突然のスカウトから一週間ほど経った、休日の昼下がり。
ここ養成所のレッスンルームで、私と卯月、そしてプロデューサーの三人が顔を合わせていた。
「「おはようございます! 」」
「おはようございます」
まずはお互いに挨拶を交わす。
三日もすれば彼の強面もすっかり見慣れたもので、注意して見れば思いのほか表に出ている表情の変化は、見ていて飽きないものだったりする。
「今日は、何をしましょうか? 」
「卯月、今日も同じだと思うよ? 」
「いえ、まどかちゃん! 今日はプロデューサーさんから何かを感じるんです! 」
「そう? 」
「はい! 」
挨拶の後に卯月が切り出したのは、ここ最近繰り返されているやりとりだ。
何をするのかと言っても、プロジェクト参加者があと二人決まっていないため、答えはわかりきっている。だがしかし、ちょっとした期待を込めて。
ぐっと腕を寄せ、キラキラした目でプロデューサーを見つめる卯月。
対するプロデューサーは、
「レッスンをお願いします」
と一言。
それを聞いた卯月は、へにゃりと分かりやすく萎れ、即座に持ち直す。ちなみに、ここまでが一連の流れだ。
「そ、そうですよね。レッスン、頑張ります! 」
「わかりました。さ、卯月。今日も頑張るよ! 」
「うん、頑張ろー! 」
卯月の屈託のない笑顔を尻目に、軽く伸びをして深呼吸。
さ、今日も今日とてレッスンだ。
「ああ、いえ。お二人とも」
……しかし、今日は続きがあった。
呼び止めるプロデューサーの声に振り返ると、彼は小さく咳払いをする。
「今日は、レッスンを見学させて頂きます」
……なるほど確かに、何かあった。
当たる方が珍しい卯月の勘は、今日は珍しく当たっているようだった。
◆
1,2,3,4,5,6,7,8。ラジカセから流れるメロディに乗せて、手拍子が淡々と繰り返される。
レッスンに没頭していれば自然と日も暮れて、いつの間にやら最後の一つ。
このレッスンは今日の内容の確認も兼ねた一曲の通し練習で、ここまでに指摘された様々なミスを洗い出し、同じミスを犯さないよう頭に叩き込むことを目的としている。
集中し、今日のレッスンを思い出す。手は大きく水平に、次は軽やかにステップ、もちろん笑顔も忘れずに。一つ終われば、なめらかに次へ。体重移動や手の角度、視線に至るまで細心の注意を向けて。サビの盛り上がりに合わせ激しくなるダンスも、ミスなく踊りこなしていく。
「はい、ここで大きく左に! そのまま回転、左手上げてビシっと止まる! 」
トレーナーさんの声に合わせて、一連の動作を淀み無く決めて、最後に決めのポーズ。数秒して曲が停止すると、トレーナーさんは手を叩いてポーズを解くよう合図を出し、曲を最初からリピートし始めたラジカセを止めた。
「はい、お疲れ様! 二人ともよく出来ていたと思うわ。今日はこれで終わりだけど、この調子で明日も頑張りましょう」
「「ありがとうございました! 」」
「そして……どうでした、彼女たちは? 」
誇らしげなトレーナーさんの視線の先には、プロデューサーが鉄パイプの椅子にこぢんまりと座っていた。
さて、今の私たちはプロデューサーにどう見えたのか。私と卯月を交互に見やるプロデューサーの、射抜くような視線に鼓動が早まった。
それから少し間を置いて、彼は小さく頷いた。
「……率直に言うと、感心しました。この調子でレッスンを続けてください」
プロデューサーの言葉に、胸の鼓動が更に早まる。しかし、それは緊張からじゃなくて。
隣の卯月をちらりと見ると、偶然にも見合う形になった彼女の、緩んだ顔が目に映った。きっと私も、同じくちょっと見せられないような顔になっているのだろう。そう思うと何だかおかしくて、二人して笑い合う。
しばらく笑いあっていると、プロデューサーが私たちの様子に当惑して目を伏せ、そのそばではトレーナーさんが微笑ましいものを見る目で見ていることに気が付き、顔が少し熱くなる。
……気を取り直して、プロデューサーに声をかけた。
「プロデューサーさん。次はもっと上手に踊れるように、頑張りますね」
私はペコリと一礼し、
「わ、私も頑張ります!! 」
卯月は胸の前で小さくガッツポーズを取る。
「……はい。お願いします」
プロデューサーは相変わらずだが、その言葉には少しだけ、見守るような優しさが含まれているように感じた。
◆
レッスンが終わり、帰り道。最寄りの無人駅にて、帰路に着くために電車を待つ。今日はいつもより風が強く、野ざらしの券売機をガタガタと軋ませていた。
まばらな出入りのこの駅をこの時間に利用するのは、大抵の場合、私だけだ。
だが、今日は少しだけ客の入りが良いようだった。
――主に、腕を掴まれたプロデューサーとか、腕を掴んでいる側にあたる警官とか。
ただ、二人とも電車で帰るから、一緒にここまで来ただけなんだけどなぁ。
「……と言うわけで、この人は私のプロデューサーで、怪しい人では無いんです」
私の弁明に頷いた警官は、掴んでいたプロデューサーの腕を離す。
「気をつけてくださいよ。ここらで不審者が出てるって話ですから」
「……お騒がせしました」
巡回へと戻るのだろう壮年の警官に、プロデューサーは頭を下げた。
もう少し怒ってもいいと思うけど、当の本人は慣れたモノのようだった。
職務を終えた警官が去った後、二人だけとなった駅で数分後の停車を静かに待つ。
隣に立ち、お互い静かに待つだけ。待つだけ……。
しかし、先程の件のせいか、私は少しだけ落ち着かないでいた。
「……プロデューサーさん」
「はい」
不意に口をついて出た言葉に、彼が返事をする。
「……何か、ありましたか? 」
隣を小さく見上げると、切れ長の鋭い目がこちらの様子を窺っていた。
こちらを威圧しているようにも取れるこの眼光は、なるほど確かに勘違いを受けやすいかもしれない。
これまでに接してみてわかったことだけど、これはその実、彼の大きな体との身長差から来るただの見下ろしであり、彼の目をよく見れば相手を害する気など毛頭なく、先程の言葉通りに疑問の意しか含まれていないことが分かるのだが。
……とは言え、さっきの言葉は本当に口をついて出ただけなので、何があるわけでもなく。
「えっと、呼んでみただけです、なんて」
「はぁ……」
更に口をついて出た言葉は彼の生返事と怪訝な表情を引き出し、私の顔がカッと熱くなると言う結果に終わった。
耐えきれず目を逸らし、その先にあった踏切に何となく目をやる。
踏切はまだ降りておらず、それは即ち、この時間がもう少し続くのだと言うことを暗に示していた。
プロデューサーと私の間に、再び沈黙が流れる。
折角の機会だけど、何を話して良いかわからない。そのジレンマがもどかしい。
エスカレータ式の我が母校は、知らず知らずの内に、新たな出会いへの経験不足という課題を私に課していたようだった。
「鬼瀬さん」
「はい!? 」
突然の呼びかけに声が上擦るが、すぐに持ち直す。
隣を見上げれば、彼と再び目が合った。
「何か、聞いておきたい事などはありませんか」
「聞いておきたいこと、ですか」
「出来る限り、答えます」
彼はそう言うと、小さく頷く。
聞いておきたいこと、かぁ。
「そうですね……」
言われてみれば、ぽんぽんと思いつく。プロジェクトの具体的な方針、同期となるメンバーはどんな人達か。あとは、プロデューサー自身にも謎が多かったり、他にも……。
とにかく、聞きたいことは意外と多かった。
どれが良いかと少し迷ったものの、中でも特に気になっていた疑問を、彼にぶつける事にした。
「プロデューサーさんにとっての『笑顔』って、何ですか? 」
「……笑顔、ですか」
投げかけた質問に、彼は一瞬だけはっとした表情を浮かべ、首元に手をやる。
……もしかして、何かマズかったかな。
「他には、プロデューサーさんの好きな食べものとか……」
「いえ、質問を変える必要はありません。……少し、驚いただけですので」
あう、気遣いが裏目に。
質問、そんなに驚く内容ではないと思うけどなぁ……?
しかし、時間を下さいとばかりに考え込むプロデューサーを尻目に、日も落ちてきた空を、ぼんやりと眺める。
……私と卯月、二人の採用理由にもなっていた『笑顔』。二人とも同じ理由での採用だ。
と言うことは、憶測の域を出ないけど、笑顔とはこのプロジェクト全体の採用基準である、とも考えられるのだ。
ならば、その言葉の中にこそ、彼のプロデューサーとしての譲れない何かが内包されているはず。
私はそれが、どうしても気になっていた。
考え事をしているうちに、警報機がカンカンと小気味よく鳴り、車を通さないように踏切が降ろされる。間もなくここに停車するようだ。
「プロデューサーさん」
「……はい」
プロデューサーは、申し訳なさそうにこちらを見る。
「先ほどの質問ですが……。答えは、まだ上手く伝えることが出来ません」
表情こそ鉄のように動かないが、私には彼が、言いつけを守れず今にも泣きそうな少年のように見えた。
私はそんな彼を見て、一つ腑に落ちた物があった。……なぜ、聞きたいことを聞かれた時、一番に『笑顔』の意味が気になったのか。
簡単なことだったなと手を叩いて納得した私は、急に上の空となったせいで対応に困り、こちらの様子を窺うプロデューサーに気付いて、気の利かない自分に苦笑しながら彼に声をかけた。
「そんな顔しなくても、大丈夫ですよ」
初めてプロデューサーとゆっくり話せて、気付いたこと。
それがしっかりと伝わるように、彼の目を見て言葉を紡ぐ。
「私たちのプロデューサーは、私たちのことを、誰よりも真剣に考えてくれているってことが分かりましたから。それだけで、私には充分なんです」
――私は、あなたに何かを聞きたいのではなく、私のこの気持ちを伝えたかったのだと。
まず一つ。あなたは、輝けない路傍の石だった私を拾い上げてくれた、初めてのファンであると。
もう一つ。アイドルとしてファンのために頑張れる、と言うこと。
アイドルとして当たり前の、しかし誰もができる訳じゃないそれを。
これからは私もして良いんだという事が、私にとってどれだけ嬉しいことだったのか。
そして、そんなあなたが何を思って私を選んでくれたのか。それを深く知ってみたいと思ったのだと。
彼にこれを伝えるべく、それら全てを表す言葉を考えたが、どうにも上手くまとまらない。
お互い、口下手なところは良く似ているようだった。
――なので、それは今後の課題ということで。
「改めてよろしくお願いします。プロデューサーさん」
目を見合わせ、小さく微笑む。
彼は少し逡巡した後、不器用に小さく口角を上げ、笑ってみせた。
「……こちらこそ、お願い致します。鬼瀬さん」
この先にあるのがどんな世界なのか、まだ何も分からないけど。
今この瞬間に、プロデューサーとアイドルとしての最初の一歩を、私たちは同じ目線で踏み出せたのだと、自然にそう思えたのだった。
「これからは、窓花って呼んでくださいね! 」
「……善処します」
「……あれ? 」
プロデューサーは困ったように俯き、首に手をやる。
流石に、もう一歩は勇み足のようだった。
「そんな顔しなくても――」辺りで実は到着していた電車の運転手さんは、ニヤニヤしながら二人が乗るのを待っていたそうな。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
全体イメージは親愛度MAX。まどかはPラブ勢です。
今回はメモリアルコミュと言ったコンセプトで、「No Make」に近い雰囲気でお送りさせて頂きました。
モバゲーにて絶賛配信中の公式サイドストーリー「アイドルマスター シンデレラガールズ:No Make」。1話では、アニメでは語られなかったしまむーの思いが描写されているので、まだ見たことが無いと言う方はぜひ合わせてどうぞ。