拝啓友人へ 作:Kl
――それで話というのは――、―――?
――それをどこで――――? 自分で――――?
――今まで――、まさか――――。でも、―――――。
――なるほど、友人がね……。――本人は隠している――――?
――君の事情はよく分かった。
―――木君……。なるほど、か――――彼の友人だったか。
――ごめんごめん、何でもない。気にしないでくれ。
――では、一つだけ聞きたいことがある。
――『――のために、キミは――――?』 質問はたった一つそれだけだ。
――あははははは。まさか、即答とはね。分かった。――――――はキミを歓迎しよう!
――これからよろしく頼むよ、―――――君。
雨が降っていた。昨日はあれだけ快晴に恵まれたというのに今日は朝方から空を曇天が覆い、そして、俺が少し遅い朝ご飯を食べる頃にはポツポツと降り始めた。降り始めた雨はそのまま勢いを弱めることはなく、その勢いを徐々に強め、今では結構な勢いで降っているようだった。ボロアパートの屋根を叩く雨音は大きい。先日、とうとう雨漏りをし始めた台所横を修理し終ったばかりのため、どうにかまたどこか雨漏りをし始める前に雨の方には止んでいただきたいのだが、俺がそう願ったところで降るものは降るし、降らないものは降らない。一人間の力でどうこう出来るものではないので、ここは開き直っておくことにする。
さて、そんな雨模様なのだが、今日は休日だ。最近なんだかんだで忙しかった為久しぶりの休日となった。折角の休日なのに雨、と捉えるか、休日のため雨でも何処かへ行かなくてもいいと捉えるのか、それは人次第だろうが、俺は後者としてこの雨を考えていた。たまには何もしない休日も悪くはない。
そんな雨模様の空の下、普段のようにボロアパートの一室にて、俺は本を読んでいた。暇つぶしも兼ねて適当に本棚から手に取ったものだ。
『虹のモノクロ』
我が友人が書いた短編集であり、俺のおススメの一作である「なつにっき」が収録されている一冊だ。結構な回数を読み返したため、既に頭にストーリーは入っているのだが、それでも何度読み返しても面白い。さすが、高槻泉の作品だ。ストーリーも良いが何よりも文章が上手い。何度読んでも感嘆する表現をしている。故に飽きることがない。
――こりゃ売れる訳だ。
最早言うまでもないと思うが、我が友人は作家だ。それも只の作家ではない。有名作家であり売れっ子作家だ。高槻泉の作品の良さとして、文章という単語を上げる人間は多いが、俺もその通りだと思う。言葉選び、言い回し、比喩表現、その全てにおいて高槻泉は一流だった。洗練された言葉選びが彼女の持ち味だった。
そんな風に人知れず、作家高槻泉について思考していた時だった。
「先生、本当にそれ好きだよね」
そんな声が雨音をすり抜けて聞こえてきた。琳琅璆鏘となるような綺麗な声だ。もう、言うまでもないと思うが、我が友人である。俺の物よりも彼女の荷物の方が倍以上ある居間にて彼女は我が物顔でソファーに寝転んで本を読んでいた手の動きを止めるとこちらを見た。
何時もは夕方にやってくるのだが、今日は俺が休みなことを知っていたためか、彼女は早い時間帯にやって来たらしく、俺が普段よりも二時間程度遅く起床した時には既に部屋にいた。ちなみにその時すでに彼女は俺の朝食を作り終わっていたらしく、机の上には出来立ての和風献立が並んでいた。味噌汁に、焼き魚、それに卵焼きにキュウリの漬物。これぞ、日本の朝ご飯といえるメニューが居間のちゃぶ台の上で湯気を立てていた。
朝の挨拶もそこそこに、よく起きる時間が分かったな、と友人に聞けば、キミが休日にいつもより二時間遅く目覚まし時計をセットしていることくらい知っているよ、と笑顔で返された。まぁ、別にそれが本当だろうと嘘だろうとどっちでもいいため、適当にお礼を言うと、ありがたく朝食を戴いた。
そして、そのままなし崩し的に今に至るという訳だ。ちなみに朝食の方は美味だったと記しておく。
「あぁ、お気に入りだしな、これ」
友人の問いかけにそう応える。高槻泉の作品はそのどれもが面白いが、俺の中で、虹のモノクロは
三本の指に入るお気に入りだ。
「そう、それは嬉しいこと言ってくれるね」
彼女はそう楽し気に笑うと読んでいた小説をパタンと閉じる。漱石のある作品だった。そして、彼女はそのまま、上半身だけ状態を起こすと続ける。
「私も好きだよ、それ」
彼女はソファーから立ち上がり、本棚の前まで足を進める。
「へぇ、そうなのか」
彼女は持っていた小説を本棚の二段目に直すと、今度は三段目の右端から本を一つ抜いた。太宰治の作品だった。
ソファーに戻りながら彼女は口を開く。
「うん、特に『向日葵』も入っているしね」
そう言って彼女は楽し気に笑った。
「からかうのはやめてくれ」
ちゃぶ台の上で湯気を立てていたブラックコーヒーが入ったマグカップを一啜りしながら友人に対して抗議する。
「別にからかってはいないよ。本当にそう思っただけ。それと、先生考えてくれた? 短編の物語を書いてくれること」
「いや、だから、あれは……」
「別に今じゃなくてもいいよ。気が向いた時でいいから書いてくれると私は嬉しい」
彼女は本に落としていた視線を上げた。綺麗な翡翠色の瞳と視線が合った。
「……まぁ、気が向いたらな。善処するよ」
その要望に応える気はさらさらないので、とりあえず曖昧に応えて濁しておく。
「うん、よろしく頼むよ」
彼女だって俺の言葉がどういう意味か分かっているはずなのだが、それでも彼女はそう言って優しげにほほ笑むのだった。
それからしばらく会話が途切れた。
ペラペラとページをめくる音と時たまコーヒーを啜る音、そして屋根を叩く雨音だけが辺りに響いた。
会話はない。でもそれは気まずい沈黙ではなかった。言うなれば心地の良い沈黙だった。お互いに分かり会っているからこその沈黙。無理に会話をしようとしなくても、気を使うことをしなくてもいい、間柄だからこそ生まれる沈黙だった。
結局、俺と彼女はそのまま言葉を交わすことなくお互いにのんびりと過ごすのだった。
あれからどれくらいの時が立ったのだろうか。俺が虹のモノクロを読み終える間際のことだった。ソファーで寝そべりながら横になっていた友人がむくりと起き上がり何処かへ消えた。
そして、すぐに帰ってきたと思ったら、彼女は急にこんなことを言い始めた。
「――ねぇ、今日はもう飲もうよ」
そう言った彼女に視線を向ければ、ワイン瓶を二本、その小さな手に持つ姿が目に入った。
「飲もうって言ったってまだ昼間だぞ」
生憎の空模様だが、まだ外は明るい。壁に掛かっている時計は未だに昼間を指していた。
「たまの休みくらいいいじゃないか。昼から飲める幸せなんて休みの日にしか味わえないよ。それに、今日はもうこんな空模様だしね。どこにも行かないでしょ?」
「……うーん、確かにどこにも行きたくはないけど、晩飯がなぁ」
確か昨日の夜の段階だとそろそろ買い出しにいかないと行けない頃合だった。冷蔵庫の中身が心もとなくなっていたことを思い出す。
「うふふふふふふふ。大丈夫だよ。そんなこと見越して来るときに色々と買ってきているから」
――もしかして、最近は愛支の方が俺の家の冷蔵庫事情詳しくないか……?
「それにこの前約束したじゃん。飲みに付き合ってくれるって! 上物のワインがゲットできたんだ! だから、これは飲むしかない」
そう言えば、そんな約束を半ば無理やり結ばされたことを思い出す。別に俺は何も悪いことをしたつもりはないのだが、愛支の機嫌がよろしくなかったので機嫌を直して貰うために折れたのだった。
窓の外を見る。雨は未だに降りしきり、その勢いは弱まる兆しを見せない。
「まぁ、たまにはいいか」
何もせずに友人と昼間から飲む休日も悪くない、と愛支に笑いかける。
「うん、今日はゆっくり楽しもうよ!」
愛支も楽し気に笑うと、台所からワイングラスを持って来て、中身を注ぎ始めた。俺もそれに習いコルクを開け、グラスに中身を注ぐ。
そして――。
「それじゃあ、乾杯!」
「「乾杯!!」」
グラスを合わせるような真似はせず、お互いにグラスを軽く傾けるだけの乾杯。
――たまには、こういう休日も悪くない。
こうして、まだ太陽が高いうちから二人だけの飲み会が始まった。
おまけ
アイコントーク
…………。
――ちょっと、会っていきなり目を逸らすのはひどくない?
何でお前がここにいるんだよ、イトリ。十四区に大人しく籠っておけよ。
――第一声がそれとはずいぶん酷くない? この前も一緒に一晩明かした関係なのにさ。
何が一晩明かした関係だよ。ただ飲みに付き合わせただけだろ。それに、お前のおかげでどれだけあの後大変だったか……。
――おやおや、私のような美人とお酒を飲めたのに、文句があるの?
誰が美人だよ。鏡を見てこい。
――鏡なら毎日見ているけど、美人が映っているだけだよ。
……はぁ。
――ちょっとため息は酷くない? この前も情報教えてあげたって言うのにさ!
その点は感謝している。
――なら、今度もまた付き合ってよね!
…………。
――今度飲むときは昔の話でもしようよ。ほら、あの四区での、ね。キミがまだ初々しかった時の話をね!
……その話をするなら、もう絶対お前の店には行かない……。