拝啓友人へ 作:Kl
喫茶店でコーヒーを待っている時にふと、昔の事を思い出した。
――ねぇ、先生。恋って何?
――いや、実は太宰治の斜陽を読んでてさ、その中に『人間は恋と革命のために生まれてきたのだと信じたい』って書いてあって、それで気になったの。
――え? 私はどう思うかって? んー、人を好きになるってことだと思ってる。
――あぁ、そう言えば夏目漱石のこころだと『恋は罪悪ですか――罪悪です。たしかに』と書いてあった。
――ねぇ、先生。恋と愛との違いって何かな?
そう、それはある夏の日の記憶。うるさい蝉の声と、肌を焼かんばかりの鋭い日差しが辺り一面を照らしていたある夏の日のことだった。
今ではもう大分昔の話になるためその時に何と返したのか、詳しい事まで覚えていない。でも、最期の彼女の問いかけに何と答えたかは覚えている。そう、それは今でも変わらない。恋と愛との違いはきっと――――。
「お待たせしました、アメリカンのアイスになります」
そんな思い出に浸っていた時だった。注文していたコーヒーが運ばれてきた。ぼーっと夏の思い出に浸っていた頭が覚醒していく。店員の女性にお礼を言い一口コーヒーを啜る。
――あぁ、やっぱりこの店のコーヒーは美味い。
いつも通りの味に安心していた時だった。隣のテーブルに座っていた二人の青年の会話が聞こえてきた。
「というか、僕……喰種なんて一度も見たことないんだけど……本当にいるのかな? 人を食う怪物が」
人に紛れ人を食らう喰種は見た目ではほとんど分からない。CCGの本部や支局には、喰種の体内には他の人よりも数十倍多いとされるRc因子という物質を検出して知らせる「Rc検査ゲート」があるが、それは一般には普及していない。
それに、喰種は天災に似たようなものだと言われるように出会うには時の運のような物が必要になる。喰種の数は人間の人口よりも圧倒的に少ない。だから、喰種に縁のない人間は喰種という存在をしらないまま一生を終える。そんな人たちにとっては喰種とは半ば都市伝説に近いものなんだろう。
「いるだろそりゃ……。ヒトに化けて潜んでいるって聞いたことあるし……意外に近くにいたりしてなー……」
「ヒトに化けるか……。でも、それって皆が言っているだけで半ば都市伝説みたいなもんでしょ?」
「うーん、まぁな……。あぁ、そう言えば都市伝説ついでに思い出したけど、何でも喰種の人権を訴える団体もあるらしーぜ。えーっと名前は何って言ったっけな……」
人間はどこまでも自分本位だとは誰かが言っていたが、それは人間の本質を実によく射抜いていると思う。人間というのは当事者になるまでは何も理解しようとしないし、何も動こうとしないものだ。
でも、俺にはそれが悪いことだとは思わない。きっと、俺もあの日、あの時、あの場所で、アイツに出会わなければきっと、彼らと同じく喰種とは架空の都市伝説の生き物だと思っていたに違いないのだから……。
幾ら勝手に聞こえるとはいえ、余り他所のテーブルの会話を聞くのは憚られる。なので、俺はカバンから本を取り出し、それを読むことにした。
大抵の場合、人と喰種の出会いはきっと悲劇を生むしかない。だから――
――願わくば、喰種と出会わないように。
隣に座る名もしらない二人組の青年のこれからを少しだけ思った。
――そうだ。たまにはアイツの家に遊びに行くか。
喫茶店を出て、ふとそんなことを思いついた。空はまだ明るく、日は高い。今日の予定は既に終えて後は家に帰るだけだ。それならそれでいいのだが、どーせ時間があるのだからたまには俺の方から友人の家に出向くのも悪くないと思いついた。
いつも持ち歩いているキーケースの俺の家の鍵の横には彼女家の鍵があった。「私だけ、キミの家の鍵を持っているのは不公平だ」とよく分からん理論で彼女が俺に半ば無理やり渡して来たものだ。
――うん、今日はこの鍵使ってみるか……。いつも向こうは勝手に入ってくるんだし、俺もたまにはいいだろう。
普段は使う事何てない鍵なのだが、今日は使ってみることにする。平素から向こうは勝手に我が家に入り好き勝手くつろいでいるんだ。俺もたまには意趣返しをしたいところだ。
――まぁ、もしも着替えとかの最中でもアイツなら気にせんだろうし。
我が友人との付き合いは、もう長い。お互い下の毛も生えそろわない内からの付き合いだ。今更お互いの裸や下着を見たところでどーってことないはずだ。愛支に関していえば先の一件もあるし、アイツは俺に羞恥心なんて持っていないに違いない。裸で同じ布団に入るなんてきっと愛支にとって俺はそこらに生えている雑草みたいな存在なのだろう。
こんな感じで脳内にて、女性の部屋に勝手に入る事への言い訳を考えながら、俺は彼女の家へと足を進めた。
――あぁ、そうだ。アイツの部屋に行く前にゴミ袋買っていかねーと……。
そんな暢気なことを考えていた俺だが、その暢気さに後悔するまでにそこまでの時間は要らなかった。
――よし、ゴミ袋も買ってきたし。他にいるものはないな。
都内にある高級マンションの一室の前で、右手に提げているビニール袋の中身を確認する。どーせ、ゲリラ的に遊びに行くのなら、掃除の一つでもしてやろうと思いついて買って来たものだ。
我が友人は壊滅的なまでに部屋の掃除をしない。たまに遊びに行くと山積みになった本が床一面に積まれ、いつ書いたかもわからん原稿用紙や何かのチラシがバラバラとそこら中にあるようなところだ。足の踏み場もない、半ばごみ屋敷に近い家が彼女の家だ。俺の部屋は勝手に掃除をするくせに自分の部屋になると途端に無頓着になるのが彼女だった。
恐らく前に遊びに来た時から結構な月日が経っているため、部屋の中は相当凄いことになっていそうだ。
――こりゃ、気合入れないとな。
腕まくりをしていざ、彼女の家の鍵を開ける。勿論、ノック何てしていない。オートロックも鍵で開け、今も勝手に合い鍵で部屋を開けている。
――あいつが普段どんな格好で家にいるのか知らないけど、流石に裸や下着姿ではないだろ。
それに、いきなり連絡もなしで来ているため彼女がいない可能性も十分にある。それならそれで勝手に掃除でもして待っていればいいし、居たのならいたでそれでいい。それに彼女がどんな格好でいようとも俺も彼女も気にしない。もしも、少しばかりセクシーな姿だったなら目の保養になって俺は少しばかり嬉しいね。本人には死んでもいってやらないが、我が友人はかなりの美形だ。
見た目からして高級だと分かる扉は、うちのボロアパートと違いさび付いた金切り声を上げることなくすーっと何の抵抗もなく開いた。
玄関には彼女の靴が脱ぎ捨ててあった。俺の家に来るときは毎回揃えて置いているのに、何で自分の家だと適当になるのかね。そんなことを思いながら、勝手知ったる他人の家とばかりに靴を脱いで入る。
――うわ、こりゃまた酷い。
玄関前の廊下にはよく分からん難しそうな本が雑に積んであった。部屋にはいる前の廊下でこれとなれば、部屋の中はさらにひどいことが予測できる。
玄関前の廊下の突き当りの部屋が彼女の家のリビングになっている。半ば足の踏み場もないような廊下をうまい具合に足を進めながら、扉の向こうに声をかける。
「おーい、愛支遊びに来たぞ!」
「ん!? まさか……!? ちょっと待って! 今は……」
目の前の扉から聞こえた声は何時もの友人の落ち着いた声ではなかった。少しばかりうわずり、焦っているようなそんな声。
――珍しいな、愛支がそんな声を出すなんて。
そう思ったがすでに手はドアノブにかけられており、扉も開き始めていた。もう、今更止めようがない。無情にも扉は開かれる。
そして、扉の向こうにいた彼女と目が合った。
――あ。
その声を発したのは俺なのかそれとも彼女だったのか……。
彼女の前には一枚の皿があった。そして、彼女の手にはフォークとナイフ。どうやら、彼女は食事中だったようだ。前にも話したと思うが、我が友人は喰種だ。喰種は普通の人間とは食べるものが違う。喰種が日常的に食すもの……それは人間。
つまり、いま彼女の前の皿に乗っているのは……。
赤く染まった彼女の右目。
――赫眼。
赤く染まるその目は喰種が食事や戦闘を行う際に見せるものだ。紅く光るその目が喰種である証明。
その目が真っ直ぐに俺を射抜く。交差したのは一瞬だった。
「あぁ……すまん」
そう言ってクルリと踵を返し、扉を閉める。まさか、よりにもよって食事中だとは思ってなかった。
はぁ、と一つため息をつく。
彼女は結局何も言わなかったが、長い付き合いだ。目線だけで彼女が何と言いたかったのかは十分に分かる。
――か く ご し ろ よ ♡
彼女の瞳はそう物語っていた。
あぁ、これからどうしようか……。
アイコントーク その2
――はい、今日の晩御飯!
なぁ、愛支。この前は悪かったな。
――いいよ、別に気にしてないって言ってるじゃん! 残さず食べてね!
いや、お前明らかに怒ってるだろ。まぁ、飯はありがたくいただくけど……
――ううん、気にしてないよー。キミが女性の部屋に勝手に無断で入るような人だったとしても、そして、たまたま食事をしていた私を見たとしても全く、これっぽっちも、何とも思ってないよ。
いや、だからあの件はすまんと謝って……ブハッ!? 何だこれ!?
――うふふふふふふ。今日の料理はキミの好きな濃い味付けにしてみました。具体的にはいつもより、塩分多め! 当社比でなんと普段より8000パーセント増量です!
いや、これはあまりにも……
――愛情たっぷり入っているんだから、残さず食べてね。
いや、でもこれ料理じゃ
――残さず食べてね。
…………これ食ったら多分死ぬぞ(ボソ
――んー、何か言ったかなー?
いえ! 何でもございません! 美味しくいただきます!
――うんうん、よろしい。
…………(今度からはちゃんと前もって連絡して行こう)
――うふふふふふ。