大学一年のこの身の上、いかんせん趣味とは両立しがたい事柄も多く、二ヶ月余りの日数を必要としてしまいました。
夏休みに入り、余裕も生まれたので、これからしばらくは執筆速度を上げていきますのでなにとぞご容赦を
「――俺はッ……お前を否定しない!!」
「ッ!」
名無しの少女が息をのむ。
思いが………届いた……の、だろうか?
士道さんの前髪を握っていた手はゆっくりと開かれ、彼女自身も徐々に後退する。
自由を得た士道さんは、くしゃくしゃになった髪を直すこともせず、そのまま少女を見つめながら立ち上がった。
それから、しばしの沈黙。
十秒ほど経って、少女が口を開いた。
「お前、シドーといったか?」
「――ああ」
少女は目を泳がせ、士道さんの顔を見ないままに彼に聞いた。
士道さんは一切間を置くことなく返答する。
「本当に、私を否定しないのだな?」
「ああ」
「本当だな?」
「本当だ」
「絶対だな?」
「絶対だ」
「何があってもだな?」
「何があってもだ」
何回か押し問答を繰り返した後、少女は回れ右をして僕らに背を向けた。
頭を乱暴に掻き、一度鼻をすすったような音が聞こえて、こちらに向き直る。
……泣いてたんか?この子。
「……ふん」
振り向いた少女の顔には「不機嫌だ」と書いてあるかのようだ。眉根は寄せられ、口はへの字になっている。
だが、不思議とその表情にさっきまでのような恐ろしさは無い。と言うかむしろ、なんとなく愛嬌さえ感じる。
「誰がそんな言葉に騙されるか。ばーかばーか」
子供かよ。
精神年齢が一気に低下したような彼女の口調の変化につい内心でツッコんでしまった。
思っていることが顔に出にくい自分の性質に感謝だ。今の心の声が外に出ていたら、僕は彼女の怒りを買い死んでいたかもしれない。
「ばーかって……だから俺は――」
「だが、まぁ、アレだ」
彼女は、不機嫌そうな表情を少しだけ緩ませて、続ける。
「私とまともに会話をしようなどと考える奴は初めて見るからな。この世界の情報を手に入れるまたとないチャンスだ」
「……ってこたぁ……つまり」
「勘違いをするな!? 私はあくまで、お前から情報を得るために話をするのだ! 決して口車に乗せられたからでは無いぞ!」
士道さんの疑問の声に、少しかぶせ気味に少女が否定を入れた。
口調そのものは荒いが、結局は嬉しさがにじみ出してしまうのか、よくよく見ると彼女の頬はわずかに赤く染まっている。実に素直じゃない。
と、言うか、だ。
「僕、すっかり蚊帳の外ですね」
「では、早速だがシドー。聞きたいことがある」
「うん? なんだ?」
「ここは一体何なのだ? 狭く仕切られた部屋に、十や二十では下らぬ椅子。さらには似たような造りの空間がいくつも並んでいる。よもや、この椅子一つ一つに人間が納まるのではなかろう?」
「いや、その通りだ。ここは学校って言うところだ」
「何だと!? これ程の人数の人間が集まる場所なのか!? 信じられぬ! 前衛基地か!!」
「いやいや……そんな物騒なもんじゃねぇよ。……いいか? 学校ってのはな――」
完全に置いてきぼりだ。会話に入る余地が無い。
元々、僕の仕事は士道さんが精霊をデートに誘うまでのサポート。彼が精霊と仲良くなることに成功した今、士道さんだけでもデートに誘うくらいは可能だろう。ここに来て僕の存在はただのお邪魔虫に成り下がった訳である。
そう理解した途端に、僕は暇をもてあまし始めた。
あまり動きを見せて少女の注意がこっちに向いてしまったら、せっかくの雰囲気が台無しになってしまうので、ブラブラと歩き回ることもできない。当然、直立姿勢のままでいる必要がある。
仕方なく、窓の外の夕焼けの空をぼーっと眺めながら、だいぶ打ち解けたらしい二人の歓談に耳を傾ける。
「そうなのか……年端もいかぬ幼い内から思想や概念を教育し、いつでも戦線へ赴けるよう鍛えるのだな」
「違う違う。幼いころから教育ってのはその通りだが、別に戦わせるためとか、そういうアレじゃねーよ」
「む? ならば一体何のためにこれ程の数の人間を一所に集めてまで勉学をさせるのだ」
「……ええっと、それは。………そうだな、生きていくため―――とかか?」
「……何故だ? 生きたいのなら自由に生きればよかろう」
「ああ、この言い方じゃダメか……うーん、正確には、人間社会で生きるため…って感じか」
「社会?」
「そう、社会。……あぁ、説明が難しいな。えっとな、この世にはお前が見たことあるよりずっと多くの人間が居て、一人一人が違う役割を持って生きてるんだ。その集まりが社会。そんな風な色んな役割の人々の社会の中に参加できるように、若い内に自分だけの役割を探すんだよ。んで、学校はその手伝いをしてくれる場所なんだ」
「一人一人か……人間の役割にはそんなに数えきれぬ種類があるのか」
「……まあ、そうだな。俺もよくわかんないけど、きっと全く同じ役割なんて一個も無いと思うぞ」
「それだけ多岐にわたるのなら、中にはいくつか役割が誰かと重なってしまうものではないか?」
「そうかもしれないけど……でも、だからって必要ないって事は無いはずだ。人間には皆自分だけの名前があるみたいに、例え他人と似たような役目でも、自分だけの能力ってのはあんだよ……たぶん」
「名……か。そうだ……なぁシドーよ」
「どうした? まだ質問があるのか? いいぞ。幾らでも答えてやる」
「いや、そうではなくてな――お前は、私を何と呼びたい?」
「……ん?」
……ん?
「こうして話す以上、呼び名が無くてはどうにも不便だからな」
「は?」
「そこのドーメキとやらは、私に名を名乗った。だが、私は名乗るべき名を持たない」
心を無にして話を聞いていたら、なにやら不穏な流れになっていた。
近くにあった席に軽くもたれかかり、リラックスした風のまま名無しの少女は爆弾発言を投下する。
「シドー、私に名を付けろ」
…………おうふ。
「………」
士道さん、フリーズ。
宜なるかな。
「はああああぁぁぁ!?」
こりゃまた、とんでもなく地雷臭のする要望が来たモノだ。一高校生風情にはちとばかり荷が重い。
途中までいい話だったのに、士道さんの人生論を聞けるのはここまでのようだ。
「琴里さん、何か良いの無いですかね?」
こうなれば僕も知らぬ存ぜぬという訳にもいかず、サポートを再開する。
名無しの少女には、僕らには隠れている仲間は居ないと言ってある。それは間違ってはいないが、連絡を取っている仲間なら居るのだ。下手に少女に勘ぐられても困るので、琴里さん達の存在はバレないように気をつける方が良い。そうすると、僕が琴里さんの言葉を代弁する形にするのが良いだろう。
そう考え、僕は右耳のインカムを軽く抑えながら周りには聞こえないように小さく尋ねた。
『ちょっと待ってなさい』
インカムから琴里さんの返答が聞こえてくる。この声は士道さんにも聞こえている筈だ。焦りまくっている彼には申し訳ないが、しばらくは時間稼ぎのためにウンウンと悩んでいてもらおう。
『流石に個人の名前をAIに考えさせる訳にはいかないわ! 総員、今すぐ彼女の名前を考えて私の端末に送りなさい!』
どうやらクルーの皆さんに名付けさせるつもりのようだ……が、〈フラクシナス〉のクルーは言わずと知れた変人軍団である。嫌な予感しかしない。
『まずは川越ね……ちょっと! 美佐子って別れた奥さんの名前じゃない!』
『すいません! 思いつかなかったもので……』
バッドマリッジの別れた奥さん……何番目だろうか。
いや、それ以前に名付けとしては普通にアウトである。
『次は…幹本ね…………これなんて読むのよ』
『麗鐘(クララベル)です!』
シャチョサン、まさかのキラキラネーム推し。
『幹本は一生涯子供を持つことを禁ずるわ』
まあ、うん。そうなるわな。
『もう一番上の子が小学生です!』
『一番上?』
『はい! 三人います!』
『名前は』
『上から、美空(びゅあっぷる)、振門体(ふるもんてぃ)、聖良布夢(せらふぃむ)です!』
これはひどい。
何がって、色々ひどい。
「…………っ」
士道さんが切羽詰まった様子でインカムを小突く。「早くしてくれ」という意味だろう。
だが、これは名無しの少女の一生に関わる問題だ、急かしても良いことがあるとは思えない。ここはなんとか時間稼ぎをせねば。
いつまで経っても考えてばかりで案の一つも出さない士道さんを黙って待っている少女に、意を決して話しかけた。
「お一ついいです?」
「なんだ? ドーメキ。私はシドーに名をつけろと言ったのだ。お前には聞いていないぞ」
「辛辣ですねぇ……別にそういうつもりじゃないです。ただ、いきなり命名なんて、何の指針もないとやっぱり難しいですからね。シドーさんを手助けすると思って、ここは一つ、どんな風な名が良いかあなたにも考えて欲しくて。他ならぬあなた自身の名前なんですし」
「ふむ……一理あるな」
よし、彼女も一緒に考え初めた。これでいくらか時間が出来ただろう。僕は再び小声でインカムに語りかける。
「今のうちです、琴里さん」
『ナイスよ智也。さあ、総員次の案を出しなさい!』
なんとか上手くいった。頼むから、今度はちゃんとした意見が出ますように。
『こんなのはどうでしょうか! 司令!』
ネイルノッカー椎崎さんの声がインカム越しに耳に響く。
思い人の周辺人物を片っ端から呪いに掛けるという彼女だが、そのネーミングセンスはいかに。
『妙(たえ)です!』
やったね!たえちゃ……おいやめろ。
『古風すぎない? 幹本ほどではなくても良いけど、もう少し華やかさが欲しいわね』
どうしてだろうか。不意に「あんたが言うな」と思った。
そして突っ込むべきはそこじゃない。流石は午前二時の女、名前すら呪われそうである。日本全国のたえさんには申し訳ないが、そう思わざるを得ない。
『整いました!』
『はい中津川!』
今度はディメンションブレイカーの番らしい。つか、整いましたってなんだ。
もうただの大喜利と化してんじゃないか。ツッコミ不在の恐怖である。
『複数考えてありますゆえ、順に発表します!』
『流石ね、期待してるわ』
『まずは、澪(みお)です!』
お? 意外とまともな感じの名前。
『次に、箒(ほうき)!』
…………むむ?
『続いて、ほむら!』
……………むむむ?
『最後に、夜空(よぞら)でございます!』
………うん。
「ギルティ!」
「うおっ!? どうした智也!?」
「なんだ! 敵か!」
「す、すいません……何でも無いです」
こればかりは思わずツッコんでしまった。
慌てて士道さんと少女に頭を下げて後ろを向き、声のボリュームに気をつけながら通信する。
「中津川さん……それはダメだと思います」
『? なにがいけなかったの? どれも良い名前だと思ったのだけど』
「琴里さん。今の四つ、全部アニメキャラの名前です」
『……なんですって?』
「しかも、全員黒髪ロングでクール系です」
ついでに言えば残念美人だ。
『おお! お解りにござるか百目鬼殿! やはりこちら側の人間!』
『…………中津川』
『はい! お気に召す名前はあったで――』
『以後発言禁止』
『――ご無体なっ!?』
琴里さんの無情なる審判が中津川さんに下る。擁護出来ようはずも無し、罪人はただ頭を垂れて意気消沈するばかり。
それはそれとして、やはり彼とは話が合いそうだ。
『さぁ、最後は箕輪ね』
『え、えっとぉ……』
ラストはディープラブ箕輪さん。もう期待などしない。せめて、普通の名前を……。
『古風だけど女の子らしくて、綺麗な黒髪をイメージ………さ、貞子……とか?』
『…………………』
…………………。
「士道さん」
「………なんだ?」
「僕らだけでなんとかしましょう」
「ああ…そうだな」
『あの、やっぱりだめですか。そうですよね、貞子なんてダメに決まってますよね』
『士道、彼女と初めて会った時の印象から名付けるなんてどうかしら』
「名は体を表しますからね。第一印象から付けるというのは良い案です」
「そうだな、それが良い。あの時のことを思い出しながら考えてみるぜ」
『あの、ごめんなさい。ほんと、謝りますから、お願いします』
「あの日は確か、四月の十日で……綺麗な青空で」
「綺麗な空……モチーフとしては申し分ないですが、彼女のイメージとは少し離れてしまいますかね」
『そうね、この精霊は青空より夜のほうがしっくりくるわ』
「じゃあ他の印象で……」
『お願いだから無視はやめてっ!?』
――――――――――
数分後。
「トーカ。君の名前はトーカだ!」
ああでもないこうでもないと頭をひねること都合十回以上。これ以上精霊を待たせるのも不可能になってきたタイミングで、士道さんが咄嗟に言い放った〈トーカ〉という名前が採用された。
さっきまでの僕らの苦労は何だったのか。
「まあ、いい。さっきまでのトメだのソラミだのよりはましだ」
トメとソラミが誰の案なのかは、まあ、個人の名誉のため伏せるとしよう。思い出したくもない。
とにかく、これで彼女の名は決まったのだ。
「それで? トーカとはどう書くのだ?」
「あ、ああ。――こう…だな」
彼女からの問いを受け、士道さんがチョークで黒板に漢字を書いていく。
しばらくの間カツカツという音が教室に響き、それが止むと同時、士道さんが体を横にずらして書き上がったものを見せた。
十香。
それが、この漆黒の精霊の名。
「ふむ……」
自らの名前をしばし見つめていた彼女は、士道さんの書いた筆跡を真似るように、黒板を指でなぞる。
指の先端には小さな黒球があり、それでもって黒板を削り文字を書いていた。
士道さんの時とは異なり、何の音もしないまま、しかしチョークのそれよりもはっきりと、彼女の名は刻まれていく。
「シドー」
名無しだった精霊の少女は、少しの間書き上がった自分の字を見つめて満足げに頷いた後、僕らが初めて目にする微笑みの表情でこちらを振り返る。
「十香」
「え?」
「十香。私の名だ………素敵だろう?」
立会人は、たったの二人。この場に居ない観測者達を含めても十人程度。
世界を殺す少女を見守る人数としてはあまりに少数。
だが、それでいい。
これが。このほんの僅かな人数が、
この世界に精霊を受け入れた人間達の、記念すべき第一号だ。
人間の青年から名を授かったことで、災厄の化身はただの少女となるための一歩を踏み出す。
僕らはその瞬間の目撃者となったのだ。
黒板に新たに刻まれた二文字は、隣にあるチョークで書かれたものに比べて歪な形をしている。
お世辞にも綺麗な字とは言えないが、その存在感こそが彼女の在り方の証明なのだろう。
これからきっと、少しずつ隣の字に似てくる筈だ。
書き方も、形も、癖も。
士道さんが、変えていく筈だ。
「シドー」
「…と、十香」
願わくば、彼らの紡ぐ物語の糸の一片にでも、僕を絡ませてもらいたいものだ。
僕は、この人達の行く末を見守っていたい。
読者ではなく、登場人物として、そばに居たいのだ。
互いに見つめ合い、名を呼び合い、彼らの心の距離は縮まっていく。
十香さんは天女の如き柔らかな笑みで。士道さんは気恥ずかしさに頬を朱に染めて。
これ以上無いと言って良いムードだ。自分が邪魔者であることを思い出した僕は、足音を忍ばせ窓際に行き、そこで静かに待機を―――
――することはできなかった。
突如、爆音が辺りに轟き、凄まじい震動が半壊状態の校舎を激しく揺らす。
「な、なんだ……ッ!?」
『二人とも伏せなさい』
「へ………?」
よろめきながら視線を向けた窓の外。後半時と待たずに夜の帳が降りるであろう空には、十人弱のAST隊員が浮遊していて、
その全員が両手に持つガトリング砲の銃口が、僕らの居る教室へ向けられていた。
『早く伏せて!』
「―――――!!!」
あまりにも突然すぎる出来事に叫び声も上げられず、その場で床に腹からダイブする形で倒れ込んだ刹那。おぞましい量と速度の銃弾が校舎を撃ち抜いていく。
なんとか緊急回避で銃弾を躱したが、僅かに間に合わず砕け散ったガラス片が降り注ぎ、未だ汚れの少なかったブレザーをボロボロに傷つける。そのうち幾つかは僕自身の体にも小さくない切り傷を残した。
十秒にも満たない時間で弾の嵐は過ぎ去り、教室には現実味が戻る。今度はこことは違う教室が集中砲火されているようだ。少し離れた所から絶え間ない銃声が聞こえていた。
恐る恐る床タイルとキスをしていた顔を上げていくと、まず僕と同じようなポーズの士道さんと目が合う。とりあえず彼は無事だったようだ。僕と異なり窓から遠い位置に居たからか、ガラス片で怪我をした様子もない。
もう少し視線を上げていくと、さっきまでと同じ姿勢の十香さんが確認できた。
流石は精霊。あの程度の攻撃は歯牙にも掛けないということか。何事も無かったかのようだ――いや、違った。
彼女の表情が視界に入った瞬間、その凄惨極まる悲壮感に言葉を失う。
今まで士道さんと対していた笑顔とは180度異なる痛ましいもの。
十香さんの体には、銃弾やガラスによるダメージなど微塵もない。だがしかしその精神は、明確に負傷していた。
あるいは致命傷かもしれないと思えてしまうほど、絶望に満ちた顔で、窓の外をじっと見つめていた。
「っ……………」
掛ける言葉が、見つからない。
「十香!!」
「……っ、シドー…」
息をのむだけだった僕の代わりに、士道さんがその名を呼んだ。
その声にハッとした様子で、十香さんが視線を窓の外から士道さんに移す。
「……逃げろ、シドー、ドーメキ。私などと共にいては、お前達が同胞に討たれてしまう」
そう静かに、逃げることを勧められる。
確かに、このままこの場にいることは自殺行為だ。だが、ここで逃げを選択してしまう方がより悪手である。
僕らの、士道さんの目的は精霊の平和的無力化。もとより多少の怪我は覚悟の上だ。
それに何より、士道さんが傷ついた少女を目の前にそれを放置することを認めないだろう。
『どうするの? 士道。逃げるか、留まるか』
琴里さんの声が聞こえる。
士道さんは、一瞬だけ逡巡を見せ、
「逃げられるかよ………ッ」
どこか苛立たしげにそう言った。
『馬鹿ね』
「……勝手に言ってろ」
『これは褒め言葉よ? 士道のその蛮勇へのね……そうね、一つアドバイスをあげる。死にたくないなら、精霊のそばにいる事よ』
「おう、分かった」
『それと――智也』
琴里さんは話しかける相手を僕に変え、さらに続けた。
『あなたは、ここまでよ』
「…………この怪我なら、大したことはありませんよ?」
『大したことがある怪我かどうかは司令たる私が決める事よ。異論は聞かないし、認めもしないわ』
「しかし、僕の役割はどうするんです? 士道さんの身に迫る危険の察知。先の銃撃を見る限り未だ出番があるように思われますが」
『危険なのはあなたの方よ、さっきのASTの攻撃は感知できてなかったじゃない』
「………それは」
言われてみればその通りだった。
精霊の放つ攻撃、もしくは精霊によって起こされる危機を知らせてくれる僕の第六感は、ガトリング砲の一斉射には反応しなかった。
…………何故だ…?
指摘された事実に動揺する僕に構わず、琴里さんが言う。
『心配せずとも、士道はその程度じゃ死にやしない。言ったでしょう? 士道は特別なのよ。仮に智也がASTが撃ってくるタイミングを計れたとしても、それは無意味なのよ』
「……随分とはっきり言ってくれますねぇ」
『不必要に甘い言葉を選んであなたに死なれても、こっちは責任負えないもの。当然でしょう?』
「まぁ、雇用主がそうおっしゃるのでしたら、僕は従いましょう」
釈然としないことも、気になることもある。それ以上に、ここで士道さんより一足早く退場することを残念に思う気持ちもある。
けれど、今の僕に琴里さんの言葉を覆すほどのカードは無い。
口から出任せを吐いて言いくるめても良いが、そんな嘘じゃ駄目だ。その場しのぎにもなりゃしない。結論ありきの嘘には矛盾が生まれる。
結局僕に出来るのは、大人しく退散することだけだった。
「すみません十香さん、僕は帰らせていただきますよ。士道さん、後は頼みます」
「…智也、ここまでありがとうな」
「な――」
「十香さん、士道さんのことお願いしますね。出来れば、守ってあげてください」
「ま、待て! 何を言っているのだ。シドーも早く――」
「十香、良いんだよ。俺は残る」
「だが、シドー……」
「言ったろ? 俺はお前と話をしたくてここに来たんだ。まだ俺たちのお話タイムは終わっちゃいない。あんな奴らのことなんか気にすんな」
言いながら、士道さんはその場の床に胡座を掻いて座り込む。テコでも動かないという意思の表れだろう。
その姿を見た十香さんは、ほんの一瞬だけ困惑した表情を作り、そして士道さんの向かいに座った。
「………」
士道さんと十香さんが心を通わせていることがはっきりと伝わってくるその光景は、しかし、僕には自分がお払い箱となったことへの皮肉のように見えてならなかった。