無に帰すとも親愛なる君へ   作:12

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「サヨコさんは天然ね」

ナナリーの傍につくようになってしばらく、しみじみとこのようなことを言われた。家族や友人、アッシュフォードでも何度か言われたことだが、咲世子には実感がなく、彼らの言いたいことはまったくわからない。

「そうでしょうか」

「ええ。そんなところが素敵ですわ」

彼女は咲世子を非常に気に入った様子であった。プライベートをよく知りたがり、無邪気にはしゃいで見せる。

と思ったらナイトメアの訓練場に出掛け、年齢に見合わぬ内容の勉学をこなし、ジェレミアやヴィレッタに剣の手ほどきを受けていた。

ちぐはぐな印象。

咲世子のそれは日に日に深まる。ブリタニアのために、とかテロリストへの憎悪、とか、そういった目を眩ませるような激情に取りつかれているようにも思えない。彼女はひどく冷静だった。兄だけを見つめていて、そしてその兄もまた同じだった。

兄妹だけの完成された空気に入り込めるものは誰もいない。彼女と一番の友人であるという、アーニャ・アールストレイムもそれは同じだった。

訓練でぼろぼろになって帰ってくるナナリーを見ると、彼女の年の頃には篠崎流の修業が始まっていたことを思い出し、懐かしい気持ちになる。

それは祖国を、家族を、自らの役割を思い出すことと同義だった。

ブリタニア皇族らしさを増して行くナナリーに、思うところがないわけではない。

敵国の人間に仕えて、いずれ大きな脅威となるものの世話なんかして、いったい自分は何をしているのだろう。

イレブンと罵られ、馬鹿にされ、屈辱はいつだって拭えない。せっかく離宮とはいえ国の中枢に仕えているのだから、スパイ活動のひとつでもやってみてはどうなのか?

しかし、その情報を伝える仲間もいやしない。

アッシュフォードに来たこと自体が間違いだったかと思い始めたころ、それは起きた。

初めて戦場を見たナナリーが帰って来てすぐだった。はつらつとしていたのが突然倒れた。高熱で、無理をしていたのだというのは誰の目にも明らかだった。

しばらく離宮の外に出る用事も訓練も入ってはいない。スケジュールを組んだのはルルーシュで、これを見越していたのだろう。

「マリアンヌ様が亡くなられた時も、一度こんなことがあったのよ」

ナナリーが生まれたときから彼女の世話をしている、初老のメイドが手洗い場で偶然会った咲世子に言った。皇妃が死に、兄皇子も重傷。それなのに気丈に振る舞っていたと。しかしルルーシュが退院するまでこらえにこらえた体は限界を迎え、結局ひどくこじらせたのだそうだ。彼女は顔を曇らせて、我慢されるから心配だと零す。

一年もアリエス宮に仕えていれば、そして主である皇女が慕っているのであれば、咲世子への対応はふたつに分かれる。急にやって来て、どうやって取り入ったのかという冷たいもの。主がああしておおらかに接しているのに、自分が差別をしてどうするのかと普通に接するるもの。この女性は後者だった。

「どうしてそんなに急かれるのかしら。シュナイゼル派の傘下に入られた今、ここまで自分を追い詰める必要はないはずなのに……」

そうなのだ。

マリアンヌ皇妃がいなくなり、皇帝から冷遇されているのにこの頑張りよう。なんとか陛下の心を戻し、皇位継承争いで利を得ようと見えるのは咲世子にも理解できる。しかし今のルルーシュはむしろ帝位を望まぬ発言を繰り返し、留学でブリタニアの素晴らしさを理解した、国のために尽くすと繰り返しているそうだ。シュナイゼルに懐いている様子から、彼を支援するつもりなのだと受け取っている者が大半。当のシュナイゼルからもそのような態度が見られるからこそ、信憑性は増している。今はまだ子どもで、力などないに等しいルルーシュたちを暗殺するのは、シュナイゼルに喧嘩を売るも同然だ。

このまま猛スピードで成長するのは、逆に敵を増やすことに繋がるというのに、なぜ。表面的にはおかしくないことかもしれなくとも、咲世子には、彼らのひどく冷静に何かを目指している様子に、なにか奇妙に胃の腑をつつかれているような心地に陥るのだ。

咲世子は時折、使用人に決して聞こえない小声で、ルルーシュとナナリーが何事かを話しているのを見ている。

そのときの表情はふざけているものもあれば、真剣そのものの場合もある。

あの兄妹は、いったい何を企んでいるのだろう?

 

咲世子はその夜、ルルーシュがナナリーの見舞いに来ることを知るなり、一計を案じた。

この長い疑問を終わらせてしまおうと思ったのだ。

長くいればいるほど、情が増すだけだ。咲世子には、やらねばならないことがある。

あの二人が何を考えているのか、それを見極めてからここを去ろうと決めたのだ。

 

人払いをしたナナリーの部屋に、咲世子は潜んでいた。

篠崎流の実力をもってすれば容易いことだ。盗聴器の類を使うより、これが最も安全で確実な方法だ。中庭を通ってやってきたルルーシュは、静かに車椅子をベッドのそばで停車させた。

「ナナリー。熱はだいぶ引いたって聞いたよ」

「はい。でも多分、もう一度上がるって」

「うん。……だから、今日は早く寝ようね」

やさしく妹の手を握る。

気配に敏いルルーシュでも、咲世子にはまったく気づいていない。気付かれれば、名門篠崎の名折れだ。今日重要なことが聞けるとは思わない。これを繰り返せば、そのうち真実を知れるだろうと思っていた。

しかし、そうはならなかった。

 

「お兄様、ごめんなさい。私はまた……」

「いいんだ。ナナリー、仕方ないことなんだから。正直に言っていいんだよ、きつかったろう?体力おばけのおまえが二度も倒れるなんて」

「……私が、あれをするのですよね」

やや間をあけて、ナナリーが言う。あれ、というのは戦場での兵士の振る舞いだ。

思い出すように、か細く弱弱しい声。

「……やめるか?」

ルルーシュが静かに口を開く。

「やめても、いいんだよ、ナナリー。俺はお前さえ無事なら、なんだっていい。このままシュナイゼル兄上のところに行けばいい。皇族なんてやめちゃって、ここから逃げたっていいんだ」

「……いやです」

「ナナリー」

「決めたんです。優しい世界を、お兄様と作るって」

優しい世界?

突然と飛び出した中朝的な言葉に内心首を傾げる。

「ナナリー。わかってる?何度も言うけど、これからおまえと俺がすることは、大勢の知らない人の命を奪うことで――血の繋がった相手を手にかけるかもしれないんだぞ」

「……っ、わかって、います」

「たとえばユフィを、アーニャを殺せと言われて、できるか。もしも、そんな日が来てしまったら、できるか」

「……お兄様、は」

「俺は……」

ルルーシュが口を閉ざす。かんたんに口にできるほど、軽いものではなかった。

少年の方が揺れる。長い沈黙があって、ぎゅっと、さらに強く妹の手を握りしめた。

「やるって決めた……決めたんだ。あの日」

彼らはいったい何を話しているのだろう。優しい世界を作る――それがどうして皇族を殺すことに繋がるのか。

「こんな世界間違ってるって思った。だけどナナリー、それにお前を巻き込むことはしなくていいんだ」

「いいえ、お兄様。いいえ。何度も言っているでしょう?私はお兄様が一番大事なんだって」

ナナリーが微笑む。見たことのない、包み込むようなそれ。7歳の少女が浮かべるにしては、あまりに切ないものであった。ただ満たされるだけの子どもでは、あんなに胸を打つ表情は浮かべられない。どこまでも柔和な微笑みでありながら、失ったものの大きさをありありと見せつける。

「お兄様がその道を行くというのなら、私は付いて行く。どこまでも。お兄様と一緒にいられないことが一番つらいことなんだって、私もあの日、知ったんだから」

だから、とナナリーは続ける。痛いほどに握られた自らの手を、もう片方の手で兄の手ごと包み込む。

 

「ブリタニアをぶっ壊すことくらい、ちっともつらいことじゃない」

 

 

衝撃が襲った。

 

「ナナリー」

「咲世子さんに日本の話を聞くとき――イレブン、と言わなくてはならないことが、とても悲しいの」

「……うん」

「私はお兄様の見た炎を見ていないわ。だけど、同じくらいに変えたいと思っているの。お兄様の罪に私を巻き込んでいるなんて、思わないで」

静かな声だった。話していることで熱がぶり返し始めたのか、頬を上気させている。それに気遣うルルーシュを、ナナリーは止めた。

「お兄様、約束して。絶対よ。もう二度とそんなこと言わないで」

「うん」

「熱に浮かされてるなんて思ってるんだったら、わたし、許さないから」

「うん。……でもナナリー、もう寝よう」

「約束してくれたらね。もう、これが最後のチャンスなんだから。本当ならお兄様、もうとっくに“針千本”なのに」

「わかってる。……ごめん、俺が悪かった」

「そうよ。すぐに弱気になるんだから」

ちょっとだけ茶目っ気を含ませたナナリーに、ルルーシュが笑顔を取り戻す。妹の手を握っていた手を解くと、ナナリーを覆いかぶせていた手を退けた。そしてお互いわかっているとばかりに、小指を絡ませる。

咲世子のよく知っている仕草だった。

 

ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。

 

「指切った!」

わずかばかりに奇妙な発音で歌いあげた二人は、元気に絡めた指を解く。

「絶対だからね」

敬語を抜いたナナリーの言葉に、ルルーシュは頷いた。

「約束する。何があっても」

 

そうしていよいよ頬を赤くさせたナナリーは、呂律が怪しくなっていく。今度こそおしまいだと会話を切り上げたルルーシュは、ジェシカを呼ぶからと、あの初老の女性のメイドの名を出した。

 

「ゆっくりおやすみ」

 

そしてそのまま咲世子に気付くことなく、部屋を出て行ったのだった。中庭を通って、自らの部屋へと戻ってゆく。

 

咲世子は呆然と立ち尽くしていた。

熱い何かが身体じゅうを駆け巡っている。血が沸騰しているようだと思った。

たったいまここで交わされた会話を、盗み聞きした秘められた兄妹の真意を、何度も反芻する。

かちりかちりと、不可解に思っていたピースが埋まっていった。

彼らが何をするつもりなのか。

どう生きようとしているのか。

じんわりと理解してゆく。どんどん体は熱くなった。

そうしてメイドのジェシカがナナリーのところにやってきて、せっせと看病をしてやって、一人がいいと言うナナリーに、何かあれば呼んでくれと言い残して部屋を出て行ったとき、咲世子はようやく、わかったのだ。

 

 

 

 

神楽耶が大きな瞳をまん丸くして、怪訝そうにこちらを見つめている。

咲世子の家族が、彼女の父母を護って散っていった。無残な最期だ。馬鹿な最期だ。わかっている。

「これと惚れこみ、決めた主。彼らがどんな無謀な地獄に飛び込もうとも、ついて行かずにはいられない性分なのです」

 

神楽耶が何かに気付いた顔をした。

叔父を思う。自分だけ逃げることもできたはずだ。けれど彼はそれをしなかった。

できなかったのだ。

決めてしまったから、見つけてしまったから。

 

「もう、自分の意志では変えられません」

 

全身で理解するのだ。雷に打たれたように、落とし穴に落ちてしまったように。

この人だと、強く思う。

 

「私は、ルルーシュ様とナナリー様に仕える女です」

 

咲世子もまた、あの日。主を見つけてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

「マリーベル」

名を呼ばれ、目を開けた。

長く眠っていた名残をそのままに、夢見るような瞳で自分を見ている。

「ずっとここにいたの?」

「ええ」

「今日は、学校でしょう?」

「いいのよ、そんなの」

「よくないわ……」

咎めるように言いながらも、母――フローラは嬉しそうに微笑んだ。

咲き誇る花のような人だった。髪は艶を失って久しく、瑞々しかった肌は生気のない紙のような色だ。ここ一年でどっと老け込んだ彼女は、ともすれば老女のようでもあったのに、しかしやはり美しかった。綺羅と輝く瞳だけは変わらず、優しくマリーベルを抱擁する。

ふと深い蒼の光に違うものを感じ取り、マリーベルはたまらず立ち上がった。椅子が音を立てて揺れたけれど、構っていられなかった。

幼き日のように母のベッドに腰かけ、まったく力の入っていない左手を包んだ。

予感めいたものがあった。

彼女も感じたのかもしれない。今にも泣きそうなマリーベルに、微笑みを深めた。

「私のかわいいマリー」

「はい、お母さま」

「自らの心に恥じぬよう生きなさい。周りの人を愛してね」

「ええ。きっと……必ずや、お母さまのような女になってみせます」

「好きなように生きるのよ」

「私の憧れはお母さまですから、好きに生きればそうなってしまいます」

マリーベルはくしゃりと笑った。きっと母は自分を見抜いている。見抜かれていることを知ってなお、マリーベルは彼女の望む自分でありたかった。だって今は。今が、その時なら。優しい嘘を、ついていたい。

母の顔を覗き込むと、自らの髪がはらりと零れる。

母と同じ色の髪だ。だけど色が抜けた今の彼女のそれは随分薄くなってしまっている。薔薇色と評されたかつての輝きはもうない。

今日はあたたかい。ああ、そうだ、あと10日前にもこんな気候だったのなら、もう一度母の大好きなあの薔薇園を見せてあげられただろう。こんなにも穏やかな午後で、やさしい陽が窓を通り抜けてぬくもりを届けてくれるのに、なのに、寒々しい。

この陽が彼女を連れていってしまうのだ。

悔いても憤ってもどうにもならぬ。刻々と迫るその日に怯えるマリーベルにできたのは、精一杯笑顔を作ることだけだった。他愛のない話をしながら。来ぬ未来の話をしながら。

「眠いわ……体が重くて」

やがて、母はゆっくりと言った。

「でも、もう少し話していたいの」

「マリーはここにいますわ。お母さま、お母さま、大丈夫……」

おやすみなさいと言う勇気が出なかった。覚悟に覚悟を重ねてきたのに、いざとなれば駄目だった。繋がっている手は震えずいる代わりに、じとりと汗ばむ。

「マリー……ベル……」

いよいよ掠れた声で母が言った。ああ。

その時が来たのだ。

 

世界で最も愛しい人が、ゆっくりとその目を閉じていく。

 

堪えきれなかった。

行かないで。

行かないで。

まだそばにいて!

そう泣き喚きたい。わたしのお母さま。いつでも優しく抱きしめてくれたお母さま。どうして今度はわたしのお願いを聞いてくれないのですか。盛り上がった涙がぽたりと母の頬に落ちる。ああ、泣いてしまう、いけない。

最後だとわかっているから、こみ上げる思いを振り切った。

「愛しています、お母さま」

その言葉が聞こえたのかどうか、マリーベルにはわからなかった。

母の唇の端が、少しだけ持ち上がったような気がした。

 

「ユーリアに、よろしく……お伝えください」

 

返事はなかった。

そっと彼女の顔に近づいてみれば、もう。息はしていなかった。

午睡をするように穏やかに、永い眠りについている。

 

誰も入ってきてくれるな。邪魔をしてくれるな。

 

今だけは。

 

マリーベルは、すべてを自分に許した。

まだあたたかい彼女に縋りついて、シーツに顔を埋め、感情のままに。

痩せてしまった体は驚くほどに華奢だ。この細い体で抱きしめてくれたことを思うと、もうたまらない。

ここにいるのは皇女でも主席の優等生でもなくて、ただの、フローラの娘のマリーだった。

 

 

その晩、ブリタニア皇族メル家、フローラ皇妃の薨去の報がブリタニアを駆けた。

 

 

 

 




とうとう死人が出た

今回のプチ設定・ルルーシュくんの車椅子

ルルーシュくんばかりですみません。

成長に合わせて弄ったり作り直しているのでけっこうな台数を所持しているのですが、現役のものでも10台以上あったりします。式典用・普段用などシーンに合わせて使い分けられるように自分で作ったのと(めっちゃブリタニア軍マーク入ってるやつとかある)貰い物のオシャレデザインのやつがあります。
クロヴィスお兄様とか今回登場マリーベルさんの家、超々稀に貴族から。あっちょっといいな……て本人も気に入ってるやつからまあ、作ってくれたんだから貰っとくか……みたいなのまで。基本的に自分で動きたいので美しさを追求しすぎて実用性がしんでるみたいなのはもう全然使ってません(しかしルルーシュのために作られたものなので、とうぜん、乗ると文句なしに最高の芸術品みたいになります)
自分で作ったうちのひとつにゼロカラーに酷似したものがあってL.L.さんは密かにびびったりしました。こわいね。

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