蝋の翼   作:水野希

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四月十一日。火曜日。

 朝八時過ぎ。

 朝日の差し込む二年四組の教室。

 この部屋にいる全員の視線が、僕に集中している。

 

「本日はー、皆さんにサプライズがありまーすっ!」

 

 針のむしろと言うのは、こういった状況のことを指すのだろう。

 

「なんとなんと、新しいクラスメイトのご紹介でーす!」

 

 実にいたたまれない。できることなら逃げ出したい。

 

「“飛び級”で入学してきた、百目鬼智也君でーす!みんな、仲良くしてあげてねー!」

 

 ああもう。

 

「百目鬼智也です。よろしくお願いいたします」

 

 どうしてこうなった。

 

 

__________ 

 

 

話は、一日前に遡る。

連れてこられた〈フラクシナス〉の艦橋にて。精霊やASTのなんたるかや、士道さんがデートをすることなど、大部分の説明を終えた琴里さんが次なる話題にあげたのは、僕自身についてのことだった。

 

「そう言えば智也、あんたって一年生なのよね。こっちで色々調べさせてもらったわよ」

「……まあ、見られて困る経歴じゃないのでとやかくは言いませんけど、あなたね……」

「お、おい琴里。それって個人情報を勝手に探ったってことじゃ――って、智也お前俺より年下だったのか!」

「と、おっしゃると言うことは、士道さんは僕の先輩なのですか」

「俺は今年から二年生だ――お前の方がしっかりしてるっぽいけどな……」

「いや別に気にしなくても――」

「全くね。智也の方は落ち着いて話を聞いてたのに、士道はずっとギャーギャー言ってて……。妹としてこの上ない恥さらしだわ。受精卵から人生やり直したらどうかしら」

「うぐっ……」

「ウグですって?ククト軍かしら」

 

ウグ……かなりマニアックなロボだ。琴里さんは世代ではないと思うのだが……士道さんの英才教育だろうか。

 

「琴里さん……その辺りで。……それで?僕が一年生なのがどうかしました?」

「ああ、それなんだけどね。智也、あんた飛び級で二年生になりなさい」

 

何をのたまっているのだろうこのロリッ子は。

 

「………ええぇぇ」

「露骨に嫌そうな顔をしないで。これは命令よ」

「命令ってあなた。僕は別にあなたの部下では――まさか。え?そのために僕をここに?」

「ん?どうした智也」

「ええっとですね、つまりお宅の妹さんはサスペンスドラマなんかでよく見る『この話を聞いちまったからにはタダで帰す訳にゃいかねぇなぁ』というアレをしてるんです」

「ふふん、その通りよ。おかしいと思わなかったのかしら?私の兄である士道はともかく、あなたは完全な部外者。あんな国家機密みたいな話を無償でしてあげる筈がないじゃないの」

「くっ…なんと汚いまねを……」

「あぁ……。俺の可愛い妹がいつの間にか真っ黒に……」

「まあ別に?命令が嫌って言うのなら、正式にスカウトしてあげてもいいのよ?」

「?……スカウト、ですか?」

「ええ。あなた、精霊の攻撃に対する危機感知能力が高いみたいじゃない。さっきから話していても思ったけど、かなり鋭い性格みたいだし。そういう人間がちょうど欲しかったのよ」

「…ああ、確かに。智也がいなかったら、俺きっとあの子の剣に切られてただろうし……」

「こんな調子だから、精霊を相手取るのにそこの愚兄一人じゃ不安なのよね。もちろん〈フラクシナス〉がサポートに回るとはいえ、私たちにできるのは基本的に上空からのオペレーションだけ。デートになれば嫌が応にも士道一人になるとはいえ、そこに至るまで現地でサポートできる奴が必要になるわ。だから、常に士道とツーマンセルで行動させる為に、智也には士道のクラスに入ってもらいたいの」

「ちょっと待て琴里。それ智也がいなかったら――」

「当然、最初から最後まで士道の単独任務になるわね。それ以外ないでしょ?」

「……………」

 

 年上の男子高校生が、助けを求める瞳でこちらを見つめている。

 微塵も嬉しくねぇ。

しかし、もしここで「ハイ、さようなら」なんて言おうものなら、口封じの為に「OK、殺すわ」と言われるのだろう。社会から抹消されるのは嫌だが、僕は別に士道さんのように精霊を気に掛けている訳ではない。わざわざ行きたくもない精霊の目の前に行って、何度も死に目に会うのも御免だ。どっちを選んだところで僕には旨みがないのだが――

 

「もちろん報酬は出すわよ」

 

 !?

 

「そうねぇ……。結構危険なこともあるし――これでどう?」

 

 人差し指を立ててみせる琴里さん。

 

「……………桁は」

「七」

「!!!」

 

 命がけの職場の給料としては少ないが……僕には十分すぎる額だ。生活費や学費を払っても九割以上残る。

 

「商談成立――ね」

「ええ、末永くお願いしますよ――司令官殿」

「ふふふ……」

「くくく……」

「………オイオイ」

 

 

__________ 

 

 

 自業自得だった。

 しょうがないね、お金は大事だからね。

 

「ええとー、席を詰めれば後ろ側が一席分開きますね。百目鬼君は視力はいいですか?」

「ええ、両目とも良好です。後部席でも大丈夫ですよ」

「それなら良かったです。じゃあ、最後列の真ん中、士道君の後ろに座ってくださいね」

「了解です」

 

 担任の小柄で未成年にしか見えない若々しい女性教師(社会担当の岡峰珠恵[おかみね たまえ]教諭。通称タマちゃん。二十九歳の独身。情報源は士道さんだ)に席を指定される。

 士道さんの後ろの席。なんともおあつらえ向きである。まさかこんなとこまで〈ラタトスク〉が手を回しているのだろうか。………可能性は決して否定できなかった。

 数十人の視線に晒されながら教室の中を歩いて行く。士道さんの隣を通ってその後ろに――

 

「………」

 

士道さんの真横を通りかかったところで、一際強い視線を感じ、そちらを見る。人形のような無表情の女子生徒と目が合った。

 

「「…………」」

 

何か用だろうか……って、

 

「あ、トップアナーキスト」

「?」

 

 AST、もとい武装アナーキスト軍団の中で唯一精霊に猛追を仕掛けた少女が、士道さんの隣の席に座っていた。確か名前は、鳶一折紙[とびいちおりがみ]と言っていたか。

 成る程、士道さんと知り合いであるのは解っていたが、席が隣同士であったなら納得だ。………ん?これまずくないか?

 

「百目鬼くーん?どうしましたかー?」

「おっと、すみません。すぐに席に着きます」

 

 岡峰先生の声で我に返り、急いで席に向かった。

 

「タマちゃんタマちゃん、飛び級ってことはこの子年下?頭良いの?」

「ねね、君ってどこから来たの?」

「どうめきって名字珍しいねー。どうやって書くの?」

 

 少し遅れて、教室内がざわつき始めた。無理もない。質問攻めに遭うのは転校生の宿命だ。実際に自分がその立場になるのは初めてだが。

 

「皆さん静かにしてくださーい!ホームルーム始めますよー!」

 

 岡峰先生が必死に注意するも、中々喧噪は治まらない。恐らくこの一日は、質問を捌いて終わることだろう。

 

 

__________ 

 

 

「来て」

「へ?」

 

放課後。特にしつこく質問をしてきた、アイ・マイ・ミイとか言う名前の三人の女子生徒をなんとか納得させて、これから帰路につこうと席を立った瞬間のことだ。士道さんがアナーキスト――違った、鳶一さんに腕を掴まれた。

精霊を目撃した一般人である士道さんに、AST所属の鳶一さんがやることと言えば、最早口封じ以外あり得ない。であれば、至極当然――

 

「あなたも」

「………」

 

――僕の方にも来るだろう。

何をされるかは解らないが、覚悟は決めておくべきか。

周囲から、朝に体験したそれとはまた違う、奇異なものを見る視線を向けられながら教室を後にする。

士道さんの手を引いて歩く鳶一さんは、一切口を開かぬまま姿勢良く歩き続ける。廊下を渡り、階段を上り、施錠されている屋上へのドアの前でようやく足を止めた。士道さんの腕は離さぬままに、顔だけをこちらに向けて、言う。

 

「あなたは下で待っていて」

「……士道さんと一緒ではいけないので?」

「駄目」

「…………わかりました」

「智也……」

「……士道さん、ご武運を」

 

 短く言ってからゆっくりと階段を降りていく。時間を掛けて踊り場に到着し、壁に背を預けた。

 士道さんは今頃どんな脅され方をしているのだろう。この後同じ目に遭うのがわかっているので可能であれば知っておきたいのだが、上の階の音は周りの生徒の話し声に紛れてしまって聞こえてこない。はあ、とため息を一つ吐き、今後の行動を考える。とりあえずはAST隊員に連行されたというこの現状を、我が雇い主である琴里司令官に連絡をせねば。そう思って携帯をポケットから取り出し、気づく。琴里さんの番号を知らなかった。

 完全に手持ちぶさただ。さて、どうしたものか。

 

「……ん?あの姿は……」

 

 やることがなくなってしまい辺りを適当に見回していると、左側から見覚えのある眠たげな女性が。雑なサイドテール、巨大な隈、眼鏡、―そして、胸ポケットにあるボロボロな熊のぬいぐるみ。〈フラクシナス〉で出会った時と異なり白衣を着ているが、あれは間違いなく村雨さんである。

 何故解析官である彼女が来禅高校に居るかはまるで解らないが、これは好都合だ。村雨さんから琴里さんに連絡をとってもらおう。

 

「村雨さ――んんんん!?」

 

 僕が声を掛けようとした刹那。バタン!と派手な音を立て、村雨さんが廊下に倒れる。まるで唐突に意識を失ったような転倒の仕方だ。咄嗟に彼女に駆け寄り容態を確認しようとして――思い出す。

 そう言えば村雨さんは極度の不眠症だった。以前も〈フラクシナス〉の医務室で余りの眠気から同じように転倒したのを見たことがある。

 

「――村雨さん、大丈夫ですか?」

「……ああ。ただ転んでしまっただけだ。……む?君は――」

 

 村雨さんがのろのろと起き上がる。

 

「どこか怪我は?」

「……心配いらないよ。慣れているからね」

「………ちょっとすいませんね」

 

 受け身も取らずに転ぶのを慣れてしまってはいけないと思う。

 自己申告では少々信用ならない。念のため前髪を掻き上げ、額を確認する。

 

「…ほんとにたんこぶ一つ無いんですね……」

「……気は済んだかい?」

「ああ、失礼しました。……それで、村雨さんはどうして学校に?」

「……この白衣でわからないか? 教員としてここに世話になることで、君たちの支援をすることになったんだ。担当科目は物理。二年四組の副担任もやらせてもらうよ」

「おお!それはありがたいですねぇ。あ、立てますか?」

 

 言いながら、村雨さんに右手を差し伸べる。

 

「……ああ、悪いね」

「どういたしまして。……それでですね村雨さん、一つお願いが――」

「おーい智也、何かあったのか?」

 

 その時、士道さんがこちらに声をかけながら階段を早足気味に降りてきた。

 

「――あれ、士道さん? 随分早かったですね、もっと時間がかかるかと思っていたのですが……」

「ああ……そうだな…。それより、何か叫んでいたみたいだけど」

「……?」

 

 彼の返事にあった妙な間に首をかしげつつも、隣の村雨さんに目線を向けることで質問への回答とする。

 

「あれ、ええっと……村雨解析官?」

「……礼音で構わんよ。信頼関係を築かなくてはならないからね」

「ああ――じゃあ礼音さん……なんでここに?」

 

士道さんがさっきの僕と同じ質問をする。ま、村雨さんが教師になったなんて見ただけではわかるはずもない。

 村雨さんが同じ説明を士道さんにしているところを眺めていると、不意に肩を軽く叩かれる。

 振り返ってみると、能面のような眼差しで僕を見る鳶一さんがいた。どうやら士道さんの後から彼女も階段を降りてきたようだ。

 

「………」

「あの……何か?」

 

 黙っていては埒が明かないので、こちらから訊いてみる。

 

「あなたも、あのときあそこに居た?」

 

 “あそこ”というのは精霊との戦闘の現場のことだろう。

 目撃されている以上はしらばっくれても意味が無い。こっちが事情を把握していることは隠しつつ、正直に答えよう。

 

「ええ、確かに居ましたが……」

「そう……気が付かなかった」

 

 …………。

 

「………………え??」

「士道しか見えていなかった」

「…………………えぇぇ」

 

 なんだこの人。士道さんにご執心なのか? 僕は士道さんのすぐ近くにいたのに、全く気づいてなかったとか……。

 

「え、じゃあ何で僕を呼んだんです?」

「後から上司に映像を見せられて気づいた。一応口止めの為。……けど、それも必要性が薄い」

「それは……何故」

「……あなたの経歴は調べた。両親がいない以外普通の高校生。あなたがあのとき見た物を世間に広めようとしたところで大した問題にはならない。だから、一度注意するだけにする。」

「………そりゃどうも」

「あなたが見た少女は国家機密。口外すれば暗殺される……肝に銘じておいて」

「……了解です。お手数おかけしました」

 

言いたいことは本当にそれだけだったのだろう。自己紹介すらすること無く、鳶一さんは歩き去って行った。同様に、もう琴里さんに連絡を取ろうとする必要もなくなった。

………だが、彼女の発言の内に気になる点がある。自分でこういうのは何だが、僕は普通の高校生ではない。〈ラタトスク機関〉の手回しによって、成績がずば抜けている訳でもないのに飛び級を果たしているのだ。入試の時のデータがあれば、普通に考えれば矛盾に気づくと思うのだけれど。………ま、その辺りのデータも〈ラタトスク機関〉が弄ってくれたということだろう。畜生、ハードル上げやがって。

 

「……さてシン、早速だが」

「スルーした上に変な愛称つけた!?」

 

 ……いつの間にか士道さんと村雨さんが漫才を始めている。

 

「………なにやってんです?」

「……ああ、君も――ええと」

「百目鬼智也です」

「……そうか。では智也、君も一緒に来てくれ」

「ニックネーム俺だけ!?」

「目的地はどこでしょう?」

「……物理準備室だ。君たちの訓練の準備が整った」

 

 色々と悟ったのか、深くため息をしてから士道さんが尋ねる。

 

「はぁぁ……。で?訓練ってのは一体何するんですか?」

「……うむ。琴里から聞いたが、シンは男女交際の経験が皆無だそうだね」

「琴里ェ……」

「……別に責めてはいないから、そう気にするな。ただ、これから精霊を口説くとなると、身持ちが堅いままではいられなくてね」

「ああ、昨日琴里さんも言っていましたね。女の子の扱いに慣れてもらうとかなんとか」

「……そうだ。だからこれから――」

「おにーちゃぁぁぁぁぁん!」

 

 村雨さんの声を遮って、廊下の奥の方から大音量で少女の声が聞こえてくる。

 その方向を見ると、記憶に新しいツインテールが凄まじいスピードでこちらに突進してきていた。

 

「はがぁ……っ!」

 

その速度のまま、士道さんの腹部に猛烈なチャージアタックをかます。

……普通に痛そうだ。

 

「あははは、はがーだって! 市長さんだ! あはははは!」

 

 娘を攫われそうな筋肉市長を知っているとは驚きである。

 それにしてもこの少女。見た目は琴里さんにそっくり……というか本人そのものだが、言動が真反対だ。双子なのだろうか。よく見るとリボンの色が昨日見た黒ではなく、清楚な白であることが確認できた。

 

「元気な女の子ですねぇ。琴里さんの双子の妹さんですか?」

「………いや……」

 

 僕がそう言うと、その場にいた全員に大変微妙な表情をされた。訳がわからない。

頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、琴里さんの妹さんが走ってきた方からタマちゃん先生がトテトテと歩いてやってきた。

 

「琴里ちゃーん、廊下は走っちゃダメですよぅ」

「はーい、ごめんなさーい」

 

…………なぬ!?

 

「あ、五河君。妹さんが来てたので、今校内放送で呼ぼうとしたところだったんですよ」

「は、はあ」

「おー、先生、ありがとねー」

「はぁい、どういたしまして。…もうっ、可愛い妹ちゃんですね!」

「ええ……まあ」

 

 にこやかに手を振りながら、タマちゃん先生は元来た方へ戻っていく。

 

「――――――――」

 

 開いた口が塞がらないとはこのことか。

タマちゃん先生は確かに少女を“琴里ちゃん”と呼んでいた。士道さんも、少女も、それを否定しなかった。

 

「あはは、ちょーっとビックリさせちゃったかな?」

「………琴里さん……なのですか?」

「うん!そだよー。今は妹モードなのだ!」

「妹………モード……」

「……まあ、こうなるよな。普通だったら」

「別に二重人格とか、そゆんじゃないからねー。ほらっ、人には二面性があるって言うじゃん!」

「いや、そんな説明じゃ流石に……」

「そっすかー」

「軽っ!?」

「軽いだなんて、そんなことありませんよ。いやはや全く、驚天動地の如くです。まさかあれだけ女王様気質だった琴里さんが、こんなに無邪気な一面を併せ持っていらっしゃるとは。――うん、とても良いと思います。流石は司令官殿です」

「あはははー、褒めてもらえるのは嬉しいけど、妹モードの時に司令官呼びは恥ずかしいなー」

 

 どんぐりのようなコロコロと丸い瞳、鈴を転がすような声、元気という言葉が人の姿を得たかのような仕草。そして『おにーちゃん』呼び。

 全国百万人の妹萌えが、血涙を流すこと間違いなしのパーフェクト妹だ。

 

「実に可愛らしいです。士道さんが心底羨ましいですよ………ええ、本当に……」

「智也……?なんか怖いぞ……?」

「はっはっは……気のせいでは………?」

「……さて、そろそろ移動したいのだが」

 

 おっといけない。余りの嫉妬心に予定を忘れてしまっていた。

 村雨さんの言葉を皮切りに、全員思い出したように歩き出す。

 大股で先頭を行く琴里さんについて行くと、程なくして“物理準備室”のプレートが上部に見える扉に到着した。どうやらここのようだ。ガラガラと引き戸をスライドさせ、室内に足を踏み入れる。

 その部屋の中にあったのは、大量のディスプレイにコンピュータ。物理準備室と言えば普通、振り子や固定用クランチといった実験器具のほかに各種参考資料などが保管されている場所だが、ここにはその手の物が一切見当たらない。これも〈ラタトスク機関〉の差し金だろう。

 

「なんですか………ここ」

「……備品を保管する部屋?」

「おいコラ疑問符ついてんぞ」

 

 士道さんと村雨さんがまたしても漫才しだした。

 スルースキルの高い村雨さんに弄られキャラの士道さん………。実は最良のコンビなんじゃなかろうか。

 ベテラン芸人のそれを思わせる二人のやり取りを無視して、琴里さんが部屋の奥に進んでいく。僕もそれに従い、彼女の後をついて行った。

 琴里さんはメインモニターらしき部屋の中で一番大きいディスプレイの前まで行くと、持っていた中学の物であろう通学鞄を放り投げ、慣れた手つきでツインテールのリボンを付け替える。今度のリボンは僕も見たことのある黒色のものだ。

 リボンの色を変えた琴里さんの顔は、さっきまでの天真爛漫さはすっかり息を潜め、有能で蠱惑的な女王陛下の表情になっていた。リボンを変えるという動作が、彼女のスイッチを入れ替える役割を持っているのだろう。本人の言葉を借りるなら、“妹モード”から“司令官モード”へと。

 

「いつまで突っ立っているのよ、士道。案山子にでも転職する気? 止めときなさい、むしろイナゴに同類と思われて寄りつかれるでしょうから。礼音もそんな寸劇につきあってなくて良いわよ」

 

言いながらセーラー服の襟のリボンを乱暴に緩め、近くの椅子にどっかと座り込む。うん、こっちの方がなんだかしっくりくる。ちなみに僕はこの時、彼女の椅子の斜め後ろで直立不動の姿勢を作っていた。神無月さんの真似である。もしくは冬月。

 

「あ、智也、そこの鞄の中からチュッパチャプスとって。そうね……プリン味がいいわ」

「了解です」

 

 先ほど琴里さんが投げた鞄を手に取り、蓋を開ける。中には大量のチュッパチャプスがささったホルダーが入っていた。……何本携行してるんだろう。一つずつ数えてみたくなるが、その衝動を抑えて左下の端にあったプリン味を抜き取る。琴里さんに手渡そうと彼女を見ると、たばこを挟むような形に二本指を立てていた。そこに持たせれば良いのだろう。

椅子に座ったままの琴里さんに差し出しやすいよう床へ片膝をつきながら、丁寧に彼女の細指へ添えた。

 

「こちらを」

「ありがとう………良い仕事ね」

「恐悦至極に存じます」

 

 年下の少女への奉仕。これは……癖になるな。神無月さんのように、殴られることすら悦びに変わるレベルでは流石にないが、僕にも少なからずMの素質があるのかもしれない。これも、司令官モードの琴里さんから溢れ出すカリスマの成せる業だろうか。

 

「………智也、お前……」

 

 あぁっ、士道さんが塩分濃度の高い目でこちらを見ているッ。

 こっちは別に嬉しくないッ。

士道さんはその視線を僕から琴里さんに移して言う。

 

「なぁ琴里、お前の“本性”ってどっちなんだ……?」

「本性だなんて、嫌な言い方するわね。そんなことだから彼女いない歴がイコールで年齢なのよ?少しは学習したらどうかしら」

「……おい」

「統計では、二十二歳まで交際経験がない男は、その半数以上が一生童貞だそうよ」

「まだ5年以上猶予があるわ!」 

「先ばかり見て安心していると、あっという間に行き遅れますよ?」

「なんでお前までそっち側で発言してんだよ!? 智也も彼女なんていないんだろ!?」

「確かに男女交際はしたことがありませんが、別に僕は女性とのつきあい方を知らぬ訳ではありませんよ。耳年増ではありますが、知識は一応」

「へぇ……、なら言ってみて頂戴よ。智也の考える女性との上手い関係作りのこつは?」

「偉大なる先人が一人、とある顎髭ルサンチマンはこう言いました……ガス抜き役に徹すべし……と」

「誰だそいつ」

「何故かはわからないけれど、参考にしちゃいけない気がするわ」

 

 ひどい言われようである。

 なんとか偉大なるテレッテーさんの名誉を挽回しようと画策していると、いつの間にかなにやら作業をしていた村雨さんから声がかかった。

 

「……さて、準備ができたよ、琴里。君たちも漫才はその辺にしてくれ」

 

 あなたが言うか。

 

「……さ、シン、智也。この席に座りたまえ」

「……はい」

「了解です」

「じゃあ、いよいよ調きょ――ゲフンゲフン、訓練を始めるわよ」

「お前今調教って言おうとしたか」

「気のせい気のせい……礼音」

「……ああ」

 

 村雨さんは一つ首肯し、僕たちに向き直る。

 

「……さっきも言ったが、君たちには女性の扱いに慣れてもらわなければならない。……特にシン、君は直接精霊とデートするのだからね」

「はい……」

「……相手の緊張をほぐし、こちらの意思を伝え、好意を持たせる――その時、こちらが緊張していては意味がない」

「女の子との会話って……流石にそれくらいできると思うけど」

「本当かしらね」

 

と、言うが早いか琴里さん、士道さんの頭を鷲づかんで村雨さんの豊満な胸に押しつけた。

ムニュリとか、フニャンとか。そんな感じに効果音が聞こえそうな程に、士道さんの顔はどこまでも沈んでいく。

………羨ましくなどないわ。

 

「……む?」

「―――ッ!?」

 

 士道さんは慌てて琴里さんの手を払いのけ、バッと顔を上げる。

 

「な、なななななな何しやがるッ!?」

「なによ、ダメダメじゃないの。とんだチェリーボーイね」

「異議ありぃ!!」

「……まあ良いじゃないか、シン。私は気にしていないし、その為の訓練だ」

 

 マイペースを崩すことなく、村雨さんは落ち着いた様子でパソコンを立ち上げる。全く気にも留めていない。この人は羞恥心がないというのか。

 しばらくしてパソコンの画面に現れたのは、所々にハートがちりばめられた背景に、その中で笑顔を浮かべる四人の少女のバストアップイラスト。そして――“恋してマイ・リトルシドー”のロゴ。

 どっからどう見てもギャルゲじゃねえか。

 

「こ、これは……」

「……うむ、精霊とのデートに備え、恋愛シミュレーションゲームで特訓だ」

「ツッコミどころしかないッ!!」

「侮らないでもらえる? これはただのギャルゲーじゃないのよ。〈ラタトスク機関〉が総監修で作り上げた、実際にありそうなシチュエーションをリアルに再現している代物なの」

「変態に技術を与えた結果がこれだよ!」

「…………ゴクリ」

「だから何でお前は乗り気なんだ!?」

 

 一目で解る……クオリティが無駄に高いと……。

士道さんのツッコミも耳に入らない。嗚呼、早くプレイしてぇ……。

 

「……君たちにはこれから、このゲームをクリアしてもらう。精霊とのデートに向けての練習として、シンがゲームを操作し、智也がバックアップという形を取る」

「当たり前だけど、ただプレイするだけじゃダメよ。本番に近い緊張感を持ってもらうために、選択肢のミスにはペナルティを与えるわ」

「ペナルティ……?」

「ええ―――これよ」

 

 琴里さんがポケットから取り出したのは、小さく折りたたまれたルーズリーフだった。

 よく見ると、右下の角の辺りに“shidou=itsuka”の文字が。しかも筆記体。

 

「シドウ=イツカ……って、これは――」

「そんな……それはあの時捨てた筈の………!?」

「そう。三年前、中二真っ盛りだった士道が書き溜めたポエムの一つ。その名も、『墜ちゆく天使のためのプレリュード』よ」

「いぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁ!?」

「これを智也に校内放送で音読してもらうわ」

「………ファッ!?」

「きゃあぁぁぁぁぁああぁあぁあぁぁ!!」

「ああ、士道が捨てようとしたのを回収しておいたのはこれ一つじゃないわよ。ミスをする度に違うポエムを用意するわ」

「―――――――――!!!」

 

 士道さんの絶叫がとうとう声にならなくなっている。よっぽどの黒歴史らしい。

 そんな物を読まされたりしたが最後、僕の学校生活にも終了のお知らせが鳴り響くだろう。

 

 ――これは、失敗できない……。

 

「さあ、さっさと始めなさい」

 

 無情な琴里さんの言葉で、僕と士道さんの地獄が始まった。

 

 ……これ、ホントに特訓になるのか?

そう思わなくもなかったが、口にするのはやめておいた。

 

 とにかく、今は目の前のことに集中しよう……。

 

 


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