旅人マレファの旅日記   作:飯妃旅立

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魔窟王の対決より


旅人と魔窟と石、時々演劇と怪盗と叉焼饅。

It(それ)は退屈をしていた。どれくらい退屈をしていたのか。果たして退屈をしていなかった時が僅かでもあったか。

 

 そんなことも分からなくなってしまう程、It(それ)は退屈をしていた。

 様々な事をした。それをしている間は退屈じゃなかった。だが、すぐに飽きてしまった。

 気が付けば一人残される。皆、すぐにいなくなってしまう。

 そしてまた、退屈な時間がやってくる。

 

 ある時It(それ)は一つのゲームを思いついた。

 誰もが欲しがる宝。それを所有する者。

 誰もが夢見る財宝。それを護る者。狙うものを攻撃する者。

 ゲーム盤は魔窟(ここ)

 

 あぁ、あと奪う者も欠かせない。明確な敵。そう、怪盗と呼ばれる者。

 

 そして最後に、ゲームを評価する者も必要だ。

 見聞の深い旅人。

 

 これでいい。

 あとはこの駒を、盤に配置するだけだ。

 

 さて――。

 

 ゲームを、はじめようか。

 

 ●

 

 半月石(ハーフムーン)という宝石がある。

 「願いがかなう石」「神の石」とも呼ばれるこの石は、しかし歴史の表舞台に上がることが無い故に伝説の石とされてきた。

 だが、此度香港島沖に造られた人工島――四龍(スーロン)島城塞の遊園地、通称「魔窟」にて誕生日パーティが開かれる事となった。誕生日の主はこの半月石の持ち主である、(ウォン)嘉楽(カーロツ)

 彼がこのパーティで、伝説の石「半月石」を披露すると言ったのだ。

 

 話は瞬く間に全世界に広がり、彼の七十の誕生日に是非参加しようと各国の有名人や研究者が集ま――れはしなかった。

 この誕生会は、王の招待した客のみが呼ばれたのだ。

 

 そしてその誕生会の招待状は、とある少女の元にも――。

 

 ●

 

 水槽に空気を送るぽこぽこという音だけが部屋に響いている。

 分厚い絨毯、分厚い壁がそれ以外の音を全て吸収しているかのようだった。

 四龍島城塞の中でももっとも巨大な建物の、その最上階。

 

 そこのソファに一人の老人が座っていた。

 否、ソファの背より背丈が無いために見えないが、一人の少女も座っているらしい。

 

「アラブ系の方がここに来るのは初めてですね」

「そうでしょうね。こんなところ、来る必要が無いもの」

 

 老人の話す広東語に間髪入れずにアラビア語で返す少女。

 互いに互いの言葉を話せこそしないが、理解は出来るのだ。

 

「わたしの事はご存知でしょうか?」

「ごめんなさい、浅学で。あなたが見た目よりもずっと年老いていて、ずっと怖い人だって言う事くらいしか知らないわ」

「では、簡潔に自己紹介をしましょう。

 わたしの名は(ウォン)(ウォン)嘉楽(カーロツ)と申します。ここ、四龍島城塞を造っただけの、ただの老人ですよ」

「丁寧にありがとう。

 私はマレファ。不躾な呼びかけに答えて来てみれば、盛大な歓迎を受けて少し機嫌が悪いだけの女よ」

「それに関しては、申し訳ありませんでした」

 

 いつも余裕のあるマレファがこんなにも苛立っているのは、偏に(ウォン)の所有する自警団のためである。

 招待を受けてこの城塞に降り立ったマレファ。そのままの足でこの建造物へ向かった所、盛大な歓迎……つまり不審者として追い掛け回される羽目になったのだ。

 もっとも、銃火器等の持ち込みが禁止されているこの島に、これほどまでに怪しいキャリーケースを引いて、最重要施設に堂々と乗り込もうとした方も少なからず悪い所があったかもしれないが。

 

「それで、私のことはどれだけ知っているのかしら?」

 

 その言葉を聞いて、王がパチンと指を鳴らす。

 部屋に入ってくる女性。

 女性は王にファイルを渡して下がる。

 

「旅人マレファ――姓は不明だが、各地で記録や記憶に残る、全世界を旅している少女として名前だけは確実。出身不明、年齢不明、前者は恐らくアラブ系と思われる。しかし、現存している書物によれば紀元前4000年前にはその名が確認されていたとの資料も。

 キャリーケースの中身は不明。ただし、常にそれを持ち歩いている事から何か重大な秘密が隠されている可能性大」

「へぇ。凄いわね、その情報収集能力。ICPOでも知らない事実も乗っていそう。でもそれなら、『電子機器の類いではその姿を捉える事は出来ない』って書かれていなかったかしら?」

「……眉唾話だったからね。けど、その言い方で判断が付いた――シャンティ君、だめだよこのファイルは。記載情報はしっかりしないと」

 

 シャンティと呼ばれた女性は黙って頭を下げた。

 王は胸ポケットから取り出した万年筆で情報を付け足した。

 

「どこまでが本当かはわからないけど、これが全て本当なら君はわたしなんかよりももっともっと怖い存在なんじゃないのかい?」

「そんなことは無いわ。世界にはもっと怖い存在がたくさんいるもの。怪盗や名探偵、魔女に錬金術師……。ただの旅人が比べられるには、荷が重すぎるわ」

 

 肩を竦めるマレファ。

 

「それで、今回私は招待を受けてきたわけなのだけれど……ここ以外で、どこか宿泊できる場所、あったりするのかしら?」

「何故ここではいけないのかな? ここは最大限に警備された施設。君のような少女が寝泊まりするにも最適だとおもいますけどね」

「外の空気が吸えない場所で眠りたくないの。ゲームはちゃんと見ていて上げるから、宿泊費だけ頂戴? 私、ここのお金なんて持ってないから」

 

 図々しいお願いに、しかし王はふむ、と頷き、

 

「シャンティくん」

 

 シャンティを呼び付けた。

 シャンティがマレファに手を差し出す。

 

「――あなたの手では踊らないわ」

 

 マレファはそう、吐き捨てた。

 シャンティの手は、取らなかった。

 

 ●

 

 あてがわれた部屋は、お世辞にも良い部屋と呼べる場所ではなかった。

 否、そもそもこの島にある宿泊施設はそのほとんどが”良い”と呼べる物ではないのだろう。

 逃れ得ぬ王嘉楽の支配に住民は空を見上げるのを止め、皆が皆俯いてしまっている。

 

 どんよりとした空気が王の住む場所以外を覆う、海上の大監獄。

 そんな場所に在る宿が、良い宿であるはずもない。

 

 そしてその中でも取り分け悪い部屋だったようだ。

 上階の客は夜中までドタバタとうるさいし、斜め上の部屋からは水が垂れて来るし。

 何度もクレームを入れた結果、もう面倒になって諦めた。

 

 ……床(私にとっては天井)が抜けるとかは、無いわよね?

 

 はぁ、と一つ溜息を吐いて、ベッドに入る。

 王に呼ばれたこともそうだけれど、今日は一日色々な事があった。

 順々に思い出すと二倍疲れてしまうので、少しだけピックアップしてみよう――。

 

 ●「遺跡荒らしと書いてトレジャーハンターと読め。え? 考古学者?」

 

 まず、お昼だ。

 なんでも有名な俳優が乗っているらしく、多少混んでいたフェリーの上で、とても懐かしい顔に遭遇した。

 

「ハロー、ああいえ、マルハバン、マレファ」

「……パシフィスト・ドゥ・ルーペ? 久しぶりね……二十年ぶりくらい?」

「やぁねぇ、まだ十年ぶりよ。お互い見た目が変わらないから、時間の流れがわからなくなるわよね」

「私はともかくとして、貴女までそうなのはおかしいのだけれどね。あぁ、まぁ……遺跡荒らし(トレジャーハンター)も、赤い夢に足をかける存在ではあるから、理解は出来るけれど」

 

 パシフィスト・ドゥ・ルーペ。

 各国の遺跡という遺跡を調査の名の元に荒らしては荒らし、研究という名の元に盗んで持ち帰ってしまう、著名な(?)遺跡荒らしである。

 破天荒極まりない性格だが考古学者としての腕は確かであり、危険な”可能性”を秘めた古物を多数保管しつづけている実績のある女性だ。

 

「此処にいるって事は、貴女も半月石(ハーフムーン)目当て?」

「も、という事は、貴女はそうなのね。私は違うわ」

「ま、そうだろうと思ってたわ。旅人の貴女が石ころを欲しがるはずがないものね。でも、私は考古学者! 伝説の石なんて調べないわけにはいかないでしょう?」

 

 そしてこの行動力(バイタリティ)の高さこそが、彼女が遺跡荒らしたる所以。

 調べないわけには行かないのだ。例え所有者が調べる事を許さずとも、勝手に借りて、勝手に保管して、勝手に調べる。

 故にトレジャーハンター。

 

「願いをかなえるためではないの?」

「アハハ、クイーンとおんなじことを聞くのね。そりゃ、願いをかなえる機能が本当に或るのかどうか調べる為には、願わなければいけないでしょ?」

 

 クイーンがいるのか。

 ……まぁ、いるだろうなぁ。

 

「そうだ、マレファ。貴女はもし半月石(ハーフムーン)が手に入ったら、何を願うの?」

「……難しい質問ね。貴女は昔言っていたように世界征服でしょうけど……」

「あ、マレファには話してあったのね。そう、わたしの夢は世界征服。それで、マレファは?」

 

 願い。

 私の願い。

 

「……半月石(ハーフムーン)の消滅、かしらね」

「だと思った! アハハ、本当に変わらないわね、貴女。昔会った時も、わたしの狙っていた古物が消えてなくなればいいのにね、なんて言っていたし」

「別に古物が嫌いなわけじゃないのよ? ただ、意思を持つ古物なんて、みんな休息を望んでいるものだから……ただの憐み」

 

 存在するだけで悲劇を生む石とか。

 開けると災厄が降り注ぐ箱とか。

 退屈で仕方がない宝石とか。

 

 点数を付けるにも値しないモノは、それなりにあるのだ。

 

「そうそう! そういえば、クイーンのパートナーのジョーカーくんを初めて見たんだけど……とっても素直な子ね。本当、クイーンとお似合いというかなんというか……」

「本人が聞いたら激怒しそうね。ま、お似合いなのは認めるけれど」

「貴女はパートナーとか助手を取ったりしないの?」

「旅の道連れ、情けない」

「? なぁに、それ」

「東洋の島国のことわざよ。自分の旅に誰かを道連れにするのは情けないって意味らしいわ。背の高い名探偵に聞いたの」

「へ、へぇ……ヘンな言葉もあるものね。東洋の神秘だわ」

 

 私が一人で旅をしているのはもっと昔からだけれど、やはり日本人は凄い。

 私が幾星霜の時を掛けて成し得た体現を、言葉だけで辿り着くのだから。

 

「あ、そろそろね。じゃ、おさきに失礼するわ。呼ばれたと言うのならパーティで会えるだろうし、またね!」

「ええ、またね」

 

 嵐のように。

 遺跡荒らしは、去って行った。

 

 ●「一銭も持っていないのでスリにあっても問題なかった」

 

 手続きを済ませてスラム街をうろついていた時の事だ。

 見るからに旅行者の、それも親の居ない子供など、絶好のカモ。

 何度「おっとごめん」と言われながらぶつかりかけられたことか。

 都度、全部避けているので彼らは気まずい顔で去っていくのだが。

 

 ただ、目の前で起きたスリは見逃せなかった。

 

「ちょっと」

「……!?」

 

 目の前を歩く大男の懐から恐れ知らずにも財布を抜いた少年の腕を掴み取る。

 そして財布を取り上げた。

 大男が気付く様子は無い。

 

「ああ、逃げないで。はい、盗っていいのは半分だけね」

 

 財布の中身から、半分だけお金を盗って少年に渡す。

 腕を放すと、一目散に逃げて行った。

 

「……探偵卿、ヴォルフ・ミブ。ICPOが誇る探偵卿が、こんな不用心でいいのかしら?」

「……余計な世話だ。返せ」

「あらあら、折角取り返してあげたのに……。はい、どうぞ」

 

 少年を見送るマレファの背後に、大男が立っていた。

 ヴォルフ――大男は少年にスられた事には気付かなかったが、自身の後ろであった捕り物には気が付いたのだ。

 そして、少女の持つ財布が自分のものであることにも。

 

 

 めまいのような、ノイズのようなものが走る頭でヴォルフは考える。

 自身の財布を取り返し、何の見返りも求めずにそれを渡してくれた事から、少女の善性が伺える。相対しても犯罪者の気配はしないし、無害であると本能が判断している。

 

 ヴォルフには、それが恐ろしかった。

 

 ヴォルフにとって一般人はあくまで守る対象で、もしくは有象無象である。

 ヴォルフにとって犯罪者は斬る対象で、もしくは殺す対象である。

 ヴォルフにとって探偵卿は面倒な対象で、あるいは厄介な対象である。

 

 では、ヴォルフにとって無害な対象とはなんだ?

 

「……お前、何だ」

「旅人よ。ただのね。まだ、会うべきではないわ。頭が痛いでしょう? 貴方と会うのはもっと先の、美しい城の地下よ」

「フンッ!」

 

 ヴォルフは考えるより先に動いた。

 十中八九、こういった回りくどい事を言ってくる輩は厄介な存在であると知っていたからだ。

 手に持った長刀を大きく振り抜く。

 

 ガン、という音がスラム街に響き渡った。

 

「……ただの子供じゃないのは、確かなようだな……!」

 

 ヴォルフの口角が楽しそうに上がる。

 彼の長刀は、少女の足によって阻まれていた。

 

「その爪、ICPOの資料で見た事があるぜ。

 伝説の暗殺者集団初楼の、一時期にのみ存在したメンバー。名前は不明だったが、鋭い蹴りと足先の暗器で戦う……だったか」

「昔の話よ。それに、所属したつもりはないわ。義理があっただけ。私は、今も昔も旅人よ」

 

 ヴォルフの頭痛が強くなる。

 視界にノイズがかかり、目の前が靄がかって見えづらくなる。

 

「毒……いや、幻術か……?」

「どちらでもないわ。大丈夫、安心して。次に起きた時、その頭痛もノイズも、そして私の存在さえも、綺麗さっぱり忘れているわ」

 

 意識を保っていられなかった。

 だが、最後までヴォルフは長刀を手放さなかった。

 硬く固く握りしめる。彼は犯罪者を許さない。逃さない。例え過去の事だとしても。

 

「私はルイーゼとお友達なのよ? ……彼女に言いつけてもいいの?」

 

 ヴォルフは、眠りに就いた。

 

 ●

 

 ……濃い一日だった。

 最近はよく濃い一日を経験している気がするけれど、遺跡荒らしと武闘派の探偵卿と王嘉楽は濃いメンツだったのだ。

 

 今日はゆっくり眠る事としよう。

 明日も多分、色々あるだろうから。

 

 

 

 ●

 

 

 

「お嬢ちゃん、ちょっと」

「え?」

 

 唐突だった。

 映画監督を名乗る男に連れられて、映画の撮影現場まで誘拐された。

 スケルツィというイタリア人がある程度アラビア語がわかるという事で、彼に通訳してもらい、一応意思の疎通は出来た所で。

 

「監督、本当にやるんですか? 見た目はどう見ても少女なんですけど……」

「僕の目に狂いはなぁい!」

 

 (フォン)監督というらしい男の言われるままに、私は舞台セットに立たされた。

 対峙するのは、()龍狼(ロンロン)という名の俳優。

 

「じゃあ、行くぞ! 『偶然通りかかった旅人の少女が蹴りの達人で、勝利に驕りを得かけていた主人公が挫折するシーン』、アクション!!」

 

 恐ろしい事に、こちらの得意技まで知られている始末。

 本当に慧眼だと思う。仕方がない、やろうか。

 

「あなたが噂の武道家? ふぅん……それにしては、随分と細いのね。簡単に折れてしまいそう」

「カァーット!!」

 

 ……おかしい。

 結構演技は上手くできたと思ったんだけど……。

 

「なんでアラビア語なんだ! 確かに現代にタイムスリップしてきたとはいえ、ここは香港の設定だぞ! せめて英語にしてくれ!」

「あ、ごめんなさい、えと、わかり、ました」

 

 ……カタコトの英語での演技は無理があるんだけど。

 まぁ、細かいキャラ作りの指定はないようだし……。

 

「アァクション!」

 

「……あなた、噂……武道家、です? ……弱そうですけど」

「今度はなんだ……弱い奴がいくら束になっても、無駄だぞ」

「では、愚かなままで……死を」

 

 私の蹴りと龍狼の蹴りが交差する。

 バックステップ。その前に、もう一撃。

 

「ッ……」

「一撃目が、避けられた……時、とか、のために、二撃目を用意、あらかじめ、です」

「……まさか君の口からその戦術を聞く事になるとはね……」

 

 恐らく洪監督達には聞こえていないだろう小さな声で、龍狼が言った。

 先程までの龍狼の声ではなく、クイーンの声で。

 

「やぁ!」

「クッ!」

 

 蹴り上げ、袈裟蹴り、回し蹴りからの目潰し。

 くるくると回り続け、回転は速度を上げ、さらに早く、速く!

 

「少し、は、手加減とか……ないのかい!」

「私を脳内ででもあのクソジジイと並べた時点でそんなものは消え去ったわ」

「これが劇である事は覚えているよな!?」

「あなたが負けるシーンでしょう? なら、いいじゃない」

 

 小声のアラビア語で会話をする。

 殺気こそ無いが、勝負は勝負。

 申し訳ないが、クイーンにはめいっぱい疲れてもらおう。

 

「くっ、ならこっちも――」

 

 一陣の風が吹く。

 マレファの髪がさらさらと切れた。

 

「小柄って、便利よね」

 

 クイーンの懐へと潜り込んだマレファが、その腹に向かって蹴りを放つ。

 そもそも威力の出る蹴りではないために、足を払って吹き飛ばしたように見せる。

 クイーン扮する龍狼はカメラの画角外のクッション材に突っ込んでいった。

 

「カァーット!! いいよ! 凄く良い! やはり僕の目に狂いは無かったぁ!」

 

 ぶんぶんと腕を監督に振り回されながら、視界の端にその少年を映す。

 昨日のスリの少年だ。

 

「じゃあ、私はこれで。あぁ、言い忘れていたけれど、私カメラに映らないから」

「は?」

 

 それじゃ、とヒラヒラ手を振って歩き出す。

 後ろで、「ダメです! 全部のカメラに映っていません!」だの「龍狼が見えない何かと戦って、自分で吹き飛んだみたいじゃないか……」だの、「待てよ? これは……チャンスでは?」だのと色々聞こえたが、知らない。

 事情を聴かずに採用する方が悪いのだ。

 

 

 ちなみに、後にみた映画のポスターには、万を生きる吸血鬼の少女に襲われるシーンに変更されていた。

 ……失敬な。人の血なんか飲まないのに。

 

 

 ●

 

 王嘉楽のビルのそばにある飲茶(ヤムチャ)の店。

 そこの丸テーブルに、三人はいた。

 

 一人はパシフィスト・ドゥ・ルーペ。ドレス姿で点心をがっついている。

 一人はマレファ。露出の多い踊り子のような格好で点心をがっついている。

 最後は、李龍狼がマネージャーである(ジィ)の格好をした、クイーン。食欲が無いのか、カスタードプリンパイだけを食べている。

 

「さて、三人で、もぐ、話したいんだけど……ここの、もぐ、ウェイターさん達には聞かれたく、もぐ、ないの。マイナーな言葉が良いんだけど……」

「じゃあアラビア語で。もぐ、もぐ、早口で話せば他の国の人はもぐもぐもぐんぐ、聞き取れないわ」

「別にそれは構わないんだけどね、君達。もう少し上品に食べないかい?」

 

 喋りながら話す行儀の悪い二人に苦言を呈すクイーン。

 こういう役目はジョーカーが担うべきなのだが、生憎現在は撮影中だ。

 先程入れ替わったのだ。クイーンは、マレファに蹴り飛ばされたお腹をさすりながら二人をジト目で見る。

 

半月石(ハーフムーン)の事なんだけど――」

 

 しかし食べるのをやめないパシフィスト。そのまま真剣な表情で話しを続ける。

 

「わたし、半月石(ハーフムーン)と王が集めた資料を見せてもらったわ。どうやら世界中の資料を根こそぎ集めたみたいね。見つからないわけよ」

「人は、知らなければ欲しいとは思わないからね。実に合理的な手段だ」

「……古い友人としての忠告よ。半月石(ハーフムーン)には、手を出さない方がいいわ」

 

 しっかりと手に持っていた桃饅頭を飲み込んでからいうパシフィスト。

 その手には、僅かに震えがあった。

 

「こわかったの。手を出せなかったわ。科学的根拠なんて一切無いけれど、アレは人間が手を出して良い物じゃあない。各地にある古代遺跡にも似たような物があるけれど、アレもその類。世に表出すべきではないのよ」

「わたしの獲物には、今までにも『呪われた宝石』はあったよ。いちいち気にしていたら、怪盗なんて出来やしない」

 

 その自信たっぷりの言葉を聞いても、パシフィストの顔色は優れない。

 隣でマレファがスナック菓子でも摘むように牡蠣のソースのチャーシュー饅をほおばっている。

 

「単刀直入に言うわ。

 ――半月石(ハーフムーン)は、生きている。概念的でも、観念的なものでもない。意思のある石なのよ」

「日本語だと、その言葉の並びはDAJAREになるね」

 

 茶化すようにいうクイーン。

 だが、意に介さないパシフィスト。

 

「あなたがここにきて、カスタードプリンパイだけを注文した事。それは何故?」

「食べたかったからだよ」

「それは100%、あなたの意思と言える?」

 

 クイーンは言葉に詰まってしまった。

 

「あなたが半月石(ハーフムーン)を狙うと決めたきっかけは?」

「新聞で読んだのさ……」

 

 言葉を発した直後、何かを聞いて冷や汗を垂らすクイーン。

 恐らくRDが「クイーンが新聞を目にして興味を持つ確率」を言ったのだろう。

 その低さに、冷や汗を垂らしたのだ。

 

半月石(ハーフムーン)が、わたしを四龍島城塞に招くために、新聞を見せたというのかい?

 ――ありえないな」

 

 きっぱりと。

 断言するクイーン。

 

「その答え合わせをするために、もう一人呼んだのよ。マレファ。知識を意味する名を持つ貴女なら、知っているのでしょう?」

 

 パシフィストがマレファに懇願するような声で尋ねる。

 マレファは海老のワンタンをしっかり食べた後、口を拭いてから、こう言った。

 

「そうね。正解よ。半月石(ハーフムーン)は己の願いを叶える事が出来るわ。念ずるだけでね。あなた達がここにいるのも、半月石(ハーフムーン)の意思によるもの。わたしは自ら出向いただけだけれど、ここに住んでいる全ての住民が半月石(ハーフムーン)の意思で生きているんじゃないかしら」

「……ね、わかったでしょ、クイーン。わたしは諦めたわ。あの石を手にするのは、わたしには、いいえ、人類には早すぎることなの。関わってはいけないものよ」

「でも、もう予告状を出してしまったからね」

 

 取りつく島も無いクイーン。

 その様子にパシフィストは溜息を吐いて、「じゃ、勝手になさい」と言って立ち上がり、

 

「でも、くれぐれも気を付けてね」

 

 と言って、飲茶(ヤムチャ)を出て行った。

 

 残されたのは、未だにガツガツと点心を食べるマレファと、幾分か顔の険しくなったクイーン。

 

「……ところで君は、お金を持っているのかい?」

「え、ないけど。怪盗なんでしょ? お金持ちなんだから、払ってくれるものだとばかり」

「……」

 

 これも半月石(ハーフムーン)の差し金なのか……?

 クイーンの腹の中でくつくつと煮え湯が湯だってきた。

 このクイーンに、怪盗クイーンに、食べてもいない点心の勘定を払わせたことを後悔させてやる!!

 

「あ、もし半月石(ハーフムーン)を盗み出せたら、そしてそれを要らないと思うのなら、私に頂戴?」

「……君の願いは?」

「さぁ~、なんでしょうね♪」

 

 やけに機嫌のいいマレファが、追加注文をする。

 ……追加注文?

 

 クイーンの背には、先程とは違う冷や汗が垂れていた。

 

 ●

 

 上階の客がうるさい。

 ドッタンバッタンと大騒ぎしている。

 そして静かになった――と思ったら、今度は表の通りで大騒ぎ。

 

 捕り物か何かだろうか。

 

 それ以降は、静かな夜だった。

 

 ●

 

 王嘉楽ビル最上階。

 垂れ幕には「HAPPY BIRTHDAY! 王嘉楽」と書かれていて、多数の人間が集まっている。

 誕生日パーティが始まった。

 

「やぁ、楽しんでくれているかい?」

「ええ、料理はしっかり美味しいわ。それよりいいのかしら? もう会場内にクイーンがいるかもしれないのに、半月石(ハーフムーン)を見ていなくて」

「ええ、いいんです」

 

 高校生のような肌の若さを持つ白髪の老人と、10にも満たないような幼さを持つ露出の多い衣装の少女。アンバランスさで言えば恐らくこの会場にいる者の中でも最高だろう二人に近づこうと思う者はいない。

 強いて言えば、招待された映画監督たちが「あー!」とか「あの子!!」とか言っていたりするが、やはり近づいては来なかった。

 

「さて、そろそろお披露目の時間です。貴女も楽しんで行ってくださいね」

「そうね。今日があなたの命日にならないことは祈っていてあげるわ」

 

 マレファの不吉な送り言葉にも、王は笑みを返すだけだった。

 

 そして、半月石(ハーフムーン)が招待客の前に取り出され――バツンと、ホールの電気が消えた。

 すぐにバックアップ電源が作動したが、明かりが消える前と付いた後では全く違う様相を見せるモノが2つあった。

 

 一つは、ステージ。

 「はっはっは」と高笑いする覆面マスクが現れ、瞬時にヴォルフに詰め寄られて覆面を切られたかと思えば中身が李龍狼で、かと思えばスケルツィの変装だった事。

 

 そしてもう一つは、展示されていた半月石(ハーフムーン)が消えてなくなっていた事。

 野生の勘が、はたまた別か。

 ヴォルフが犯人と指定した少年のポッケから半月石(ハーフムーン)が見つかり、少年が連れて行かれる。

 

 後を負おうとした龍狼……否、ジョーカーを、ヴォルフが止めた。

 ジョーカーの耳には、最も信頼する者の声が届いていた。

 

 ●

 

 マレファが王嘉楽の部屋に着いた時には、おかしな戦況が広がっていた。

 クイーンの手にある半月石(ハーフムーン)。既にシャンティの変装を解き、黒のボディスーツを纏っている。

 王嘉楽は構えももたぬ自然体でそれと対峙している。周囲にあるのは転がったワインボトル。

 

 クイーンの攻撃は精彩にかけ、なんどもワインボトルを踏んでは転倒を繰り返す。

 まるでクイーンの運気が全て王嘉楽に吸い取られているかのようだった。

 

「おや、マレファさん。あなたも半月石(ハーフムーン)を盗みにきたのですか?」

「いいえ? 私はただ、悲しい結末を見に来ただけよ。今までもずっと見てきた、半月石(ハーフムーン)所有者の先にある結末をね」

 

 会話の間もクイーンの猛攻は続いているが、女神の加護という言葉を彷彿とさせる幸運で、その攻撃は一切当たらない。

 

「ほら、もう」

 

 その言葉と同時か、直後か。

 目を瞑ったクイーンの攻撃が王に直撃する。

 

 王は信じられないと言った様子で硬直し、そこへクイーンの追撃が重なって行く。

 

「わたしは! わたしは神に護られているはずだ!」

 

 クイーンの問いかけ。

 魔窟王になる事が、本当に王嘉楽の願いだったのか?

 一度は笑って答えた王嘉楽も、半月石(ハーフムーン)に利用されている可能性を聞いて怒気を荒げた。

 図星だった。

 

「本当は半月石(ハーフムーン)も、わたしに盗まれる事を望んでいるんじゃないですか?」

 

 図星だった。

 だから、王嘉楽は最後の手段たる拳銃さえも信じられなかった。

 不発弾が出る可能性なんて天文学的な確率だ。

 だが、半月石(ハーフムーン)が盗まれたがっているのなら、話は違う。

 

 何千何万、何億分の一を確実に引き寄せるだろう。

 

「さぁ、撃ってみなさい」

 

 クイーンが王嘉楽に近づく。

 

 

 

「あ……あっ!」

 

 カチン、と軽い音がした。

 不発弾だ。

 

「あ、あ」

 

 膝から崩れ落ちる王嘉楽。その顔を見て、今まで蚊帳の外だった少年――小牙(シュガ)が、「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。

 まるでフィルムの早回しの様に、王嘉楽の顔が老けて行く。

 とても七十歳には見えなかった王が、今や百を超える老人のようだ。

 

 クイーンは小牙の手を取る。

 

「君は?」

半月石(ハーフムーン)。私はあなたの消滅を願うわ。退屈なら、永遠の暇を経験してみない?」

 

 クイーンは、懐に入れた半月石(ハーフムーン)が強い熱を帯びたような気がした。

 拒否している……否、怯えているようだと、クイーンは感じた。

 急がなければジョーカーくんが危ないかな……と、唐突に思い出す。

 

「私なら、あなたがただの石ころになる場所へ連れて行ってあげられるわ。一緒に来ない? 私の故郷へ。もう誰もいない、何もないあの場所へ」

 

 クイーンの脳裏に、ジョーカーが数多の自警団に囲まれている映像が思い浮かぶ。

 小牙がジョーカーを心配するようにクイーンの裾を強く引く。

 

「私は旅人。旅人マレファ。残念だけど、あなたは0点(ウェフダー)どころか-30点(ムドゥヒク)なのよ。あなたはこの件で満足しないわ。魚を操り、漁師を操り、子供を操って、またいずれ同じことをする。

 さぁ、行きましょう? 知的生命体のいないあの場所へ」

 

 ジョーカーが危ない!

 クイーンは脳裏に響き渡った第六感に突き動かされるようにホールへと戻る。

 小牙も伴って、まるでマレファから一刻も早く遠ざかるかのように駆け出した。

 

「……残念ね。案外小心者だったみたい」

 

 マレファは二人を見送って、改めて部屋を進む。

 虚ろな目の老人が一人、穏やかな顔をして座っていた。

 

「王嘉楽。七十歳、おめでとう」

「ああ、ありがとうね。こんなにたくさんの孫に祝われるなんて、七十まで生きていてよかったよ」

「……そうね」

 

 そこにはもう、魔窟王の姿は存在しなかった。

 

 ●「予期されていた未来」

 

 It(それ)は怯えていた。

 

 怪盗クイーンを駒にできなかったことも残念だが、それよりもあの旅人に認知されてしまった事に怯えを抱いていた。

 どうしようか? あの旅人が死ぬまで眠りに就こうか?

 でも、次に目が覚めた時人類が死んでいたら嫌だな……。

 

 クイーンに放り投げられた深海で、It(それ)は考える。

 

 よし、もう一回だけ。

 もう一回だけ浮上して――。

 

「こんにちは、半月石(ハーフムーン)。迎えに来たわよ」

 

 この日以降、歴史に半月石(ハーフムーン)の存在が記される事は無かった。

 

 ●

 

 

 


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