拝啓友人へ 作:Kl
――であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった――にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
とある人物の演説より抜粋。
喰種というものについて時たま少しだけ考えることがある。そう、それはふとした時、例えば帰り道の信号待ちだったり、例えば喫茶店でコーヒーが出てくるまでの時間だったり、例えば、電車に乗って吊革に捕まっている時だったりだ。日常にあるふとしたそんな時に、俺は喰種について考えることがあった。
――喰種とは何か?
大学からの帰り道、赤信号で立ちどまっている最中にふと、そんなことが頭に浮かんだ。青すぎる空が目に入るそんな春の昼下がりのことだった。
――喰種。
それは小学生でも知ってる存在だ。人の世に紛れ人を食らう者。そして、戦闘を行う際や、食事の際には目が赤く染まることが特徴的で、戦闘の際には赫子と呼ばれる捕食器官を使い戦う化け物であり一般人では決して太刀打ちできない奴らだ。
そう、それが世間一般的な喰種の認識だ。小学校に上がる前の子供でも喰種とは人を食べる怖い怖い化け物だと言うことは知っている。
――もしも、喰種に襲われたら運が悪かったと諦めろ。
この言葉は誰から聞いたのだっけ……。同級生だった気もするし、後輩だった気もする、はたまた先輩だっただろうか、それともいつぞやの担任の先生の言葉だったかもしれない、いやその全員の可能性もある。そう、喰種とはそんな天災やら事故やらに近い一般人には抗い難いそんな存在だった。
さらに、俺は考える。
――喰種とは悪か……?
喰種は生きるために人を食らう必要がある。喰種は人以外の物を食べては生きていけない。
――自らが生きていくために他者を殺して何が悪い?
人間だって豚や牛を殺して、その肉を食らって生きてきた。喰種はその豚や牛の代わりに人間を食らうだけ……寧ろ人間の様に牛や豚を自ら管理して増やし、育てそして殺すような真似をしていないだけましではないだろうか。
喰種に恨みを持つものは多い。
大切な人を殺された人も多い。
そんな人たちにとっては喰種とは悪なのだろう。
でも、と思う。
――喰種に生まれてしまったら死ねということだろうか。
もしそうなら、そんな思想は正しいのだろうか……。
信号が青に変わった。通行人が行き交いだす。俺もその波に飲まれるように一歩ずつ足を踏み出すのだった。
空は相変わらず青かった。
「何だ、また来てたのか」
四区にあるボロアパートに帰ると部屋の鍵が開いていた。愛支が来ている時は勝手に鍵を開けるので何時ものことと、ドアを開けると玄関には見慣れた靴が一足行儀よく端の方に並べてあった。
「ん、おかえりー」
玄関の正面の部屋から声がした。その声はいつも通りの聞き慣れた友人の声だった。
「あぁ、ただいま」
リビングがてらに使っている部屋に入ると、このボロアパートには似つかわしくない見るからに高級なソファーに寝そべる愛支の姿があった。この高級感溢れる皮のソファーは数年前に愛支が高槻泉として書いたデビュー作「拝啓 カフカ」という作品の印税で買って、勝手にウチのリビングに置いていったものだ。それなりのお値段がするだけあって座り心地も抜群、寝心地も俺のせんべい布団の百倍はいい。ただし、難点が一つだけある。それはリビングの三分一を占めていることだ。お蔭様でちゃぶ台を出すと人が数人座ることができるスペースしか残らなくなってしまう。
「今日はどうしたんだ?」
寝そべりながら足をバタバタさせている友人にそう聞いてみた。
「んー、新作出して暫く休み貰ったから遊びに来た」
愛支はこちらを見ずに、手にもつ本のページを捲りながらそう応える。結構前から読んでいたのか、残りのページは僅かなようだった。
「そうか、それならゆっくりしていけ」
とくに何も言うことはないため、その言葉に軽く返し、そして部屋の隅に申し訳なさそうに置いてある座布団に座る。
「うん、もちろんそーするよ。あぁ、それと今日の夕食はまた私が作るから準備しなくていいよー」
「いや、流石にそう何度も作って貰うのは悪いし、今日くらいは自分で……」
「いいの! いいの! 私が好きでやってるんだから!」
彼女はこちらを見ずにそう言う。その声色は何時もより心なしか明るかった。どうやら、機嫌は良いようだ。
そして、彼女はパタンと本を閉じると勢いよく上半身を上げ、何時もどおりリビングの端に座布団を敷きそこに腰を掛けていた俺の方を向いた。
「んー、やっぱり斜陽は面白いね!」
どうやら、今まで読んでいた本は斜陽らしい。
彼女は昔から太宰治が好きだった。一通り純文学を読んでいた彼女のお気に入りの作家が太宰治だった。彼女の作品にも太宰の影響を受けたものがある、例えば「塩とアヘン」などは太宰の影響を受けている作品だ。本人には聞いていないが作品そのものを読むと分かる。
「斜陽ね……」
「人間失格ともまた毛色が違うしね。私は好きだよ。この作品」
愛支は笑いながら本を部屋の隅に申し訳程度に置いてる本棚の二段目に戻した。ボロボロの表紙からしてそうだろうと思っていたが俺の本棚から拝借した物らしい。
ちなみに本棚の一段目には高槻泉の前作が発表作品順に並んでいる。
「あぁ、そう言えば黒山羊の卵の試し刷りが出来たから本棚に置いておいたから」
愛支は何気なくそう言う。確かに本棚の一段目には昨日までには無かった表紙が一番右端に見えた。
「別にそんなことしなくても自分で買うのに……」
「いいの! いいの! 高槻泉大先生に甘えておきなさい!」
「そうか、いつもありがとな」
「気にしないでいいよー!」
彼女はいつも通りの柔和な笑みを浮かべるとそのままソファーから立ち上がると、
「まだ夕飯には少し早いから、コーヒータイムでもしようか!」
そう提案するのだった。
「あぁ、それはいいな」
特に大きな事件も無く、こうしてある春の一日は過ぎていった。
最後に一つ付け加えるとするならば、彼女の料理は今日も美味しかった。どうやらまた腕を上げたようだ。