艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
逃げるようにして勇は食堂を去り、鎮守府の敷地から出ていた。どうやら不知火が監視を命じられているのは鎮守府の中だけらしく、外に出てもついてこない。榛名に外へ出ると言った時も一瞥しただけで許可したところを考えると、鎮守府の外まで監視をする必要はないと榛名自身が不知火に言っているのかもしれない。
「まいったな……」
まともに食堂が機能していないとは。あんなもの名ばかりではないか。食事が軍用のレーションしかないのに、あれを食堂というとは思わなかった。あそこにあったのはダンボール箱に詰められたレーションと、水くらいのものだ。
あれは間違っている。あんなものは食事ではないし、あんなもので食べたような気になることなどできない。
勇はあれは間違っていると強く思う。だが、どうやってあのシステムに苦言を呈せというのか。
勇の言うことにはなんの理由もないわけではない。きちんとした食生活をしなければいけないというのはある意味で自明の理だ。
けれど、榛名の言うことにも理屈は通っているのだ。
レーションはちゃんと栄養補給ができるように作られている。栄養学に基づいて、きちんとした栄養バランスになるようにできているのだろう。
それを毎日三食、しっかりと摂取しているのなら身体的健康は問題ない。ならば毎食レーションだとしても構わないというのが榛名の言い分なのだろう。
実に合理的だ。時間をかけることなく、完璧に栄養を摂取することができている。飲み物に関しても、水は通っているようなので万全だ。
では再び問おう。その完璧なまでに合理性を追求したシステムにどうやって苦言を呈すればいい?
健康に問題は起きない。栄養失調などの病気に陥ることはありえないからだ。たとえあれが勇にとって食事の様相ではなかったとしても、艦娘にとってそれでいいと言い切られてしまえば反論の余地などなかった。
「変えようがない……か」
本人たちがいいと言っていることをこちらの都合で無理に変えさせることは得策といえない。しかもこの場合、勇の価値観を艦娘たちに押し付けようとしているのだ。
それが本当に正しいことだと確信することはできなかった。
「考えても仕方ないか。とりあえずは俺の昼メシ考えねえと」
勇としては軍用レーションは少々、遠慮したい。食事として味気ないというのもあるが、なによりあの手のレーションは不味いと相場が決まっている。
不味いものを無理して喉に流し込むことほどの苦痛はなかなかない。どうしても、という事態ならば諦めて覚悟を決めるが、できる限りは避けたい。
「うろ覚えだが、ここらへんにちっこい商店街が……よし、あった。あそこだな」
鎮守府からそこまで離れていないところに商店街がある。徒歩圏内だったということもあり、勇はそこで昼を調達するつもりだった。
商店街の入り口付近にある電柱にはデカデカと張られたチラシがあった。大きく赤文字で
《ブラック鎮守府をなくせ!》
《艦娘にも人権を!》
と書かれている。他の電柱に何度か剥がした跡があるところから、この商店街は迷惑しているのだろうか。
主張は勇にも共感できるものだ。だが、商店街の迷惑になっているのはいただけない。張り紙禁止、と明記されているのが見えないのだろうか。
「わりとしっかりしてる商店街だな」
こじんまりとしながらも、必要なものの取り揃えはしっかりとありそうな商店街だ。市場も一緒にくっついているようなので、昼の調達にも苦労することはなさそうだ。
「お、そこのにいちゃん! 野菜、買ってかねえか? 安くしとくよっ!」
「野菜?」
「果物もあるぜ。ウチは天下の八百屋だかな!」
緑色の布地に『八』の文字を染め出した前垂れを腰に回した、いかにもきっぷのよさげな男が立っていた。片手には大根が握られ、ニカッとした気持ちのいい笑顔を浮かべている。
「今はすぐに食べれるものが欲しいんです。すみません」
「あー、じゃあそこ真っ直ぐ行ったとこにある肉屋が弁当屋もやってるからよ、そこで買うといい。あそこのコロッケは絶品だぜ?」
「へぇ、肉屋のコロッケですか。それはまたおいしそうだ」
「味は保証するぜ。なんてったってジャガイモを提供してるのはウチだからな!」
「ああ、なるほど」
思わず苦笑。ここの八百屋から仕入れて肉屋が弁当を作る、という構図なのだろう。
「それだけじゃねえ。弁当に入ってる他の野菜もウチが提供してる。ま、にいちゃんがよければ食ってみてくれ。がっかりはさせねえからよ。コロッケだけじゃなくてあの白身魚のフライ弁当の方もまたうまくて……」
「ちょっと! あんたは商売根性が出したいのか魚屋を売り込んでやりたいのかどっちなんだい!」
「だ、だってよう……うめぇもんはうめぇじゃねぇか」
「まったく……すいませんね、こんなので」
「いえいえ。でもおいしそうですからちょっと行ってみようと思います」
「そうかい! まあ期待しておくんな!」
朗らかに笑う八百屋の奥さんに見送られて八百屋から移動。真っ直ぐ、と言っていた通りに進めば大きな肉屋の看板が掲げられた店が目に入る。下に少し小さめのサイズで弁当あります、と刻まれている。
「いらっしゃい!」
「お弁当、まだ残ってます?」
「残ってるよ! どれにするかい?」
「じゃあ八百屋さんが言ってたコロッケ弁当にしようかな」
「ああ、八百屋さんかい!」
肉屋の店番らしい少し小太りな女性が快活に笑いながら、手馴れた手つきで弁当を包装していく。
「お兄さん、顔が暗いけどなんかあったのかい?」
「えっ、そうですか?」
「暗いねぇ。真っ暗だよ。何に悩んでるのかはわかんないけどね、一度どかーんとぶつかってみるのもいいと思うよ、アタシは」
勇がレジにちょうどの金額を置く。透明なビニール袋に弁当が詰められてそれで終わりとと思いきや、小さな紙の包みがぽん、と入れられる。
「サービスだよ。またご贔屓にね!」
朗らかに言いながらビニール袋を渡された。申し訳ないから返そうかと思ったが、顔を上げてもにこにこと笑顔を肉屋は返してくるだけだ。
これはもらっておけ、ということなんだろう。大人しくお礼を言ってありがたくいただくことにした。
「どっかベンチとかないか……」
食事がレーションしかない鎮守府の食堂でこの弁当を食べるのはかなり気まずい。いや、艦娘たちがレーションでいいと言っているのなら特に彼女たちは気にしないかもしれない。だからこれは勇の気分的な問題だ。
「流石にちょっと図々しいよなぁ」
適当な場所に腰を下ろして弁当を取り出す。割り箸を割って弁当を開ける。
弁当は大きなコロッケが2個、ごろっと入っていた。白米の上には黒ごまが乗っていて、簡単な煮物としば漬けというなんともシンプルな弁当だ。
「いただきます」
目玉であるコロッケを口へ運ぶ。ザクッとした衣の奥に、ほっくりとしたじゃがいもに牛肉のミンチ、玉ねぎという王道な組み合わせが現れる。
みりんをあまり入れていないせいか、甘さがくどくなくて大きくても箸が止まることなく食べられてしまう。
「うまいな……おすすめってだけはある」
この金額でこのクオリティー。満足度としては最高級だ。商店街にある店が各々の得意分野を出して作った弁当なのだろう。素材それぞれの味が素朴でありながらも己の魅力を主張してくる。
いける。これは箸が止まらなくなってしまう。そのせいかあっという間に弁当は空になってしまった。昼食としては結構なボリュームがあったため、もう満腹だ。
「せっかくサービスしてもらったのに余っちまったなあ……」
油が染みた紙に包まれたものはコロッケのようだ。いくら食べやすいとはいえ、揚げ物は重い。満腹の状態で 食べるのは苦しかった。
「持って帰ればいいか」
せっかくサービスという好意でもらったものを捨ててしまうのは忍びない。それに温め直しがきくものだ。なら鎮守府で温め直せばいい。与えられた部屋に冷蔵庫くらいはあったし、保存も一日か二日くらいなら保つだろう。
「腹ごなしも終わったことだし、そろそろ戻るか」
商店街を離れて鎮守府に足を向けた。これからはしばらく食事のたびに外で取らなければいけないのだろうか。昼休憩というシステムがあるため問題はないだろうが、そうだとしても毎回、食事になるたびに鎮守府司令が外しているという状態はあまり好ましいものではない。
「お帰りなさいです」
「まさかとは思うが不知火、ずっとそのまま鎮守府の入り口で待っていたんじゃないだろうな?」
「司令が鎮守府に戻られた時にはすぐ護衛につかなくてはいけませんから」
「……これからは戻る前に連絡を入れる」
「わかりました」
ドがつくほどの真面目というべきか融通がきかないというべきか。ともかく今後は連絡を入れることで不知火が長時間ずっと待つことはやめさせよう。
クゥ、とどこか可愛らしい音がその考えを余計に強めた。
「腹、減ってんじゃねえか。食わなかったのか」
「…………待機が命令なので」
顔を赤くしながら睨みつけられても勇にはどうしようもない。鎮守府の外にいる間に不知火も昼を食べてしまっていると思っていたのだ。
「あ、そうだ。これ、食うか?」
「……これは?」
「コロッケだよ、コロッケ」
「ころっけ、ですか?」
首を傾けて不知火が勇の持つコロッケを受け取る。怪訝そうに受け取って紙包みを不知火がしげしげと見つめた。
「これがコロッケ、ですか……?」
「……マジで知らねえのか?」
「不知火は建造されたばかりです。あまり外のことは知りませんので」
「まあ、包みを開けて食ってみろ。うまいから」
「わかりました」
「あ、待った。食う前にいただきますは言えよ」
「いただきます、ですか?」
「ああ。食材と料理を作ってくれた人に感謝する言葉だ。不知火の手にそのコロッケが届くまでに多くの命が犠牲になってるんだ。食べてもらうってためだけにな。そいでその命をおいしく食べて欲しいって思いながら作る人がいる。だからちゃんと感謝しなくちゃいけないと思わないか?」
「そうなんですか。では」
慎重な手つきで不知火が紙包みを剥がしていく。黄金色のコロッケがまだほのかに湯気を登らせながら顔をのぞかせた。
「いただきます」
不知火がゆっくりとコロッケに口を近づける。小ぶりな唇がゆっくりと開かれてコロッケが不知火の口の形に削れた。
「どうだ?」
「……この世界にはこんなにもおいしいものがあったのですね」
勇は思わずはっと息を飲んだ。
口の端に揚げたパン粉がついたままで。
まだ手に残ったコロッケをじっと見つめたままで。
不知火が驚くほど柔らかな、ふんわりとした笑顔を浮かべていた。
「しら、ぬい?」
「はい、どうかしましたか?」
一瞬だけ垣間見えた不知火の笑顔はもう隠れてしまっていた。もしかしたらあれは幻影だったのか。いや、そんなことはない。確かに勇はこの目で見たのだ。
「なあ、不知火。また食ってみたいか?」
「それは……」
「正直に言ってくれ。ここには俺とお前しかいない。だからお前の感じたことを素直に言ってくれ」
「命令、でしょうか?」
「あー、そうだなぁ。どっちがいいか……」
ガシガシと勇が頭をかく。だが不知火の性格を考えるのならどちらがいいのかはすぐわかった。
「命令だ。そういうことにしといてくれ」
「了解しました。それでは」
すぅっと不知火が息を吸う。どんな言葉が飛び出るか。固唾を飲んで勇は待ち続けた。
「また、食べてみたいですね」
「そっか」
笑えた、のかもしれない。
理論理屈だけに囚われている必要なんてなかった。もっと簡単なことだった。
「不知火、少し働いてもらってもいいか?」
「ご命令とあれば」
「なら頼む」
もう勇の腹は決まっていた。
ぬいぬいがかわいく書きたいです。艦娘がかわいく書きたいです。今の段階でぬいぬいなんてよんだらえらいことになりそうですけど。
いつになったらそういうのが書けるようになるのやら。まあ、のんびりいきましょう。