あれは今から3年前。我が須崎原家の隣には柊という家族が住んでいた。20代の夫婦と俺より2才年下の女の子の3人家族だ。
例に漏れず、彼らも体外受精で子供を授かり、惜しみ無い愛を初等部3年生の娘に注いでいた。
母さんが柊夫妻と仲が良く、俺を連れてお隣へ遊びにいくことも多かった。
それもあって、お隣の女の子の遊び相手をよくやったものだ。まぁ、その女の子に言われるがままに、『浮気をした夫を叱る妻ごっこ』をしたのは死ぬほど忘れたい黒歴史だが。
母さんが「遅くなるから柊さんのお家で晩御飯を食べてね」と言った日。俺は言い付け通り、お隣で晩御飯のご相伴に預かっていた。
その時だ。柊夫妻の様子がおかしくなったのは。
2人とも糸が切れたマリオネットのように机に突っ伏した。机の上に並んでいた料理の上に、だ。
突然の事態に思考が停止した俺と女の子は何ができるでもなく、ただただ2人を見ているだけだった。
そして、十数秒後⋯⋯2人は同時に身体をお越し、傍にあった食事用のナイフを握り、自分達の娘に襲い掛かった。
その動きは常人とは思えない奇抜なもので、少女の母は料理を蹴散らして机を乗り越え、父はその母の上を飛び越え、天井に指をめり込ませてぶら下がり、頭上から。
訳の分からないその状況で俺が理解できたのは、少女の危機と柊夫妻の異常性だけだった。
そして、俺の眼では手遅れに思えた。虚ろで何も見えていない瞳とだらしなく開いた口。表情が緩慢しきっているのに、動きだけは素早かった。
2人より早く少女に飛び付いた俺は、呆然とする少女を抱き締めて転がり、立ち上がり少女と両親の間を遮った。
それから⋯⋯少女の母親からナイフを奪い、喉を裂き、父親の脳天に渾身の力でナイフを刺した。
詳しくは話せない。いや、話したくない、が正確か。
この世界に来て、初の殺しが親しくしてくれたお隣さんだ。⋯⋯俺の罪は重い。柊夫妻を殺したことだけでなく、少女から両親を奪ったという意味でも。
そこからは急に黒スーツの男女が5人入ってきて、柊夫妻の遺体を手早く運び出し、いつの間にか気を失っていた少女と、2人の血を浴びた俺を連れて柊家を出た。
少女とは別の黒のリムジンに乗せられた。
発進したリムジンが着いた先はマザーハウスで、引き合わされたのは俺のバイト先の上司になるAI、マザーコンピューターだった。
そして、ウイルスの話をされる。マザーコンピューターとウイルスの攻防は一時の膠着状態となっていた。
ウイルスは人のマイクロチップに潜伏し、マザーコンピューターから姿を眩ませたのだが、活動してしまうと、数秒で突き止められ、ワクチンが襲ってくる。
ネットワークを伝ってくるワクチンに対抗して、ウイルスはネットワークを遮断する、マイクロチップから切り離すように進化した。が、それを想定していたマザーコンピューターは人員を派遣して感染者を捕縛。ウイルスに
で、膠着状態となった。ウイルスの進化としては最終的にネットワークの切断が限度だったらしい。元々、開発者がウイルスのプログラムをそう設定していたのだとか。
ただ、開発者はマザーコンピューターの優秀さと、自身が開発したウイルスの進化速度を誤っただけだ。まぁ、それが致命的な誤算となり、自身の死に繋がったのはなんとも言えないが。
⋯⋯さて、気付いたか? そう、
つまり、俺は少女の両親を無意味に
何故なら、俺が殺さなければ少女は、義妹のリナは間違いなく死んでいたのだから⋯⋯。
ただ、罪悪感は俺の心に大きな凝りとして残っているが。
俺の仕事は感染者にワクチンを打ち込むことだ。これは、俺じゃなくても出来る。が、マザーは俺が平穏な生活に退屈していたのを見抜いた⋯⋯と言うより、ずっと見ていたと言った方が正確か。
その日から俺は義妹になったリナに人殺しと呼ばれるようになった。