艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
他の艦娘と接するのが怖い。
さんざん私は仲間だったはずの艦娘たちに投薬をした。それが生存率を高めることなのだと。その投薬による弊害はわかっていたはずなのに。
あの人は私を工廠に縛り付けているものが罪悪感だと思っている。でもそんな高尚なものじゃない。私は別に工廠からいつでも出られた。
出なかったのは私が臆病だからだ。
姉を、妹を、友達を返してよ。
あなたが投薬を止めさせていればこんなことにならなかった。
他の艦娘たちにそう思われているんじゃないか。それだけでも私が工廠に籠る理由としては十分だった。
工廠の仮眠室で夜は夢を見た。みんなが怨嗟の声を私に向かって吐き出している夢。
どうして?
なんで私たちを壊したの?
痛いよ。
苦しいよ。
なんであなたは壊れてないの?
聞きたくなかった。夢を見るたびにベットからはね起きた。酒を飲めば悪夢が薄れるとわかって以来、夜は酔い潰れるまで飲むことが習慣となっていた。幸いにも体質的に酔いが回っても覚めやすいらしく、次の日まで引っ張ったことはない。
それが余計に私を酒に溺れさせた。
飲んでいる間だけは忘れられた。酔い潰れて寝てしまえば悪夢は見なかった。
いつしか私は工廠から出ずに艦娘との接触を絶った。
だから不知火さんが隣に立っていると気づいた私が真っ先に取った選択はその場を去ることだった。
でも本当にそれでいいの?
あの人は私を逃がすために残った。自分が標的で、暴力に曝されると理解していても私を逃がすことを一瞬の躊躇いもなく選んだ。
自分も逃げるとは言っていた。だが現に時間が経ってもまったく姿を見せないではないか。
おそらくまだ逃げられてはいない。今もなおあの人は暴力に耐えている。
でもしょうがないじゃないか。私は工作艦。非戦闘艦だから戦闘経験なんて皆無だし、そもそも艤装なんて今は持っていない。しかも引きこもり生活のせいで体力も低下している。
行ったところで私なんかに何ができる? 何もできずに惨めな姿を見せるだけじゃないか。
だから立ち去ろう。ここにいたって私は何もできやしない。そう考えて、そして実行しようとしているのにこの足は動いてくれない。
コロッケ弁当がおいしくて。陽だまりで久しぶりに浴びた陽光は眩しくって、でもどこか気持ちがよくて。あんな事態だけど、握られた手は頼もしい力強さがあって。
そして押された背中にはじんわりと温もりが残っていた。
──ねえ、私はどうすればいいのかな?
過去の友人に問いかけても、脳裏に受かぶ緑色の髪をポニーテールに結んでいた彼女は笑ったまま、何も告げない。ただ、別の声が頭の中に響いた。
──がむしゃらにやっただけだよ、俺は
それはさっきまで聞いていた声。明石の背中を押して温もりを残したその手の持ち主だ。
「そっか」
何ができるかじゃない。何をしたいかなんだ。
たったそれだけのことだった。それだけのことのはずなのに、ずいぶんと気づくのに時間がかかってしまった。
明石が立ち上がる。もうよろめくことはない。
そして不知火をしっかりとその目で見た。もう逃げ出したりはしない。
「提督は私を逃がすために1人で残りました。たぶんまだ戦っています。こっちに!」
「わかりました」
さっきまで走って逃げた道を不知火と共に引き返す。ここの角を曲がった場所だったはず。そう思いながら曲がろうとした明石は確かに鈍い音を聞いた。
聞き違いはありえない。これは人を殴った音だ。
「提督……っ!」
「待ってください、明石さん」
「なんで止めるんですか」
「司令を襲っている人は一般人です」
「だから……あっ」
明石が短く息を飲む。これから明石は不知火とあの中へ割って入るつもりだった。だが大きな問題が立ちはだかった。
勇を攻撃しているのは一般人だということだ。
「もし
「でも助けないと……」
「ですが私たちは手を出せません」
角を曲がった先がどういう状況なのかわからない。だが勇が不利なのは確実だ。なんとかできるのならば、まだここに勇がいる理由がない。そして聞こえてくる声には勇のものが混ざっていた。
「まだ続いていたのは厄介ですね。バラバラになって逃げたものだと思っていたのですけど」
不知火が腕を組む。不知火としては護衛の任は果たしたい。だがこんな事態は予想外だ。どうやって対応するのが正しいのかさっぱりわからない。
「なにか方法は……」
「わかりません。ですが少なくとも力ずくは避けた方がいいでしょう」
明石はもどかしく感じていた。だが不知火の方がずっとそう感じているだろう。不知火はおそらくあの中に飛び込んで、片付けてしまえるだけの腕はあった。
時間だけが無為に過ぎ、焦りが加速していく。明石は必死になって思考を巡らした。
「暴力を使うことなく解決する方法……」
絶対に何かあるはずだ。だから何が何でも見つけ出せ。脳が焼き切れるまで回転させろ。
「……仕方ありませんね。不知火がすべてを被りましょう」
ざっと不知火が一歩、前へ。だが明石は不知火の上着の裾を引っ張って押しとどめた。
「待ってください」
「なんですか?」
「私に任せてくれませんか。うまくいくかもしれません」
「ですが……」
「大丈夫です。荒っぽいことはしません。万事うまくいくはずですから」
すうっと明石が息を大きく吸い込んだ。吸い込む前に覚悟は固めていた。あとは自分のやり方ひとつにすべてがかかっている。できるかぎり大きな声で、そしてしっかりと内容が周りに聞き取れるように。ぐっと腹部に力を込めると思いっきり叫んだ。
「おまわりさんこっちです! はい、この奥です! 急いでください!」
「……なるほど、そういうことですか」
不知火が納得したようにうなづく。当然、すぐ近くに警察なんていない。そんなことくらいは明石もわかっている。
だが向こうに警察が近くにいると誤認させることができればいい。度胸のない人間ならそれで逃げ出す。なにより論もなく、背後からいきなり殴りかかったものたちだ。
「早く。こっちです」
「急いで! 殴られたりしてるはずなんです!」
不知火が明石に混ざった。明石は靴音をわざと響かせることで人が近づいているような演出を加える。
果たして現実は明石の狙い通りに進んだ。焦るような早口の声、そして慌てて走っていく複数人の足音。それはだんだんと遠ざかり、聞こえなくなった。
「行きますよ、明石さん」
「は、はい」
不知火が駆け出した。後に明石が続いていく。もし誰かが残っていたら不知火は片付けるつもりなのだろう。
だがその心配はせずに済んだ。路地裏にいたのは勇のみだった。
頭部から出血しているし、軍服も乱れている。服の下は打撲だらけだろう。だがしっかりと意識はあったし、明石と不知火を見つけるとふらふらとしながらも立ち上がった。
「司令、怪我は?」
「大したことはない……って言っても説得力はないか」
「すみません、提督。少し失礼します」
明石が勇に駆け寄った。軍服の前をはだけさせて強く圧迫しないように触診。それから傷口に触れないように髪をかきあげて頭部の傷を確認した。
「出血が派手なだけで頭部の傷は問題ありませんね。肋が2本ほど折れているようですが、臓器の類に刺さったりしている様子はないです。でも念のため病院に行ってください」
「……詳しいなぁ」
「あ……す、すみません。差し出がましいことを…………」
「いや、助かるよ。どうやらくたばらずに済みそうだ」
明石が恐縮して下がると勇が冗談めかして笑った。
明石は投薬された艦娘たちが帰投したあとの経過を記録するために、入渠するまえの艦娘を見続けていた。だから怪我を見ればだいたいどういうレベルなのか察しがすぐについた。
皮肉なことだと明石は思った。けれどそれでいいとも思った。
過去の自分を否定し続けて何になるのだろう。今は過去を考え続けるよりもやらなくてはいけないことがあった。だからこれでいい。
「それにしても不知火。お前が頭の切れるやつで助かったよ。艦娘が一般人に手を出した、なんて世間に広がったらシャレにならんことになってた。だが、だ」
勇の口調が急に厳しく責めるようなものに変わる。
「お前に外出許可を出した記憶はないんだがな」
「不知火の任務は司令の護衛ですから」
「よく言う。ったく……鎮守府に帰ったら俺の部屋に行け。そんでそこで待機だ」
「……なぜですか?」
不知火が怪訝そうな顔をする。勇が何を伝えたいのか理解できない、といった表情だ。
「俺の部屋には外出許可申請の書類がある。そして俺の承認判も、だ。けどいいか、不知火。絶対に手を触れるなよ?」
「でも提督。それって……」
「明石、俺の頭部の怪我はどうやら一部の記憶が飛んでしまうものらしい。例えば作った外出許可書類の枚数とか、な」
にやっと勇が笑う。それはまるで子供が最上級の悪戯を成功させた時のような笑みだった。
今日に関して不知火は出撃も遠征も食堂も清掃もシフト外だと勇は把握していた。
「だがな、不知火。今回だけだ。今回は結果的にいい方向へ向かったから黙っとくが次回はないからな?」
「はい。わかりました」
「……本当にわかってるのか?」
「はい。もちろんですよ」
勇がジト目で不知火を見つめても不知火は動じなかった。強かと言うべきか図太いと言うべきか。
「まあ、いい。不知火、明石を鎮守府まで送るんだ」
「司令は?」
「病院だよ。いちおう診てもらってくる。いいか、鎮守府に着いたら誰かに見つからないように行くんだ。いいな?」
「心得ていますが、司令こそ大丈夫ですか?」
「警察に事態の経緯も説明しなくちゃいけないしな。先に帰っていてくれ」
これは暴行事件だ。そして勇はその被害者。警察に被害届けを出しておいたほうがいい。それに今後も商店街に出るたびにこんな目に会うことになるのはごめんだった。
「明石はそれでいいか?」
「はい。大丈夫ですよ」
すっきりとした顔で明石が答える。緊急時なので不知火を付けるしかないのだが、明石は大丈夫だと根拠はないが、確信できた。
「じゃあまた後でな」
「はい」
勇が病院の方向に足を向けた。まだ血は流れているが、歩いて病院へと行くつもりらしい。足取りはしっかりしているため、問題はないだろう。
「行きましょう、明石さん」
「わかりました」
他の艦娘と接するのが怖かった。だからずっと工廠に篭り続けていた。
今、明石の隣には不知火がいる。陽炎型駆逐艦の2番艦、不知火。立派な艦娘だ。
けれど、明石は自分自身が驚くレベルで落ち着いていた。一緒に他の艦娘と歩く。たったそれだけのことが難しかった。それが今はできている。できるようになっていた。
まだ終わんねぇ!
はい、そんなこんなで続いている明石編ですが、さすがに次で締めにしてしまいたいですね。
それにしても気づけばお気に入りも100件を超えました。いや、本当にありがたい限りです。もうしばらく続きますが、お楽しみいただけると幸いです!