この話を読まなくとも、問題無く本編は進みます。
今回は短いです、四千文字後半ぐらい。
※あとがきには、R-18エピソード『第15.5話続き 屋上の情事 初めて編』へのURLを載せています。
※URLをコピペするか、R-18原作検索から行くか、作者の作品一覧より飛んで下さいませ。
胡桃がめぐねえに噛まれて生死の境から生還して暫く、彼女達学園生活部はかつての日常を取り戻していた。
しかしながら、変わったこともある。
胡桃と亜森の、二人の関係だ。
胡桃が回復を果たして以来、彼女は以前よりも体調が良いと豪語しており、積極的に日頃の活動に精を出すも、亜森の前では途端にその元気が萎んでいくのか、恥ずかしそうに縮こまることが多かった。
彼は彼で、普段と変わらないような態度を取っているが、ふと誰もいない時間が出来ると一人で物思いに耽る時間が増えた。
そんな二人の様子に、学園生活部の他のメンバーは取り敢えず時間を置いて様子を見ようと、深く詮索しなかったが、ここに来て限界が来たのか、ある夜悠里は胡桃と話をしようと一人、放送室で時間を潰していた。
「あぁー、シャワー気持ちよかった。りーさん、アモが部屋にいなかったけど知らない? 次、アイツの番なんだけど」
「多分、屋上じゃないかしら。最近、一人でそっちにいること多いみたいだし」
「ふーん」
胡桃は言葉では興味なさげに振る舞っているが、チラチラと扉の外を気にしているのは悠里にはバレバレであった。
(気になるなら、そう言えばいいのに)
胡桃は取り敢えずといった様子で、悠里の前の椅子に座る。
手持ち無沙汰のようで、シャワーでしっとりとした髪の毛先を指でいじりまわしている。
どうせ、どうにか理由をつけて亜森に会いに行こうとしているが踏ん切りがつかないのだと、悠里は胡桃の様子から彼女の内心を読み取っていた。
傍から見ればバレバレなのだ、彼女の態度は。
胡桃が地下の避難区域で噛まれて、亜森によって三階まで抱えられて戻ってきたあの時、治療の途中二人は濃厚な口づけを交わした。
それを目撃してしまった他の面々は、つい緊急事態ということも忘れ、二人の様子を食い入るように見てしまっていた。
女子高生なんだから仕方ないよねと、悠里は誰に言い訳しているのかもわからない理屈で正当化していたが。
それは、胡桃が亜森と約束した事柄だったようで、あとで詳しく内容を聞けば、彼女から持ちかけた約束だったらしく、それがあの濃厚なキスシーンに繋がったのだそうだ。
"もう最後かもしれないから死ぬ前に好きな人とキスしたかったんだ"と、胡桃が亜森に懇願し、彼が受け入れた形だった。
もっとも、地下倉庫でのやり取りはもう少し違ったらしいが、胡桃は恥ずかしがって教えてはくれなかった。
全く、何故関係無い私がここまでやきもきしなければならないのか。
悠里は、二人の新しい関係を祝福していたのだが、どうやら最近の様子を見る限り、思っていたのとはだいぶ違う模様で。
胡桃は、彼の前では恥ずかしがっているし、亜森はなんだか元気がない様子。
悠里としては、さっさと収まるところに収まれよと、こう思うばかりであった。
「ねぇ、くるみ。亜森さんとはどこまでいったの?」
悠里は先制攻撃を仕掛ける。
「ええっ! アモとは、その……えへへ」
えへへじゃないが。
普段の悠里なら、もじもじする胡桃の様子を可愛いと評するのだが、事ここにいたってはイライラが募るばかりであった。
「あの時アレだけのキスしてたんだから、今はもっとよね?」
あの時のキスと言われ、胡桃はどうしようもなく顔が紅潮するのを感じた。
まぶたを閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。
頬に添えられた手から伝わる熱い体温、唇に触れた柔らかい感触に亜森の息遣い、絡み合う舌に混ざりあった唾液、離れていく唇同士をつなぐ粘液の糸。
優しく包まれた自身の右手に感じる男らしい大きな手のひらの感触、ギュッと握りしめた彼の上着の手触り。
そして、もっとと潤んだ瞳で懇願する胡桃に"この続きは元気になってからな"と言う、亜森の言葉。
続きというのは、つまり、その、そういうことなのだろう。
胡桃は自身の持つ、女子高生としては当たり前の知識と照合し、続きと言われた内容について、正確に答えを導き出していた。
少なくとも、彼女の中では正確だった。
多少プロセスが、ピンク色に染められていたとしてもだ。
日常に戻った胡桃は、自身と亜森がそういう行為に及ぶ姿を想像するだけで羞恥に震え、恥ずかしさのあまり彼の顔をまともに見れない日々が続いていたのだ。
それが、悠里の感じているもどかしさを増幅させていたのだが、自分のことで精一杯の胡桃は気付いていない。
「はぁ、くるみ? 気が付いてた? 最近、亜森さんの元気がないって」
「えっ、どうして。アモもあの時、試験薬を自分に注射してたよ!?」
自分が回復しているのだから、あの時の交わりで感染するはずがない。
胡桃はそう、言いたかった。
「そういう意味で言ったんじゃなくて、一人で何か考え込んでるみたいなの」
「な、なんだ。そういうことか……、でもそんな様子あったかな?」
「あなたが恥ずかしがって、顔も見れなかったからでしょう? 他の皆は気が付いてるんですからね」
「うっ、そのぉ……ごめんなさい」
「私に謝ってもしょうがないわ。それで、どうするの?」
「どうする、というのは……どうすればいいの?」
「亜森さんが元気が無いのは、あなたがめぐねえに噛まれたことについて、負い目に思ってるからに決まってるじゃない」
「あっ、あれは! ……一人で進んだ私が、悪いんだし……。アモが負い目に思う必要なんて……」
「そんなこと、私も十分承知してるわよ。でも亜森さんが、自分の責任だと思わないなんてあると思う? 今まで出会ってからずっと、色んな危険から私達を助けてきてくれた人なのよ?」
「それは……あたしだって分かってるよっ」
「それに……私、あの時亜森さんを責めちゃった。『貴方が付いていながらっ』って。つい彼の身体を拳で叩いちゃったし……あれで手首痛めたのよね、私」
硬すぎよと、苦笑交じりに悠里は痛めていた方の手首を振る。
「彼、私になんて言ったと思う? 『すまない。俺の……責任だ』と言われたわ。一言たりとも言い訳しなかった。そういう人なのは、くるみ、あなたも……。いいえ、あなたの方が良くわかってるんじゃない?」
胡桃は、言葉無く肯定した。
亜森がそういう人間だというのは、言われなくとも理解していた。
常に心身を鍛え、仲間を大切にし、誠実に行動する亜森。
時に、使いもしない道具をコレクションしたり、テレビゲームが殊のほか好きだったり、子供っぽいと思われることもするけれど、一歩学校の外に出れば彼の隣こそ、世界で一番安心できる場所になる。
だからこそ、彼に強く心惹かれ、あの瞬間、完全に自覚したのだ。
『あぁ、あたしはこの人に恋をしているんだな』、と。
"死に直面した時のキスで芽生える恋心なんて、何処のハリウッドだよ。破局フラグじゃないか!"と、胡桃は頭を抱えたい思いだったが、同時に想い人が亜森で良かったと実感する。
かつて、陸上部の先輩に抱いていた淡い恋心とはまた違う、体の芯が燃え上がるような熱い想い。
これまでの人生で経験のなかった強烈なまでの感情に、戸惑いと羞恥心を覚えていたが、胸を締め付けられるような甘い感覚は、激しい感情とは裏腹に胡桃の心を暖かく満たしてくれていた。
彼の一挙手一投足が、胡桃の感情をぐちゃぐちゃにかき乱す。
それがたまらなく愛おしく感じられ、胡桃は亜森のことを思うのだ。
この人を好きになって良かった、と。
「ねぇ、くるみ。亜森さんのところに行ってきなさい。そして言わなきゃ、今の貴女がどう思っているか」
「で、でも。りーさん」
「デモもカカシもないわ。当たって砕けなさいよ」
「く、砕けるのは、いやだよ」
「嫌いな相手と命をかけてまで、あなたにあんなことするわけ無いでしょ。もっと自信を持ちなさい、くるみ。あなたは、亜森さんが命をチップにしてもいいと思った人間なのよ?」
悠里の真剣な眼差しに、胡桃は気圧されていたが、自身を心配してくれていることは十二分に伝わってきた。
「……うん、分かった。行ってくるよ。そして、あたしの気持ちを伝えてくる」
「そうしなさい」
胡桃は椅子から立ち上がり、扉へと向かう。
そんな胡桃の後ろ姿に、ちょっとしたいたずら心が芽生えた悠里は、その背中に声をかける。
「それと、くるみ。今日は寝室に入れてあげないから。他所で眠ってね」
「えっ? ど、どうして!? それにあたしは何処で眠れば」
「亜森さんと、一緒に眠ればいいじゃない。これまで皆を心配させんたんだから、これはお仕置きです」
顔を真っ赤に染めた胡桃の返答を聞かず、悠里は彼女の身体を部屋から押出し、扉を締めた。
扉の外で悠里の名前を呼ぶ胡桃だったが、諦めたのか渋々といった様子でその場を離れ、屋上へと歩みを進めていった。
「……りーさん、くるみちゃん行っちゃった?」
「ええ、行ったわ。結構、渋ってたけど」
「ようやく、先に進める気になったみたいですね。くるみ先輩も」
二人の会話を隣の寝室の扉越しに聞いていた由紀と美紀が、ようやく行ったかと顔を出してきた。
「一足とびどころじゃないくらいまでのことをしたのに、最初の一歩が重いんだから。全く」
「でもこれで、くるみちゃんもアモさんも、元通り元気になるよ!」
「ええ、別の意味で元気になるかもしれませんけど」
美紀のつい飛ばした冗談に、悠里も由紀も、そして言葉にした美紀自身もほんのりと頬を染めた。
皆分かっているのだ、月夜の晩に行われる年頃の男女の逢瀬が、どういう結果をもたらすのか。
三人は顔を寄せ合い、誰も聞いていないにも関わらず、小声で会話を交わす。
(いやいや、まさか、ね?)
(そ、そうだよねぇ! まさか、くるみちゃんが。うん、まさか)
(そうですよっ、そんなこと……いや、あの様子だともしかするともしかするかも)
(……心配になってきたから覗きに行こうかしら)
(だ、だめ! くるみちゃんの一世一代の大仕事だよ! それを興味本位に)
(でも、気になりませんか?)
(き、気になる……超気になるけど! でもだめっ!)
(はいはい、この話はこれまで。後は寝室で話しましょ? 夜は長いんだから、覗きに行かないけど、話すのはいいでしょう?)
(いいね! ぐふふ、くるみちゃん。明日どんな顔して戻ってくるやら)
(悪い顔してますね、先輩)
(えー、そんなこと……あるかも)
やいのやいのと騒ぎながら三人は寝室へ向かい、車座になってガールズトークを続けるのだった。
屋上の扉の前に立つ胡桃は、早鐘を打つ心音が亜森にも聞こえやしないかと心配になりながら、扉を開ける勇気を何とかして振り絞ろうとしていた。
手を伸ばしては引っ込める、そんなことを既に五分は繰り返していた。
「ううぅ、りーさんがあんなこと言うから……」
しかし、悠里はこうも言っていた。亜森の元気が無いようだ、と。
(そうだ、これはあたしのためじゃなく、アモの為なんだ。そうだ、そういうこと。そういうことにしよう、うん。……そうだとしても、恥ずかしいぃ)
羞恥に震え、顔を両手で覆い隠す胡桃。
そして、意を決して手をどかす。
これは戦いなのだ、ねだるな勝ち取れと、遠い誰かが言っていた気がしないでもない。
出陣前の最後に、自身の格好を改めて見直す。
(もうちょっと、シャワーで綺麗にしてきたほうが……汗、臭ってないかな? 下着も可愛いものの方にしておけば……いやいや、そういうことをしに来たわけじゃ。……ちょっと勿体無いけど。いや、これでいいから。普段通り、そう! 普段通りが一番いいはず)
胡桃は覚悟を決めて、ドアノブを回し扉を開けた。
亜森のいる方向へ向き直り、ランタンの灯りに佇む彼の後ろ姿を視界に収めた。
逸る気持ちを何とか押さえ込み、亜森の側へ近寄っていく。
「アモ、教室にいないから探したぜ。こっちにいたのか」