史上最強の弟子ベル・クラネル   作:不思議のダンジョン

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第十二話

 

 

 

「二時の方向にハードアーマード二匹、十一時の方向にシルバーバックが三匹。ティオナは二時の方に、ケンイチは十一時の方に向かってちょうだい!」

 

「うん!」

 

「分かりました、ティオネさん!」

 

 見晴らしの良い建物の上からのティオネの声にティオナとケンイチは了解すると各々の相手に向かって走り出す。そんな二人を視界の端に捉えるとティオネは軽快な身のこなしで手近な建物の屋根に飛び乗り、周囲の様子を伺う。

 三人の中で最も身軽なティオネが索敵し、それを基にティオナとケンイチが魔物を排除する。急造のチームワークであったが現状上手く回っている様子であった。

 あれから騒動の中心へと移動していた三人の前に現れたのはガネーシャ・ファミリアから脱走した魔物たちの群れであった。詳しい経緯は分からないが、魔物の見張り番をしていた者たちが全員無力化され、何者かが魔物が入っていた檻を開け放ったらしい。

 その場にいたギルド職員から話を聞いた三人の決断は早かった。簡単な役割分担などの取り決めを行うと三人は街で暴れまわっている魔物たちの討伐に向かったのだった。

 

「あっ! 分かれ道だ。それじゃあ、ケンイチ。そっちも頑張ってね!」

 

「はい。ティオナさんも頑張ってください!」

 

 分かれ道でケンイチはティオナと別れ、目的の魔物が暴れているであろう場所に向かう。しかしながら、普段から多くの人で賑わう大通りは今や突如として現れた魔物に皆パニックを起こし、ただでさえ歩くのに難儀する道はもはや人の洪水の様な有様であった。

 一刻も早く魔物の元へ駆けつけようとするならばここは別の道を探し、迂回するべきであろう。しかし、ケンイチは躊躇うことなく、一直線に皆が逃げ惑うその中に突っ込んでいった。

 一気に高まる人の圧力。その様子は最早人の壁に見えた。しかし、そんな中でケンイチはまるですり抜ける様に駆け抜ける。

 一瞬で消える人一人が入り込める隙間に見逃すことなく体を滑り込ませ、まるで足に目がついているかのように足の踏み場もない地面のわずかな空白地帯を踏みしめる。

 それを可能とするのはケンイチの人並外れた足腰の強さの賜物である。

 強靭な足腰は単純に瞬発力を上げるだけでなく、重心を安定させることで体幹の動揺を抑え、瞬時の体勢の変化を可能とさせる。これによりまるで荒れ狂う激流の様に姿を変える人の流れに瞬時に対応することができていた。

 

「このまま人の流れに逆らい続ければ……!」

 

 そして人込みに入ってから数分、遂に人の流れがまばらになっていき、遂にケンイチは人っ子一人いない開けた空間へと躍り出る。恐らくは大道芸人たちが芸を見せたりする広場であったのだろう。周囲にはカラフルなボールやら瓶やらが散乱し、無惨に破壊された屋台などが打ち捨てられていた。

 そして、その中心に目的は立っていた。

 

「グルルルッ……!」

 

 一人やって来たケンイチに気づいたのだろう。三匹のシルバーバックが毛を逆立てながら歯をむき出し威嚇する。

 その手には屋台の残骸から奪ったのであろう肉と穀物が滅茶苦茶にかき混ぜられたらしき物体が握りしめられていた。周囲を見れば犠牲になった人間はいない様である。恐らくはあの三匹のシルバーバックは屋台の匂いに釣られ、真っ先に屋台の料理に飛びついたのだろう。おかげで人々が逃げ出す猶予が生まれ、こうして犠牲になった人間がいなかったのだ。

 そして現在、粗方料理を喰らいつくしたところにケンイチという恰好の獲物がやって来たのだ。

 べろりと、三匹のシルバーバックがソースと涎でべとべとになった舌で口元を濡らす。

 彼らの頭の中にはケンイチをどのように仕留め、どこから噛り付くかしかないのだろう。

ひ弱な人間、その中でも特に弱そうな少年などシルバーバックにとって獲物でしかなく、自分たちの勝利を確信していた。

 どちらが獲物なのかなど微塵も疑問に思うことも無く。

 

「グルルラアアアアアァァッ!!」

 

 他の二匹に先んじられてはたまらないと一匹が雄叫びを上げてケンイチに襲い掛かる。奇しくも相手と状況は先刻のベルの死闘に酷似していた。違うのはベルは一匹が相手だったのに対しケンイチは三匹であること、そして

 

「シィィッッ!!」

 

 ベルが戦いであったのに対し、ケンイチの場合は戦闘ですらないという点だろう。

 飛び掛かってきたシルバーバックの顔面にケンイチの掌底がめり込む。シルバーバック自身の速度が加わり威力が増した一撃は断末魔一つ上げさせることなく、その首をへし折った。

 シルバーバックの体が瞬時に灰化する。獲物でしかなかった少年が自分たちの仲間を葬った。一目で分かる事実であったが、あまりに予想外の事態に残されたシルバーバック達は現実を理解できず、呆然と立ち尽くす。

 

「フッ!」

 

 一息でケンイチが距離を詰める。シルバーバックが正気に戻った時には既に目と鼻の先にいた。

 

「ガアァァッ!」

 

 咄嗟に腕を振るう。無論、そんな苦しみ紛れの攻撃に当たらない。そうでなくとも当たらなかっただろうが。

 

「よいしょおおっ!!」

 

 腕を取り、足を払ってシルバーバックを投げ飛ばす。同時に不意打ちを喰らわない様に最後のシルバーバックに意識を向ける。ケンイチと後方を交互に見比べている。逃げるべきか戦うべきかこの期に及んでまだ迷っている様子だ。

 後ろで巨体が地面に叩きつけられ、灰に変わる音を聞きながら逡巡するシルバーバックに襲い掛かる。

 顔面に左腕の一発、と見せかけて本命の右腕の一撃を腹に叩き込む。シルバーバックの分厚い毛皮と筋肉は衝撃を吸収し殴打に高い耐性を持つのだが、ケンイチの豪拳は防御を貫いて体内の魔石を粉々に砕け散らせた。

 接敵から十秒も満たない、鬨の声の余韻が未だ残る勝利であった。

 

「……ふうぅぅっ」

 

 残心を解き、一息つく。正直手ごたえらしい手ごたえのない相手であったがやはり命のやり取りはいつもの組手とはまた違った緊張感があった。

 肉体的ではない疲労が重く感じる。しかし、ケンイチはそのまま座り込みたくなる欲求に抗い、すっと手を合わせて三匹のシルバーバックに祈りをささげる。

 時間は数秒。今も襲われている人間がいる状況ではこれが精一杯だった。

 閉じていた目を開け、ティオネ達の元へと向かおうとした瞬間、不思議そうな声が掛けられた。

 

「何してんの、ケンイチ?」

 

「あれ、ティオネさん? どうしてここに? 他のモンスターを探していたのでは?」

 

「目についたのは全部倒しちゃったみたいだよ? あたしもさっき教えられたの」

 

 振り向けばヒュリテ姉妹が立っていた。

 魔物は全て倒された、と聞きケンイチはホッとため息をつく。

 そんなケンイチにティオナは不思議そうに尋ねた。

 

「それよりもさ。さっきまでケンイチは何をしていたの? なんか死んだ魔物を祈っていたみたいだったけど……?」

 

「はい、そうなんです。襲われたとはいえ、死んでしまえば皆仏と言いますし。冥福を祈るぐらいはしておこうかと思いまして」

 

「え゛っ……!? 本気で言ってるの、それ」

 

 まさか、というような顔つきでティオナが尋ねるがケンイチは何の臆面もなく頷いた。途端にティオネが正気を疑うかのように凝視する。

 

「相手は魔物なのよ、ケンイチ。別に罪の意識を感じる必要なんかないのよ?」

 

「そうそう、魔物は人類共通の敵! 同情する余地なんて一切なし!」

 

「ええっと……別に罪悪感なんか関係ないのですけど……ただ、僕は命を持つ者が亡くなったことに祈りを捧げているというか……彼らの命を頂くことで生きられることへの感謝と言いますか」

 

 先ほどまでの快活な二人の態度から一変。声高に魔物への憎しみを主張するティオネ達に驚きながらケンイチは自分の気持ちを口にする。

 

「そこがおかしいって言ってるんじゃない! ひょっとして、アナタ。魔物趣味ってわけじゃないでしょうね?」

 

「いやいや、流石にそれはないと思うよ? だってケンイチはミウっていう子とデートしていたし」

 

「ええっと……何を言われているのか分からないんですけど、僕のいた所では死んでしまったのなら相手が誰であれ祈るのが普通だったんですけど、ここではそうではないんですか?」

 

 自分のいた所の風習と聞き、ティオネは未だ不快感を残しつつも納得した様に頷く。

 

「一体何処の辺境よ、それ……? けど、そういう風習ならまあ、仕方がないのかしら?」

 

「うーん……言ってることはまだ分からなくもないんだけどねえ……少なくともあんまり人前でやらない方がいいと思うよ。オラリオの街には魔物に仲間を殺されたっていう人間が沢山いるし。余計な恨みを買うことになるかも」

 

「そうなんですか……うーん、やっぱり常識という物は場所によって大きく変わるものなんですねえ」

 

 未だ不満げながらもこちらを気遣ってくれる二人にケンイチは理解に苦しみながらも頷く。どうやら自分が思っている以上に魔物と人類の仲は悪い様だ。この様子ではもう少しベルにこちらの世界の常識を教えてもらうべきだったかもしれない。

 そう思った瞬間、ぐらりと視界が揺れた。

 立ち眩みかと思ったが、ふと見ればティオネ達もたたらを踏んでいた。地面が揺れたのだ。

 

「今……何か揺れなかった?」

 

「ひょっとして、地震ですか!?」

 

「まずいわね……このタイミングで起こったらパニックよ」

 

 最悪のタイミングで起ころうとする災害に三人は焦燥に駆られるが苦々しく顔をしかめることしかできなかった。集団パニックの恐怖はある意味それを起こした元凶その物よりも恐ろしいものだ。そして、それは単純な腕力で防げるような物ではない。如何に実力者を集めようとも自然の猛威に対してはその暴威に耐える他ないのである。

 だが、現状を知るだけでも大きな違いがある筈だと、せめて様子だけでも把握しておこうとティオネが建物に飛び乗り、周囲を見回す。すると一転、その顔が驚愕と困惑に染まる。

 

「うん? 何かしら……あれ?」

 

「どうしたの、ティオネ? なんかあったのー?」

 

「なんか、変な魔物がいるのよ。私も知らない奴で蛇形、なのかしら? 大きさは10m近いかしら?」

 

「え? でも先ほどもう魔物はいないっておっしゃってましたよね? そんな大きさの魔物がどこから……あっ! ひょっとして、さっきの揺れって……!?」

 

「ええ、きっとあの魔物のせいなんでしょうね」

 

 地震ではない、と分かり安心半分、未知の魔物が街中で暴れていることに危機感半分といった表情でティオネは頷く。自分たちの力の及ばない天災でこそなかったがそれでも未知の魔物が危険極まりないという事に違いはない。急がなければそう遠くないうちに人的被害が出てしまうことだろう。

 とは言え完全に未知の魔物に武器もない状態で立ち向かうのも危険すぎる。ここは自分が先行し、時間を稼いでいる内にティオナにファミリア本部まで武具を取りに帰らせるべきかと思案していると、視界に映る怪物の鎌首が斬り飛ばされた。

 巨大な魔物に目を奪われ、気づかなかったが魔物はしきりに体を振り回し、何かと戦っている様子であった。

 巨大な魔物の体格に比してちっぽけな体。同じ人間の中でも決して屈強とは言い難い華奢な体と遠目からでもはっきりと映る鮮やかな金髪。その持ち主をティオネはよく知っていた。

 

「ん? あれは……アイズじゃない」

 

「え! アイズさんって『剣姫』ですか!?」

 

 思いもよらない名前にケンイチは驚愕する。その名前はこの世界にやって来たばかりのケンイチが唯一知っているベルたち以外の人間の名前であった。

 押すに押されぬ第一級冒険者にして、ベルの窮地を救うと同時にベルの窮地に追いやる遠因となり、そして何よりもベルの初恋の人物。

 まさかこんなにも早い段階で顔を会わせることになるとは夢にも思わなかった。果たして自分は件の人物と相対した時に自然に振る舞うことができるのだろうか。

 そんな不安げに思案するケンイチにティオナは恨めし気に睨む。

 

「ふーん……私たちのことは知らなかったくせにアイズの事は知ってるんだ……」

 

「えっ!? いや……! その……実は知り合いがそのアイズさんっていう人に助けられたらしくて……」

 

「いいよ、いいよそんな見え透いた嘘つかなくたって。ケンイチも男の子だもんねぇ……アイズみたいな綺麗な女の子なら嫌でも覚えちゃうよね。フンだ。こうなったらミウっていう子に言いつけてやろうっと」

 

「誤解ですよ、ティオナさん! 僕は本当にって……ああああっ!? しまった! 美羽さんを置いてけぼりにしてしまった! ど、どどどうしよう! きっと美羽さん怒っている……!」

 

「ちょっと二人とも! こんな時に一体何の話をしているのよ!? 馬鹿話は……」

 

 後にしなさいよ、と言おうとするのとティオネの視界でアイズの剣が砕け散るのはほぼ同時であった。

 

 

 

 

「アイズさん!」

 

 焦燥に満ちた声がアイズの背中に重くのしかかる。

 その声にいつもの様に大丈夫と返すことがアイズにはできなかった。

 

「……ッ!!」

 

 正体不明の魔物の一撃を紙一重で避ける。ため息をつく間もなく、上空から叩きつける様に巨体が降って来る。

 先ほど唯一の攻撃手段である剣が破壊されてから、反撃の心配がなくなった魔物の攻撃は一層の激しさを増していた。

 これまでは卓越した戦闘技術のおかげで魔物の攻撃がアイズを捉えることはなかったが、このままでは遠からず無傷というわけにはいかなくなるだろう。そうなれば防具もつけていない今のアイズではじり貧となることになるだろう。臍を噛む思いでアイズは冷静に今の戦況の不利を悟った。

 だが、それはこの場にアイズが一人だけであった場合だ。この場にはもう一人、頼りになるアイズの仲間がいるのだ。

 

「誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ」

 

 緊迫した戦場にそぐわぬ、鈴を転がすような歌声がアイズを包み込む。振り向かずとも後ろにいるエルフの後輩の、魔術詠唱だ。レフィーヤは気弱な所もあるが、オラリオでも有数のレベル3冒険者。それも魔力特化の魔導士で、その瞬間火力はアイズすらしのぐ。

 きっと、この場面でも魔力操作を完璧にこなしながらも、その顔を緊張で真っ青にしているのだろう。

 どうにも、締まらない。それでいて頼りになる仲間の姿にアイズは苦笑交じりの笑みが抑えられなかった。同時に、萎えかけた戦意が燃え上がるのが分かる。

 剣を失った自分には目の前の怪物に有効打を与えられない。ならば自分の役割は一つ。後ろにいるレフィーヤの詠唱時間を稼ぐことだ。

 

「目覚めよ」

 

 レフィーヤの様な圧倒的な威力を誇る魔法の詠唱とは違う、一語で発動する短文詠唱。アイズが使える唯一の魔法、風の付与魔法だ。

 うっすらと緑色に色づく風が全身を包み込む。本来は剣に纏わせ威力を高めるそれが剣を失った今は四肢に絡みつく。あまり使ったことない用法であったがこれで身体能力の底上げが可能だ。これから行う陽動では心強い味方となってくれるだろう。

 

「……いくよ」

 

 静かに呟かれた掛け声を残し、アイズは魔物向けて疾走する。第一級冒険者、その中でも最強格の速力は文字通り疾風に匹敵する。瞬きの間もなく魔物の鼻先に達すると、暴風が渦巻く右腕を叩きつけた。

 

「……ッ!?」

 

 魔物の皮膚に接触した瞬間、アイズは驚愕半分、やはりという諦観半分の声が漏れる。

 並の魔物ならば衝撃で粉砕するであろう第一級冒険者の拳打、それも風の付与魔法で威力を底上げした一撃はしかし、魔物の分厚い皮膚をわずかに陥没させただけにとどまった。

 信じがたい程の硬度と衝撃を逃がす柔軟性を両立した皮膚の賜物である。

 

「——————!!」

 

 アイズの一撃を受けた魔物は無言。されど苦しみ悶える様に体を荒々しく振り回すその様は怒りに燃えているのは一目瞭然。

 その怒りを叩きつけるかのように魔物は苛烈に攻め立てる。

 その巨体に見合わぬ素早さで体を叩きつける。アイズの一撃は相手に痛痒を与えることに成功はしたが、実質的なダメージを与えることには失敗した。これでは徒に怒らせただけである。だが、今のアイズの目的には十分である。

 ちらりと、後ろのレフィーヤを見やる。

 既に詠唱は八割がた終わっており、魔法の発動はもうすぐであろう。レフィーヤに敵の注意が向かないようにするためには今の状況はむしろ好都合であったと言えよう。

 そして、遂にレフィーヤの魔力が臨界点を超える。

 

「雨の如く降り注ぎ、蛮族どもを焼き払え」

 

 後は最後の発動呪文を唱えるだけとなり、レフィーヤは眦を吊り上げ目の前の怪物に狙いをつける。

 一瞬が無限に引き延ばされる様な感覚であった。魔力を最も励起させる魔術発動は最も魔力暴走を起こしやすい。全ての神経を目の前の怪物と自身の内部に集中させる。

 故に。自分の真横に突如として盛り上がる地面に気づけなかった。

 

「……ッ!? レフィーヤ! 右!!」

 

「えっ!? ……っ!! きゃああああああっ!?」

 

 真っ先に気づいたアイズに遅れること数瞬。しかし、あまりに致命的な遅れであった。

 アイズの声に反応したかのように盛り上がった地面が破裂し、中から魔物の一部である触手が弾丸のようにレフィーヤに迫る。

 避けようとしても避けられない。魔術発動の直前は最も暴発の危険性が高い。並行詠唱を習得していればいざ知らず、ただの魔術師であるレフィーヤが魔力の制御を放棄し、回避行動を取ればそのままアイズを巻き込んで魔力暴発を引き起こすに違いない。

 なすすべもなく、自分を貫くであろう触手をただただ見つめることしかできない。

 目を恐怖で見開き、最後の瞬間を待つレフィーヤ。そんな後輩を助けようと間に合わぬと知りつつも手を伸ばすアイズ。哀れなエルフが串刺しを皆が幻視した。

 

 

 

 

 

 ケンイチが飛び込んだのはそんな場面であった。

 

「いりゃあああああっっ!!」

 

 レフィーヤと触手の間に割り込むと、怒声と共に触手の攻撃をいなす。触手の横に手を添え、手首を捻ることで横合いから外力を加える。ケンイチと魔物、両者の体格を鑑みれば無駄な足掻きにしか見えないが、たとえ僅かな力であっても横合いから最適なタイミングで加えることで、止めることはできなくてもその向きを逸らすならば僅かな力で十分だ。

 触手の軌道が横に逸れ、服の肩口が千切れ飛んだ。だが、被害はそれだけ。重傷を負ったケンイチも串刺しとなったレフィーヤも存在しない。

 

「大丈夫ですか!? エルフさん!」

 

「あ、あなたは……?」

 

 突如として現れた見知らぬ男性にレフィーヤは困惑する。状況を見れば魔物と戦っている自分たちを見かねて助けに来てくれたに違いないのだが、つい先ほどまで生死の境を彷徨ったことで未だに冷静な判断力が戻っていないのだ。

 そんなレフィーヤの言葉に答える影が二つ、上空から飛び降りてくる。

 

「援軍よ。手こずってるみたいだし、加勢してもいいかしら?」

 

「やっほー! レフィーヤ、アイズ。間に合って良かったよ」

 

「ティオネ、ティオナ……」

 

 やや驚きながらアイズは更なる加勢の名を呟いた。ヒリュテ姉妹。アイズと同じ、レベル5の冒険者でオラリオ屈指の実力者だ。

 思わぬ援軍に驚くが、すぐに気持ちを切り替える。

 

「助かります。あの魔物の皮膚、打撃が効き難い様なので剣や槍などの武器か魔法による攻撃が有効なのですが……」

 

「武器か魔法かあ……うーん、武器はファミリアに置いてきたし、あたしは魔法使えないし」

 

「言っとくけど、私の魔法も拘束魔法だから攻撃力なんてないわよ」

 

「そうですか……貴方は、どうですか? 魔法の習得は……?」

 

「えっ! ぼ、僕ですか!?」

 

 突如、話しかけられケンイチは狼狽する。ある程度覚悟を決めて飛び出したのだが、やはり、弟弟子の思い人と相対するというのはどうにも緊張する。

 失礼がないか不安になりながらもぎこちなく答えた。

 

「いやあ……僕は、魔法なんて使えませんよ」

 

「そうですか……それじゃあ、やっぱりレフィーヤに頼るしか……」

 

「は、はい! 頑張ります!」

 

「あっ! でも、もしかしたらなんとかできるかもしれません!」

 

「えっ? でも、どうやって……?」

 

 アイズは詳しく聞こうとしたが、それはかなわなかった。

 

「————!!」

 

 件の魔物の鎌首が空を仰ぐようにしてもたげる。

 すると、その先端が刃物を入れたかのように割れる。中から見えた色彩は毒々しいまでの真紅。それが獲物を捕食し咀嚼するための口腔だと分かったのは無数に生える牙と滴り落ちる唾液の存在だ。

 蛇ではなく、凶暴な肉食植物の魔物だった。一行がそう認識したのと同時に件の魔物——食人花は食事を始めるのだった。

 

「オオオオオオオオオオオォォォッッ————!!」

 

 花弁が開き、先ほどまでとは打って変わって存分に雄叫びを上げると、何本もある触手を鞭のようにしならせ襲い掛かる。そればかりか、その声に引き寄せられたかのように地面から新たな食人花が何匹も生えてきたのだった。

 

「チィッ! 何なのよ、この魔物は!? こんなモンスター、ガネーシャ・ファミリアは何処から連れてきたのよ!」

 

「今は、この魔物を倒すことだけ考えましょう。とりあえず、レフィーヤの魔法で攻めて、他の人間はその援護を!」

 

「うん、分かったよ! さあ、レフィーヤ、掴まって!」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 一匹でも手こずりそうなのにそれが複数となってはたまらない。一同は散開し、食人花の猛攻を避ける。

 アイズは風の魔法で避け、ティオネは軽い身のこなしで舞い、ティオナはレフィーヤを庇いつつ持ち前の剛力で攻撃を殴り返す。

 皆、走り、避け、的を絞らせないことで猛攻をしのぐ。だが、その中で一人、防御にも回避も取らず、ただ食人花の前にたたずむ人間がいた。

 

「ちょっと! ケンイチ! 何やってるのさ!?」

 

 ティオナの悲鳴の先、涎を垂らす食人花の前にケンイチは構えを解くことなく一人対峙していた。鎌首をもたげ、威嚇する食人花と比べ、あまりにも矮小な体格。それはそのまま実力の差でもあった。確かにケンイチは十把一絡げの雑魚とは違う、ティオナ達実力者から見ても感嘆するほどの強者である。

 だが、食人花はその更に上を行く。速度、体力、威力。あらゆる点において食人花は圧倒的している。こうしてレベル5冒険者が三人集まって尚守勢に回らなければならないのがその証拠だ。ましてや、食人花は打撃に対し、驚異的な耐性を持つ魔物だ。格闘戦を主とするケンイチにはあまりにも分が悪すぎる。

 

「ケンイチ!」

 

 ティオナの叫びが合図であったかのように食人花はその凶暴な大口を開け、ケンイチに殺到する。最早ケンイチの命は風前の灯。誰もがそう思った。

 

「ふっ!」

 

 食人花の突撃をギリギリまで引き付け、身を翻し、先ほどと同じ要領で受け流す。違うのは今度は避けた際にひたり、と手掌を食人花に合わせたことだった。とても攻撃には見えない、ただ撫でるかのような愛撫。その場にいた者全員が眉を顰める。当然だ、ケンイチの行動はまるで敵に対する物とは思えない。

 だが、これこそが攻撃の前準備。謂わば、これは相手の首根をつかみ取り、後は握りつぶすだけなのだと、誰が知ろう。

 成程、確かに食人花の皮膚は分厚く、強靭で打撃攻撃に対し、強い耐性を持っているようだ。こうして触っているだけでもその皮膚が鋼の鎧をも上回る防御力を持っているのが分かる。

 だが、強靭なのは外殻の話。果たして、その内部まで強靭なのかは別の話だ。

 

「ヒュウッ!」

 

 短く呼気を吐き出し、地面を踏みしめる。

 字の如く、地面を震わすかのような震脚が石畳の地面を踏みぬく。

 生み出された爆発的な推進力を膝の力で増幅し、腰の捻りで水平方向へと導く。

 肩、二の腕、前腕。荒れ狂う力が衰えることなく、むしろ増しながら腕の先へと迸る。

 最後に、手掌へとたどり着いた瞬間、ねじりこむようにして全身の力を食人花の体内へと解き放つ。

 

「ッッッッ!?!? アアアアアアアアアァァァァッッッ!!??」

 

「ヒューッ! やるじゃない、ケンイチ!」

 

「何あれ! 何あれ!? 一体何をどうやったの、あれ!?」

 

「……すごい」

 

「う、うそでしょう……魔物の首が……」

 

 内側から弾け飛び、絶叫と鮮血をまき散らしながら食人花の首がくるくると回転しながら落ちていく。

 後に残されたのは頭を失い、混乱と激痛に苛まれながら首を振り回す食人花の姿——それも分と経たずに灰へとその姿を変貌させてしまった。

 にわかに信じがたい光景である。食人花の首は成人男性どころか子牛一頭を丸飲みしてしまえる程に太く、その皮膚は名工の太刀すら歯が立たない。その首を引きちぎらんとするならばおよそ巨人並の怪力を要することだろう。よもや、ケンイチの小柄な体格にそれ程の怪力が宿っているのだろうか。

 そうではない。それを成したのは力ではない、技だ。

 当然ながらケンイチの世界にも鎧は存在する。種類や質にばらつきはあるものの、それらは着用者に多大な防御力を付与するという点は共通する。

 そんな物を装備した人間を相手取ろうとするならば、どうすればよいのか。

 ある武術は鎧の防御すら打ち砕こうと圧倒的な破壊力を鍛え上げた。

 ある武術は鎧の間隙を縫う正確さを追求した。

 ある武術は鎧の防御力など無視できる組み技に活路を見出した。

 そして、ある武術は鎧を無視し、内部を直接攻撃する技法を編み出したのだった。

 ケンイチが行ったのはその一つ。

 密着した状態で衝撃力を生み出すことで効率よく相手の体内を破壊する技。発剄と呼ばれる中国拳法の代表的な打法である。

 その威力たるや、この世界最高峰の人間たちですら一目置く程の破壊力である。

 しかし、この技の神髄はその威力にあるのではない。

 

「ガアアアアアアアァァッ!」

 

 弔い合戦というわけでもないのだろうが、残された食人花の一匹がケンイチの後方から襲い掛かる。

 死角となる後方からの完全な形の奇襲であった。食人花のポテンシャルも相まって並の冒険者であれば反応すらできずにその大口に飲み込まれる筈の一撃だった。しかし、ケンイチはまるで背中に目があるかのように足を踏みかえるだけの動きで完全に食人花の動きを避けるのであった。

 そしてトン、とその背中を食人花の首に預けた。

 その瞬間、先ほどの焼き増しの様に食人花の首がはじけ飛ぶ。

 

「—————ッ!?」

 

 今度は断末魔すら上げることが出来なかった。

 もし上げることができ、そして人の言葉を喋れていれば食人花はこう言っただろう。何故だ、手に触れていないのに、と。

 この技の真に恐ろしい所はその威力にあらず。真に恐ろしいのはその奇襲性にある。

 普通の打撃が拳を振り上げ、その運動量を相手に叩きつけるのに対し、この技は衝撃を生み出し、それを密着した相手の体内に伝達することで成立する。その為、技の起点という物が、隙という物が無い。格闘戦においてその恩恵は計り知れない。

 間断なく攻め立てられることも可能となるばかりか、牽制と見せた一撃が必殺の一撃に変貌し、変幻自在の攻め手となるのだ。

 それどころか達人ともなれば相手の攻撃にカウンターで発動し、攻撃を受け止める防御をそのまま攻撃の機会に変えてしまうという。

 まあ、流石に今のケンイチではそこまでの地平には遠く及ばないが、それでも我武者羅に突撃するだけの猪突猛進の類を手玉に取ることぐらいはできる。

 

「フッ……!」

 

 短く呼気を切り、襲い掛かる触手を手首の返しを利用することで受け流す。続いて迫り来る食人花の大顎は膝を折ることで回避する。

 後ろ髪のたなびきと風を切り裂く音で食人花が物凄い速さで自身の頭があった場所を通り過ぎたのが分かる。地面に接吻するかのような低頭の姿勢から一転、脚力により背中から食人花へと間欠泉の如く伸びあがる。

 湯ではなく、灰の水柱が立ち昇った。

 

「グルルルルルッ……!」

 

 襲えば襲う程に仲間が減っていく状況に業を煮やしたのか、残った食人花達は警戒しつつケンイチをぐるりと包囲する。

 今度は安易に飛び込み、危険に晒すなどという事はしない。触手を戦慄かせ、一斉攻撃で仕留めようとする。

 しかし、ケンイチ一人に戦力を集中させるという事は、つまり彼女たちを自由にするという事だ。

 

「うおりゃあああっ!!」

 

 一匹の食人花の上空からティオナが裂帛の気迫と共に拳を振り下ろす。

 轟音と共に食人花の頭が硬い石畳に叩きつけられ、反動で浮かんだところをティオネとアイズの追撃が迫る。

 ティオネのしなやかな足から繰り出さる凶悪な蹴撃が食人花の首をねじらせ、脆くなった部分をアイズの一撃が刎ね飛ばす。

 ケンイチの様な技によるものとは違う、怒涛の連携による討伐は、あまりの鮮やかさに先ほどまでの苦戦が夢か幻ではないかと錯覚させる。

 一瞬にして灰へと変わっていく食人花を背にして立つオラリオ最高峰の冒険者たちにケンイチは瞠目する。

 

「へっへーん! 無防備な所を狙えばこんなもんだよ!」

 

「ちょっと、ケンイチ。手柄を独り占めにする気?」

 

「……手伝います」

 

「皆さん……ありがとうございます!」

 

 頼りになる仲間の存在にケンイチは体の底から闘志が湧き上がる。自分一人だけではない。背中を任せられる人間が、それも自分以上の力量を持つ者が三人もいるというのは戦力的という意味でも精神的にも安心感を齎してくれる。

 しかし、対峙するのは五匹の食人花。既に半数近くを倒したが、頭数は向こうに分がある。

 加えてこれから先は今までの様に上手くはいかないだろう。これまで食人花が倒されたのは不意を突かれたり、無警戒であった所が多い。

 半数近くを討たれた食人花にそれらの油断は最早ない。今度こそ同じ轍は踏まぬと、目の前の四人に最大限の警戒を以て戦わんとしていた。

 だが相手は四人だと、そう考えている時点で彼らは同じ轍を踏んでいたのだった。

 

 

 

 

「ウィーシュの名のもとに願う」

 

 ケンイチ達と食人花の戦いを視界に映しながらレフィーヤは詠唱を開始する。

 その視線には隠しようのない憧憬にあふれていた。羨ましかったのだ、憧れのアイズと肩を並べて戦える彼らが。

 

「森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと来たれ」

 

 レフィーヤはオラリオでも数少ないレベル3冒険者だ。オラリオの外ならば一国の要職に就き、オラリオでも中規模のファミリアの団長に収まれるぐらいに有能な魔術師である。

 しかし、それもオラリオ最強のロキ・ファミリアの中、とりわけアイズ・ヴァレンシュタインの隣に立てば霞んでしまう。

 

「繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ」

 

 レフィーヤが朗々と詠唱を続ける中、アイズたちの戦いはいよいよアイズたちに天秤が傾き始める。

 アイズが囮になった所をティオネとティオナの二人が食人花の頭を地面に叩きつけ、無防備なその首をケンイチが吹き飛ばす。

 お互いがお互いの動きを理解し、それぞれの役割を十全に果たした、即席のパーティーとは思えぬ見事な連携である。

 ただ守られていた自分とはまるで違う、あれこそが真に背中を預け合う仲間なのだとレフィーヤは思った。

 

「至れ妖精の輪」

 

 ケンイチに助けられた時、レフィーヤの胸中に過ったもの、それは助かった安堵でもケンイチへの感謝でもない。アイズに背中を任せられたというのにその役目を果たせなかった己への怒りであった。

 

「どうか力を貸し与えてほしい」

 

 レフィーヤは理解している。自分がどれほど追いかけようともアイズとの距離が埋まることはない。自分が近づけば、かの天才はそれ以上に遠のいていくからだ。

 だが、それでも諦められないというのならば追い続けるしかない。

 

「エルフ・リング」

 

 最後の詠唱を終えたとき、山吹色の魔法陣が展開する。

 すると食人花が一斉にこちらを振り向く。夥しい量の殺気と圧力が襲う。

 

「終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風を巻け」

 

 食人花が殺到する。あれほど手痛い目に合わされてきたアイズたちに目もくれずに、何かに駆り立てられるようにレフィーヤを喰らおうとする。

 華奢な体格の自分とは対照的な、怪物と呼ぶに相応しい巨体の群れが大挙してなだれ込む光景は笑ってしまう程に現実感がなく、そして何よりも恐ろしかった。

 

「こんのおぉぉっ! あたし達を無視するなっ!」

 

「オラッ! テメエらの相手はアタシらだ、ってんだろうが!!」

 

 詠唱に入り、無防備となったレフィーヤを庇おうとティオナ達が食人花に飛び掛かる。

 しかし、無防備に殴りつけられ、蹴り上げられるようとも食人花はまるで痛痒を感じないかのように一顧だにせず、ひたすらレフィーヤへと直進し続けた。

 先ほどまでの無秩序に暴れる様子とはまるで違う、明確なレフィーヤへの殺意に満ちた様子に二人は困惑する。

 

「なんなのよ、コイツ……? 何でそこまでレフィーヤを狙うのよ。魔法使いを集中して狙うなんて人間じゃあるまいし、知恵のない魔物なら手近なアタシらを狙う筈でしょ……?」

 

「待って、ティオネ……そう言えば、さっきレフィーヤに攻撃しようとしたときもちょうど、魔法を発動しようとしたときじゃなかった?」

 

「チッ……! 成程、そういうカラクリか……!」

 

 魔法を発動しようとした瞬間に襲い掛かる、その事実からティオネはこの魔物の習性にようやく気付いた。

 

「レフィーヤ、今すぐ魔法を中断しなさい! コイツ等は魔力に反応するわ! 後はこっちで何とかするからアンタは早く逃げるのよ!」

 

 特殊な目でも持っているのか、あるいは別の感覚器官を持っているのか。どうやら目の前の怪物は魔力を知覚する能力を持ち、それに激しく反応する性質なのだろう。

 結果、魔法を撃とうと魔力を放出している魔法使いに集中して襲い掛かる習性を持っているのだ。本人は本能に従っているだけなのだろうが、防御の薄い後衛を狙われるこちら側としては厄介極まりない性質である。

 しかしながら、裏を返せばそれは魔法を止めれば目標を見失うということでもある。幸いにも怪物とレフィーヤの距離は未だ離れており、今詠唱を止めて逃走を図れば離脱は容易であろう。

 先のティオネの言葉はその習性に対する的確な指示であった。

 レフィーヤもきっと、その指示が正しいのだと理解した事であろう。

 しかし

 

「閉ざされる光、凍てつく大地」

 

「レフィーヤ!? どうしたの! 早く逃げなさい!!」

 

 しかし、レフィーヤの詠唱は止まらなかった。

 すらりと真珠色の肌を見せる両脚でしっかりと地面を踏みしめ、自分に襲い掛かる怪物の群れをねめつけながら、朗々と詠唱を続ける。

 勿論、恐ろしくないわけがない、恐怖を克服したのでもない。ただ、今はそれ以上にこのまま逃げることの方が恐ろしかった。

 足手まといのまま、何もできないまま逃げ帰る。その様な醜態を晒すことを良しとする様な者に剣姫の隣に立つことなど、いや、それ以前にその背中を追いかけることすら許されない。今ここで立ち上がらなければ、自分は一生そこから脱却できないだろう。

 恐怖で喉は引きつり、眩暈と頭痛で視界が霞む。急く心中とは裏腹に、呪文を紡ぐ唇は呆れるほどに遅々としている。

 だが、それでもレフィーヤは逃げなかった。たった一人で死の恐怖に対峙しながらも、あの憧憬に追いつくために、一人で何処までも遠くへと走り去ってしまいそうな彼女を一人にしない為に。

 そして、その戦いも終わりを迎える。

 

「吹雪け三度の厳冬——我が名はアールヴ」

 

 遂に詠唱が終わる。後は魔法名を解き放つだけ。

 そう思った瞬間。

 

「あっ」

 

 ぐばり、とレフィーヤの鼻先で食人花の大口が開かれた。

 血よりも赤い口内と、そこに無数に生える象牙色の牙。

 ひゅう、と喉から短い息が零れる。あと数瞬あれば魔法を放てるだろう、しかし食人花が自分を飲み込むのは一瞬だ。簡単な数術の問題だ。数瞬と一瞬、どちらが早いかなど考えるまでもない。

 間に合わないという事を理解した。そして、その後に待ち受ける運命も。

 自分はこのまま魔法を撃つことなく、魔物の牙に晒され、そして——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——させない」

 

 また、彼女に助けられてしまうのだろう。

 食人花の姿がぶれ、横合いの建物に叩きつけられる。

 諦観に濁るレフィーヤの瞳に鮮やかな金髪が翻った。

 

「ああ……」

 

 感嘆とも、安堵とも、絶望とも言える声が漏れた。

 レフィーヤを背に守り、瓦礫に沈む怪物を睨むアイズの姿は美しく、頼もしく、そして何よりも悔しかった。

 結局自分では彼女の助けになることはできなかった。覚悟を決めようとも、命を懸けようとも、自分は決して彼女の庇護から抜け出せないのだと、改めてその事実を突きつけられてしまった。

 きっと、これからアイズは振り向き、そして優しく微笑みながらこう言うのだ。

——ありがとう、もう大丈夫。あとは任せて——

 その言葉は暖かく、人をいたわる言葉だろう。だが、それは同時に決して隣に立つことを許さぬという拒絶の言葉でもあった。

 違う、とレフィーヤは言いたかった。自分が望んでいるのはそんな言葉ではないのだと。レフィーヤはアイズに守られたいのではない。隣に立ち、支えたいのだと、そう言いたかった。

 だが、現実は非情であった。実際のレフィーヤはアイズに守られなければ何もできないお荷物でしかなく、そんな体たらくで隣に立つなど大言壮語も甚だしい。

 だからこそ、レフィーヤはただ立ち尽くす他なかった。何も言えず、ただただ何もできない自分の不甲斐なさを噛みしめる他なかった。

 そして、そんな彼女に対し果たして、予想通りアイズはレフィーヤに振り返り、優しく微笑むと言った。

 

「頼りにしている。頑張って」

 

「えっ……!?」

 

 驚くレフィーヤにアイズは微笑み一つ残すと、颯爽と食人花に飛び掛かる。いつの間にやら周囲を食人花に囲まれ、ケンイチ達は何とか包囲網を突破してこちらに来ようと躍起になっている様子だ。

 しかしながら、アイズは周囲を囲まれているというのに前方の敵に集中していた。まるで、そう、後ろは大丈夫なのだと、頼りになる仲間がいるのだと、そう言っているように。

 じわり、と心だけでなく視界が歪むのが分かった。

 憧れの人に頼られる。彼女の力の一つに成れた。自分はお荷物などではなく、隣に居ていいのだと言われたのだと、その事実に歓喜と興奮で恐怖が塗りつぶされていく。レフィーヤは喉を詰まらせ、うつむき目を閉じると、次には。

 

「うわッッ! 何ですか、あれは!?」

 

 膨大な魔力が立ち昇る。制御を失い、霧散していくだけであった魔法陣が光を取り戻し、今やそれ以上に力強く輝きを放つ。そのあまりの眩しさにケンイチの目がくらむ、その様はまるで地上の太陽の如しであった。

 

「アアアアアアァァッ!!」

 

 当然、目の前でそれ程の魔力を浴びせかけられた食人花達が黙っているわけがない。先ほどまで以上の魔力だというのならば、先ほどまで以上の勢いで暴れ出す。涎を滂沱に垂れ流し、自身の体を鞭のように振り回すその様は完全に我を失っているのは自明の理だ。

 そしてその予想は正しかった。

 

「アアアアアアアアアァァァッッ!!」

 

 食人花は一斉に沸騰した。自身の体が傷つくのも気にせず、レフィーヤの元へと殺到する。

 アイズ達が止めようと迎撃するが、自身の被害も省みない自棄染みた突撃は瞬く間に並み居る実力者を押し込んでいく。

 これでは、数秒もしないうちにアイズ達は食人花の群れに飲み込まれてしまう、だというのにレフィーヤとアイズの心中は凪の様に穏やかであった。

 

「レフィーヤ、いけるね……?」

 

 疑問ではなく、確認。それにレフィーヤは僅かに頷く。

 すると

 

「皆、散って! レフィーヤがやってくれる!」

 

 アイズの声に弾かれたように四人が散開する。

 阻むものが無くなり、食人花が一気に詰め寄る。まるで先ほどの焼き直しの様な光景。しかし、レフィーヤの心中は今なお凪いでいた。制御を失っていた魔力は最早完全に制御を取り戻し、引き金を引く瞬間を今か今かと待ちわびていた。

 恐ろしい雄叫びが、身を突き刺す殺気が、しかし嫋やかな少女の顔色一つ変えることができない。

 体の芯から滾々と勇気が湧いてくるのが分かる。体は燃える様に熱く、頭はその熱量に振り回されることなく冷静に魔法を制御する。

 最早、食人花はレフィーヤの敵足りえなかった。

 たったの一言。憧憬からの肯定がレフィーヤを脆弱な獲物から強者へと変貌せしめたのだった。

 そして、遂に食人花の牙が突き刺さらんとした瞬間、少女の一撃は解き放たれる。

 

「ウィン・フィンブルヴェトル!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、魔法ってすごいんですね! 僕、魔法なんて初めて見ましたけど、こんなにすごいものなんですか!?」

 

 先ほどまでの死闘が嘘のように静まり返ったメインストリートにケンイチの歓声が響いた。

 感嘆の声を上げるケンイチの前には氷漬けになった食人花があった。

 あれほど暴れまわった食人花も今では身じろぎ一つできず、外側だけでなく内側まで完全に凍り付いているのは間違いない。迫力がありすぎることを除けばその姿はよくできた氷像にしか見えない事だろう。

 巨大な魔物たちを一瞬で完全に凍結させる。今まで達人の絶技を見てきたケンイチにとってもこの光景は度肝を抜かれる程に衝撃的であった。

 

「ふふーん! 確かにすごいけど、魔法がすごいんじゃないよ! 使用者のレフィーヤがすごいんだよ!」

 

「なんで、アンタが偉そうなのよ、まったく……」

 

「でも、レフィーヤがすごいって言うのは正しいと思う……」

 

「ア、アイズさん……!? そ、そんな、私なんて皆さんと比べれば全然……!」

 

「なーに言ってるんだか! 一番倒したのはレフィーヤじゃん! このこのー!」

 

「ひゃああっ!? 何をするんですか!?」

 

 ぐしゃぐしゃと髪を乱暴に撫でまわすティオナと抗議の声を上げるレフィーヤ、そんな二人を微笑ましそうに見つめるアイズとティオネ。

 傍目から見ているケンイチにも四人がただの知り合いではないという事が分かる。果たして、この四人の関係は何なんだろう、と考えたが、すぐにティオナ達と会った時の会話を思い出した。

 

「いやー、それにしてもティオネさん達が言っていた同じファミリアの仲間ってあのアイズさん達の事だったんですね! まさか、あのロキ・ファミリアの方々とこうしてお知り合いになれるとは夢にも思いませんでしたよ」

 

「えっ?」

 

 途端、四人は怪訝な声を上げると一斉に顔を見合わせる。そして今の自分たちの状況とケンイチの言葉を見合わせ、その意味を理解すると。

 

「あっははははっ!? おっかしい! あたし達とアイズが同じファミリアって……!」

 

「ええっと……? 確かに二人とは仲良くさせてもらっていますけど……」

 

「ああ、そう言えばケンイチはアタシたちのことを知らなかったもんね……」

 

「ええ……ティオネさん達を知らないって、どんな世間知らずなんですか……?」

 

「いやあ、あはは……」

 

 きまり悪げに笑ってケンイチは誤魔化しつつ、内心ため息をつく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 では、一体彼女たちはどのような関係なのだろうか。そう問おうとした瞬間、新たな声が聞こえた。

 

「あっ! 見つけたよ。ティオネ、ティオナ」

 

「一体何をやっているのだ、お前たちは?」

 

 若い女性の声が二つ。振り返ればそこには二人の女性が立っていた。浅黒い肌に煽情的な民族衣装。アマゾネスだという事だけが分かる。

 

「あっ! セルダス、バーチェ!」

 

 ティオナが喜色満面とばかりに二人に飛びついた。その様は先ほどまでのレフィーヤとのそれと似ているようで、それ以上の親密さを感じさせた。

 そのことから、ケンイチは彼女たちこそがティオナ達の仲間なのだと理解した。

 バーチェと呼ばれた女性はやや億劫そうにティオナを引きはがす。

 

「まったく……時間になっても待ち合わせ場所に来ないから何かあったのかと心配していたら魔物の脱走騒ぎが起こって、その上巨大な魔物が暴れていてそこでお前達らしき人物が丸腰で戦っていると聞いて私たちがどれだけ心配したか分からなかったのか?」

 

「い、いやあ、だってあのまま放っておいたら被害がすごいことになりそうだったからさあ……」

 

「だとしても、二人のうちのどちらかだけでも連絡するとかできたんじゃない?」

 

「う……ごめんなさい」

 

 二人の安堵と若干の怒りを含んだ声音から真剣に心配させたのだという事が分かり、ティオナは素直に謝る。

 一方、ティオネの方はというと不審げに二人のことをじろじろと見まわし、首を傾げた。

 

「まあ……そのことについては謝るけどさ、なんでアルガナの奴がいないのよ?」

 

「む……それは……」

 

「あ、あはは……」

 

 すると途端に二人のアマゾネスはきまり悪そうにし、言うべきかどうか悩んだ末に

 

「実は……アルガナは魔物脱走の報を聞いた途端、この騒動はロキ・ファミリアと協同して解決すべきだと言いだして、だな……」

 

「つまりは今回の事を出汁にしてフィンさんに突撃しちゃった」

 

「ああああああああっっ! あのオンナアアアアアアッッ!!」

 

 ティオネは爆発した。怒りで血走らせた目を真円に見開き、犬歯を煌めかせるその容貌は先ほどまでの手弱女ではなくもはや狂戦士のそれである。

 ティオネの持病にアマゾネスの三人はため息をつく。と、そこで呆然と事態の変化に置いてけぼりのケンイチに気づく。

 

「ん? そこにいるのは、ロキ・ファミリアの二人だな。それと……そこにいる男は誰だ?」

 

「あっ、どうも。自分は白浜健一と言いまして、ティオナさん達とは道中でお会いしまして、それで魔物退治をご一緒することになりまして」

 

「そうそう! ケンイチってばすごいんだよ! あたしらでも手こずる花の魔物を一撃でぶっ飛ばしちゃってさ!」

 

「へえ……それは、すごいわね!」

 

「確かに……ティオネ達が手こずるというならばかなりのものだが。しかし、シラハマ・ケンイチ……うーむ、聞いたことがないな」

 

「あはは、先日オラリオに来たばかりですから、仕方がありませんよ。ところで、失礼ですが、あなた方は……?」

 

 ケンイチの言葉に二人のアマゾネスは、自分たちが自己紹介すらしていなかったことを思い出す。これでは、ティオネ達を叱れんな、とぼやくと二人は名乗る。

 

「私はセルダス。二人のまあ、姉替わり兼友人ってところかな」

 

「バーチェだ。セルダスが姉だとするならば私はティオナの師匠と言った所か。ちなみに先ほど話題に上がったアルガナは実の姉で、まあ……ティオネの師匠兼恋敵と言った所だ。ああ、後はアルガナはカーリー・ファミリアの団長で、私は副団長をやらせてもらっている」

 

「カーリー? それがあなた達の主神様なのですか?」

 

 聞きなれぬ神の名前にケンイチは聞く。

 

「うん。見た目はちっちゃな女の子なんだけど、中身は闘争を司る蛮族の女神で、強い戦士と戦いが大好きという血の気の多い神様で……」

 

 それにティオナが笑って答える。

 

「あたしたち、カーリー・ファミリアの主神様だよ!」

 

 

 

 







 お待たせしました。第十二話完成しました。
 レフィーヤの内面描写にかなり手こずってしまいました。外伝一巻の山場でしたし、軽く扱うわけにはいきませんでしたが、出来栄えはどうだったでしょうか。
 さて、ヒリュテ姉妹の立場が原作と大きく乖離していますが、これに関しては次回の閑話で取り扱います。八割がたできているのですぐにお見せできると思いますのでお待ちください。
 それでは皆様のちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。



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