旅人マレファの旅日記 作:飯妃旅立
●「あ、キレたわ」
「一つ質問があるのだけど、いいかしら?」
「お前に答えてやることなんか一切ねえよ」
「あー、ジジイはこう言ってるけど、オレならなんかわかるかもだから、質問していいよ」
「おい、勝手な事すんじゃねえ。いいか、コイツは化け物だから、基本的に知らない事なんかねぇはずなんだ。それなのに質問してくるって事は――」
「さっきヤウズ君が買ってきた食料、一週間分とか言って無かったかしら?」
「え? あぁ、そうだよ。あ、そっか。アンタがいるってわかってれば、もう少し買って来るべきだったかな」
「いえ、そうではなくて。
――そこのクソジジイが、さっき全部食べてしまったけれど……備蓄はあるのかしら、と思ってね」
●「竜を見に行こうなんて、誰か言ったか?」
ジョーカーが死んだ。
その事実に、クイーンは怒り狂った。
いや、怒り狂ったと言うより……現実を受け入れるのが嫌で、駄々をこねる子供のように暴れまくった、という方が正しいのだろう。
とにかく、ジョーカーが蘇る可能性を上げられるまで暴れに暴れたクイーンのせいで、超弩級巨大飛行船トルバドゥールは墜落する次第となった。
現在は中国の山奥で、木材を集めている。
木材で修理する事が出来るくらいには、RDは世界最高の人工知能をしていた。
そんな彼らにいま、受難が降りかかろうとしている。
巨大な熱源反応を持つ獣が三体、トルバドゥールに突っ込もうとしているのだ。
RDは修復で
そこで、今回の件は全面的に非があるクイーンが出る事になった。
クイーンは考える。
――獣は三体。大きい獣が一体、小さい獣が二体。内、大きな殺気を放っているのは大きい獣。小さい獣は殺気を軽く受け流していて、もう一体の小さい獣は前者の獣を執拗に狙っている。
よし。集中砲火を受けている小さい獣を先に狩って戦力を減らそう。
方針が決まったクイーンの足元に、小さな種が打ち込まれた。
「!?」
「まぁそう焦るなって。あとで遊んでやるからよ、うおっ!?」
――なんでお師匠様がここにいる!?
小さい獣は
よく見れば、大きい獣はヤウズで、もう一方の小さい獣はマレファだ。
「クソジジイ! 折角買い込んだ一週間分の食料を一瞬で喰いやがって! これから、どうすんだよ!」
「おまえ、『
「私もヤウズ君の料理食べたかったのになぁ」
「あの、マレファ、君付けやめてくれねえ? なんかむず痒い……」
「わかったわ。じゃあヤウズ、今日はあの子ザルを狩ってから、街へ食べに行きましょう?」
「あ、ババア! お前金ないくせに世界中の料理食べ歩きとかしやがって! 羨ましいとはおもってねぇぞ!」
「怪盗じゃ、観光は出来てももてなされる事はできないものねぇ? 悔しかったら旅人になってみればいいわ。無理でしょうけど!」
「化け物ジジイでも旅人になるのは難しいのか……」
クイーンは、急にばからしくなってきた。
ヤウズとお師匠様の喧嘩はそろそろお家芸のような物になってきているし、マレファとお師匠様に至ってはクイーンの修業時代からよく喧嘩を目にしている。
原因は基本的にくだらないことで、決まって周囲に甚大な被害を齎す結果で終わるものだから、迷惑極まりない。
なんやかんやあって三人の戦いは終わった。
終わったのだが、クイーンの受難は続く。
「故障か? ボロボロじゃないか」
「修理しているんじゃないですよ。オーバーホールです」
「ふぅん」
次の瞬間、
爪をクイーンの首筋に当てて、低い声で言う。
「下手に動くなよ。最近ネイルサロンに行ってねぇんだ。ちょっと力を入れれば、お前の脊髄を破壊しちまいそうだ」
「向こう一年くらいは忙しいから爪の手入れは勝手にやっておく、と言っていたと記憶していたのだけど」
「え、もしかしてジジイの行きつけのネイルサロンって……」
そんな会話が後ろで行われていたのだが、クイーンはそちらにソースを割り振っていられない。
「話してもらおうか」
「なんのことでしょうか?」
「とぼけるなよ。いいか、トルバドゥールはこのおれが設計し、そこのババアから聞き出した遠い技術で以て完成した超弩級の飛行船だ。加えて、それを操縦しているのは世界最高の人工知能RD。そこいらの空軍の攻撃なんかでこんなボロボロになるはずがねぇんだよ」
そんなトルバドゥールをこれほどまでに破壊できる者など、限られている。
何があったか話せと皇帝はクイーンを脅す。
それでも「嫌だ!」と、駄々っ子のように言わないクイーン。
しかし、
「お前がこれだけトルバドゥールを壊すって事は、ジョーカーくんに何かあったと考えられる。それがなにかはわからんが、おれたちなら助けになってやれるかもしれないぞ」
という言葉に、とうとうクイーンが陥落した。
膝から崩れ落ち、項垂れる。
「お師匠様……」
中国が山奥のそのさらに奥で、たき火がぱちぱちと燃える。
クイーンは今までの事を話した。
ライヒと名乗る少女から依頼を受け、ヴォイニッチ手稿に関わってから起きた事。
ライヒは実はルイヒで、彼によってジョーカーの命を奪われてしまった事。
「先輩が死んだ!?」
「叫ぶな! マシュマロが焚火に落ちるだろうが!」
ヤウズも複雑な縁あってジョーカーを先輩と慕う者だ。そこには自分を救ってくれた(?)恩義が少なからず含まれている。
その彼が死んだと言う事実に、動揺を隠せない。
「……まず、言っておこう。安心しろ。ジョーカーくんは死んでない。っていうか、半分死んでるっていうか……」
「お師匠様、とうとう老化現象ですか?」
喧嘩をしようとした二人をRDとマレファが止める。
その手慣れた手腕に、ヤウズが「おぉ」と感心していた。
「お前も小僧もよく聞けよ、いいか、死んだモノは生き返らない。ぜったいにだ。もし生き返ると言うのなら、それは映画かマンガの世界。もしくは、
マレファに羽交い絞めにされながらも、その顔は真剣だ。
「人間は精神と肉体から出来ている。精神を動かすのが、”
皇帝が静かに話す。マレファは拘束を解いた。
「どちらが欠けても死んだ状態になる。話をきくと、今のジョーカーくんは磁を抜かれたようだな」
「だったら、その磁を戻したら先輩は生き返るのか?」
「理屈の上では、そうだな」
「んじゃ、ルイヒって奴を捕まえて磁を取り戻そうぜ!」
意気揚々と立ち上がったヤウズの足を皇帝が払う。
「落ち着け小僧。そんな簡単な話ならそこの馬鹿弟子がとっくに動いている。いいか、おれたちは磁をやりとりする手段を持ってないんだ。出来るのはルイヒだけ……」
バッと後ろを振り向く皇帝。そこには勿論、マレファがいる。
「……何」
「お前、確か鎮魂の術か何かを使えたよな。……磁を、操れるんじゃないか?」
「YESかNOかで言えば――YESよ。やらないけど」
次の瞬間、マレファは樹に叩きつけられた。
叩きつけたのはクイーン。その瞳は幽鬼のようでありながら、その姿は鬼神が如く。
だが、それ以上進まない。柔らかいはずの少女の肌は、恐ろしい程に硬い。
「……私は旅人。だから、旅をする者を止める事は出来ないわ。ジョーカーは今旅をしている。その旅を無理矢理止めさせる程、私は無粋じゃない」
「おい、アホ弟子、やめとけ。そいつは旅人を名乗っちゃいるが、実際は水先案内人――」
「でも、あなた達でも磁をやり取りできるようになる方法は教えてあげられるわ」
マレファが解放される。せき込むような様子もない。ついでに言えば、後ろの樹にも傷はついていなかった。
何かをキャリーケースから取り出すマレファ。
【それは、一体……?】
RDがその”取り出されたモノ”の反応に、無い首を傾げた。
一定間隔で消滅と出現を繰り返すソレはジーモン辺境伯やヴォイニッチ手稿と似ているが、違うのはその座標だ。アメリカにあったかと思えばインドにあったり、オーストラリアに在ったかと思えばアイルランドにあったり。
世界中を縦横無尽に移動しているようにさえ思える。
「これは、クリスタルタブレット……の、原型」
「クリスタルタブレット?」
「おい、クリスタルタブレットっていやぁ、ヴォイニッチ手稿にあった、生命生成の術に必要なモンじゃねえか!」
またクイーンの髪がゆらめき始める。
「これは生命生成には使えないわ。蛇口をイメージしてくれると早いかしらね。クリスタルタブレットの蛇口は、これの何千、何万分の一。それによって完全な生命生成が出来るわ。じゃあ問題。このクリスタルは、何が出来るでしょうか」
【まさか……宇宙の再構築、ですか……?】
つい最近宇宙を救ったRDが恐れるようにして言う。
だが、マレファは首を横に振った。
「いいえ、RD。
「時間流の再構築……いや、時間流の生成、か?」
「ええ」
あっけらかんと答えるマレファに戦慄したような顔をつくる皇帝。
だが、ヤウズにはそれが何を意味するのかわからない。
「なぁ、ジジイ。時間流の生成ってどういう意味だ?」
「……全てのモノ、全てのヒトに等しく流れている時間流。おれやそこのアホ弟子はソレから外れているが、完全に脱せているわけじゃねぇ。時間流は全ての存在を運ぶ。過去から未来へ運び続ける。それを意のままに操り、生成できるとしたら?」
「……自分好みの未来が作れる、って事か?」
それはまさしく神の所業だな、とRDは思った。
「だから、これは使えない。でも、これ以外にあと三つ、クリスタルタブレットは存在しているはずよ」
「未来を変えられる石がそんなにたくさんあるのか!?」
「いいえ、その三つの内二つは生命の生成程度しか出来ないわ。残り一つは、時間流の跳躍が出来るくらい」
「それでもわたしには十分に魅力的だね……」
マレファがクリスタルをキャリーケースに仕舞う。
その中身をちらっと覗いたヤウズは後悔した。キャリーケースの中に広がる闇。
それは、いつか皇帝と共に入ったガルユーンに酷似していたのだから。
「マレファ。それがどこにあるのか、教えてもらえるかな」
「日本よ。正確な場所は……そうね、あの背の高い名探偵に聞きなさい。多分、あなたが欲しがっている以上の情報をくれるはずよ。私も彼には勝てないから」
「彼か……。そうだね、確かに彼なら……みんなが幸せになる真実を教えてくれるはずだ」
クイーンの瞳に希望が宿る。
「なぁ、ジジイ。いつもマレファに張り合ってるジジイなら、磁を作ったりできないのか?」
「無理を言うな。いくらおれが宇宙一の大怪盗とはいえ、そこの化け物ババアに並べられるほど人間やめてないつもりだぜ。あ、いや、だが……そうか、あいつなら……」
「あいつ?」
「昔からの友達なんだが……本名はなんていったかな。いつもフッくんって呼んでいるから忘れちまったよ」
そのいい加減さにあきれ果てる面々。
「なにをやってる奴なんだ?」
「神様……みたいなもんかな」
「
「本当に神様かよ!?」
マレファの注釈にヤウズが驚く。
その衝撃でマシュマロが焚火に落ち、さらにパチっと跳ねてヤウズの額に突き刺さった。
殺気も何もあるはずのない、埒外の熱さに仰け反るヤウズ。
「さて……各々、目的は定まったようね。それじゃ、そろそろ私は行くわ」
「え? 手伝ってくれないのか?」
「さっきも言ったけれど、私は他人の旅路を止めるつもりはないの。ジョーカーが帰りたくないというのなら、私は肩を竦めるほかないわ。でも、クリスタルタブレットには興味があるわね。アレをどういう風に使っているのか。だから、一足先にクリスタルタブレットのある
それじゃ、マアッサラーマ、クイーンにヤウズにRD。あとジジイも」
キャリーケースを引いたマレファが歩き出す。
そして、消えた。
「は? え? お? ん?」
「一々リアクションがうるせぇな。いつもの事だろうが」
【そういえばクイーン、あなた先程マレファさんから何か盗んでいましたよね。何かありましたか?】
「……RD、きみ、わたしが相当に弱っていると知っていてのその追い打ちかい?」
クイーンがその紙きれをみせる。
そこには「はずれ! 20点!」と書かれていた。
「落第だな」
「うるさいです……」
今日のクイーンは、やっぱり覇気にかけていた。
●「フッくんは今アイドルに夢中」
中国・泰山――。
深く険しい山の中で、無事にフッくんと合流出来たヤウズと皇帝は話をしていた。
フッくんはジョーカーの現状を知っていて、磁を作れないと言う。
マレファから神様認定を受けていただけに、ヤウズはとてもがっかりした。
こいつ実はたいしたことないんじゃないかとも思っていた。
それを咎められ、ヤウズは恐怖を覚える。
「マレファ……あの死神、まだこの星にいたんだね」
「死神? 旅人だろ?」
「いやいや、死神だよアレは。ぼくと君の立場はわかっているだろう? そして、ぼくにとってのアレが君にとってのぼく」
この数瞬でヤウズは、フッくんがその気になれば簡単にヤウズの命を奪える事を理解していた。そしてそのフッくんにとって、マレファがそう言う存在であるというのだ。
どういう事かを聞こうとしたヤウズだったが、それ以上フッくんが何かを話す事は無かった。
代わりにクリスタルタブレットを使えば磁を操れると言う。それのある場所が
島。マレファの言っていた言葉と合致する。
だが、いくら磁を取り戻したところでジョーカーが戻るとは限らないと聞かされ、逸っていた気持ちが抑えられた。
魂の世界から元の世界へ帰りたいとジョーカー本人が思わなければ、帰ってこないのだとも。
忙しいと言うフッくんに皇帝が取引を持ちかけ、そしてヤウズが連れて行かれた。
ジョーカーの魂の世界に。
●「向かう前に、聞いておきたかった」
赤い月の夜。
どこかの国のどこかの屋根の上に、二人はいた。
マレファとクイーンだ。
「君にはずっと聞いてみたいと思っていたんだけど――」
クイーンが静かに話し始めた。
「君は実際のところ、赤い夢の住人ではないよね?」
「ええ、そうよ。赤い夢……子供達が憧れてしまう、現実に起こってはいけないコトと、それを生業とする住人達。そこに旅人は含まれていないわ」
「君は白い夢……いるかいないかもわからない、御伽噺の白昼夢のような存在だと、お師匠様から聞かされているんだ」
「旅人って、そういうものでしょう? どこの世界にもいる異国の人間。旅をし続ける誰か。いつの間にか来ていて、いつの間にかいなくなっている。
サァ……と風が二人の間を通り抜けた。
世界中を旅する風が。
「旅人は、一つの場所にはとどまっていられないわ。あなたが今心配してくれているのはそういう事でしょう?」
「うん……君はもうすぐ、わたしたちの手の届かない未来や過去へ行ってしまうんじゃないかと思ってね。わたしにネイルアートを教えてくれた友人と会えなくなってしまうのは悲しいから」
「そうね……確かに、そのつもりだったわ。あと三回くらいかしらね。今回を含めて、あなたと一緒に遊ぶのは」
風が強くなっていく。
「でもね、クイーン。別れって、素敵な事なのよ。笑顔の別れならね」
「……」
「人との別れは、新しい旅路を生むわ。必ず道が分かれるの。どっちにするか、なんて迷う必要はないわ。どちらも行けばいいんだもの。ね、クイーン。この美しい世界に生まれて良かったって……あなたもそう思っているのでしょう?」
「……」
「だから、ジョーカーをこっちに戻したいのでしょう?」
「……うん」
「だったら、私との別れを惜しんでなんかいないで、速くジョーカーに忘れ物を届けに行きなさいな。友達としても、保護者としても、パートナーとしても……そっちが最優先事項よ。大丈夫、今ので気が変わったから、向こう千年くらいはここにいてあげるわ」
風が吹き荒れる。
ゴウゴウと音を立てて、マレファを包み込む。
「これは餞別よ、クイーン。あなたなら、上手く使えるわ」
そうして、マレファは消えた。
クイーンのポケットには、緑色の石が入っていた。
●「どこかで見た顔? いや、昨日晩酌したじゃんか」
原伊島。中央に小高い山があり、そこからなだらかに海に向かっている円錐形の島だ。
てっぺんに田中一族の家があり、近くには
そんな田中家で今、数時間に及ぶ睨み合いが行われていた。
「
「ウキャ、ウキャキャ? キャキャ!(ほう、いいのかい? ここだ!)」
「なんですって……!? ッ、いえ、ならここ!!」
「キャキャキャッ!?(なんだと!?)」
マレファと猿――猿っぽい人間ではなく、本当に猿――が、将棋とチェスを合体させたようなボードゲームで遊んでいるのだ。
八時間前に開始されたゲームは未だに一戦目。互いに決定打を打つ事が出来ずに勝負は拮抗していた。
「……アレ、結構頭使うゲームだな」
「そうですか? さっきから一進一退を繰り返しているようにしか見えませんが……」
それを眺める観客は二人。
探偵卿の花菱仙太郎と田中一族の田中那由多だ。
仙太郎は持ち前の頭脳で戦局を読み、那由多は二人の攻防をふわーっと眺めてあくびをしている。
「長かった――長かったわね。長老。でも、これで終わりよ! これが神の一手――ッ!」
「ウキャ、キャキャ……キャキャキャキィィイイ!(やめろ、やめろぉ……やめてくれぇぇええ!)」
猿が仰向けに倒れる。
親指を立て、「ウッキャキャッキャ(グッドラック)」とだけ発言し、眠りに就いた。
マレファは汗を拭う。そんな彼女に、他の猿たちがハンカチを渡した。
「ありがとう。でも、あなた達の長老をまず介護してあげて。アラビア語を覚える所から始まって、カーブースのルールの把握をしてからの一戦目で八時間の死闘……物凄い体力を使ったはずよ」
「キャキャキャ!(了解しやしたぜ姉御!)」
長老と呼ばれた猿が運ばれていく。
マレファは親指を立てて見送った。
「いや、名勝負だった。見ているだけで頭が痛くなってくるような勝負だったぞ」
「ありがとう。これなら、カーブースの最年少七段を達成できるかもしれないわ」
「ウキャキッ?(最年長の間違いでは?)」
笑顔で睨みつけるマレファ。猿はそそくさと逃げて行く。
「さぁて、素晴らしい試合の後は酒盛りだ! 婿殿も那由多も飲むぞ!」
「素晴らしいわ仁太さん。その言葉を待ってました!」
イェーイ! とテンションを上げて肩を組む二人。どちらも身長が小さいので丁度いい塩梅だ。
猿たちが持ってきた酒を開くと、濃密な酒気が全員を包んだ。
普段は女の子とワインを飲むくらいしかしない仙太郎にとって、その酒は毒と呼ぶべき強さだったが、仙太郎は行った。
意識がすぐにとんだ。
意識の戻った仙太郎が冷静に猿たちを観察する。
やはり。
仁太に確認を取った所、想像通り――この島の猿たちも動物たちも、外の世界にはいない種類のものだった。
マレファに懐く鳥や鹿なんかを見ていると、御伽噺の中に迷い込んだような錯覚さえも覚える。
「ここにいる奴らはみんな、ノアの方舟に乗り遅れた奴らなのさ」
マレファが歌を歌い始める。
すると、彼女に懐いていた動物たちが彼女から数歩離れて、彼女を取り囲むようにして座った。まるでその歌を懐かしむように目を閉じて、耳を傾ける。
「堕落した人間のせいで巻き込まれた動物たちは可哀想だよな」
「ここにいる動物たちは神ではなく田中一族が創り上げたというのですか?」
「ちがう、ちがう。田中一族もノアの方舟に乗り遅れたんだ」
やがて、共に歌い出す動物まで現れた。元の歌が人間の声帯用ではないのか、動物たちも歌いやすそうだ。
「あの歌……乗り遅れた動物たちが、あれだけ懐かしそうに歌うって事は……」
「ノアの方舟が作られる前にあった詩、ですね」
仙太郎の目が銀色に輝いている。
ダブルフェイス。確かに今の仙太郎はその瞳だけでなく、顔まで三割増しのイケメンになっていた。
「まさか、とは思っちゃいたがな……本物か」
仁太がつばを飲み込んだ音が聞こえた。
同時に、マレファが歌を終える。動物たちが皆、夜闇に遠吠えを上げて歓声を表現した。
「いや、素晴らしかった。わしの中に流れる田中の血も、どこかジーンと来てしまっていたよ」
「わたしもです」
仁太に那由多が同調するが、仙太郎は一切わからない。
仙太郎もノアの子孫ということなのだろうか。
「仁太さん、よろしければぼくの推理を聞いていただけませんか?」
仙太郎は良く周るようになった頭と瞳で、詰問を開始した。
●「全てが集まってくる。当事者はゆっくりお茶をしている」
ゲームだ。
クリスタルタブレット――生命生成の術が欲しいのならば、代償として誰かの命が必要。
それを各人――ホテルベルリン、探偵卿ヴォルフと暗殺者Mic、人造人間のルイヒ、そして怪盗クイーンと探偵卿アンゲルス――に伝えてきた。
各人、了解の意を得たり。
仁太は放っていた式神からその情報を得て、笑みを深める。
「あー、命の取り合いなんて物騒な物だからこんなこと聞きたくはないんだけど……アンタは参加しないのか?」
仙太郎がアンタと言ったのは、マレファに対してだ。
長老の次に頭のいい者として選出された鹿がマレファと対局しているのだが、やはり長老の様に長い時間の拮抗は出来ていないようだった。
「私は別に、持ってるし」
「……何を?」
「クリスタルタブレット。それより力の強い石」
それ、と仁太の足元を指さすマレファ。
仁太のクリスタルタブレットより力の強い奴があるのかと仙太郎が驚く一方で、仁太も何かに戦慄していた。
「だが、この島にいれば命を狙われるぞ?」
「返り討ちにしてあげる……と言いたい所だけど、まぁ自衛程度に済ませておくわ。私は旅人なのだし」
「ふむ……」
それで話は終わりだった。
対局に戻るマレファ。今度は打つ手を変えて、何も考えずに猛進する巨猪が相手をするらしい。なお、駒を動かすのは猿である。
「あ、そうだ。探偵卿さん、対局しないかしら? あなたとアンゲルスは探偵卿きっての頭脳派だと聞いているのだけど」
「え、あー……まぁ、暇だしな。見ていてルールも覚えたから、ちょっとやってみるか」
「おお、店長代理! 応援します!」
応援され、やる気を出す仙太郎。
その姿に仁太が「やはり婿殿だな……」としきりに頷いていた事を、仙太郎は知らなかった。
●「――ッ、ラブコメの波動!? でも、あ、消えた」
ノックがして、扉が開いた。
そこにはヴォルフが立っていた。
仙太郎と那由多は飛び退く。ヴォルフは仙太郎と那由多の国際指名手配が解除されたことを知らないからだ。ちなみにマレファとの対局は仙太郎の勝利で終わった。莫大な経験に裏打ちされたマレファであっても、探偵卿の頭脳には勝てないのだ。
割と落ち込んでいるマレファを余所に話が進んでいく。
ヴォルフが殺気立っている。仁太から渡された湯呑を真っ二つに斬り、クリスタルタブレットを寄越せと言う。まずは酒を飲めと言われ、渋々飲んだヴォルフはその手のしびれに気が付いた。盛られたのだ。
次第に弱くなっていくヴォルフをして、仁太は彼がクイーンの変装である事を伝えた。
「え? なんだって? ……ちぇっくめいと?」
クイーンの漏らした微かな言葉を聞き取ろうと仁太が近づいたその瞬間、クイーンが正体を現した。どうやら、自分はヴォルフではないという暗示をかけて、ヴォルフじゃないから毒も催眠術もかけられていないという事にしたらしい。
むちゃくちゃだな、と仙太郎は思った。マレファも思った。
「じゃ、クリスタルタブレットは頂いていくよ」
「い、いつのまに!?」
怪盗の早業――既にクリスタルタブレットはクイーンの手の中にあった。
瞬間、小屋に丸太が突っ込んできて、全てが吹き飛ばされる。
泥人形が投擲したのだ。
そしてその陰から、一気に仁太へと近づく影が――マレファに止められた。
「……誰かな、君は」
「旅人」
影――ルイヒが止められた腕を動かそうとするが、一向に動かない。
まるで完全に座標を固められてしまったようだった。
そしてその隙に仁太が術を発動させる。泥人形を土くれに戻す術だ。
「ッ、何!?」
「私を盾にして攻撃、というのはいただけないわね。私が今あなたを守ったのは長老に敬意を示しての事。あなたのためじゃないわ。だから、相殺させてもらったのよ」
「――お前も持っているのか!」
ルイヒのターゲットがマレファに変わる。
その在り処を探し、気付いた。キャリーケースだ。
手を伸ばすルイヒ。
「
激しい悪寒が走って、ルイヒは手を引っ込めた。
死神だ。死神がいる!
ルイヒは咄嗟に辺りを見回し、一番無防備で一番楽そうな存在を発見し、その腕を取った。
「こいつを殺されたくなければクリスタルタブレットを渡せ!」
「な、那由多くん!」
那由多だ。
自衛手段の使えない彼女を人質に、ルイヒはクリスタルタブレットを要求する。
「殺すなら殺してもいいよ。わたしには関係の無い事だ」
「私にも特に関係ないわね。あぁ、でも――」
チラと、仙太郎を見たマレファ。
長老に敬意を表したのに、仙太郎には何もないと言うのはヘンな話だ。
仙太郎はマレファに勝ったのだから。
「殺す事は止めないけれど、彼が悲しむのなら、仇くらいは取ってあげるわ。旅人の美学に反する事でもないしね」
「ッ、三十分だ! 三十分後にクリスタルタブレットを持ってこなければこの女を殺す! 場所は榎久神社だ!」
逃げるように出て行くルイヒ。
仙太郎がクイーンとマレファを見るが、取り合ってくれそうにない。
だが、クイーンが耳に手を当て通信を少しした後、渋々と言った感じで「わかったよ」と呟いた。
「いまからルイヒの所へ行ってくる。……そうそう、マレファ。わたしが思うに、こういう時お師匠様なら何が何でも助け出すと思うんだよね」
「私とあのジジイを一緒にしないでくれる?」
「うん、でもお師匠様はこう思うだろうね。『流石陰湿化け物ババア、人間の心が欠片も感じられねえ。その点おれのほうが何百倍も人間らしいってわかっただろ? 命を簡単に見捨てる奴はその時点で旅人失格だろ。現地の死者を悼むのが旅人って言ってたのにな』って」
マレファから殺気よりもドロっとしたものがこぼれ出す。
「命を簡単に見捨てる奴」に関してはクイーンも入っているのだが、そういう事に頭は回らないらしい。
争いは同じレベルでしか起きないのだ。マレファは膨大な経験によって「頭良い風」に見せかけているだけで、実際はちょろいのだ。とても。
「……そう、そこまで言うなら助けてあげる。そうね、そうね、そうね……そうね、なら、そうね……わかったわ、ふふふ……」
言葉にならない感情が吹き荒れる。
あの
「じゃ、行こうか。怪盗と旅人の共同戦線――奪取したクリスタルタブレットはとうぜんわたしが貰っていいんだよね?」
「ええ、私はあんなものいらないし……でも、那由多さんを無傷で助け出した暁には、皇帝に『マレファは偉大なる旅人だよ』と言わせる事を約束しなさい……」
「……ぜ、善処するよ」
それはだいぶ難問だな――そんなことを思いながら、二人は一斉に駆け出した。
屋根の吹き飛んだ田中家と仁太、仙太郎が、口を「あ」の形にしたまま取り残された。
●「鬼神」
「やぁ」
引き攣った笑顔を造り、クイーンは手を上げた。
榎久神社。そこに、ルイヒがいる。泥人形を無数に従えるルイヒが。
「じゃ、私は泥人形と那由多さんを」
「ありがとう」
マレファが好意で口車に乗ってくれたのは分かっていた。
だから、クイーンはお礼を言う。
「おい、まずはクリスタルタブレットを渡せ! さもなければ今すぐに――」
「道中、彼女に聞いたよ。クリスタルタブレットには使用制限があるんだってね。それも、磁を与えるなんて大作業をした後にはクリスタルタブレットはただの石ころに戻ってしまう……そうだろう?」
「ッ……」
「だから、ここには持ってきていないよ」
その言葉を聞いた瞬間泥人形が那由多に殺到する。
しかしソレらは、全て砂になって消えた。砂だ。まるで、泥になる前に戻されたかのように。泥になるためのファクターを取り除かれたかのように。
「ッ、死神か!」
「emeth」
マレファが小さくつぶやく。
すると、砂が一か所に集まり始め、いつのまにか砂で出来たイヌワシとオリックスが彼女の隣に佇んでいた。
「そんなッ!?」
「よそ見している暇があるのかい?」
「ぐ、うわっ!」
急接近していたクイーンに、ルイヒは人造人間の超速度を持って反応し、躱す。
しかし頬が切れた。流れる血に恐怖を感じるルイヒ。
先程の事も信じられない。だって、アレはゴーレム生成の術だ!
「この子をあの探偵卿……
オリックスが那由多を背負い、イヌワシがピューイ! と返事をする。
そして駆けだした。
「もう、心配も、我慢もいらないね」
辺りを破壊しても問題なくなったクイーンのタガが外れる。
ずっとずっと秘めていたのだ。
――ジョーカーの命を奪った
「ひ、」
ルイヒは一瞬にして岩へと叩きつけられた。
これが、死。ルイヒは理解する。
だが、同時に――。
「ぼくが死ねば、ジョーカーは生き返らない」
一瞬動揺を見せるクイーン。
ルイヒは笑った。
「meth」
崩れ落ちるクイーン。
磁を抜いたのだ。
「はっ、はっ……」
一発逆転。
鬼神を下したルイヒは、上がったままの息で死神を見る。
「……ぼくはまだ死ねないんだ!」
「ええ、わかっているわ。だから早く、ライヒをクリスタルタブレットの元に運んであげなさいな。初めは
――今のあなたは、文句なしの
死神に見えていた存在は、いつのまにかただの旅人になっていた。
ルイヒは気怠い身体に鞭を打って、ライヒを抱き起す。
そして自らが叩きつけられた岩――クリスタルタブレットへ凭れ掛らせた。
「ライヒ、ライヒ……起きて。お願いだよ」
クリスタルタブレットによる磁の生成方法。
それは、「愛を以て相手に生き返って欲しい」と願う事だ。
自らが完璧な生命になるためではない、そのルイヒの祈りは、自らの片割れに対しての紛れもない「愛」だった。
「さぁ……いい、夢を」
風が吹く。
繋がれていたルイヒとライヒの腕が、静かに落ちた。
●「最後の壁」
ホテルベルリンが榎久神社に辿り着いた時、戦闘は全て終わっていた。
クイーンが死に、ルイヒとライヒも死に。
立っていたのは、少女一人だけ。
「……
シュテラが呟く。
マレファはルイヒとライヒの遺体に花を添えていた。
「……こうして、対峙するのは初めてかしらね?」
「ええ、そうですね……怪盗クイーンや
「あなた達はこのクリスタルタブレットを封印しに来たのかしら? それともルイヒを殺しに来たのかしら?」
「どちらも、でしょうか」
「なら、定番だけれど言わせてもらうわ……私を倒してからにしなさい」
ふわ、と……不可思議な風が吹いた。
シュヴァルツやローテが周囲を見渡す。風が、地面から吹いている。
「私はマレファ。マレファ・アルマウト。とある天使に与えられた知識――」
歌うように呟く。
その姿は旅人でも死神でも無く――悪魔のようだった。
「夢を、見ましょうか」
次の瞬間、クリスタルタブレットの輝きが消え、ルイヒとライヒの身体も消えた。
シュテラが口を開く。
「これで作戦終了です。――ドイツへ帰りますよ」
「はっ!」
帰って行くホテルベルリン。
静止したままのマレファ。
「……この怒りはあのジジイ宛でいいのかしら」
第四次世界大戦はもうすぐそこだ――ッ!
●「乾杯」
地鳴りが聞こえる。
空にはブロックノイズ。
トルバドゥールとアパートの一部が急速浮上していくのが見えた。どうやら、クイーンは無事に生き返ったらしい。
ガジガジと変わりゆく島の中で、唯一マレファだけが変化を起こさない。
そして辿り着いた。
「……お主か」
「ええ、私よ。ジンタ」
「お主には、時間跳躍の術など効かぬのだろうな」
「正解よ。だけど、私でも抗えないものがあるわ」
「ほう。それはなんじゃ?」
マレファはそれに答えず、つかつかと屋根の吹き飛んだ小屋の中に入る。
そして酒瓶を一つ取り出した。
「猿酒、貰って行くわね。長老によろしく」
「それはいいが――」
そしていつものキャリーケースを持ち、小屋を出る――直前で振り返った。
「私が抗えないものはね、絆っていうの。良い意味じゃないわよ? 切ろうとしても切れない、切りたくて仕方がない繋がり。それには抗えないわ」
「……達者でな」
「ええ――二十三年後にまた、会いましょう」
えらく具体的な数字を示して、マレファは踏み出した。
踏み出して、消えた。またどこかへ旅立ったのだろう。
ブロックノイズが段々と繊細になって行き、島全体を包み――消えた。
この日、原伊島は、世界からその姿を消したのだった。
「旅人に、乾杯!」
●「質問があります」
「質問があります」
ジョーカーの声が響いた。
無事生き返ったジョーカーはやたらちやほやしてくるクイーンとRDに戸惑いながら、そう発言した。
「なんだい?」
【なんでしょうか?】
「この写真なのですが――」
ジョーカーの持つ写真。
そこには彼らも良く見覚えのある、マレファが映っていた。
「……おや? 彼女は写真には写らないはずなんだけどね」
「はい、ですから、どのようにして撮ったものなのかな、と思いまして」
【……妙に、いえ、こう言ったら失礼ですけど……今のマレファ様より、若干、ほんの若干若いように思えますね。彼女をスキャンするとエラーが出るので何とも言えませんが】
クイーンとジョーカーの中で思考が巡る。
その答えを出したのは、クイーンでもジョーカーでもRDでもなかった。
【あ、それはねぇ、わたしとアンゲルスでシミュレートしたあの子の昔の姿なのよ】
マガだ。探偵卿アンゲルスの人工知能である彼女は、こうして時たまRDの電脳空間に遊びに来ている。
【マガ。そんなことをしていたのかい?】
【ええ、肉体を電子空間に取り込む技術の研究中にね。ほら、RDをクイーンの魂の世界に送った時の技術も、彼女の技術が役に立っていたのよ。それをもっと完全に出来ないか、って試行錯誤している内にできたのがコレ】
【どうやって彼女の身体データをシミュレートしたんだい? 彼女はスキャンできないと思うんだけど……】
【アンゲルスが一からモデリングしたのよ。彼、記憶力もいいから。で、このマレファちゃんはアンゲルス曰く八歳の時の姿らしいわ】
「――それは素晴らしいわね、マガ。ちょっと行ってくるわ」
【ええ、行ってらっしゃい。それで、このモデルは細部にまでこだわっていてね――って、あら? 今の誰かしら。声しか聞こえなかったけど……】
大体予想できていたクイーンとジョーカーはアンゲルスの安否を祈った。
そして気を取り直してジョーカーが言う。
「それで、この写真なんですけど……ぼくはこの顔に見覚えがあるんです」
「まぁ、それなりに会っているからね」
「いえ、そうではなくて……ぼくの、もっともっと深い場所で、会った事があるような……」
クイーンがスクっと立ち上がった。
「――それは素晴らしいね、ジョーカーくん。ちょっと行ってくるよ」
クイーンの目に炎が宿る。
「……確か、どこかの村で、旅人が――」
深い深い記憶の中。
シーラという名の
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