艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~   作:海軍試験課所属カピバラ課長

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第27話 救出のスキーム

 

 最後に艤装を装着して海へ出たのはいつのことだっただろうか。ずっと執務室に篭り続けたせいで海が懐かしく感じる。

 

 鼻腔をくすぐるように抜けていく潮風。向かい風が濡羽色の髪を嬲るように荒々しく撫でる。

 

 懐かしい。本当に懐かしい。昔はこうやって海を駆けた。悪魔のような深海棲艦どもと砲撃を交わし合った。

 

「ずいぶんと久しぶりですね、海は。ああ、でもいいものです。とっても晴れやかな気分になります」

 

 波をかき分けていくと白波を蹴立てられ飛沫が頬に飛び、ひんやりと心地がいい。艤装の機関が回る振動も、これまたずっと感じていなかった感覚だ。昔は特に何も思わなかったが、存外に悪いものではない。

 

「やっぱり海しかありませんね、終わるなら」

 

 静かに言いながら、榛名が周囲を見渡す。その口元から赤い液体がどろりと零れ落ちた。

 

「ーーーー!!」

 

 理解のできない音を深海棲艦が叫ぶ。数はカウントしていないが、相当な手勢であることは確実だ。けれど昔はただの害悪としか見えなかった深海棲艦が、今の榛名には救世主に映った。

 

「さあ、榛名を終わらせてください。討って手柄を立てるのはどこの深海棲艦ですか?」

 

 土気色の顔でふらふらと不規則的に揺れながら榛名が自分を囲う深海棲艦を見渡す。

 

 もう、どうだっていい。妹にすら榛名は必要とされていなかったのだから。目的もいつしか見失っていた。沈ませないと言っていたことすら形骸化し、陳腐なものへと成り果てた。

 

 解体という選択肢は最初からなかった。あの司令に処分されるくらいなら深海棲艦と戦って死ぬ方がよかった。

 

「榛名は艦娘なんです。終わるなら戦って死にたいものです」

 

 無断出撃だが、どうせ死ぬのだから関係ない。そもそも戦う、などと言っているが戦うことなどできない体であることくらい、重々承知している。

 

 過労と睡眠不足、さらに栄養失調のおかげで鎮守府を出た時点において既に榛名の体はボロボロだ。まともに動くことすらままならない。

 

 まるで体は鉛のよう。砲撃や雷撃の餌食になったおかげで皮膚は裂け、夥しい量の血が流れ出ている。

 

 

 この痛覚が恵みにすら榛名には思えた。自分を罰するための雷のようにこの身へ突き刺さる。

 

 もう、誰も沈んで欲しくなかった。人間は信用できない。だから榛名がやるしかなかった。

 

 資材を管理して、遠征や哨戒のための出撃シフトを組んで。

 

 ずっと戦うだけだった榛名にとって慣れないことばかり。だからとにかく自分の時間を削って仕事をし続けた。

 

 いつから間違ったのでしょうね、榛名は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、冗談はよしてくれ」

 

 確認にと明石を格納庫に走ってもらった。そして格納庫へ辿り着いた明石から届いた通信いわく、格納庫から榛名の艤装がなくなっているとのことだ。

 

 本当に榛名は単独で出撃してしまったらしい。霧島の証言と格納庫から消えた榛名の艤装がその裏づけだ。

 

「司令、どうしますか?」

 

「どうもこうも、なにしろって言うんだよ。こういう言い方は嫌いだが、榛名が助けを求めてないだろ」

 

 このタイミングで榛名が無断出撃する理由など、そうそう思いつかない。そもそも過労で倒れている榛名は出撃どころか絶対安静の身だ。それは榛名自身も知ってのこと。深海棲艦と戦えるわけもないことくらい承知していないわけがない。

 

 それでも榛名は出撃した。しかも誰かに告げることなくひとりで。

 

「自殺としか思えない、でしょう?」

 

「不知火、お前もずいぶんと鋭くなったな。一発でその思考に行き着くのか」

 

「司令の側にいたので」

 

「なあ、俺は喜べばいいの? それとも遠まわしに皮肉られたことを嘆けばいいの?」

 

 不知火が代弁するかのように言った言葉はまさしく勇が頭にぱっと思い浮かんだものだった。そう、確かに。

 

 だが不知火の物言いだと、勇のせいでこういったダーティーな思考をするようになってしまったと言われたように感じても不思議ではない。それもわかった上で不知火が発言しているとすれば、相当に嫌味ったらしく思われる。けれど明らかに不知火にそういった意図がないことはわかりきっていたので、深く追求するようなことはしない。

 

「ま、かなり飛躍した思考だがな」

 

「ですが、提督代理を引きずり下ろされた心境を考えれば……」

 

「だとしても段階が早すぎる。足掻く手段を探す方が先決だろ。なにかピースが足りてない」

 

「ですがこの行動は自殺を狙ったものとしか思えません」

 

「その通り。過労に睡眠不足に栄養失調。そんなもんを抱えておきながら深海棲艦と戦闘なんてまともにできることじゃない。となると俺らの知らないことで榛名が自殺を決意するに足る絶望を味わった。そうとしか考えようがねえ」

 

 その正体まではわからない。だがあの榛名がたかが提督代理から下ろされた程度でいきなり自殺を決意するようにはとても勇には考えられなかった。むしろ勇から逆に鎮守府運営権をもぎ取ろうとするはずだ。

 

「対応を打ちますか?」

 

「司令、私を出してください」

 

 不知火と勇の会話を遮って霧島が名乗り出る。つまり救援艦隊として自分を出せ、ということだ。霧島自身も本気なのだろう。いつでも出撃できると目が雄弁に語っていた。

 

「ダメだ。霧島、お前は部屋で待機」

 

「なぜですか」

 

「榛名と姉妹艦だからだ。仮に救援を出すにしてもお前は出せない」

 

「司令は救援を出すおつもりがないのでは?」

 

 非難のこもった霧島の目線が勇を貫く。しかし、動じる勇ではない。不知火の眼光が鋭すぎることもあるが、他にも榛名やら陽炎やらから睨まれ続けたせいでちょっとした耐性が付いていた。いっそ黒潮のように何を考えているかわからない笑顔の方が不気味だ。

 

「別にそういうつもりじゃねえよ。榛名は古参だ。練度も高い。そんな戦艦をみすみす手放すのは惜しい。だから救援は出してやるつもりだ。榛名が死にたがっていようがそんなのはどうだっていい」

 

 冷たいようだが、榛名の感情を優先させてやることはできない。自殺願望の艦娘を抱えるデメリットはあるが、それを使い物にするのが司令長官としての仕事だ。

 

「ならば私を出すべきです。これでも戦艦です。戦闘において役に立ちます」

 

「だからそういう問題じゃねえ。通常、救援対象者に身内がいた場合は救援艦隊から外すのがセオリーだ。榛名とお前は姉妹艦だから出せないとさっき言ったばかりだろう」

 

 身内が救援対象にいると知った時、どれだけプロだとしても迷いが生じる。それゆえにレスキューなどの現場では救援対象者の身内である隊員を外す。

 

 今回もそれと同じだ。霧島を出撃させる理由はないどころかデメリットしかない。

 

「ですが不知火さんに救援艦隊を出した時は陽炎型、つまり姉妹艦が総出で出撃したでしょう?」

 

「あら、知らないのなら教えてあげるわ。私たちは無断出撃よ。司令の許可は取ってない」

 

 トントン、と執務室の扉を手袋に包まれた右手で叩きながら壁にもたれかかった陽炎が霧島に向かって言った。

 

「だから出撃後に営倉入りしてたでしょ。あれは命令違反の罰。司令が身内を救援に向かわせた前例はないわ。だから私たちを引き合いに出すのはお門違い。わかる?」

 

 陽炎が扉から執務机の側へ寄った。隣の不知火に目を合わせると小さく微笑んでから、またすぐに表情を引き締める。

 

「で? わざわざ呼んだってことは用があるんでしょ」

 

「そういうことだ。陽炎、榛名の救援をする。お前に参加してほしい」

 

「ふうん。ま、いいわよ。司令の命令なんでしょ。出てあげるわ。いろいろ思うとこはあるけど」

 

「助かるよ。飲んでくれて」

 

 榛名は一度、陽炎の妹である不知火を見捨てて沈めようとした。陽炎としてはそんな榛名の救援に出撃することは甚だ不本意なはず。こうして呼んだのは陽炎に対して直接、ちゃんと伝えたかったからだ。

 

「その代わり戦力はきっちり付けてくれるのよね」

 

「もちろん。空母2、巡洋艦クラスを6。あとは駆逐艦で編成する連合艦隊だ。不足か?」

 

「上等。駆逐艦は不知火を借りてもいいかしら? あとは任せるから」

 

「いいか、不知火?」

 

「構いません。いつでも出撃可能です」

 

 不知火が落ち着き払って頷く。霧島は完全に蚊帳の外だ。頭が回るからこそ、言えない。そこに加えてもらえないのだと。どう足掻いたところで榛名の身内という事実は変わらない。

 

「陽炎、不知火。任せるぞ」

 

「「了解」」

 

 ぴったりと揃った敬礼をすると陽炎と不知火の2人が回れ右をして執務室を出て行く。追加で出撃する艦娘にはすぐに連絡を回していかなくてはいけない。

 

 執務室には忙しく各所へ連絡を回す勇とぽつりと立ち尽くす霧島だけが残る。

 

「私は失礼します。どうせ、何もすることなんてありませんし……」

 

「まだここにいろ。無断出撃の二の舞を踏むわけにもいかないからな」

 

 まるで霧島の思考を先読みするかのように勇が制止をかける。霧島がもどかしそうに臍を噛んだような表情をした。霧島は勇によって執務室へ完全に縛り付けられてしまったのだから。もちろん、執務室は情報が集中する場所だ。だが、出撃することは叶わない。救援艦隊がどのように動いているかはわかるが、それに対して何もできずに指を咥えていることしかできないという状況に霧島は立たされていた。

 

「司令……」

 

「いいからそこにいろ、霧島。お前の出番はもうちょっと後だ」

 

「後……?」

 

 霧島の疑問符に答えず、勇が通信機で連絡を回し続ける。留め続けるのには何か理由がある。そう暗に勇は言ったが、ここから後になにができるというのか。霧島にはわからず、ただ無言で眉ねにしわを寄せることしかできなかった。





気づけばアクセスは4万を超え、お気に入りも500を突破しました! 本当に読者の皆様には感謝の言葉しかありません。とりあえず、なんとか今年中に完結させたいなーと思っています。終わるかは……わかりませんがたぶん終わるはずです。そう、たぶん。

相変わらず、理屈をくっつけたようで胡散臭いなんちゃって理論で突破していますね。こう、明らかにこじつけだけど間違っちゃいないから言い返しにくいみたいな。

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