一瞬にして全能の力を剥がれたボスは逃げていた。
ふざけるなと叫びたくなる気持ちを抑えて、ボスは逃げないという定石すら無視して。落ち着くために心の中で素数を数えながら逃げていた。
これが今までのボスと同じ、完全AI型であれば違った。あの場で混乱するすてら☆あーくの面々を鏖殺することなど、欠伸混じりで行えた。だがこれまでのボスより柔軟性を求めた結果、セミオートとでも言うべき状態になっているボスには、想定通りのメリットと同時に精神状態に左右されてしまうデメリットまでもが追加されていた。
『やってくれる、極振り共め。だが力は削いだ、確実に!』
壁に拳を叩きつけながら叫ぶボスの姿は、ほんの少し前までとは様変わりしていた。
3対6翼からなっていた大型の
単純に数値化して表すのなら、ほんの数分前と比べて10分の1近くまでボスは弱体化されてしまっていた。
「お、これはボク達が一番乗りですかね? ふっふーん、流石は可愛いボク。運も持っているみたいですね!」
「いや、見た感じボロボロですし出遅れてると思う」
「ふ、ふふん。それはそれで、漁夫の利を取れますから問題ないですね!」
そんなボスの前に現れた2人分の影。言わずもがな、カオルとブラン組である。2人とも割となんでも出来るスタイルではあるが、やはり傾向としては攻撃偏重。
やれないことはない。そう判断して、ボスは己が武器を構えた。
「あ、これマジでやばいタイプですギルマス。可愛いボクの攻撃も通じるかどうか」
「なるほど。手は?」
「10秒」
「稼ごう」
瞬間、ボスから見れば視界の全てが赤黒に染まった。それは、呆れるほど多重展開された召喚術の基本魔法。必中+固定ダメージ+MP吸収という単純なそれが、500という限界まで一気に展開された。
『効くものか、この程度の攻撃』
「だろうね、だからこうする」
無数に展開され放たれ続ける黒い固定値の魔法群の中、3つの魔法陣がボスを中心に展開される。重なり合うそれらが急速に回転縮小を始め、魔法の壁の向こうから言葉が告げられた。
「趣味じゃないんだ、本当はこういうの。でもまあ、時間稼ぎには上等だろ?」
そして指がパチンと鳴らされると同時、魔法陣が消え去り極致の召喚術が起動する。
「燃えよ、出でよ、そして焼き尽くせ。フェニックス 、テュポーン、イフリート!」
次瞬、ボスのリソースを食いながら燃え盛る不死鳥が体内から出現し、動き出そうとするボスが空間ごと圧縮されダメージとデバフを受け、外側からも爆炎に包み込まれた。
『もう三体呼ぶべきだったな、止めたければ!』
「うわぁ……なるほどこれはやばい」
しかし黒い針も三重の召喚獣も無視して、ボスがスラスターを広げた。そして腰だめにビームソードを構えて、減少してもなお破格のステータスによる突撃を敢行した。
「砕け、タイタン!」
『硬いだけの壁など!』
それを防ぐべく召喚された高い防御力を誇る石の巨人は、そんなことは知らないとばかりに一撃で、ずんばらりんと両断された。大人気ない威力だが、2人だけで挑んだのが運の尽き。そう判断し始末にかかったボスが見たのは、笑みを浮かべたブランの顔だった。
「ボクの必殺技、特別版!」
そしてボスに向け、天井から十重二十重に重なった斬撃が飛来した。
「一人称被り滅殺斬り! 厳密には違いますけどね!」
トドメに床を切り裂いて、ボスを階下に叩き落としたカオルがブランの隣に着地した。
ユニーク称号である【ナイトシーカー】とは何の関係もなく、単に仕込みパイルを天井に突き刺して立ち放った最高火力。全武器スキル中最も単純火力の高い抜刀術、それを受けて無事でいられるボスはそう多くないのだが……
「3割ですか……このままじゃ割に合いませんね」
ここまでやって、1段目の3割。レイド級一歩手前の相手に破格の戦果といえばそうだが、実際割に合わない成果でもあった。
「了解。とりあえず他の奴らと合流が先決かな」
「ですねー。すてら☆あーくの人たちがいれば、幾らか楽になると思いますけど」
そんな軽口を叩きながら、カオルが追跡防止用の霧を、ブランも同様の使い捨て壁モンスターを召喚し撤退した。ボスが階下から戻ってきたのは、2人が姿を消してから10秒ほど後のことだった。
『やられてしまったな、たった2人に。漸く冷えたよ、僕の頭も』
軽く頭を振りながら、ボスは独り言葉を零した。そこには先程までの動揺しきった様子はない。セミオートの都合上口調が変にズレているが、それを除けば完璧な精神状態に戻っていた。
『さて。始めようか、ボス戦を。この場所で、奴らが来ない間に!』
ボスがそうカッコよく1人で台詞を決め、1人でいい感じに哄笑をあげる演出を聞きながら、2人は全力でその場に背を向け逃走していた。
「……これ追って来てない?」
「追って来てますねぇ!」
そしてそんな2人を、かなり惑わされながら足留めされながらも、ボスはしっかりと追って来ていた。しかもAglの地力がかけ離れているため、あまりにも追いすがるまでが早い。カオルが足の遅いブランを背負い走っていてこれなのだ、追いつかれるまでは秒読み段階だった。
「というか、薄々感づいてましたけど中に人入ってるじゃないですかあのボスぅ!」
「ならカオルの霧は完全に無意味だね」
ブランの召喚している壁モンスターと違って、カオルが撒いていた霧はモンスターやNPCからの認識を誤魔化す為の物。つまり、今相手にしているボスには一切の効果がない代物だった。
「フ○ック! おっと、ボクとしたことが。言葉遣いがくずれぎゃんっ!?」
悪態をついたカオルの髪を、背後から飛来した光の斬撃が掠めた。
「あぁっ!! 髪の毛が! 可愛いボクの髪の毛が!」
「カオルはいちいち反応が面白いなぁ」
「何言ってるんですがギルマッぴぃ!?」
「はっはっは」
「笑い事じゃないですってぇ! 私たち、割と単体戦力じゃトップなんですから!」
極振りが実質戦闘不能に陥った今、実際2人の戦力は最上級。2人がここで倒されデスペナルティを受けるのは、確実な痛手と言えた。そしてそれが分かってるのは、ボスを含めた当人達だけではない。
「見つけ、まし、た!」
「2人とも、早くこっちに!」
今カオルが走る道から少し外れた狭い通路。そこから、セナと藜の2人が手招きをしていた。
「流石ボク! 運も持ってほこゃぁッ!?」
「カオル、今から隙を作るからそれでお願いするかな」
「やっとギルマスが働いてくれるぅ!」
それを見てガッツポーズをしたカオルを再度斬撃が掠め、それを見てこれまでとは打って変わった様子のブランが背後に杖を向けた。
「本当はあんまり他ギルドには見せたくないけど、仕方ない」
直後、霧も壁モンスターも全てを覆い尽くすように、赤黒い壁が通路を塞いだ。否、それは通路全てを埋め尽くすほどの量を誇る魔法群だった。
「ユキ君と相対して、俺はまだまだ未熟だと学んだんだ。装備で強化し、技術も磨いたこの必殺技、受けるがいい!」
ユキか極振りの1人でもいれば、放たれた魔法の数が800個という意味不明な数字にまで上昇しているのが分かっただろう。本来の固定ダメージ50(クリティカル時70)から固定ダメージ75(クリティカル時110)にまで上昇した魔法が、800個だ。
最低6万ダメージの必中+与ダメージの半分を回復するという、まさに塵が積もって山になったような必殺技がボスに殺到した。女の子におんぶされていなければ、きっと様になったに違いない。
「ナイスですギルマス!」
そんな必殺技を見ることもせず、カオルがゴツい手甲に包まれた右手を前方に突き出した。直後、銃弾程度の速度で手甲から何かが発射された。発射されたそれはセナと藜を通り過ぎ奥の壁に接触すると、その地点とカオルを繋ぐようにピンとワイヤーを張った。
「巻き取り!」
そして、蒸気を噴き出しながら手甲がそれを巻き上げAglの限界を超えてカオル達を移動させた。
「助かりました、次ボク達はどうすれば!?」
「逃げるよ! こっち!」
「戦略的撤退、です」
サムズアップするセナ達に一瞬白目を剥きかけたカオルだったが、それでも次の瞬間には足を動かしていた。しかし速度特化型のセナと藜よりは、お荷物1人抱えている分速度が遅い。
「結局、このままだと、ぜぇ、追いつかれますよ!?」
「ごめん、ポイントまでもう少しなんだけど」
「そこまで、行けば、なんとか、なり、ます」
「やったりますよ!! どこですか!」
「このまま真っ直ぐ!」
後ろで通路の破砕音が響く中、再度カオルがワイヤーアンカーで擬似的な飛翔をした。途中通り抜けた中規模の部屋の中身を見て目を剥きながら。
当然のように2人を追い抜かした藜が障害物を破壊し、セナが中規模の部屋に分身を1人残してカオルを先導するように走る。そして、すてら☆あーくのメンバーが揃った、巨大な穴の空いた部屋に辿り着いたたところで。
「今からこのフロア消し飛ばすので、飛び降りて避難します!」
「ふぁっ!? 普通の人だと思ったのに、彼氏に染まってません!?」
「ゆ、ユキくんとはそういうのじゃないですから!」
「そう、です。まだ違い、ます」
これは馬に蹴られるな等と背負ったギルマスに煽られながらも、とりあえずカオルが穴に飛び降りた。同じようにセナと藜も飛び降り──
「れーちゃん、Go!」
「ん!」
「《アイシクル・コフィン》!」
れーちゃんが握っていた起爆スイッチを押し、ヨロイを纏ったランさんが2人を抱えながら飛び降り、穴を極厚の氷が塞ぎ切った。そしてその直後、ボスが分身に足止めされていた中規模の部屋を中心にして、フロア丸1つが爆弾によって吹き飛ばされた。
この爆破を間近で体験した少女Kの後の証言
「ええ、間違いなくアレはプロの仕業でした。幸運極振りの手だけじゃない、明らかにそっちに精通した何者かの介在が感じられるほど完璧な爆破でした、ええ」
(ろくろを回すポーズ)