「小さい小さい。儂なんか目標にするくらいなら、もっとでかいものを目指せ」
そう照れくさそうに笑うと、目の前の祖父はやや乱暴にベルの頭を撫でた。
目元に深く刻まれた皺、老人とは思えぬがっしりとした体格、思慮深さと優しさを含んだ瞳。目の前の祖父はベルの記憶と寸分違わぬ姿であった。
だからこそ、これが夢なのだとベルは瞬時に悟る。ベルの祖父はとっくに亡くなっているからだ。
懐かしさと侘しさがベルの中で入り混じる間、ベルはこれがいつの記憶かを思い出した。
これは、オラリオに来る数年前の記憶。ゴブリンに襲われたベルが祖父に助けられた時の光景だ。
その日、ベルは祖父の言いつけを破り一人で村の外に出てしまった。何故そんなことをしてしまったかはもう覚えていないが、結果としてゴブリンの群れに遭遇し襲われてしまったのだ。最弱の魔物、それも弱体化したダンジョン外の個体ではあるが、子供がたった一人で太刀打ちできるはずもなく、一方的に嬲られるだけであった。
そのままであれば命運が尽きたであろうベルを救ったのは祖父であった。ベルの悲鳴を聞きつけた祖父は疾風の如くゴブリンの前に姿を現すと、力いっぱいに鍬を叩きこみ、死闘を始めたのであった。
もっとも、死闘とは言っても農夫と最弱の魔物のそれはお世辞に言っても見ごたえのあるものではない。
攻撃は双方ともに力任せの大振りなものばかりで、狙いは甘く空振りに終わるものが多い。防御も同様で攻撃にばかり意識が向いているせいで足がふらついておりまともな回避行動など皆無だ。酔っぱらいのケンカの延長、そうとしか言えないものであった。
だが、ベルにとっては違った。
自分はここで死ぬのだと絶望したときに颯爽と現れ、助ける。その時のベルにとって祖父は物語の中から飛び出してきた英雄の様に思えた。
だから、祖父がすべてのゴブリンを追い払ったとき泣きながらこう言ったのだ。
あなたの様になりたい、と。
すると、祖父は先の言葉を言ったのだ。自分など大したものではない。どうせ目指すなら自分よりも大きな人間になれ、と。
その言葉を受け、幼いベルは祖父に尋ねたのだ。
自分が英雄になれば、自分を誇りに思ってくれるかと。
祖父はその問いに満面の笑みで答えた。
「ああ、頬が落ちるくらい喜ぼう。あいつは儂の孫なんだと、他の奴らに自慢して、大声で笑って、いつまでも誇りに思おう」
その言葉こそが、ベルの原点となった。その言葉があったからこそ、英雄になりたいと思ったのだ。祖父の誇りになりたい。それこそがベルの始まりだったのだ。
それを思い出した瞬間、急速に視界が暗くなっていく。目覚めが近いのであろう。漠然とそう感じ、この光景を忘れぬよう目に焼き付ける。目覚めた後、祖父がいない現実の中でも歩き続けられるように。
「じゃあね、お祖父ちゃん。僕、英雄になれるよう頑張るよ」
視界はすでに暗闇に包まれ、祖父の姿はもう見えない。だが、最後に励ますような祖父の声だけが聞こえた。
「お前ならできる。なにせ、お前は儂の自慢の孫だからな」
「ん……?」
ベルが目覚めて、最初に認識したのは暖かい人の体温、それから鋼の様に鍛え上げられた背中の感触だった。寝起きの為に上手く働かない頭でも自分が今誰かに背負われているのだと分かった。
なぜ、自分は背負われているのだろうか。いや、そもそもここはどこであろう。
気を失う前後の記憶が曖昧なベルはぼやける視界に難儀しながらも周囲を見渡す。昼でも薄暗く狭苦しい岩肌の通路、暗がりに見え隠れするモンスターの影。これは見知ったダンジョンの通路だ。
そこまで、思考が働いたところでようやく気を失う前の記憶を思い出す。そう、自分は無謀なダンジョン探索を行い、ウォーシャドウの群れに殺されかけたのだ。そこを誰かに助けられたのだが……
ベルは改めて自分を背負っている人物の背中に視線を向ける。
大きな背中であった。身長は2mを優に超えるであろう。しかもただ大きいだけではない。こうして背中に触れるだけでも隆起した筋肉の存在を感じる。間違いなくただ者ではない。この人が自分を助けてくれたのであろうか。いや、はっきりとは見なかったが自分を助けてくれた人物は自分とそう年恰好の変わらない少年であったはずだ。では、この人は一体何者なのだろうか?
そんな風にダンジョンで見知らぬ人間に背負われ運ばれているという、常識的に見れば危険な状態でベルがのんきに考え込んでいると件の人物がベルの視線に気づいたのか、足を止め、ゆっくりと振り返った。
振り返った顔は老人のものであった。顔の隅々にまで刻まれた皺の数と目の奥に見える理知的な光が長い年月を物語っている一方で、体から沸き立つような生気は若者以上のものだ。
一瞬驚くベルに老人はニッコリと笑うと前を歩く誰かに呼びかけた。
「ん? おお、気が付いたかのう、少年よ? どれ、皆の衆。少年が目を覚ましたぞ!」
老人の声は深い海のような穏やかさと優しさを含んだ声であった。先の夢のこともあったのだろう、ベルは祖父を思い出してしまったことで目元が潤み始めるのを感じる。
ベルは涙を零さぬことに苦心しながらも老人に問いかける。
「あ、あの……! 貴方は一体どなたなのですか?」
「うん? 儂らが何者か、か……さて、どこから話したものかのう……?」
ベルの当然の質問に老人は困ったかのように眉を顰める。今の状況と合わせて考えるのであれば人さらいと怪しまれかねないが、不思議と老人からは後ろ暗いものを感じなかった。
そして、老人の困惑に助けは意外な方向からやって来た。
「長老! さっきの人が目を覚ましたって本当ですか!?」
その声にベルは、はっとする。その声には聞き覚えがあった。ベルが力尽きたとき、助けに入った少年のものだ。
老人の巨体の影から一人の少年が顔を出す。
一見すると、いや、じっくり見ても十人並みの容姿だった。強いて特徴を上げるとすれば極東の人間特有の黒い髪と瞳を持っているが、世界中から人が集まるオラリオではそれほど珍しいものではないだろう。善良な一般市民、それ以上の印象を与える要素は皆無であった。
だが、ベルは一度この目で見たのだ。目の前にいるどこにでもいそうな少年が7体のウォーシャドウを圧倒した所を。
その時の少年の強さに、命の恩人相手とはいえベルの体に自然と緊張が走る。
「いやー、驚きましたよ。何か争っている音がしていると思って駆け付けてきたら君が血だらけになっていたんですから! どうですか、どこか痛むところはありませんか?」
「あ、はい。お陰様で何も問題はありません、その節はどうもご迷惑をおかけしました。ええっと、それで、その……?」
だが、少年の方はそれに全く気付くことなく、気さくな様子でベルに話しかけてくる。少年の予想外の態度にベルは目を白黒させた。
基本的にダンジョン内では見知らぬ冒険者同士がこのように友好的に接触することはあり得ない。
何故ならば違うファミリアの冒険者というのは、いつ抗争が起こってもおかしくない潜在的敵対者であり、ダンジョン内にいる魔物の魔石から収入を得ている商売敵だからだ。ましてや冒険者という人間は荒事を生業としている以上その性格は好戦的なものが多く、一度問題がこじれた場合、穏便に決着がつくことは稀である。
結果としてダンジョン内では不干渉という文言が不文律として成り立っている。それこそ、命がかかっている状況で見殺しにしても非難されることがないぐらいには。
今回の場合、舌打ちとともに法外な謝礼を求められるのが普通なのだ。
だからこそ少年の友好的な態度にしどろもどろになるベルだったが、老人は別の意味に受け取った。
「これこれ、ケンちゃん。この少年はつい先ほどまで死にかけておったんじゃぞ。そんなに勢いよく話しかけたらびっくりしてしまうじゃろう?」
「あっ……! そうですね……ごめんね、君。驚かせてしまって」
「えっ!? い、いえ……! そういう訳では……!」
友好的に接するだけでなく、頭まで下げ始める少年にベルの狼狽ぶりはいよいよ最高潮に達する。と、同時に自分が老人に背負われたままであったことをようやく思い出した。
命の恩人を前に、背負われたまま頭を下げさせているという状況に平然としていられるほどベルの神経は図太くない。
すぐに老人の背中から降りるとベルは勢いよく頭を下げた。
「す、すいません! 助けてくださった方なのに、失礼をしてしまって……!」
「そんなこと気にする必要ありませんよ! 困ったときはお互い様ですから!」
「うむ、儂らにとっては当たり前のことをしただけじゃ。かしこまる必要はないぞ」
「で、でも……」
なおも食い下がるベルに少年は最初困り顔であったが、はたと何かを思いつくとニッコリとベルに笑いかけた。
「それに謝られるより『ありがとう』と言われる方が僕たちはうれしいですね!」
「ホッホッホッ! そうじゃな、儂らにとってはそれが何よりの報酬じゃな」
「あ……」
こう言われて、ベルは自分が最初に言うべき言葉を未だに言っていないことに気づいた。ベルは緊張で赤くしていた顔を羞恥でさらに赤く染めながらもようやく少年へ言うべき言葉を紡いだ。
「あの……命を助けていただいて、ありがとうございました!」
「どういたしまして!」
ベルの真っすぐな感謝の言葉を少年は快活に受け取る。すると、その場に笑い声と共に数人の集団が姿を現した。
「へっ! ケンイチも言うようになったじゃねえか!」
「うむ。ケンイチ君も活人拳の心構えができるようになってきたようだね。結構結構」
「これも、おいちゃん達の教育の賜物ね!」
「アパ! これもアパチャイがケンイチに相手のぶっ殺し方を教えてきたおかげだよ!」
「あら? ケンイチさんは元からこんな方でしたわよ?」
「そうだ……な。ケンイチは自分よりも他人の心配を先にする男……だ」
「あれ!? 皆さん、聞いていたんですか!?」
「なんじゃ、ケンちゃん。皆の気配に気づいておらんかったのかな?」
突然現れた集団に少年が素っ頓狂な声を上げた。様子を見る限り、どうやら少年の仲間の様だがベルにとってはまたしても見ず知らずの人間が現れた形となった。自然、ベルの視線に疑問の色が強くなる。
すると、その視線に気づいたのか、集団の中にいた少年と同じ人種と思われる中年男性が軽く頭を下げた。
「ああ……すまないね、君。弟子の成長につい浮かれてしまって、君に対する気遣いを忘れてしまったようだ。私の名前は岬越寺秋雨。君を助けた白浜健一君の師匠の一人さ」
「いえ、お気遣いなく! 僕は全然気にしてませんから!」
秋雨と名乗った男の物静かな空気にベルは気圧されながらも、努めてそれを見せない様に率直な態度で応えた。先ほどのやり取りで分かったが、目の前の人物たちはそういった態度を見せるより、素直な気持ちを示す方が喜ぶ様である。
実際、秋雨はベルの言葉に満足げな表情でうなずき、ベルも自分の考えが間違っていなかったことを確認できた。
と、そこでベルは男の声にも聞き覚えがあることに気づいた。それも、つい先ほどのことだ。
「あれ? その声、ひょっとして僕の治療をしてくださった方の一人ですか?」
「おや? あの時、まだ意識が残っていたのかね?」
「それじゃあ、やっぱり……! あの時は本当にありがとうございました!」
秋雨の肯定の言葉にベルは大きく頭を下げ、お礼を言った。
ベルの謝辞に秋雨は軽く手を振って応える。
「ハハハ……! 長老やケンイチ君が言っていただろう? 我々にとって当たり前のことをしただけさ。そこまで、大仰な振る舞いをする必要はないよ」
「それでも命を救っていただいたんですから、お礼だけはさせてください!」
「ふむ……そう言われるとこちらとしても断りにくいね」
ベルの真摯な態度に秋雨は困った様な視線を老人に送る。
面白そうに二人の会話を見ていた老人はそれだけで秋雨の言いたいことを理解すると、大きな両手をベルの肩に手を乗せ、振り向いたベルに笑いかけながら一つの提案をした。
「さて、少年。お礼を言うのも結構じゃが、まずは自己紹介といかんかのう? わし等はお主の名前すら知らんのじゃ。ここはお互いの素性について知り合うべきだと思うのじゃが?」
「なるほどのう……お主ら冒険者は神より恩恵を受け取り、ファミリアという徒党を組んでダンジョン探索を行って生計を立てておるんじゃな?」
「はい! その通りです、隼人様!」
「あー、ベル君。別に儂らのことは様付けする必要はないんじゃが……?」
隼人の質問にベルははきはきとした声で答える。
現在、ベルはダンジョンの地下一階にて隼人たちを先導するとともに地上の常識に疎い隼人たちにここでの常識について逐一説明を行っていた。
隼人たちに説明をするベルは、顔を隼人たちへの敬意で染めながらも自分で思いつく限りの知識を矢継ぎ早に披露する。しかし、隼人たちは様付けまでするベルのその態度にやんわりと止めるよう促すのだが、ベルはとんでもない、とばかりに首を振る。
「そんな! 神様を相手にそんな無礼はできません!」
「いや、ベル君。何度も言っておる通り、儂らは神様ではなく、君と同じ人間じゃぞ?」
「え? でも、先ほど天界から降りてきたと……?」
「いや、天界ではなく、異世界じゃ」
「??? それは、どういう違いがあるのでしょうか?」
自己紹介をしてからもはや何回行ったかもわからないやり取りに隼人は大きくため息をつく。
そう、敬意で満ち溢れたベルの態度に隼人たちが困惑している理由、それはベルが隼人たちのことを神と勘違いしてしまっているからだ。
なぜ、このような事態に陥ってしまったのか。それは隼人たちの自己紹介にあった。
お互いの名前を交換し合ったベルと隼人たちは続いて、お互いの素性とここにいる経緯について話すこととなった。
ここで最初に困ったのがベルである。自身がダンジョンで魔石を集めることで生計を立てている冒険者であることを明かすのは構わない。しかし、高嶺の花に懸想した事と酒場での一件については流石に初対面の人間に話すのは躊躇われた。結果、そこら辺のことは誤魔化し、単に目標としている人に近づこうと焦って強くなろうとして無謀なことをしたと嘘をつくことにした。命の恩人を騙すのは少し気が引けたが、ベルにだってプライドはある。進んで恥は晒したくはない。
しかしながらお人好しなベルの嘘など、あって無いようなものであり、ケンイチですら、目標の相手はきっと女性なんだろうなあ、と察することができてしまった。
そうして、本人の知らないところでベルの事情がつまびらかになった所で、困ったのが今度は自分たちの事情について説明しなければならない隼人たちであった。
なにせ、異世界から来たと言われてそれをすんなりと受け入れられる人間などいる筈がない。十中八九、気が触れたと思われるのがオチだ。ならば、上手く作り話をすればよいのだが、隼人を筆頭に梁山泊の人間は虚言の才能は皆無と言ってもよい。
悩んだ末に隼人が出した答えは正直に全部話すということであった。博打と言うのも憚れる行動であったが、もとよりそれしか選択肢がないのだから仕方がない。それに、考えてみればここは異世界なのだ、元の世界の常識など当てはまらない。ひょっとすると異世界から人が来るということはこの世界ではそれほど珍しいことではないのかもしれない。
そんな風に一縷の望みをかけてベルに真実を打ち明けたところ、事態は思わぬ方向に転がっていった。
隼人たちの告白を聞いたベルは開口一番こう言い放ったのだ。
「つまり、あなた方は神様なんですね!」
「は!?」
ある意味、隼人たちの望みはかなった。この世界、特にオラリオにおいて異世界とそこからの来訪者の存在は一般常識として周知されている。しかし、その常識において異世界と言えば天界のことであり、そこからの来訪者と言えば神を意味するのだ。
ならば、この世界の常識に染まっているベルが異世界からやって来たという隼人の言葉を受け、神と勘違いするのはごく自然の流れであった。
当初は隼人たちもベルの勘違いを正そうと躍起になっていたのだが、今ではもう半ば諦めている状況だ。なにせ、この世界には隼人たちの世界で意味するところの異世界という概念が存在しないのだ。存在しない概念を一から説明するだけでも一苦労であるのに、ここにはややこしいことに天界という別の異世界が存在しているのだ。誤解を解くには相当な労力が必要だ。それを行うのに魔物が徘徊するというダンジョンは不適当であろう。
そう判断した隼人たちはこの問題は一旦棚上げすることにし、ベルの拠点についた後、彼の主神を交えて誤解を解くことにしたのであった。
「まさか、おいちゃん達が神様と勘違いされるとは驚いたね……」
「やはり異世界。我々の世界の常識で考えるのは危険だということだね」
剣星のぼやきに秋雨は同意する。秋雨の言葉は正しい。確かに両者の世界の常識には大きな隔たりがある。
しかしながら秋雨の言う『我々の世界の常識』において秋雨たちも大概な常識外れであることに秋雨を始め誰も気づいてはいない。
そんな風にある意味身の程知らずなことを秋雨たちが考えながら歩いていると、先導していたベルの足が止まった。目的の場所にたどり着いたからだ。
「皆さん、つきましたよ。こちらが地上への階段です!」
「ほお、これがそうなのかね?」
「はあー、ようやく一息つけますよ」
ほっと息を吐く一行の目の前には上へ上へと続く長い階段があった。数多の冒険者によって踏み固められた階段を見て、ようやく生きて帰ってこられたのだとベルは実感し気が抜けそうになる。が、すぐに頬を叩くと気を引き締めた。
ファミリアの本拠地に戻るまでが冒険である、馴染みの冒険者ギルドの受付に教えられたアドバイスだ。
周囲を見渡し、辺りに魔物がいないことを確認するとベルは階段に足をかけた。
「では皆さん、僕についてきてください。是非、僕たちのファミリアでお礼をさせてください!」
「すまないね、ベル君。わざわざ我々の為に歓待までしてくれて」
「気にしないでください。こちらは命を助けていただいたんですから。それに、こういう時はありがとう、ですよね?」
「ふむ……確かに、そうだったね。ありがとう、ベル君」
「いえいえ、どういたしまして」
「なあ、ベル! 地上には美味い酒はあるのか!?」
「そうですね、オラリオは世界の中心と呼ばれる街ですから世界中から美味しいお酒が出回っているそうですよ?」
「逆鬼さん。お酒が好きなのも結構ですけど、ここでは私たち一文無しですわよ?」
「ベルちゃん、おいちゃんはお酒よりも綺麗なお姉さんとお話がしたいけど、そういうお店はあるかね!?」
「えっ!? え、えーと。そう言えば、何処かのファミリアがその手の事業を一手に引き受けているって聞いたことがある様な、ない様な……?」
「剣星……ベルに変なことを吹き込む……な」
「ひゃああっ! ちょっと、時雨さん! 僕が上っている間に剣を振り回さないでくださいよ!」
「ホッホッホッ! これしきのことで慌てるとは修行が足りておらんぞ、ケンちゃん」
「アパパッ! 大丈夫よ、ケンイチ。修行ならここでもできるよ! アパチャイ達ケンイチの為に頑張るよ!」
本来ならば静寂に包まれている筈のダンジョンに賑やかな歓談が響く。地下であるがゆえにその喧騒は共鳴し、人によってはうるさく感じるかもしれないが、ベルにはそのうるささが逆に心地よかった。
冒険が終わった後、帰路につきながら仲間との無駄話。それはずっとソロでダンジョン攻略をしていたベルがひそかにあこがれていたものであったからだ。すれ違いになる冒険者のグループを羨ましそうに見たことは一度や二度ではない。
出来ることならばもっとこの時間をすごしたい。それがベルの偽らざる本心であった。しかし、ベルの本心とは裏腹に楽しい時間はすぐに終わることとなる。
階段を上るにつれ周囲の空気が変わり始めた。冷たくじめじめとした空気が徐々に暖かくなり、時折芳しい匂いが混じるようになったのだ。
顔を上げてみれば、周囲をごつごつとした岩に囲まれた中で前方の一か所だけくり抜かれた様な大穴が開き、そこから地上の空気が流れ込んできていた。
「おっ! ひょっとしてあれが出口なんじゃねえか!?」
「ええ、そうです。皆さん、今までお疲れさまでした!」
喜色をにじませた至緒の声にベルは肯定する。いつもはダンジョンの入り口を見れば、喜んだものだが不思議と今日はそのような気持ちがわかず、むしろ寂しさすら感じずにはいられなかった。
そんな内心を押し殺しながらもベルは最後のもうひと踏ん張りとばかりに痛む体を動かし、そして遂にベルと一行はダンジョンから地上へとたどり着いた。
「ほう……これがオラリオの街なのかのう」
「話には聞いていましたが、本当にダンジョンを中心にして街が作られているとは、驚きましたな」
地上についた途端、隼人と秋雨がベルを除いた全員の気持ちを代弁した。
時刻は夜明けの少し前だろうか。東の空がやや薄紫に染まり始めている頃で流石にこの時間となると街には昼間のような活気はない。されど、周囲に漂うアルコールや料理の残り香が昨晩の賑わいを思い起こさせた。
また、昼間ほどではないにせよ少し目を凝らせばちらほらと人通りができ始めている。その種類も豊富で開店の準備をしている者も、逆に閉店の準備をしている者もいれば、冒険者のような者までいる。こんな時間でも人があるのだ、明るくなれば目の前の広い大通りも人込みで一杯となるであろうことは想像に難くない。
オラリオの街に感嘆の声を挙げている隼人たちにベルは初めてオラリオに来た時の自分を思い出し、苦笑する。
しかし、いつまでも懐かしさに浸っているわけにはいかない。自分には彼らを拠点まで案内しなければならないのだ。
「それでは、皆さん。僕についてきてください。神様の所へご案内します」
そう言って、ベルは混雑に巻き込まれない様に急ぎ足でケンイチたちを教会へと案内し始めた。
遅くなりましたが、ようやく第三話が完成いたしました。今回もかなりの難産でしたが何とか形にできました。これも、感想を書いてくださった皆様方のおかげでございます。
おそらく次はへっぽこ冒険者の方を投稿することになると思います。こちらの方を楽しみにされている方は申し訳ございません。
最後になりましたが誤字報告をしてくださった方々、ありがとうございました。つい先ほどマイページを開いて初めて気づきました。これを投稿した後、修正しようと思います。
それでは皆様のちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。