「どうだ」
「泣きつかれて……寝てしまったな」
C.C.が顔を出せば、L.L.がソファーに寝かせたナナリーの頭を撫でているところだった。
何も言わずに見つめていれば、L.L.が影の落ちた顔で呟く。
「よくないことはわかっていた。でも、ここまで影響されているとは思いもしなかった」
C.C.は答えない。答えずとも、L.L.は続ける。
「この子の側にいるのはよくないことだろうか。俺とアイツの契約は終了した。ここにいる義務ももうない」
「中途半端に放り出すのか?ギアスを知ったナナリーが、どうなるのかわかっていて。それともロロを殺すか?」
「……できない」
「ではどうする」
「……どうしたらいい?」
「話せばいい。ナナリーの見る悪夢が、何によって引き起こされたものなのか」
「別世界のことを話すのはタブーだ」
「それでうまくいった世界もあった。見ただろう?」
「希望論だ!」
L.L.が吠える。
「それでナナリーにもしものことがあれば……!俺のせいでこんな、こんなにも追い詰められて、そのうえ余計なことを吹き込んで危険に晒す?できるか、そんなこと!」
「ロロとナナリーは組むことになる。お前にだって、わかるだろう」
「……ッ」
「あの皇子様は合理的だ。ここでロロを手放して、追手に見つかっても、もとの場所に帰られても困る。殺してしまえば、処理する方法なんていくらでもあるさ。溶かしてしまえば、政庁の外に運び出す必要すらないしな。いや、逆に一度自由にして、その後でこっそり殺したほうがいいな」
L.L.は無言でこちらを睨め付けた。仮にも世界征服を成し遂げた皇帝の絶対零度、もしC.C.が普通の女なら竦み上がって泣いていただろう。
けれども残念ながら普通の女ではないので、けろりとして先を続ける。
「あいつはおまえほど甘くはない。ギアスもない。確実に、絶対に口を封じたがるだろう。それをひっくり返すような案を思いつくか?連れてきた私が言うのもなんだが――無理だろう。ロロをどうにか攻略する方が楽だと、お前が一番よくわかるんじゃないのか?」
ロロをそもそもルルーシュに引き合わせたのが間違いだった。
そんなL.L.の非難の眼差しに、今度は肩を竦める。
「すこし浮かれていたようだ。お前とあいつは違うっていうことを――忘れていたわけではないんだけどな」
それでもじりじりと刺す視線はやまない。
とうとう悪かった、と告げてみれば、それで溜飲を下げたわけではないだろうが、切り替えたらしい。
「……過ぎたことを言っても仕方がないか。これからどうするかだ」
「ナナリーの言う事を飲むか?」
「ロロに篭絡が効果的なことはわかりきっている。だから、俺がそうするつもりだった。うまく誘導してやれば、自分の人生を選ばせることだってできるはずだ。そうしてほしかった。誰かの道具になるのではなく――フ、かつてそうした人間のエゴだと、わかってはいるさ。とにかく、俺の監督付きで生かすならルルーシュだって文句は言わなかったはずなんだ。騙せない代わりに、そのあたりの信用は得られる。でもナナリーはそれを拒絶する。しかし、この子の希望は危険すぎる。すべて黙って見るわけにはいかない」
「ではどうする」
「C.C.。俺は今、ジュリアス・キングスレイだ」
「うん?」
突然何を言い出すのだろう。C.C.は眉を寄せた。
「ルルーシュ・ランペルージではなく。もちろん、もちろん、ヴィ・ブリタニアでもなく。だけど、また新しい名前が必要らしい。お前は誰になる?」
L.L.は膝の上の愛しい姿に目を落とし、彼女が確実に眠っていることを念入りに確認すると、
「―――――――では、嫌なのだろう?」
その名を告げた。
「………、……………」
「一度呼んだだけで、そんな反応をするようでは、なぁ?」
優しく、いたわりの気持ちを込めて――紡いでみせたくせに、次の瞬間にはにやにや笑いを繰り出してくるものだから、C.C.も慌てて調子を取り戻す。
まったく無駄に年を取って、かつての少年らしい素直さやかわいらしさを年々捨てている。からかいやすさは減退するいっぽうだ。
面白くない。その点では、あの皇子様には懐かしさすらあると言えた。
「そうだな」
「では、学生生活を送っても問題ない名は?」
C.C.は、L.L.が言いたいことを察した。
「おまえもアッシュフォードに行く気か?」
「ああ」
L.L.は頷いた。この部屋に入って来てから初めての、自信ありげな、C.C.の好きな笑い方だった。
「ナナリーは、ロロをそうしたいらしい。なら近くで見守るくらいはさせてもらおう。この提案も拒絶するだろうが頷いてもらう。嚮団の人間が近づいて来た時に傍にいられるほうが良い。表向きには、マリーベルとユフィの護衛、世話係とでもするさ。お前も、彼女たちの覆面護衛としてな。生きた盾が二つもあるんだ、あいつだっていいと言うだろうさ。契約は終了したし、止める権利もないだろう?」
「それで新しい名か。総督付きのジュリアス・キングスレイが学園でのんびりやっているなんて、確かにおかしすぎる」
名前。
自分たちには、いくつ名前が必要だろう。
予期せずコードを継承し隠れて生きる間にも、いくつもの偽名を使って生きてきた。それがまたひとつ増えるだけのこと。
耳触りのよさそうな新しい自分をつくるのはもはやルーチンワークで、ふたりにとっては遊びだった。
「セラ、クリスティアナ、キャロル、カッサンドラ、キャシー……どれがいい、ルルーシュ?」
挙げてみたのは、C.C.がL.L.と出会ってから使ってきた偽名だ。イニシャルがCなのはほんの遊び心、もしくはくだらないこだわり。
「レオン、リール、ルシウス、ロクサス、ラリー、レオナルド……」
相手の偽名もあげてやる。これもイニシャルがLになるものばかり。ジュリアスなんてのが特殊なのだ。
L.L.は興味なさげにどれでもいいさ、と伸びをする。
「ああでも、ランペルージを使う気なら、ちゃんとあいつに確認を――」
のんびり言った時だった。
突然言葉を切り、C.C.がなにごとかと見やれば、ナナリーがゆっくりと目を開けているところだった。
「……L.L.、さん」
「おはよう。少し疲れていたみたいだから、起こさなかったよ」
「わたし、あのまま、……!?」
ナナリーはなにやらはっとして飛び退った。
L.L.から急いで身体を離し、とんでもないと顔を青ざめさせる。
“赤の他人”の膝で眠るなど、ナナリーにとってはありえない行動だったのだろう。
以前、寝間着姿を目撃した時も同じような反応をされた記憶がある。
「失礼しました、L.L.さん――今、何時ですか?」
「君が眠ったのが七時半、今は九時」
「そんなに……」
口を両手で覆い、なんてこと、と漏らす。
おろおろしながらもC.C.の姿を認め、それで少し冷静になったようだった。
「……お話の続きをしましょうか?」
「明日でもいいよ。少し頭を冷やしたほうが良い」
「いいえ。お気遣いは必要ありません」
ナナリーはキッとL.L.を睨み付けた。
「あなたが何かしたわけではありません。すべては私の思い込み――ですから私のわがままに付き合っていただく必要も、」
「あー、ナナリー。口を挟んで済まないが、お前が見ている夢は間違いなくこいつのせいで合ってるよ。お前とこいつの相性は最悪だ」
C.C.はややこしいことになる前に、と真実をちらつかせてやった。
「お前の勘は当たっている。そしておそらくその夢は、わたしたちにとっては過去、現実に起きたことだ。わかるか?つまり『ギアス』のせいであんなことになったんだよ」
ナナリーは目を瞠る。やはりと声を出さずに呟いた。
鋭い子だ。
だからこそ精神感応の力が伸び、ここまでコードの影響を受けるようになってしまったのだ。
「だから、俺はこれ以上君の側にいるのは良くないと思う。離れるべきだ」
L.L.が静かに言った。
「必要ありません。原因があなただったとしても、所詮はただの夢。私さえちゃんとしていれば、誰にも迷惑はかけないでしょう?」
「それでも。君が憔悴するのを見るのは嫌だ。ただでさえ君は――ルルーシュと一緒に戦場に立つことに、苦しんでいるというのに」
言うか言うまいか。迷った末に吐き出された言葉。少女は顔を歪ませた。
「私を、憐れんでいらっしゃるのですか?」
「違う!おまえが心配で、俺は……」
「いいえ!」
見え透いた嘘だとばかり、ナナリーは勢いを取り戻し、猛攻撃を開始した。
「L.L.さん、私、前から気付いていましたよ。私が戦うことに、あなたがどんな顔をしているのか。確かにあなたのナナリーは歩けず、ナイトメアに乗れるはずもなく、きっと兄の言葉のまま、守られることを選んだのでしょう。でも私は違う。私はお兄様を守ることができる!あなたのようにさせないことができる。できることに手を伸ばすことの、何がいけないと言うのですか。……私は。お兄様にこれ以上殺してほしくないのです。奪う命は必要なだけでいい。少なくできるならそれがいちばんいいんです。だからロロのことも、お兄様から逃がしたい。これ以上、罪を、」
「あいつは命令するだけだ。実際に手を下すのはお前なのに?」
「罪を被れない苦しみって、あるでしょう。あなたが私を心配するように、私はお兄様の心が心配なのです。本当は私と同じくらい、苦しんでいるのに」
堂々巡りだ。これでは眠る前と変わらない。
互いが互いを想っている――ただそれだけのことなのに。
二人ともそう感じたのだろう。同時に言葉を詰まらせ、ナナリーがかぶりを振った。
「私は。皇女です。義務があります。この国を変える責任があります。苦しいのは当たり前です。人なんて殺したくありません。でも!民の苦しみの上に立つ私たちが、同じように苦しむのは当然でしょう?たとえ最期を処刑台の上で迎えたとしても、それが結果だということです」
「……ナナリー」
「お兄様が、私をこの道に引き込んだのではありません。私が自分で選んだんです。今よりもいい世界を、優しい世界を、目指すために」
L.L.にとって、記憶を刺激する言葉だった。
完全に黙りこくってしまって、これはだめだとC.C.に判じさせるには十分で、口を挟まずにいるには限界を迎えていた。
「ナナリー。ルルーシュも。お前たちが、お互いを想い合っていることはよくわかった。だけど今は、ロロをどうするかだろう?頑固ばかり言ってないで決めてくれ。期限は明日なんだ」
「……そうですね」
「私とルルーシュは、お前と同じようにロロを殺すことを望んでいない。お前がアイツをアッシュフォードにやるというなら、それについていこうと思っている。私は生徒として、コイツは皇女の世話係としてでも潜り込むさ」
「彼を――私が手に掛けたことにして、学園に。あの生徒数なら紛れられるし、お姉さまたちの護衛はロロのことなんて知りませんもの。C.C.さんも知っての通り、政庁に入れる時だって顔を隠していたでしょう?ゼロ部隊に気付かれなければいいのですから、条件はクリアも同然。……あなたたちがついていく、というのは、L.L.さんがジュリアスを辞める、ということですか?」
「急にいなくなれば噂が立つ。もともとそう表に出ていない奴だから、たまに顔を出すくらいはするさ」
「やめろと言っても、譲る気はないのですよね」
「おまえの目の届かないところで、ルルーシュとロロの距離が縮まるということだ。それでもおまえの兄であるルルーシュとはなんの関係もない。生きていることすら知らないのではな」
「……そう、ですね」
ひとつひとつの理由はさておき、ナナリーはL.L.を本能的に忌避している。今までそんな態度を微塵も取って来なかったこと自体が賞賛されるものなのだろう。こんな反応になるのも致し方ない。
「ルルーシュ。お前もなんとか言え」
難しい顔のまま固まっているL.L.。
声をかけてようやく口を開く気になったようで、まったく世話の焼ける――。
「ロロは、彼の所属していた組織――ようは、ギアスという力を使う集団から追われている。……そして、俺とC.C.には――ギアスが、効かない。だから彼を守ることもできる」
「……わかりました」
ナナリーは、ソファーから立ち上がる。L.L.の目の前にしゃがみ、手を重ねる。その手はわずかに震えていた。
「では、私たちは共犯者、ということになりますね。――お兄様に嘘を吐くなんて。生まれて初めて。うまく、できるかしら」
「ナナリー。不安なら……いや、そうだな」
L.L.は重ねられた幼い手を、ゆっくりと包み込んだ。
「俺たちは共犯者だ。大丈夫、うまくやれるよ」
「本当に?」
「約束する。……今度こそ、嘘はつかないよ」
――こうして。
新たな契約は、結ばれた。
「お兄様?まだお仕事?」
ナナリーが私室に入ると、兄はまだ机でなにやらやっているようだった。
妹の姿を認めると端末から目を離し、眉間の皺を解きほぐす。あからさまな疲労が見て取れた。
「仕事、というか――なんというか――」
『ナナリー!こんばんは』
「ユフィお姉さま?どうなさったのですか?」
画面の向こうから飛んできた声は慣れ親しんだ姉のもの。
ナナリーは抱いていた緊張もどこへやら、ルルーシュのもとへ駆け寄った。画面に映っているのはリ家の離宮――コーネリアの私室。深夜のこちらとは違い、明るい陽射しが差し込んでいる。
『うん。お姉さまがね、ようやく認めてくださったの!それでルルーシュに――』
『まだ認めてはいない』
ユーフェミアを遮る形で硬い声が割り込んだ。
コーネリアが不機嫌さを隠しもせず、ユーフェミアの隣に腰かける。
『ユフィがどうしても折れなくてな。昔からこの子は、おまえたちに妙な影響を受けて……』
「軍に入るなどと言い出すよりマシですよ。何です、またお小言ですか?俺はついこの間も、謂れのない罪を問われたばかりですよね。おかげでマリーベルの嫌味がすごかったんですから」
『お前は本当に可愛げのない』
「やだな、誉めても何も出ませんよ」
『……もういい。ユフィが……そう、本気で勉強したい、と言うのでな。危ないことはしない約束をした。破ったら即帰国だとも』
この言葉をもらうのに、ユーフェミアがどれほど粘り、戦ったかは自明だ。
『そこで改めて。お前には迷惑ばかりかけてしまうことになるが、この子の安全に万全を期してほしい』
「もちろん。貴族の子女なら護衛のひとりやふたり妙ではありませんし、学園側とはもう、マリーベルは病を患っているという名目でクラブハウスを使用する、と話がついています。ユフィもそこにくっつく形で問題ないでしょう」
『うむ……』
「学内の護衛、あちらはジヴォン嬢がつくということですが、ユフィの方は指名はありますか?」
『いや、ない。お前に一任するさ』
「わかりました」
ルルーシュはにっこり笑って返す。
まさかコーネリアはルルーシュがナンバーズをつけようとしているとは思いもしないし、兄はそれを見越したうえで言質をとったのだ。何か言われれば、『俺の総督としての政策に口を出されるというのなら、姉としてではなく皇女としてお命じください』などと言い出すつもりなのだ。
もしユーフェミアが皇女だと露見するようなことがあれば、ナンバーズと皇族が親しく交流している――おそらく彼女の性格からして、枢木スザクとも仲良くするだろう――事実が明るみになり、あっという間に政治的な意味を孕んでしまう。
そうした意味でもコーネリアの激怒は想像できたが、その時の為の布石だ。
『何があっても自分の責任と言い聞かせた。命を落とすようなことがあっても、と。しかし、できる限りの守りを頼みたい』
「わかっていますよ、姉上」
言葉通りの意味ではない。引き受けた以上守れと、こちらも念を押してきている。
そこまでを見届けて、ユーフェミアの顔がぱあっと明るくなった。
『では――』
『……いいだろう。一年間。エリア11への遊学を許可する』
『おねえさまっ!』
ユーフェミアががばりと抱き着く。こら、人前でやめなさいと窘めるコーネリアからは厳しい面持ちが消えうせて、なんとか厳めしくしようとしてはいるものの、すっかり妹に甘い姉の顔だ。
「わかりました。アッシュフォードにもそのように伝えておきます。ユフィ、浮かれすぎるなよ。そちらでやるべきことはやっておくように」
『わかってるわ、もう。お姉さまに散々言われてるもの』
『済まなかったな、夜遅くに』
「いいえ、姉上。今日中に片付いてよかったです。――では」
『おやすみ。ルルーシュ』
姉妹からの挨拶で通信は途切れた。と、兄は長いため息を吐き、ぐったりと体から力を抜く。
「これで決まっちゃいましたね、本当に」
「ああ……」
「お風呂は?」
「もう入った。寝るだけだ」
「じゃあ、一緒に寝ましょうか」
言うなりナナリーは兄に両腕を差し出した。
首に回される手。そのまま抱き上げて、寝室へと運ぶ。素直に応じたところからして、余程疲れているのだろう。年かさの男性の身体を抱えるのは楽ではないけれど、今日はろくに動いていないのでトレーニングだと思えばちょうどいい。
そっと下ろす慣れた動作。やわらかく寝かされた兄の隣に潜りこみ、兄の顔を覗き込んだ。
そうして用意してきた甘い言葉を抱えて、ナナリーは、生れて初めて、兄に嘘を吐いたのだ。