無に帰すとも親愛なる君へ   作:12

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待っていたのは案の定、ひどい人種差別。

入国審査からはじまり、どこまで行っても消えることはなかった。アジア人は一目で区別がつく。欧米のナンバーズたちとは違い、誤魔化すことなどできるわけもなく、中華人をからかうための言葉を投げられるのであればまだいい方だった。

アッシュフォード家から共に来た使用人たちと帝都へ入ったのがブリタニアの地を踏んで二日目の朝。離宮の並ぶ広大な区画を車で行き、他と比べればやや小ぢんまりした宮にたどり着いた。

「遠路はるばる御苦労」

そう言って迎えたのはジェレミア・ゴットバルト。のちの同僚である。自分と同じように7年分若く、少し長めの髪を後ろに括っていた。

彼は使用人たちの中に咲世子がいるのを見つけるや否や、使用人団のボスとして先頭にいた老齢の執事に険しい顔を向けた。

「貴様、あれはイレブンではないか?」

「左様で御座います」

「何故連れてきた?殿下の名に傷が付いたらどうしてくれる」

「は、しかし、彼女は大変優秀なメイドでして。SPも兼任することが可能でございます。能力はアッシュフォードの名を賭けてもかまいません」

「SPだと?」

「如何にも」

ジェレミアは咲世子をじろりと眺めた。いや、睨んだ。それから小馬鹿にしたようにフンと笑う。こんな小娘に何ができると、そう言われたような気がした。

「まあ良い。殿下がお決めになることだ」

てっきりここで門前払いされるのかと思いきや、咲世子は宮内へと招かれた。

きらびやかなはずなのに、どこか閑散としている。訪れる者を歓迎するような玄関ホールの細やかな装飾も、埃ひとつない絨毯も見事だ。なのに、あまりにも寒々しい空気が充満している。ここが皇族の住む空間だとはとても思えない。

大ホールに集められ、きちりと列を組んだ使用人たち。しばらくして車椅子の少年と、それを押す少女が如何にも軍人らしい女を伴にやってきた。殿下自らのご登場というわけだ。

それを誠実さと言うべきか、暗殺を警戒しての様子見と言うべきか――わかりはしなかったが、幼く高い声で紡がれる「面を上げよ」という皇族らしい命令で顔を上げたとき、吸い寄せられるように皇子の顔に目を奪われた。

正確には、目だ。

この目。咲世子は知っている。敗戦した祖国で散々見てきたものだ。親を殺され、兄妹を奪われ、友と別れ……それでもなお生き延びてしまった、孤独と絶望に置き去りにされたこどもの目。

咲世子自身、同じ顔をしていない自信はない。

 

ルルーシュ皇子の目は沼の底のようで、深い紫は翳り、薄暗かった。一方で爛爛と光ってもいるのは猛禽のそれだ。日本人たちが浮かべるその光は、怒りと復讐。ならば、この皇子は一体何に、ここまでの怒りを、憎悪を燃やしているのか。

皇妃が殺されたのは知っている。ならばテロリストか。

さらに、皇子というにはあまりにも殺伐とした空気を纏う彼の車椅子を押してきた少女は、ハウスメイドなどではなかった。彼女も皇族、妹のナナリー姫だったのだ。

こちらは不安げに揺れる瞳が年相応の少女らしく、大きな違和は感じられない。

「ルルーシュ様。こちらが新しく、アッシュフォード家から派遣された者たちです。アッシュフォード当主の人を見る目は確かですから、どうか」

「ああ……」

ルルーシュ皇子は沈んだ暗い瞳で、数十人の男女を見つめる。注意深く、ひとりひとり斬るようにしながら視線を滑らせていく。そしてやはり、咲世子のところで止まった。

「おい。……そこの。アジア人」

「は」

咲世子はすかさず礼をとる。ルルーシュは訝し気に、

「イレブンか?」

当然の質問をした。暗い瞳には猜疑の色が見え隠れしている。スパイか?暗殺者か?と。

「左様で御座います、殿下」

「担当は」

「ハウスメイドと……護衛を」

「護衛?」

そんなもの頼んだ覚えはないと、ルルーシュはつっけんどんに言い放つ。横からジェレミアが、それはこの女が勝手に申しているだけのただの妄言ですと慌ててフォローを入れた。ただのメイドであるから気にしなくてかまわない、気に入らなければ今ここで追い返しましょうというようなことを続ける。そうしてくれた方が有り難い。早く日本に戻りたいのだ。

咲世子は期待して次の言葉を待った。

しかし、ルルーシュは、「ふうん」と興味なさげに返すだけで。

「仕事ができるなら構わない。ジェレミア、わたしの警護はお前に任せるさ」

「イエス・ユアハイネス」

咲世子はそれきり声をかけられることもなく、そして追い返されることもなく、アリエス宮の使用人となってしまった。

 

この時点で、やや計算が狂い始めていた。

 

 

咲世子に任された仕事は専ら掃除、雑用。当たり前だ。ふつうのメイドの仕事がそれだし、イレブンなんてさらに重要な仕事から遠ざけられるに決まっている。

もちろんルルーシュやナナリーの部屋に入らせてもらえるわけもなく、廊下だとか窓だとか手洗いだとか、そういったところを掃いて磨いて。アッシュフォード家にいたときの方が遥かに忙しかったに違いない。任される仕事はいつも似たようなもので、交わす言葉も当然同じ。イレブン相手に親しい雑談など、これもまあ、ありえない。

そんな調子だから、そろそろブリタニア語が錆びてしまうのではないかと不安に思っていた。使用人棟ではアッシュフォードからやって来たメイドと同室だったが、彼女たちもまた、イレブンである自分に話しかけてくることは少なかったのだ。

体術の方も然りである。すっかり鈍ってしまっていて、どうにも困った状況だった。自分から暇を申すことはできるのか、アッシュフォードの顔に泥を塗らないタイミングはいつか……そんなことばかり考えて過ごしていた。

 

そうして(恐るべきことに)三か月が経ち、優秀だった咲世子はもっと広範囲を任されることになった。もともと信じられないくらい人手の足りないアリエス宮だ。少数のベテランで回すと言っても限度がある。イレブンだからといびる暇もないほど事態は深刻だ。

皇女であるナナリーの部屋の前の廊下を担当するようになると、彼女と顔を合わす機会が――いや、遠目に見る機会が増えた。

なにせ、掃除というのは主の目の入らないところでやるのがごく普通のことだ。ナナリーと顔を合わせるのは、彼女が予定にない行動をしたときだけだった。

 

「きゃっ!」

 

ある日、昼寝をしているはずの時間に突然部屋のドアを開けて走って来た彼女にぶつかって、慌ててよろけた彼女を抱いた。ぼふん、と音を立てて衝突した反動は大きく、支えなければ転んでしまっていただろう。

「お怪我はございませんか」

「ええ……」

思い切り咲世子の足に顔をぶつけたナナリーは、赤らんだ鼻の頭をこすこすと撫でていた。ぶつかった相手が誰かわかると、きょとんと目を丸くする。

「あなた……確か、イレブンの」

「はい。殿下に対する非礼、処罰は如何様にも」

そうだ、このまま解雇してくれ(処刑であれば、うまく逃げ出す自信もある)。そんな思いで咲世子は述べたが、ナナリーはとんでもないとかぶりを振った。

「あなた、名前は?」

「サヨコ・シノザキと申します」

「サヨコね。サヨコは、アッシュフォードからのハウスメイドでしたよね」

「ええ」

「なぜあの家に仕えることに?」

好奇心でいっぱいの目。彼女は咲世子に興味を持ったようだった。困ったことになった。

「皇女殿下のお耳に入れるようなことでは……」

「あら、わたくしが聞きたいと言っているのですよ?」

ナナリーはにっこりと笑う。さすがにこのあたりは支配者、お姫様らしかった。

「ルルーシュ殿下がお知りになったら……」

「大丈夫。お兄様だって、説明したらわかってくださるわ。サヨコ、いっしょにお茶を飲みませんか?」

「そ、のような……」

「これは命令です、サヨコ・シノザキ」

がんとして言い張られてしまえば、咲世子にできることはない。イエス・ユアハイネスと跪くことだけであった。会話が聞こえる程度の位置にいた、ナナリーの部屋の前を守る兵士が、皇女殿下の気まぐれにも困ったものだとばかりの呆れた表情を浮かべていた。

 

 

 

完璧なティーセットに加え焼きたてのフィナンシェが用意され、3時のおやつは始まった。ティーセットを用意した同僚とも言えるメイドは、ナナリーに引っ張ってこられた咲世子をぎょっとして迎えた。

彼女以上にぎょっとした顔をしたのは、既に席についていたルルーシュだ。

「な、ナナリー……!?」

「お兄様、今日は彼女をゲストに招きましたの」

「……何を言っているのかぜんぜんわからないよ、俺にもわかるように説明してくれないかな?」

「ですから、彼女とお兄様と、3人でお話がしたくって」

車椅子に座った少年皇子殿下は、わけがわからないと顔を歪ませた。お前が何かしたのかとばかりに咲世子をぎろりと睨む。帰宮のお出迎えを許されていない自分が彼と顔を合わせるのは、ナナリーと同じく初日ぶりだった。

「もう、お兄様。サヨコはなんにもしてませんわ」

ナナリーが拗ねた声を出して、ルルーシュが呆けている間にもうひとつ椅子を用意させた。

どうしたらよいものか当惑しきったこちらに笑顔で言い放つ。

「第12皇女ナナリー・ヴィ・ブリタニアが命じます。今日は私とお茶をすること!」

大きく結い上げた、ウサギの耳のような髪をふうわりと揺らして。

咲世子は、怒りに震えているらしい少年皇子が、このままここで咲世子を解雇してくれることを期待していた。しかし自分の椅子に座ったナナリーが、「イレブンの話を聞かせてください」と言ったとたん、なぜだかひゅるひゅると怒気が低下した。表情は変わらないが、纏う気配は全く異なる。いったいなんだと言うのだろう。

「ナナリー。そのつもりで呼んだのか?」

「ええ。これ以上に参考になる方はいらっしゃいませんから」

「そうか……」

ルルーシュは何やら思案すると、咲世子に座るように促した。

なぜかしらと思わずにはいられない。どういうつもりなのだ。

「名は?」

ルルーシュが尋ねた。

「サヨコ・シノザキと申します」

「ではシノザキ。今日はわたしたちのティータイムに付き合え。第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアから、重ねて命ず」

少年皇子はにんまりと微笑んだ。咲世子はぬかるんだ沼地のような瞳の奥で、怪しい光が瞬いたのを見た。

 

出身は?

エリア11のどのあたりなんだ?

歳はいくつだ?

――ということは、極東事変の際はまだ学生だったのか?

家族はどうしている?

ナイトメアフレームの戦いを見たか?

 

ナイトメアの駆った後はどのような状況でしたか?

開戦から2週間程度での降伏でしたが、国全体の雰囲気はどのような感じでした?

エリア総督にはヘンリーお兄様がなられましたけれど、一臣民から見てどのようなお方ですか?

 

眩暈がするほど配慮のない質問がぶつかってきた。生々しく戦争を語れと、侵略した側が言うのである。それも、侵略者たちを正義とせんという考えのもとに。

戦禍に巻き込まれた人間に対して、あまりに無神経と言えるだろう。部屋の隅に控えているメイドも、ポーカーフェイスを保ちながら、しかし、やや呆れた空気を醸し出していた。

 

咲世子が思っていたよりもこの兄妹は多くの知識を持ち、賢く、大人だった。無邪気な子どもだからと膨らまなかったブリタニアへの思いは、彼らにも適応されてしまうだろう。

すこしだけ残念にも思いながら、咲世子はやや適当に答えを返していった。雑な返事をすればクビにしてくれるのではないかと思ったからだ。もちろん、アッシュフォードの体面を考えつつ。

いよいよ咲世子がすっとぼけ始めた頃、ルルーシュはぴたりと質問をやめた。

そういえば、と話題を切り替える。

 

「君はミレイの御傍係をしていたとか?」

「ええ……」

突然呑気な話に切り替わって、やや面食らいながら頷く。

ナナリーも不自然と言えるほどの方向転換をしたルルーシュをきょとんとして見つめる。紅茶にばかり手をつける兄とは違い、ナナリーは既にフィナンシェを5つ平らげていた。

「彼女は元気か?元、とはいえ婚約者だから」

「あ、お兄様ったら。ミレイさんにも良い顔をするんだもの。まだお好きなの?」

ナナリーが頬を膨らませる。ルルーシュは弱った顔をして、口の端を引きつらせた。

「な、ナナリー。だから、僕はミレイにはそんな……」

「ユフィ姉さまのことも大好きなくせに」

「ユ、ユフィのことは……それは……おまえ……」

妹姫の名を出されたとたん、ルルーシュはうっと言葉を詰まらせ、視線を逸らす。誰が見ても、ユーフェミアのことが気になっている、と丸わかりだった。

「ナナリー。昔の話だよ。全部。昔の」

「本当?」

「いつも言ってるだろう?一番大事なのはお前だって」

「ほんとーに、本当ですね?」

「ああ。約束するよ。ミレイはそう……お前にとってのアーニャみたいなものだよ」

「騎士?」

「……違う。友人だ……お前だってミレイのこと好きだろう?あ、いや、もういい。そうだシノザキ、アッシュフォードでの暮らしはどうだった?イレブンは屋敷に数人だけらしいが」

 

じわじわとナナリーから逃げ、逸らしていた視線が咲世子のほうへとずれ、話が戻ってくる。

咲世子はここは真面目に答えねばならないと、ありのままを……いや、少しアッシュフォードに良いように、話した。ルルーシュは興味深そうに聞いている。嫉妬心を鎮めたナナリーもそうだ。

この皇族の兄妹がいったい咲世子に何を求めているのか、まったくわからなかった。無遠慮すぎる質問をぶつけてきたことからも、いずれ軍を率いる際に少しでも役立ちそうな知識を求めているのかもしれなかったし、単純に物珍しい日本人と話してみたかっただけかもしれない。とにかく二人は好き勝手に咲世子に質問をぶつけ、時折打ち合わせていたように目を合わせるのだった。

 

お茶の時間は一時間。仕事の邪魔をして悪かったなと解放された咲世子は、あんなに雑な対応をしていたにも関わらず、なんの咎めも受けずに再び掃除をすることになっていた。

……わからない。

大階段の途中で、雑巾を手にやや呆然とする。

一体彼らは何がしたいのか。

嫌になったらいつでも、だなんてルーベンは言っていたが、はいそうですかとあっさり辞表を提出するわけにもいかない。恩があるからと受けてしまったのがいけなかった。一体いつどのようにここを去ればよいものか、咲世子はそればかり考えている。

しかし、篠崎流の勘だろうか?以心伝心とばかりに交わしていた兄妹の視線が妙にひっかかった。なんとなく嫌な予感もしていた。

そしてその予感は、見事に的中した。

 

 

 

「サヨコさん、これからよろしくおねがいします!」

第十二皇女ナナリー・ヴィ・ブリタニア。7歳の彼女の御傍係に任命されたのは、その二月後のことだった。にっこり笑う少女の、うさぎのようなおさげが元気に揺れる。

それを、何度目かの眩暈を起こしながら見つめていた。

 




叛道ショックから立ち直りつつあります。でも進まないのは全然変わんなくて困りますね。

咲世子編はちょっと長いです。もう少しだけ続きます。

今回のどうでもいい設定 L.L.さんのプライベート

ふらふら街に出かけたりもする彼ですが顔が顔なので変装しています。
ルルーシュ殿下が歩くという発想がないためにあんがい雑でも気づかれず、適当なサングラスなどで誤魔化している。スザクくんの不審者グラサンではなく、ハリウッドスターみたいなやつ。
しかしそれでも自分が政庁に入るシーンを見られるわけにはいかないので基本ルルーシュくんから貸してもらってる車を乗り回しており、念には念を入れて少年らしい私服を着ることもなく、そこそこの確率でスーツなので、その姿はさながら芸能人か、優秀なSPか、カタギじゃない人のよう……。

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