現代では味わえない排気ガスのむわっとした生温い微風を浴びて、信号待ちしている俺は顔をしかめる。
いくら懐かしい臭いや空気だと言っても、気持ちの良いものじゃないな。
と、ダンプカーを睨むのはこの辺にして、今は寮へ向かおう。
目的地は視界の右横斜め下に表示されているMAPの赤い点だ。
にしても、『学園島』なだけあって街中を歩いているのは結構な割合で学生が多い。
周囲を見渡しても多様な制服を着た若者ばかりだ。年齢層は小学校低学年から高校生ほどの狭間で、大学生っぽいのは見ないな。
ん? いや、あれはプレーヤーか? どっかの高校の制服を着た中年の男が向かいの歩道で信号待ちをしている。
よく見れば、周囲にもちらほらと、年齢のずれた者がいるな。
現実で見ればイタイとしか言いようがないが、どういうシステムなのか、違和感がない。多分運営側で俺達の感覚を調整しているんだろう。
青信号に切り替わって横断歩道を歩く中、すれ違った腰の曲がった老夫婦が学ランとセーラー服でも普通に見ていられた。老婆のシワの寄った生足なんて普段なら吐き気がするだろう。
吐き気は言い過ぎにしても、直視していたいものではないのは確かだ。しかし、それに違和感を覚えない自分が少し恐ろしいな。
「っと、ここか」
見上げるのは4階建ての建造物。見た目はちょっとしたマンションっぽい。白の外壁が清潔感があっていい。
視界に映るMAPの赤い点はここを指しているので、間違いないだろう。
門を通って寮の玄関に入ると、ピロンとメッセージウィンドウが眼前に表示される。
そこには〈インベントリに寮部屋のカギが届きました〉と書かれている。
「これか。カギに付いてるタグは俺の部屋番か?」
早速インベントリの貴重品という枠にあったカギを取り出してみる。
1世代、2世代は前の型だ。今はカードタッチとか網膜、声紋、指紋、顔認証が一般的だからな。この時代の人間には些か不便だろう。
カギには緑のタグが付いていて、そこには数字が書かれている。『307』それが俺の部屋の番号なんだろう。
300台ってことは三階か?
と、辺りを付けて玄関からすぐ右手にあった階段を上って近くの扉を見てみると、『301』と数字が書かれている。予想通りらしい。
「さて、どっちだ?」
階段から伸びる通路は左右に別れていて、等間隔で扉が設置されている。
MAPには寮の場所までしか表示されておらず、部屋の位置までは分からない。
なので、俺はまず左右の扉、そこに書かれている部屋番を確認した。
「右が『301』で、左が『302』? その隣が『304』か⋯⋯数字が飛んでるのはあれか」
仮説を立てて右側へ進む。
「やっぱりか。ってことは⋯⋯」
俺の眼前には『303』の番号。俺の眼前にある扉は『301』の部屋の隣だ。
それが確認できればあとは簡単だ。このまま右の通路を進めば⋯⋯。
「『307』。⋯⋯ここだな」
カギをドアノブの鍵穴に差し込めばがっちりと填まり、回せばカチャリと音がなった。
部屋番の振り分けは、右通路が奇数で左通路が偶数と単純なものだった。
ピロンと扉を開いて部屋の中に入ると同時にメッセージウィンドウが開く。
〈シークレットミッションクリアにより5SPが授与されました〉
それだけ書かれたウィンドウだった。
「シークレットミッション? なんだそれ」
聞きなれない単語に首を傾げる。
困った時はあれだ。ヘルプだ。ということで、早速メニューウィンドウを開いてヘルプで確認してみる。
ゲームの概要やステータスの簡易な説明、SPの用途など、幾つかの項目縦に並んでいる。
人差し指でフリックして項目を下げていく。
「あった。シークレットミッションとは⋯⋯これだな」
開くと⋯⋯。
シークレットミッションとは
ゲーム内で指定されている条件をクリアするとクリアとなり、報酬としてSPを得られる。
報酬のSP量はシークレットミッションの難易度に左右される。
そう記されていた。
「なるほど。この場合は住居を手に入れるとかだったのか? レベル上げ以外でもSPって手に入るんだな」
ウィンドウを閉じながら部屋の中を見渡す。シングルベッドに勉強机。キッチン、それと扉が2つに押し入れが1つ。部屋の広さはざっと見て12畳くらいか。
ベッドの上には折り畳まれた服と紙が一枚。読んでみると、武偵校への編入手続き書だった。
記入するのは名前、年齢、性別、生月日、編入したい科目だ。
武偵校には幾つかの専門科目が存在する。
プレイヤーが科目を選ぶ理由は方向性だ。
スキルの取得方法は幾つかある。
一番簡単なのは、島に複数あるスキルショップでSPを消費しての購入だ。
単一能力でなければ、売っているらしい。
次に書物を熟読しての習得だ。この
別に殴れないわけじゃない。ただ、敵に与えるダメージと、命中率に酷くマイナス補正が掛かるんだとか。それを補うのがスキルってわけだ。
だから、体術入門書という教練書を熟読(複数回読むことで、熟読したと認識されるらしい)して習得するのだ。
実戦もスキル習得に一躍買ってくれるらしいが、それは時間が掛かる上、習得条件も公表されていないから効率が悪いらしい。
で、最後に、教えを受ける、だ。教練書を熟読ってのは謂わば独学だ。そうではなく、師を立てて教えを乞うことで、通常よりも早いスキル習得が可能となる。
他の島はどうなっているか分からないが、この『学園島』にある各学校の用途はスキル習得のための学舎兼明確な身分証明となるわけだ。
何が言いたいかというと、各科目によって習得できるスキルが違うってことだ。強襲科なら銃技や体術、護衛術なんかを習得できるだろうし、探偵科ならスニーキングや情報収集、衛生科なら治療技術とかか? この科がどうってのは言い切れないが、その科目に似合ったスキルが習得できるはずだ。
「俺は強襲科だな」
項目の隣にある四角い枠にレの文字を跳ねさせ、他の年齢や性別、生月日も記入する。
「名前、か。ここまでで名前を決めるイベントがなかったんだよな。一応ステータスと学生証には須崎原宏壱ってなってたけど、ここで態々書く必要があるってことは、多分キャラクターネームを決める場面なんだろうな」
と、当たりを付けてみる。
正しいかどうかはともかく、適当にコーイチとだけ書いてみる。
〈コーイチでよろしいですか? はい/いいえ〉
またしても、ピロンとメッセージウィンドウが開く。
なんの捻りもないが、何か思い付くわけでもない。〈はい〉の文字をタップすると、確認を問うメッセージウィンドウが消えて、〈編入手続きが完了いたしました〉と新たにメッセージウィンドウが開き、編入手続き書が空気に溶けるように消え、またピロンとメッセージウィンドウが開く。
〈シークレットミッションクリアにより5SPが授与されました〉
これは簡単だ。学園の編入が条件だな。