史上最強の弟子ベル・クラネル   作:不思議のダンジョン

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第十話

 

 

 

「うわあ……これが、怪物祭の会場ですか……!」

 

 その建造物を一目見た瞬間、思わずケンイチの口から驚嘆の声が零れた。

 口をだらしなく開けたまま突っ立ているその姿はおのぼりさんそのままだが、それを笑う者はいなかった。もし、彼が周りを見るだけの余裕があれば、あちらこちらで自身と同じように口を開けて驚嘆の声を上げるか、もしくは声を上げることすらできない者たちの姿を見たであろう。

 円形闘技場。ローマのコロッセオを代表としたケンイチの世界でも存在したという、その総合娯楽施設はその岩肌に多くの者たちのため息を弾けさせながら今も、数えきれない人間たちを飲み込んでいた。

 その姿は日本の最先端技術を駆使した建築物とは完全に異なる趣と威容を兼ね備え、またその周りにいるエルフ、ドワーフ、獣人、パルゥム等々、元の世界では決して見ることのできなかった存在も相まって、此処は異世界であるということを強烈に印象付けた。

 改めてここが異世界なのだと意識すると、未知なる世界での冒険に胸を躍らせる男児の本能が疼くとともに、未知なる物への怖れと恐怖が胸の中でむくむくと鎌首をもたげるのが分かる。

 

「うわあ……大きいですわね……!」

 

「ですよね! いやー、あんな大きい建物を機械も使わずに作るなんてこの世界の人たちはすごいですよね!」

 

 が、その怯懦も傍らの美羽の声を聴いた瞬間、霧散する。

 だらしなく口元を緩め、何とか美羽と仲良くなろうと必死に話題を盛り上げようとするケンイチ。

 その姿はとても、オラリオの中でも有数の武人とは思えぬ年頃の男児である。

 しかし、その姿を咎める者はいまい。少なくとも男子には。

 いつの時代においても男児にとって、一番の勇気の源は未知なる物への冒険心などという実態のあるものではなく、意中の女の子という即物的なものなのだから。

 

「それじゃあ、早速入りましょうか! 美羽さんは先に入っていてください。僕は飲み物でも買ってきますので!」

 

「ありがとうございますわ、ケンイチさん。ふふふ、剣聖さんには後でお礼を言わないといけませんわね」

 

「ええ! 全くです!」

 

 美羽の言葉に力強く同意すると、ケンイチは一時間前の出来事を思い起こしていた。

 

 

 

 

「ケンちゃん、これあげるね。こいつで美羽と一緒に怪物祭に行くヨロシ」

 

「怪物祭?」

 

 そう言って、ケンイチは目の前に渡された二枚のチケットにキョトンとした目を落とすのであった。

 ベルが至緒に連れられて、と言うよりも連れ去られてから数時間、朝の日課である朝練を終えたケンイチに剣星が近づいてきて二枚のチケットと共に先の言葉を送ったのだ。

 聞きなれない単語に喜ぶよりも先に不思議そうに尋ねるケンイチに剣聖は信じられない、という顔をする。

 

「まさか……知らないね!? 街のあちこちに壁紙があったね! ほら、鞭持った女の子が龍と相対した絵柄の奴よ!」

 

「うーん……そう言われればあったような……?」

 

 今一つ、はっきりしないケンイチの態度に剣星は嘆かわしい、とばかりに首を振る。

 

「やれやれね……ケンちゃん、それでもおいちゃんの弟子かね? おいちゃんならこんな美羽との距離を縮めそうな絶好のチャンス、絶対に逃さないように仲良くできそうな情報には目を光らせるというのに……」

 

「いや、そんなことで弟子として疑われても……って、今何とおっしゃいましたか? 美羽さんと仲良くできるチャンス……?」

 

「ほほう……! ようやく、乗り気になったね……?」

 

 美羽と仲良くできる、というフレーズに目の色が変わったケンイチに剣星はまるで悪事の片棒を担がせるかのようにニヤリと笑った。

 

「いいかね、ケンちゃん。多くの書物で言われている通り、環境の変化は人を開放的にさせ、異性間の仲を急速に進めるね」

 

「確かに……前に読んだ『女の子と仲良くなれる百の方法』という本にも同じことが書かれていました……!」

 

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 奥手な上に恋愛の機微にも疎いケンイチもようやく、剣星の言わんとしていることが分かってきた。

 

「加えて、ここは異世界。そんじょそこらの変化とはわけが違う。武術家とは言え、女の子である美羽もその胸の中はきっと不安で一杯よ……さて、そこで……ね」

 

 剣星は再び、二枚のチケットをケンイチに突き出す。

 怪物祭、と書かれたしわだらけの紙切れ二枚。当然ながら先ほどとは何一つ変わっていないのだが、ケンイチの目にはまるで黄金に輝いているような気がした。

 

「ケンちゃんがさり気なく、こいつを差し出して不安で一杯の美羽をいたわる様にデートに連れ出し、さらにはそこで頼りがいのある男性としてリードしてあげたら、開放的になった美羽との関係は一体どうなってしまうだろうね……!?」

 

「馬師匠……! やっぱり、あなたは最高だ……!」

 

 がっしりと、ケンイチは剣星の両手を掴むと感涙にむせび泣いた。

 そんな愛弟子を、剣星は慈しむ聖人のような笑顔を浮かべながらサムズアップし、そして、ド外道なセリフで弟子を送り出した。

 

「さあ、ケンちゃん。今こそ男を見せるときよ。美羽の心の隙に付け込んで本懐を遂げるヨロシ」

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます、馬師匠。師匠のご厚意は絶対に無駄にはしませんからね……!」

 

 美羽と一旦別れ、ケンイチは二人で怪物祭を見ながら取る昼食を買いにメインストリートを歩いていた。美羽はどんな物を買ってくれば喜んでくれるだろうかとキョロキョロと周囲の店を見回すその手にはずっしりとした重みを感じさせる袋が握られている。軍資金だと剣星が持たせたお小遣いである。何から何まで世話をしてくれる剣星には本当に頭が上がらない。

 ケンイチは美羽との最高のデートを演出してくれた剣星に感謝の気持ちを改めて口にしていた。

 その足は持ち主の気持ちを表すかのように多くの観光客で賑わう人込みの中を軽快に進み、やがて一つの屋台の前で止まった。

 

「よーし……! 折角ここまでこぎつけたんだ。絶対に失敗しない様に美味しい昼食を買わなくちゃ!」

 

 意気込み、財布からお金を確認するケンイチの前にある屋台では店主のドワーフが熱い鉄板の上で牛のものと思しき肉を焼いていた。

 ケンイチの足音に気が付いたのだろう、ドワーフはちらりとケンイチを一瞥すると徐に傍らの瓶を取り、一息に中身を肉にぶちまける。

 途端、鉄板から炎が吹き上がる。

 少し離れた距離を取っているケンイチですらやけどしそうな熱気を感じるというのに、燃え上がる鉄板の目前にいるドワーフは涼し気な顔で肉を焼き続ける。

 ようやく炎が収まって来たところで焼いた肉をトングでパンの上に乗せ、赤色のソースをたっぷりと肉にかけて、さらにその上にパンで挟み込む。

 その様は元の世界のハンバーガーとサンドイッチの親戚といった所だろうか。

 懐かしい故郷を思い出させるその外観と焼けた肉と焦げたソースの香ばしい匂いにケンイチの喉がごくりと鳴る。

 

「す、すいません! それ、二つお願いできますか!?」

 

「……一つ30ヴァリス。二つで60ヴァリスだ」

 

 必要最低限の事だけを、不愛想な口調でドワーフは言う。とても接客業とは思えない態度なのだが、不思議と不快感を与えない。むしろ、恰幅の良い体格といかにも頑固そうな顔から、まるで味にしかこだわらない職人気質の料理人みたいだと好感を抱いてしまう程だ。

 もどかし気に財布から小銭を取り出すと、ケンイチはドワーフから商品を受け取る。

 中のソースがこぼれない様にするためだろうか、分厚い紙に包まれたそれはただの紙束に見えるが、ずっしりとした重さと厚い紙越しでも分かる熱がケンイチの手に伝わってくる。

 こうして手に持ったことで益々ケンイチの食欲を刺激する。

 

「一口だけなら、良いですよね……?」

 

 そう、誰にしているのかも分からない言い訳をして、ケンイチは一口かぶりつく。

 そして、目を見開く。

 

「うわっ!? 美味しい!!」

 

 あふれ出す肉汁とソースで口元を汚しながら歓声を上げる。ただ漫然と肉を焼いていてはこの味は出せまい。肉の焼き加減、パンの硬さ、ソースの染み込み具合など様々な要素が計算されて出来る味わいだ。

 どうやらあのドワーフはまるで、ではなく、本当に味にこだわっている料理人だったらしい。

 二口目をかぶりつきたい誘惑を何とか振り払い、ケンイチは包装紙に戻す。

 

「これなら、美羽さんも喜んでくれるはず……!」

 

 運よく当たりの店を探し出せた自分の幸運にケンイチは今日のデートの成功を確信する。

 だが、そんなケンイチの絶頂に水を差す言葉が放たれる。

 

「いやいや、多分女の子にそれは幻滅されちゃうと思うよー?」

 

「え?」

 

 驚き振り返れば、そこにいたのは一人の少女だった。

 年はケンイチと同じかやや年下だろうか。外観は褐色の肌とやたらと際どい服装が特徴的である。

 突然話しかけられ困惑するケンイチに気づいた様子も見せず、少女は心底おかしそうに笑いながら今しがた購入した昼食を指さす。

 

「ミウという名前って東方の、女の子の名前でしょ? それ、その子と食べるつもりなの?」

 

「ええっと……そうですけど……?」

 

「うーん……さっきも言ったけどそれは止めといた方がいいよ? 多分、その子すごく困ると思うよ?」

 

「え? 困るって……こんなに美味しいのに……?」

 

「いやいや、美味しいか不味いかの問題じゃないんだって! ほら、そこ……!」

 

 そう言って少女はケンイチの口元を指さす。

 一口しか食べていないのに、その口元は肉汁とソースで汚れていた。

 

「女の子にデートでそんな口元が汚れる食べ物を渡しても困るだけだよ。それどころかデリカシーがないって嫌われちゃうかも」

 

「あっ……! 確かに……!」

 

 少女の言葉にケンイチは自分の迂闊さにようやく気付いた。少々浮世離れしているとはいえ、美羽とて年頃の娘だ。口元を肉汁やソースでみっともなく汚した姿など人前に見せたくはないだろう。

 

「しまったなあ……全然気づかなかった」

 

「しょうがないよ。女の子の気持ちなんて男の子には分からないものだし。次につなげればいいんだよ!」

 

「そうですね……ああ、お礼を言うのが遅れてしまいました。ありがとうございました、おかげで恥をかかないですみそうですよ……ええっと……?」

 

 剣星から与えられた折角の好機を潰さずに済んだことに礼を言おうとするも、少女の名前が分からず、言葉に詰まった。

 口ごもるケンイチに、少女は一瞬キョトンとした顔になるがすぐに自分が名乗っていなかったことを思い出したのか、すぐに納得したというような顔をする。

 

「ごめんごめん。そう言えば、あたし名前を言っていなかったね! あたしの名前はね……」

 

「何してんの、ティオナ?」

 

 横から新しい少女の声が聞こえた。

 振り返ればそこにはまたしても新しい少女がいた。年は目の前のティオナという少女よりも年上だろうか。浅黒い肌と整った容姿という点ではティオナと共通しているが、スレンダーな彼女に対し、より豊満な体格をしている。そんな女性的な肉体を煽情的な服装で晒しているのだからたまらない。思わず頬を染めながら目を反らしたケンイチを責める者はいまい。

 が、件の少女はそんな少年の純情な反応など見飽きてきたのだろう、特に興味を示さずティオナに呆れた様に話しかける。

 

「全く……美味しそうな匂いがする、って突然横道にそれたかと思えばこんな所で逆ナン? アンタ、いつからそんな色気づいたのよ?」

 

「むう……違うよ、ティオネ。この人がデートで失敗しそうになっていたから女としての助言を与えていたんだよ」

 

「女としての助言? アンタが? 冗談でしょ?」

 

「ひっどーい!! どういう意味よー!」

 

 鼻で笑うティオネと呼ばれた少女にティオナは憤慨の声を上げて掴みかかる。その速度はケンイチの目を以てしても相当なものであり、瞬く間に両者の距離をゼロにしてしまった。

 ティオネの胸倉を掴んだ、と思った瞬間ティオネの体が一瞬でぶれる。

 

「うおりゃああっ!!」

 

「なっ!? 危ない!!」

 

 ケンイチが気づいた瞬間にはティオネの体が上下反転し、そのまま重力に導かれるまま、だけでなくティオナのその小柄な体格に似合わぬ剛力によって加速したまま石畳の地面に叩きつけられようとしていた。

 他愛ない口喧嘩から死につながりかねない大事故に発展したことに頭がついていけないながらも体が反射的に動いた。

 尋常ならざる脚力により最初の一歩からトップスピードに乗り、ティオナの体を横からすり抜ける様にしてティオネと地面の間に体を滑り込ませる。

 すぐにでも自分を襲うであろう衝撃に備え、歯を食いしばる。

 しかし……

 

「え?」

 

 果たしてその声は誰の物であろうか。

 無警戒の後ろから突如人影が飛び出してきたティオナか、視界一杯に予想外の人物が滑り込んできたティオネか、それとも

 

「え? え? ええぇっ……!?」

 

 目前に浮かぶ少女の姿を捉えたケンイチの物であろうか。

 ふわり、とティオネの艶のある黒髪がケンイチの顔を撫でる。女性特有の甘さを含んだ香りが鼻腔を通り抜けた。こんな状況であるが、カッと血液と熱が顔面に集まるのが分かった。

 

「驚いた……私たちの動きに反応できるなんて。ティオナ、一体この子何者なのよ?」

 

「分かんないよ、そんな事。あたしだって通り掛けに話しかけただけなんだから」

 

 眼前にティオネの整った顔が面前に迫り、ドギマギしているケンイチとは対照的に件の張本人であるティオネは相も変わらず否、先ほどよりかは幾分興味を持ったようにケンイチを眺めていた。

 そんな彼女の体はケンイチの体から指先一本分上空に浮かんでおり、それを可能としているのは地面に触れている彼女自身の折れそうな程に細く、瑞々しい一本の腕であった。

 傍目から見ればそれは異様な光景であろう。単なる手弱女にしか見えない少女が、その細腕で以て片腕逆立ちを微動だにせず成しているのは。

 恥ずかしがっているのか、混乱しているのか最早分からぬケンイチの目の前でティオネは軽く一息を吐くと

 

「ふっ! よっと……!」

 

「わわっ……!?」

 

 ふわりと重力から解き放たれ、その肢体を舞わせると今度は両の下肢で地面を踏みしめる。地面を押し、その反動で飛び上がったのだと分かるのだが一連の動作には力という物が感じられず、まるで魔法の様な軽業であった。

 目の前で行われたティオネの見事な技量に感心とも呆然とも言える様に眺めるケンイチであったが、見下ろす少女たちもまたケンイチに感心した様にうなずき合った。

 

「へー、その年にしては随分と絞り込まれた体をしているわね、この子。まるで才能なんてなさそうなのに、ここまで鍛え上げるなんて大したものよ」

 

「いやいや、ティオネ。肉体的にすごいのは確かだけどさ、あたしはそれよりも精神的な所がすごいと思うよ? あの一瞬で見ず知らずのティオネの為に躊躇なく自分の体をクッションにするために動けるとか相当に場慣れしてなきゃできないって」

 

「ああ、そう言えばそうね。この子がいなくても大丈夫だったけど、アンタ、よくも私を投げ飛ばしてくれたわね……!」

 

「え? いや、あんなのいつものことじゃな……いったあああっっ!?」

 

 その細さではへし折れてしまうのではと危惧する腕はしかし、ケンイチの目を以てしても霞むほどに素早く、そして周囲を震わせるほどの破砕音を届かせるほどに重くティオナの腹にめり込んだ。

 たまらず崩れ落ちるティオナだが、すぐにお腹をさすりながら立ち上がり、抗議の声を上げる。

 

「ひっどーい! 何すんのさ、ティオネ!? 可愛い妹の悪ふざけにそんなに怒んなくてもいいじゃない!?」

 

「可愛いって、それを自分で言う!? つーか、姉を石畳に叩きつけようとする奴が可愛いわけねえだろーが!! 冗談はその貧相な体だけにしなっ!」

 

「ああっ!?」

 

「アアッ!?」

 

 自身の最大のコンプレックスを揶揄された妹と、徐々に本性を明かし始めた姉は凶暴な面持ちでメンチの切り合いを始める。二人の怒気に圧せられ、怪物祭で賑わっていた筈の大通りからいつの間にやら人が引潮の如く去って行く。これから始まる姉妹喧嘩と言うには生易しい死闘から逃げ去る為だ。

 実際、そのままであればそうであっただろう。

 

「あのー、ちょっといいですか?」

 

 二人の殺気を誰よりも間近に受けてなお、平然としている少年がいなければ。

 

「へ?」

 

「あ?」

 

 思わず、二人の声が重なる。二人とも少年のことを意識していなかった、もしくは周りの人間と同様にとっくに逃げ出していると思っていたからだ。

 驚く二人を気にした様子もなく、ケンイチはゆっくりと腰を上げると服についた埃を落としながら困ったように笑う。

 

「どうやら、お二人は姉妹で先ほどまでのあれもじゃれ合いの一つだと思ってもよろしいんですよね?」

 

「え、ええ……」

 

「そうだけど……?」

 

 思わぬ闖入者に、ティオネも本性を引っ込め、ティオナも普段の明朗さが嘘のように歯切れ悪く返事をする。

 

「それじゃあ、ボクから言うべきことではないのかもしれませんけど……どんなにお二人にとっては何でもない事であったとしてもやっぱり急にあんなことをされたりしたら何も知らない人間はびっくりしちゃいますよ? 折角のお祭りの日なんですから怒ったりしないで皆で楽しんだ方がずっといいですよ」

 

「あー、うん……そりゃあ、まあ……そうね、その通りだわ……」

 

「うんうん、確かにそうだよねー」

 

 自身よりも強い二人をまるで近所の困った子供の様に話しかけられるケンイチの言葉にティオネ、ティオナの両名は何処かばつの悪そうな顔で頷く。

 ちらりと視線を横にずらせば、依然として大通りは賑わっていたが、どういう訳かティオネとティオナを中心にぽっかりと開けた空間が出来上がってしまっていた。間違いなく、自分たちの仕出かしのせいであろう。

 本来であればこうして周囲の人間に迷惑をかける様な真似はしないのだが、どうやら知らず知らずの内に祭りの陽気に当てられ、浮かれきっていたようである。

 この街に来て、本性を隠せるようになってから久しく晒さなかった醜態にティオネは居心地悪く身じろぎする。

 

「悪かったわね、私たちの悪ふざけに巻き込んじゃって」

 

「気にしないでください。こういうのはよくあることですし、慣れていますから」

 

「あはは! なにそれ!? キミの周りには第一級冒険者同士の喧嘩がよくあるの!? そんなわけないじゃ……いったああっ!?」

 

「はあ……全く、アンタは……」

 

 自分の謝罪に、気遣うためとはいえあからさまな嘘に爆笑するティオナを今度は鉄拳ではなくデコピンで黙らせる。ティオナも先ほどの話のこともあり、鼻を抑えティオネを恨めし気に睨むだけであった。

 尚、ティオネもティオナもケンイチの言葉を嘘だと決めつけているがケンイチは嘘を言ったつもりはない。彼にとって絶対的強者のじゃれ合いという名の一般人にとって天災は日常茶飯事であり、それが自分に矛先が向けられるまでがいつもの流れである。

 

「本当……こういうことはよく、ありますからね……」

 

「ええっと……どうしたの、キミ? なんか、すごく実感がこもった様な遠い目をしているけど……?」

 

 己が普段身を置いている環境の異常さを再確認し、自分の世界に入り込むケンイチにティオナは少しだけ戸惑うがすぐにそうだ、とばかりに手を叩いて大声を上げた。

 

「あっ!? そう言えばさ、あたし達自己紹介してなかったじゃない! ねえねえ、君の名前を教えてよ!」

 

「ちょっと、ティオナ。アンタはどうして初対面の人間に馴れ馴れしいの!?」

 

「別に気にしませんよ。ええっと、ティオナさん、ですよね。僕の名前は白浜健一と言います」

 

「シラハマケンイチ、ねえ……あはは、ごめーん。聞いたことも無いや! うーん、おっかしいなあ、キミぐらい強い人なら嫌でも耳に入ると思うんだけどなあ……?」

 

 しばらくうんうんと唸っていたが、まあどうでもいいか、と気を取り直すとティオナは仰々しく胸を張る。

 

「こほん。それじゃあ、次はアタシの番だね。ふっふっふっ……! 驚かないでよ。何を隠そう、アタシはあの有名な……」

 

「いや、さっきケンイチがティオナって確認していたでしょうが。私はティオネ。ヒリュテ姉妹って言えば聞いたことがあるかしら?」

 

 一応は疑問の形をとったティオネの質問。しかしながら、ティオナとティオネにとってこれは質問ではなく、ただの確認作業に過ぎなかった。

 アマゾネスのヒリュテ姉妹、その名は誇張表現抜きに世界中に轟いている。単身で一軍を凌駕する第一級冒険者というだけでも衆目を集めるというのに、姉妹揃って容姿端麗となれば膾炙するのは自然な流れである。

 目の前の少年もこの名を聞いた瞬間に驚愕するであろう、そう二人が確信を持つのは驕りでも何でもなく当然のことであった。

 

「ヒリュテ姉妹……? あの……すみません不勉強なもので……」

 

「あ、あれ? ひょっとして、知らない? アタシ達、結構有名だと思ったんだけどなあ」

 

「嘘でしょう……? どれだけ世間知らずなのよ……?」

 

 しかし、目の前にいるのは昨日の今日でこちらの世界にやって来たケンイチである。

 申し訳なさそうに頭を下げるケンイチに自分たちの予想が外れたと知り、ティオナ達は目を丸くする。第一級冒険者として名を連ねて以来、自分たちの名前を知らない相手など見たことがなかったからだ。

 同時に、二人の胸中にようやく不審の芽が育ち始めた。

 おそらくは第二級冒険者相当の実力を持ちながら、全く聞いたことのない名前。そして、自分たちのことを知らないという極端なまでに無知な点。一体どういう環境に置かれればこのような人間になるのだろうか。

 

「うーん……」

 

「ええっと……」

 

 疑惑の視線に晒され、ケンイチも自分が不審に思われているということに気づく。このまま根掘り葉掘り聞かれれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。そう思い、必死に頭を捻って話題を変えようとする。

 

「あっ! そ、そう言えばお二人はどうしてこちらに来られたんですか? やっぱりお二人も怪物祭を見に来られたんですか?」

 

「ええ、そうよ。先日ダンジョンの遠征から帰ったからちょうどいいタイミングだし、同じファミリアの仲間と待ち合わせして一緒に行くことにしたのよ……って、もうこんな時間?」

 

「あらら、これじゃあ急いで待ち合わせの場所まで行かないと遅刻しちゃうね」

 

 広場の中央に立つ時計台を見て、呟く二人にケンイチはしめたとばかりに瞳を輝かす。

 

「そうですか! じゃあ、早く行かないといけませんね! いやー、残念だなあ! 折角第一級冒険者の方とお近づきになれると思ったのになあ!」

 

「はあ……まあ、いいわ。悪人には見えないし」

 

「あはは、そうだね!」

 

 あまりに見え透いたケンイチの演技に二人は苦笑と共にこの胡散臭い少年を見逃すことにした。

 考えてみれば冒険者となれば脛に傷の一つや二つ抱えているものだし、この少年にも複雑な事情という物があるのだろう。明らかに良くない物を抱えていれば話は別だが、見ての通りとても腹芸などできそうにない善良な人間である。

 ならば、ここで見逃しても問題はないだろう、それが二人の判断であった。

 となれば、長居は無用だ。

 

「それじゃあ、私たちはお先に失礼するわね。色々と悪かったわね、ケンイチ」

 

「じゃーねー! 彼女さんと上手くやれることを祈ってるからー!」

 

「ありがとうございます! ティオナさん、ティオネさん!」

 

 優雅に後ろ手に手を振るティオネと元気一杯に両手を振るティオナ。対照的な二人にお礼を言うとケンイチもまた別れを告げ、当初の目的を果たすため歩き出す。

 その時であった。

 

「……っ!!」

 

「……っ!?」

 

 多くの会話が飛び交う喧騒の中で、日常会話ではあり得ぬ焦燥と恐怖の混じった会話が聞こえてきた。

 自然、足が止まり声の出処を確かめるべく周囲を見回す。一見すれば先ほどと何も変わりない祭りの一風景にしか見えない。だが、数々の死線を潜り抜けてきたケンイチは五感ではなく第六感によって瞬時に悟る。

 ここから北の方角、そちらで何かが起こっている、と。

 

「ケンイチも気が付いたみたいね?」

 

「あはは、どうやら待ち合わせは遅刻みたいだね」

 

「ティオネさん、ティオナさん……」

 

 そして、この場にはそれに気が付いた人間は他に二人いたようだった。

 顔を険しくさせ『何か』がいる方向を睨むケンイチのすぐそばにいつの間にかティオナ達が立っていた。その様はまるで近所へのお使いに行くような気楽さであったがその身にみなぎる闘志を見れば、彼女たちもケンイチと同じことをしようとしているのだとすぐに理解できた。

 三人は声もなく頷くと、周りの人間たちを驚かせない様に静かに、そして俊敏に『何か』が待っているであろう場所へと向かっていくのであった。

 

 

 







 遅くなりましたが第十話完成いたしました。
 エスコン7にハマってしまいました。自分は初めてのエスコンシリーズでしたがフライトシミュレーターがあんなに面白いとは知りませんでした。寝食を惜しむぐらい熱中してやっています。同時に構想だけですがエスコンのクロスオーバーが出来上がってきているのでひょっとすると次回の投稿はそれになるかもしれません。
 それでは皆様のちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。



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