艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
楽しんでいただければ幸いです。
ーーーー提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮に入ります。
キャリーケースを提げ、軍帽を浅く被った男が景観を重視したのであろう、赤レンガ造りの建物の正門前に立った。
「ここか」
「はっ」
「ここまで送ってくれてありがとう。もう十分だ」
「わかりました。それでは」
車を運転してくれていた軍人が敬礼。それに返礼をして、海軍の公用車が見えなくなるまで見送った。
懐からさぐり出した封筒を開いて辞令を正門で衛兵に確認させる。最初は怪訝そうに眉をひそめた衛兵も、男の中佐を表す肩章と辞令を見ると背筋を正して敬礼をした。
「お疲れ様です!」
「ん、ご苦労さま」
さっと衛兵を労うと、鎮守府の中に最初の一歩を踏み出した。これから彼の鎮守府生活が幕を開ける。だが胸が踊るかと言われればそんなことはない。
遡ること数時間前。
見事に磨き上げられた机の上を書類の束が滑る。受け取れ、という意思を汲み取って男は丁寧に持ち上げた。
「異動命令は事前に受領しているな、
「はっ」
「ならば資料に目を通したまえ」
鷹揚に言うと仙谷少将が椅子の背もたれに体重を預けた。今、ここで見ろということなのだろう。手に持っていた資料に勇は視線を走らせていく。量はあったが速読は苦手ではない勇は早々に読み終わると、仙谷少将に目を合わせた。
「資料を読み終わったのなら理解しているだろう。佐世保第三鎮守府において戦果の低下が著しい。先の事件で前任の提督が死亡し、艦娘が運営を主張し始めてから低迷の一途だ」
「先の事件、と言うと佐世保第三鎮守府の提督が事故死した件ですか?」
「それは真実ではない。君には知る権利があるため真実を教える。だがここで見て、そして忘れろ。外部には一切、漏らしてはならん」
新しく渡された封筒の上には軍極秘の印が押されていた。つまり上から二つ目の機密である。
「……拝見します」
封筒の封を開いて中の書類を取り出す。報告書らしきものに目を通していけばいくほど、勇は驚きでひっくり返るかと思わされた。
「ここにあることは真実ですか?」
「まぎれもない真実だ。前任の提督は事故死ではない。艦娘によって殺害された。そしてその直後に艦娘も自害している」
つまり当事者たる艦娘に事情を聞くことはできないわけだ。
「動機は……」
「佐世保第三鎮守府はある時期から急に轟沈艦を出すようになった。その数は増加の傾向を見せ、次々と新造艦も沈んでいった。艦娘にとっての生活環境も悪化し始め、睡眠時間や休憩時間、食事なども削られていたようだ。それだけではなく、効率よく戦果を出すために艦娘への薬物投与などもしていたようだな」
「それが原因ですか……」
「おそらくはな」
悪質な環境に耐え難くなった艦娘が提督を殺し、そのまま自分も自害と言うことだろう。人を殺した罪の意識に耐えられなくなったということかもしれない。詳しいことは当事者ではない勇にはわからない。だが詳しいことを聞こうにも、当の本人はもうこの世にいない。
「なぜこのような事態になるまで放置していたのですか?」
「前任はしっかりと戦果を出していた。戦果さえ出しているならば我々に介入する理由はない」
「……そう、ですか」
ギリ、と勇は気づかれないように奥歯を噛んだ。だが口にはしない。もう過ぎてしまったことだ。ここで勇が何かいったところで時計の針は戻らない。
「ではなぜ私が異動になったのでしょうか?」
「先ほども言ったが、艦娘が運用する体制になってから戦果が落ちた。このままいけば防衛ラインの維持すら危うい状況だ。こうなると国防の問題が出てくる。我々としても放置はしておけない」
「つまり佐世保第三鎮守府を立て直すことが自分の異動理由ということですか?」
「聡くて助かるよ、竹花中佐。やってくれるな?」
「お望みとあらば拝命いたしましょう」
「ではよろしく頼む。表に車を用意してある。今より君は佐世保第三鎮守府司令長官の竹花勇中佐だ」
正門を潜りながら思い返す。ここから先にあるのはかなりブラックな運営をしてきた鎮守府だ。まさか初めての着任先がこうだとは思っていなかったが、やるしかない。
「ったく……とんだ貧乏くじを引かされたな」
だが命令は命令。それに愚痴ってはいるが、いきなり鎮守府の長だ。責任は重いが、やってやろうという気持ちはある。
「さってと、まずはどこに行こうか」
最初に選ぶ場所として適当なのは工廠だろうか。足を向ける場所としては妥当だろう。
「それにしても清掃が行き届いてないな。清掃員はちゃんと仕事しろよ」
綿ぼこりが転がる廊下を歩きながら顔をしかめる。これでは艦娘も気持ちよく生活なぞできたものではないだろう。生活環境がよくないというのも笑い事では済みそうにない。窓も最後に拭いたのはいつだと思わせるくらい汚れていたし、窓枠を指でなぞれば細かなほこりがくっついた。
真っ先にすべきは清掃か、と検討しながら工廠へと足を向けた。見事なまでに誰とも会わないが、今は自分の目だけで見たいので勇にっては好都合だ。
「ご開帳ーってね」
重々しい工廠の扉が軋みながらゆっくりと開いた。かなり開けるのにも苦労させられるところを見ると、潤滑油もしっかりさしていないのだろう。
「うわ、こりゃひっどいな」
乱雑に散らかされた装備の山は一目見るだけで完全に整備が行き届いていないことがわかった。こんな艤装では戦闘をすることはできても、満足に動くことはできないだろう。これでは戦果が出せないのも当たり前だ。
━━こんにちは、なのです?
「うおっ!? ああ、妖精か」
急に話しかけられて思わず飛び上がった。だが冷静になって見渡すとそこには小さな妖精がわらわらと群がっていた。基本的に建造や開発を担当する妖精はこれで全てらしい。数としては十分だが、しっかりと工廠が回っているようには見えない。
━━新しい提督さん?
「そうだ。これからよろしくな」
━━まあ、がんばるのです
とててて、と興味が失せたのか妖精たちはいなくなってしまった。気まぐれな性格とは聞いていたが、想像以上だ。
「これ以上は見たいとこだが、奥に踏み込むのは難しそうだな」
何より散らかりすぎている。それにしても、装備の質が悪い。目の届く範囲にあるものは実戦で使えるのかと疑いたくなるレベルだ。
「最優先は開発だな。装備の性能をあげなくちゃまともに戦うのもキツいはずだ」
ここはもうこれ以上、見なくてもいいだろう。それに奥地にいくためにはこの装備の山を乗り越えて行かなくてはいけないのだ。はっきり言って面倒だったし、今すぐにそこまでやる必要は感じられない。
「他にもいろいろと見廻りたいとこだが、そろそろ挨拶の一つくらいしとかなきゃな」
変な違和感はあったが、気づかないふりをして、無理やり思考を切り替える。
ここは艦娘が今の今までは鎮守府を運営しているらしい。ならば現在、佐世保第三鎮守府を運営している艦娘に接触するべきだろう。どこにいるかはわからないが、真っ先に思い浮かぶのは執務室だ。
問題をあげるなら、どこに執務室があるのか勇はわからないことだ。一階にあることは知っているが、間違わないためにも誰かに聞いておきたい。
「あ、ちょっとそこの!」
「……どちら様ですか?」
「本日付けでここの司令長官に着任した竹花勇だ。執務室の場所を聞きたい」
「つまり提督になる、というわけですか」
ピンクの髪を後ろでまとめた少女の目がすっと鋭く細められて、警戒の色が滲み出す。あまりの気迫に勇は気圧されてじり、と無意識で後ろに半歩さがった。
「あ、ああ。執務室の場所はどこだ?」
「……直進して左折。三番目のドアです」
「ありがとう」
別れてから言われた通りに直進していく。それにしても随分と強いプレッシャーを放つ少女だった。名前までは聞かなかったが、ここにいればまた話す機会もあるはずだ。
「さてと、到着したわけだが……」
第一声はどう言うべきだろうか。気さくにいくべきか、それともはじめくらいはきちっとした方がいいだろうか。
「いい加減、入ったらどうですか?」
心の中で口笛を吹いた。外にいることに気づかれていた。なかなか察しのいいことだ。ドアを開けて執務室に入ると、濡羽色の髪で巫女装束の少女が無感情に勇を見ていた。
「お前が提督代理か。名前は?」
「人に名前を聞くときは先に名乗るのが礼儀なのでは?」
お淑やかそうに見えるが、なかなかどうして強かだ。それにしても歓迎ムードとは程遠い。前任がどれだけのことをやったのか覚えられて、勇は一瞬だけ顔を曇らせた。
「これは失礼した。俺は竹花勇。階級は中佐だ。本日付けでここ、佐世保第三鎮守府に着任した」
「……金剛型戦艦3番艦の榛名です。早速ですがあなたはいてもらうだけで結構です」
「どういうことだ? いや、それ以外にも答えてもらうことがある」
「私の答えられる範囲内なら」
「なら聞くぞ。ここにはなんで艦娘以外の人間がいない?」
勇が感じていた違和感。それは艦娘と妖精がいても、人間が1人もいないことだった。この鎮守府に入って正門にいた衛兵を除けば、誰1人として見ていない。
「まずはなぜあなた以外がいないかお答えしましょう。それは
「よく通ったな」
「ここは国防において重要な場所にあります。安易に解体するよりは、要求をのんで防衛機能を維持することを優先したためでしょう」
「ならもう一つ。俺がいるだけでいいってのはなんだ?」
「あなたは私が渡す書類にサインするだけでいいです」
「俺は何もするなってことか?」
「理解が早くて助かります」
「ならサインさえしてれば俺は好き勝手していい、と」
「概ねその通りですね。ですが、あまり動き回られると困るので
「護衛、ねえ……」
「はい。鎮守府はいろいろと危ないところもありますから」
護衛、などと言ってはいるがただのお目付役だということはすぐわかる。要は大人しくしておけ、ということだろう。
「だが俺以外の人間は鎮守府に入れるつもりはないんだろ? なら護衛は艦娘か?」
「察しがいい人は嫌いじゃありませんよ。入ってください」
榛名が扉に向かって声をかけると、するりと小柄な少女が執務室にその体を滑り込ませた。振り返った勇の視界に飛び込んできたのは、後ろでくくった明るいピンク色の髪だった。
「さっきの……」
「ああ、もう顔合わせは済んでいましたか。なら手短にいきましょう。不知火さん、自己紹介を」
「はい」
ピンク髪の少女が背筋を正して、脇を締めた敬礼をすると白い手袋に包まれた右手が額に添えられた。鋭い視線が勇に向けられ、思わずたじろぐ。
「陽炎型駆逐艦2番艦の不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです」