魔弾の王と戦姫 魔弾が紡ぐ未来   作:開閉

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 ここからは、定期的に投稿します。また、人によっては嫌な点があると思います。


第十八話 介入者

 レグニーツァとルヴーシュの戦いの翌日の昼。ボロスローの城塞の一室に五人の男女がいた。

 いるのは、マサト、オルガ、ザウル、マドウェイ、そして医師の五人で、ザウルとマドウェイ、医師が話をしていた。

 身体中に巻かれた包帯や、張られたガーゼが目立つマサトはベッドで辛そうに寝ており、オルガは心配そうに見つめている。

 

「……具合はどうなのだ?」

 

「とりあえず、峠は超えたかと。もう大丈夫でしょう」

 

「……怪我については?」

 

「……右腕が酷く骨折し、右足も軽くはありますが、折れてます。左腕は火傷や刺傷が酷く、左足も皹が入っているかと……はっきり言って、暫くは絶対安静です」

 

 最大火力のショットガンを発射した際、吹き飛ばされないよう、踏ん張った事で足にまで影響が出ていた。

 右足だけが折れているのは、右腕から発射したため、強い反動で大きな皹となり、その後の攻防や倒れた事で限界を超えて骨折してしまったのだ。

 四肢全てが怪我を負っており、右側に至っては腕も足も骨折している。安静以外にさせられる訳がない。

 

「……分かった。ところで、何時目覚めるだろうか?」

 

「早ければ、今日中かと思われます。遅くとも、明日には起きるかと。では、何かあれば報告してください」

 

 そう言うと、医師は恭しく頭を下げて退室する。

 

「マサト……」

 

 戦いが終わってから、一度も目を覚まさない青年に、少女はどうしても不安になってしまう。

 自分なりに必死に看病しているが、一切反応しないので不安になっても仕方ないだろう。

 

「レナータ殿。一旦、休まれた方が良いかと……」

 

「そうですぞ、昨日からほとんど休まれていません。少しだけでも……」

 

「嫌です。彼が目覚めるまで、わたしが付きっきりで看病します。……今出来るのは、これだけですから」

 

 オルガの純粋な想いが込められた台詞に、騎士も船乗りも困った表情をする。

 

「ですが、根を詰めすぎて倒れたりでもしたら、彼は間違いなく悲しみますよ」

 

「えぇ、休憩も必要です」

 

「体力には自信があります。一日や二日ぐらい、余裕です」

 

 どうあっても、傍を離れる気は無いようだ。二人はどうしたものかと頭を抱えるが。

 

「う……ん……?」

 

 微かな声と共に、青年の目がゆっくりと開いていく。オルガも勿論、ザウルやマドウェイも安心した表情を浮かべる。

 

「マサト、大丈夫?」

 

「オル、ガ? 俺は――」

 

 だが、次の瞬間――青年に異変が起きた。

 

「――うっ……!? く、あ、あぁ……! うぐぅ……!? 気持ち、悪……!」

 

 頭に異常な疲労感と酔い、耳鳴りや痛みが襲い、気持ち悪さで辛くなる。

 

「ま、マサト!? 大丈夫!?」

 

「マドウェイ! 直ぐに医師を――」

 

「い、いえ……! それよりも、甘い、物を……

 

「あ、甘い物? お菓子?」

 

「何故、そんなものを……?」

 

「何でも良い! とりあえず、持って来るのだ!」

 

 何故マサトが甘い物を要求したかは不明だが、このまま手を拱いているよりは数段マシだ。

 ザウルは急いで厨房に向かい、数分足らずで幾つかのお菓子、ジャムや蜂蜜が詰まった瓶が部屋に運ばれる。

 

「マサト、届いた!」

 

「何が……ある……?」

 

「お菓子や、ジャムや蜂蜜の瓶などだ!」

 

「は、蜂、蜜……! それ……!」

 

 蜂蜜と言われ、オルガは急いで瓶の蓋を空け、スプーンで掬ってマサトに食べさせる。

 琥珀色の液体が青年の口から喉に入り、胃から腸へと流れ、その成分が体内に吸収されていく。

 

「も、もっと……!」

 

「沢山食べてくれ!」

 

 マサトはオルガの協力で、幾度も蜂蜜を体内に取り込んでいく。それが何度も行われ――数分後。

 

「ふぅ……はぁ……」

 

 まだ辛さはあり、呼吸も乱れているが、とりあえずさっきの症状が楽になったのか、マサトは軽く微笑む。

 

「もう……大丈、夫?」

 

「…………?」

 

 マサトはオルガをもう一度見る。しかし、頭を少し傾げ――その後、何かに気付いたようにコクンと頷き、そうだと伝える。それを見て、オルガ達も一安心したようだ。

 

「しかし、さっきのは一体……?」

 

「……少し、身体を酷使しすぎただけです。蜂蜜も食べましたし、もうしばらくすれば、治ります……」

 

 さっきの疲労や酔いは、リミットフローの反動による、過剰疲労が起こしたもの。

 なので、マサトは蜂蜜に含まれるブドウ糖を摂取することで、脳を回復させ、症状を緩和させたのだ。

 

「……無茶し過ぎだ。本当に心配した」

 

「……うっせ。無茶するのが戦いだっつの。それより、戦いの結果ですけど……」

 

「しばらく安静にしてください。全身傷だらけで、骨折もしているのですから」

 

 話すにしても、最低でもマサトの気分が良くなってからだ。

 

「……そういや、折れてましたね」

 

 技の威力の反動で、右腕が骨折したのだ。改めて状態を確認し、左足以外も重傷で、リミットフローの影響で身体中の筋肉も痛い。満足に動けないのを理解する。

 

「レナータ殿、彼をお願いします」

 

「任せてください」

 

「夜辺りに来ます。それまではごゆっくり」

 

 事後処理を済ませるべく、騎士と船乗りは退室。少女と青年だけになる。

 

「……生きてて、本当に良かった」

 

「一応、約束は守った、かな?」

 

「守ってくれなかったら、一生恨んでた」

 

「怖い怖い。――うっ……」

 

 青年の表情が歪む。軽い頭痛が走ったのだ。

 

「蜂蜜。直ぐに」

 

「んっ……」

 

 安静の為、マサトはオルガに蜂蜜を食べさせて貰う。

 

「どう?」

 

「……軽くなった。ありがと」

 

 ほんの僅かだが、痛みが軽減された。マサトはオルガに礼を告げる。

 

「今、どれくらい?」

 

「えっと……。大体十ぐらいだ」

 

 ザウルから返して貰った、銀色の馬の意匠が施された懐中時計を腰から取り出し、時間を確認する。時針は十を指していた。

 また、オルガは十時を十と言っているが、これはその認識が無いからである。

 

「……そうだ。懐中時計で思い出したが、ここで介抱した時にマサトの分の懐中時計が無くなったのが分かった」

 

「……戦場で壊れたか?」

 

 最後の攻防時、雷撃の波に飛び込んだのだ。壊れても何ら不思議ではないだろう。

 折角入手したのに紛失したのは残念だが、無くなった以上は仕方ない。新しいのをまた用意してもらうしかない。

 

「……まぁ良いや。ところで、ザウルさんやマドウェイさんから、話を――」

 

「だめ。楽になってから」

 

「ちぇ。じゃあ、俺の武器を手に置いてくれないか?」

 

「……変なことはしない?」

 

「しねえよ。力で、身体の調子を詳しく確かめたいんだ」

 

「……それなら」

 

 黒銃を取り、痛みが発生しないように黒銃をゆっくりと手に置く。

 

「――エンチャント」

 

 手に触れた黒銃から太い糸を伸ばし、そこから極上の粒子状にした生命を放って身体に染み込ませ、具合を隅々まで把握していく。

 ――こうなっているのか。骨折以外の問題も無さそうだな。

 確認が終えると、次は折れている部分同士を通常の場所に戻し、リンクと似た要領で繋げてくっ付けていく。最後に薄い膜で骨を包んで固定する。

 ――完了。

 かなり痛かったが、これで普通よりも早く繋がるはず。とりあえず、処置は終了した。

 

「終わった」

 

 マサトは黒銃を近くに丁寧に置く。万一の時、素早く対応するためだ。

 

「後はゆっくりして。暇なら、わたしが話し相手になる。――但し、戦い以外で」

 

 チッと軽く舌打ちすると、マサトはオルガと他愛のない雑談をし、時間を潰していった。

 

 

 

 

 

「気分はどうですかな?」

 

「大分楽には」

 

 夜、用意された食事をまたオルガに食べさせてもらい、済ませるとマドウェイが入ってきた。ザウルは事後処理に大変らしい。

 

「改めて聞きますが、結果は?」

 

「こちらの勝利です。結果は多少の差異が有りますが、予定を大きくは離れてません。貴方のおかげです」

 

「自分だけじゃありません。レナータやザウルさん、マドウェイさんや他の人達の力あってこそです」

 

 自分が時間稼ぎに成功していても、ザウル達の奮闘がなければ勝利には繋がらなかっただろう。

 そして、策も自分一人で作ったものではない。オルガやザウル達の協力あってこそ。

 今回の勝利は、レグニーツァが一丸になったからこそのもので、決して自分一人の成果ではない。

 第一――この勝利はレグニーツァの勝利ではあるが、自分の勝利ではないのだ。決して。安心はするが、喜ぶことは欠片も無い。それを言いはしないが。

 

「ははっ、貴殿らしい謙虚さ。いや、純粋さですかな?」

 

 笑うマドウェイだが、強面なので中々に迫力がある。マサトやオルガは慣れているが。

 

「ちなみに、フォミナ様は……?」

 

「……残念ながら」

 

「……そうですか」

 

 一番の結果は、果たせなかったようだ。

 

「そう落ち込まないでください。貴殿は充分過ぎるほどに活躍してくれました」

 

 そもそも、マサトはこれが初陣。戦姫相手に時間稼ぎをこなした時点で充分な成果なのだ。

 

「わたしもそう思う。マサトは、頑張った」

 

「頑張って、当然ですよ。でないと、結果は出ないんですから」

 

「……むう」

 

 こんな時でも、当然の台詞を止めないマサトに、オルガは不満げだ。

 

「あと、誰が自分を助けてくれましたか? 医師の人にも礼を言いたいのですが」

 

 瞬間、オルガはギクッと言う音を出し、だらだらと冷や汗を流し出す。

 

「えと、それはですな……」

 

 マドウェイがこっそり横目で見ると、オルガがマサトに見えないように両手を合わせ、言わないでくださいと伝えるように懇願していた。

 自分が約束を破って、助けに行った等と知れば、マサトの性格を考えると怒るのは明白だった。

 

「た、確か、本隊の誰かかと思います。後で呼びますよ」

 

「何か間があったような……?」

 

「気のせいですよ。ははっ」

 

「……そうですか? レナータは――」

 

「ななな、何だ!? わわ、わたしは何も知らないっ!」

 

 焦りから、思いっきりテンパった言い方をオルガはしてしまう。それを聞き、マドウェイはあちゃあと言いたげに頭を手で抑えた。

 

「……レナータ」

 

「……は、はい?」

 

「……正直に言いなさい。自分を助けましたね?」

 

 寝たきりなのに、得体の知れない迫力があるマサトの笑みに、オルガはガタガタ震えると、おずおずとコクンと頷いた。

 

「そうですかそうですか。――マドウェイさん、ちょっと部屋から出てください」

 

「――はっ!」

 

「ま、マドウェイ殿! わたしを一人にしないでください!」

 

 マドウェイも得体の知れない迫力と危険を感じ、思わず敬礼するとオルガの呼び掛けを無視して、そそくさと退室する。

 

「オルガ。一人じゃありませんよ? 自分がいます」

 

「そそそ、そうだな……」

 

 オルガは自分に落ち着けと命令する。この際、もう説教は避けられないだろう。潔く、受け入れるしかない。

 

「――アーム」

 

 さっさと同じ要領で生命を取り込むと、神経に接続しながら力を肩から出しつつある形に、腕へと変化させていく。エリザヴェータとの戦いで出た疑似腕だ。

 マサトはそれを使い、身体を起こしてベッドに腰かける。次に周りの壁や床に付与を行なう。音を減らす為だ。

 

「これでよし」

 

「お、面白い手品、だ」

 

「そうでしょう? ――こっちに来て腰掛けなさい」

 

 行ってはいけない。本能が全力でそう警鐘を鳴らしているのに、オルガの足は自然とマサトに向かい、恐る恐る隣に腰掛けた。

 

「――よっと」

 

「――わっ!?」

 

 すると、マサトはオルガを自分の膝の上に乗せる。骨折や筋肉痛のせいか痛みが出たが、固定と補強のおかげでそれほど痛くはない。

 

「……スタート」

 

 次に、オルガの体勢を横一線に倒すと――重い声色でそう告げる。

 

「――痛い!」

 

 お尻から強い痛みが発生した。オルガが思わずマサトを見上げると、こめかみをひきつらせ、誰から見ても怒り心頭だと分かる表情で疑似腕を構えていた。

 マサトはさっき、疑似腕でオルガの小さなお尻を思いっきり叩いたのだ。

 

「この、大馬鹿娘がーーっ!!」

 

 怒号と共に腕が振り下ろされ、二度目の衝撃が少女の尻に叩き付けられる。その後も青年は何回も何回も叩く。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさーいっ!!」

 

「許すか、ボケーーッ!!」

 

 涙目で必死に謝るオルガだが、マサトは全く止めようとしない。その後、しばらくは尻叩きの音と少女の泣き声、青年の怒号が止むことは無かった。

 ――こ、怖すぎる!

 その様子を見て、青年の武器である黒銃と少女の竜具ムマは震え上がる程の恐怖を感じたのは余談だ。

 

「うぅ……。痛い……。凄く痛い……」

 

 俯せの体勢でベッドで唸るオルガ。全部で五十回も叩かれ、服で隠れて見えはしないが、彼女のお尻はひりひりと真っ赤に腫れていた。

 

「当たり前だ、あほ! 反省しろ!」

 

 五十回叩いても、マサトの怒りは欠片も収まっていなかった。

 

「……お、終わりましたか?」

 

 ガチャと扉が開き、マドウェイはゆっくりと顔を出す。その表情はかなり引き気味だ。

 

「はい」

 

 直ぐに表情を一転させ、言葉遣いも戻るマサトに、マドウェイは違った意味での畏怖を感じた。その後、疑似腕が目に入る。

 

「その腕は……」

 

「力で作った物です」

 

「そうですか。……ちなみに、何が?」

 

「……お尻を五十回も叩かれました」

 

 しくしくと顔を手で覆うオルガの説明に、マドウェイは唖然とする。相手は戦姫なのに、そんなことをしてもいいのだろうか。

 

「言って置きますけど、立場とか知ったことじゃありません」

 

「……そ、そうですか」

 

 全く動じないマサトに、マドウェイは決して怒らせないようにしよう。そう心に決めた。

 

「にしても、約束破って来るなんて全く……」

 

「まあまあ、そのおかけであなたの治療が早く済んで、無事でいられた訳ですから……」

 

「それとこれは、全く別の話です」

 

 オルガを擁護するマドウェイを、マサトはキッと睨む。マサトが怒っているのは、約束を破ったことよりも別の理由があるのだ。

 

「ちなみに、念のために確認して置きますけど……自分の救助以外は何もしてませんよね?」

 

「…………し、していない」

 

 またビクッと反応し、苦しそうにオルガは呟く。

 

「言え、こら。叩くぞ」

 

 ドスの効いた声で、マサトは疑似腕でオルガの頭を鷲掴みする。

 

「い、嫌だ! 言っても叩かれるのは目に見えてる!」

 

「……だったら、言ってあと五十回されるか、黙ってて計三百になるまで叩かれるか。どちらが良い?」

 

 どちらにせよ、叩かれる選択しかなかった。

 

「……そ、その回数は増えたりする?」

 

「そりゃな。――言え」

 

 言うしか、少女には選択肢が無かった。

 

「……た、戦った」

 

「……誰と?」

 

「……エリザヴェータ殿と、ちょっとだけ……」

 

「……他には?」

 

「……エリザヴェータ殿に、警告になればと、宣戦布告とわたしの素性を――」

 

 直後、ゴツンと鈍い音が鳴り、声にならない悲鳴が少女から溢れた。頭に拳骨されたのである。

 

「何やってんだ、お前は!」

 

 約束を破り、エリザヴェータと交戦した挙句、自分の素性まで明かした。どう考えても、大問題だ。

 

「だ、だって! そうすれば、大敗した今、エリザヴェータ殿はもうレグニーツァに攻めたりは考えないだろう!?」

 

 別の戦姫がいる。戦姫がいない公国に敗北したエリザヴェータからすれば、確かに大いに悩む点だ。再戦もしにくい。

 

「わたしだって、世話になったレグニーツァの為に、力になりたかったんだ!」

 

 自分なりに力になりたいという、無垢な想い。それ故に、マサトは思わず言葉に詰まり、数秒後にはぁとため息を溢す。

 

「……前に言ったけど、ブレストを巻き込む恐れが有るんだぞ」

 

「……」

 

 百歩譲り、オルガ個人としては立派な行為だとしても、ブレストの戦姫としては愚行としか言い様が無い。

 オルガもその事を理解しているのか、何も言えない様だ。

 

「マサト殿。もう過ぎた事である以上は、言っても仕方ないのでは?」

 

「……まぁ、そうですが」

 

 言ってしまった以上、もう取り消せない。確かに仕方ないではある。

 

「……そうだな。もう良い。但し、身から出た錆だ。俺は一切、知らないぞ」

 

 この件で自分が不利な立場に陥ろうが、決して助ける気はない。マサトはそう言っているのだ。オルガも元々はその気だったが。

 

「あと、アルシャーヴィン様からにもたっぷり説教されてもらうからな」

 

「まぁ、アレクサンドラ様は話だけに留めると思いますよ」

 

「……うぅ」

 

 確実にそうなるだろう。気分が暗くなる。

 

「この話は終わり。以上。マドウェイさん、移動は出来ませんか?」

 

「重傷者用の簡易な車椅子が幾つのか用意されてますので、出来なくはありませんが……」

 

 マドウェイとしては、この部屋で安静にして貰いたい。オルガも同様だ。

 

「分かっています。けど、この戦いに参加した者としても、個人としても事後をこの眼で確認して置きたいのです」

 

 二人の気持ちは分かるが、これだけは譲れない。

 

「……そこまで言うなら。但し、体調が悪くなれば直ぐにこの部屋に戻ってもらいます」

 

「構いません」

 

「少しお待ちを」

 

 マドウェイが直ぐ様木製の車椅子を用意し、オルガに乗せてもらう。後は暖かい毛布を被せてもらい、疑似腕を消して完了だ。

 

「先ずは何処に?」

 

「戦死した人達は?」

 

「我が軍の兵はボロスローの地で丁寧に埋葬されています。ルヴーシュの方は、向こうでされているかと」

 

 こちらに余裕があった訳ではないため、ルヴーシュの戦死者は埋葬されていない。

 

「では、城壁に」

 

「夜ですが……」

 

「お願いします」

 

 妥協しないだろうと二人は感じ、已む無く受け入れた。マサトはオルガに運んでもらい、すれ違う人達に軽く挨拶しながら移動していく。

 

「……マサト殿? もうお目覚めでしたか」

 

 途中、一人の武官に話し掛けられた。

 

「はい。……身体はぼろぼろですが」

 

「部屋で安静にした方が……」

 

 車椅子の上に、顔にも包帯や絆創膏がある。詳しく知らなくても重傷なのは火を見るより明らかだ。況してや、武官はマサトが骨折しているのも知っている。

 親しい仲でなくとも、心配してしまうのは当然の態度だろう。理由は違えど、共に戦った者なのだから。

 

 

「ちょっと用事を済ませたら、直ぐに部屋で休みます」

 

「どうしてもしたいことが有ってな。無理はさせないように私がしっかりと見て置く」

 

「そうですか。なら、ここで足止めするのは失礼ですね。どうぞ」

 

 武官は一礼すると、無理はなさらずと言葉を付けてから去って行った。

 その他にも色々と話ながら城壁に到着。見渡せば、黒に染まった大地が一望出来る。

 そこで冬が近付く杪秋の冷たい夜風が吹き、傷に染み渡る。

 

「到着しましたが――」

 

「……」

 

 返事しない青年に、マドウェイが向くと両目を閉じていた。

 

「マサト殿?」

 

「祈っているんだと思います」

 

「……彼等に、ですか」

 

 ――いや、きっと……。

 レグニーツァの兵士だけでなく、ルヴーシュの兵士達の分も、マサトは祈っているのではないか。何となく、オルガはそう感じていた。

 青年を中心に、冷たくて静かな時間がゆっくりと流れていく。生者の守れずに亡くなった者達への祈りの時が。

 効果が有るとは決して思っていない。だが、人としてどうしても、やって置きたかったのだ。

 

「……行きましょう」

 

 数十を数える時間のあと、マサトが両眼を開き、終わったことを告げる。

 何時までも浸っても、散った命はもう戻らない。今の自分に出来るのは、悔しさも辛さも受け止め、これからの時に備えて身体を癒し、己を鍛えることだけなのだから。

 二人に頼んで城壁から下り、次は執務室に向かう。

 

『誰だ?』

 

「自分です」

 

『……マサト殿?』

 

 安静の筈の青年の声に、騎士は驚きの声を上げる。

 

『……とりあえず、中へ』

 

 中に入らせてもらい、ザウルや他の武官達に挨拶する。ザウルは勿論、武官達も驚きの表情だ。

 

「……運んで貰ったのですか。しかし……」

 

「すまん。関わった者としてどうしてもと言われてな……」

「……聞くだけですよ」

 

「感謝致します。――早速ですが、進んでいますか?」

 

「えぇ。城塞で捕縛し、戦場で捕虜にした計千五百以上のルヴーシュ兵を材料に、戦姫様と交渉する予定です。使者も既に送っています」

 

 そう、これこそがルヴーシュ兵を捕虜にした理由だった。彼等の返還と引き換えに夏の交渉を終わらせ、不可侵条約を結ばせる。

 どちらか一つでも出来れば、ただ勝つだけよりも余程安全になる。だからこそ、わざわざ手間を掛けたのだ。

 

「流石に、千五百の捕虜を見捨てる訳には行かないでしょうし、上手く行きますよ」

 

 百や二百ならともかく、千以上の捕虜を見捨てれば、流石に体裁に響く。間違いなく受けるだろう。

 

 

「自分もそう思います」

 

「ただ、それまでは食糧が少し不安ですが――まぁ、直ぐに済むでしょう」

 

 一応、この戦いの結果の報告と共に公宮に頼むで、大した問題では無いだろう。

 

「貴殿は充分に役目を果たしました。事後は我等に任せて、明日の療養に戻る者達と一緒に公宮に戻って休んでください。戦士としての努めは果たしても、医師としての努めはまだまだ果たして貰わねばなりませんから」

 

「……ですね」

 

 先日までは戦士として戦っていたが、自分は本来医師としてサーシャに雇われている。戦いが終われば、当然医師の仕事に専念せねばならない。

 

「レナータ、戻らせてください」

 

「はい」

 

 身体が動かせないので、頭だけ軽い一礼をして退室。自分が寝かされていた部屋に戻った。

 

 

 ――――――――――

 

 

 夜。寝かされた部屋でマサトが目を覚まし、疑似腕で身体を起こす。その後、ぶつぶつと何かを呟いていくと次に名前を言う。

 

「……オル、ガ。ザウルさん、マド、ウェイさん、アルシャー、ヴィン様。そして、ゼロ――うぐっ……!」

 

 頭がズキンと痛み、表情が歪む。

 

「……軽度の記憶障害、いや、なりかけ?」

 

 あの頭痛が出たあと、実はマサトはオルガが誰か一瞬だけだが分からなくなっていた。その後直ぐに思い出せたため、軽度かまだなりかけだろう。

 

「……やっぱり、あれの影響か」

 

 己の能力を限界にまで引き出すリミットフロー。それで脳の酷使して自律神経を乱してしまい、新しい記憶を保存する海馬に軽度の異常が出ているのだろう。

 確かめると、脳や血管の損傷は無かった。出血等ではないことは明白だ。その他のどうでもいい幾つかが、喪失している可能性があるが。

 

『……そなた、異常が発生しているのか?』

 

「直ぐに治る」

 

 幸い、今回はぎりぎりで終わってくれた。治療に専念し、しばらく休ませれば自然と収まるだろう。

 ――ただ、それまでは訓練出来ないか?

 この訓練とは、リミットフローだ。短時間かつ、使い方を謝れば自分に多大な危険をもたらす、正しく諸刃の剣。しかし、限界まで力を引き出す状態でもある。

 これに頼る気は無いが、何時でも使用可能にはしたいのだ。己の意志を通すために。

 ――それにもう一つ。

 星の意志から授かれた力。それのテストも行わなければならない。意識を集中させる。

 ――これか。

 奥底に、取り込んだ生命とは違う力を感じる。イメージでその力を手に引き出す。

 

「……ふう」

 

 ――これが、星の力。

 最初に思ったのは、温もりだった。全てを包むような、そんな感触が伝わる。

 ――この、力……。

 使い手の出した違う生命の力に、黒銃はある感情――懐かしさを抱く。

 

『マサト、その力……』

 

「あぁ、これは――」

 

 マサトがその力や星の意志について、話そうとしたが――急激に色々な考えが頭を巡る。この力は謎が多く、星の意志にも謎が多い。今は止めた。

 

「……何か、起きたら妙な感じがしてな。で、それを引き出したらこれが」

 

『……そうか』

 

 ――……気のせいか?

 一瞬、妙な感じがマサトからした。それに、態度を急に変えた様にも見える。何か不自然だ。

 しかし、言う気が無い以上、問い掛けても言わないだろう。

 

『とにかく、寝るが良い。今はそれがすべきことだ』

 

「……そうする。お休み」

 

 マサトは手元に黒銃を置くと、改めて寝る。ゼロも直後に寝出した。

 

「――ふむ」

 

 しかし、その四半刻後、マサトが目を開ける。但し――その瞳は、黒では無く、青空のような碧。

 ――寝ているな。……しかし、痛い。

 『それ』は黒銃を見ると、身体を多少動かし、具合を確かめる。かなり傷付いているようだ。頭も少し辛い。

 ――折角の『器』……。大切にして欲しいものだ。

 違う口調で呟き、呆れた様子を浮かべるのはその肉体の本来の持ち主、向陽雅人ではない。彼に力を与えた、星の意志だった。

 ――あまり時間も無い。さっさと進めるか。

 この器に入れるのは、マサトが弱り、寝ている間のみだけだ。『今はまだ』。

 星の意志は手から自身の力を放出すると、頭に染み込ませる。

 ――これでよし。

 ニヤリと、星の意志は笑う。これでマサトは更に言えなくなった。

 ――まだ、我の存在は知られたく無いのでな。

 今自分の存在を知るのは、この青年だけで良い。彼以外の他者には知られては困るのだ。だからこそ、『仕込み』を更に加えた。

 ――……この力。『地』か

 今回の仕込みも終え、もう少しだけ生身の感触を味わおうとした星の意志だが、近くに感じる力に眉を顰める。

 ――本当に、忌々しい。

 世界の力を悪用する、忌まわしき武具達。それに星の意志は表情を歪める。

 ――今は見逃してやる。

 しかし、何れは必ず破壊する。弩ともう一つの鍵、そして何時かは生まれる新しき力で。

 怒りに満ちたまま、星の意志は青年から離れていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「……はぁ」

 

 ボロスローから少し離れた陣営地の幕舎。海底の様な暗く深い溜め息を、ルヴーシュの戦姫エリザヴェータは溢す。

 何時もの彼女を知る者が見ていれば、さぞかし驚くだろう。

 その手には、黒い二つの丸が繋がったような代物――マサトの落とした懐中時計があった。

 彼女は懐中時計が奏でる音と、刻む時を複雑さが込められた眼差しで見詰める。ちょっと調べたため、使い方は大体理解していた。

 

「宜しいでしょうか、戦姫様」

 

「……何ですの?」

 

 ルヴーシュの筆頭騎士、ナウムが話し掛ける。エリザヴェータは懐中時計の蓋を閉じ、気を引き締めて返事するも、何時もの雰囲気が無い。

 

「例の使者から提案、どうなされますか?」

 

 ――……あれね。

 今日の昼、レグニーツァから使者が陣地に赴き、エリザヴェータに捕虜との引き替えの交渉を持ち掛けられたのだ。

 内容は、撤退と長期の不可侵条約を結ぶか、自分達が攻めた理由である夏の交渉を無かったことにするか、この内のどちらか或いは両方を受けてもらうというもの。

 どちらを受けても、自分はレグニーツァから撤退せねばならない。しかし、そうすれば自分は目的を達成出来ない。

 ――……けど。

 戦姫のいないレグニーツァに敗北して置きながら、また攻める。正直、無様でしたくもない。

 第一、再戦をしようとすれば、千五百の兵を見捨てねばならない。

 こちらが要求を飲まなければ、向こうは容赦なく彼等を殺すか、奴隷として売り飛ばしてしまうだろう。それは何としても避けたい。

 

「……もう少し時間を頂戴。一人にして」

 

 主の苦悩を理解したのか、ナウムは幕舎から出る。

 

「……本当、無様ですわ」

 

 勝って当たり前の戦いだと思い上がり、その結果がこちらの策を利用されて手酷い目に遭った。無様以外に何が有るだろうか。

 マサトと言う、予想外の戦力がいたから、は言い訳にならない。もっと綿密な策を練り、相手の動向を確かめれば避けられたはずなのだから。

 ――舐めていると言われても、全く反論出来ないわ。

 事実、こちらは策を利用されて敗北したのだから。おそらく、徹底的に頭を絞って策を読んだのだろう。

 あの時の使者も自分達にレグニーツァが怒り心頭で、策など無いとこちらに思わせるための布石と考えるべき。本当によく練ったものだ。

 一騎打ちには負けてないが、だからなんだという話である。

 ――……マサト。

 雷渦の戦姫は左右で色が異なる目を閉じると、自分と戦った青年の姿を思い浮かべる。

 持てる力の全てを振るい、身体がぼろぼろになってまで自分を追い詰めた彼を。

 最終的な結果は一応こちらの勝ちだが、エリザヴェータは微塵も自分の勝利だとは思えていない。一騎討ちには勝てても、戦いには負けているのだから。実質、敗北だ。

 彼の独特の戦い方もそうだが、エリザヴェータはマサトが言った台詞の数々も忘れられなかった。

 単なる悪、殺人者、自分の選択が双軍の死を招いたという、決して間違いではない批判と、子供、綺麗事だろうが、自分は変わらずに一人でも多くの人達を助けるという、揺るがない意志と共に告げられた宣言。

 どちらも、人の命を守るという強く眩しい想いから放たれた、隠す理由もない、命を思うがゆえの言葉。一方、こちらはどうだろうか。

 ――……個人的、もっと慎重に考えるべき。どっちにしても最悪ですわね。

 例えば、エレオノーラと戦いたかったのなら、影響を最低限に留めるよう、一対一の決闘を申し込めば良かった。

 貧しい村の者達に稼ぐ機会を与える理由も、戦に限定する必要は無い。

 代わりの仕事を与えるか、無ければ出来るまでに何らかの対処を施せば済んでいたはずだ。政治はその為にあるのだから。

 今思い返せば、私欲と機会に目が眩んだとしか思えない。これが、公国を統治する戦姫の判断だろうか。

 そう思えなかったことも、一度決めたことを後悔することも、どちらも情けない。

 一方のマサト。窮地でも揺るがず、変わらない強い意志。それが生む、傷付いても衰える所か寧ろ増す、眩い輝きを放つ瞳。

 ――……欲しい。

 それらを持つあの青年を、様々な感情を抱きつつも、エリザヴェータは欲するようになっていた。

 ――でも。

 それは決して叶わないだろう。自分が個人的な想いを混ぜた理由で命を奪う選択をしたと知った以上は絶対に。

 ――……どうして、アレクサンドラなの?

 ふと、エリザヴェータはそう思ってしまう。彼はアレクサンドラの臣下だが、それは立場上のものであることは、あの時の会話で明らかだ。

 それならば、自分の臣下でも良い筈だ。元々は旅をしていたのなら、尚更。

 しかし、運命は自分ではなく、アレクサンドラに微笑んで二人を先に出会わせた。その事実が堪らなく悔しい。

 ――……やめましょう。

 そんなことを考えて、何になるのか。時間を無駄に浪費するだけだった。何よりも惨めだ。

 潔く諦め、今後をどうするかに思考を移す。兵は先日の戦で千八百以下にまでに減ってしまっている。これは戦えない怪我人も入っている。

 戦えないほどの重傷者を除くと、今すぐ動かせるのは約千五百。当初の三割しかいない。

 一方のレグニーツァの戦死者は約七百でほぼ同じ。重傷者は不明だが、負担の大きい戦いをした以上は、それなりにはいるだろう。

 自分と渡り合えたマサトは両腕が重傷のため、戦力にならない。今すぐ再戦しても勝てなくはない。

 しかし、士気は低い。捕虜を取り返さない状態で、ここにライトメリッツが援軍に来た場合、それまでに重傷者全員が復帰しても敵の数はこちらの三倍近くになってしまう。この時点で不利だ。

 更に、ライトメリッツが到着するまでにマサトが復帰する可能性もある。おまけに、レグニーツァにはブレストの戦姫、オルガまでいる。

 つまり、自分は戦姫二人に、限定的だが戦姫級の実力者一人、計三人の強敵と戦うことになる。あまりにも分が悪すぎる。

 こんな状況で戦っても、自軍が壊滅状態になるのは火を見るより明らか。とてもだが、現状でレグニーツァに挑むのは愚行でしかない。

 再戦するのであれば、兵の補充は必要不可欠。それに、綿密な策も考える必要があった。

 エリザヴェータは今回の策を提案したのは、マサトだと思っていた。それは正しいが、重要なのはそこではない。

 問題は、レグニーツァに油断していたとは言え、こちらの策を読み取り、利用できるだけの知恵を持つ相手が存在するという事実だ。

 次の一戦でも、同様に策を利用された場合、事前に対応を考えない限り自分はまた敗北するだろう。対策は必須だった。

 ――……損が大きすぎますわ。

 ここまでして、漸く当初の目的を達成できるのだが、手間や損失を考えると明らかに釣り合っていない。

 ――……退きましょう。

 ガヌロンやテナルディエからは、エレオノーラをここに呼び寄せるのを条件に、この戦いの前に金を受け取っている。

 しかし、エリザヴェータはもう全部返却するつもりだった。貰った金だけでは、これ以上の兵や武具の損失、手間の埋め合わせになるとは考えづらいのだ。

 元々、エリザヴェータと二つの貴族とは深い交友が有るわけでもない。先代の戦姫が仲良くしていたから、それなりに付き合っていたに過ぎないのだ。

 要するに、二大貴族への義理もほぼ無い。こっちの損が大きい以上、依頼の破棄に抵抗は無かった。

 金の返却は勿体無いが、約束を果たしてないのに貰うのは、自分の心情に反するので、潔く返す。

 破棄をすれば、これからの付き合いに悪影響が出るかもしれないが、今のブリューヌは内乱状態。

 どちらかはほぼ確実に倒れるだろうし、もしかしたらこの内乱でエレオノーラと一緒にいる小貴族、ティグルヴルムド=ヴォルンが漁夫の利を得て、台頭する可能性だってあり得る。

 まだ少ない勢力の彼に贈り物を渡し、早期に関係を持つのも悪くない判断だ。送る量によっては、今後の付き合いの際に有利に働くだろう。

 残るは、レグニーツァ。自分でやって置いてなんだが、今回の一件で互いの公国の仲は悪化してしまった。

 問題が起きた夏以前にまで修復するのは難しくなったが、それは追々、ゆっくりと慎重にすることにした。

 ――この戦いの経験を教訓に、頑張らないと。

 色々と考えたおかげで頭もある程度冷え、今後の方針も充分に定まった。エリザヴェータは使者の交渉を受けようと、幕舎を出ようとする。その時だった。

 

『――それで本当に良いのかのう?』

 

「……えっ?」

 

 自分以外、誰もいないはずのこの幕舎で声が聞こえた。しかも、エリザヴェータには聞き覚えのある声だ。

 

『お主は惨めに負けたまま、おめおめと去るつもりかと聞いておるのじゃよ』

 

「……惨めですって?」

 

 聞き捨てならない単語にエリザヴェータは目を険しくし、己の竜具ヴァリツァイフを構える。

 確かに、自分は油断や隙からレグニーツァに敗北したが、それを他人に指摘されるのは不愉快だ。

 どこにいるかは不明だが、出てきた瞬間に竜具で少し痛い目に遭ってもらう。

 

『物騒じゃのう。まぁ、それはどうでもよいが――敗北したまま退けば、力を受けたあの時の想いを否定することに繋がらんかの?』

 

「そ、それは……」

 

 エリザヴェータは一年前を思い出す。昨年彼女はある理由からエレオノーラと決闘し、完膚無きまでに敗北、己の力の無さを突き付けられた。

 その後ルヴーシュに戻り、政務と時折する散策のある日に、彼女はその存在と接触した。

 その日、偶々、古びた神殿を発見したのだ。戦姫になって一年程度とはいえ、まったく知らない建物であった為、少し興味を抱いた。

 供の部下を建物の近くで待たせ、中に入るも、長年誰が入った形跡や使われた様子もなかったが、黒い石像が奥に一つだけぽつんとあった。

 

『――力が欲しくはないか?』

 

 好奇心から近付くと、石像から頭に直接届く声がエリザヴェータに響いた。

 声は自分の名と、自分が力を欲するならその力を与えようと言ってきた。

 エリザヴェータは朧気ながらも、それを受けた。自分を倒したエレオノーラに勝ち、自分は弱くない、強いのだと彼女に示したかったのだ。

 そうして、彼女はその右腕に鉄を容易く砕き、人を簡単に捩じ伏せる人外の膂力を宿した。

 それらを思い出し、エリザヴェータは無意識にその右腕を見詰める。今退けば、自分はあの日の想いを否定してしまう。

 ――負けたく、ない……!

 エレオノーラにもマサトにも。このままでは、自分は敗北者のまま。二人に完全に勝利し、自分の強さと価値を見せ付けたい。

 

『今度こそ、その力で勝利するのじゃ。己の誇りを取り戻し、強さを証明する。そして、望む物を手に入れれば良い』

 

「誇り……証明……望む物……」

 

 深く、暗い囁きが、紅の戦姫の左右で異なる瞳を少しずつ昏くしていく。危険を感じた雷渦が主に語り掛けるも、効果は無かった。

 

『今以外に、その機会はあるまい?』

 

 ――……そうですわ。

 失った自信を取り戻し、望む物を自分だけの物にする。実現するには、敵を倒すしかない。勝利する以外に、それらを掴むことはできないのだ。

 

「そんなの、嫌よ……」

 

 欲しい。勝利も価値も望む物も。その全てを手に入れたい。

 

『ならば、戦うのじゃ』

 

「えぇ……その通りですわ……」

 

 毒のように染み込む声の提案を、彼女は自然に受け入れる。一年前のあの日と同じ様に。

 ここで退くなどあり得ない。兵や資材の補充を済ませ次第、レグニーツァに再度挑み、倒す。次に救援に来たエレオノーラも打ち負かす。

 光が闇に反転するかの如く、エリザヴェータは終戦から再戦へと自分の考えを変更する。

 

「ふふ、ふふふ……あはは! ――あぁ、とてもすっきりしましたわぁ……」

 

 エリザヴェータは狂ったように笑う。そのオッドアイは、負の感情に染まっていた。彼女の純粋な想いを穢れで侵蝕したかの如く。

 その声に聞き、何かあったのかとナウムが入って来るが、何でもないと目で威圧しながら一蹴した。

 彼等が出ると、異彩虹瞳の戦姫は歌を軽やかに奏で、黒の髪と瞳の青年の姿を思い浮かべながら懐中時計を開く。

 

「先ずは貴方からよ、マサト。一刻も早く、私だけの物にしてあげますわ。私の黒い宝石……」

 

 手に入れたあとは、檻という名の宝箱に鍵をしっかりと掛け、大切に大切に仕舞って置こう。

 あの美しい漆黒の輝きを、誰にも渡さないように。永遠に自分だけが、その全てを知り、見ていられるように。

 

「その次は貴女よ、エレン……」

 

 彼女の闇は銀色の髪と、赤色の宝玉を思わせる瞳の戦姫、エレオノーラ――愛称、エレンにも向けられていた。

 マサトを捕らえたら、次は彼女も倒し、マサト同様に捕らえよう。

 一緒の部屋に保管し、黒の宝石と赤の宝玉を一生愛でよう。二つの宝の輝きを何時までも楽しもう。

 

「――さぁ、続けましょう」

 

 妖しく艶やかな笑みをエリザヴェータは浮かべる。今の彼女を見つめれば、大抵の者は虜になるだろう。その闇に心を囚われて。

 戦いは、終わらない。それを、黒い懐中時計の音が示すように鳴らしていた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ルヴーシュの陣地から遠くにある森、そこにある一つの木の影から、その存在が姿を現わす。

 

「――ふむ、大体は上手く行ったのう」

 

 姿を表したのは、ゆとりのある黒衣と同色のフードを目が隠れるぐらいに深く被った、短躯の老婆だ。

 身長は子供程度しかなく、それに反して長い衣のせいで裾が土に当たりそうになっているので、老婆は服の端を持った。

 その際に、フードから白髪が元から出ている長い鷲鼻と共に露出する。

 衣が汚れるのを避けようと、手にある大雑把な箒で自分が立つ場所の土をぱっぱっと払った。

 

「移動する場所を間違えたようじゃな。まぁ、よいわ」

 

 目的は達成している。少し意図からは外れているが、彼女を『誘導』出来た。

 戦姫相手にやるのは初めてで、竜具に邪魔されてしまう恐れもあったが、彼女が強い望みを抱く対象がいる、心の底に力や勝利への強い渇望がある。

 他にも、前に与えた力と直接の操作ではなかったことや、彼女が今回の戦いを完全に振り切る前に行なったおかげで成功した。

 大きな挫折を味わおうとも、簡単に変わることが無いのが、良くも悪くも人なのだから。

 とはいえ、あくまで誘導でしかなく、完全に意図した通りとは限らない。

 ただ、この老婆――魔物、バーバ=ヤガーにとってはそうであろうが一向に構わない。

 

「さてと、今度こそは勝つかの?」

 

 バーバ=ヤガーは、夏に仲間達と黒銃を回収しようとしたが失敗。新しい方法を考える日々を過ごす中で、ルヴーシュがレグニーツァに戦を仕掛けることを知っていた。

 一休みと暇潰しの観戦をしようとここへ赴いたのだが、その前に一戦が終わった挙句、自分が力を与えたエリザヴェータが戦姫以外の相手に負けたと知り、この戦に少し興味を抱いたのだ。

 なのに、エリザヴェータは退くと言い出したので、この老婆は力と話術を駆使して彼女が再戦に赴くよう、焚き付け、誘導したのである。

 エリザヴェータの為などではなく、自分が楽しむためだけに。そのせいで多くの死や苦しみが生まれようとも、老婆には関係ない。

 自分が関係しているなど露知らず、人間達が必死になって殺し合う様子を眺め、楽しみ、嘲笑う。たった、それだけだ。

 ただ、バーバ=ヤガーにも一つ気になる点はある。

 

「……儂等や戦姫以外であやつらに勝てる者など、おったかのう?」

 

 戦姫達は、異常な強度と特殊な力を宿す竜具を所持しており、何れも強者ばかりだ。

 偶々それ以上の実力者が対応したか、余程の策略が無い限りは勝てない。

 しかし、さっきのエリザヴェータを見る限り、後者とは考えにくい。となると残るは前者なのだが、どうしてか腑に落ちない。

 

「なんにせよ、楽しませもらおうかの。ひっひっひ……」

 

 闇に呑み込まれた姫の様のこれからを楽しみながら、魔物は邪悪な笑みを浮かべる。

 こうして、魔が生み出した歪みが、更なる戦いを紡いでいった。

 


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