「どういうつもりだ」
「別に」
L.L.はルルーシュを見もせずに、興味深そうにチェス盤を眺めている。
チェスセットは自分のものを本国から持ってきたが、彼が見ているのはクロヴィスが用意したものだ。兄君コーディネートのこの部屋の備品である。ガラスでできた駒。緻密な彫刻が施された透明なそれに少しばかり色が練りこまれ、ガラスの中で模様を描き綺羅と輝いている。
陣営のひとつは落ち着いた紫。もうひとつは鮮やかに明るい緑だ。
ルルーシュとナナリーの好きな色をと、そういうことだろうか。また酔狂なことをしたものだ。
「触っても?」
「好きにしろ」
苦々しく言うと、L.L.は緑のナイトに手を伸ばした。
「相変わらず、クロヴィス殿下は趣味が良いな」
「総督を辞したら、そろそろ本格的に継承権争いから退くと仰っていた。まあ、英断だろうな」
「へえ」
「……それで?どういうつもりだ」
ルルーシュは再度問うた。きちんと説明しろと迫る声に、L.L.はやはり表情を変えぬままに、
「俺はナナリーの願うことをしてやれなかったからな」
「は?」
「契約者の命は守ろう。できる限り。しかし、自分の可愛い妹と同じ姿をした少女の思いに沿ってやりたい、とも思った。それだけだ」
「しかし――危険だ――」
「ならば俺もお前をそこに向かわせるわけにはいかない。ナナリーはいざという時動ける。戦える。しかしお前は動けない。冷静に考えるんだな」
ルルーシュは黙るしかなかった。悔しいが、彼の言う事は正論だ。
「それよりも。頼みがあるんだ」
黙り込んだルルーシュを気にした風もなく、もしくは気を遣ったのか、L.L.がナイトをもとの位置に置いてこちらを向いた。盤上の駒はすべて元通り。
「一人分の航空機を貸してくれ。C.C.を探すのに必要だ」
「どこへ行く気だ?」
アテがあるのだろうか。予想外の言葉に、ルルーシュは眉を寄せた。
明るい部屋の照明に照らされ、盤上の駒は輝いている。
ゲームは未だ始まっていない。舞台は静かにその時を待っている。
両陣営が睨み合いを終え、駒が歩き出すのを。
L.L.は静かにその場所の名を口にした。
ルルーシュには知る術もない、眼前の魔王に因縁深いその地の名を。
「――神根島だ」
枢木スザク。
その名を知らぬものは、日本を取り戻そうと奮闘する人間の中にはいないだろう。
彼は日本最後の首相、枢木ゲンブの息子だった。
枢木ゲンブ自身は、7年前の戦争折にその生涯を閉じた。戦争によって、ではない。事故だった。徹底抗戦を主張した男は、戦争の終結を見ることなく、あっけなくその生涯を閉じた。
宣戦布告から20日と1日が経った8月31日の早朝4時。枢木邸は炎に包まれた。公表こそしていなかったが、首相は心臓の病を患っていた。火元は彼の私室。煙草を吸っている途中にでも、運悪く発作が起きたのではないかと言われている。勿論、心臓病の人間が喫煙するのはご法度だ。不幸な事故であり、首相が隠れて煙草を吸っていたこと、誰もその事実を知らなかった。
勿論、巧妙な暗殺ではないかとする説もある。
しかし真相は闇の中。彼の死から14日後、日本はわずか一か月で降伏した。
狭い茶室で、二人の男が正座で向き合っている。
「……つまり、貴方たちに全面的に従え、傘下に入って部下となれ。そういうことですね?」
着物姿の初老の男が言った。ラフな格好の少年は首を振りかけ、しかし思いとどまった。
「我が主――皇神楽耶はこの国の姫であり、同時に有能なる政治家です。戦闘指揮は日本解放戦線の藤堂と片瀬、そして私枢木スザクが行います。全国から集められた者に有能な人材があれば、部隊編成にも変わりがありましょう」
男は渋面を作る。
「新総督・ルルーシュとナナリーは、現在のエリアのうち5つもの制圧に関わり、うち2つに至っては総指揮を執っています。これがどれほど危険な事態なのか、わからない貴公ではないはずだ」
「……我々は我々のやり方がある。いくらキョウトといえど……」
「ですから!」
スザクは頭を振った。
「そのキョウトも潰されるということです!何も残らない!我々はすべて飲みこまれておしまいです!そうして日本は完全になくなり、イレブンとしての人生を受け入れることになる……!」
「キョウトは巧妙に隠れているではないか。皆名誉という笠を着て未だに良い暮らしをしておる」
「その分日本人に回せるよう、裏ルートへの出資は惜しんでいません。……どうかわかって頂きたい。相手はブリタニアです。彼らにとって、キョウトなど爵位も持たないただの被支配民族の一端に過ぎない存在。潰えたところで痛くもかゆくもないのです。どころか、日本人の心を砕くいい機会だ。口実などいくらでも作れる。ルルーシュは、我々が調べたところ民間人にこそ手を出しませんが、決して甘くはありません。目的のためなら手段を選ばない男です。どんな卑怯な手を使って我々を陥れるかわからない」
そこでスザクは言葉を切り、頭を下げた。
「若輩者が大きな口を叩くこと、お許しください。しかし、どうか……どうか、力を貸しては頂けませんか」
少年の声は切実だった。本気でこの国を案じていることがありありと伝わる。
対する男はわずかに表情を和らげ、唸った。
「……確かに、枢木ゲンブの息子とお見受けする。その熱意、かの男によく似ている」
スザクは顔を上げなかった。
頑固者なところも似ているようだ。男は内心苦笑した。
ここで頷けば、のちのち組織内で自分は糾弾されるだろう。しかし部下たちを説得できないというのなら、自分もそこまでの人間だ。
17歳の少年の、青臭くも真摯な訴えに、心を動かされた。
であるのなら、自分も覚悟を決めねばならないだろう。
「……いいだろう。私の負けだよ、枢木の息子よ」
スザクがばっと顔を上げた。そして、すぐさま再び頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
「私が下を説得できないかもしれない。その時は、私だけでもそちらへ向かおう」
「神楽耶も……いえ、神楽耶様も喜びます」
少年らしい声で言った姫の名。慌てて言い直す。きっと、それが素なのであろう。
――まだ子供なのだ。
けれども、その希望に賭けてみたいと思ってしまった。
久々に色好い返事をもらえたな。
スザクは上機嫌に東京への道を戻っていた。サングラスをかけ、シャツの裾を風ではためかせながらバイクを走らせる。
何度か訪ねての今日だったが、彼は父を良く知る人物だった。それがうまくいった理由であるというのはなんとも微妙な気持ちになるが、考えても詮無いことだろう。
――と、後ろから猛スピードのワゴン車がやってくる。危うく轢かれそうになって、スザクは慌てて避けた。タイヤから火花が散ったのは、気のせいではないだろう。
「邪魔だぞ、イレブン!」
追い抜かれざまに怒鳴られる。
どっちがだよ。
スザクは心の中で毒を吐いた。イレブンなら、轢き殺してもいいと言うのか。ふざけている。今のはスザクが避けなければどう考えても事故になっていた。吹っ飛ばされて地面に叩きつけられ転がって、顔が削がれていたかもしれない。それを邪魔だぞの一言で。
……これだからブリタニアは。
このままトウキョウ租界へ行き、ゲットーにいる扇とかいうチームにもう一度顔を出して、それから静岡へ。枢木神社の手入れをしたら、京都へ帰って神楽耶へ報告だ。道路脇に一度バイクを止め、時計を見ながら予定を立てていた時だった。
「大丈夫か?」
突然後ろから声を掛けられた。スザクに租界に住む知り合いなんていない。
驚いて振り向くと、舗装された歩道の端に寄りスザクを見上げる、全く見たこともない少年がいた。
「困った奴だな。もう少しで轢かれるところだった」
ブリタニア人の少年だった。いくつか年上――いや、どうだろうか。ブリタニア人は大人びて見えるから、わからない。だが問題はそこではなかった。
ちょっと信じられないくらいの美人。日本人の者とも異なる漆黒の髪に、茶の瞳。
「あ、ああ……」
スザクは驚きながら頷いた。
少年は足が不自由なのか、車椅子に乗っている。後ろにいるのは親類には見えない女性。日本人だ。車椅子の持ち手にそれぞれ手を乗せていた。
すぐ向こうにある池袋のモールにでも行っていたのだろうか。
面食らうスザクに構わず、少年は微笑む。
「けがはないか?」
「へ、平気だよ」
ブリタニア人が、わざわざ見ず知らずのイレブンに話しかける?
「……僕はイレブンだ、君みたいなブリタニアの人が心配するなんて――」
「そういう考えは好きじゃないな。それに租界にいるんだから、君は名誉だろう」
少年はぴしゃりと言った。
「でも、君が自分をイレブンだと言うならちょうどいいな。トウキョウには詳しいか?租界じゃなく、ゲットーのほうだが」
「アラン」
「大丈夫だよ、咲世子さん」
女性が嗜めるように少年に言った。彼は軽く笑ってそれに返す。アラン、という名前らしい。
「どうして?」
スザクは訊いた。観光気取りでゲットーにやってくるブリタニア人。いるのだ。そういう輩が。彼もそのクチだろうか。それ目当てで声を掛けた、と。そういうことだろうか。
少年はしかし、スザクに向かって柔らかく目を細めた。
「俺の母は日本人でね。7年前の戦争で死んだんだが……俺の病気もよくなって、ようやく出歩けるようになった。だから母の故郷を―――彼女がどんなふうに生きたのか、それをきちんと見ておきたいと思ったんだ。彼女――咲世子は母の妹だ」
日本人からしたら、冷やかしに見えるかもしれないが……。少年はすまなさそうに眉を下げて言う。嘘には見えなかった。第一、嘘をつく必要もない。
ブリタニア人の彼が躊躇いなく「日本」と呼んだことに、スザクは嬉しくなった。
そう、ここは日本なのだ。エリア11、なんて名前ではない。
「じゃあ君、ハーフなの?」
「まあ、そうなるな」
なんだ、そうだったのか。納得して、こわばっていた顔から力が抜ける。声が弾んだ。こういうブリタニア人だっているのだ。
悪いのはブリタニアという国そのもので――住む人間ひとりひとりじゃない。そう、みんながみんなひどい奴じゃない。
「そういうことなら。僕は東京に住んでるわけじゃないけど、そこそこ地理には詳しいよ。どこに行きたい?」
「そうだな……母の故郷はトウキョウじゃないから、どこでも構わないんだ。でも、人が生活してるところに行きたい」
「わかった。……うーん、じゃあ、シンジュクに行こうかな」
「シンジュク?」
「うん。ここからそう遠くないし、あそこは色々と……象徴するような場所だから」
「どういうことだ?」
少年が首を傾げる。どこか幼くも感じられる動きだった。着ているものはそう高いものではなさそうだが、振る舞いひとつひとつにどこか高貴さを感じる。貴族か何かだろうか。
「歩きながら話すよ。……いや、君たちは電車でシンジュクまで行ったほうがいいかな。僕はバイクだけど、後ろに乗せてあげられないし」
「それ以前に、二人乗りは法律違反だぞ」
「固いこと言わないでよ。ね、君名前は?僕は枢木スザク」
「俺はアラン・スペイサー。こっちは咲世子さん」
咲世子と呼ばれた女性が微笑む。彼女は夏らしく、白い爽やかなワンピース姿だった。被っている麦わら帽子がよく似合っている。肩から下げる、品の良い小さな革鞄以外に持ち物はない。
「よろしくな、枢木」
「スザクでいいよ」
アランは一瞬きょとんとして、目を瞬かせた。それからふっと笑う。とてもきれいな笑みだった。
「そうか。……じゃあ、スザク。よろしく」
アランがすっと掌を差し出す。スザクはバイクから降り、握手した。
とうとうエンカウント~
次回はこのままこの続きです。