艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
提督代理であった榛名が引きずりおろされた。これはつまり鎮守府の運営権がすべて勇に移ったことを示す。
「ずいぶんとあっけなく終わったな」
正直に言ってもいいのなら肩透かしを食らった気分だ。もっと手こずるものだと勇は覚悟していたのだから。
勇についてくれるようになった艦娘は全体の半分。まだ榛名についている艦娘がもう半分いることを考えれば一筋縄でいくことではないはずだったのだ。
しかし榛名が過労で倒れることですべてひっくり返った。
最後の手段であった権力を振りかざすやり方もする必要がなくなった。勝手に榛名が自滅してくれたのだから。
明石の診断によると榛名はしばらく安静にさせなくてはいけないそうだ。これでは執務などできるはずもない。そして代理と言い張って運営権を行使できていたのもひとえに艦娘たちが信任していたからだ。しかし体調管理もままならないことを証明してしまった今、榛名を提督代理から辞めさせても、勇のもとへそこに関して抗議しにくる艦娘はいなかった。
正当な理由があるため反論の余地がなかったこともあるだろう。おかげで特に大きな騒動にもならずに済んだ。
「司令、失礼します」
ノックをしてから不知火が執務室へと入室する。勇が腰掛けていた執務机まで歩を進めると立ち止まった。
「司令、こちらが工廠からの報告です。現在の資材量と開発された装備の確認もお願いします」
「わかった。……急に仕事が増えたな?」
「仕方がないでしょう。今まで榛名さんが書類の作成も遠征と出撃シフトも組んでいたんです。それを司令がやることになったので仕事が増えたように感じたのは当然かと」
「まあ、そうなるわな……」
榛名に鎮守府運営においていちばんウェイトの重い箇所をずっと請け負っていた。しかし榛名が倒れたことによってそれらの仕事がすべて勇に雪崩れ込むことになったのだ。
必然的に負担も増える。どっさりと積まれた書類はどれだけ榛名が多くのタスクを処理してきたのかを如実に表す紛れもない証拠だ。
「どうしましたか?」
「そりゃ榛名も倒れるわな。これだけの量をひとりで、しかも睡眠不足と栄養失調を抱えているときたもんだ」
医務室で寝ている榛名のまぶたの下には深い隈が刻まれていた。この執務室に勇が始めに入った時も、ゴミ箱から大量に食べなかったのであろうレーションの残飯が発見されたのだ。
「司令も倒れないでくださいね」
「わかってるよ。午前中で片付いてた仕事が午後に食い込むようになっただけだ。なんとかするさ」
ぐぐ、と背もたれに体重を預けながら勇が伸びをする。実際に仕事はかなり増えた。だが元々、勇がこなすはずだった仕事が戻ってきただけだ。
「ようやくイチからのスタートを切ったって感じだな」
「これで司令がちゃんと佐世保第三鎮守府の司令長官になれましたね」
「長かったなあ……」
「不知火には短かったように感じましたよ?」
不知火が柔らかな口調で言った。人の感じ方はそれぞれ、ということだけではないだろう。だが濃厚であったことは否めないだろう。何かにつけては東奔西走していたような気がする。商店街に行ったと思えば工廠に赴き、果てには海にタグボートで繰り出した。あまりに日常が濃密すぎるために短く感じたとしても不思議ではないことだ。
「そういや悪いな。なんだかんだ書類を持ってきてもらってよ」
「最初から不知火が運んでいましたし、今さらですよ」
よくよく考えればこの鎮守府に勇が来た時から不知火はずっと護衛という形でついてきてくれている。今さらと言われれば今さらだが、なんとなくその流れで不知火に仕事を頼んでしまっていた。
「なあ、不知火」
「なんですか?」
不知火がきょとん、と首を傾けてから背筋を正す。なんとなく言い辛くなって誤魔化すように勇は頬をかいた。
「あー、なんだ。その……」
「歯切れが悪いですよ、司令。本当に何かありましたか?」
訝しげに不知火が勇の顔を覗き込む。いざ改たまって言おうとするとなんとなく言葉に詰まってしまう。いつものように言えばいいだけなのだが、こんなに真面目くさって聞く態度を作られてしまうと余計に言いにくい。
「もしかして何か重大な機密ですか?」
「や、そういうわけでもなくてな……」
余計に言い辛くなっていく。機密だのが絡むほど重要な案件ではなかった。むしろ個人的ともいえることだったのに、どうしてこう変な方向へ発展していくのだろう。
「あのな、不知火」
「はい?」
「俺の秘書艦になってくれないか?」
不知火に勇が目を合わせる。わずかに不知火が目を張った。
「もちろん、断ってくれても構わない。不知火がよければ、だが……」
「構いませんよ」
「へっ?」
素っ頓狂な声が出た。だが不知火は何がおかしかったのかわからないと言うかのように首を傾けていた。
「秘書艦の任、お受けしますと言いました」
「……いいのか? 俺から言っておいてなんだが、忙しいぞ?」
「基本的に司令の側にいて、司令をサポートすること。それが秘書艦の仕事でしょう? 今までと何も違いはないじゃないですか」
不思議そうに不知火が問いかける。思えばその通りだ。榛名によって不知火が勇の護衛につけられてから、出撃や遠征がないときはほとんど側に不知火はいた。書類も運んでもらったし、シフト表も作成した後に榛名へ持っていったのは不知火だ。よくよく考えればこれらだって秘書艦の仕事のうち一部と何も変わらない。
「書類仕事に関してはあまり経験がないのでご指導やご鞭撻をお願いするかもしれませんが……それでもよければやらせてください」
あまりにもあっさりと不知火が承諾したので、勇が逆に驚いていた。すぐに返答はもらえるとは思っていなかった。返事は2、3日ほど待ってからもらうつもりだったのにまさか即決とは。
「じゃあ、遠慮なくお願いするがいいな?」
「はい。粉骨砕身の思いでやらせていただきます」
「や、そこまでこきつかうつもりはないから安心してくれ」
キャパシティを超えた仕事は能率が著しく落ちる。それは艦娘も同じこと。であるからして必要以上に不知火に働いてもらうつもりはなかった。
唐突に不知火が顔つきを真面目なものへと変える。触発された勇も表情を引き締めた。
「改めまして、陽炎型駆逐艦2番艦の不知火です。本日付けで秘書艦業務に着かせていただきます。どうぞよろしくお願いします、司令」
「佐世保第三鎮守府基地司令長官中佐の竹花勇だ。こちらこそよろしく頼む」
敬礼を交わしてから、握手。ふふ、とどちらからともなく笑った。
「なんだか変な感じだな」
「改まって名乗るというのはなんとなくですが気恥ずかしいものですね」
「ま、慣れないこともあるだろうがお互い様だ。俺は鎮守府運営、不知火は秘書艦。がんばっていこう」
「そうですね。今までと似てはいますが、仕事の量も質も格段に上がるはずですから」
「そうだな」
ちゃんと休憩を挟める余裕を残せるように仕事はこなしていこうと勇はこっそり誓う。榛名には申し訳ないが、体調管理は重要であるといういい反面教師になった。
倒れてしまってはすべて元も子もなくなる。それがよくわかる事例だ。こうはならないようにサポートとして秘書艦を最低でも1人は付けるというのが鎮守府の慣例となっているのかもしれない。榛名はずっと1人で秘書艦となるような者もつけずにやっていたが、それも過労を推し進めたのかもしれない。
「仕事を始めたいところだが、今日はもうほとんどない。明日からよろしくな、不知火」
「わかりました。ですが、何もしないで今日を終業とするのは少しばかり心苦しいのでお茶くらいは淹れましょうか」
「ははっ。じゃあ頼むよ」
不知火がわざわざお茶を淹れてくれるというのだから好意に甘えよう。急ぎの用件もなし、のんびりとお茶を啜って終わるというのも悪くない。
ぎしっともたれかかった椅子が軋む。明日からは忙しくなる。最後の休日、といったところだろうか。
不知火が給湯室へと消えていく。今からお湯を沸かすのなら、おおよそ5分ほどだろうか。のんびりと待つ姿勢を作りながら手近なファイルをなんとなく捲った。
「ん? これって……」
「提督!!」
思考の渦に陥る前に執務室の戸が荒々しく開かれ、明石が駆け込んできた。息も切れ切れになって勇の反応を待つことなく走り寄る。
「明石? どうした、そんなに血相を変えて」
「はあっ、はあっ、はあっ……とりあえずご無事でよかったです」
「なにがあった?」
無事でよかった、という一連のワードに不穏なものを感じた勇がファイルを閉じて明石に向き直る。
「榛名さんが医務室から失踪しました! 現時点でどこにいるのか掴めていません!」
「なんだって!」
よもや復讐にくるのでは、と明石は心配して駆け込んできたのだろう。だが勇はその可能性は低いと考えていた。もしなりふり構わず提督代理の座を引きずりおろされた復讐をしようと思ったのなら、医務室で勇が報告した時は2人だけだったので絶好のチャンスだったはずだ。
「とりあえず落ち着け。確かに鎮守府は広いが、延々と隠れ続けるようなことはできねえ。探せば見つか……」
「司令」
忙しい中で今度は誰だと執務室の戸に目をやる。流れる黒髪は霧島のそれだ。
「榛名姉さまの艤装が格納庫にありません。出撃した痕跡が見て取れるため、おそらく……」
最後まで言う必要はなかった。情報量としては十分すぎるくらい勇には与えられてしまっている。
「単艦による無断出撃……」
どこまで自棄になるつもりだ榛名。勇は奥歯を食いしばった。
榛名が往く!
ゴーゴー、榛名の巻! はじまりはじまりー。とかいつものおふざけは置いておいて。
榛名出撃の意図はいかに。少なくとも勇を殺すつもりはないみたいですが。やー、医務室謹慎を破って出撃とはやりますねえ、榛名さんや。