MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説   作:歩暗之一人

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突如現れた彼が、望むものとは。


MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説 4

四章 平和

 

 

我々が持ち得る現実など、結局は意識に限界づけられているのですから

 

 

―――『ハーモニー』 ガブリエル・エーディン

 

 

 

暗い。

 

適者生存のシンプルなルールにのみ従ってきたこの島は、その生命力の許す限りに広がる自然で満たされていた。密林の奥地ともなればそびえ立つ木々が広げる枝葉が自然の天蓋を作り出し、数メートル下の地上に届く日光は限られる。より効率的に日光を葉に当てるように変化した植物の、結果的な進化の産物だ。その副産物として、地表にいる者たちは日光を得ることが難しくなり、そこで生きることを諦めるか、違う生き方を見つけなくてはならない。

そんな自然が生み出した擬似的な強者と弱者の狭間で、スネークはマチェットを片手に持つ赤い外套をまとった男と相対していた。

 

暗い。

貌がはっきりと見えない。だがおぼろげに見えるその目鼻立ちが、自分の感覚が、記憶が、その名前をしきりに訴え続けた。そして今、片方の頬が焼け落ちたその口で、俺の名前を呼んだ。頬がないせいで上手く言葉を発しきれていないが、確かに英語で。

内から湧き上がる強烈な直感を確信に変える名を、口にする

「チコ,,,,」

<チコだと?ボス、今チコといったのか?>

 

正体不明の敵に急襲され、こちらの様子を固唾を飲んで見守っていたミラーから、覇気の削げ落ちた声で質問が返ってきた。

 

「カズ、間違いない。チコだ。生きていた」

「そんな,,,」

 

言いたいことも、聞きたいことも在りすぎた。

だが銃口をチコから外すことはできない。

先ほどの殺意は本物だった。

そしてチコ自身が開口一番発した言葉の真意をまだ汲み取れていない。

 

戦闘態勢を取ったまま、しかしどう動くべきかを決めあぐねていると、チコはまたむき出しの口で笑ってみせた。そして喉を指さして、反対の手で全身を覆う赤黒いマントのなかで何かを操作した。指さした先にあったのは、スロートマイク。

「伝える手間カットアウトはもういらないよ、スネーク」

<なっ!?>

 

カズの驚愕と狼狽の入り混じった声が聞こえてきた。

「どうしたカズ」

<こちらの無線に直接、チコの声が>

「暗号化を無効にした上に周波数まで知っているとなると、これまでの通信は傍受されていたってことか」

並々ならぬ緊張感が走る。情報諜報戦において敗北しているということは、仮にチコが敵であったならそれは作戦の失敗、死を意味する。

敵に情報が筒抜けならば、アンブッシュ、包囲、誘導、バックアップの排除、なんでもアリだ。だがそうしたいならもっと早くに出来たはず。その上最初の直感が正しいなら、チコはXOF側についているということはないだろう。装備も違えば、行動に一体性もない。では一体、何の目的で。

 

「通信を傍受したのとはちょっと違うよスネーク」

またチコが喋りだす。次の言葉も聞きたい。聞かねばならない。だがしかしその前に、チコを黙らせなければ。

「チコ、それ以上喋るな。今この島には言語に、英語の発音に反応して話者を殺すバイオ兵器が散布されている。それ以上喋ると死ぬぞ」

チコはマスクをしていない。いくら頬が失われ正確な発声ができていないとは言え、声帯そのものの動きに差はないはず。もう手遅れかもしれない。それでもチコをまた死なせてしまいたくはない。

チコは既に二度死んでいる。9年の昏睡と多くの喪失をもたらしたあの惨劇の日。そして初めて会った1974年のコスタリカ――コリブリに拉致され、オンブレヌエボとして生まれ変わったあの日。人間そう何度も死んではたまったものではない。

 

しかしその願いに反してチコは口を開き、言葉を紡ぎ続けた。

「知ってるよ」

思わず驚嘆の声が漏れる

「さっきカットアウトはもういらないっていったね。そう、これ以上はいらないんだよ。カットアウトは、俺自身だから」

<まさか…>

今度はオセロットだ。自分だけが状況に取り残されている。

「どういうことだ」

「俺自身が、ダイアモンドドッグズに情報を流していたHECの潜入工作員だということだよ。通信も傍受したんじゃない。初めから知っていたんだよ。イーライを追ってこの島の情報をつかんだのも俺だ。そしてあとは更にカットアウトを通してその情報を伝える。考えてもみなよスネーク。誰かが誰かに情報を直接伝えれば、それは二人だけの秘密になる。でも間に人を介すれば介するほど、情報そのものを知っている人間は増える。道理だろ?HECの仕組みは『誰』が『誰』に『どうやって』伝えたのかは不鮮明になるし、情報の窓口は人の数だけ広くなる。でも情報そのものの機密性は脆弱になるんだよ。そのつながりの中に一度入ってしまいさえすれば、情報へのアクセスは難しくない。まあ、入るのには苦労したけどね」

 

 

揚々と話すチコの言葉から今回の作戦の準備段階の会話を思い出す。いつもならうちの諜報班が事前の情報を仕入れる。

―――『ボス、諜報班からの連絡だ』

まるでお約束のように、ミッションブリーフィングはこの言葉から始まる。何度も聞いた言葉だ。

しかし、今回は何度もHECの名前が出てきていた。それはつまり、この作戦を計画する段階でHECの関与が強かったことを示唆している。チコの言葉が本当なら、この状況のためにHECを利用したということか。

問題は、やはりその目的。

 

「なぜこんな回りくどいことを。何が目的なんだ」

少なくとも、チコは命がけだ。声帯虫のことも、サヘラントロプスのことも知ったうえでこの島に上陸し、マスクを着けずに英語を話している。

 

 

「目的….」

うつむいて、沈黙する。視線の先の何か――よく見れば途中で途切れどこにもつながらずにぶら下がるイヤホンコードの先――を見ているわけではない。脳裏に浮かぶ幻影を追っているかのように虚空を眺めていた。

 

こんな時、心臓の底に沈んだ淀みが急に自らの重みを思い出したような感覚に苛まれる。

俺は9年眠っていた。身体や記憶、仲間、そして9年という時間――取り戻すことはできず、もうそこにはないものが伝えてくる幻肢痛が、目覚めてからずっと体中を這い回っている。しかし、ミラーを始めとする他の仲間達は、その9年間の間絶えず幻肢痛を抱え、そして新たな痛みさえ背負って生きてきた。どちらがより辛いかとか、そういう話ではない。互いに失ったものを、傷ついた心を思うだけで痛みさえ伝染する。抱える痛みはより重く、大きくなる。

チコの9年はどんなものだっただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめよう。これは無意味でも無価値でもない。きっと、普通の世界には必要な能力だ。

しかしここは戦場で、思考をめぐらせている間も時は止まってくれない。

 

瞬時に頭を切り替える。戦場での冷酷さを取り戻し思考を整理する。

 

チコを敵対勢力と断定。XOFの進行は今も進んでいる。もうすぐ子どもたちとの戦闘になるだろう。今はチコの足を撃ち抜いて無力化しバックアップに回収要員を派遣させ、同時に作戦の第二段階を本格的にスタートさせる。

 

―――時間が惜しい、悪く思うな。

 

うつむいたまま十秒以上も反応のないチコの右足を、致命傷を避けるように狙いを定め、引き金を引く。

 

しかし、弾は命中しなかった。ただ木々の生い茂る密林に、激しい金属音が木霊した。

目の前で起こった現象を、状況と情報を整理し、結論を導き出す。

 

チコの左手が一閃し、その手の鉈で銃弾を弾いていた。

 

驚く暇はない。警戒を厳とし、子供たちのことさえ頭の片隅に追いやる。

今目の前にいるチコはあの日の少年と同一人物であり、そしてこれまで出会ってきた強敵たち――コブラ部隊やオセロット、燃える男ヴォルギン――に比肩するほどの脅威だ。

 

 

「初めてあったあの日、僕・はスネークに救われた。スネークは言ったね。大人になるということは、自分で生き方をきめることだって。そして新しい人間オンブレヌエボになって、僕は変わったつもりだった。自分で出来ることに限界があることから――弱いまま何も変わってなかった自分から目を背けて、調子に乗ってみんなに、パスに取り返しのつかないことをしてしまった。あの場所キャンプオメガで僕はそれを思い知った。髑髏顔の男に、それを思い知らされた。聴かされたんだよ、自分の心臓の鼓動を。胸に小さな穴を開けて、そこに直接このイヤホンを刺してね。まるで聴診器さ。それで嫌ってほど自分の心音をきくんだよ。恐怖に怯える自分の心臓の音を。心臓は嘘をつけないだろ?拷問されてるときなんかはまだいい。あの髑髏顔が声をかけるだけで、檻の中で這い回るネズミが物音をたてるだけで、ほんの些細なことで、自分の心臓が跳ねるのが嫌でも伝わってくるんだ。そして同時に、自分が生きていることも強く主張してくる。こんなにも惨めに、生きてしまっていることを。今もね、ずっと聞こえてくるんだよ。もうこのコードはどこにもつながってないのに、あれからずっと、ずっと――――」

 

先ほどの戦士の力強さからは程遠い、あの時の少年らしい弱々しさでチコは言葉を並べる。

 

「それでも僕は生き延びてしまった。身体は傷つき、元々弱い僕では報復だって夢のまた夢。帰る家も、みんなに合わせる顔もなかった。死ぬことさえ、出来なかった。だから僕は生まれ変わるしかなかった。新しい目的、新しい人生をオンブレヌエボとして生きる。弱い自分を捨てて。

そして俺・は今、その目的のために戦場を渡り歩き、ここにいる。俺は他人を殺すことでしか、戦場でしか生きられない命を狩り続ける。そう、あんたみたいな人間だよ。BIGBOSS」

 

語気が強まった。捨てきれない過去への報復心と、明確な殺意が同居した眼でこちらを睨んでくる。

 

「俺は俺の闘争を続ける――この音が止むまでは。戦場でしか生きられない人間は、俺の望む幻想には要らない。この地球上から、兵士も、戦士も、武器商人さえ皆殺しにして最後に自分が死ぬ。全てを無ゼロに帰す。でもそれはきっと究極的に困難だ。俺一人では不可能だ。でも戦う人間を殺したいのに、戦う味方を持つのは矛盾している。俺自身でさえそうなのだから。だからあんたを殺す。闘争を世界に蔓延させる、世界という名の宿主に寄生するお前を。そして二度と!喪われない平和を!」

 

 

極大の苦痛と矛盾を抱え、今にも押しつぶされそうなまま走っているこの異形の人狩りが目指すものが、痛々しいほど伝わってくる。オンブレヌエボとして生まれ変わったが、その願いは人として成長したものではない。むしろもっと稚拙で、純粋で―――チコ自身の言葉を借りるなら、まさに幻想だ。その理想の重さに耐えきれず、常人はそれをいつもすぐに手放してしまう。抱えたままでは、どこまでも沈んで溺死してしまうから。

 

――――平和は歩いては来ない。お互い歩み寄るしかないのだ―――――

 

かつての敵の言葉が脳裏をよぎる。犠牲を伴う擬似的な、ハリボテの平和を実現しようとした男の言葉だ。相手の喉元に槍を突きつけたまま、次の闘いのための準備期間として消費される平和という名の隙間。

チコは違う。戦争、紛争、闘争、あらゆる平和の対義語をこの世から消し去ることで、平和という名の幻想を実現しようとしている。しかし、それもやはり矛盾している。世界の何処かで戦争があるから、そうではない場所が平和であることを実感できる。世界のどこかで誰かが殺されていることを知っているから、自分の生が尊く思える。自分と違う誰かが居るから、自分の形がわかる。もしそれが叶ったとしても、それは厳密には平和と呼ばれるものではない。

そして実現することもきっと――――

 

 

<スネーク!!!>

 

今度はこちらが停止してしまっていた。ミラーの声で我に返り、投擲された小型ナイフダガーを紙一重で躱す。近くの、ちょうど身体が隠れる程度の木へと背を預ける。

 

その隙にチコは樹上へ。右手に巻きつけた鉤爪付きのロープを上手く駆使して上下と樹上での移動を高速化しているようだ。先程上から仕掛けてきたときも同様に樹上に登り移動したのだろう。コブラ部隊のザ・フィアーと同様かそれ以上のスキルだ。立体的な起動は密林のような地形において真価を発揮する。悪い視界と豊富な足場、そして死角と意表をついた攻撃。確認できた武装はすべて近接戦特化。銃撃による音さえ嫌い、自身のスニーキングに絶対の自信がないと取れない選択だ。得られたそれらの情報すべてが、「気づかれずに接近し、気づかれる前に殺す」ことを物語っている。

さらに言えば、銃は人を殺す道具でしかなく、人を殺す感触を遠ざけ、戦争の象徴ともいえる。方や刃物は人を殺すだけが全てではなく、骨肉を絶つ感覚を確かに伝達し、人の生活に不可欠だ。むしろ刃物こそ、それをどう使うかによっては平和の象徴足りうるのかもしれない。銃があふれる世界はきっと荒んでいるが、刃物があふれる世界でそれを誰一人として他人に向けないのであれば、それは確かに平和だろう。

 

<ボス。チコのことも気になるだろうが、当初の作戦目標のことも忘れないでくれ。時間がない。急いでくれ>

 

オセロットは陣頭指揮官としての役割を全うしている。だがこのままチコを置いていくことはできないし、何よりそれを許してくれる相手ではない。

 

樹上を縦横無尽に飛び回り、無音で鋭い刃物を的確に投擲してくる。この程度ならばまだ対処できる範囲の、並外れた兵士という程度の敵だっただろう。だが奴はこちらの銃弾をいとも容易く弾き、使う武具も様々だ。特にナイフに切れ味抜群のピアノ線のようなものを結んだものが危険だ。先ほどからナイフを避けつつ銃で応戦するが、いつの間にか切り傷が増えている。そしてその切断糸による結界とも言うべき包囲網が、徐々に狭まってきていた。さらに奴は投擲したナイフを回収しつつ戦っている。弾切れもない。強いて弱点を挙げるならその運動量の多さによる極度のスタミナ消費だろうが、こちらは切断糸に移動範囲を狭められつつある。このままではジリ貧だ。一際大きい樹木の陰に隠れ、態勢を整える。

 

うかつに飛び出ればナイフの的に、下手をすればまたマチェットの一撃を喰らうことになる。そしてこの周囲にはイーライの設置したトラップさえまだ残っている可能性もある。かといって単純な銃撃は弾かれる。何より視界の悪い密林では射線も通りにくく、自然と接近戦の比重が増す。しかし近づこうにもナイフが飛んでくる上に接近戦ではあちらのほうが武装が豊富だ。なによりあの赤いボロ布の下にまだ何か隠し持っているかもしれない。敵がゆったりとした服装をしているならばそういう疑いは持ってかかるべきだ。普通に接近するにもリスクが高い。

 

しかし――――撃って出る

 

アナクロなトラップに原始的な近接装備が相手なら、こちらは研究開発班の誇る最新装備に頼るとしよう。

なにより優秀な兵士、それもスカウト的能力に長けた戦士ほど優れた感覚を持ち、それは時に自らを害する毒と化す。

 

 

まずは先ほどからの経験で切断糸の結界の大まかな位置をを把握する。

そしてウォークマンの外部スピーカーをオンにし、あるテープの再生を準備する。

先ほど同様樹上の枝葉のざわめきを頼りにチコの位置にあたりをつける。

まずはスモークグレネードを二つ木の陰から右へ投げる。

予想通り、それらは地に着く前にナイフに貫かれた。しかしそれで相手の位置がさらに絞り込まれる。そしてスモークはナイフに貫かれてもその機能を失わずに煙幕を噴出させる。次にスタングレネード。一つを相手の目に付くように、もう一つを煙幕に紛れるようにして相手のいる木の足元へ。一つはやはりナイフで無効化されたが、もう一つは期待通りの効果を発揮した。あたりが白光と破裂音に包まれる。投げた的にナイフを投げる大道芸の道化師のような滑稽な様子だったろう。しかし、ここからはスピード勝負だ。デコイを2体木の陰から左へ設置。同時にウォークマンを再生しデコイの中心へと投げ入れる。自身は反対方向の煙幕の中へと走る。

 

光と音が遠のき、視覚と聴覚が戻ってくる。だがより近くで、より研ぎ澄ませた感覚でいたチコはわずかに回復が遅い。そして回復したところで受容する最初の情報は「銃声」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大樹の陰から次々と投げ出される脅威を、全て排除するつもりでダガーを投げた。しかし目下の煙の中から飛び出るように現れたそれには対処できなかった。眩い発光と耳をつんざく不快な音。下手に移動するのはまずい。五感の復帰を少し待ってから冷静に動けばいい。この赤いマントには数多の、しかし動きを阻害しないように考え抜いた配置の近接武器を内包している。顔や肩、肘、膝などの間接を守るように鉈を構えて、面積を最小にするように樹上で縮こまって衝撃に備える。

 

 

撃ってこない。何をしているんだ?

聴覚と視覚が次第に戻ってくる。前方から自動小銃を連射する音が響く。それに反応しマチェットで急所をかばいながら別の樹上へ飛びずさる。しかし、相変わらず感じるはずの衝撃も、ダメージもなく、そして戻ってきた視界に移りこんだのは二人・・のスネーク。

動揺、逡巡。そして、銃声の違和感。

気付いたときにはもう手遅れだ。隣の樹上に足を着ける前に知覚外から左肩を撃ち抜かれて、成す術もなく地に堕ちる。

 

―――まだだ

 

受け身を取る。着地の瞬間に構えをとり、ホールドアップを逃れる。そうすればまだ戦える。

撃たれた瞬間から相手の位置を予測し検討はつけた。

落下している俺を容赦なく狙い定めるスネークの銃口を凝視する。

銃口から弾道予測線を――どこに弾が来るのかをイメージする。

後はタイミングだ。来る。裂く。手ごたえあり。

その反動を利用して半回転、着地。次弾が来る。弾く。駆ける。

もう回りくどい戦い方はいい。スタミナもそう残ってはいない。スネークの肉を、骨を、臓物を、血管を、命を、魂を―――争いに満ちた未来を断ち切る。この手で。

ハンドガンに加えナイフを構えてインファイトに備えるスネークに肉迫する。

あの日からずっと感じることのなかった感情が沸き起こるのを実感した。

ほんの僅かで、九年間抱え続けた幾つかの感情に比べればささやかなソレは、鉈を振り上げる指先に必要以上の力を籠めさせた。雄叫びさえ上げそうになる。

 

 

しかし、目前に迫ったその敵は逆に指先に籠める力を緩め、その両手にあった銃と剣はただ重力にしたがって地に堕ち始めた。

生物としての本能が、自然にそれを目で追う。

次の瞬間には、間合いを詰め相手の首を絶つために振るうはずの熱量の全てが自身を地に沈める為のものに変換されていた。

あれだけ強く握った鉈さえもう遥か彼方だ。そのまま地を転がり、すべり、埋もれる。脳がかき回されるような衝撃に思わずうめき声がもれる。

 

―――――まだだ

 

立ち上がりながら再び迫る。ブーツの外側に差し込んでいた鉈よりも小回りの利くサバイバルナイフを抜きざまに一閃。躱される。今日まで磨き上げた人殺しの業を絞りつくすように発揮する。

心臓めがけた突きも払われ、逆に掌打を食らう。

懐からダガーを取り出して投擲。

左手でつかまれる。義手の握力に屈した刀身が折れた。

 

――――――――まだ「もう終わりだ、チコ」

 

 

躍起になって踏み込んだそのタイミングを完全に見切られ、逆に間合いを詰められる。

顔面をつかむようにスネークの右の掌が俺の頭を捕らえ、塩湖に浮かぶ豊かな自然の結晶である大地に、俺の後頭部が小さなクレーターを創った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直真っ向から戦えば負けていた。銃弾を弾くほどの剣士などフィクションの世界の住人だ。だから、チコがあの時見せた笑みの安堵に、瞳の奥に揺れる感情に賭けた。小手先の技術任せの一発勝負の罠で肩をもらい、心理的な揺さぶりによって隙を生む。あとは一度CQCを極めてしまえば、肉体に頼る戦士ほど目に見えて弱体化する。並みの兵士なら一撃で気絶するほどの衝撃を受けて、四肢のコントロールに影響がないはずはない。

戦士として闘争を楽しむようなセンスも、時間的余裕も今の俺にはない。

 

<ボス、決着はついたか。時間がない、急いでくれ>

オセロットが急かす。しかし、現地調達と有効活用という潜入工作員としての基本を忘れてはならない。そしてこれは、違う意味でチャンスでもある。

 

地に伏したまま、上がった息の合間にチコは尋ねる。

「殺さ、ないのか」

「どうせお前は声帯虫に犯されてじき死ぬだろう。最初からそのつもりだったんだな」

「スネークに会うまで、一人で、一言もしゃべってない。虫が嫌う、香草も吸ってきた。でもまあ、発症まで、後数時間かな」

 

かけてやりたい言葉が、聞きたい言葉が、たくさんある。

しかし、今交わすべき言葉は過去についてではない。

 

「チコ、お前・・に頼みがある」

「僕はいろんな理由を言い訳にして、死ぬためにここにきた。もう、何もする気はない」

「お前がHECのエージェントなら知ってるはずだが、イーライはサヘラントロプスの他に数名の子供らとこの島に来ている。イーライの言葉に賛同して蹶起に参加した少年兵達だ。だがその中にあの巨人のメカニックとして無理やり参加させられた少女がいる。名前は「フレーデVrede」。アフリカーンス語で「平和」を意味する名を持つ少女だ」

 

影に光が差すように、濁りきって擦り切れたチコの瞳に色彩が滲む。

 

「お前はさっき言ったな、『二度と喪われない平和を』と。お前が死なないために並べた理由は確かに幻想だ。過去を変えることもできない。だが、お前がこれからできることはなんだ。何ができて、何ができない。できる事のうち何を選び、何を諦める。チコ、もう一度言うぞ。大人になるということは、自分で死に方いきかたをきめることだ。その上で、俺はお前に頼んでいる。「平和」を、未来へのつながり(strand)を、紡いでくれないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの笑顔が、潮風に揺れるあの髪が、あの慈しみの声が、平和(パス)が自分を呼んでいる気がした。気がするだけだ。これまでと同じ、僕の妄執が生み出した幻影だ。死なないためにでっち上げた幻想だ。この背中のピースマークと同じ、僕が勝手に描いて、勝手に背負った夢。

でもその声が、その柔らかな香りが、その微笑が、僕の血だ。

息が上がっていたせいでやかましいほどだった鼓動が、また跳ね上がった。

脱力しきった四肢に血が通っていくのがわかる。

 

疲れきっていたはずの右手が持ち上がり、胸のポケットにしまってあるカセットテープを撫でる。

 

もう一度だけ、立てるかな。

――――――――がんばって。

 

我ながら単純だと思う。卑怯だとも思う。こんなことで罪を贖おうとか、そんなつもりはないけど、傍から見たらそんな風に言われても仕方ない。どーしようもなく惨めだ。

でも、今まで僕にそう思わせていた心音はもう幻聴きこえない。

 

どんなに惨めでも、それでも――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




チコの9年間、これまでなにがあったかはちゃんと決まってて、全てが終われば外伝という形であげます。
今よくわからないところは本編内でも回収しますし、バックグラウンドは外伝を乞うご期待。


次回、決戦。

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