艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
「あー、あー。テステス、マイクテス」
勇はマイクの音量が適切であることを確認した。ハウリングなどを起こされては、肝心なところで拍子抜けしてしまう。
「えーっとだな、今日はわざわざ集まってもらってすまない。今日、集合をかけたのは2つやりたいことがあるからだ」
少し間を空ける。艦娘たちは一瞬だけざわつくが、勇が口を開こうとすると気配を察したのがシン、と静かになる。
「まずはたいへん遅れてしまったが、俺の着任挨拶だ。先日、ここ佐世保第三鎮守府に着任した竹花勇だ。階級は中佐。今後はここで司令長官をやっていくことになる。何かと接触することは多くなるとは思うが、よろしく頼む」
そのまま頭を下げる。そして前髪の隙間から艦娘たちの様子を窺う。
意外なことに、拍手は起きた。しかも、一番はじめに拍手を始めたのは最も意外な艦娘だった。
榛名が拍手をしていた。もちろん、真剣に拍手をしていたわけではなく、惰性でやっている感じだ。けれど榛名が拍手をすることに勇は驚いていた。
そして榛名がすれば他の艦娘もつられて拍手を始めた。ちゃんとやっているわけではない、まばらな拍手だ。けれどあるとないでは大きく違う。
「ありがとう。これから長い付き合いになると思う。いい関係を築けたらと考えている。そのために一つ、俺はやりたいことがある。だから話を聞いてほしい」
その一言で艦娘たちの間に緊張の入り混じった感情が走った。そして一斉に敵意ある視線が勇に突き刺さる。
「俺はここの台所事情を変えたい。今の食事はレーションだけという状態はだめだ」
「はっきりと言ってくれますね。ですが以前にも言わせてもらったはずですよ。
「ああ、もちろん覚えてる」
やはり最初に言ってくるのは榛名だ。榛名は真っ先に反発してくるだろうと勇は予想していた。だから身構えていたし、すぐに対応することもできる。
「だが逆に言わせてもらうぞ。この中で望んでレーションを食ってる艦娘は何人いるんだ?」
「苦情が出ていないということは問題ないということでしょう?」
「違うな。周りがこの状態を当然と受け入れてしまっている中で自分1人が声を上げることができなかったんだ。どこか心の中であるんじゃないか? 周りが騒いでいないのに自分だけ騒いでいると恥ずかしい、みたいな心理がな。周囲に現状を強いる同調圧ってやつが」
さっと俯いた艦娘がいた。それも1人だけではない。複数人が気まずそうに勇から目を逸らした。
「だからきっかけを作ろう。まずは食堂にレーションだけじゃなくて、他の料理も食べられるようにする」
「誰がそれを作るんですか? 材料は? 配膳は? 百歩譲ってレーションを買っていた金額をそちらに当てたとしても、これらの壁をどう乗り越えるおつもりですか?」
「配膳についてはさっき少し言った。シフト表を俺は見せてもらったがな、暇をしている艦娘がだいぶいるだろ? その暇な艦娘たちに協力してもらう。新しく食堂のシフト表を組んでな。大した時間を食うわけでもないし、大きく負担は増えない」
「誰がそのシフト表を作るんですか? あなたはここの司令長官です。命令することはできるでしょう。ですが、シフトを組まずにやれるようなことではありません」
「安心しろ。今日から先、三ヶ月ぶんのシフト表はもう組んである。同意さえ取れればいつでもシフトに従って動かせる」
そのために、不知火に頼んで榛名から遠征と出撃、そして哨戒のシフト表のコピーを入手してもらったのだ。そしてそれらをすべて統合し、手の空いている艦娘を食堂のシフト表には組み込むように作ってある。
勇の合図で不知火がそのシフト表のコピーを榛名に渡した。束になっているシフト表を榛名が捲っては目を通していく。
「ずいぶんと手際がいいんですね」
「こういう仕事だからな。だがわかってくれたか? シフトに関しては問題は起きない」
「なら食材は? 大人数の料理を作らなくてはいけないのなら、かなりの量が必要になります。どこから買い付けるんですか?」
「この鎮守府を出て、少し行ったところに商店街がある。市場が併設されてるやつがな。そこの上と話はつけてある。つまり仕入れのルートはもう確保済みだ。あとは一声かけるだけでいつでも食材は入ってくる。大量に買うって言ったら手を叩いて喜ばんばかりだったよ。しかもたくさん買うなら安くしてくれるんだと」
商店街とは、この間に勇が弁当を買ったあそこだ。今度はきっちりと軍服の正装を着込んで事前にアポイントメントを取り付けた上で乗り込み、話をつけていたのだ。仮契約を結ぶことにも成功し、あとは完全に成立させて実行するだけの段階まできている。
「では誰が料理を作るんですか? 艦娘が全員、料理ができるとお思いではありませんよね? それにこの大所帯です。全員ぶんを作るのは並大抵のことではありません。よっぽどの経験がない限りは不可能です」
「その通りだ。だからスペシャリストを呼んである」
「以前、私が言ったことを覚えていらっしゃいますか? ここに入れる人間はあなただけです。それ以外の人間は入れないと言いましたよね?」
「ああ、言ったな。なら裏を返せば、お前たちの認識で人間じゃなければいいわけだ」
「どういう……」
「待たせてすまなかったな。入ってくれ」
榛名が最後まで言い切る前に勇が食堂の入口あたりに声をかけた。ギィ、と軋みながら開くドアに全員の視線が一瞬で集まる。
ゆるやかなウェーブのかかった茶色の髪に、大きめな赤いリボンとヘアピン。そして割烹着の女性が朗らかな笑みを浮かべて食堂に入ってきたのだ。
「給糧艦の間宮です。本日より佐世保第三鎮守府の厨房を預からせていただきます。みなさん、よろしくお願いしますね!」
「本人の紹介通り、間宮は艦娘だ。榛名、これならお前たちの言うところにある『人間』は俺だけのままだろ」
仙谷少将は勇の頼みにしっかりと答えてくれたようだ。間宮の派遣という人事に介入するお願いは難しいかと思っていたが、さすがは少将と言うべきかしっかりと今日に合わせて間宮を派遣してくれた。
「間宮さんをどうやって派遣してもらったのですか?」
「直接、上に掛け合った。この鎮守府のためと説明したら快く承諾してくれたよ」
「この鎮守府のため? 防衛ラインを維持するための間違いでしょう?」
冷たく榛名が言い放つ。くだらなさそうにふっと鼻で笑っていた。
ああ、そうだろう。上が協力的な態度で間宮の派遣をしてくれたのは防衛ラインを維持させるためだ。勇が必要そのために必要だと進言したからだ。そんなことくらいわかっている。
わかっているからこそ、勇はそこに付け込んだのだ。
「仮に、だ。仮に防衛ラインを維持するためだったとして、間宮を派遣してもらってここの食糧事情の質を向上させることが防衛ラインの維持にどう繋がるんだ?」
「……食事の質を上げることによる戦意の向上でしょう?」
「それはお前たち自身が否定したことだ。
榛名がこっそりと唇を噛んだ。勇にも、周りの艦娘たちも気づいていないように、わざわざ俯きがちに、だ。自らの言った言葉に追い詰められた。完全に逆手に取られてしまったことの屈辱さだった。
けれど榛名がそれで折れるわけもない。
「ならあなたは私たちにゴマを摺りたいんですか。そのためにここまで大掛かりなことをするなんてずいぶんとお優しいんですね」
「それこそ勘違いするんじゃねえよ。お前たちにゴマを摺る必要なんてそれこそない。これもお前がさっき言ったことだ。俺はここの司令長官でお前たちの提督なんだ。いちいちご機嫌を伺い立てることなんかしないで、命令しちまえばいい」
「わかりませんね。なぜあなたがそこまで躍起になるんですか?」
榛名が顔を怪訝そうに歪める。他の艦娘たちも不思議そうだ。勇には食事を改善する理由がないのに意地になって変えようとしているのが理解できないのだろう。
命令などと言ったが言葉の綾だ。本気で勇は立場を嵩に着て、艦娘を従わせようとするつもりはない。だがここまではまだ、感情で論ずる場所ではなかった。ここは理論と理屈で論ずる場所だった。
今までは勇の本音など求められていなかったし、言うべきでもなかった。もしも言おうものなら榛名を納得させることはできないだろうし、言っていれば榛名は席を立ってしまっていたかもしれない。
だから感情のカードはずっと取っておいてあった。そしてそれを切るタイミングは、ようやくやってきた。
「なあ、榛名。ここにいる艦娘で古参と言えるのは何人いるんだ?」
「……古参で生き残っているのは私ぐらいです」
「もう一つ。レーション以外をまともに食ったことのある艦娘はどれくらいいる?」
「…………」
榛名は無言だ。だがその無言が勇にとっては十分すぎる答えだった。
ここの艦娘たちは料理の味を知らないのだ。食事と言って出されていたものはレーションのみ。これでは知らないのも無理はない。
だから不知火はコロッケのことを知らなかった。
「俺は強制するつもりはねえよ。だがな、こんなにうまいもんを知らないでいるなんて寂しすぎると思っただけだ」
それを合図として、間宮がカートを押してきた。カートにはどっさりと黄金色に輝くコロッケが積まれていた。
その隣にはカレーの入った大鍋と炊飯器が。さらにその隣にはシャキシャキの生野菜サラダが。そしてとどめと言わんばかりに最後に置かれているものはつやっとしたプティング。
ごくり、と唾を飲む音。ゆらゆらと漂う湯気にはカレーのスパイシーな香りとコロッケのこうばしい香りが乗って、艦娘たちの鼻をくすぐっているのだ。これで空腹感を感じないわけがない。
「好きに食っていいんだ。お前たちは世界をもっと知るべきだ」
祈るような気持ちで待ち続ける。だが、ためらっているのか誰もカートに向かって一歩を踏み出せずにいた。
誰でもいい。最初の一人目が動いてくれさえすれば釣られて二人目、三人目と動き始めてくれる。そしてそこまで動いてしまえば集団心理で全員がカートに行って食べてくれるだろう。
誰か。お願いだ。たった一歩でいい。だからーーーー
「司令、これは食べなければどうなるのですか?」
「し、不知火?」
「司令、どうなのでしょうか?」
「いや、捨てることになっちまうんじゃないか? 悪くなったらいけないし……」
カートの前に最初の一歩を踏み出したのは勇にとってもっとも意外な人物である不知火だった。思考の隙を突かれて質問に返すのが遅れてしまうくらい驚きだった。
「捨ててしまうのですね」
「一部は冷凍するかもしれないが、それでも限度があるからな。全てを取っておくのは難しいだろう」
「そうですか。なら不知火がいただいてもよろしいでしょうか?」
「不知火が? ……いや、もちろんだ! お前もぜひ食ってくれ。間宮!」
「はいっ!」
「不知火!? な、なんで……どうして味方なんてするのよ!」
陽炎が勇よりも遅れてショックから立ち直って声をあげた。そのままずんずんと進み出て不知火の行く手を阻むように立ち塞がる。
「陽炎、どうかしましたか?」
「どうかした、じゃないわよ! 不知火こそどうしたのよ!」
「いただきます、です」
「は?」
「食材と作ってくれた人への感謝の言葉、だそうです。聞けばこれらの料理を作るためにいくつもの命を犠牲にしているそうですよ。すべては食べてもらうために。そしておいしく食べて欲しいと願いながら作る人がいるらしいんです。それなのに残すのはよくないでしょう?」
陽炎が口をポカン、と開けて棒立ちになった。その脇をするりとすり抜けて不知火がカートに近づき、間宮からコロッケを受け取る。
「いただきます」
がぶっと不知火がコロッケにかぶりついた。熱かったのかはふはふと息をはいて冷ましながら味わう。他の艦娘たちがじっと見守る中で不知火がもぐもぐと口を動かし続け、ゆっくりと飲み込んだ。
「うん、おいしいですね」
「本当ですか? それなら私も腕を奮った甲斐がありました!」
にこりと間宮が嬉しそうに笑う。不知火の表情筋はほとんど動いていないが、コロッケをほお張っている姿はどこか満足そうだ。
ぐう、とだれかの腹の虫が鳴った。勇ではなく、不知火でもなければ間宮でもない。
特定はできないが、列で並んでいた艦娘のだれかだろう。
「遠慮なんかしてんじゃねえ。食いたいなら食えばいいんだ。だが、どうしても最後の一歩が踏み出せねえってんならその背中は俺が押そう」
勇が艦娘たちの列へ声をかける。列から外れていた陽炎すらも勇の方を振り向いていた。
不知火が進み出てくれたおかげで艦娘たちの心のハードルは低くなった。不知火が勇気ある一歩目を踏み出してくれたおかげだ。だから後は誰かに頼ることなく、勇自身の言葉で艦娘たちが動くきっかけを与えてあげなくてはいけない。
「お前たちは生きてるんだ。兵器とかそういうの全部を除いて、ちゃんとここにいるんだよ。だから食べたいもんくらい食えばいいんだ。この世界は戦うことだけじゃない。でもお前たちは戦うことしか知らないんだろう? じゃあこれから知っていこうぜ。そのためにまず、飯を食おう。それでうまいって言って笑おう。それでいいんだよ」
それが最後の堰を叩き壊した。わっと配膳台と間宮に向かって幼い容姿の艦娘から駆け出し始め、それに続いていくようにゆっくりと容姿も成長している艦娘が向かっていく。
食器が皿に当たる音に小さな笑い声が混ざった。そしてその笑い声は徐々に伝播していく。その笑い声の中で一緒にすすり泣く音と共に発された言葉は勇にとってやった甲斐があったと思わせるものだった。
「おいしいっ……」
誰が言ったのかわからない。けれどその一言で今日までの行動が無駄ではなかったと実感させてくれた。
UAが1000を突破しました!まさかここまで早く行ってくれるとは思っていなかったのですごく嬉しいです!
えー、そしてはじめの頃に1話あたりの文字数は3500程度と言いました。
はい、ごめんなさい。今回の話、だいたい5600文字です。2000文字以上オーバーしました。もうこんなことはないように善処します。(できるとは言ってない)