拝啓友人へ 作:Kl
それはある秋の夜のことだった。雑踏の中を人の流れに流されるように、ゆっくりと歩く。行き交う人たちの表情は笑顔。子供がいれば、大人もいた、女性もいれば、男性もいた。老若男女様々な人たちがいた。四区にある神社、そこで行われている秋祭り。そこに俺はいた。境内には多くの出店が立ち並び、多くの人で賑わっている。夜の帳が降りきっても、出店の照明にて辺りは眩しいまでに照らされ、どこか幻想的に感じられた。
――何がそんなに楽しいのやら。
祭囃子を聞きながらのんびりと歩く俺の隣には我が友人の姿。何時もの服装と違い淡い色の浴衣に身を包んだ彼女なのだが、その頭には黒いキャップを深く被り、顔には大きなサングラスが掛けられていた。折角の浴衣が色々と台無しな格好だが、彼女の有名人ぶりを思えば仕方がないのかもしれない。何せ、彼女は有名作家、気軽に人が多いところを歩くことはできないのだ。
キャップを深く被り更にサングラスまでした彼女の表情はあまりよく見えない。でも、その表情を見なくとも動きと声色でどんな顔色をしているのかは手に取る様に分かる。彼女は今、楽し気に笑っている。
――まぁ、いっか。理由は分からんが、機嫌がいいようで何よりだ。
何がそんなに嬉しいのか、はたまた楽しいのかは分からないが、理由は何であれ、我が友人の機嫌がいいのは何よりだ。愛支に誘われるがままにとりあえず、この祭りに来てみたのだが、愛支が楽しんでくれているのであれば来た甲斐があったという訳だ。
「ねぇねぇ、先生。ちょっと待ってて」
何かを思いついたのか、彼女は人ごみをかき分けて何処かへと消えていった。
人の波に消えていった彼女の背中を見送った後、空を見上げる。東京の夜は明るい。その言葉の通り、星も月明かりも申し訳程度にしか見えなかった。下弦の月を見上げながら少しばかり考える。
――隻眼の喰種か……。
今、喰種の間で話題になっている隻眼の喰種と呼ばれる喰種のことを。
――金木研……。キミは英雄たりえるか?
そんな呟きは祭りの雑踏にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
それからしばらくして、愛支が帰ってきた。
「ごめんごめん。これを買ってきてね」
そう言う彼女の手にはビニール袋が二つ提げられていた。
「はい!」
彼女はその内の一つからラムネ瓶を取り出すと俺へと差し出す。
「あぁ、ありがとう」
「うふふふふふ、どういたしまして」
彼女はそう言って笑うと、さらにビニール袋の中からもう一本ラムネの瓶を取り出した。
――ん? もう一本?
俺の疑問に目もくれず、彼女はラムネ瓶を開けるとこちらに差し出す。
「?」
「乾杯しようよ、先生」
差し出された瓶の意図が分からず首を傾げた俺に彼女は笑いながらそう言った。
――ラムネなら大丈夫なのか?
喰種は基本的に人間以外の物を食べない。唯一の例外としてコーヒーと水があるが、それもコーヒーはブラックだけの例外で砂糖やミルクが入ると体が受け付けなくなる。それを考えるとラムネなら大丈夫だとか、そんな筈はないと思う。
しかし、ラムネを持つ彼女の笑顔には何の憂いも心配も感じられない。
「あぁ、分かった」
とりあえず、言われるがままに瓶の封を開け、彼女のラムネ瓶と合わせる。
「「乾杯」」
――チン。
瓶と瓶が軽くぶつかり甲高い音を立てた。
「ごくごくごく。ぷっはー!一度は飲んでみたかったんだ、これ!」
彼女は豪快にラムネを飲むとそう、笑顔で話す。
「そうかい、それはよかった」
彼女にそう返して、俺もラムネを一口口に運んだ。冷えた炭酸が食道を通り胃まで届く感覚が感じられる。
――あぁ、祭りといえばやっぱりこれだな。
ビールも悪くはないが、祭りと言えばやはりラムネだろう。この甘さも炭酸もその全てが祭囃子をBGMに引き立てられ美味しく感じられた。
「しかし、美味いのか? それ」
横でチビチビとラムネを飲んでいる友人に聞いてみる。
すると、ソイツはあっけらかんと
「凄く不味いに決まってるじゃん!」
当たり前とばかりにこう返した。その態度に面を食らっていると、彼女が俺の方へと腕を伸ばしてきた。
「先生、ちょっとこれ持ってて!」
そう言って差し出してきたのは彼女が今まで持っていたラムネ瓶。
「あぁ、分かった」
「はい、先生。これも食べよう!」
言われるがままに瓶を受け取ると、横を歩く彼女はもう一つのビニール袋から白いパックを取り出し、その蓋を開けた。中身はたこ焼き。白い湯気を立てて美味しそうな匂いを出しているその一個に彼女は爪楊枝を刺すとそれを俺の方へと向けてくる。。
「はい、どうぞ!」
「あ、ありがとう」
楽しそうに笑う彼女に何も言えなくなり、俺はぱくりと、そのたこ焼きを咥えた。
「どう? 美味しい?」
「あぁ、美味いな」
「そう、それは良かった!」
彼女はそうほほ笑むと、手にもっていた爪楊枝でパックの中のたこ焼きを刺し、自らの口へと運んだ。
――あ。
止める暇もなかった。
「うんうん、美味なり美味なり!」
前にも少し話をしたと思うが、喰種にとって人間の食べものは毒である。消化器官が人間と異なる喰種では人間の食べ物は消化できない。また、出来たとしても長い時間がかかってしまう。
それに味の方もとてつもなく不味く感じるらしい。それは喰種の生存本能でもあり、その不味さは言葉に表すことは出来ないレベルだとか。彼女に昔、料理を教えた時に一口料理を口に運んだ彼女は胃の中の全ての物を吐き出した。喰種にとって人間の食事を食べることはそれほどのことなのだ。
しかし、たこ焼きを頬張る彼女の顔は笑顔だった。でも、やはりしんどいのか、少しばかり顔色が悪くなっていた。些細な変化だが俺には分かる。彼女は無理をしている。
――どうして?
思わずそんなことを聞きそうになった。
「ねぇ、先生」
俺の思いをかき消す様に彼女は先に口を開く。
「――祭りって楽しいよね。今日は先生と一緒にこられて良かったよ」
彼女はそう言ってほほ笑んだ。
――…………愛支。
その笑顔に俺は言葉をなくした。
「うふふふふふふふふ。今日はとりあえず祭りを楽しもうと思うんだ。きっと、これから先忙しくなるからね」
彼女はそう言うとたこ焼きをもう一つ口に運ぶ。
――これから先忙しくなるか……。
CCGにアオギリの樹、嘉納明博にピエロ……そして金木研。
彼女が言うようにこれから先、どんどん忙しくなっていくだろう。喰種と人間との関係。東京という街において、その関係が変わろうとしている。そして、そんな好機を逃がすようなことを彼女はしないだろう。
切っ掛けはなんだったのか、それは分からない。しかし、このまま平凡に時が過ぎるなんてことはない。
賽を投げたのは誰なのか、それは分からないが、賽は既に投げられた。物語は既に始まったのだ。
「ほら、先生も食べよ」
そして、また俺にと爪楊枝を差し出してきた。再び、差し出されたたこ焼きを口に運ぶ。カリカリの皮にトロトロの中身。
――あぁ、美味いな。
「ねぇ、先生。来年も来られたらいいね。ここに」
「…………そうだな」
美味しそうにたこ焼きを頬張る彼女の問いかけに俺はただただそんな相槌を打つのが精一杯だった。
喰種と人間との物語は悲劇しかない。しかし、物語自体は悲劇だったとしてもその登場人物一人一人に焦点を当てれば幸福だった人間も、喰種も、いるに違いない。
俺の望みはただ一つ。
――願わくばキミに幸あれ。
幸せそうに横を歩く友人のこれからの幸福を静かに祈った。
おまけ
アイコントーク
――……迷惑かけてごめんね。
別に気にするな。何とも思っていない。それに、お前は軽いしな。背負って帰るくらい訳もない。
――うぅ……まさかあれくらいでここまでになるとは……情けない。
いや、俺はイマイチよく分からんが、あれだけ食えばそりゃそうなるんじゃねーのか。確か、ラムネにたこ焼き、イカ焼きに、はしまき、それにリンゴ飴に綿菓子……人間でもそんなに食べないぞ。
――せっかくのお祭りだからね。去年は来られなかったし、今年は目一杯楽しもうと思ったんだ……。
別に俺に合わせて食わなくても、楽しめたろうに……。
――そう言う問題じゃないのさ。
そう言うもんかね?
――そういうものさ。……うっぷ、気分が悪い……吐きそう。
お、おいちょっと今は勘弁してくれ。背中で吐かれるなんて、御免被るぞ! ちょっと待ってろすぐにコンビニの便所でもつれて行ってやるから!
――先生、早く……。
あぁ、分かった。全身全霊で頑張るから、お前も頑張れ!
――うっぷ、もう、もう無理かも……
耐えろ! 耐えるんだ!