痛い。痛い。痛い。
体が?………違う。
心が?………違う。
そんな、一部分じゃ無い。
もっと広いもの。
もっと大きいもの。
僕の全て。
魂が、痛い。
痛い。痛い。体も痛い。
痛い。痛い。心も痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い――
__________
「痛いっ!?」
「……む…?」
「智也!?起きたのか!」
僕が目を覚ますと、そこはベッドの上であった。
右側から聞こえてきた声の方へ顔を向けると、そこには隣のベッドで体を起こして座っている士道さんと、なにやらとてつもなく不健康そうな女性の二人が僕を見ていた。
「………?……ここは?」
二人から視線を外し、寝起きのせいか、妙に冴えない頭のままで周囲を見る。
僕が寝ていたベッドは、簡易的なパイプ製のものだった。右隣には士道さんの居るベッドが並んで設置されており、左側は白いカーテンで仕切られている。一瞬高校の保健室かと思ったが、上の方を見てみると、むき出しの電気配線がいくつも見える。高校の保健室がこんな無骨な訳がない。なら、ここは一体どこなのだろう。
それを士道さんに尋ねようともう一度首を右に回す。息が掛かりそうなほど近く、僅か数センチの距離に、眠たげな女性の顔が。
「ファッ!?」
「……ふむ、血色は良好だな」
「いえあの、貴女は………?」
「……ん?ああ。……私は村雨令音【むらさめれいね】だ。ここの解析官をやらせてもらっているよ」
解析官……?そんな役職があるなんて、ここはどんな職場なのだろうか。気にならなくも無い。
けれど、そんなことより。
「成る程。では、村雨さんと。………ところで村雨さん。」
「……どうしたんだ?」
「僕の顔色の確認ができたなら、一旦離れて頂きたく」
「……ああ、すまない」
短く謝罪し、村雨と名乗った女性が一歩後ろに下がる。全体像が解るようになったので、改めて村雨さんを見た。
スーツとは違う、カーキ色の制服を着た女性だ。二十代の前半くらいの歳だろうか。少なくとも未成年では無いはずだ。
第一に目に付くのは、掛けている眼鏡の向こうにある黒々とした分厚い隈だ。明らかに不眠症か何かかと見て取れる。その他、乱雑に結ばれたサイドテールや、大きく突き出している母性の象徴なども特徴的だが、何よりも、胸ポケットに何故か納まっている修繕の痕だらけの熊のぬいぐるみが、彼女の個性の中で最大のインパクトを誇っていた。
「智也!」
ベッドから飛び降りるギシリという音が聞こえ、直後、村雨さんの左奥から士道さんが早足で僕のベッドに詰め寄ってきた。
“お前を案じていた”と顔に書いてあるような表情だ。きっと彼は嘘が下手なのだろう。思わず苦笑してしまうが、とにかく、僕は彼に心配をかけさせてさせてしまったらしい。ならば一言謝罪するのが筋と言うものだろう。しかし、同時に彼には聞きたいこともある。
「士道さん、お元気そうで何よりです。体は大丈夫そうですね」
「あ、ああ…俺は大丈夫だ……って、そうじゃねぇ!お前は大丈夫なのか?どっか痛かったりは……」
「そうですねぇ……今のところは体に問題はないですよ。士道さんは僕より先に目が覚めていたのですね。すみません、ご心配おかけしました」
「いや……謝らないでくれ。……俺が巻き込んだようなもんだし………」
「…………あのねぇ、僕が付いてくって言ったんですよ?それにこうして生きてますし、そんなの言うだけ野暮でしょうが」
「………そうだな」
すっかり意気消沈気味の士道さんである。意外と女々しいなこの人。
ここで士道さんに何か言っても、恐らく謝罪の無限ループになるだけだ。もっと建設的な話をしよう。そう思い、さっきから気になっていた質問を投げかける。
「時に、士道さん?」
「ん?どうした?」
「妹さんは、見つかったのですか?」
「………いや、まだ俺もさっき気絶から目が覚めたばかりで……」
士道さんの顔に急激に陰が差し始めた。余程不安なのだろう。
それもそうだ。僕たちが空間震に遭った時、妹さんのGPS反応はファミレス前から動いていなかった。レストラン前に居た妹さんが、警報に驚いて携帯電話を落としてそのまま避難した……とかだったらいいのだけど、あまり希望的観測ばかりもしていられない。
もしかしたら、最悪の展開になっている可能性も……
「……ああ、それなら大丈夫だよ」
………ん?
今まで黙って話を聞いていた村雨さんが、前触れなしに会話に入ってくる。
大丈夫……?妹さんの安否が?何故村雨さんがそれを答えられるのだろう。
「……そろそろ時間だな。……ちょうどいいから、君たちも付いてくるといい」
僕たちが村雨さんの言葉に反応する前に、彼女はベッドを囲んでいたカーテンを開け放ち、先へ行ってしまう。随分とマイペースだ。
カーテンの外側は思っていたより広く、保健室よりは病室と言った方が適していた。ベッドの数は合計六つ。そこら中に医療器具も置かれている。昔プレイした某神を喰うゲームの中に出てきた医務室を連想した。
先行していた村雨さんはフラフラとした覚束ない足取りで部屋の出口に向かっている。今にも転んでしまいそうで見ていてハラハラする。が。そんなことを考えたのもつかの間、村雨さんが何も無いところで足をもつれさせ、壁に顔面を打ち付けた。
結構いい音がした。
「! だ、大丈夫ですか!」
「……むう」
驚いた士道さんが叫ぶと、バランスを崩したままの体勢で壁に寄りかかっていた村雨さんが低い声で唸る。
「……ああ、すまんね。最近少し寝不足なんだ」
少し寝不足なだけの人間では顔面強打してノーリアクションで居られないと思う。
「ど、どれくらい寝てないんですか」
士道さんの問いに、村雨さんはしばし間を置いてから指を三本立ててみせる。
「三日。そりゃ眠いですよ」
「……三十年、かな?」
「ケタが違ぇ!」
明らかに彼女の外見年齢を超えている件について。
不眠症なんてちゃちな物どころでは無かった。どういう体してんの。
「……と。薬の時間だな、失礼」
村雨さん、懐を探して薬の瓶を取り出す。蓋を取って、口を開け、瓶を仰いで錠剤を一気飲みに―――
「っておいッ!」
士道さんが突っ込みを入れるも、時既に遅し。
バリバリガリガリと、堅めのスナック菓子をかみ砕くような音が聞こえ、そのまま尋常で無い量の錠剤が村雨さんの喉を通過する。
「……なんだね、騒々しい」
「いや何でそんな大量に飲むんすか!てか何の薬ですか!?」
ごもっともな質問である。
「……全部睡眠導入剤だが」
「それ死ぬッ!」
ほんとにどういう体してんのこの人。
「……今ひとつ効果が無いのだが、まぁ、甘くておいしいからね」
「それ実はラムネじゃねぇの!?」
ラムネだとしても胃がもたれそうだ。
それにしても。
「士道さんってツッコミ体質だったんですねぇ」
「今そこどうでもいいだろ!?」
__________
「……なんだ、こりゃあ………」
「改めてさようなら、僕の常識」
村雨さんの案内で連れてこられたのは、ブリッジであった。
ブリッジと言っても橋ではない。波動のビームを撃つ宇宙戦艦や、白い悪魔を載せたホワイトなベースなどを思わせる、所謂艦橋である。もちろんそれらはアニメの中の、言わば空想上の物であって、実際にはそんなSFチックな艦橋は例え最新鋭のイージス艦にも存在しない筈なのだが、目の前のこの空間はどう見てもブリッジとしか言い様がない。
僕たちが入ってきたドアを頂点にして、部屋全体が大きな楕円形をしている。その楕円の外周部には、怪しい光を煌煌と放ついくつものモニターが並べられていて、それぞれの正面の席にクルーらしき人物達が座っている。そして、楕円の中心にある、緩やかな階段が両サイドから続いている高い台には、いかにも艦長席といった厳格な椅子が設けてあった。
ここに来るまでの廊下も、まるで潜水艦のような頑丈な材質だと士道さんと二人で言い合っていたが、流石にこれは度肝を抜かれた。
「……連れてきたよ」
村雨さんが、フラフラしたままそう言う。
「ご苦労様です」
艦長席の隣で直立不動の姿勢でいた長身の男性がこちらに振り返り、恭しく腰を折って礼をする。
村雨さんのそれとは色違いの、白い男子制服に身を包んでいる。背中まで伸ばされたウェーブのかかった長髪にキリッとした顔立ち。紳士的な態度も相まって眉目秀麗な青年というイメージを抱いた。
「初めまして。私はここの副司令官、神無月恭平[かんなづき きょうへい]と申します。以後お見知り置きを」
「は、はあ……」
「これはこれはご丁寧に。僕は百目鬼智也と申します。どうやら気絶した僕たちを拾って頂いたようで、ありがとうございました」
「いいえ、礼には及びませんとも。それに私はあくまで副司令官。回収の指示を出したのは司令ですので、感謝の言葉でしたらそちらに」
僕らとの挨拶を言い終えた彼は、艦長席へと声を掛ける。
「司令、村雨解析官が戻りました」
すると、こちらに背を向けていた艦長席が、低くモーター駆動の音を鳴らしながらゆっくりと回転しだした。
そして。
「――歓迎するわ。ようこそ、〈ラタトスク〉へ」
現れたのは、真紅の制服の上着を肩掛けにした小柄な少女。大きな黒いリボンで髪をツインテールに結わえており、瑞々しい唇からは棒付き飴の棒部分が飛び出している。ワイシャツの胸ポケットには、かわいらしい猫の飾りが付いたピンク色のペンが刺さっていた。
廃墟の街に君臨していたドレスの少女や、殺意に溢れた機械服の少女も大概場に似合わない年齢だったが、司令と呼ばれたこの少女はそれよりさらに幼い。見た目からの憶測だが、まだ中学生くらいではなかろうか。
「…………琴里?」
彼女を見た士道さんが、信じがたい物を目にしたように言う。
………ん?琴里とな?
「……士道さん、それはもしや妹さんの名前では…?」
もしそうだとしたら……。
「あなたの妹さんは秘密結社のボスでいらっしゃるので?」
「い、いや……そんなわけねぇだろ」
「残念だけど、そっちの彼が言ってることの方が正解よ、士道。と言うか、この状況を見てまだそれに気がついてなかったなんて、船食い虫に穴を開けられた木材みたいにスカスカの頭なのかしら。一度蝋でも流し込んで型を取ってみても面白そうね」
「……え?………え?」
「まぁ、正確にはボスじゃなくて司令官なのだけれどね。組織のトップなんて面倒すぎてやってられないわ」
顔を軽く上に向けてこちらを見下す目つきのまま、随分な言葉を吐く琴里さん。かなりアバンギャルドな性格の妹さんだ。
「さてそれじゃあ、あなたたちの置かれた状況をこの私自ら説明してあげるわ」
琴里さんの発言の直後、遙か高くにある天井からつり下げるように設置されていたスクリーンが光を発し始める。映し出されたのは、少し前に見たのとほぼ同じ、廃墟の街に佇む少女と襲いかかる武装アナーキスト軍団の映像だった。
こっちを無視して勝手に話し始めたが、何にせよ解らないことだらけなので、説明してもらえるのはありがたい。素直に耳を傾けるとしよう。
「聞きたいことは山ほどあるでしょうけど、それを解説するためにはまず基本知識を得てもらわないと話にならないの。……この映像を見て頂戴。先日空間震が発生したときの物で、何人か人が立っているのが見えるでしょう?あなたたちがさっき見ていたのと似たような状況よ。で、これが精霊って呼ばれてる怪物で、こっちがAST。陸自の対精霊部隊よ。厄介な物に巻き込まれてくれたわね。私たちが回収してなかったら、あなたたちとっくに死んでたわよ?で、次に行くけど――」
「ちょ、ちょっと待った!」
せっかくの説明を、士道さんが慌てて止めてしまった。何か言いたいことでもあるのだろうか。
「何?司令官直々の説明を遮るだなんて一体何様のつもりかしら。本来なら感極まって涙してもいい場面なのよ。今なら特別に靴を舐めさせてあげてもいいのだけど?」
何様かと言われればお兄様だと思う。
後別に士道さんもいくら妹が可愛くても靴は舐めないだろう。
「靴を……舐め…!?ほ……ッ、本当ですか!?」
琴里さんの言葉に最も敏感に反応したのは神無月さんだった。喜び勇む彼に琴里さんは「あんたじゃない」と冷徹に返し、肘鉄を打ち込む。
「ぎゃぉふッ……!」
鳩尾にクリーンヒットしたのだが、喜色満面の表情をする神無月さん。どうやらアッチ側の人のようだ。
……女王気質の中学生が司令官で、ドマゾの残念イケメンが副司令。………大丈夫かこの艦。
「……こ、琴里……だよな?無事だったのか?」
「あら、妹の顔を忘れたの?士道。物覚えが悪いのは知っていたけど、まさか健忘症レベルとはね。それとも早めのボケかしら。老人ホームの予約を取っておきましょうか?」
「………………なんかもう、意味がわからなすぎて頭の中がワニワニパニックだ……」
なにその船食い虫など比較にならない愉快な脳内。
余程混乱しているのか、面白おかしい言い回しをしながら後頭部をかいている士道お兄様。
そのまま困ったように声を発した。
「ええと、お前、何してんだ?ていうかここ、どこだ?お前ファミレスのところに居たんじゃなかったのかよ。俺たちはお前を迎えに行くために外に出てたのに――」
「あーハイハイ、落ち着きなさい。まずはこっちから理解してもらわないと、説明のしようがないのよ」
“こっち”という言葉に合わせて琴里さんがスクリーンを指さす。
「けどまあ、あんまり説明の最中にネズミみたいに五月蠅く喚かれても邪魔になるわね。しかたないわ、不本意だけど先にそっちから種明かししましょうか。――一回フィルター切って」
琴里さんの言葉で、薄暗かったブリッジが真昼の明るさを得た。とはいえ、部屋の照明が付いた訳ではなく――ブリッジの周辺に青空が広がったからだった。
「……っ。こりゃぁ………」
「……へー。すごいですね、これ」
「どう?綺麗でしょう?外の景色がそのまま見えているのよ、これ」
「外の景色って、じゃあここは……」
「ええ、その通りよ。ここは天宮市の上空一万五千メートル。――じゃあ、改めて言っときましょうか。ようこそ“空中艦”〈フラクシナス〉へ。……ふふっ、驚いたかしら?」
「ああ、流石に信じられねぇや……」
「僕もびっくりですねぇ。これはいよいよもって常識を捨てなくては」
「そうでしょうそうでしょう……。でも士道、さっきファミレスがどうとか言ってた?」
「だってそりゃお前、これ……」
「……ああ、それで警報中に外をほっつき歩いてたのね。この艦は今ちょうど待ち合わせのファミレスの真上に居るのよ」
士道さんがポケットから携帯電話を取り出し、琴里さんの携帯の位置情報を見せる。それに琴里さんは納得したようで何度か頷き、次いで大きくため息をついた。
「……全く。私がそこまでこのアホ兄に馬鹿だと思われていたなんて、心外だわ。――しっかし、まさかGPSを使われるなんて、流石に盲点だったわね。後で不可視化[インビジブル]と自動回避[アヴォイド]だけじゃなくて、隠蔽[コンシルメント]もかけとかないと」
琴里さんが顎に手を当てて何か言っている。対策を練っているのだろうか。それはいいのだけど、僕は早く解説の続きをしてもらいたい。
「あのー、すいませんが、そろそろ状況説明の再開をですね……」
「あ、そうだったわね。あんまり士道がやかましいから、つい脱線しすぎちゃったわ」
「む……悪かったな……。だけど、空中艦……余計にこんがらがってきた……。確か……精霊……とか言ったか?」
「そ。彼女は本来この世界には存在しない物であり、この世界に出現するだけで、己の意思とは関係なく破壊をバラ撒く天災的怪物。どこからともなく街に現れては、辺り一帯を吹き飛ばしちゃう世界を殺す災厄なの」
琴里さんが両手を勢いよく広げる。爆発の衝撃を表現しているようだ。
………世界に出現。……天災。………爆発。………まさか、そういうことか。
ここまでお膳立てされればいくら何でも察しが付く。
「……悪い、ちょっと壮大すぎてよくわかんね」
「……空間震とは、精霊がこの世界にやってくる時に、その転移の余波で起こる一種の衝撃波……つまりはそういうことですよ、士道さん。………で、正解ですよね?」
僕の確認に、琴里さんは愉快そうに笑みを浮かべる。
クレーターの中心で、破壊され尽くした街を眺めていたあの名無しの少女。彼女が“ただ”この世界にやってくるだけなら、どうやら陸上自衛隊の所属らしいアナーキスト軍団もあそこまで殺意むき出しに攻撃したりはしないはずだ。
確かに名無しの少女は恐ろしい力を持っていたが、会話が成立しない獣ではなかった。多くの人間が集まる自衛隊のような組織なら、中には会話による懐柔を望む穏健派もいて当然なのである。
なのに、アナーキスト軍団は大手を振るって兵器を乱射していた。まるで、穏健派など最初からおらず、組織は満場一致で彼女を殺そうとしていると言わんばかりに。それはつまり、会話だなんて悠長なことを言っていられない被害が、精霊の――名無しの少女の影響で出ているという証左だ。
空間の地震。空間震。
神の裁きとまで噂された正体不明の大災害は、その実、異世界からの来訪者の気まぐれで起こされるものだったのだ。
「――な」
「ま……規模はまちまちだけどね。小さければ半径数メートル。大きければ――それこそ、大陸に大穴が開くわね」
大陸に開いた大穴。三十年前の最初に起きた空間震、ユーラシア大空災のことだろう。
死傷者はおよそ一億五千万人。生存が絶望的な行方不明者も入れれば、文字通り数え切れない被害を生んだ、人類史最大級の災害。
「運が良かったわね。もし今回の空間震の規模がもっと大きかったら、二人とも消し飛んでいたかもしれないわよ」
その言葉に、忘れていた恐怖が蘇る。空間震の直前と名無しの少女の攻撃……計二回にわたって感じた、言葉では言い尽くせぬ悪寒。
震えそうになるのを理性で抑え、話を続ける琴里さんを見る。
「それと、次の説明はこっちね。AST。既に一度言ったけど、陸自が所有する対精霊専門部隊よ」
琴里さんはスクリーンの中の人影の内、人工的な兵器で武装した集団を示した。
今度の説明はあのアナーキスト軍団についてのようだ。
「……精霊専門の部隊って――具体的には何してるんだよ」
「簡単よ。士道も見たでしょう?あいつらが精霊に向かって必死に攻撃してるトコ」
「撃退、ないしは殺害……ってことでしょうか」
「…………ッ!殺すってのか……!?」
「ええ」
何でもないことのように肯定する琴里さん。だが、士道さんの表情はとても苦しそうだった。
精霊と呼ばれる、名無しの少女が言っていたことを思い出す。
お前たちも、私を殺しに来たんだろう?と、そう決めつけていた。事実、アナーキスト軍団は殺意と敵意を以て精霊と相対していた。精霊に殺意を向けなかったのは、僕らのような事情を知らぬ一般人のみ。その一般人の多くも、精霊が空間震の元凶と解れば彼女を世界から淘汰しようとすることだろう。
それが、人として正常な反応だ。死の危険性を排除しようと考えるのは、生きとし生けるものの当たり前の感情だ。
――だと言うのに、士道さんは納得できないようだ。
「まあ、普通に考えれば死んでくれるのが一番でしょうね」
なんの感慨もない、冷めた声音。
「な、なん……っ、でだよ」
「なんで、っですって?」
士道さんが苦悩の中でひり出した言葉を、琴里さんは興味深そうに反芻した。
「何もおかしいことはないんじゃない?精霊なんて呼ばれちゃいるけど、とどのつまりは怪物。世界を蝕む最悪の毒素なのよ」
「だって、空間震は本人の意思とは無関係だって、お前言ってたじゃないか。――だったら」
「随意か不随意かなんて大した問題じゃないのよ。重要なのは、空間震の原因が精霊にあるっていうことだけ。……士道達がみたあの空間震だってまだ小規模な方よ。いつまたユーラシアクラスのものが起きるか解らないんだから。士道の言い分もわからなくはないけれど、精霊の危険度は世界レベルなんだから、可哀想だなんて思っていられないの」
「ッ……。それでも、他に方法はないのかって話だよ…」
自分のことを殺そうとしてきた相手を、士道さんは庇い続けている。そんな彼を見て、琴里さんはほんの少し口角を上げていた。表情を隠そうとするも、湧き出てくる笑いが耐えられない……そんな顔だ。
さっき彼女はこう言った。“普通なら”死んでもらうのが一番、と。ASTへの皮肉のように。
「……士道さん、何故そこまで精霊の肩を持つんです?」
「なっ……!?お前ッ!」
「どうどう。……ただ質問しているだけです、別に殺すことが正しいだなんて思っちゃいませんよ。僕から見ても琴里さんの言葉は正論です。納得せざるを得ない。なのに士道さんが随分と食い下がる物ですから、ちょっとばかり理由が気になりまして。……ひょっとして、惚れでもしました?」
「っ、違えよ……。ただ、見ちまったんだ。お前だって見てた筈だ。あの子が――泣きそうな顔をしてんのを。……好き好んで世界をぶっ壊す奴は、絶対にあんな顔、しねぇんだよ……」
「泣きそうな顔……ですか。確かに僕も見ましたよ、ええ。…………ところで士道さん、〈フラクシナス〉って結局、何を目的とする場所なんですかね。」
「え………」
「この艦、すごい立派ですよね。琴里さんの言葉からして、どうやら透明になったりもできるみたいですし」
「……まあ、そうだな」
「精霊は殺してしまうのがベスト……だなんて言うなら、この艦を戦場に投入すればいいと思いません?でも僕たちはさっきの街中ではAST以外の武装勢力は見ていません。」
「あら、ASTが私たちの同僚って可能性はないかしら?この〈フラクシナス〉も、自衛隊お抱えの艦かもしれないじゃない」
「確かにその線もありえますね。……ですが琴里さん。あなた先ほどから一般論しか言ってませんよねぇ?あたかも、“自分たちの考えとはちがうけれど”という前置きを述べてあるかのように」
そうでなければ、あんなシニカルな言い方はしない。それに、琴里さんは士道さんの思考を誘導しているようにも見えた。精霊は殺すべき、精霊は人類の敵、との主張を淡々と続けることで、士道さんがその考えに反感を持つように。もし本当に思考誘導をしていたなら、話の流れの大部分を占めていた理論は、最後に否定される。その方が聞き手に衝撃を与えられるからだ。
「……!そうなのか!?琴里!」
「………ほんと鋭いわね。気に入ったわ、あなた」
「……褒め言葉と受け取っておきますよ」
「それで、どうなんだよ!答えてくれっ琴里!」
「ああーもう、ちょっとは落ち着きなさい!真夏のアブラゼミの方がまだ静かよ!?」
「士道さん、ステイ」
「犬か俺はッ!?」
「………で、実際どうなんですか?これで僕の早とちりだったりしたら、かなり恥ずかしいんですけど」
「大丈夫よ、概ね事実だから。そっちの想像通りこの〈フラクシナス〉、ひいては〈フラクシナス〉が所属する母体である〈ラタトスク機関〉は、精霊を会話の力で無力化するために作られたの」
琴里さんは半ば諦めた様子で頷きながら答えてくれた。そして、続けて思わぬ言葉を言い放つ。
「殺すのは嫌なんでしょう?話し合いで解決したいのでしょう?だったら士道――精霊と、デートしなさい。サポートはしてあげるから」
……………………………………そう来ますか。
「あぁー、まあ、うん。一理はありますよね」
「………は、はぁッ!?」
「解らない?精霊に恋をさせて、世界を壊すのを止めてもらうのよ」
「い、いやいや。何でそうなるっ!?」
「だーかーらー、精霊に破壊を止めてもらおうとするなら、説得が必要不可欠でしょ?」
「ふむ、そうですね」
「ああ、そうだな」
「それにはまず、精霊に世界の美しさを理解させるの。世界がこんなにすばらしいんだって思ってれば、精霊だって壊したくなくなるでしょ」
「確かにそうですね」
「納得だ」
「で、よく言うじゃないの、恋をすると世界が美しく見えるって」
「いや、そのりくつはおかしい」
「成る程ッ!!」
「おいっ!?」
士道さんからツッコミを入れられる。何がおかしいというのだ。けど、この人のツッコミは基本スルーでいいだろう。ツッコミ体質であると同時に、弄られキャラでもあるようだし。
「さて、それはそれとしてですね……」
「待てやコラ」
「何かしら?あなたたちの疑問は粗方片付いたと思うけど」
「なぜに士道さんがデートするのでしょう。これだけ大きな組織なら、士道さんよりも適した人材がいると思うのですが」
「言われてみればそうだな……。なんでこんだけでっかい組織が、俺なんかのサポートするって話になるんだよ」
問題はそこである。中学生らしき琴里さんがこんなとこで司令やってるからには、その兄である士道さんにもなにか才能とか能力とかがあるのだろうか。
「んー。まあ、士道は特別なのよ」
あ、さてはこいつ答える気ねぇな。
「そんな説明があるかッ!!」
「っていうより、前提条件が逆なのよね。私たちの組織の目的のために士道がデートするんじゃなくて、士道が精霊とデートできるようにするために〈ラタトスク機関〉があるんだし。士道がいなくちゃこの〈フラクシナス〉もなかったわね」
「――はぁぁっ!?」
「そいつはすごい話ですね……。なんでまた」
「士道が特別だから」
「アッ、ハイ」
………これはもう、疑いようがないな。
「おいィィィィ!?」
「いいから、文句言わない!機関の成り立ちがどうであれ、士道が自分で話し合いで解決したいって言ったんだから、きっちりその責任はとりなさい!なにも、〈ラタトスク機関〉の考え方に全面的に賛同しろなんて言いやしないわ。でも……士道には他に方法なんてないんじゃないの?」
「ぐむむ……」
「納得できなくても理解できたなら回答はYESと見なすわ。ここ最近の周期からして、次に精霊が来るのはだいたい一週間後よ。時間がないの」
「……ッ。わかったよ……」
拝啓、天国の母上へ。
「――よろしい。なら、明日から早速訓練開始よ!!」
僕はずっと、物語の主人公に憧れておりましたが、
「は……?くんれん……?」
僕の巻き込まれた物語は、どうやら、
「ええそうよ。訓練をするわ。女の子の扱いに慣れてもらわなくちゃ」
ボーイミーツガールだったようです。