そして、僕はそれに見覚えがある。確か、英霊を従えるマスターが持つことの出来るモノで……絶対の命令権を表していた筈。

 

 

 

「『令呪』を以て我が不肖の弟、『織田信勝』に命ず」

 

 

 マスターがそう言うと、手の甲の紋章―――令呪の一画が光り出す。それと同時に、見えない何かに捕まったかのように、全身の自由が奪われた。

 

 

 そうだ、僕はマスターに召喚された英霊。そして、英霊と契約したマスターが『令呪』を持っているのは当たり前じゃないか。そして、『令呪』を以て命じられたモノは絶対服従。ただの一英霊である僕ではどうしようもない。ただ、命令を授けるマスターに向けて、『恐怖』を浮かべた視線を送ることしか出来ない。

 

 

 

 ふと、僕の視線とマスターの視線が合った。相変わらず、マスターはあの表情を浮かべている。しかし、次の瞬間、その表情が和らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「儂を抱き締めろ」

 

 

「へっ?」

 

 その表情のまま、マスターはそう言った。それと同時に、僕は間の抜けな声を上げた。今しがた、マスターが言った言葉が信じられなかったからだ。

 

 

 だけど、僕の意思とは無関係に身体が動く。マスターに近付き、マスターの肩幅ぐらいまで両腕を広げ、一歩踏み出し、広げていた両腕で、マスターの身体を包み込んだ。抱き締められたマスターは黙したまま僕の胸に顔を押し付け、両腕を僕の背中に回し、あろうことか僕を抱き締め返したのだ。

 

 

 

「……マ、マスター?」

 

 

 未だに状況を把握しきれていない僕は、自らの胸に顔を押し付けているマスターに問いかける。 しかし、マスターはそれに応えることなく、何故か僕の胸に顔を押し付ける力を、僕の背中に回る腕の力を強めた。

 

 

 

「……あ、あね――――」

 

「『令呪』を以てヤンデレシスコンヘタレショタその他諸々属性のバーゲンセール野郎、『回される方の儂』に命ず。儂の頭を撫でろ」

 

 

 僕の言葉を遮るように、マスターが更に『令呪』を使う。や、待ってマスター。それ僕じゃないで、いやある意味、僕を構成するモノだから間違っては無いけど。そして最後のヤツは貴方が言っちゃ駄目ですよマスター!! と言う突っ込みも空しく、マスターの背中に回してた片手が離れ、マスターの頭に触れる。

 

 

「あ、あね――――」

 

「黙れ、このうつけが」

 

 

 マスターの頭を(無理矢理)撫でながら僕が再び問いかけるも、その二言、それも先ほど僕に『恐怖』を植え付けた一言に一蹴されてしまう。しかし、不思議とその言葉に『恐怖』を感じなかった。

 

 

 何故なら、そうマスターが漏らすと同時に、その身体が震えているのが分かったから。マスターが押し付けている胸に、微かながらも確実に広がっていく湿り気に気付いたから。僕の胸に顔を押し付けるマスターから、噛み殺しきれない嗚咽が聞こえたから。

 

 

 マスターは今、泣いている(・・・・・)のだと、分かったから。

 

 

 そして、その姿が、僕が今までマスターに隠し通した、それなのについ先ほど曝け出されてしまい、『屈辱』に思った僕と―――――『本当の僕』と、寸分狂わず重なって見えたからだ。

 

 

 

 だから、僕はそんな姿を見ないよう、上を向いた。その間も、僕の手は『令呪』の命令通り、マスターの頭を撫で続ける。マスターも、同じように僕の胸にグリグリ頭を押し付け、そして変わらず嗚咽を噛み殺し続けた。

 

 

 

 

 

「下手くそ」

 

 

 しかし、そんな時間はポツリと漏れたマスターの一言によって終わりを告げた。それと同時に、僕に抱き付いていたマスターの身体が離れる。その言葉に離れていく身体に、僕は思わずマスターを見下ろそうとする。

 

 

 

「『令呪』を以て女子の頭も満足に撫でられない奥手バカ、織田信勝に命ず。儂の顔を見ずに頭を垂れよ」

 

 

 すると、すかさずマスターが『令呪』を使用する。と言うか、それもう悪口ですよね!? なんて突っ込みをする前に見えない力に頭を押さえつけられてしまう。押さえつけられた僕の視線は、だいたいマスターの胸の位置で止まった。

 

 

 しかも、そこはちょうど僕の腰のより少し低い位置にあり、その結果、僕の腰は多大なるダメージを現在進行形で受けている。このままでは腰が再起不能になる、そう思い見えない力に逆らって頭を上げようとするも、あっさりと防がれてしまった。

 

 

 

 

 それも見えない力ではなく、僕の頭を抱き締めたマスターによってだ。

 

 

 

 

「儂が、正しい撫で方を教えてやろう。光栄に思うが良い」

 

 

 頭上から、マスターの声が聞こえ、そのすぐ後に頭に何かが触れた。それはゆっくりと、そして絶妙な指し加減で僕の頭に触れながら動き、離れる。そして、一呼吸置いてまた触れ、動き、離れる。それが、何回も繰り返された。

 

 

 『大事なモノ』を触れるような、『愛おしいモノ』に触れるような、そんな優しいマスターの手に、僕はいつの間にか目を閉じ、その手に全てを委ねていた。何故なら、その感触は遠い昔のこと呼び起していたからだ。

 

 

 僕も父上も死んでおらず、マスターも僕も元服していない。母上によってマスターと引き剥がされていない、確か僕が3、4つぐらいの時だ。

 

 ぼんやりとしか覚えていないが、その時に父上も母上も、そして姉上も僕もいた。今まで生きてきた中で唯一と言える、『家族団らんの時間』。その時、僕が何かに躓いて転び、大泣きした。

 

 その様子に父上は「元気な子だ」と笑い、そんな父上を母上が脱兎の如く叱る。そして、そんな二人を尻目に姉上は転んだ僕に近付き、泣き叫ぶ僕の頭を優しく撫でてくれたのだ。

 

 

 僕を撫でる姉上の手、そして撫でながら僕に微笑みかける姉上の笑顔が、泣き喚いていた僕を惹き付けた。そこからかもしれない、僕が姉上に並々ならぬ感情を抱いたのは。

 

 

 

 

 

「のぉ、『お勝』」

 

 

 すると、頭上からマスターの……もういい、姉上(・・)の声が聞こえた。今の今まで、昔懐かしいことを思い出していた僕を、『その名』で呼ぶのは卑怯だ。

 

 

 何せ、それは僕の名前でもなく、幼名である『勘十郎』でもなく、言葉足らずな姉上が必死になって考えた、僕のことを呼ぶためだけに作った名前だからだ。

 

 そして、その名と同時に姉上は別の名(・・・)を僕に授けた。それは、まだまともに喋れない僕が、『自分』を呼ぶ際に使えるようにと考えてくれた名前。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ですか、『(きち)ねぇ』?」

 

 

 その名を使って、僕は吉ねぇの言葉に応える。すると、あれだけ優しく撫でていたその手が止まる。同時に、僕の頭を抱き締めるその腕に力が籠る。

 

 

 

 

「……その名は卑怯じゃぞ」

 

 

「吉ねぇだって、人の事言えませんよ」

 

 

 そんな短い会話だった。でも僕は、僕たち(・・・)はそれだけで互いの表情が手に取る様に分かった。そして、僕は『吉ねぇの顔を見るな』と言う命令が有り難く思った。だって、その顔を見れない、同時に吉ねぇも僕の顔を見れないからだ。

 

 

 こんな『みっともない顔』を見られちゃ、今度こそ本当に『無能以下』になってしまうから。

 

 

 

 

「お勝は自分が死んだ後、儂が何をしたか知っているか?」

 

「えぇ、知っていますよ。あの時代の住人や茶々様に聞きまくりましたから」

 

 

 吉ねぇの問いに、僕は苦笑いを浮かべながら答える。

 

 

 僕が死んだ後、吉ねぇはあの今川を退けた。それも、何倍ともいえる兵力差を、奇襲で覆したのだ。その後、吉ねぇは斎藤を滅ぼし、上洛した。将軍を祀り上げ、京を市中に収めた。そこから、吉ねぇの『天下布武』が始まったのだ。

 

 

 その後、いろいろな裏切りや奇襲に遭いながらも、近江の浅井、朝倉、畿内の三好、甲斐の武田などと互角に渡り合い、そしていずれも屈服、もしくは滅ぼした。越後の上杉や安芸の毛利は屈服しなかったが、それも時間の問題であっただろう。

 

 

 

 あの日、吉ねぇが本能寺で討たれなければ、の話だが。

 

 

 

「そうじゃ、儂は天下の一歩手前で死んだ。あと少しの所で、死んでしまったのじゃ。『天下布武』を掲げていながら、最期は己が広げた『武』に滅ぼされるとは、皮肉なモノじゃなぁ……」

 

 

 僕が吉ねぇの人生を簡単に語ると、吉ねぇは独り言のようにそう声を漏らした。だが、次の瞬間、その腕に力が籠る。それも、先ほどとは類を見ないほど強く。

 

 

 

 

 

「すまんな、お勝」

 

 

 

 

 そう吉ねぇが言った。何故か謝罪の言葉を、それも僕に向けて。何処か縋る様な声で、そう言ったのだ。

 

 

「な、何を言うんですか、吉ねぇ。吉ねぇが天下を取れなかったことと僕は関係な―――――」

 

 

「何を言うておる……お勝が、『そう望んだ』からではないか」

 

 

 突然の謝罪に僕は慌ててそれを否定するのを、何処か呆れたような吉ねぇの言葉と共にげんこつが降ってきた。げんこつを喰らって混乱する僕を尻目に、吉ねぇは更にその腕に力を籠め、そして僕の頭に覆いかぶさった。

 

 

「お勝が死ぬとき、そう言うたではないか。『この理不尽な時代を終わらせてくれ』と。よもや、忘れたわけではないな?」

 

 

 吉ねぇの口調は穏やかだった。それも、子供をあやす母親のようだ。だが、その腕はさらに力が籠り、そして僕の頭に水滴が落ちてくる。

 

 

 そこで、僕は悟った。

 

 

 吉ねぇが、姉上が天下を駆け上がった、いや、『駆け上がざる負えなくなった』のは、僕が最期に言い残した我が儘のせいだと。

 

 

 死ぬ寸前、僕は姉上に我が儘を残した。『いつまでも自由でいてくれ』と、『光り輝く笑顔でいてくれ』と。それが、僕が一番に望む『願望』だった。しかし、僕はそこにさらに付け加えた、加えてしまった。それが、先ほど姉上が言っていた。『この理不尽な時代を終わらせてくれ』と言う願いだ。

 

 

 僕にとって、最後の願いは先の2つを叶えてから、『余裕があれば』叶えて欲しいと言う認識だった。先ず、姉上が『自由』であり続け、その『自由』の中で光り輝く『笑顔』を浮かべる。姉上がいつまでもそうあり続ければ、周りにその笑顔が広がっていき、最終的にこの理不尽な時代が変わっていくだろう、そんな甘い考えだ。

 

 

 甘い考えだと分かっていたから、その願い自体の優先順位は最も低く、最悪叶わなくても良い(・・・・・・・・)と言うモノだった。そう、ハッキリ言えばよかった。

 

 

 しかし、姉上はそう捉えなかった。僕の認識をちゃんと伝えなかったことで、姉上は『自由でいる』こと、『光り輝く笑顔でいる』こと、そして『理不尽な時代を終わらせる』こと、これら全てを叶えようとした。いや、平等ではない。それは姉上の言葉ではっきりと分かった。

 

 

 姉上は、その3つの中で『理不尽な時代を終わらせる』ことを、第一にした。我が儘を吐いた僕の中で、それが最もどうでもいい(・・・・・・)モノだとも知らずに、それを最優先に考え、その道筋として天下を目指したのだ。

 

 その結果、姉上は背負い込まなくてもいい重荷を背負い、姉上の才能であった気質を押し殺し、代わりに僕が示した『合理的な』考えを貫き続ける羽目になってしまった。元々、身内に甘い、殺そうとする愚弟に最期の最期まで手を差し伸べようとするほど、どうしようもない甘々な人だ。

 

 

 そんな人が、それら一つ一つを行うのにどれほどの葛藤があったのだろうか。

 

 そんな人が、それらを続けていくことに、どれほどの苦痛に苛まれただろうか。

 

 そんな人が、それらを死ぬ直前まで、そして自分の『死』すらも構わず貫き続けることが、どれほど恐ろしく、悍ましく、そして辛いことであっただろうか。 

 

 それに、姉上は家臣に殺された。『合理的な』考えのもとに下した命令で動いていた家臣の謀反によってだ。その原因は、『合理的な』考えを貫いたから。そして、それを無理やり続けさせたのは紛れもない『僕』だ。

 

 

 つまり、僕が姉上を死に追いやったのだ。僕が残した我が儘は、ただ単に、姉上を苦しめただけだ。

 

 

 

 

「何だよ、僕はずっと姉上を苦しめただけじゃないか」

 

 

「全くもって、その通りじゃ。一度目と言い二度目と言い、本当にお勝はロクなことをしない。困ったうつけ者よ。だがな……」

 

 

 僕の呟きに、姉上はカラカラと笑った。しかし、それも最後の言葉を境に途切れ、同時にその腕に力が籠り、そして僕の頭に大量の涙が落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

「儂は、心底感謝しておるよ」

 

 

 

 姉上の言葉。それは僕の鼓膜を嫌と言う程叩き、同時に目尻を熱くさせた。

 

 

 

「確かに、お主は儂にとんでもない我が儘を押し付けてきた。それも、3つ用意しているようで、よく見たら一つしかないのだからのぉ。『自由にいろ』? お主に言われんでも儂はいつ何時どのような状況でも『自由』じゃ。当たり前じゃ、『自由であること』を決めるのは他の誰でもない儂なんじゃからな!! はい、終わり。次は、『光り輝く笑顔でいろ』? うつけ者、儂は何時だって『笑顔』じゃ!! はい、終わり。次は……って、そら見ろ。後、『理不尽な時代を終わらせろ』しか残っていないではないか。それ以外、何を選べばいいんじゃ? だから、初めからこれしか選びようがない、と言うか他が楽勝過ぎてこれしか残らなかった(・・・・・・)んじゃ。なのに、それを最期の願いとかこつけてドヤ顔で押し付けられれば、いくら『ぱぁふぇくと』な儂でも頭を抱えるわい」

 

 何処か、懐かしむように語りだす姉上の言葉に、僕はじっと耳を傾けた。

 

「そして、最後に残った『理不尽な時代を終わらせる』。これはお勝の知っているように、一筋縄ではいかなかった。沢山裏切られ、沢山斬り捨てた様に、儂は沢山苦しんだ。文字通り血反吐をまき散らし、時には周りの者に当たり散らし、理不尽なことで部下を痛めつけた。まぁ、それが祟っての本能寺の変だ。それだけ見ると、お勝の我が儘は儂を苦しませただけかもしれぬ」

 

 

 そこで言葉を切った度と同時に、姉上の腕が僕の頭から離れる。そして、次の瞬間離れた姉上の手が僕の頬に添えられ、あろうことか無理矢理上を向かせた。『令呪』の効力は切れているため、僕が姉上の顔を見ること自体に問題はない。しかし、それはつまり僕の『みっともない顔』を姉上に見られることになる。そうなれば、僕は正真正銘の―――――。

 

 

 

 

「今の儂を見ろ、信勝(・・)

 

 

 僕の思考は、その一言共に現れた姉上の顔を見て止まり、そして四散した。

 

 

 そこにあるのは、姉上の『笑顔』。自分が聖杯を以て僕を呼び出したマスターであると悟らせないために浮かべていた『あの笑顔』や、『幼名で罵る』と言う最大級の屈辱を味合わせた僕に『恐怖』を植え付けたあの真顔でもない。

 

 僕が真っ先に挙げて、そして最も叶えて欲しい我が儘である、あの『笑顔』だ。

 

 

「今、儂は英霊、『魔人アーチャーこと第六天魔王ノブナガ』と言う大英霊じゃ。では、儂は何で大英霊となれた? それは『天下を握る寸前まで昇りつめた』と言う偉業を成し遂げたからじゃ。では、儂はその偉業を成した要因は何じゃ? そう、お主じゃ。お主が儂に残した、あのとんでもない我が儘じゃ。あれが無かったら、今の儂はおらん。今こうして英霊として召喚され、お主の前にいて、お主の顔を掴んで、お主に『笑顔』を向けている第六天魔王ノブナガは、居なかったであろう。つまり、お主が我が儘があったからこそ『今の儂』が存在するのじゃ。だから、お主は『無能』などではない。今の儂を作り上げたお主が、『無能』なわけがなかろう。それは、ゆめゆめ忘れるでないぞ……そして、それを踏まえた上で儂から『褒美』を授けよう」

 

 

 そこで言葉を切った姉上。その上体が動き、前かがみになる。そして姉上の顔が近づき、やがて額に何か(・・)が触れた。それは一瞬にして離れ、やがて姉上の顔が現れる。

 

 

 

 

「ありがとう、信勝」

 

 

 そう、姉上は言った。いつもの『笑顔』のまま、涙のせいでほんの少しだけ頬が紅潮している。その言葉、そして姉上の顔に、僕はただ、改めて分かった。

 

 

 

 やはり、姉上は『笑顔』が似合う、と。そんな場違いで、そんな当たり前のことを、改めて認識したのだ。しかし、その時間は姉上の手によって頭上に付き上げられたことにより瞬く間に終わりを告げた。

 

 

 

 

「さて、儂の願い(・・)はこれで終い。後は信勝、お主次第じゃ」

 

 

 突然、俺の頭を放り出した姉上は懐から聖杯を取り出し、あろうことか手で弄び始めた。先ほどまでからの変わりよう、そして一つあるだけで時空を歪めるほどの力を持つ聖杯を、玩具のように弄ぶその姿に、僕はただ目を丸くした。

 

 

「お主はどうしたい? ここに残り、見た目麗しい儂と共に楽しく過ごすか? それともこのまま消え去り、ジメジメとした空間で一人寂しく過ごすか? どちらが良い?」

 

「おっ、ちょ!?」

 

 

 いつまで経っても呆けている僕にしびれを切らした姉上はそう言い、同時に弄んでいた聖杯を僕に投げ渡してきたのだ。宙を舞う聖杯を寸でのところで掴み、落とさなかったことに安堵の息を漏らす。全く、姉上はこれがどれほどのモノか分かっているのか。

 

 

 いや、分かっていて(・・・・・・)やっているのだ。姉上は、僕がどちらかを選ぶと分かっていて、敢えて選ばない方(・・・・・)の魅力を語り、僕の心を揺さぶろうとしているのだ。

 

 

「姉上、少しは聖杯(その)扱いには気を付けてくださいよ」

 

「うるさいぞ信勝。大体、聖杯(こんなもの)、儂らのレベル上限を引き上げるだけではないか。あれだけ苦労して手に入れているのに、その見返りがそれでは全然見合ってないぞ!! これ一つで儂のスキルレベルを一気に上げるとか、これ一つで儂のレベル上限をMAXまで引き上げるぐらいしたらどうじゃ!!」

 

「何で頑なに姉上だけなんですか」

 

 

 姉上の暴言とも、メタ発言とも言えるそれに、僕は苦笑いを浮かべながら突っ込む。同時に、このままでは更に雑に扱われるであろう聖杯のために僕は結論を出した。

 

 

 

 

 

「『二度あることは、三度ありますから』」

 

 

 そう、苦笑いを浮かべながら言った。その瞬間、姉上の動きが止まる。そんな姉上に、僕は手にしていた聖杯を押し付けた。聖杯の効力を打ち消すには、聖杯を使った本人の意思が必要だからだ。

 

 

「……そうか」

 

 

 押し付けられた聖杯に視線を落としながら、姉上はポツリとつぶやく。一瞬、その頬を何かが伝っていたように見えたが、素早く顔を逸らした僕は見てません。

 

 

「信勝が決めたなら、儂が引き留める義理は無い。こういうモノは変に感情的になると駄目じゃ、そのままずるずると引き摺ってしまうからのう。ここは『合理的に』考えるべきじゃ。と言うわけで、最後に言いたいことを言って別れることにしようぞ」

 

 

 何処かわざとらしく捲し立てる姉上に、僕は苦笑いを向ける。すると、姉上も『笑顔』を向けてきた。それと同時に、姉上の手にある聖杯が微かに輝き、僕は再び全身を何か柔らかいモノに包まれる。

 

 

 あぁ、これはあの時と、二度目(・・・)と一緒だ。また、僕はあの奇妙な出来事と戦わなくてはならないのか……いや、それは無いだろう。何せ、今の僕にあの時のような感覚も、ましてや『願望』もない。強いていれば、『無能』ではなく、大英霊『第六天魔王ノブナガ』を生み出した者として、その名に恥じぬよう消えていくことか。そして、僕はその『願望』を叶える自身がある。

 

 

 

 

 何故なら、今この時、本当の意味で僕の我が儘が叶うこの瞬間でさえも、姉上は『笑顔』で居てくれるからだ。姉上が『笑顔』を、そして僕に額に口づけをした時に本当の『笑顔』を見れたのだから。やっぱり、姉上は『笑顔』が似合うなぁ。

 

 

 やがて、頭の感覚が消え始める。もうすぐ、僕の視界も消えてしまうだろう。だからその前に、姉上の顔が見れなくなる前に、僕は言いたいこと纏める。そして、視界の上が消え始めたその瞬間、『笑顔』を浮かべて、こう言った。同時に、姉上の声も聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「さらば、我が最愛の弟よ」 「あとはお願いします、姉上」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「何が『二度あることは三度ある』じゃ。三度目でセリフを間違いおって……これだから信勝は」

 

 

 儂以外誰も居ない場所―――――――『れいしふと』と呼ばれる特異点に移動するための装置がある部屋で一人、第六天魔王ノブナガは独白した。

 

 

 つい先ほど、目の前で消えて行った我が不肖の弟、信勝。今この時、あやつは憎たらしいほど清々しい笑顔で消えていきおった。その姿に、儂も同じように『笑顔』を向ける。信勝がそう望んだのだから、儂はそれをするしかあるまい。それがどれほど辛い(・・)ことでも、儂はそれをしなければならない。

 

 

 さて、この聖杯も返さないといけないのぉ。信勝が消え、あの人斬りサークルの吠える方を倒して、いつの間にか茶々が持っていた聖杯を宴のノリで持ち出してしまったのだから。しかも、使ってしまったのだから。

 

 

 今までの儂は、聖杯にまるで興味を示さなかった。ぶっちゃけ、天下統一手前だったけど、そこに至るまでにいろいろとやりたいことをやり尽くして、後は隠居生活をまったりと過ごすかぁ、ぐらいにしか考えていないかった。だから、英霊として召喚され、何でも願いが叶う聖杯を奪い合え、なんて言われても、やる気が起きなかった。

 

 

 ともかく、儂はマスターに召喚されてから、聖杯そのものに一切の興味を抱かなかった。そう、信勝が現れるまでは。

 

 

 初めて信勝を見た時、儂の中にとんでもない罪悪感が襲ってきた。それは、あやつの我が儘である『理不尽な時代を終わらせられなかった』ことだ。長い目を見れば儂の後を継いだ猿が天下統一をしたから、結果的に見れば儂が天下を統一したようなモノだが、それでも『儂の手』で獲れなかったことが、何よりも悔しく、そして信勝の我が儘をかなえられなかった、と、儂は自身を責めた。

 

 そしてそれが、あれだけ無い無いと思っていた『聖杯への願い』を呼び起こしたのだ。それも、1つ2つではなく、大量に。

 

 

 その中で、儂は聖杯に『信勝に会いたい』と願った。

 

 

 これは、儂が抱える全ての願いを纏めて叶えるためにひねり出した、謂わば儂の願望の集合体だ。もっと細かく言えば、『信勝を抱き締めたい』、『信勝に撫でられたい』、『信勝とじゃれ合いたい』『信勝に謝りたい』、『信勝にお礼を言いたい』等々。そんな単純な、傍から見たら願いと呼べるかどうかさえ怪しい類いのモノばかり。それも、誰もが羨む天下に最も近づいた儂だからこそ、その願いがちんけなモノに見えるだろう。

 

 

 でも、儂から言わせてもらえば『逆』なのじゃ。生前、普通なら絶対に手に入らないものばかりを持っていた儂にとって、誰もが当たり前に持っているそれが、とても美しく、自分が持っているどんなものよりも羨ましく見えるのだ。その中で、儂が最上級に願っていたことなのに聖杯の願いから外したモノがある。

 

 

 それは、『信勝とずっと一緒に居られる』だ。普通の姉弟なら当たり前の事を儂は最も欲した。でも、儂はそれを聖杯に願わなかった。何故なら、その願いは限りがないから、ずっと聖杯を使い続けなくてはならないからだ。

 

 

 そんなことをしてみろ、今回の魔人柱のように時空を歪める程の大惨事になる。聖杯に願うことが長ければ長いほど、それだけ周りに与える影響は計り知れないだろう。これ以上、カルデアの連中に迷惑をかける訳にはいかない。だから、儂はそれを外した。

 

 

 己が最上級の願望を除き、その穴を埋めるように小さな願いを聖杯に願った。無論、それだけはただの付け焼刃であり、信勝が現界している間は満たされる。しかし、消えてしまった今、儂はとんでもない虚無感に襲われているのだ。

 

 

 こんな想いをするならば、最初から会わなければ良かった、と溢すほどに。

 

 

 

 

 

 

「ノッブ」

 

 

 ふと、横から声が聞こえた。その方に目を向けると、マスターが歩いてきているのが見える。どうやら、宴を抜け出した儂を探しに来たようじゃな。

 

 

「儂を探しに来たのか? それは御苦労じゃった。久しぶりの宴にちょっと油断してのぉ、軽く涼んでおったのじゃ。さぁ、早く戻ろうぞ。今宵は儂自ら『敦盛 2017年ばぁじょん』を踊ってやろ―――――」

 

 

 そこで、儂の言葉は途切れた。いや、断ち切られたと言って方が正しい。何故なら、近づいてきたマスターが、いきなり儂を抱き締めたのだから。

 

 

 

「ま、マスター!! 無礼であるぞ!! 一体誰の許可を得て―――」

 

 いきなり抱きしめられたことに、儂は驚きつつもすぐさま引き剥がそうともがく。だが、その動きも次に聞こえたマスターの言葉によって、止まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「泣いていいんだよ」

 

 

 そう、マスターが言った。その言葉の意味を理解するのに数秒、そして理解した時に息を呑むのに一秒、『笑顔』を浮かべるのに二秒、それだけ時間がかかった。

 

 

 

「な、何を言っておる。儂が泣くことなぞ、天地がひっくり返ってもない―――」

 

 

「『令呪』を以て我が眷属、『織田信長』に命ず。今この場で、好きなだけ(・・・・・)泣き喚け」

 

 

 儂の言葉を遮るように、マスターはそう言って右手をかざした。その瞬間、『令呪』の一画が光る。あの時と全く同じだ。だが、今は立場が違う。それがマスターであった儂が、ただの英霊であることだ。

 

 

 次の瞬間、ダムが決壊した様に目から大粒の涙が溢れ出てきた。

 

 次の瞬間、鼻がグズグズになり、一刻も早く啜らなければ垂れてしまうほど鼻水が溢れ出てきた。

 

 次の瞬間、喉の奥から嗚咽が込み上げてきた。

 

 次の瞬間、儂は顔をマスターの胸に押し付け、その背中に回した両腕で力いっぱい抱き締めた。

 

 

 次の瞬間、喉の奥から込み上げてきた嗚咽は、獣の鳴き声にも遠吠えにも似た、凄まじい泣き声(・・・)に変わった。

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああん!!!!!!」

 

 

 それは、腹の底からの声だった。いや、腹の底よりももっと深い。ずっとずっと深いところ。それは、我が儘を叶えるために塗り固めた『合理的な』判断の分厚い壁を貫いた先。

 

 

 信勝の我が儘を叶えるために生前の儂からずっと押し殺してきた、今となってはその存在ですらを忘れかけていた、つい先ほど消えて行った信勝の前でさえも決して見せなかった、『本来の儂』だ。

 

 

 今までずっと心の奥底にしまい込み続けた。生前も合わせればマスターの年齢など優に超えるであろうそれを、マスターは引っ張り出したのだ。いや、引っ張り出してくれたと言った方が正しいのかもしれない。

 

 

 何故なら、そうでもしない限り、儂はそれを更に抱え込んでいたから。そうでもしない限り、儂は『本来の儂』を曝け出すことが出来ず、『合理的』で塗り固めた『嘘の儂』を演じ続けていたかもしれない。

 

 

 それが、どれほど苦痛だろうと、どれほど辛かろうと、今すぐにでも逃げ出したくなろうとも。ずっとずっと、それらを押し殺し、儂は演じ続けただろう。

 

 

 そこまで、このマスターが考えていたのかは分からない。でも今はただ、ただ『令呪』の命ずるままに、好きなだけ(・・・・・)泣き喚くことしか出来なかった。

 

 

 そんな泣き喚く儂を、マスターはぎゅっと抱きしめて、背中を撫でて、そして頭を撫でてくれた。その撫で心地は、どっかの愚弟よりも何倍も心地よく、その心地よさが余計に儂の感情を高ぶらせ、そして大量の泣き声を吐き出させた。

 

 

 そして、ようやく儂の泣き声が止んだ。未だに嗚咽を漏らす儂を、変わらずマスターは抱きしめている。嗚咽を漏らす度に抱き締め、背中を、頭を撫でてくれる。傍から見たら、癇癪を起した妹をあやす兄ではないか。ふざけるな、儂の方が年上じゃぞ。

 

 

「もうよい、大丈夫じゃ」

 

 

 己を客観視して見た儂は、そう言ってマスターの胸から離れる。対して、マスターは簡単に儂を解放してくれた。その姿に、儂は思わずムッと顔をしかめた。儂を抱き締めるなんて、滅多に出来ないんじゃぞ? もう少し位食い下がってもよかろうに……儂は何を考えているんじゃ。

 

 

「と言うか、マスターは儂を探しに来たのか? それとも偶々見つけたのか?」

 

「勿論、ノッブを探していたのさ。それも、とびっきりのニュースを持ってね」

 

 

 儂の問いに、何故か上機嫌になるマスター。とびっきりのニュース? 一体何のことじゃろう……儂のモーションが『りにゅぅある』するのか?

 

 

 

「ついさっき、ダ・ヴィンチちゃんから連絡があって、何でも新しい英霊が座に召されたらしいんだ」


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