亜森と胡桃の二人がホームセンターより新たな物資と共に戻った日から、学園生活部はにわかに動き始めていた。
由紀と美紀の二人は学園祭の準備と表して、ポスターや飾り付けの準備を進めている。
新しい調理器具を渡された悠里は、せっかくだから手元の材料でクッキーでも作ろうかと、ウキウキしながら在庫表を眺めていた。
遠征に出ていた二人はというと、亜森は中庭の一角を単管パイプでバリケードを作り上げ、拾い集めていた薪を木炭へと作り変えようと、持ち帰ったレンガやどこからか見つけてきたドラム缶を使って木炭作りの準備を進めていた。
胡桃はその手伝いを買って出ていたのだが、バリケードを作ってそこそこ広いスペースを拵えた後は、設計図は頭の中にある亜森の作業スピードについていけず、取り敢えずまた後で様子を見に来ると伝えて、他の皆の作業を手伝いに向かうのだった。
「りーさん、何作るか決まった?」
「あら、亜森さんの方はいいの?」
悠里の元に向かった胡桃は、よっと片手を挙げて声をかける。
それに軽く返す悠里は、亜森の作業について聞いてみた。
木炭作りのため中庭で作業していたはずだった胡桃がいるということは、ある程度形になったのだろうか。
食料の在庫表を片手に、悠里は部室に入ってくる胡桃に向き直る。
「あー、作業用のスペース確保したら、あたしの仕事なくなってさ」
「そう。じゃあ、何か飲む?」
「お茶ちょーだい、汗かいたから喉乾いた」
「はいはい、座って待ってて」
パイプ椅子を引いた胡桃は、いつもの場所に座り悠里を待つ。
お茶を入れる悠里の後ろ姿を横目に見て、胡桃はテーブルに置かれた食料品の在庫表を手に取る。
(地下倉庫のお陰で、かなり余裕ができたからなぁ。ひぃふぅみぃ……、何枚あるんだこれ)
モールから大量に持ち帰った際にも、枚数が増えた在庫表であったが、地下倉庫の食料を足したせいで更に厚みが増している。
ペラペラとめくり目を通していると、コトリとマグカップが置かれた。
「ありがと」
「いいのよ、それで亜森さんの方はどうだった?」
在庫表をテーブルに置いた胡桃は、悠里に礼を述べてマグカップに手を伸ばす。
自身の分もお茶を注いだ悠里は、胡桃の真向かいに座り、作業の進行具合を聞いてみた。
悠里の聞いた話によれば、シンプルながら何度でも使えるような物を作るとのことだが、正確な内容までは把握していないのだ。
「何か、ドラム缶に穴開けたり地面に穴掘ったりしてる」
「そ、そうなの? 完成形はどうなるのかしら……」
さぁ分かんね、マグカップのお茶を啜りながら胡桃は答えた。
作業着姿でモルタルを練る亜森はさながら左官工みたいだったと、述懐する。
「何か、『伏せ焼き』? とかいうやり方でするんだって。地面に長方形の穴掘って、レンガ敷き詰めたりしてた」
「名前を言われても、ピンと来ないわね……」
「見てるあたしだって、分かんないし。まぁ、上手いことやるでしょ。経験があるみたいなこと、言ってたもん」
「その辺は、心配して無いけれど。後から皆で見に行きましょうか、差し入れでも持ってね」
テーブルに片肘を付いて頬に手を当てる悠里は、そのように胡桃に提案する。
どちらかと言うと、自身より胡桃がそうしたいだろうなと思ったからだったが、胡桃の反応をみれば予想は的中していたらしい。
腕組み何度も頷きながら肯定する姿は、いっそのこと他の皆にも見せたいぐらいだ。
優しい視線を向けられていることに気が付いた胡桃は、照れ隠しをするようにブンブンと手を顔の前で振ってみせるが、悠里の考えを変えるには至らなかった。
「な、なに笑ってんだよ。りーさん」
「んー別に、何でもないわ」
何でもあるような顔してると、胡桃は感じていたが藪をつついて蛇を出すのも遠慮したい。
押し黙るしかなかった。
一方別の教室で学園祭に向けて、作業を進めている由紀と美紀。
二人は机をつき付け合せ、由紀が発案したポスター作りに励んでいた。
由紀によれば、全校生徒に学園祭のお知らせをするんだとのことだが、美紀からすれば誰に教えるのだかといった感じで、やや渋々手伝っているという風体であった。
「ゆき先輩。文章は私が書きますから、見出しとか空いたスペースはお願いしますよ?」
「任せたまえー」
「何ですかそれは……」
むんと胸を張る由紀に、美紀も呆れ顔を見せるものの手元は忙しく動いている。
取り敢えずの予定として、掲示板に張り出すポスターと、巡ヶ丘学院高校のパンフレットより抜き出した内容を学園生活部の活動として掲示するのだ。
学園生活部の成り立ちからして、校訓から発想を得た部分もあったので、学園祭の展示物で迷うことは無かった。
「しかし……こうしてみると、学園生活部って文化部だなぁって感じですね」
「そうだよー、あたしたちは文化部だからね! 結構、身体動かしてる気もしないでもないけど」
「学校にお泊りする代わりに、色んな部や委員会のお手伝いをする……でしたっけ」
「そうそう、特に園芸部とか」
「確かに手伝ってますよね……、ご飯的な意味で」
「トマト、おいしいよね!
よだれ出てますよと指摘すると、由紀は照れながら口元に光る唾液を拭う。
「もう、ハンカチ使って下さいよ。男子じゃないんですから」
「えへへ、ごみんごみん」
スカートのポケットよりハンカチを取り出し、由紀は改めて口元を拭く。
その姿を横目に、美紀はパンフレットを片手に下書きを進める。
美紀がこの高校に進学してから、久しく見ることはなかったパンフレットであったが、改めて中身に目を通すと予めこの事態に対応できるように用意されていたのだと感じられた。
一つ一つの設備は、少しばかり災害対策や環境保護に熱心な学校法人であれば、揃えそうなものばかりである。
太陽光発電に地下水を利用した水道設備、学校肝いりの部活動である園芸部、高校にしては大規模でインスタント食品に偏りの見られる購買部、それに隠されていた地下倉庫。
外部インフラに左右されない生活環境に、しばらくは自給可能な食料、そして試験薬の存在。
点と点が結ばれ、意味の通った線となり、重く暗い現実となって形を成す。
どう考えても、何らかの集団によってこの事態が現実に起こり得ると想定し対策した、それが今美紀達の生活拠点としている巡ヶ丘学院高校なのだ。
時折その現実に怒りを覚えることもあるが、拳を振り上げようにも怒りの矛先はどこにも見当たらない。
まぁ今考えても仕方ないかと、美紀は気を取り直しポスターの下書きを進めるのだった。
二人があれやこれやとポスターの内容について煮詰めていたところで、部室から胡桃と悠里が様子を見にやってきた。
悠里は由紀と美紀の分のお茶をお盆に載せて来ており、二人の机に置くと自身も椅子を引き寄せてそれに座る。
「ポスター、どう?」
「いい感じだよー、本番までには出来上がると思う!」
「そりゃ、出来なきゃ問題ですよ……」
「今は下書きか?」
展示物の出来を尋ねると、由紀が自信満々で答える。
美紀はお茶に手を伸ばしつつ、胡桃の質問に答えていく。
「えぇ、取り敢えず学校のパンフレットから中身を抜き出して、スペースを埋めようかと」
「ま、学園生活部の活動内容と被るもんな」
下書きのポスターを覗き込み、胡桃は目を通していった。
とはいえ、胡桃達からすれば目新しい内容ではないので、数分とかからなかったが。
「そちらはどうでした?」
「あたし?」
「はい、中庭で亜森さんが作ってるヤツです」
あぁそっちねと、胡桃は合点がいったようで、自分が引き上げるまでやっていたことを手短に伝えた。
胡桃もよく分かっていない部分があるので、要点はイマイチ伝わらなかったが、取り敢えず心配はいらなさそうとだけ話す。
「伏せ焼き……? どんな感じなんです?」
「あたしが最後に見た時は、地面に長方形の穴掘って、モルタル用意して、底と壁にレンガ積んでたな」
「かまど、みたいなものでしょうか?」
「そんな感じ」
お茶を啜る美紀は、その説明に相槌を打ちつつ背もたれに体重を預けた。
ギシリと椅子がきしみ、固まった背筋を伸ばす。
「みきさん、疲れた?」
「あ、いえ。ずっと、机に向かってたので……」
「わたしも疲れちゃったなー」
美紀に倣ったのか、由紀も隣で身体を解す仕草をしてみせる。
「ゆきは、もう少し疲れていいと思う」
「りーさん、くるみちゃんがいじめます」
「だめよ、くるみ」
「へーい」
四人は顔を見合わせ、堪えかねたようにクスクスと笑い出す。
外は相変わらずの惨状が広がっているが、校内の僅かな空間には以前と同じような日常が残っている。
少なくとも、この四人の周辺ではその日常を失わないために、学園生活部と亜森は全力で抗い続けていた。
厳しい現実と戦う亜森はというと、中庭の一角で水平器とハンマーを片手に、レンガ相手に格闘していた。
趣味の領域でもあるクラフトに全力を投入しがちな亜森は、中々水平にならない長方形の穴の底面に敷き詰めたレンガを、ハンマーを使ってあちらをトントンこちらをトントンと、水平器を見ながら調整を重ねている。
多少斜めになっていたところで、目に見える何らかの影響があるわけでもないのだが、一度気になるとそれを解消しなければ気が済まなくなっていた。
(もうこの辺で終わらせようか……、こういうのはやり始めると終わらないって、相場が決まってるもんな)
一度立ち上がりぐっと背筋を伸ばして、固まった筋肉を解す。
底面はレンガを敷き詰め終わり、さぁ次は壁を作ろうかという段階で、バリケードの外側より声がかかった。
「おーい、アモやってるかー?」
声の方向に顔を振り向かせると、バリケードの上から学園生活部のメンバーが顔を覗かせ、亜森の方を見て手を振っている。
「おう、どうした?」
「差し入れ、持ってきました」
胡桃の隣で頭を出していた悠里は、片手に下げていたお茶の入った水筒を掲げて見せ、更に隣の由紀と美紀がお菓子の入った袋を振っている。
「助かるよ、喉乾いてきてたんだ」
そう言ってバリケードの側に近寄ると、先に水筒や袋を受け取り、彼女達が超えてくるのを待つ。
片手を差し出して降りるのを手伝った後は、休憩用に作っておいた簡易ベンチに皆で座った。
「来る途中、何かいたか?」
水筒のお茶を胡桃から受け取りながら、亜森は危険がなかったかどうか聞いてみる。
お菓子の封を開けようとしていた胡桃は、首を軽く振って否定した。
「いいや、問題なし。静かなもんだよ、最近は特に」
「そうねぇ。外はともかく、校舎内じゃもう見かけなくなったわ」
会話を隣で聞いていた悠里も話題に入り、さらに隣りにいた美紀も同意するように頷いている。
「ならいいさ……。あ、その煎餅一個くれ」
「はい」
胡桃は個包装の煎餅を一つ摘んで、亜森に手渡す。
他の皆もそれぞれに自分のお菓子を片手に、一時の休憩を楽しんだ。
「それで、作業はどこまで進んだんだ? もう完成した?」
コップを傾けていた胡桃が、先程まで亜森が作業していた付近を顎でしゃくってみせ、進行状況を尋ねた。
並んで座っている他の三人も気になったようで、積まれているレンガとベンチの端で煎餅を貪る亜森を交互に見やる。
「あぁ、今日中に形にはなるんだけど……」
「だけど?」
「モルタル使ってるから、固まるまでに数日置かないといけないんだよ。実際に使えるようになるのは……、大体一週間後かな」
そう説明して、新たな煎餅をもう一枚と胡桃に求める。
言われたままに手渡した胡桃は、ふーんと相槌を打ち作業中だった付近を眺めた。
積まれたレンガに、モルタルの材料の袋、長方形に掘られた穴、穴の端には薄い金属製の煙突が刺さり、更には縦に切断されたドラム缶が転がっている。
ドラム缶には何やら金属製の取手が取り付けられており、持ちやすいように加工されていた。
「ドラム缶は、何に使うわけ?」
「蓋だな。木材を上から放り込んで、蓋を出来るようにすれば楽に作業できるし、最後に木炭を取り出すのも容易になる」
「煙突は……まぁ、煙を出すんだんだよな?」
「うん、ある程度燃やして煙の色が薄くなってきたら、全部の穴を塞いで空気を遮断するんだ。そうすると、中の木材は完全に燃え尽きて灰になること無く、木炭が残るってワケ。簡単だろ?」
それから空気取り入れ口の大きさがどうの煙突の直径がどうのと、あれやこれやと饒舌に語る亜森。
胡桃は若干呆れつつあるものの、楽しんでいるところに水を指すのも悪いなと考え、相槌を打ちながら聞き入ることにした。
その反対側では、そんな二人の様子を肴に悠里達が小声で盛り上がっている。
(くるみ先輩、よくあの話聞いてられますね)
(まぁまぁ、みーくん。あれだよ、何とかの弱み? ってやつ)
(惚れた弱み……かしら?)
(そうっ、それ! りーさん、正解!)
(言わんとすることは、分かりますけど)
(まーいいじゃん、見てるこっちは楽……し……い)
美紀の方に顔を寄せて話していた由紀は、自身の右肩に置かれた手に気がつくと、しまったと言わんばかりの表情でそちらに振り向いた。
「ゆき……、随分と楽しそうじゃないか。あたしも、混ぜてくれよ?」
「あ、あはは……。そうだ! アモさんを手伝いに来たんだった、レンガ積むの手伝わなきゃ」
由紀は口早に言い訳を並べ立てると、ピューっとレンガの積んである方へと歩き去る。
名指しされた亜森はというと、キョトンとした顔をして胡桃と由紀を交互に見ると肩をすくめてみせ、徐ろに立ち上がった。
「アモさんっ、やり方教えてよー」
「分かった分かった。手が汚れるから、作業用手袋持って来い」
「あいあいさー!」
「じゃあ、私も手伝って来ようかしら」
その流れに便乗したのか、悠里もベンチから立ち上がると二人の輪に加わっていく。
「みきは、やらないのか?」
「え、えーと……そうですね、はい」
腕組みをしてややふてくされたような声色の胡桃に問われ、美紀もレンガ積みを始めようとしている三人を眺めてみた。
長さにして約二メートルほどの長方形の穴、その中に入っての作業になるので、これ以上人数が増えても邪魔になるだけだろう。
私は止めておきますと、美紀は首を振りつつ答える。
そんな美紀の隣に改めて座った胡桃は、腕組みをしたまま愚痴り始めた。
「まったく、皆してあたしをからかいやがって……」
「まぁまぁ、皆嬉しいんですよ」
「嬉しいって何が」
「お二人が……、何ていうかその。くっついたことがです」
「く、くっついたって――えへへ」
美紀の言葉に照れを隠せない胡桃は、頬を指先でかきながらだらしない顔を見せる。
(そういう反応をするから、ゆき先輩達にからかわれるんですけどね)
美紀はそのような感想を抱く。
同性である美紀から見ても、胡桃のその姿は可愛らしいの一言だった。
相手のいない、そして見つかる予定も見当たらない他の三人からすれば、一人だけイチ抜けした胡桃にやっかみを含まないとは言わないものの、二人の親密な関係は諸手を挙げて祝福している。
ただそう、二人だけの空気を醸し出しているのを見ていると、ほんの少し邪魔したくなるだけだ。
それは世間一般でいうお邪魔虫そのものであるが、美紀を含む学園生活部の三人は、平和な日常であれば華の女子高生。
恋愛に関することなら、何にでも首を突っ込みたくなるのは、無理からぬ事であった。
「そう言えば、くるみ先輩。ラジオのこと、何か聞いてます?」
「ん、あぁラジオ? あれならアモが夕食後の時間を使って、色々いじってるみたいだけど」
「えぇ、それは私も知ってますけど。何か進展はあったかなって」
亜森と胡桃がホームセンターへと遠征に向かった前日、皆で話し合ったラジオ放送について、美紀は進展があったか聞いてみた。
電波が発信できれば、遠くに居るかもしれない生存者と連絡が取れる場合も充分にありえるし、亜森が語ったように周囲の住宅を探索する際に安全地帯を確保することも可能になるだろう。
これまでも少しずつではあるが、生活環境は着実に上向いて来ているのだ。
この件に関しても、少なくともプラスにはなるだろうなと、美紀は考えていた。
「あー、なんて言ってたっけ。説明書は見つけたらしいんだよ、ただ……」
「ただ?」
「実際に動かしてみないと、何とも言えないとか。それに電気だって、業務用電子レンジぐらい使うってさ」
「それはまた、かなり使いますね……」
胡桃も亜森から聞いた話を思い出しながら、一つ一つ言葉にしていく。
「アモが言うには、学校施設にあるラジオにしては出力が強いんだって。遮る山とかが無ければ、屋上から見える範囲の住宅には電波も届くんじゃないか、って言ってたなぁ」
「そもそも、校内放送であれば電波なんて必要ありませんしね。各教室のスピーカーに、有線で繋がっているんですから」
「本当だよな。出力についてもそうだしラジオが放送できること自体、何か腑に落ちない感じがするよ」
「やはり、あのマニュアルと地下倉庫を作った組織が、関わってるんでしょうか……」
「学校にあんなものを用意出来る連中だからな、目に付く物がなんでも怪しく見えてくる」
ベンチに座ったままの二人は、神妙な顔をして黙り込んだ。
学校に残る設備は、何れもこのサバイバル生活において大きな恩恵を与えてくれているが、それを用意した組織は胡桃達の予想ではほぼ間違いなく外の惨状の原因に関わっている。
そのことを考えると、設備に対して何とも形容できない気持ちが湧いてくるのだ。
「……便利なのには変わりないんだ、誰が用意してようが。あたし達は、ただラッキーと思ってればいいさ」
「そう、ですね。道具に文句つけても、仕方ありませんし」
全くだぜと、美紀の言葉に胡桃は大きく頷き、同意した。
由紀と悠里の二人は亜森のアドバイスを聞きながら、少しずつレンガを積み上げる作業を続けていた。
モルタルの入ったバケツより、コテを使ってすくい取っては片手に保持したレンガに薄く塗り、長方形の四辺に壁を作るように置いていく。
レンガを設置したら、そこそこ長い木材を渡らせ水平器を置いて微調整を重ねる。
これが意外と二人には向いていた作業らしく、文句の一つも零さずにただ黙々とハンマーを叩いていた。
「なぁ、キツイなら交代しようか?」
「ちょっと待って、今いいところだから」
「亜森さん、次のレンガ下さい」
「……どうぞ」
出番が無くなった亜森は、二人にレンガを手渡す係に徹していた。
暇になってしまったなと、背筋を伸ばして体をほぐす仕草をしていたら、話が一段落付いたらしい胡桃と美紀が近寄ってきた。
「アモ、そっちはどんな調子?」
「あぁ、俺は仕事を失ったらしい」
二人に顔を向けた亜森は、溜め息をわざとらしくついてみせると、冗談めかして口元をにやりと上げた。
「意外に進んでますね、殆ど終わってるじゃないですか」
長方形の穴の縁に屈んだ美紀は、レンガの壁が出来上がりつつある様子に感心して、悠里と由紀の作業を見守っている。
「あ、みーくん。お疲れー」
「お疲れ様です、もう少しで完成みたいですね」
「そーだよ、あたし案外こういうの向いてるみたい」
「……そのわりには、結構な量のモルタルがはみ出てますけど」
自信満々に胸を張る由紀を尻目に、美紀の目線は由紀の担当していたレンガの壁に向かっていた。
水平に調整するために何度もハンマーで叩いていたせいか、レンガに挟まれているモルタルがぼってりと目地から膨らむようにはみ出している。
「こ、これはアレだよっ。練習ってやつ!」
「本番は最後の一段ですか?」
「そうとも言うね!」
「それじゃ、ほとんど練習じゃないですか……。私が代わりますから、コテと手袋、貸してください」
「いいけど、結構難しいんだよー?」
由紀の説明を受けながら手袋を装着した美紀は、試しにレンガにモルタルを塗って積んでみせるが、自信たっぷりの態度とは裏腹に、結果は由紀と似たようなものだった。
「みーくん、どんまい」
私は分かっていたよと、言わんばかりの表情を浮かべる由紀に対抗心を燃やしたのか、美紀はややムキになりつつレンガを積む作業を続けていく。
「りーさん、お疲れ。休憩したら?」
由紀達とは反対側で作業していた悠里に近寄った胡桃は、労いの言葉を掛ける。
額に浮かぶ汗を拭って、顔を上げる悠里。
「あら、胡桃。そんなに時間経ってた?」
コテとレンガを傍らに置いて立ち上がった悠里は、目の前に居る胡桃に答えた。
「まぁ、そこそこ。大分、壁が出来上がったみたいだな」
「えぇ、確かに。……亜森さん、高さはこのぐらいでいいんですか?」
どの程度までレンガを積み上げるのか疑問に思った悠里は、亜森の方に声をかける。
「あー、レンガの壁は地面より少し高い程度でいいから……。そうだな、あと二段程度でいいよ」
「それなら、全部終わらせてしまいましょう。胡桃、やってみる?」
悠里は目の前にいる胡桃に対して、レンガとコテを差し出してみせた。
「いいよ、ちょっと貸してみて」
「はいどうぞ」
胡桃は穴に入っていた悠里と入れ替わるように中に降りて、悠里の説明を聞きながら覚束ない手つきでレンガを積んでいった。
「もう、やることが無くなってしまったな……」
「ずっと作業してたんですから、後は任せても良いんじゃないですか?」
一歩離れたところで皆の様子を見ていた亜森は、手持ち無沙汰な自分の姿にため息を漏らす。
それを直ぐ側にいた悠里が聞きとがめ、ずっと外で作業していた亜森に休憩を勧めた。
「どうせ、もう三十分とかからないでしょうし」
「それでいいなら、適当に休んでおくけど」
「はい。終わったら、もう校舎に戻りませんか? もうすぐ夕方ですし、そんなに急ぐような作業でも無いんですよね?」
「まぁな。モルタルが固まるのにも数日は要るから、早くても完成は学園祭当日ぐらいになるよ」
亜森は指折り数えて、日数を確認する。
薪から木炭を作ろうと、このレンガ製の伏せ焼き窯を制作しているわけだが、木炭を使う用途は冬用の熱源と金属を融かす炉だ。
どちらも、今すぐに必要というのではない。
現在作業しているのも、冬を見越してかなり余裕を持った日数で計算しているので、多少想定より完成が遅れたところで何も問題は無いのだった。
「あんまり頑張っても、疲れちゃいますからね。毎日少しずつ、やりましょう?」
「……そうだな。いつも気張ってたら、ここぞという時に力が出ないもんな」
「ふふふ、そうですね」
同意を得られたの良かったのか少しばかり顔がほころんだ悠里は、亜森と一言二言話したところで試行錯誤している胡桃の側へと寄っていった。
その後、作業を終えた亜森と学園生活部は、久しぶりの全員揃っての作業に心地よい疲労感を覚えながら、校舎内へと戻っていく。
学園祭まで、残り数日のことだった。
・木炭作り
ここでは中庭の一角で、伏せ焼きという方法を採用した。
地面に穴を掘りその中で木材を焼く方法で、調べた限りでは一番楽そうに思えたので。
本来はレンガなど用いないが、何度も使用することを考えた場合、剥き出しの地面から滲みてくる水分が木炭の焼成温度を下げ収量を低下させるらしく、その水対策と焼成作業を効率よく行えるように、レンガで釜もどきを作ることにした。
使用したレンガは、耐火レンガか普通の赤レンガ、どちらとは厳密には決めていない。
・学園祭の出し物
コミック原作ではラジオを利用した学校紹介のような事を、レポーター役の由紀、カメラ役の胡桃、ディレクター兼プロデューサー兼技術スタッフの悠里が行っている。
学園生活部としては、部室にポスターを展示したり美紀がお菓子を販売したり。
ここでは悠里がそのお菓子を調理し、ポスターは由紀と美紀が制作している……という設定。
・ラジオ放送について
ここでは、約1000Wの出力を持つラジオ機材があったとしている。
簡単に調べてみたところ、数十Wクラスから100W程度の出力で、ある程度の狭い地域はカバーできるらしい。
いわゆるローカルラジオ的な物。
巡ヶ丘学院高校は黒幕らしき組織が関与していると考えると、学校施設には似つかわしくない出力も一応の説明がつく……かもしれない。
事が起きた場合に備えて、遠距離地点との連絡手段としてある程度強力な物を予め用意していた、というのは穿ちすぎだろうか。