拝啓友人へ   作:Kl

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感想返しは明日までに行います。


第八話

――先生、一つ聞きたかったことがあったんだ。

 

――ねぇ、先生。先生にとって私は何なのかな? 先生にとって、私はどんな存在なの?

 

――……いや、ごめん。やっぱり言わないで欲しい。知らないでいいことなんてないと思っていた。どんなに辛いことでも真実とは向き合うべきだと思っていた。

 

――でもね、そうじゃないこともあると思う。知らないでいいのなら知らないままの方がいいこともある。そう、忘れられる権利があるのなら、知らないでいい権利もあると思う。例え、先生の反応で全て分かってしまったとしても、言葉にして、声として聞きたくないんだ。

 

――だから、その先はまだ言わないでくれ。

 

いつかの日の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えらい叩かれているねー。この先生」

 

いつも通りの昼下がり、ボロアパートの一室で、ボロボロの外見に似合わない高級ソファーに寝そべりながら我が友人は言った。機嫌はあの日以来すっかり戻り、平常運転に戻った友人は、平素と同じように暇をみては我が家に遊びに来ている日々が続いていた。

 

ちなみに、彼女が今言った「先生」という言葉は俺を差しているものではない。今彼女が言った「先生」と言う言葉が差している人物は「医者」である。我が友人が寝転びながら向ける視線の先には一台の大きなテレビがあった。先日、家に帰ると何故か勝手に備え付けられていたそれは最新型で超高性能、超画質の一品だ。もちろん値段の方もそれに見合う物があり、俺にはとても手が出ない物だ。

 

我が友人曰く、黒山羊の卵が好評らしく、その売り上げで買ってきたものらしい。「はした金で買ってきた」とは本人談だ。我が家のリビングは四分の三以上が彼女の物で埋まっていた。最早彼女の家と言っても過言ではないくらいに彼女の私物であふれていた。

 

勝手知ったる他人の家とは彼女によく当てはまる言葉だと思っていたが、もはやここまで来ると他人の部屋というよりも彼女自身の部屋になってきている。

 

まぁ、そんな雑談は置いておいて、彼女が言った先生という言葉の解説をして行こう。

 

彼女が見ているテレビでは最近連日連夜ワイドショーを賑わせているニュースが放送されていた。

 

――先日、都内で起こった事故。ビルの屋上から鉄骨が落下、その下敷きになった二人の若い男女。青年の方が重傷を負い、女性の方は死亡した事故だった。確かに不運な事故であったが、普段ならそこまで大規模な報道がなされることはなくいつの間にか消えていく事故になるはずだった。そうなるはずだったのだ。

 

この事故がここまで世間の注目を浴びるようになったのは、事故直後に青年が運ばれた病院で行われた一連の処置が原因だった。青年と、女性が運ばれた総合病院で、そこの院長である医師が死亡した女性の臓器を重体だった青年に移植した。これが問題としてマスコミに取り沙汰され、その結果連日連夜ニュースをつければその話題で溢れているという訳だった。

 

つまり、彼女が先ほど言った先生という言葉は、この手術をした院長である嘉納医師を指しているという訳だ。

 

「そうだな。大分叩かれているよな」

 

ちゃぶ台に置かれてたマグカップに入ったブラックコーヒーを啜りながら応える。テレビに映るのは毎日のように映されている嘉納医師の記者会見の様子だ。

 

「うーん、でも移植しなかったら青年の方も死んでいたんでしょ? それに女性の方は即死してたんだし、そう考えれば、いいんじゃないの人一人救ったんだし」

 

「そう考えれば確かにそうだが、この場合死んだ女性の意思が問題になってくるんだよな。ドナーカードとかでその女性が臓器移植に肯定的だったのならまだしも、それもなかったしね」

 

「すでに死んでしまった人の意思がそこまで重要かね……。それに、ドナーカードは持ってなかったけど、彼女が臓器移植に前向きだったかもしれないじゃん」

 

「確かにそうかもしれないけど、確かめる時間は今回なかったし、逆に臓器移植に反対な人だったかもしれない」

 

「功利主義の観点から言えば問題ないと思うけどね。ハリスの臓器くじみたいに健康な人を殺したわけじゃないし、死んでいたはずの人間を救うのが悪いとは思わないよ」

 

ハリスの臓器くじとは、哲学者のジョン・ハリスが提唱した思考実験だ。大まかな内容は、公平なくじで健康な人をランダムで選び、殺す。その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。臓器くじに当たった人は死ぬがその代わりに臓器移植を必要としていた複数の人は助かる。このような行為は正しいだろうかという問いかけをした実験だ。

 

「効用の増減だけで人の社会は回らないんだよ。面倒なことにね、人間という奴は本当に……。それが理論的に正しいと思っていたとしても感情がそうはさせないんだよ」

 

そうどれだけ効率がいいと分かっていても、逆にどれだけ効率が悪いと分かっていても人間というのはその通りに行動できないものなのだ。

 

「定言的に間違っているってやつだね……」

 

「カントの言葉を借りるとそうなるかな」

 

「全く面倒なもんだね。人の世は……」

 

ソファーに寝転びながら足をパタパタと動かしている愛支はどうでも良さそうな声でそう言った。

 

「人の世が住みにくいからといって越す国はあるまい」

 

「――あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の国よりなお住みにくかろう」

 

続く言葉を愛支に言われてしまった。

 

「よく覚えているな」

 

「キミが好きな本だからね。適当に何度か読んだだけだよ」

 

うふふふふ、と楽し気に笑いながら彼女は続けた。

 

「――それと私は画の中には入れないよ」

 

「カニじゃないからな」

 

「そう、私は喰種だ」

 

本当によく本を読んでいるなと感心する。彼女の膨大なまでの語彙能力はきっと彼女の勤勉さによって培われたものだろう。

 

「それにしても……ね」

 

彼女は意味ありげな瞳をテレビに向けた。そこには事故の被害者の二人の顔写真と名前が映されていた。

 

一命をとりとめて入院している青年の名前は、金木 研(かねき けん)。

 

――命を落とした女性の名前は、神代 利世(かみしろ りぜ)。

 

「利世の臓器を移された青年か……。金木 研くん……。なんだか、面白いことになりそうだね。 “先生”」

 

彼女は口端を上げ、俺を見た。その視線は意味ありげなものを潜めていた。

 

「…………」

 

そのセリフに何も応えず、テレビを見た。

 

金木 研。

 

――彼は英雄になれるのか……。それとも……。

 

もしも英雄になれないとしても、敵対はしたくはないな。

 

これから先、嫌でも舞台に上がってくるであろう青年の幸福を静かに祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ アイコントーク

 

なぁ、愛支。

 

――? 何かあった?

 

いやさ、前々から思っていたんだけど私物持ち込み過ぎじゃないか? 俺の家に。

 

――ん、そーかな?

 

いや、そうだろ。この部屋にあるの殆どお前のもんじゃないか。ソファーとかテレビとか布団とか……。

 

――これくらい別にいいじゃん。その分、キミのお手伝いしてるじゃないか。料理とか洗濯とか掃除とか。

 

まぁ、いつも飯作ってくれてありがたいけど、色々大変だろ。味見とか。

 

――気にしないでいいよ。たまに吐くけど……。

 

いや、それダメじゃないか。ってか思ったんだけどやけにお前の洗濯物が多い時があるんだけどどうして?

 

――あぁ、家でするのが面倒だから洗濯物を持ってくる時があるんだよ。

 

いや、掃除もそうだけど俺の家よりも先に自分の家のことをしろよ。

 

――うふふふふふ。じゃあ前みたいに一緒に住めばいいよね。

 

勘弁してくれ……。てか、今でも勝手に泊まっていくときも多いじゃねぇか……。

 

――うふふふふふふ。つれないねぇ、本当にキミは……。

 

 

 

 


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