海岸を前にして佇み、物思いにふけっている希のもとに、一人の女性が現れ…。
SS投稿速報より転載。

1 / 1
文学指向の作品です。


希「嫉妬の音」

東條希は東京の晴海で、綺麗な夜景をベンチに座りながら眺めていた。黒い海の水面に高層ビル群の明かりが写り、無数のうねりを成す波にゆらゆらとビルが柔らかく揺れていた。イヤホンから聞こえてくるのは自分たちの歌声であった。軽快なリズムにトーンの高い自分の歌声が響き渡る。

何だか、客観的に聞くといろんなことが分かるんだなあ、と希は思った。自分の声は案外柔らかい方だけど特に印象の残るようなものでもなかった。まるで、自分が歌っていないような気がするのだ。自分ではない別の自分が、どこからか声を発してあたかも自分が歌っているように見せかけるのだ。

本当は、自分に声という生物的観念は存在しないのだ…。

 

刹那、希の次に流れた歌声は、絵里だった。その声を聞いて、希は胸が締め付けられた。常までとはまるで違う、可愛らしい美声を思う存分に発揮していた!一体、どうしたらそんな美貌でありながら誰もが羨むようなハーモニーを創り出すことが出来るのだろうか…?

希は耳からイヤホンをブツリと離し、プレーヤー諸共に海に投げ捨てた。空中に解放されたその物質は重力の影響をもろに受け、そのまま物理学的な軌道に乗りながら、海に落ちていった。プレーヤーの光は、暗く冷たく深い海の底へと落ち続け、露と消えていった。

 

荒い呼吸をしていた希は、心をともかく落ち着かせようと、傍にあった自動販売機に硬貨を入れ、温かい緑茶を買った。乱暴に落とされたボトルを手に取ると、それはまるで小犬の細やかな血流のような温かさであって、それが希の心に深く伝わった。それを持ってまたベンチに着き、キャップを開け、ぐいと一口飲んだ。微妙に寒い空気に晒された彼女の体を内側から暖められる。ホッと一息つくと、白い煙となった。

聞こえるのは永遠に続く波の音であった。しかし、希は自分の働きがあったからこそ、みんなの働きがあったからこそ、絵里の美貌と美声があったからこそ、ラブライブの優勝を果たしたのだ。そんなことは希にとっては百も承知だった。

しかし、この時何とも言えない憂鬱感に希は浸っていた。何せ、ほとんどの物事はそうなのではないか。人は一つ大きな物事が終わった後は安堵感と憂鬱感が入り混じった気持ちになるのだから。希の場合、今回は特に酷かった。

 

「希」

後ろから聞き覚えのある声がした。

 

「絵里ちやん?どうしたんよ、こんなところで」

 

「それはこっちのセリフよ」と、絵里はコーヒーを片手に言った。

 

「隣いいかしら?」

 

「もちろんええよ」

絵里は希の隣に座り、絵里が持っていた缶コーヒーを開けた。

 

暫くの間、沈黙が続いた。お互いに、ただ目の前に浮かぶ闇に包まれた東京の海(沿い)を思い思いに眺めていた。どこかで、大きい音のエンジンを響かせるフェラーリが走り去った。その音はどこまでも遠くへ遠くへ行き、やがては聞こえなくなってまた元の「自然的な騒音」に戻っていた。

そして、希が最初に口を開いた。

 

「絵里ち、どないしてここまで来たん?」

 

絵里の方を見ないで希が質問を投げかけると、絵里は少し微笑んで、

 

「…多分私も希と一緒の気持ちなのかもしれないわ」と言った。

 

「えっ?」

 

「何て言うのかしら…言葉に出来ないような憂鬱な気持ちになってるの、私。だから無性に海を眺めていたくなって、いつの間にかここに来たんだと思う。そうしたら希がいたってわけね」

 

希は全てを見透かされた感じがした。というより、絵里との同一感が半端無くて、少し悔しかった。

 

「…ウチもそんな感じや。事が終わった途端、何か大事な物を一つ失ってしもうた感じになってな。もう頭がむちゃくちゃすんねん。だから思わず家を飛び出して、ほったらここにいたってわけや」

と、希は絵里が喋ったことを関西弁に翻訳するように言った。

 

またしてもしばらく沈黙が続いた。

海は穏やかな波だった。空は雲ひとつ無く、満月がぽっかりと浮かんでいるだけだった。

 

刹那、絵里は希の方に顔を向けた。

希は驚いて希も絵里の方に顔を向ける。

 

絵里は、泣いていた。聖水のように神秘に滴る涙を目に浮かべていた。希は驚いて、何を言えばいいのか一瞬分からなくなった。

 

「どないして泣いてるん?」そう聞くと、絵里は涙を手で少し拭って、

 

「何言ってるのよ、希も泣いているじゃない」

 

そう言われて希は自分の顔を触ると、熱いものの所為で湿っていた。私たちはこの景色を眺めて泣いていたのだった!

 

「悔しいのよ」と、絵里は言った。

 

「ウチだって…悔しい」と、希は返した。

 

「希が可愛くて、私よりも…」

 

「絵里が可愛くて、ウチよりも…」

 

希はベンチの上に置かれていたボトルをどけた。絵里はベンチの上に置かれていた缶コーヒーをどけた。

そして、そのどかせた手は出会い、握り合っていた。

 

絵里の顔が希の顔に近づき、そのまま強引にも希の唇を奪ったのだ!

状況を理解した希は絵里の口の中に舌を入れていく。逆に絵里も希の口の中に舌を入れていく。

 

果てしなく深い接吻だった。

 

数分後、彼女らは唇を離す。二人とも、互いに体が燃えるように火照っていた。

「…淋しいねん。ウチ、めっちゃ淋しいねん。だから、ウチを…」希は涙を流して言った。すると、絵里は希を抱きしめる。

 

「…いいわ。もう大丈夫よ。私がしっかり可愛がってあげるわ…」

 

「…絵里ち…絵里ち」

 

「…何?」

 

 

「大好きやで」

 

 

「…私もよ」

彼女らは抱擁を交わした。波は少しだけ荒くなった。

 

 

 

占いというのは果てしなく信頼が薄いものでありながら人々はそれを求めては一喜一憂している。希は若干そんな容態にうんざりしていた。当たり前のことなのかもしれないけど、何かと彼女を腹立たせたのだ。生徒会なんか入らなければよかったと取り返しのつかない考え事をしながらタロットカードを当てもなく弄っていた。隣では昨日素晴らしいことをした竹馬の友がせっせこ働いていた。何事にも一心不乱になり、少しでも役に立とうという絵里のリーダー的な考えは希にはとてもではないが真似できなかった。窓からの日光で輝く恭しい金髪。人種が混じって素晴らしい調和を促した顔。ピンとした姿勢をいつまでも維持する、ブラック・スワンのようなバレエ体。聖母から授かったといっても過言ではない、豊かなきれいな、形をした乳房。職人に一生懸命磨かれたようなピカピカの、モデルのように細い脚。

一周見まわしたが完全無欠だった。どうすれば、こんな良い体で生まれてくることが出来るのだろうか。希は下の方で何か気持ち悪いものを感じ、脚をモゾモゾさせていた。息が苦しくなる。タロットカードを手から離し、息を吸って吐いた。絵里はまだ希の異変に気付いていなかった。下は更に気持ち悪さが増し、思わず手で押さえた。手は既に動きを始めていて、もう押さえつけようのない気持ちに駆られた。大きく呼吸をしている希に流石に気づいたのか、絵里は希の体を支えた。

「どうしたの!?」

「え・・絵里ち・・・ウチ、あなたに敵わんわ、もう勘弁だわ」

「え!?」

「ウチを・・手伝って・・・」

「・・・」

 

椅子が倒れ、生徒会室に衝撃音が響いた。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。