旅人マレファの旅日記 作:飯妃旅立
春の訪れを祝う復活祭……の、四十日もの準備期間を四旬節と呼ぶ。
ドイツのファストナハトやカルネヴァルと呼ばれる謝肉祭。吹奏楽の生演奏や仮装した人間のショウ、舞い散る紙ふぶき。
楽器を演奏しながら歩く仮装グループが何組も見られ、それはパレードとなって辺りを賑わせているのだ。
そんな場所を、旅行鞄(キャスター付き)を転がしながら、道行く人の間をふらふらする少女が1人。
言うまでも無く私、マレファである。
どうもひと気にやられてしまっていて、休める場所を探していたのだ。
先程近くの場所で「ドイツに『KI○SK』がある!」と若い男が叫んでいたので、道行く人に場所を聞いてそこを目指している最中。
……だったのだけれど。
先程からわー、だの。きゃー、だの。
突然ドライアイスのスモークが上がったり、炎っぽい熱気が上がったり、筋骨隆々な男が飛び出して来たりと……あ、あそこの建物の上に少年がK98構えて寝そべってる。いや、あれはK98改かな?
うわ、発砲した。いやいや街中も街中なんだけど……。
銃口の先には……
「わぁ……」
流れるような銀髪。性別不明の外見。あ、手を振られた。
手を振りかえす。
少しして、ぬぅっと少年の後ろに猛獣が現れる。
距離にして1.2kmを2分程で詰めたワケだけど……怖すぎないかしら?
その間に銀髪はヘンな格好をした男と交戦。
物が飛ぶ。飛び交う。交戦中、垂らされたワイヤーに捕まって銀髪離脱。
いつの間にか猛獣もいない。
うん。
「いらっしゃいませー!」
コンビニに入ろう。
●
「あ、コレとコレと……これと」
どこの国でもコンビニはコンビニだった。
売っている物がお国柄と言う事はあれども、店内は大体同じだ。
レジにいるのが日本人と、そこだけ奇妙な点ではあったのだが、とりわけ普通のコンビニだった。
だった。
「あ……あの」
「はい、いらっしゃいませー!」
先程までレジ打ちしていた店員が客を確保しろだのという無線を入れなければ普通のコンビニと言えただろう。物理的に瞳の色を変えたりしなければ尚更の事だ。
「……」
何も言わないが、店長だろう人の目が「アラブ人か」と言っている。
人種差別とまではいかないだろうが、特異の目で見られるのは慣れっこだ。
「ありがとうございましたー!」
だからこそ、この人懐っこい顔の日本人は珍しい。
一切の忌憚なく礼を言う。その黒い瞳は「珍しい物を見る目」でも「奇怪な物を見る目」でもなく、単純に「お客様を見る目」なのだ。
この店員にとって「お客様」は「お客様」以外の何物でもないのだろう。
……この店内に、いる内は。
「ありがとうございましたー!」
会計後と出店時の2回。
しっかりと礼を言うダブルフェイスを確認しながら――全速力でその場を後にする。
最後の最後。
黒い瞳が銀色に変わったのは見逃せなかったからね。
●
「あ、逃げられた」
「……日本人。今度のはなんだ。あのアラブ人は何の犯人だ」
コンビニの店長が日本人――花菱仙太郎に問いかける。
先程、仙太郎が接客した相手は彼の推理に寄れば爆弾テロの犯人。その推理力には目の前の彼が同じ人間とは思えない程舌を巻く出来だった。
事の真偽がどうであれ、今さっきまでいたアラブ人の少女がどのような事を考えていたのか知りたい、という好奇心によるものだ。
「何の、って言われると困るけど……殺人かテロか盗難か器物損壊か……の、どれかかな」
「……」
今回は打って変わって曖昧だ。
殺人やテロなら不味い事この上ないし、盗難であれば通報しろと言いたいし、器物損壊といわれても店内のどこも壊れてはいない。
推理を話せ、という目線を向ける店長。
「あの子のサンダルから見えてた付け爪だけど、明らかに鋭利で硬質な物質で出来ていた上に、爪に見せかけるための塗料が横に凪いでたからアレはあの爪で何かを切断した跡。しかも極最近。
そんな凶器を常日頃身に付けていて、そんな技量の必要な武器を纏っている少女……これだけで組織犯の匂いがするだろ?」
「……じゃあ、何故さっきのように電話を入れねえ?」
「多分組織犯じゃないから、捕まえられないのさ。アレ、多分身寄りが無いタイプの単独犯……それも足取りを消す事に慣れている。ちっさいけどプロの暗殺者だ。
その時代遅れした単語群よりも、先程仙太郎が連絡した場所がICPOだった事に驚いた。
「お前は……何者なんだ?」
「何者って、プロのコンビニ店員さ。探偵は……まぁ趣味かな」
●
謝肉祭最終日――。
ドイツ郊外の森にある’’あべこべ城’’にて、仮面舞踏会が開催される。
そこに集うは様々な思惑を持った人々。
そこには、勿論、旅人の姿も――。
●
ようこそお越しくださいました。マレファ様ですね。
入口の黒背広の男に招待状を見せると、名前まで知られた状態で通された。
非常にうすら寒いというか……この招待状の送り主であるMという男が何者なのか想像して背筋が冷たくなる。
何を以て私の現在地を調べたのか。そもそも何の用で私なんかを招待したのか。
探偵卿というより、探偵という職業もまた赤い夢に近しい。
恐ろしいなぁ……と思いながらも、自国で言う所の晴着を纏って歩く。
仮面は鳥を模した物で、一応縁の部分は刃物になっていたりしないこともない。
さて、と周囲を見渡すと。
まずさっきのコンビニ店員さん。その横に黒いドレスの女性。筋骨隆々の男性。
日本人……っぽい変装をしている怪盗と猛獣。老人。若い女性。
妖怪と少年……先程見た長身の男とライフルを持っていた少年、女性、少女。
うーん、濃い。
とりあえず壁際に移動する。
舞踏会が、始まった。
●
世界最高の人工知能RDは考える。
見知ったエラーデータの塊――
先程己とクイーンが見つけたご婦人のトランクには、最新式の小型重火器等々が入っていた。ホテルベルリンのシュテラ。その傍らにいるのが、四代目総帥であるエレオノーラ。
そしてその直ぐ近く。壁の華に徹している、浅黒い肌のアラブ系の少女。
彼女の足元にもトランクがあるのだが(それが果てしなく浮いている事は置いて於いて)、その中身はスキャンできなかった。
けれど、そのエラーパターンは覚えている。エラーそのものは消せなくとも、エラー自体を記憶すればいい――世界最高の人工知能である己の性能を遺憾なく発揮できている。
【クイーン、ホテルベルリンの近くにいる少女の事なのですが……】
「あぁ、気付いているよ。けど、放っておいても大丈夫。辛口の採点をしてくるだろうけど、それだけだよ」
【……】
確かに、前に少女と接触したオリエント急行でも、彼女は特に何かをしたわけではなかった。強いて言えばトゥルバドゥールのコンテナ内でパンドラの匣を両断した程度で、オリエント急行の旅路では特に何もしていない。
ただ、ジョーカーはそう楽観的に捉えられないようだ。
「クイーン、ぼくには彼女が凄腕の暗殺者にしか見えないのですが」
「そんなことを彼女に言ったら、ジョーカーくんの胸には穴が開いているだろうね。大丈夫、彼女は旅人の美学に添って生きているだけだから……人を殺すなんて怖いことはしないよ」
【クイーンは彼女と知り合いなのですか?】
「同じ赤い夢に生きる住人なだけで、特別深い親交は無いかな。せいぜいがネイルアートを教えてもらったくらいの仲だよ」
それは十分に仲がいいのでは、と言おうとして、口を噤むジョーカーとRD。
2人の脳内に浮かぶクイーンの友人と言えば、あの夢水清志郎を除けば多種多様な動物たちである。夢水清志郎も動物に類されるのかもしれないが。
あの少女をあの括りに入れるのはかわいそうだ。
2人の心中は合致した。
「RD……君は以前、落第ギリギリの点数だったらしいね?」
【25点――退学レベルですね】
「じゃあ取り返さないと。友人のわたしたちが手伝って上げるよ!」
【私は友人ではなく一介の人工知能ですが――】
「ついでに言うと、僕も友人ではなく一介のビジネスパートナーです」
落ち込むクイーン。
日頃の行いである。
●
「よぉ、1人か婆さん」
「あら、何用ですかお爺様?」
バチッと2人の間で何かが弾ける。
片や幼ささえ見えるアラブ系の少女。片や長身の人種の解らない若者。
どちらもかける言葉は間違っているが、誰も突っ込まない。
そもそも2人の会話は周囲に聞こえない。
「今はクイーンに会わなきゃいけねぇから忙しいが……クソババアが何しにきやがったか聞いておこうとおもってな」
「何百と言う時を生きるクソジジイにババア呼ばわりされる筋合いはないですね……
「
互いに罵り合う。
わざわざ若者がアラビア語を使う辺り、この2人がどれほど相手を嫌っているかわかるだろう。
「招待状を貰ったから来ただけよ。特に目的は無いわ」
「……本当だな。なら、おれの目的を邪魔するんじゃねぇぞ」
「あなたの目的なんか知らないし、それをわざわざ邪魔する気もないけど……もし邪魔をしても、謝ったりしないわよ」
「……ならいいがな」
「それと、その変装……30点ね。クイーンには見抜かれているわよ」
「知ってる」
それだけ言うと、若者は和服の2人の元へ歩いて行った。
●
賑やかな会場が一瞬でシン、と静まった。
人垣が割れる。
「ジーモン辺境伯だ……」
「あのお方が帰ってきた……」
「あの人が……」
顔の全面を隠す白いマスク。
長い真白の髪。
大男だ。
同時にいくつものことが起きる。
大男に斬りかかる筋骨隆々の男。注射器の様な物で和服美人と、共に踊っていた男性を纏めて撃ち殺さんとする婦人。シャンデリア付近で光る赤。動き出す五十人ほどの人間。
吹き出るスモーク。破裂音。
叩き鳴らされるシンバルと怒号。
そんな雑踏の中に、旅人の姿は無かった。
●
「……おぬしがクイーンか?」
「いいえ? 私はマレファ。ただの旅人よ」
「旅人が何故こんなところにいる」
「老人が何故こんなところにいるの?」
「ピラミッドキャップのためだ」
「私はこの城が長年見てきた景色を見るためよ」
「……なら、ソイツがクイーンか?」
ソイツ――階段を下りてきた、2つの足音。
流れるような銀髪と、大型の猛獣。
「ええ」
「わしは――」
「存じ上げておりますよ、モーリッツ教授」
「ほう、わしも有名になったものだ」
老人――モーリッツ教授が嬉しそうに言う。
隣いる助手・レナーテは無表情だ。
「
「久しぶりだね、旅人マレファ」
「RDもお久しぶりね。そっちの人は……顔は見たことあるけれど、名前は知らないわ」
「彼はわたしの親友のジョーカーくんだよ」
「初めまして。ぼくはクイーンの一介のビジネスパートナー、ジョーカーです」
「私はマレファ。よろしくね?」
2人とも、何故ここに旅人なんぞがいるのか、とは聴かない。
RDが先程の音声を拾い上げていたためだ。
そしてクイーンが指を鳴らす。
凍る砂利と泥。現れる掘削機。
掘削されていくセメントのような氷。出来上がる道。
5人は中へと入っていく――。
●
【そういえば、忘れていたのですが……】
「うん? どうしたんだい、RD」
【いえ、本来であればピラミッドキャップを守る番人がいるはずなんですが……いませんね】
「あぁ、あの出来損ないの人形は壊しておいたわ。ドイツの城にミイラ男は
特定個人に棘のある言葉を吐くマレファ。
その言葉に反応したのだろうか。
「うるせぇ。人が折角サプライズに用意した番人を粉々にしやがって……俺の邪魔はしないって言っただろ」
「言ってないわ。わざわざ邪魔をする気はないとは言ったけれど、邪魔をしないとは言ってないわ」
「
敵意バリバリの2人を余所に、モーリッツ教授が驚いたように皇帝に話しかけた。
「番人なんて造るくらいだから、ソイツはここを守っていたのよ。ピラミッドキャップを狙おうとする輩を撃退するためにね」
「あー、そうだよ。死ぬ間際のインゴマルに頼まれたんだ。ピラミッドキャップを封印してくれ、あれは人間の手に扱えるものじゃない……ってな」
「インゴマル・シュミット。懐かしい名前ね。あの悲しい事件を乗り越えた……事はないわよね。そんなこと言うくらいだもの」
ちなみにマレファはアラビア語で話しているのだが、この場には聞き取れない者がいない。話す事は難しくとも、それぞれが教養の高いメンツであるために、彼女は普段通りに喋ることが出来ているのだ。
インゴマル――ホテルベルリン初代総帥の名前に疑わしい物を見るような目で2人を見るモーリッツ教授とレナーテ。
「早く行こうぜ。グズグズしてると氷が溶けちまう……生き埋めはごめんだぜ」
●
先に行くわ、と言ってマレファはロープを使わずに塔の頂上に飛び降りた。
他の面々は、皇帝がレナーテを、ジョーカーがモーリッツ教授を背負ってロープで降りる。
面々が降りた先。
逆さになったドアを文字通り皇帝が切り開くと、その部屋にソレはあった。
木の机。
水晶の塊。
その横に、マレファがいた。
「……お前、それ持ち帰るとか言わないよな?」
「いらないわよこんなもの。けど、綺麗ね。綺麗過ぎて気持ち悪いわ――15点ね」
「そっ、それが……」
ピラミッドキャップ。
明らかに自然に出来た物ではない四角錘には幾何学的な紋様が刻まれている。
近付いた皇帝がピラミッドキャップを手に取った。
光に翳せばそれがどれほど異端であるかがわかる。
「さて、お目当ての物は見つかったのだし……あなた達はここから逃げた方がいいんじゃない?」
「?」
【彼女の言う通りです! あと5分後に、塔が崩れます! 城自体が崩れるのは7分後です! 午前零時ジャスト、あべこべ城は砂漠と湖に飲まれ、跡形もなくなくなるでしょう!】
「嘘だろ?」
信用していないクイーンとジョーカー。
【信用するしないは個人の自由です】
「さぁ、逃げなさいな。死にたいなら個人の自由だけどね?」
息の合う2人。
壁に罅が入る。
「逃げろ!」
皇帝が叫んだ。
1人を除いて、皆が一斉に駆けだした。
●
【クイーン、Missマレファが確認できません。いえ、カメラの映像を見る限りでは……彼女は、逃げていません】
眼を見開くジョーカー。
しかしクイーンは何を言っているんだ、という表情だ。
「うん? 当たり前だろ、RD。彼女は言ってたじゃないか。あなた達は逃げなさい、って。彼女は最初から逃げるつもりなんて無かったよ」
【城と心中するつもりだった、と……?】
「まさか。彼女は旅人だよ。わたしが怪盗として欲しい物を盗むように、彼女も旅人として行きたい場所へ旅をするさ。だから、心配はないよ。それよりわたしを労わってくれないかい? ピラミッドキャップを巡った暗闇の中で、誰かに噛まれてしまってね……」
クイーンが腕を見せる。
そこには確かに、誰かの歯形がくっきりと浮かんでいた。
「それは――」
●
「
滅多に全身を浸けると言う事は無いから、知らなかった。
砂と湖の水に埋まったあべこべ城。
その最上階の窓を、無理矢理開ける。ギシィという音と共に窓ガラスと窓枠は砕け散った。むしろ、いままでよく耐えていたものだ。
「これがあなたの見ていた景色なのね。元々はもっと高い場所にあったのでしょう? 地中の景色になって何年が経つのかしら……」
つらかっただろうか。
苦しかっただろうか。
それとも、新しかっただろうか。
「大丈夫よ。あなたはもう、待つ必要はないわ。お疲れ様」
その言葉を口にした瞬間。
ウムゲケールテ・シュロス――あべこべ城の全てが、耐久限界を迎えた。
水圧と砂の重さに、そしてピラミッドキャップが持ち出された事、ジーモン辺境伯がこの城を去った事に……ようやく、役目を終えたのだ。
「
こうして、あべこべ城はその姿を消したのだった――。