艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~   作:海軍試験課所属カピバラ課長

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第33話 その答えを誰も知らない

 いつもと同じように執務室のドアがノックされる。この叩き方は不知火だ。

 

「開いてるよ」

 

「失礼します」

 

 不知火が一礼しながら執務室へ踏み込む。ざっと勇はその格好を確認したが、服の裾にわずかな焦げ目があるくらいだ。

 

「報告です。旗艦不知火、ただいま帰還しました。南方戦線において深海棲艦と交戦。敵勢力を壊滅させました。損害は軽微です」

 

「了解だ。不知火も入渠してこい。食らったんだろ?」

 

「余波です。入渠は他の者を優先すべきだと判断しました」

 

 確かにぱっと見ただけでも不知火は大きなダメージを負ったような様子はない。服の焦げだけで済んでいる。肉体面にしても体軸が大きくブレるような様子はないし、どこか庇うように歩いているふうにも見えない。

 

「まあ、空きができるまでそこに座っていろよ。ずっと立ってるのも疲れるだろ」

 

「ありがとうございます」

 

 勇の指さしたソファに不知火が腰を下ろす。それを見届けてから勇は書類との戦闘へ戻った。

 

 不知火が来る前と同じように沈黙が執務室に鎮座した。会話の継ぎ穂が途切れてしまっていた。

 

「あー……不知火」

 

「どうされましたか?」

 

「いや……今回の出撃任務はどうだった?」

 

「質問の意図を図りかねるのですが……」

 

 不知火が困惑したように首を傾ける。確かに投げかけた質問は何を答えに求めているのかわかりづらいものだった。

 

「なんでもない。忘れてくれ」

 

「はあ……」

 

 釈然としないながらも不知火が納得する。一方で勇は自虐を内心で繰り返す。

 

「不知火、ドック空いたでー」

 

 そうこうしている内に黒潮が陽気に執務室のドアを開け放った。ノックくらいはしてくれ、と視線だけで勇が伝えると黒潮がぺろりと舌を出して誤魔化す。

 

「ありがとうございます、黒潮。司令、それでは」

 

「ああ。ゆっくり体を休めてこい」

 

 ソファから立ち上がった不知火が敬礼をすると出て行く。ほなー、と黒潮が手を振ってそれを見送った。

 

「で、や。司令はん。任務報酬は受けとったん?」

 

「ああ……ってどうしてそれを……」

 

「やー、なんとなくな? たぶん噂に聞いたアレの任務やったんやないかなと思っとったんやけど、ビンゴみたいやなあ」

 

 けらけらと黒潮が笑う。これはカマをかけられたのかと気づいたが、今さらだった。

 

「なんでためらったん?」

 

「そもそも誰に渡すか決めてねえんだよ。たった一つしか渡されない戦力向上用アイテムだからな。使うなら慎重にしないと」

 

 もうバレているなら無理に隠す必要性を感じない。どのみち黒潮があたりかまわず吹聴するようには思えなかった。

 

「候補くらいは決まっとらん?」

 

「こういうアクセサリーの形にされると渡しにくいよ。1人を特別にしちまうみたいだ」

 

「べつにええやん」

 

「いや、よくないだろ……」

 

 1人を特別扱いすることは平等性を欠く行為だ。少なくとも鎮守府のトップとして誰か1人を優遇しているというのはあまり好まれる状況ではないと勇は個人的に思う。

 

「ま、渡すか渡さんかはウチが決めることやないでなあ。……ちなみに渡すとしたら誰になるん?」

 

「なんだかずいぶんと押しが強いな」

 

「堪忍してや。女3人集まれば、ゆうやろ? 3人でもやかましいなら1人でも、っちゅうこと」

 

 まったく詫びる気を感じない素振りで黒潮が手刀を切る。勇は嘆息した。

 

「候補か……霧島とかの戦艦組か、一航戦とかいわゆる空母組、不知火……」

 

「待ち。なんで不知火が入っとるん?」

 

 黒潮が一瞬だけ浮かんだ笑みを引っ込めて勇に問いかける。

 

「なんで、と言われてもな」

 

「アレは燃費と性能向上のアイテムなんやろ? 燃費向上なら戦艦組や空母組の方が効果が高い。それなんに、どうして司令はんの候補には不知火が含まれとるん? 駆逐艦の受けられる恩恵で燃費向上はそこまで大きなもんやないはずや」

 

 黒潮が追及する。勇は平静を装いつつ、ペンを書類の上で走らせる。

 

 だが黒潮は追撃の手を緩めるようなことはない。

 

「性能向上はええかもしれん。けど、どれだけいっても駆逐艦は主力になれへん。やのにどうしてや?」

 

「さあ、な」

 

 これ以上は話すつもりは無い、という明確な勇の拒絶。さすがに黒潮は踏みとどまった。開きかけた口をぴったりと閉じる。けれどそれもすぐに開かれた。

 

「司令はん、始めっから決めとるんやないの?」

 

 その一言ほど勇の中心を正確に射抜いた文言はなかっただろう。ピタッと今まで走り回っていたペンが動きを止める。

 

 何かあったら言うてやー、とだけ言い残して黒潮が執務室から消える。引っ掻き回すだけ引っ掻き回して勇には何一つとして言わせるつもりがないらしい。

 

「黒潮と俺の相性って最悪なんだろうな……」

 

 誰もいないからこそ勇はつぶやく。なんというべきか、完全に手玉に取られている。いっそ黒潮のおもちゃと言ってもいいかもしれない。

 

 だが今ばかりは感謝しよう。

 

 だんだんと陽が傾いていく。そろそろだろうか。そう思い始めてしばし。果たして不知火は執務室にやって来た。

 

「入渠、完了しました。秘書艦業務に戻ります」

 

「ああ、お疲れさん」

 

 ひとまずは無難に労う。なんだかんだと出撃は疲れたはずだ。相変わらず不知火は表情から疲労しているかどうか読めない。だが、深海棲艦と命の取り合いをすれば心身共に疲労は蓄積するだろう。

 

「とりあえずそこで休んどけ。急に頭を使うのはきっついだろ」

 

「問題ありません。不知火はいつでも業務をできますよ?」

 

「出撃してもらった後にすぐ業務をやってもらってちゃ、俺の立つ瀬がないんだ。ほら、休め。命令って付けた方がいいか?」

 

「命令は了承しかねます。早く休むために仕事をします。もう、あまり残っていないようですし、すぐに終わるでしょう」

 

 結局、勇が制止したが不知火が座ったのはソファではなく秘書艦用の席だった。こうなったら不知火は言うことを聞かないだろう。命令とつけても聞いてくれるかどうか。

 

「そういえば、最初の頃は命令したとしても聞いてくれるかどうかってくらい敵視されてたな」

 

「あの時は……ずいぶんと懐かしいことを言いますね」

 

 少しばつの悪そうに不知火が言った。いきなり敵意丸出しで勇を睨んだことを思い出したのだろう。意地の悪いことを言うつもりはなかった勇が不知火に詫びる。

 

「そう考えると短い時間だったが、いろいろあったな」

 

「そうですね。最初はどうするのかと不知火は思いました。まさか食堂を改革するとは思いませんでしたよ」

 

「俺も最初にすることが食堂事情の改革だとは思わなかったよ。まあ、間宮っていう強力な助っ人がいなけりゃ難しかっただろうけどな」

 

 今はもう、間宮は帰ってしまった。だがその腕前は明石や他の艦娘に受け継がれて今日も食堂で提供されている。

 

「お風呂掃除もしましたね」

 

「やったなあ。かなり酷い有様だったが、やればきれいになるもんだ」

 

 今では艦娘のシフトを組んで清掃してもらうようになっている。そのおかげで常に清潔な状態が保たれるようになり、大浴場は入渠用と違って一種の娯楽として機能している。

 

「その後は……明石だったか。あれも不知火には苦労をかけたな」

 

「無謀も大概にしてほしいと思いました。いくらなんでも暴徒を同時に何名も相手するのは無理を通しすぎです」

 

「そんなに危なっかしかったか?」

 

「危なっかしいなんてものではありません。その後もタグボートなんて船で出撃してしまいますし……」

 

 それを突かれると勇は弱い。かなり無理を強引に通した自覚もあった。なにより司令官として失格だったという後悔もある。その件では確かに不知火に余計な不安を与えたという負い目もあった。

 

「けれど……助けていただいたことは感謝していますよ、司令」

 

「不知火……?」

 

 書類に向かって俯いたままの不知火を夕陽が照らし出す。ほんの一瞬だけ。だがそれでも確かに不知火が微笑んだように勇は見えた。

 

「終わりました」

 

「え? あ、ああ……」

 

 気づけば自分の仕事もあと数枚だ。それもサインするだけの類ばかり。素早くペンをはしらせてやれば、それも完了となる。

 

「お疲れ様でした」

 

「ああ、お疲れさん」

 

 互いに労う。ここまではいつもとほとんど同じだ。

 

「なあ、不知火……」

 

「なんですか?」

 

 不知火が立ち上がりながら首を傾げる。そっと机の引き出しを開けて、ビロード張りの小箱を取り出した。

 

 黒潮の言うとおりだ。確かに勇は悩んでいた。

 

 だがそれは誰に渡すかではなくて、不知火に渡してもいいかどうかだ。

 

 今でも確信に至れたわけではない。まだ悩みっぱなしだ。不知火だけを特別扱いすること。それが果たして本当に正しいことなのか。

 

 しかし、そんなことはどうだってよくなってしまった。たった一瞬だけ不知火が見せた微笑みだけで。

 

 内心で自虐する。馬鹿だ、愚かだと。だがそれでも自身を止められるとは思わなかったし、止まれると思ってはいなかった。

 

「気づけば不知火にはずっと助けてもらいっぱなしだな」

 

「気にしないでください。すべて不知火の意思でやろうとしていることですから」

 

「それでも俺はお前がいたからここまで来れたんだ」

 

 助けてもらっていたのは行動だけではない。不知火が味方してくれるという事実。それだって立派な心の支えだった。

 

「だから不知火。これを受け取ってくれねえか?」

 

 小箱の蓋を開けて差し出す。小さな銀色のリングが燦然として輝いた。

 

 またしても自嘲。いろいろと考えはした。どんなシチュエーションにするべきか。どういう風にすれば喜んでもらえるのか。

 

 けれど結局、なにも思いつかなかった。

 

 選べる手段など勇にはない。素晴らしい口説き文句も、贈り物も持っていないのだ。

 

 だからこそ、ストレートに勝負するしかない。

 

「ケッコンしてくれ、不知火」

 

 不知火が面食らったように目を見開く。そしてその表情が次第に落ち着いていくと柔らかな笑みの形を作った。

 

 どんな答えが返ってくるかわからず勇は目を伏せた。視界に入るのは自分の足元だけ。

 

「顔をあげてください、司令」

 

 穏やかな不知火の声につられてゆっくりと顔をあげる。

 

 声も、出なかった。

 

 思わず引き込まれると錯覚する。そんな笑みを不知火が形作っていたのだから。

 

「どうして不知火なんですか?」

 

「いろいろ考えたさ。いくらでも理由は出てきた。でもな、最後はなんとなくだった。どんな理由をくっつけても、陳腐になっちまうんだ」

 

 なんとなく言い訳がましくなってしまう。何度となくシミュレーションをしてみたが、それだけは変わらなかった。

 

 だからこそ、真っ向から伝えるしか方法が思いつかなかった。

 

「悪いけどこれしか俺には思いつかない。だから……」

 

 言いかけた言葉を不知火の手が勇の口を塞ぐことでそっと押し留める。

 

 そして不知火がゆっくりと微笑んだまま口を開いた。

 

「司令、不知火は━━━━」

 




さあ、不知火はなんて言ったんでしょうね?
結局、知っているのは勇と本人である不知火のみ。

なんと不知火は言ったと思いますか?



ここから愚痴

……はあ、本当に日常回って書くの大変です。なんかこう、ありふれたものでありながらキャラを生かすのが難しいと言いますか。だれかコクチョウの日常回とかアンソロジー的なもの書いて

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