がっこうぐらし with ローンワンダラー   作:ナツイロ

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※誤字報告ありがとうございます。修正適応しました。


第15話 エマージェンシー!

 その書類を前に、胡桃は自身の中で沸き起こる怒りを、抑えきれなかった。

 

「何だよ、これは……。何なんだよッ!」

 

 バシンッと部室のテーブルを叩き、苛立ちをぶつける。

 由紀を除く全員が、部室にいた。

 テーブルには、美紀がめぐねえの私物から発見した、『職員用緊急避難マニュアル』の冊子が皆に見えるように置かれていた。

 

「こんなものが、めぐねえの私物の中にあったの?」

「佐倉先生の……、めぐねえのノートに挟んでありました」

 

 亜森と美紀を除く二人が、複雑な表情を浮かべて問題の冊子に視線を向けている。

 タイトルからして、どう見ても不穏な内容なのが一目瞭然であった。

 

「めぐねえが……、知ってたってのか。最初から? そんなわけないだろっ!」

 

 怒りが爆発し、胡桃は美紀のサスペンダーを掴み上げ、怒鳴った。

 

「恵飛須沢、落ち着け。直樹に当ってどうする」

「そうよ、くるみ。落ち着いて」

 

 胡桃を宥めるように悠里は間に入り、距離をとらせる。

 美紀は外れたサスペンダーを肩に掛けなおして、めぐねえは知らなかったのではないかと、自身の考えを伝えた。

 実際に美紀自身がそう感じていたし、わざわざめぐねえを悪者扱いする必要性も感じなかったためだ。

 

「根拠は、あるの?」

「はい、表紙の注意事項を見て下さい」

 

 そう言って、美紀は冊子を指差した。

 

「開封する場合の、条件が載っていますよね? その、めぐねえはこのマニュアルの存在は知っていても、中身はこんな事態になるまで、把握していなかったんだと思うんです」

「真面目な先生だったんだろ? それなら納得だよ」

「……そんなところでしょうね」

「こんなことになって、開いてみたら……ってことかよ」

 

 めぐねえを直接知る胡桃と悠里は、沈痛な面持ちでマニュアルを眺めた。

 皆を助けるために犠牲になっためぐねえが、最初から知っていたなんて、考えたくもなかった。

 

「言ってくれれば、……一言、言ってくれれば」

「落ち着いて来たら、伝えるつもりだったのでは?」

 

 美紀のそのなんとなしに言った言葉に、胡桃は自分を抑えられず、彼女の胸ぐらに掴みかかった。

 めぐねえを直接知らない、あの頃どんな思いで過ごしていたかを知らない美紀の言葉を、看過出来なかったのだ。

 

「さっきから知った風な口を……ッ」

「恵飛須沢、やめろ!」

「くるみ!」

 

 今にも殴りかからんとする胡桃を、亜森は二人の間に腕を差し入れ強引に止める。

 亜森に肩を掴まれ、頭を冷やせと諭されたところで、胡桃はようやく自身の右手が拳を形作っていることに気付き、気まずそうに離れ、美紀に小さく謝罪した。

 胡桃も、自分が美紀に当たるのは筋違いだと分かっている。

 それでも、突然目の前に現れた現実に戸惑いと困惑、苛立ちと様々な感情を覚え、自身の中で消化しきれなかったのだ。

 美紀に辛く当たったのは、偶々言葉にしたのが彼女だったというだけ。

 それだけの理由だった。

 

「ごめん……みき、カッとなった」

「い、いえ。良いんです、私も言葉を選ぶべきでした」

 

 胡桃が落ち着きパイプ椅子に座り込んだところで、亜森もマニュアルの確認作業に戻った。

 パラパラとめくり、一通り目を通していく。

 前置きや心構えは必要ない、必要なのはこの事態を理解するための、そして自分達に有用な何かだ。

 それに、学校の見取り図によれば地下に避難区域があるらしい。

 更に読み込んでいくと、非常に気になる記述を見つけた。

 感染症の種類と、それらに対応した感染症別救急セットの存在だ。

 黒塗りで塗りつぶされた項目が、更に不穏さを煽る。

 いいや、それは今は捨て置いて構わない。

 

 読み進めると避難区域に用意された物資は、十五人以内での避難生活を想定しているようで、救急セットもそれに合わせて数が用意されていると考えられた。

 学園生活部と亜森の五人であれば、充分に割当が可能な量だろう。

 食料の存在も気になるが、まずはその救急セットの薬剤が本当にあるのかどうか、確かめたいところだ。

 もちろん、最悪の事態など起こらないに越したことは無いのだが。

 

「亜森さん、ちょっと貸してください」

「あぁ、ほら」

 

 美紀から見せて欲しいと言われ、目を通したマニュアルを彼女の前にずらす。

 

「ここを見て欲しいんです」

「ここって……地下二階の、非常避難区域? こんな所があったなんて」

「……アモ、知ってたか?」

「いいや、その辺りは目ぼしい物が無さそうだったし……。そういや、学校全体を見て回ってなかったかもしれないな」

「そんな暇、ありませんでしたし……。ここ最近はずっと、やることが出来て忙しかったから」

「それはそうなんだけど……、迂闊だったよ。気が付いていれば、もっと早く見つけられたのに」

「アモが悪いんじゃないだろ、強いて言うなら……あたし達皆の責任だ」

「……そうですね。手分けして探索しなくても、皆一緒にやれば安全に行動出来たはずですし」

 

 亜森の自戒に、三人は口々に否を突きつける。

 誰の責任かなど、追求したところで意味がないことを、皆分かっていた。

 

「それで、ここにはどうやって入るのかしら?」

「ここみたいです。シャッターがあるようですけど……」

 

 美紀は、一階のある地点を指し示した。

 『学食及び購買部倉庫』から『機械室』を抜けた先に、問題の地下へ続く階段があるようだ。

 

「一階だな、ひとっ走り見てくるよ」

 

 ガタリと椅子から立ち上がり、胡桃はシャベルを担いだ。

 

「待て、一人じゃ危険だ。俺も行く」

「……分かったよ、じゃあ二人でだ」

 

 亜森の言葉に頷き返すと、胡桃は廊下へと向かう。

 

「くるみ、大丈夫なの?」

「あの、私も……」

 

 心配する二人の声に振り向き、問題ないと胡桃は返事を返した。

 

「大丈夫だよ、偵察だし。……それにほら、アモだっているし」

 

 胡桃は隣に立っている亜森を、顎でしゃくってみせる。

 まぁそれならと、悠里と美紀はそれ以上追求しなかった。

 扉に手をかけた胡桃は、その場で一旦立ち止まり、美紀に謝罪の言葉を投げ掛ける。。

 

「なぁ、みき。さっきは……その、悪かったよ。当たったりして」

「いいえ、いいんです。……気をつけてくださいね、二人共」

「ちょっと見てくるだけだよ、心配すんなって」

 

 

 

 亜森と胡桃は、連れ立って廊下を歩く。

 胡桃の様子が気になるようで、亜森は何度もチラチラと視線を滑らせる。

 

「……何だよ、さっきから」

「いや……、大丈夫なのか?」

「何が」

「さっきの事だ、佐倉先生の事で苛ついてたろ」

「悪かったよ、空気悪くして」

「そうじゃない、恵飛須沢。君が大丈夫なのかって、聞いてるんだ」

 

 階段に差し掛かった胡桃は、その亜森の言葉に立ち止まってしまう。

 大丈夫なわけがなかった、"もしかして知っていたのでは?"という疑念と、そんなこと信じられない気持ちが胡桃の中に渦巻いている。

 胡桃は力なく階段に座り込んで、頭を抱え込んだ。

 

「大丈夫なわけ……無いだろっ。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたら良いか分かんねー」

 

 座り込んだ胡桃を見て、亜森も直ぐ隣に座り、彼女の話を静かに聞いた。

 

「大体、生物兵器って何だよ。そんなもののために皆、……めぐねえは犠牲になったのか?」

 

 "くそったれっ!"、そう言って胡桃は両手で顔を覆った。

 胡桃の手の隙間から、一筋流れる涙を見た亜森は、自身の左手を彼女の右肩にそっと重ねた。。

 まだ高校生の胡桃が、受け止めるには重い現実だ。

 

「先生は、皆を助けるために命をかけた。そうだろ? それじゃ足りないか?」

 

 亜森のなけなしの慰めに、胡桃は力なく首を振る。

 その御蔭で胡桃達は生きている、それは間違いない。

 間違いないが……、もし予めマニュアルの存在を学園生活部の皆が知っていたら、もっと違った結末があったかもしれない。

 例えばそう、まだめぐねえが生きている、そんな結末だ。

 根拠も何もない、あやふやな考えだが、一度脳裏を過ぎれば嫌でも意識してしまう。

 私達は、そんなチャンスを気づかない内に、見過ごしていたかもしれない。

 そのような思考が、胡桃を埋め尽くしていた。

 

 亜森は、静かに待った。

 このような時、どんな言葉も心に響かないのだ。

 亜森も、同じではないが似たような経験は、連邦で何度も体験してきた。

 あの時は自身を責めたが、仲間たちはずっと側に居てくれた。

 それがどんなに、心強かったか。

 今度は、自分が誰かの側にいる番だ。

 今のところはこの娘の側にいるのが仕事だなと、亜森は心の中で呟いた。

 

「……もう、いいよ。大丈夫」

 

 涙を拭った胡桃は、一言亜森に告げると徐に立ち上がった。

 泣き腫らすほどとは言わないが、目元は若干赤い。

 亜森も立ち上がり、何も言わず胡桃の様子を見る。

 

「何だよ、ジロジロ見て」

「本当に、大丈夫か? 戻っていても、良いんだ」

「いいや、行くよ。あたしが言い出したんだし、それにトレーニングだってしてきたんだ」

「……無理は、するんじゃないぞ」

「分かってるって」

 

 胡桃は軽い調子で答え、階段を降りていく。

 仕方ないかと、亜森は内心嘆息しつつも、胡桃の後に続いた。

 

 

 

 バリケードを超え、一階に降り立った二人は、互いの死角を補い合いながら『学食及び購買部倉庫』を抜けていく。

 学食というだけあって、複数のテーブルと椅子が並んでいる。

 ここもあの日以来、生きた人間がいた様子はなく荒れ果てていた。

 床やテーブルには、血飛沫や血溜まりがあちこちに散乱し、どす黒く変色して埃が薄く積もっている。

 

「ここも、酷いもんだ」

「あぁ、大分前に倉庫の食料を三階に運んで以来、ここには来てなかったよ」

 

 胡桃は手元のペンライトで辺りを照らしては、惨状に眉をひそめている。

 

「それにしても、いないな……あいつら」

「これまでかなり始末してきたけど……確証は無い、気をつけて行こう」

「あぁ」

 

 乱雑に置かれたテーブルや椅子を通り抜け、機械室への扉にたどり着く。

 亜森は10mmピストルを片手に、静かにドアノブを掴む。

 そして胡桃と目で合図を交わし、ゆっくりと捻った。

 音もなく開く扉の先に銃口を向け、機械室内を確認していく。

 どうやら、ここにもいないようだ。

 後ろに続く胡桃に合図を出し、ここの安全を伝えた。

 

「大丈夫、みたいだな」

「あぁ、扉におかしなところも無かった」

「それにしても、一体何の機械だ。これ」

 

 胡桃の疑問に、亜森もライトに照らされた機械群を眺める。

 うるさくはないが、今も作動音を奏でている。

 コントロールパネルらしき物には、モニターが取り付けられ、幾つもの数字が並んでいた。

 配管パイプに水と表記されていることから、恐らく地下水組み上げポンプやろ過装置なのだろう。

 機械室の壁や天井に、それらの配管が縦横無尽に走っている。

 

「多分だが、地下水を組み上げたり、ろ過したりするんだろうな」

「へぇ、こんなところにあったんだ。知らなかったなぁ」

「普段は生徒が入るような場所でも無いだろうしな、大半は知らないんじゃないか?」

「何か数字並んでるけど……、さっぱり分からん。アモ、分かる?」

「問題なく動く内は、触らないことにしてる。特に、こういうデカいやつには」

「分からないなら、そう言えばいいじゃん」

 

 胡桃のからかうような言葉に、肩をすくめるだけで答え、先を促す。

 

「俺の知識不足はそのぐらいにして、先に行こうぜ」

「分かったよ、そう拗ねるなって」

「いいや、拗ねてないね。全く」

「全く? これっぽっちも?」

「あぁ、そうだ。もちろん、これっぽっちも」

「分かった分かった、拗ねてない。これでいいだろ?」

「最初っから、そう言ってる」

「はいはい、そうですね」

 

 肘で小突き合いながら、二人は機械室の奥へと進んでいった。

 

 

 

 地下への入り口となるシャッターには、暗証番号入力式のセキュリティが設置されていた。

 しかしながら、既に何者かが中に入っていったようで、黒く乾いた血がキーパッドやシャッターへ続く通路の床に点々と落ちていた。

 そのシャッターにも、何処かから持ち出したのだろう生徒用の机が挟まれており、人がくぐれば軽く通り抜けられる程度には隙間が出来ている。

 

「誰かが、先に来ていたようだな」

 

 亜森が、キーパッドの血やシャッターの机を顎でしゃくってみせる。

 ライトをそちらに向けた胡桃も、それらを確認した後、シャッターの隙間を覗き込みながら、耳を澄ませてみた。

 

「……、何か聞こえる?」

「いや、聞こえないな。さっきの機械室の方が、まだうるさいぐらいだよ」

「血があるってことは……、怪我してたか噛まれたってことだよな。もっと言えば、マニュアルを知っていた誰か……」

「可能性はそうだが。ここまで、床のホコリに人の痕跡は見当たらなかった。入ったけど、出てきてないな、これは」

「生きてる、と思う?」

 

 胡桃は不安そうに、しかし生存も期待していない様子で、亜森に尋ねる。

 同じように覗き込んでいた亜森は、一旦立ち上がり答えた。

 

「生きてるんなら、随分前に出会ってたって良かったはずだ。俺や直樹に、出会う前にな」

「……あいつらに成ってるなら、どうして出てきてない? 普段の行動を辿るはずだろ?」

「感染前に死んだか……、自分で始末を付けたか、だな」

「始末って、つまり……」

「想像通りだと思う」

 

 亜森の率直な意見に、胡桃は"くそっ"と吐き捨て、顔をしかめた。

 その様子を、亜森は心配そうに見守る。

 

(やはり、戻したほうが良かったか? 普段の余裕が見られない。とはいえ、一人で考え込ませても良いことは無いし……)

 

 亜森が思案している間に、胡桃はある提案をしてきた。

 

「アモ、ここからはあたし一人で行かせてくれよ」

「ダメだ、何言ってる? 二人一組が基本だろうが」

「ここに入ったやつはッ! マニュアルの中身を知ってたんだ!」

「……そうだな」

 

 突然の胡桃の言葉に、亜森も面食らい言葉少なに返すしか無かった。

 

「そいつが死んでようが、あいつらに成ってようがどうでもいい。そいつを見つけたら……、あたしはどうするか分からない」

「……」

「でも、……そんなあたしの姿を、アモに見せたくない。見て、欲しくないよ……」

 

 胡桃は今の表情すら見られたくないのか、亜森から見えないように視線を反らして、拳を堅く握っている。

 

「俺は、『やられたらやり返せ』が当たり前の世界にいたんだぞ? そんな姿で幻滅したりしない、持ってて当然の感情だよ」

「……あたしは、そこまで割り切れないよ」

 

 絞り出すようなその言葉に、亜森は腕組みをして思案する。

 彼女が一人で行くのは、心配ではあるが構わなかった。

 避難区域に大量にゾンビがいる可能性はほとんど無く、いても一体や二体、少なくとも片手に余る程度だろう。

 そのような状況であれば、シャベル一本でも何とかして来た胡桃なら、危険性は非常に低い。

 気がかりなのは、胡桃の精神状態だ。

 目的を遂げて、気持ちに区切りが付けられるなら、それでいい。

 問題は、目的を遂げてさえ、気持ちが晴れないかもしれない懸念があることだ。

 連邦に染まった亜森なら、鉛弾をワンマガジン分も打ち込めば、大抵の場合気も晴れるのだが。

 その点胡桃は、日本の女子高生。

 ゾンビアポカリプスを仲間とともに生き抜いてきた彼女だが、憎悪や殺意といった感情とは縁遠かったはず。

 暗くて重い感情は、同じ人間に向けられるものだ。

 ゾンビ相手では、精々苛立ちや恐怖だったろう。

 胡桃は、初めての強い感情に振り回されているのかもしれない。

 亜森は腕を解き、分かったと一言伝えた。

 

「ただし、これを持っていけ」

 

 亜森は、自身の10mmピストルを胡桃に差し出し、持たせた。

 

「いいよ別に、訓練でもそんなに当たらなかったしさ」

「頭じゃ無くたっていいんだ。胴体に何発か打ち込めば、バランスも崩す」

 

 言葉を続けながら、亜森は予備のマガジンをもう一つ手渡す。

 受け取った胡桃は、それをポケットに突っ込み、亜森の言葉を聞いていた。

 

「危ないと思ったら、直ぐに呼ぶんだぞ? 叫んでもいいし、その銃で入口周辺を撃ったっていい」

「叫ぶ? あたしに『きゃぁ~』なんてセリフ、似合うわけないだろ」

「その時は、録音しといてやるよ」

「絶対、言わないからな」

 

 Pip-Boyから代わりのパイプライフルを取り出した亜森は、シャッターの直ぐ近くで膝をつき、警戒体勢を取った。

 その隣を、胡桃がくぐり抜けていく。

 

「アモ……、その、ありがと」

 

 亜森は頷くだけで返事を返し、パイプライフルを構え直した。

 ライトで暗がりを照らし、胡桃は階段を静かに降りていく。

 

 

 

 階段を降りた胡桃は、地下倉庫へ通じる通路へ差し掛かった。

 通路には水がどこからか洩れているらしく、靴底一枚分程度の水が張っている。

 奥の方にライトを向けても、奥の方までは照らされず、ポケットに準備していたケミカルライトを折り、通路の中程へ放り投げた。

 

 胡桃は、その淡い光に引き寄せられたゾンビを見て、動揺から手元のライトを落としてしまう。

 

(何で、どうして……。どうしてこんなところにっ、めぐねえ!)

 

 その特徴的な紫のワンピースを、胡桃が見間違えるはずも無かった。

 めぐねえ、学園生活部の三人を守るために、犠牲になった先生。

 通路の丸い柱の影に隠れた胡桃は、顔を覗かせてもう一度観察する。

 確かに、めぐねえだった。

 

「ちくしょっ、めぐねえ……どうしてこんなトコに。何で」

 

 胡桃は渡された10mmピストルを両手で構え、照準をめぐねえの中心へと合わせようとした。

 でも、どうしても手が震えて、まっすぐ銃口を向けることが出来ない。

 

「何でだよっ、……どうしてだよ! めぐねえ!」

 

 定まらない銃口の事は、既に頭になく、ありったけの銃弾を浴びせる。

 しかし、どうしても当たらない。

 当てられないと、表現したほうが適切かもしれない。

 カチカチと弾が無くなっても、引き金を引いてしまっていた。

 胡桃は、一発も当てることが出来ず、めぐねえの接近を許してしまう。

 

「どうしてだよっ!?」

 

 予備のマガジンなど忘れてしまった胡桃は、シャベルを構えめぐねえに向かって振りかぶる。

 しかし、どうしても振り下ろせなかった。

 めぐねえは既に、危険な位置にまで近づいている。

 

(ちくしょう、めぐねえ……)

 

 めぐねえの手が、伸ばされる。

 

「あ……、アモッ」

 

 もう、遅かった。

 

「助けてッ!!」

 

 

 

 

 その声を聞いた時、亜森は自身の判断を後悔した。

 直ぐ様シャッターをくぐり抜け、Pip-Boyのライトで暗がりを照らしながら、全速力で胡桃の元へ向かった。

 たどり着いた時には、胡桃は右肩付近を押さえて壁にもたれ掛かり、その直ぐ近くにはワンピースを来た女性のゾンビが一体。

 亜森は怒りのあまり、V.A.T.Sを使うことも忘れパイプライフルの銃口を向け、三度発砲した。

 殆ど無意識の銃撃ではあったが、身体に染み付いた経験は、銃弾を正確に目標へと導いていた。

 銃弾は正確に心臓に二発、頭部に一発。

 それぞれの組織をずたずたに引き裂き、機能停止に追い込んで役目を終えた。

 

「恵飛須沢ッ!」

 

 普段は声を荒げる事のない亜森だったが、そんなことは気にしてられなかった。

 胡桃に駆け寄った亜森は、胡桃の状態を確認する。

 右腕が、噛まれていた。

 一瞬、腕を切り落とすことを考えたが、噛まれた位置が心臓に近すぎることもあるし、感染が既に広がっている可能性もある。

 実行したところで、失血死が落ちだろう。

 

「恵飛須沢、こっちを見ろ。こっちだ、俺の目を見るんだ!」

 

 胡桃の頬を両手で挟み、強引に顔を向けさせる。

 さまよっていた胡桃の視線が、亜森に焦点を合わせた。

 

「見えッ、てる、よ」

「ほら、指は何本見える?」

 

 顔の前でピースサインを作り、左右に振る。

 胡桃の目が、それを追った。

 

「馬鹿にっすんな、二本、だろ」

 

 意識はまだある、言葉も明瞭だ。

 しかし、亜森は焦る気持ちを抑えられなかった。

 このまま何もしなければ、確実に胡桃はゾンビの仲間入りを果たすことになる。

 そんなことは、御免だった。

 

「恵飛須沢、マニュアルに書いてあった物資に、救急セットがあったのを覚えてるか」

「救急、セット?」

「それに賭けるしか無い、行くぞ」

 

 亜森は返事も聞かず、胡桃を左手一本で抱き上げた。

 傍らに落ちていた10mmピストルをホルスターにしまい込み、地下倉庫へ駆けていった。

 亜森に抱えられ、首に抱きつく形になった胡桃は、ポツリと言葉をもらす。

 

「アモ……ごめん」

「謝らないでくれ、俺が強引にでも付いて行くべきだったんだ」

「そんなことッ、無い」

「この話は、後にしよう。今は治療が先だ」

「……うん」

 

 倉庫にたどり着いた亜森は、胡桃を抱えたまま、棚にしまってある物資に目を通していく。

 しかし、救急セットらしきものは見当たらない。

 苛立ちが重なる中、胡桃が棚の間にある通路の先を指差す。

 

「アモ、あれ……」

「見つけたかッ」

 

 胡桃の指差す先にあるケースに近づき、それに医薬品と書かれたラベルが貼り付けてあることを確認した。

 抱えていた胡桃を床へと優しく降ろし、物資満載の棚へと寄りかからせる。

 ケースには手形の様な乾いた血が付着していたが、気にする風でもなく蓋を開けた。

 中には救急セットに、非常持ち出し袋が入っていた。

 救急セットを取り出し、亜森は中身を医薬品ケースの中にぶちまける。

 探しているものは、感染症別の薬剤だ。

 感染症の系列の説明には、研究中の文字があったことから、間違いなく試験薬の類だろう。

 しかし、それ以外に頼れるものがない。

 大いに癪に触るが、マニュアルの内容を信じるしか無かった。

 注射器とアンプルを見つけた亜森は、医薬品ケースを引き寄せ、胡桃の側に膝をついた。

 

「コイツを投与すれば、恵飛須沢、君は助かる。だから、気を強く持て」

「ハァハァ……、ホントかよ」

「信じるしかない」

 

 亜森の言葉に、胡桃はコクリと頷いた。

 それを見た亜森は、自身の両手に消毒液を振りかけ、胡桃の患部を確認していく。

 患部周辺を触れられた胡桃は、痛みに呻き声を洩らしている。

 幸い、噛み跡に欠けた歯などは無いようだ。

 亜森は殆ど破れていた制服の袖を引きちぎり、患部へと消毒液をかけて脱脂綿で拭き取っていく。

 

「痛ぅ、……ハァハァ。女子高生のっ、制服を破るなんて……変態」

「こんなものは序の口だぜ? もっとスケベなことだって考えてる」

「へへっ、アモの……エッチ」

「それだけ言えるなら、心配ないな」

 

 今はどんな会話でもいい、胡桃の意識を繋ぎ止めることが重要だった。

 生きることを諦めている人間は、どうやっても助けられない。

 

「薬剤と、傷口が化膿しないように抗生物質を打つ。悪いが鎮痛剤は、上に戻ってからだ。今眠ってもらっちゃ困る」

「うん。……もし、あたしが」

「もしなんて無い、必ず助かる」

「……あたしが助かったら、アモにキスしてやるよ」

「あぁ、大人のヤツを一発頼むぜ」

「えへへ、約束……だ」

「楽しみにしてる」

 

 だから諦めるな、亜森は口にこそしないが、胡桃にそう伝えるように目を合わせた。

 薬が効き始めたのか、胡桃の身体は少しばかり熱っぽくなっていった。

 亜森は胡桃の腕に噛み跡が残らないように、Pip-Boyからスティムパックを取り出し、ガーゼに中身を浸して患部へと当てる。

 直接投与するより効き目は緩やかだが、この程度の傷であればこれで十分だ。

 ガーゼを包帯で固定した亜森は、医薬品ケースの蓋を閉め、まるごとPip-Boyへと収納した。

 そしてもう一度胡桃を抱え上げ、その場を後にする。

 

 やれることは、全てやった。

 後は、薬剤が効くことを願うだけだ。

 いや、その前に学園生活部の皆に説明しなければならない。

 反応の想像はつくが、やらなければ。

 亜森は、これからのことを覚悟していた。

 最悪の時は、……。

 今はよそう、そんな事より胡桃を、安全な場所へと移動させる事が先決だ。

 亜森は急いで、三階へと向かった。

 

 

 

 部室で学園生活部の三人は、昼食は何にしようかと話し合いながら、二人を待っていた。

 しかし、ガラリと扉を開けた亜森と、彼に抱えられた胡桃を見て、ただならぬ事態が起きたことをすぐに認識した。

 

「く、くるみ? どうしたの? その包帯はッ!?」

「……恵飛須沢が、噛まれた」

「そんなっ」

「丈槍、救急箱と洗面器に水を入れて持ってきてくれ。清潔なタオルも、何枚か頼む」

「う、うんっ。分かった」

「直樹、丈槍とは別に飲水を頼む。それと、『マニュアル』を持ってきてくれ」

「わ、分かりました! ゆき先輩、行きましょう」

 

 二人に指示を出した亜森は、悠里にもソファーのある教室を開けてくれと、頼んだ。

 

「……はい」

「りーさん……ごめん」

「っ! くるみ、大丈夫なの!?」

 

 胡桃の言葉を聞いた悠里は、焦るように彼女の顔を覗き込んだ。

 

「……ねえ、だった」

「えっ?」

「……めぐねえ、だったんだ」

「――そんな、ことって」

 

 その胡桃の言葉が本当なのか、亜森にも視線を向け確認を求めた。

 

「俺は佐倉先生を直接知らないから、ハッキリとは言えない……。ただ、紫のワンピースを着た女性だった」

「そう……ですか」

 

 教室の扉を開けて、胡桃をソファーへと横たわらせる。

 悠里はクッションとして置いてあるそれを、枕として胡桃の頭の下へと差し込み、タオルケットをかけた。

 

「どうして、……どうしてっ、こんなことに! なったんですかっ! 貴方が、付いていながら!?」

 

 突然突きつけられた仲間の致命的な負傷に、悠里は怒りを抑えられず、守ってくれるはずだった亜森の身体を叩く。

 何度も打ち付けられる拳に、亜森は一切抵抗しなかった。

 

「すまない。俺の……責任だ、彼女を一人にするべきじゃなかった」

「貴方ならっ、守ってくれるって……」

「すまない」

 

 既に手首が痛くなってきている悠里だったが、弱々しくなっても、その手を止められなかった。

 

「……りーさん」

「くるみ?」

 

 横になっている胡桃から、悠里に弱々しくあったが声がかかる。

 

「大丈夫? 気分はどう?」

「ハァハァ、アモが……悪いんじゃないだ。あたしが、一人で行きたいって頼んだんだ」

 

 胡桃の言葉に、一度亜森を振り返るが、小さく頷かれ、それが真実だと分かった。

 

「どうして、そんなことしたの?」

「マニュアルを知ってたヤツが……中にいると思ったんだよ。それに、みきに八つ当たりしちゃったし、頭を冷やす時間が……欲しかった」

「一人じゃ行動しちゃいけないって、決めてたじゃない!?」

「うん……、だからごめん。りーさん」

 

 胡桃の手を握って、悠里は涙を堪えきれない。

 

「若狭、聞いてくれ。マニュアルに救急セットが保管してあると、書いてあったのを覚えてるか?」

「救急セット……それってつまり!?」

「既に、彼女に必要な薬は投与してあるんだ」

「それじゃあっ、くるみは……助かるの?」

「きっと、助かる」

 

 亜森は肯定すると、Pip-Boyから救急セットが入っている医薬品ケースを取り出した。

 中にはまだ、使用していない実験薬が残っている。

 それを見て、ようやく悠里は安心した様に、力なく手近な椅子に座り込んだ。

 こぼれ落ちる涙を拭うが、止まってはくれなかった。

 

 そこに、頼まれた物を準備した由紀と美紀が教室に入ってきた。

 

「二人共、ありがとう。そこに置いておいてくれ」

「うん、……くるみちゃん、大丈夫?」

「はい……」

 

 悠里は由紀に渡されたタオルを水で湿らせ、胡桃の顔を拭いていく。

 

「若狭、彼女の服を緩めてやってくれ。楽な体勢で休めるように。俺は廊下にいるから」

「分かりました……、あのっ」

「うん?」

「さっきは、ごめんなさい」

「いいんだ、俺が悪い」

 

 出ていこうとする亜森を、今度は胡桃が引き止めた。

 

「アモ、待って……行かないで」

 

 引き止められた亜森は、胡桃の側に近寄り、膝をつく。

 

「廊下にいるだけさ、何処にも行ったりしない」

「やだよ……もし薬が効かなきゃ、もう会えなくなっちゃう」

「もしなんて無い、そう言ったろう? 必ず、助かる」

「どうしてそんなことが分かるんだよっ! もし眠ったら、もうあたしじゃ無くなってるかもしれない!」

 

 胡桃の悲痛な叫びに、悠里、美紀、由紀の三人はビクつき心配そうに成り行きを見守っている。

 亜森は気にする事無く、安心させるように胡桃の右手を優しく包み込んだ。

 

「大丈夫、心配いらない」

「いやだよ……、皆に、アモに。もう会えなくなるなんて……、もう一緒にいられないなんて、やだよぉ」

 

 言葉が途切れる頃には、胡桃は泣きじゃくり、涙を隠すように左腕で目元を覆っている。

 亜森はその胡桃の腕をゆっくりと脇に除け、汗で貼り付く前髪を優しく払い除け、右手を彼女の頬に添えた。

 

「必ず、助かる。明日も明後日も、ずっと先まで、皆一緒だ」

「約束だって……、約束だってまだ果たして無いっ。アモ、嫌だよ、約束、破りたくないよ……」

 

 後ろで見守っている三人には、約束が何の事なのか分からなかったが、亜森と胡桃の間に大事な約束があることは、おぼろげながら感じた。

 亜森も、胡桃の言葉に一瞬、身体が強張る。

 亜森にも、投与した実験薬が賭けに近いものだという認識はあった。

 他人の亜森すらそう感じているのだから、当事者の胡桃の心情はどれ程のものか。

 不安と恐怖に押し潰され、感情が爆発している、亜森にはそのように感じられた。

 亜森は、分かったと、一言胡桃の耳元で告げると、一人腹をくくった。

 そうだ、ここまで来たなら、一蓮托生だ。

 生きるか死ぬか、死ぬとしても一人では行かせてやらない。

 亜森は側に置いてあった医薬品ケースを漁り、胡桃に投与したものと同じ種類のアンプルを、注射器にセットした。

 それを見ていた胡桃は、何となく何をするつもりなのか分かったようで、亜森を止めようとする。

 

「ま、待ってっ。アモ、今そんなことしたら、あたしの中のがアモに感染るかもしれない! アモにまで、そんな風になって欲しくないっ!」

「俺は、約束は守る。絶対にだ。それに……」

「それに……なに?」

「ダメだったとしても、一人じゃ死なさん」

「アモっ、待って――んむぅ!」

 

 亜森は自身の左腕に実験薬を注射し、唇を胡桃のそれへと重ねた。

 右手は胡桃の頬に添えて、押し返そうとする彼女の右手を自身の左手でそっと包み込む。

 胡桃は瞼を閉じ堅く口を結ぶが、唇を食む甘い刺激に、次第に亜森を受け入れるように唇は開かれ、差し込まれる彼の舌にぎこちなく自分のそれを絡ませていく。

 いつの間にか、胡桃の左手は亜森の上着をギュッと握りしめ、より彼を近くに感じようと引き寄せていた。

 瞼は薄く開かれ、とろんと目尻が下がっていく。

 数秒か、一分か、若しくはそれ以上。

 二人は時間を忘れて、互いを求めあった。

 唾液混じりの水音と胡桃の熱い吐息が、教室に静かに響く。

 その光景を見ていた学園生活部の三人は、突然始まった濃厚な口づけに、恥ずかしさからか手で目を覆っていた。

 しかしその聞こえてくる官能的とも言える音に、指の隙間を開けてずっと目が釘付けになっている。

 

 それから幾ばくかの時間が過ぎて、二人はようやく唇を離した。

 二人をつなぐ唾液の糸が、これまでの行為を物語っている。

 

「あっ……」

 

 胡桃は、もっとと離れる亜森を惜しむように瞳で懇願したが、彼は首を振って答えた。

 

「この続きは、恵飛須沢が元気になってからな」

「……、うん。約束……」

「あぁ、約束だ」

 

 最後に指切りをして、亜森はその場を立ち上がった。

 離れて立っていた悠里達三人は、未だ指の隙間から顔を赤くして二人を見ていた。

 

「何してるんだ? 三人共」

「それはこっちのセリフですっ」

「まぁそれはいいよ、若狭」

「ハイっ」

「さっき頼んだように、彼女の服を緩めてやってくれ」

「わ、分かりました」

「俺は、廊下にいるよ」

 

 亜森はそう告げて、教室を出ていった。

 教室に残された面々は、恥ずかしさを隠すように慌てて動き始めた。

 悠里は、亜森に頼まれた事を。

 由紀は、水で濡らしたタオルで、汗をかいている胡桃の身体を拭いてやった。

 美紀も何かをしようとするが、手元には飲水とマニュアルだけ。

 取り敢えず、教卓に水を置いて手持ち無沙汰になった美紀は、マニュアルを持って亜森のいる廊下へと出る。

 

「あの……」

「どうした?」

「いえ、さっきのは……。いや、何でも無いです。お二人の間で、何か約束があったんですよね? そんな感じの事が、聞こえてました」

「まぁ、そうだな」

 

 だからって、突然キスシーンに入らなくても良いだろう。

 緊急事態であるし、前々から怪しかった二人なのだから、別におかしくもないのだが。

 

「それで、どうしてくるみ先輩はあんな怪我を? たとえ一人でも、シャベル持ってる先輩なら問題無いはずでしょう?」

「……佐倉先生、めぐねえだったらしいんだよ。恵飛須沢を襲ったやつは」

「っ! それで、先輩は」

「あぁ、手を下せなかったんだろうな。親しい人を、二度死なせなければならない。しかも二度目は、自分の手で……。アイツはどんな気持ちだったんだろう……」

「そんなことが、あったんですね」

「俺が気付いた時には、既に噛まれた後で……。直ぐに佐倉先生を無力化したけど、間に合っちゃいなかった」

「……」

 

 亜森は自身を許せない様子で、苛立ちを壁をつま先で蹴ることで抑えている。

 

「それじゃあ……佐倉先生を、めぐねえを埋葬しないといけませんね」

 

 美紀が呟いた言葉に、亜森は彼女の方を見る。

 そして、うんうんと頷いて、賛同を示した。

 

「うん、今まで生徒を守ってくれたんだし。……そろそろ、休んでもらってもいいよな」

「はい、……埋葬は私達二人でやりませんか? 他の皆には、その、辛いと思うんです。きっと」

「……もちろん、それがいい。あぁそうだ、俺達でやろう」

「えぇ、もちろん」

 

 

 

 二人は、教室にいる悠里に事の次第を伝え、了解を得た。

 悠里は若干、埋葬に戸惑いを覚えていたようだったが、由紀に内容を聞かせるわけにもいかなかったし、彼女自身もめぐねえにはそろそろ休んでもらうことを望んでいた。

 亜森は胡桃に、痛み止めの鎮痛剤を注射し、彼女をゆっくりと休ませる。

 

「アモ……、めぐねえの事、よろしく。みきもな」

「分かってる、ゆっくり休んでいてくれ。じきに眠くなってくるはずだ」

「くるみ先輩、心配しないで。今は休んで下さい」

「……あぁ、分かってるよ」

 

 会話を済ませると、亜森は由紀にここで悠里を手伝うように頼んだ。

 めぐねえの埋葬のことを、彼女に悟らせるのは不味かった。

 由紀はまだ、めぐねえの事を受け止めるには時間がいる。

 

「丈槍、ここで若狭と一緒に恵飛須沢を見ていてくれるか? 無理して、起き出して来ないようにな」

「分かったよ! アモさん、任せて!」

 

 拳をグッと突き出し、由紀は元気よく承った。

 それを満足そうに確認すると、亜森と美紀はめぐねえを埋葬するために、地下へと向かった。

 

 

 

 地下の通路でめぐねえを改めて発見した二人は、遺体を用意しておいたレジャーシートで包み、ロープで結んでグラウンドの隅へと運び出していった。

 ちょうど植樹もされていない一角を見つけた二人は、予備のシャベルを用いて人が入れる程度の大きさで、深さ約二十センチ程度の穴を掘る。

 その穴に遺体を安置して、亜森はPip-Boyよりガソリン携行缶を取り出す。

 

「火葬するんですか? そのまま、土をかぶせるんだと思ってました」

「血の匂いで、動物が掘り返す可能性があるから。……それに、ウィルスか細菌か、何なのか見当もつかないが、それを死滅させないと」

「……そうですね、それが良いと思います」

 

 穴の側面に空気の通り道を作り、亜森は遺体にガソリンを満遍なくかけていく。

 全てかけ終えた亜森は、美紀を後ろに離れさせ、マッチを一本擦り火をつける。

 

「佐倉先生、こんな形じゃなくて生きてる時に会いたかった」

「……めぐねえ、お疲れ様でした」

 

 火の付いたマッチを穴に弾き、ボゥっと炎が立ち上がる。

 燃え始めた事を確認した二人は、周囲にゾンビが寄ってくる前に、玄関のヒサシの上へと避難した。

 

「……よく、燃えてますね」

「あぁ、一缶全部使ったからな」

「どのぐらいで、燃え尽きるんですか?」

「火葬場みたいに火力があるわけじゃないから……、長く見て一晩かな。完全鎮火は」

「そうですか……」

 

 話している内に、美紀は亜森の手に十字架が握られているのを発見した。

 

「亜森さん、それは?」

「あぁ、これ……」

 

 美紀に問われ、手に持っていた十字架の付いたネックレスを掲げてみせる。

 

「佐倉先生の遺品かな、屋上の墓標にかけてやりたくて」

「その、触って大丈夫なんですか?」

「消毒液はかけたし……、それにほら。俺は、さっき試験薬を打ったしな」

「……ホントに、大丈夫なんでしょうか。あのマニュアルを、私は鵜呑みに出来ません」

「俺もだ、怪しいことこの上ない。でも、アレが嘘だったら……恵飛須沢は助からない」

「嘘でないことを祈るしか無い……ですか」

「あぁ、腹立たしいが、仕方ない」

 

 暫く炎を見ていた二人だったが、夕方の時間帯になり、三階へと戻っていった。

 慌ただしかったこともあり、昼食すら忘れていた面々は、胡桃のいる教室で乾パンや飲み物を持ち寄って簡単な夕食とした。

 皆、胡桃が心配だったのだ。

 その日は、そのまま教室で代わる代わる就寝し、胡桃の看病を続ける。

 そして、翌朝。

 

 

 

「あ、……その、おはよう。アモ」

 

 朝一で起き出した亜森の目に、ソファーに座り元気そうな姿を見せる胡桃が飛び込んできた。

 

「――おはよう、もう何とも無いか?」

 

 亜森はソファーに近寄り、胡桃の容態を心配する。

 胡桃は昨日のことがあるのか、照れくさそうに目線を反らし、問題ないことを伝えた。

 

「あ、あぁ。大丈夫だよ、薬が効いたみたい……。アモ、ありがとう」

 

 その言葉に、亜森は感極まり胡桃を強く抱きしめる。

 駄目かもしれない、亜森は何度もそう思った。

 二人は、賭けに勝ったのだ。

 それは間違いなかった。

 

「良かったっ、……ホントに良かったっ」

「お、おいっ。落ち着けよ、大丈夫だよ。ほら、何ともない。なっ?」

「あぁ、そうだな。嬉しいよ」

「全く、泣かなくたって良いじゃないか」

「泣いてないね」

「鼻、すすってる音が聞こえるんだけど」

「花粉症なんだ、突発性の」

「へぇ? 花粉症ね」

「そうだ、花粉症だ」

「それなら、仕方ないな。そういうことにしといてやるよ」

「あぁ、それで頼む」

(むしろ鼻詰まっててくれて良かったかも、……昨日は結局シャワー浴びてないから、汗臭いかも、しれないんだよなぁ)

 

 胡桃がそんな事を考えている内に、亜森は背中に回していた腕を解き、彼女の正面で目線を合わせた。

 

「本当に、大丈夫みたいだな」

「うん、心配かけてごめん」

「いいんだ、元気になってくれたらそれで」

「……うんっ!」

 

 二人は、見つめ合ったまま動かない。

 

「……あのさ、昨日の続き……」

「元気になったらって、アレか?」

「うん、……」

 

 胡桃はそれを期待するように、亜森を熱っぽい瞳で見つめる。

 昨日の唇の感触を、胡桃は忘れられなかった。

 

「俺はいつでもかまわないけど……、皆見てるぞ」

「そんな、まだ眠ってる……。あ」

 

 胡桃はスゥっと視線を動かした先で眠っているはずの、布団を被っている悠里達と目があった。

 三人は胡桃の様子に気がつくと、眠ったフリを続ける。

 声には出さないが、どうぞ続きをと、言われているようだ。

 顔が紅潮するのを、胡桃は止められなかった。

 

「~~っ、三人共! 寝たふりしてんじゃねぇーっ!!」

 

 胡桃の怒号が教室にこだまし、やれやれと三人は起き出してきた。

 全くゆき先輩のせいですよ、いやいやりーさんの態とらしいいびきこそ、私はみきさんが注目しすぎていたせいだと……。

 それぞれ、醜い擦り付けあいでじゃれながら、胡桃のいるソファーへと近づいてくる。

 彼女達も、胡桃の回復を喜んでいるのだ。

 ちょっと、タイミングを逃しただけで。

 

「くるみ、ちょっと言いたいことはあるけど……おはようっ!」

「くるみちゃん! おはよっ!」

「おはようございます!」

 

 胡桃は滲む涙を指で拭い、彼女達に元気よく答えた。

 

「あぁっ! おはよう!」

 

 危機を脱した学園生活部に、日常が戻った。

 




・職員用緊急避難マニュアル
学校の見取り図と、緊急事態に備えて用意されていた職員用のマニュアル。
見取り図を見て思ったのは、めぐねえのいた通路……どこにあんの?
シャッターの先は、また機械室だけど機械なんて見当たらないし……。

・十五人分はある救急セット
一応、この作品のオリジナル設定。
マニュアルにも、そう読み取れなくはない記述はあるが、実際は分からないので。
実際はもっと少なくして、内部崩壊を狙っていたのかもしれない。
やっぱ、こういう時の企業体はくそだな。
Vault-Tecと似たようなものか。

・めぐねえの埋葬(火葬)
さすがに、屋上菜園には埋められなかった。
火葬したのは、文中で語ったように動物に掘り起こされないためと、ウィルスの死滅が目的。
土葬が中心の欧米で、深く墓穴を掘る理由が動物対策だと、どこかで見聞きした覚えがあります。
何でも、死臭を閉じ込めるためだとか。

・スーパーマルチタレント胡桃さんの貴重なキスシーン
へへ、ようやくここまで来た。
でも原作的には、四巻の中ほど。
BGMはやっぱり、エンダァアアアイヤァアア……かな。

・めぐねえのロザリオ
書き終わって気が付いたが、一巻の時点で、菜園の十字架にめぐねえのリボンと共にロザリオも掛けてあるのを発見した。
四巻の回想シーンでも、ロザリオの鎖が千切れる描写がある。
……オリジナル設定ということで。
しかし、原作の回想シーンは心にくるものがあるなぁ。

・寝たふりを決め込む三人
そりゃあ、女子高生だもん。
気になるよ。

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