「よぉーし、次でラストだ」
「ふぅんぬうーッ、おおぉう! あとぉ、少しぃーッ」
「くるみちゃん、がんばれー!」
「ファイトよ、くるみ」
「頑張ってくださーい」
現在、胡桃は屋上で筋力トレーニングに励んでいた。
亜森手製の、単管を組み合わせた懸垂用簡易鉄棒で、必死に自身の肉体を引き上げようとしている。
滲む汗が額から頬を伝い、顎先から落ちていく。
その胡桃の隣では、同じように亜森も懸垂を行っているが、こちらは背中にペットボトルを詰め込んだリュックサックを背負った上で、軽々とノルマをこなし続けていた。
胡桃が必死に雄叫びを挙げながら最後の一回を終えようとしている間にも、すぐ隣でサクサクと進める姿は胡桃の神経を逆撫で、反骨心を奮い起こさせ最後の一回に力を振り絞る。
「だあぁっ! くそったれぇーっ! ふう、ハァハァ、終わったぁ~」
「お疲れっ、恵飛須沢。水分補給してっ、休んでてっ、くれっ」
懸垂を続ける亜森から、労いの言葉が降ってくるが、その声にはまだまだ余裕があるようで、リズムよく身体を上下させていた。
返事する気力も湧いてこない胡桃は、亜森の勧めに従って皆が揃っているベンチの方へと向かい、悠里から水を受け取る。
疲れた身体が新鮮な空気と水を求めて、心臓が暴れているのが分かる。
力の入らない腕をどうにか働かせ、受け取ったペットボトルから水を呷った。
溢れた水が口元から滴り落ち、汗で張り付く体操服をいっそう湿らせる。
しかし、そんなことも気にする余裕もないようで、酸素と水を交互に取り込み続けた。
「くるみ、そんなに急がなくても」
「ハァハァ」
「りーさん。くるみちゃん、聞こえてないみたい」
「そうねぇ、見てるだけでも疲れてきそうだったもの」
「結構ハードなんですね、亜森さん。でも、その本人が一番キツイことやってるんですよねぇ」
美紀の言葉を聞いた由紀と悠里は、未だにトレーニングを続ける亜森の方へ視線を向ける。
胡桃に合わせて、そして彼女以上に回数こなしたはずの亜森は、額に汗を浮かばせながらも更に回数を重ねていた。
水を飲み干した胡桃は、ベンチに横たわり疲れきった腕をダラリと広げ、呼吸を整えていた。
止まらない汗を拭うように、額に張り付いた前髪を払いのける。
「はぁー、きっつい。腕と手に力が入んねぇ、すっごくプルプルしてる」
「くるみちゃん、お疲れ様!」
「大丈夫ですか? 水、もう一つ持ってきましょうか?」
「頼むみき、それとタオルも……」
「分かりました」
頼まれた美紀は、作業スペースを覆うテントの下に用意された、保冷ボックスに向かう。
水のついでに、火照った身体を冷やすために保冷剤を渡すためだ。
戻ってきた美紀に礼を言って、胡桃は水とタオルに包まれた保冷剤を受け取る。
そのまま首筋へと当て、身体を循環する血液を冷やしていく。
「ああぁ~冷たくて気持ちいい」
「まぁ、これぐらいはしますって」
胡桃の呼吸が整った頃、ようやく亜森もノルマを終わらせ、背負っていたリュックサックをベンチ脇に置いて、張り詰めた筋肉を解すように腕を曲げたり伸ばしたり、クールダウンもどきを始めた。
「この、体力おばけめ」
「鍛えた年季が違うもんで。ま、最近はサボってたけど、継続は力なり、さ」
唇を尖らせ悪態をつく胡桃に、亜森は淡々と答えながら、自身も水分を補給する。
「亜森さん、今日のトレーニングはこれでお終いですか?」
ベンチでトレーニングを見守っていた悠里が、亜森に尋ねる。
今日は他にもやることがあるのだ、特に悠里が普段行っていることに深く関わることで。
「あぁ、終わったよ。この後は、プランター作りだったよな? 確か」
「はい、材料は三階の倉庫部屋に置いてあるので、持ってこなきゃいけませんけど」
「分かってる、もう少し休憩したら材料と必要な工具を取りに行こう。設計案は、先日話してたのでいいんだよな? 農業担当の若狭の意見なら、どんどん取り入れるぞ」
「はい、亜森さんがホームセンターで見つけてきてくれた、人が入れるほどの太さの塩ビパイプで作るんですよね? 私も、屋上に作るとしたらあんな感じで良いと思います」
先日の話し合いで提案され検討していた農地拡大計画の一つで、屋上に新たな巨大プランターを設け、食料生産の増大を目的としている。
計画案では、大きな塩ビパイプを縦に二つに割り、水抜き用の孔を開け、底に砂利を敷き詰め、土を覆いかぶせて完成させる予定であった。
両端に適当な大きさのベニヤ板を固定すれば、土の流失は抑えられるし、塩ビパイプの曲面を土嚢で支えてやれば傾く心配も無い。
「それなら良かった。あんまり複雑にしても、上手く行かないことが多いしな」
「そうですか? 亜森さんなら、簡単に作ってしまいそうですけど」
「きちんと計画して設計図まで作ってるなら、まぁ出来なくは無いけど。フリーハンドで行き当たりばったりは、俺には無理だよ」
そう言って、手に持った水を飲み干す亜森。
飲み足りないのか、更にもう一つのペットボトルを手に取る。
「それじゃあ、くるみが復活してから作業始めましょうか」
「了解、それまで休憩しとくか」
「あたしは今からでも良いけど……」
「くるみちゃん? 腕、ぷるぷるしてるよ?」
「うっ」
「もう少し休んでからで良いと思いますよ。時間は一杯あるんですから」
「わ、分かったよ。じゃあ、もう少しだけ」
それから約三十分ほど、胡桃はベンチで横たわりながら、青空の中、風に流される雲を見上げていた。
(こんなにキツイ、トレーニングとは思ってなかった……。後悔はしてないけど、あの時オッケーを出した過去のあたしをぶん殴ってやりたいぜ。陸上部の頃だって、ここまでみっちりやってなかったよ)
疲労に沈む胡桃は、今日のトレーニング内容を思い起こす。
準備運動からのランニングにスクワット、腹筋と背筋に、懸垂運動。
内容だけ羅列すれば、ちょっと身体を鍛える事が趣味という人間の運動メニューに見えなくも無いのだが、内容の濃さがおかしかった。
準備運動はともかくとして、ランニングはいつものシャベルを背負い、更に水入りペットボトルを詰めたリュックサック。
更に、亜森より手渡された、胡桃用に用意された弾を込めていないセミオートパイプライフル一式を両腕に抱え、まるで映画で見たブートキャンプのごとく、掛け声を挙げながら延々と屋上の端から端を行ったり来たり。
始めの内は胡桃もやる気に満ち溢れ、声を張り上げていたが、次第にトーンが落ち込んでいき、終いには必死に酸素を取り込むだけだった。
隣で一緒に走る亜森は、胡桃以上に重そうな装備であったがピンピンとしており、最終的には胡桃のライフルとリュックサックを取り上げて完走した。
胡桃はこの時点でマズい事になったと、薄々感づいていたのだが、時既に遅く。
今の今まで亜森と共に、将軍直伝のウェイストランド流にアレンジされたブートキャンプを行っていたのだ。
亜森自身は、胡桃の限界ギリギリで抑えていたつもりだったが、胡桃にはそんなこと分かるはずもない。
胡桃はただ、やり遂げた達成感と疲労を感じるだけだった。
一方亜森は、屋上に設置されている蛇口をひねり、頭から水を被っていた。
熱で火照る頭を冷やしつつ、トレーニング中の胡桃の様子を思い出し感心していた。
(陸上部に居たせいか、俺が初めて鍛え始めた頃より動けるんだから、恵飛須沢は凄いよ。悪態はついても止めようとはしないし、根性もある。案外、直ぐにトレーニングも必要なくなるかもしれないな)
亜森は、かつての自分自身と今の胡桃を比較して、思っていた以上にトレーニングに付いてこれた彼女を評価していた。
ひーこら言いながら、将軍にケツを蹴飛ばされていたあの頃を思い出し、懐かしさに浸る。
(あのヒョロガリだった俺が、他人を鍛えてるってんだから、世の中分からん)
蛇口を閉め、髪に残った余分な水気を手櫛でぬぐい落とした亜森は、日陰になっているテントの下で座り込み、時間まで屋上を抜ける風に当たりながら休憩することにした。
充分な休憩の後、材料を運び出した一同は、あれやこれや言いながらプランター作りを開始した。
由紀はバリケード制作以降、電動ドリルが気に入ったのか、穴あけ加工やネジ止めに並々ならぬ情熱を燃やし、そんな由紀を諌めながら、美紀は悠里特製の設計図を頼りに、材料に切断位置や穴あけ位置の印を付けていっている。
プランターの設計や使いやすい大きさ等の、使い勝手の部分の改良を悠里に任せ、亜森はプランターを支える土嚢作りに従事する。
土嚢の中身を調達するためにグラウンドに降りた亜森は、予備として回収していたシャベルを使って、地道に土嚢袋へと砂を詰め込んでいた。
その様子を、胡桃は生徒用玄関のヒサシの上で、パイプライフルを構えながら眺めている。
これは亜森に頼まれたもので、作業中の安全を確保するためであり、胡桃に課せられた訓練でもあった。
(くっそ、身体のあちこちが疲れでまともに動きゃしない……。でも、やんなきゃダメだよなぁ)
初めの内は、胡桃も渋っていた。
教室一つ分以上の距離の目標を、銃の訓練で撃ったことは無かったし、体力トレーニングの疲れでまともに扱えるとは思えなかったので、訓練を課した亜森に難色を示したのだ。
しかし、亜森はそれを一蹴する。
「恵飛須沢、君はまさか。疲れや使い慣れない道具を理由に、目の前に迫る命の危機を払い除けたりしないと、そう言うつもりか?」
それが仲間の命でもかと続く頃には、胡桃は亜森の差し出したパイプライフルを、引ったくるように受け取っていた。
その様子を満足そうに見守る亜森の顔が怨めしかったが、そう言われてはもはや引き下がれない。
結局胡桃は、亜森の思惑に載せられていると理解した上で、配置に付いていた。
今のところ、亜森の周囲に近づくゾンビは見当たらない。
死角になっている校舎の影が気になるが、現れないのであれば歓迎したい。
筋肉の強張りを解すように肩を回しながら、辺りを注意深く観察する。
そう言えばと、胡桃はかつてグラウンドに多くいたはずのゾンビが、最近は数を減らしてきていること思い出した。
亜森や美紀が加わる以前は、胡桃が自身の手で始末していたため、どうしてもゾンビの個体数を流入以上に減らすことが出来ていなかった。
(バリケードで安全が確保された、だけじゃないよな……、アモがいつの間にか始末してる。だから、最近あいつらの姿が疎らなんだ。これまで無力化したあいつらも、いつの間にかグラウンドの隅の方に積んであるし……)
胡桃は、パイプライフルに備え付けられたスコープを覗き込み、グラウンドの一角に視線をやる。
動かなくなったゾンビが集められており、頭部が破壊されているゾンビもあれば、腕や首を切断された状態のものもある。
銃以外にも、武器を使用しているらしい。
以前、見せてもらった鉈の様な武器だろうか。
確かにあれなら、重さも刃の鋭さもあるし、亜森の身体能力を持ってすれば、鈍重なゾンビは為す術もなく料理されてしまうだろう。
惨殺シーンを想像してしまい、顔をしかめる胡桃。
(全く、こっちはシャベル一本で頑張ってたっていうのに)
亜森の作業が終わるまでの間、胡桃は銃を構えたまま見張りを続けた。
太陽が、もう少しで傾き始めようとする時間帯だ。
亜森がしつらえた土嚢を屋上に上げたら、今日の作業はほとんど終わりだろう。
胡桃は一人そのように考えながら、亜森が梯子を登っていくのを確認し、自身も合流しようと玄関ヒサシから移動した。
屋上に集まった亜森と胡桃は、屋上の一角に土嚢をまとめ、プランターの制作に加わる。
といっても、既に裁断され水抜き用の穴も開けられているので、粗が目立つ切断面をヤスリで整えることと、設置場所を悠里と相談して移動させることぐらいしか残っていない。
砂利や土、プランター両端の流失防止用の板は、また後日用意することになった。
「だいたい終わりましたね、中身こそありませんけど」
「砂利はホームセンターから取ってきてないから、探しに行かないとなぁ」
「いやいや、土だっているだろ。屋上の土を分けようにも、余裕があるわけじゃないだろうし。ねぇ、りーさん?」
「えぇ、何処か畑や家庭菜園をしている所が、近くにあれば良いんだけど」
「なぁ、若狭。薪集めのついでに、土も一緒に集めたらどうだ? 雑木林の土なら腐葉土で、良いんじゃないか?」
「んー、それは少しならそれでも良いんですけど。腐葉土使うときって、基本的に肥料としてですから」
「あぁ、そういうこと」
亜森は、悠里の返答に納得を示す。
「どういうことだよ?」
「さぁー、分かんない」
「私もさっぱり」
疑問符を浮かべる三人に、悠里はごほんと咳払いをし、簡単に説明した。
「えっとね、つまり肥料だけで野菜を育てる状態になっちゃうの。腐葉土だけだと」
それに育てたい植物によっても必要な肥料は違うし、と悠里は付け加えた。
「どの肥料が必要かとかは、私の方で選んで調整できるんだけど」
「ドラッグ漬けはまずい」
亜森は、連邦の薬中共を思い出す。
あれらとイコールでは決して無いが、栄養過多では上手く作物が育つイメージが持てない。
過ぎたるは及ばざるが如し、である。
「おっほん、ドラッグという言い方はともかく。肥料は、必要になったら加える程度でいいのよ」
「ふうん? それじゃあ、外から畑用のベースになる土を持ってこなきゃいけないな」
「そういうこと」
胡桃は、その説明で納得がいったのか、一人頷く。
「どういうこと? みーくん、分かる?」
「えっと。プランター用に、どこかの農家さんから畑の土を分けてもらうことになった、ということだと……多分」
美紀の助けを求める視線を受けた亜森は、そうだなと肯定し、由紀に説明し始めた。
「学校の新しい活動用に必要だって言えば、一軒くらいは快く応じてくれそうだけど。何にせよ、俺が貰いに行ってくるから、丈槍は心配すんな」
それより何を植えるのか決めておいてくれ、亜森はそう言って、話を変える。
「俺のオススメは、ホームセンターでゲットしてきたジャガイモだ。煮ても焼いても、揚げたって良い。シンプルに塩コショウで食べたい」
「フライドポテトかぁ、最近食ってないな」
「ハイ! 私はケチャップ付けて食べるの好きー」
「私は、皮付きでちょっと大きめのやつがいいです」
「はいはい、まだ植えてもないのに早すぎよ? まずは、プランターを完成させてから、ね?」
悠里の諌める言葉に、一同は楽しげに了解の返事を返す。
それでも話題は尽きないようで、どんな野菜を育てるか、どんな料理を食べたいかなど、夕食の準備の時間まで悠里も交えて話が弾んだ。
時間になり、作業を終わらせて部室へ戻る途中、胡桃は亜森に近づき話しかける。
「なぁ、アモ。今朝の約束、覚えてるよな?」
「約束? あぁ、トレーニングやり切ったら、今日の夜にゲームしたいってのだろ。覚えてるよ」
「今日は一日晴れだったし、結構充電されてそうだよな」
「それはそうだけど、まぁ飯食ってシャワー済ませた後な。日付変わる前には、寝室に戻れよ?」
「分かってるよ、それじゃ後でアモの部屋に行くから」
「あぁ」
先を行く二人の会話を聞いていた美紀は、隣に居た悠里にヒソヒソ声で話す。
(そんなつもりは無いって分かってますけど、シャワーの後に男の人の部屋に行くって、くるみ先輩も大胆ですよね)
(そうよねぇ。流石に湯上りの寝間着姿で、大人の男性の亜森さんと一対一は恥ずかしいわ。それだけ、くるみが彼に気を許してるってことなんだろうけど)
(亜森さんの事は、私も信頼してますけど……。それでも、一人で深夜の時間帯まで一緒なのはちょっと、その、ねぇ?)
(まるで、そういうことを期待してるみたい?)
そういうことと言われて、美紀はポッと紅潮する。
その様子を、悠里はくすくすと笑みをこぼして眺めていた。
(ちょっと! 想像しちゃったじゃないですかっ。いえ、亜森さんは合意もなしに強引に行くタイプではなさそうですから、そこの所は心配してないですけども)
(私もよ、そうじゃなきゃ止めてるわ)
(ですよね。それにしたって……)
美紀は、前を歩く二人に目線をやる。
亜森の隣で連れ立って歩き、楽しそうに会話を続けている胡桃の表情は明るい。
心なしか、いつもより二人の距離も近い気がする。
本当に偶にだが、胡桃は亜森に対して親しげな友人以上の態度を取ることがあると、美紀は感じていた。
こんな状況で、頼りになる相手が目の前にいるのなら、仕方のない事だと思うが。
それにしたって、男女間の友情に些か懐疑的な年頃の美紀としては、疑いと好奇心の目を向けざるを得ない。
好奇心が多分に含まれるのは愛嬌として許して欲しい、美紀は誰に言い訳するわけでもなく、自己を正当化する。
(あれで、自覚が無いっていうのは本当ですか?)
(んー、どうかしら。気持ちが固まってないだけかもしれないし、あったらあったで、モジモジして面倒臭い気もするから、これで良いのかもしれないわ)
(面倒臭いって……言わんとするのは、分かりますけどね。確かに、相手をするのはちょっと遠慮したいです)
(でしょう?)
ひそひそと会話する二人に割り込むように、直ぐ後ろにいた由紀は二人の腕を取り、自身の両腕に絡ませる。
そして、楽しげに美紀に囁いた。
(くるみちゃんはねぇ、もちょっとフラグが足りないよね)
(わっ、ゆき先輩、聞いてたんですか!?)
(そりゃあ、直ぐ近くにいるんだもん。聞こえるよ)
(ゆきちゃん、フラグって?)
(んーとね、最後の一押しってヤツ? ルート確定イベントが、足りないんだよ!)
(何ですか、イベントって。ゲームじゃないんですから)
(この場合、攻略されてるのはどっちかしら?)
(もう、りーさんまで……)
(うふふ、ごめんなさい。楽しくなっちゃって)
(私も嫌いじゃないですけど)
美紀は悠里から目線をそらし、照れるように頬を掻く。
二人の間にいた由紀は、良い事を思い付いたと口角を上げ、ある提案を持ちかけた。
(ねぇねぇ、続きは夜にしない? くるみちゃん、遅くまでいないんでしょ?)
(そうねぇ、私達だけで女子会しましょうか。くるみ一人で楽しんでくるなら、私達も、ね?)
(やったーっ!)
(私、お菓子残してるのあるので、それでお茶しましょうっ)
胡桃達の後ろで、小声で盛り上げる三人。
亜森は何となく察していたが、女子の会話に男が入ったところで碌な事にはならないので、気づかないふりを続け、胡桃との会話を継続していた。
夜の帳が降り始めて暫く、胡桃は亜森の部屋のソファーに陣取り、約束であったゲームに興じていた。
すぐ隣には、その胡桃のゲームプレイを、亜森がリラックスした姿勢で眺めている。
その両手には、用意していたのだろうコーラ系飲料と、日課としている手帳が握られていた。
目線は、テレビ画面と紙面を行ったり来たり。
時折飲み物をあおり、サイドテーブル代わりの椅子へと戻し、鉛筆で何やら書き込んでいる。
「あぁ~、またやられたっ。このステージ補給ポイント無いから、難しいんだよなぁ」
FPSゲームをプレイしていた胡桃は、画面内のプレイヤーが敵弾に倒れところでポーズし、コントローラーを脇においた。
「だから、隠しアイテムは一旦クリアして、次の周回で取ればいいじゃないか」
「それでもいいけどさー、もっとこう、スマートに攻略したいし」
「とにかく、一機死んだから、次俺の番な。ほら、交代」
「はい、これ。あ、あたしにもジュース頂戴」
「飲み止しでいいなら、これやる」
「おっけおっけ」
亜森が口をつけたジュースを、気にする風でもなく傾ける。
(あ、間接キス……。ま、まぁ? 陸上部じゃ同じコップ飲み回したりしてたし、普通だよな、うん、普通普通)
それにコンビニの屋根でも似たようなことしたし今更かと、胡桃は自分を誤魔化すことにした。
ちらりと隣りにいる亜森の表情を伺っても、胡桃の行動に注意を払っている様子はなく、ゲーム画面を見つめているだけだ。
(ちょっとぐらい、反応があってもいいんじゃないか? いや、あったらそれはそれで恥ずかしい……)
暫く悶々としながら、胡桃は交代まで亜森のプレイを眺めていた。
数度の交代を挟んで、亜森の番の時、ポツリと言葉が洩れる。
「なぁ」
「なに? もう交代?」
「いや、そうじゃなくてな。残りの皆は女子会やってるけど、参加しなくて良いのか?」
「あぁ、さっきあたしらの後ろで話してたアレ?」
「そうだけど、……知ってたのか」
「あの距離じゃ聞こえるよ、そりゃあ」
「そっか。じゃあ、内容も?」
「まぁ……その、あたし達のことだろ」
「……だな」
「あたしだって、どうしたら良いか分かんない……。りーさんの言葉じゃないけど、気持ちが固まってない感じ」
デリケートな話題に、二人とも口が重くなる。
亜森が操作しているゲームの音楽だけが、部屋の中に響いていた。
「あたしはさ、アモのこと……その、い、良いと思ってるよ。とても」
「俺も……。俺にも、恵飛須沢を想う気持ちが無いと言ったら、嘘になる」
亜森の言葉に、胡桃は視線を横に滑らせる。
自然と口元がほころぶが、直ぐにまた沈んだ空気になっていく。
「うん。でも……、先輩の事、嫌いになったわけじゃないんだよ……」
「その先輩に、悪いと思ってる……そんな感じか」
「うん……」
「気持ちってのは難しいよな。確かにそこにあるのに、自分じゃコントロール出来やしない」
ゲーム画面を止めて、コントローラーを脇においた亜森は、胡桃に向き直った。
胡桃はソファーの上で膝を抱えて、虚空を見つめている。
「恵飛須沢、以前ジェーンのこと話したのを憶えてるか?」
「ジェーン……アモの恋人だった人?」
「あぁ、あのまま向こうにいたら、きっと一緒になってた人だ」
胡桃は沈黙したまま、亜森の話を聞いている。
「そんな人がいたってのに、俺は消え去る決断をした。どうしようもなく、そうしなければならないと、思ったんだ」
「……どんな気持ちだった? いなくなろうって思った時」
「自分じゃどうだったか何て、分からない。ただ限界だった、それだけは覚えてる」
「そんなに、厳しい所だったの?」
「言葉にするのが、嫌になるぐらいにはな……。良い思い出も、今の俺を作ってるのもあるけど、それでも……。もう一度、あいつに会えるとしても、どのツラ下げて会えばいいか。とんだクソ野郎だよ、俺は、ホントにどうしようもない」
沈痛な面持ちで語る亜森に、胡桃もかつての屋上の出来事を思い出していた。
未だに、あの時シャベルを突き立てた感触が、容易に蘇るのだ。
消したくても、消えない記憶。
シャベルで葬っても、上書きされない。
胡桃の奥底でじくじくと、胡桃自身を責める。
亜森と同じ、後悔が自分を許せなくしている。
(アモも同じだ、自分を責めてる。そして、いつまでも終わらないんだ)
胡桃は身体を寄せて、両腕を亜森の背中に回し、ギュッと抱きしめた。
もう過ぎた事なんだと、普段より小さく見える、目の前の男に伝える為に。
そして、胡桃自身にも言い聞かせる様に。
胡桃の行動に、一瞬戸惑う素振りを見せる亜森だったが、おずおずと抱擁を返した。
二人は互いの体温を感じ取り、少しづつ沈んでいた気持ちが落ち着いてくる。
「もしかしたら、これは傷の舐め合いかもな」
「かもね……、それでも、あたしはアモが相手で良かったと思う。ジェーンさんには悪いけどさ」
「俺も、恵飛須沢の心を捕まえて離さなかった先輩ってヤツに、悪い気がしてきた」
「先輩は心が広いから、多分許してくれるよ」
「これだから、イケメンって奴は困る。やること成すこと、こうだからな」
「ぷっ、クフフ」
「くっ、ははは」
言葉に形容しきれない感情が、笑い声として吐き出された。
悲しみで泣いたら良いのか、それとも笑えば良いのか、どちらにしろ今の表情は相手に見せられない。
それならもう少し、このままでいよう。
「なぁ、恵飛須沢」
「……なに?」
両腕を互いの背中に回したまま、亜森は腕の中の胡桃へと語りかける。
「お互いに心の整理が出来てないようだし……、もう暫く今の関係でいないか?」
「……うん。いつまでも、ってのは嫌だけど。今は、そうだね、多分時間が必要なんだと思う」
亜森の言葉に、胡桃は肯定の意思を返した。
二人共、あと一歩を踏み出すだけの気持ちが、落とし所の見つからない後悔によって掻き消されるのだ。
まずはそれに区切りを付けなければ、前に進めなかった。
「アモ」
「うん?」
「今のあたしは……、多分、グイグイ押されたら気持ちとか関係なしに、コロッといくと思うけど?」
「止めてくれ、俺は仲間内ではシャイってことで通ってるんだ。そんなこと出来るわけないだろ」
「ぷくくくっ、シャイって。どの口が言うのやら! アハハッ!」
普段の姿から、そして今の状況には似つかわしくない言葉に、胡桃はおかしさが止まらず、肩を震わせる。
そんな胡桃を抱えたまま、亜森はソファーに背中を預けるように身じろぎ、彼女のシャワー後に解いて広がった黒髪を、手漉きですくように優しく撫でつけた。
亜森の両膝の上に、腰掛けて座る体勢になった胡桃は、彼に自身の身体を預けるように寄りかかり、撫でつけられる手を止めなかった。
どうせ明日からは、元の状態をいつまでか続けるのだ。
それなら、もう少しこのまま。
「……ねぇ、アモ」
「どうした」
「ありがと」
「こちらこそ」
この後、胡桃はこの日のトレーニングの疲れからか、そのまま寝入ってしまい、亜森によって寝室まで運ばれるのであった。
次の日、他のメンバーにからかわれたのは言うまでもないが、何をしていたかまでは、口を割ることはなかった。
それからの日々は、屋上菜園の手入れや、雑木林での薪拾い、畑用の土の回収など目まぐるしく活動を続け、忙しくも充実した日常だった。
そして、ようやく農地拡大のためのテニスコート掘り返しの端初に付くはずだった、ある日のこと。
美紀が偶々見つけたある書類が、メンバー内に波紋を広げ、胡桃の強引なまでの行動に結びついてしまった。
『職員用緊急避難マニュアル』
ゾンビ・アポカリプスの発端を匂わせる内容が、学園生活部に風雲急を告げる。
・ジェネラル式ブートキャンプ
元アメリカ陸軍の将軍がウェイストランドに合わせてアレンジした、訓練メニュー。という設定。
参考資料は『フルメタル・ジャケット』や『まりんこゆみ』の海兵隊式になってしまったが、身体とメンタルを鍛えることは共通してるし、まぁいいか、ということで。
・巨大プランター
プランターでも、ダッシュ式の煉瓦のタイプでも、どちらでも良かったが、取り敢えず移動可能な農地としてプランター式を採用した。
肥料云々は、少し調べただけでも、アチラコチラで違うこと書いてたり、植物によって違ったり。
ややこしすぎるので、悠里部長の手腕に全ておまかせに。
・グランドのゾンビの山
亜森が始末したら、それを放置するかしないかと考えた時、あとで火炎瓶等で焼却するにしても、まずは一箇所にまとめるだろうなと思い、グランドの隅の方へボッシュートした。
Fallout3のヘビーインシネーターなら、火をつけるの楽なんだけど(願望
・ヒロインもヒーローもこなせる、スパーマルチタレント胡桃さん
胡桃さんヒロインルート確定しました。
それにしたって、この二人はちょっとプラトニック過ぎやしませんかね。
もうぶちゅっといけよと、作者は何度思ったことか。
銀髪オッドアイでアルビノ持ちのスーパーオリ主様なら、既に一発くらいカマしてるとこやろ!
遅れを取っているぞ! 主人公!
・職員用緊急避難マニュアル
めぐねえが最後まで明かせなかった、原作のバックボーンを語る重要アイテム。
中の黒塗りが、不穏さを更に掻き立てる。
あ、次回若しくは次々回辺りで、内容がリンクしたR-18エピソードを独立話として投稿します。
ご了承くださいませ。