史上最強の弟子ベル・クラネル   作:不思議のダンジョン

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第二話

 深夜のダンジョン六階層。日中は駆け出し冒険者たちで賑わうこの場所も日が沈んでから短くない時間が経った今となっては人影などほとんど見られない。

 そう、ほとんど、だ。

 

「アアアアアアアアッ!!」

 

 ダンジョン全体に響くような怒声を上げてベル・クラネルはフロッグ・シューターにナイフを叩きつける。

 反撃されることなどまるで考えていない力任せの一撃だが、その分勢いだけは十分にあり、見事フロッグ・シューターの頭蓋を叩き割った。

 だが、所詮は捨て身の一撃である。攻撃の勢いに乗せられ、体勢は前方に大きく泳いでしまい隙だらけだ。これが一対一の試合ならばそれでもよいであろう。しかし、ここはダンジョンであり、ルール無用の殺し合いの場所である。その様な道理など通用しない。

 

「ギャオオオオオッ!」

 

「っ!? グウッ……!」

 

 無防備となったベルの横っ腹に腕の様に太い舌がしたたかに打ち据えられる。見れば、もう一匹のフロッグ・シューターが殺意を隠すことなく距離を詰めようとしていた。

 ダメージを受けるまでベルはその存在にまるで気づいていなかった。それはつまり、それだけ視野が狭くなっていたという証左である。これは非常に危険な兆候である。いつ、どこで、どこから、どれだけの敵に襲われるか分からないダンジョンにおいて周囲への注意がおろそかになるということは、いつ致命的な事故に遭遇してもおかしくないということだ。

 ましてや今のベルはソロ活動だ。そう言った事態に陥っても打開する手段は皆無と言ってもいい。

 常識で考えるのであれば一旦態勢を整えるなり、撤退するなりして冷静に対処するべきであった。

 ベル自身もそうするべきだと理性で分かっていた。だが、あえてベルはそれを無視し目についたフロッグ・シューターに特攻する。

 

「うおおおおおっ!」

 

「ギャアアアアッ!」

 

 ナイフを中段に構えての突撃は見事体の中心にある魔石を貫き、即死させることに成功する。ただし、引き換えに頭部への一撃をもろに喰らってしまい、軽い脳震盪を起こしてしまう。

 激しいめまいと吐き気に崩れ落ちそうになるが、意地でそれを押さえつけ更なる獲物を探しに一歩ずつ歩き始める。

 自身の体を顧みずに暴れるその様子はまるで、子供の癇癪であった。いや、事実子供の癇癪なのであろう。ベルは怒っていた、かつてないほどに。温厚な彼はその生まれて初めての怒りを持て余し、こうして外界にぶつけることで発散しているのだ。

 

——雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ——

 

 頭の中で声が聞こえた。自然、先刻の豊穣の女主人亭での一幕が思い起こされる。

 縁あって新人冒険者には少々不釣り合いな其処でベルは食事をしていたのだが、幸運にもそこに自身の命の恩人にして憧れの女性、アイズ・ヴァレンシュタインが来店してきたのだ。

 初めベルは望外の幸運に喜んだ。これを機に仲良くなれば知り合いになれるかもしれないと。だが、それはあまりに愚かしい妄想であった。浮かれきっていたベルに現実は容赦なく突き付けられた。

 アイズが今日、豊穣の女主人亭に来店したのは遠征の打ち上げの為であった。当然、一人で来るわけはなく、仲間とともにやって来た。

 途中まではごく自然なものであった。流れが変わったのは宴もたけなわとなった頃であった。仲間の一人である狼人が余興で笑い話を所望したのだ。笑い話の内容は新人冒険者の失敗談。駆け出し冒険者がミノタウロスに襲われて逃げ惑うのを面白おかしく話すのは悪趣味が過ぎたが、酒の席というのもあって一部の人間を除けば概ね好評であった。

 そして、ベルはその一部の人間の筆頭であった。何故か、それはその話の新人冒険者とはベル本人だったからだ。

 憧れを抱いている女性の前で、自身の無様さを笑われる。それは十と余年しか生きていない少年の心をズタズタに引き裂いていった。

 そして、遂に狼人の口から決定的な一言が放たれる。

 

——雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ——

 

 その言葉を聞いた瞬間、ベルは店を飛び出した。恥も外聞もなく悔し涙を流しながらダンジョンへと転がりこみ、こうして怒りの赴くままに自分を傷めつけていく。

 ベルには声の主への怒りはない。ベルの怒りの行き先はベル自身だからだ。甘かった、という言葉ですら生ぬるいほどに己は愚かであった。

 彼我の間にある隔たりはもはや言葉で言い表すことも出来ぬほどなのに、自分は運が良ければどうにかなるかもしれないと、無邪気に信じていたのだ。そんなわけがない。彼女たちは元々からして輝かしい程の才能に恵まれ、それをロキ・ファミリアという最高の環境で研磨し続けてきた選ばれた者たちなのだ。そんな人間の隣に立つのであれば、手を届かせるしかないのだ。彼らが今まで積み上げてきたものに、それもこうしている間にもより高くなっているものに。

 

「ハア……ハア……!」

 

 すでに体は限界。視界は霞み、足は震え、体は鉛の様に重い。されど、眼を輝かせながらベルは歩き続ける。

 そして、それはベルが広間についた瞬間、起こった。

 周囲の岩肌から軋むような音が響いた瞬間、一斉に蜘蛛の巣の様にひび割れが走ったのだ。ひび割れはやがて真っ黒な穴へと広がり、そこから漆黒の人影たちがあふれ出す。

 ウォーシャドウ。6階層において最強の存在だ。それが10匹。ベルが消耗していることも考えれば絶望的な状況だ。

 だが、ベルの目の中の闘志に衰えはない。重い体に叱咤の鞭を入れ、手近なウォーシャドウに躍りかかる。

 

「ハアッ!」

 

 まさか、10対1で向こうから仕掛けてくるとは思わなかったのであろう。不意を突かれたウォーシャドウは無防備にナイフの一撃を受けその体を灰に変え、返す刀でもう一匹もベルは仕留めていく。だが、奇襲の効果はここまでであった。

 未だ、8匹もいるウォーシャドウは数の利を生かし、ベルを中心に半円状に囲むと一斉に自慢の長い手を振りかざして襲い掛かる。

 それは、駆け出し冒険者のベルにとって嵐のような暴力だ。避けようとしても都合16本の腕による攻撃は逃げ場所などどこにもなく、ならば受けようとしてもこちらの腕は2本しかなく、必ずどこかが手薄となる。攻撃しようとしても他のウォーシャドウの牽制によりそれも潰されてしまう。

 もはやそれは戦いではない。決められた手順をなぞるだけの狩りでしかない。

 確実に血と体力は削られていき、そして遂にその時は訪れた。

 

「ぐっ! あ、ああああああっ!!」

 

 体力の限界に足がつられ、一瞬ふらついたところをウォーシャドウの鋭い爪が容赦なく切り裂いた。わき腹が深くえぐられ、激しい痛みに思わずベルは屈みこむ。

 勝利を確信したのであろう。ウォーシャドウたちは焦る様子もなく、ゆっくりと近づき始める。

 これはだめだ、助からない。

 死を前にしてベルは冷静に思った。体力は限界を迎え、依然として戦力差は絶望。逃げることは不可能に近く、仮にこの場を切り抜けてもここは6階層。地上まであと5階層を登らなければならないのだ。生きて地上に帰るのは不可能と言ってもいい。

 自身の状況を再確認した途端、自身の体が急激に重くなるのを感じる。今まで動けたのは精神によるものが大きかった。であるならば、それが折れればこうなるのは自然と言えよう。

 刻一刻と近づく自身の死を前にし、ベルは呆然とする。あまりに膨大な疲労は少年の頭から思考力というものを奪い去っていた。朦朧とする少年の頭に飛来するのは今までの人生の走馬燈である。

 優しかった父と母。その二人が死んだ後でも寂しさを感じさせないでくれた祖父。代り映えがなく退屈な、しかし穏やかな農村の暮らしとそれとは対照的なオラリオの短くとも刺激的な日々。ダンジョンでの苦労と達成感。ミノタウロスに追いかけられた恐怖、そしてそれを助けてくれた憧れの女性とその人の前で笑いものにされた屈辱。そして、なにより——

 

——ベル君——

 

「!!」

 

 その声が聞こえたとき、少年は立ち上がった。その体は未だ血を流し続け、すでに死に体の様子だ。だが、その目は死んでいない。むしろ、先ほどの自暴自棄になっていた時よりも力強く輝いている。彼をここまで立ち直らせたのはたった一つの約束だ。

 

「そうだ……僕はこんなところで死んではいけないんだ……神様と約束、したんだから……!」

 

 そう、ベルは自身の主神ヘスティアに約束したのだ。彼女を一人にはしないと。であるならばここであきらめるわけにはいかない。石にかじりついてでも生還をもぎ取るのだ。

 突如として気力に満ちたベルの気迫にウォーシャドウは気圧される。そして、今のベルはその隙を見逃す程甘くはない。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 一体、傷だらけの体の何処にこれほどの力が眠っていたのだろうか。先ほど以上の速度で肉薄すると一息に一匹を両断する。すかさず傍らの二匹が殴り掛かる。だが、それに負けじとベルは防御を捨て、あえて攻撃に転ずる。殴られても、切りつけられてもひるむことなく手を出し続けた。だが、それも数秒のことであった。残った五匹が加勢に加わり勝負はあっさりとついた。後ろに回り込んで背中に一撃を見舞う。それだけで限界をとうに超えたベルの体は崩れ落ちた。

 今や、ベルの体は血だらけで息をすることも億劫だ。だが、それでもその目は今なお闘志に燃え上がっている。そう、ベルは諦めていないのだ。無駄なあがきになろうとも力の続く限り戦い続けると、心に誓っているのだ。

 その姿に恐れを抱きつつも今度こそとどめを刺さんと、ウォーシャドウは手を振り上げ、その腕を振り下ろそうとする。

 

 

 

 だが、それはあまりに遅すぎた。あと数秒早く、そうベルがあのまま生きることを諦めていれば間に合っていたはずだった。

 

「チェストオオオオオッ!」

 

 瞬間、ベルの前からウォーシャドウが消え去った。数舜の後、背後の壁から破砕音が響く。振り返れば、壁にめり込んだウォーシャドウが灰に変わっているところであった。

 何者かの一撃によりウォーシャドウが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたのだ。そう理解すると同時にその何者かとウォーシャドウの戦いが始まる。

 霞む視界と、何者かとベルの間にいる多数のウォーシャドウの為姿かたちが見えないが、どうやら何者かはベルとそんなに年の離れていない少年のようであった。

 だが、その戦闘力はベルのそれとは比較にならない。

 ベルにとっては嵐の様な猛攻であったウォーシャドウたちの攻撃を少年は簡単に捌き、それどころかその合間に一撃を加えていく。その一撃も重く、正確で一撃でウォーシャドウを消し飛ばしていく。戦いは十秒にすら満たなかった。少年の体には傷は一つもなく、息の乱れすらない。

 圧勝。そうとしか言いようがなかった。

 少年の強さに目を丸くするベルに少年は慌てて近づく。

 

「君! 大丈夫だったかい!? 話せる!?」

 

「は、はい。お陰様で……うっ……!?」

 

 血を流し過ぎたのだろう。ベルの視界が急激に暗くなっていく。

 

「ちょっと、君!? し、師匠ー! 岬越寺師匠! まずいです、この人意識が……!」

 

「ふむ……これは、少し面倒だな……仕方ない、この場で処置をするしかあるまい。剣星、手伝いを頼む」

 

「任せるね。あたら若い命、違う世界のものであっても失うわけにはいかないね」

 

 遠くなる意識の中、ベルは先ほどまで影も形もいなかったはずの人物の声を聞き、その意識は闇に包まれるのであった。

 

 

 

 







 ルーキー日間ランキングにランクイン、ありがとうございました!
 友人に教えられ、嬉しさのあまり写真に写してしまいました!
 テンションが上がったせいか今回は今までにないほどに筆が進み、3日で書き上げられました。次はへっぽこか最強の弟子かは分かりませんが次回もこれくらいの速度で書けるよう頑張りたいと思います。
 それでは皆さんのちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。





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