幼女、先生に扶養される 作:じゃくそん
微睡みの中、ぼんやりと持ち上がった意識が、何かを捉えます。窓の外を、ひらりはらりと舞い落ちるのは――雪です! 雪が降っています!
一気に意識を覚醒させた私は、見えたものをよく確かめるべく、窓にかじりつきました。その勢いで、私の身体に掛けられていた上着がずり落ちそうになります。あらら。
すんでのところで掴んだそれからは、先生のにおいがしました。なるほど、先生の上着ですね。少し気になることもありましたが、今は後回しです。なんてったって、雪が降っているんですから!
思わず触れてしまった窓は、大変ひんやりとしていました。私の手まで、ひんやり冷えてしまいます。でも今は、そんなことはどうでもいいんです。重要な事じゃありません。
「先生っ、雪ですよ! 雪!」
「分かってる! ええい、それより窓を触るな!」
叱られてしまいました。しょんぼりした私は、冷えた手を自分の頬っぺたに当てます。ちべたいです。ぶるりと身体が震えました。冷えていた指先に、触れた頬から熱が送られてきます。
しばらく黙り込んでいた私は、落ち着く思考とは裏腹に、身体の芯からふつふつと興奮の念が湧いてくるのを感じていました。
雪、雪です。積もっています。クールダウンなんてやってられません。足はパタパタと勝手に動いてしまいますし、今すぐにでもその雪野原を駆け回りたくてたまりません。絶対楽しいです。
「ほら、もうすぐ着くから大人しくしておけ」
そう言って、先生に窘められてしまいました。そういえば、いつの間に高速道路を降りていたのでしょう。途中のパーキングエリアで、意識朦朧としながらも、お手洗いに寄ったのは覚えているのですが。
現在時刻は午後三時過ぎ。大変です、おやつの時間を忘れるところでした。おやつの袋を探る前に、先生に上着のお礼を言います。
「これ、ありがとうございました」
「……ああ」
上着を一瞥した先生は、また視線を前方へ向けてしまいます。よく考えてみれば、運転中でしたね。今渡されても困るでしょう。しばらく預かっていましょうか。
先生の上着を畳んで抱え直した私は、ふと先ほど気になったことの正体が分かった気がして、くんと上着を嗅ぎました。なるほど、『先生のにおい』とは、墨やインクのにおいだったんですね。
疑問もスッキリしたところで、おやつの時間といたしましょう。今から食べるのは、アーモンドチョコです。
私は箱から取り出したそれを、口の中へと運びます。ひと噛みすれば、軽快な音とともにアーモンドの香ばしさが広がりました。噛み砕くうちに、チョコの甘さと絡まりゆくアーモンド……。至福のひとときです。チョコっていいですね、アーモンドって素敵です。
「んふふ」
「気持ち悪い声を出すんじゃあない」
ご機嫌なところに、水を差されてしまいました。幼女のご機嫌タイムを台無しにするなんて…! こんな大人にだけはなりたくないものです。
ぽこすか抗議したいところですが、運転の邪魔はできませんので、幼女は無害にも怒りを露わに頬を膨らませておくことにします。私は怒っています。怒っているのですよ、先生。これはもう、雪だるまの一つでも作らせてもらって、ご機嫌をとってもらわないことには気が済みません。遺憾の意です。
そう、車を止めるのです。
先生が「やれやれだぜ」と、まるで第三部の主人公さんのような言葉を口にしました。幅の広い道路にはいったところで、車が道路脇に寄せられ、停まります。
「五分だけだぞ」
「はいっ!」
私が車から降りた頃には、雪はやんでいました。車の外の空気に触れて、その寒さの違いに驚きます。冷たさを感じとるよりも先に、冷たい空気に受けた刺激が肌に伝わるのです。温度以外の要素で、空気が冷たいことを知るというのが何とも面白いですね。
張り詰めた空気はしんとして、私ばかりが、その静かな世界に迷い込んでしまったようでした。雪に彩られた辺りの街路樹は、きらきらと輝いています。
吐いた息は白く染まり、踏みしめた雪からは、ざく、と音がしました。――ああ! ついにやってきたんですね!
雪国にきたという実感が湧いてきて、私は無性に飛び跳ねたい気持ちになります。感無量というやつです。しかし、雪に大の字ダイブしたい欲求は、溶けた雪で服や車のシートを濡らしてしまうでしょうから我慢します。幼女は幼女である前に、いい子ですので。
さて、先生から宣告された猶予は五分。この間に、何としても雪だるまを作りましょう。大きなものは、時間の都合で作れません。雪玉をころころ転がして、自分の身長くらいの大きさの雪だるまを作ってみたかったのですけれどね。それはまた後で、でしょうか。
私はふわふわの雪を手にとって、ギュッギュと丸く押し固めます。今更ながら、手袋をしておくべきだったことに気付きました。残念、それはあるとすれば既に送られているであろう、引っ越しの荷物の着替えの中です。かじかむ手を、時たま自身の体温であたためつつ、私は雪玉づくりに励みます。
そうして出来上がったのは、手のひらほどの大きさの雪玉です。これに、一回りほど小さな雪玉を乗せて……やりましたっ、完成です!
なかなか上手くできたのではないでしょうか。自分の作った雪だるまの出来に、私はによによしてしまいます。見つめているうちに、なんだか可愛く見えてきて、愛着が湧いてきてしまったのでした。
どうしましょう。この場に置き去りにするのは惜しいです。この程度の大きさならば、車のボンネットに乗せて連れて行けそうなのですが。先生はきっと嫌がるでしょう。言葉を尽くしたところで、断られる未来しか見えません。
……できるとすれば、幼女最終奥義・おねだり攻撃でしょうか。幼女が幼女であり、先生が大人であるからこそ有効な手段です。
しかし、先生は大人げないことも堂々とするひとですからね。先生の機嫌ひとつで、奥義が打ち破られる可能性があります。より効果を発揮するための布石は必要でしょう。
そうして、どのような布石を置くべきか、私が考えに没頭していた時でした。
ぼすっ、と雪に大きな物が倒れ落ちたような音がして、反射的に私は、音のした方へと振り向きます。
「……先生?」
そこでは、先生が雪にダイブしていました。
ずるいです! 私だってやっていないのに、先生がそんなことをするなんて! もしや、先生も雪にはしゃいでたのでしょうか? ――いえ、やっぱり、何かが変です。
雪に倒れ込んだまま、先生は動きません。急に押し寄せてきた不安に、私は先生に駆け寄りました。そして、その背に深々と刺さるものを視認します。
……これは、矢?
同時に見えた赤色に、ひゅ、と細い息が漏れました。
「先生! 先生! 死んじゃイヤですっ」
身体を揺らしますが、先生は反応を示しません。意識を失っているようでした。
先生に触れた手には、べっとりと血がついています。出血が酷いのでしょう。雪がこんなに真っ赤です。私の血の気は引いていきました。
そうしているうちにも、先生の身体はどんどんと温度を失っていきます。明らかに、このままでは危険です。
どう、しましょう。どうしたら――。頭の中は混乱するばかりで、いい考えなんて思いつきません。助けて欲しい気持ちでいっぱいです。
焦りばかりが募る中、ふと私の耳は、ざくざくと雪を踏みしめる音を拾います。
こちらに近付いてくるようです。通りすがりの方でしょうか。助けとなってくれるかもしれないと、私は期待を抱き、足音の主を見ました。そして、すぐに息を詰まらせます。近付いてきていたのは、改造制服を纏った、顔の怖い、いかにも不良然とした金髪のお兄さんだったのです。
カツアゲ。私の頭の中に、そんな四文字が浮かびます。後ろずさった私は、けれども先生からは離れられず、先生の服をぎゅっと握りしめました。不良のお兄さんは、その仏頂面を更に顰めさせます。
「……ひぅ」
不安と恐怖が上り詰めてしまった私から、そんな声が漏れました。目からは涙が溢れそうです。ぷるぷると震える幼女を前に、お兄さんは眉根に皺を数本増やし、少し身構えた様子でこちらを見つつ、先生へと近付きます。そうして、先生の側に落ちていた矢を拾うと、早足で何処かへ行ってしまいました。
ぷるぷるとしていた私は、目の前に迫ってきていた恐怖が去ったことに、少しだけ心の余裕を取り戻します。
あれ、あの矢は、いつの間に抜けて?
いえ、それより、先生から怪我がなくなっています! えええっ??
――あっ、さっきのはスタンドの矢! じゃあ、あれが億泰君のお兄ちゃんなんじゃないですか!
重要アイテムを、それと気付くのに遅れる大失態に、私はポカンと頭を殴られたような衝撃を味わいます。そもそも、戦国時代でも何でもないのに、流れ矢なんてあるはずがないのです! 先生に矢が刺さっている時点で、色々と気付くべきでした。
緊張が一気に解けて、私はその場にへたり込みます。
先生の呼吸は、いつの間にか安定していました。じわじわと湧いてくる安心感に、気持ちがふにゃふにゃしています。手脚にも力が入りません。
ああ、ああ。よかった。怪我をした先生なんていなかったのです!
私の気も知らずに、呑気にも寝起きのような声を漏らす先生に、私は思わず笑ってしまいます。
先生、こんなところで寝ていたら、風邪をひいてしまいますよ。
そう、私が心の内で呼び掛けたのに応えるように、先生の目がぱちりと開きました。そうして、私と目が合います。
おはようございます、先生。お身体は大丈――
「『天国への扉』!」
恩を仇で返された気分です。台無しです。
くらくらする頭をおさえながら、私は重い身体を起き上がらせました。あたりを見渡せば、まだ開封されてないダンボールが見つかります。枕元には、黄色いクマのぬいぐるみが置いてありました。先生が置いてくださったのでしょうか?
見慣れない部屋と、見覚えのあるダンボールの数々に、ここがお引っ越し先である私のお部屋だということを理解します。窓はカーテンで遮られ、オレンジ灯のみがこの部屋を照らしていました。これでは、夜か夕方かの判断がつきません。
一先ず、ベッドから降りることにしましょう。
フローリングに裸足で降りた私は、窓際まで行くと、カーテンを捲り外の景色を眺めます。空は暗く、近くには積もった雪が見えました。なるほど、夜のようですね。
再びベッドのもとへとやってきた私は、枕元に置かれていた黄色いクマのぬいぐるみを抱きかかえます。その右腕に刺繍された黄色いハートを撫でていると、なんだか安心した気持ちになりました。
さて、それでは先生に会いに行くとしましょう。どこまで読まれてしまったかは定かではありませんが、幼女はここを追い出されてしまっては行き場がないのです。私の記憶を読んだことによって、先生が私に悪感情を抱いていなければいいのですが。
そもそも、スタンドに目覚めてすぐに能力が発動できるなんて、チートですよ、チート。何でしょうか、「今ならかめはめ波も撃てそうな気がする」のにもにた気分で、発動させてしまったのでしょうか。さすがは露伴先生と言わざるを得ません。幼女の記憶に、それほど強い興味を持っていらっしゃるということかもしれませんね。……幼女はいま、身の危険を感じています。
とはいえ、今は何ともいえない話でありますから、それを確かめるためにも、幼女は先生のいらっしゃるであろうお部屋へ向かうことにしました。
扉の側までやってきた私は、少し背伸びをして、その近くにあった部屋の明かりのスイッチをオフにします。暗くなった部屋の中、扉の取っ手を握り、ゆっくりと扉を開けました。
なお、続きはない模様。
○余談ネタ
幼女と億泰
「とんでもないことが分かってしまいました……。なんとですね、このアイス、おいしいんです!」
「お前よくわかってんじゃね〜か。このチョコチップストロベリーも美味いぞ」一口差し出し
ぱくり「おいしい!おいしいです億泰さん!」
私のもおすそ分けです、ってあーんってしあってたらほほえましいね
「今日は頂き物のフレーバーティーを持ってきました」
「何だかコレよぉ、甘い匂いがすんのに甘くねえなんて変だぜ」