Lesson1:15個目の魔法の靴
――朝から話を始めよう。すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。
――池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」より
◆
じりりりり。じりりりり。かちゃん。
己の本分を果たすべく、これでもかと鳴り響く目覚まし時計を手で制し、鳴り止ませる。
「むぅ……」
甘い眠気を振り切るように軽く目を擦り、未だ手の中にある目覚まし時計で、起床時間を確認する。現在は5時30分。うむ、いつも通りに起きる事ができたようだ。
「今日は入学式だったよね……」
深呼吸をして意識を澄み渡らせ、スッキリとした気持ちでベッドから出る。春の陽気からくる眠気は人によっては抗えるものではないと言うが、昔から早寝早起きは特技の一つで、この程度の誘惑を跳ね除けることは私にとって造作もなかった。
クローゼットから新品の学生服を取り出し、てきぱきと着替えていく。
……それにしても、私も今日から高校生かぁ。そう思うとなんだか感慨深い。
私、
某大手企業のサラリーマンの父に専業主婦の母を持ち、鬼瀬家の一人娘として人並み以上の愛情を受けて育ってきた。
――幼いころ、私は母に何度もせがみ、時間をみつけては見ていたものがあった。
それは、三年ほどの活動期間の中で、数々の記録を打ち立てた伝説的なアイドル、『日高舞』のライブを収めたビデオテープ。2時間ほどのビデオは子供が見るには長いものだったが、私はこれをただ齧りつくように見ていたのを覚えている。
会場を包む熱気、ファンの歓声、綺羅星の如く輝くステージ。そこに一人立っていた少女は、その笑顔とパフォーマンスで人々をたちまち熱狂の渦へと導いていた。
そんな、まぶしさすら感じる『アイドル』という存在に、幼い自分は強い憧れを抱いたのだった。
「アイドルになりたい」
ビデオを見終わった私は、隣で一緒に見ていた母に自然とそう言った。母は、慈しむように目を細め、柔らかに微笑んだ。
「私も、アイドルになるのが夢だったのよ。親子揃って同じ夢なんて、なんだか嬉しいわ」
母はそう言って、私の頭を撫でる。娘の言葉を優しく受け入れてくれた母に感謝しつつ、私はもう一つ、母に質問をしてみた。
「私、アイドルになれる? 」
その問いに母は少し考えた後、私の手を上から軽く握り、しっかりと私の目を見据えた。
「ええ、努力すれば、必ずね。あなたの夢を叶えるのは、私の夢でもあるの。ずっと応援しているわ、まどか。」
今思えば、母のこの言葉が、私の夢を決定づけたのだろう。
……この時から、いつかアイドルになることが、私の目標になった。
アイドルになると言う夢を追って養成所に入り、そこで出来た友人たちと切磋琢磨し合いながら、今日に至るまで邁進してきた。
アイドルへの道は険しく、時が経つにつれて、この世界から離れていく人の方が多くなった。高校生になろうとする現在、私の通っている養成所でレッスンを受けているのは、いまや私と親友の二人だけとなってしまった。
その事実に一抹の寂しさを感じるものの、それでも自分の夢は今も変わらず、ひたすらレッスンを重ねていた。
そんなことを考えているうちに、新しい制服に着替え終わった。脱いだ寝間着を片手にまとめて、部屋から持ち出す。とんとんとん、と軽快に階段を降りると、ほどなくして1階に着いた。
「おはよう、まどか」
キッチンから食器を洗う音とともに母の声が聞こえる。5時半に起きた娘より早いとは、母娘そろって早起きなものだ。
「おはよう、お母さん」
きっちりと挨拶を返し、洗面所へ向かう。朝食ができる前に、朝の支度を済ませておこう。
「制服、似合ってるわよ。後で写真を撮ってお父さんに送りたいから、よろしくね」
父は単身赴任で、ほとんど家にいない。そのため、母は日々成長する私の写真を父にメールで送っているのだ。
了解、と返事をして洗面所へ。
洗濯機に寝間着を放り込み、洗顔を素早く終える。そして、父譲りのくせっ毛を纏めるために鏡の前で格闘すること10分間。煙のように、もくもくと天へ上らんとしていた毛髪の群れは、金色に輝くウェーブのかかったロングヘアに変貌した。我ながら、完璧な仕事だ。
ついでに、鏡の前で父に送る写真用のポーズを模索する。かわいらしいポーズは、撮られる仕事であるアイドルには欠かせない要素だ。
「朝ごはん、出来たわよー」
「はーい」
ポーズの模索を中止して、食卓へ。今日の朝食はいちごジャムを着けたトーストにミルクティーだ。すぐに席へつき、待っていてくれた母と手を合わせる。
「「いただきます」」
まずはトーストに口をつける。うん、おいしい。いちごジャムの甘さが、トーストの香ばしさを高めている。
続いてミルクティー。とても優しい、飲み慣れた味だ。
そのままペロリと食べきると、母もちょうど食べ終えたようだ。もう一度手を合わせて、
「「ごちそうさま」」
と締めの挨拶。しっかりしたあいさつはアイドルへの第一歩だ。食器を片付けて、キッチンでざっと汚れを落とすように洗う。仕上げに食洗機にセットすれば、これでいつも通りの朝の支度は終了だ。現在は6時を過ぎたばかりで、まだまだ時間には余裕があった。
……久しぶりに、アレを見ようかな。
ふと思い立って自室に戻ると、慣れた手つきでテレビとDVDプレーヤーの電源をつけ、そのまま中に入れてあるDVDを再生。プレーヤーの中身は、私がアイドルを志したきっかけでもある日高舞のライブビデオ、それを高画質化して再販されたものだ。
「やっぱり、すごいなぁ……」
会場の中心で歌って踊る彼女は、天才だ。
……アイドル界での天才とは、天性の才能を、見つけることができた人のことを言う。
アイドルの卵としてレッスンを重ねている今だからこそ、憧れの中にある彼女との決定的な違いを痛感する。アイドルになるには、闇雲に努力するだけではダメで。
努力した上で、もう一つ。人を引きつける魅力、自身のみにある『強み』、いわゆる個性を探り当てることが必要不可欠なのだ。
例えば会場の上で舞う彼女の個性は、誰であろうと目を向けずにはいられないほどのカリスマ性。彼女の前ではどんな人も、ファンであろうが無かろうが、たちまち熱狂の渦に巻き込まれてしまうのだ。
そんな、アイドルをアイドルたらしめる最後の1ピース。
……なら、私の強みってなんだろう。それを見つけなければ、私はいつまでもアイドルではなく、この綺麗な世界に憧れを抱いただけの、あの時の私のままな気がして。いつも不安になってしまうのだ。
わからないまま終わるなんて、私にはできない。
けれどもその答えは見つからないまま、今は地力をつけるため、ただ闇雲に努力するしかなかった。
――ぱしゃり。
そんな思索にふけりつつライブに見入っていると、ドアの方から音がした。ハッとして目を向けると、小さなデジタルカメラを持ってこちらを微笑ましげに見る母の姿があった。
「はい、チーズ」という掛け声とともに、もう一度カメラが構えられる。
一枚目こそ不意打ちであったが、アイドル候補生の端くれとして、掛け声をくれた二枚目まで痴態を撮られるわけにいかない。しっかりと笑顔でカメラに視線を送った。
――ぱしゃり。
母は撮れた写真を見やると、満足そうに頷いた。相変わらず、小さないたずらが好きな人だ。
「可愛く撮れてるわよ、まどか。もうそろそろ良い時間だから、電車に遅れないようにね」
「え? 」
驚いて時計を確認する。……時刻は7時40分。遅刻はしないが、急ぐべき時間帯だった。
◆
学校へと乗り継ぐ駅のホームで次の列車を待ち構えていると、ポケットに入れていたスマートフォンのバイブレーションが作動する。取り出して確認すると、新着のメッセージが一件入っていた。
「……卯月からだ」
島村卯月。花の咲くような笑顔がチャーミングな、私の親友だ。
私より一歳年上で、養成所では一年後輩に当たる彼女とは、それらの年月を足し引きすることで、自分たちは同期であるという事にしていたりする。
『おはようございます、まどかちゃん』と言うメッセージが、笑顔の太陽が描かれた可愛らしいスタンプを添えて送られている。
『おはよう、卯月』と一言返すと、すぐに返信があった。
『今日、入学式だよね? 』
『そうだね』
質問に答えると、少しだけ間を置いて新着メッセージが届く。
『高校生ってやることがいっぱいで大変だけど、頑張ってね! 』
エイエイオー、と腕を掲げて動く日野茜ちゃんのスタンプを添えて、そう送られてきた。少し時間を掛けた割には簡素なメッセージだけど、学生生活に不安を持っている後輩を応援したいという素直な気持ちに溢れており、自然と笑顔になる。かわいい人だ。
電車がホームに入ってくる頃なので、そろそろ携帯をしまわなければ。
……最後に一つ良いことを思いついたので、卯月にメッセージを送る。
『ありがとう、卯月先輩』
『ええっ!? せ、先輩!? そうだよね、私ももう先輩かぁ』
『島村卯月、先輩として頑張ります! 』
お決まりの口癖とともにグッとガッツポーズを取る彼女を幻視して、小さく笑みが漏れる。卯月、先輩として、だけじゃ何を頑張るのかわからないよ。……本当に、かわいい人だ。
ホームに着いた電車から人があふれる。携帯をポケットに入れ直し、降りてくる乗客と入れ替わるようにして、学校へと向かった。
◆
入学式と行っても、形式だけのものだ。それというのも、私の通っている学校は中高一貫教育、いわゆるエスカレータ式なので、新たな始まりという感覚は無い。
目新しいものも特に無く、話題としてはやれどこどこの担任の先生が格好いいだとか、春休みの間に何をしていたか、なんてことくらいだ。
……もちろん私もそんな人々の例に漏れず、友達からこう言った無駄話を聞く時間がなんとなく好きだったりする。
◆
そんなこんなで時間は流れ、放課後。今はお昼、午後への境目くらい。天気は快晴、春らしい爽やかな風が吹いている。
さて、今日も楽しいレッスンの時間だ。正直、これだけが楽しみで学校に行っていると言っても過言ではない。
課題が多くてまだ先の見えない夢だけど、その目標に向かって努力する事は好きだ。養成所は、アイドル候補生たちのそんな願いを叶えてくれる場所だった。
意気揚々と学校を出て少々徒歩で向かうと、すぐさま到着。このアクセスの良さを目当てに今の学校へと入った面もある。
「おはようございます」
受付のお姉さんに挨拶をしつつ戸を開けた。そして、いつものように靴を脱いで下駄箱にしまうが、違和感が二つ。……卯月の靴、そして見慣れない大きな靴が一足入っている。
(誰のだろう? )
二つの違和感に首をひねる。不自然過ぎる見慣れない靴は一旦置いて、まずは卯月だ。
卯月は、午前に入ってレッスンを受ける日は、トレーナーさんのお昼休みに差し掛かる頃には帰宅することが多い。
今頃には、もう帰っているものと思ってたんだけど……。
がんばりやな彼女は、トレーナーさんの居ない午後も自主練習に勤しんでいる、なんてことも多い。
しかし……レッスンルームから、練習している気配は一切感じない。
いつもと違う日常に小さな違和感を覚えつつ、レッスンルームに向かう。
(事件? いや、短絡的過ぎるかな。……なら、どこかの事務所が卯月をスカウトしてたり。そして、私を見てティンと来た事務所の偉い人が卯月と一緒に勧誘を~……なんて、そんな都合の良い話なんか転がってないよねぇ……)
まとまらない思考にはぁ、とため息をつく。
アイドルを養成するスクールには、アイドルの卵を探すプロデューサーがレッスンを見に来る事がある、という噂は聞いたことがある。あるのだが、ここでそんな話を聞いたのは、もういつの事だったか。
考えても、答えは出ない。
ならば、何にせよ。
(レッスンルームに行けばわかるよね)
私はそう楽観して、到着したレッスンルームの扉を開けた。
「……誤解です」
扉を抜けると、そこは
ルームには黒いスーツを着た大男が一人。何かに覆いかぶさるように立っていて。
「ぁ、ま、まどかちゃん……」
男の隙間からちょこっと見えるのは、レッスン用のジャージ姿で怯える卯月。
「……」
参ったな、不審者だったか。
「その、これは誤解」
無言でポケットから携帯電話を取り出し、簡単に取られないよう後ろ手に回す。
「待ってください! 私は怪しい者ではありません! 」
携帯電話をポケットに仕舞い、いたずらっぽく笑う。
この状況を必死に弁解しようとして、言葉が出てこず首に手を当てて考え込んでしまった彼の様子がなんだかおかしくて。
「そんなに焦らなくても大丈夫。冗談です……少し分かり難いほうの」
――なんとなくだけど、私にはこの人が悪い人だとは思えなかった。
◆
今、目の前で大変わかりやすく狼狽えているこの人物との出会いが、後に私の運命を大きく変える出来事の始まりであることを、この時の私はまだ知らなかった。
ここまで読んで頂き、感謝感激関裕美です(担当アピール)。
拙作を読んだ後、少しでも楽しい気持ちになっていただけたなら幸いです。
ぼちぼち投稿していきますので、良ければ今後も、彼女の歩む物語にお付き合いください。