暗転した意識はすぐに覚醒した。感覚で言えば、居眠りして瞬時に起きたみたいな感じだ。
若干思考がぼやっとしてるのはVR空間に脳がまだ適応していないからだ。寝起きの状態に近い。初めて入るVR空間にはある程度慣れが必要で、慣れない内は思考がぼやけることもあるらしい。
体質の問題らしいけどな。
そこは白い空間。どこまで続いているのか、続いていないのか、天の高さも把握できない。分かるのは俺が立っている床の冷たさだけだ。
〈キャラクターメイキングを行います〉
機械音声が空間に響くと同時に、俺の正面に等身大の鏡が下からにゅっと生える。
そこに映っているのは当然俺自身の姿なんだが、中肉中背の平凡な男子学生って感じだ。髪型もいつもと違うし、肌の色も妙に白い。唯一俺だと判断できるのは、顔の造形くらいだ。
音の反響の仕方でこの空間の大きさが大体分かった。左右前後、上、5mぐらいだな。
「突然だな」
RPG系統のVRは自分で使うアバターの容姿をある程度自由に変えられる。が、ベースは現実の自分と大きく逸脱することはできない。
身長を大きくしたり、小さくしたり。腕を4本にしたり、下半身を馬にしてみたり。性別を変えたり。⋯⋯身長に関しては5cmだけ増減できるらしいが。
〈肌の色を選択してください〉
と音声に従って、肌の色から始まって髪色、髪型、目の色と顔のパーツの位置や色を決め、身長、肩幅、筋肉の付き方と鏡を見ながら微調整を行う。
1mm、2mm程度なら大したことはないが、肩幅が1cm違うと結構な違和感がある。だから俺は、いつも朝鏡で見る自分の姿に寄せた。
自分の髪とか肌の色が変化するのは、見てて変な感じだ。
〈よろしいですか?〉
その言葉と同時に俺の眼前にウィンドウが現れる。それには身長178、体重65、肩幅43と細かく数値が表示されている。多分、というか、確実に俺のアバターの身体データだな。
見たところ身体測定の時の数値とほぼ変わらなさそうで、これでよしとしておく。
「おう」
〈では、世界設定をご説明します〉
「設定とか言うなよ」
見も蓋もない言い方に文句を言うが、それは聞き入れられず、響く声は説明を始めた。
長いので要点だけを纏めると、幾つかの島があるらしい。
それらは海で隔たれていて、渡り合うのは現在は不可能。
プレイヤーは最初に自分の好みの島を選択してそこで生活をする。
一軒家を購入しても良いしアパートやマンションに住むのも良い。当然ホテルに連泊、郊外で野宿もできる。まぁ、最初は10万ガル(ゲーム内での通貨だな。日本円と価値は変わらない)が貰えるんだとか。
そこでログアウト、ログインをする。でないと、アバターが風邪を引いてしまうらしい。
各島には幾つか相違点が存在する。それは文化や生活基準だ。
300年前の日本に似た島。海賊や冒険者が闊歩する島々(諸島)。恐竜みたいなモンスターが生息する島。このみっつだ。
最後の島はテレビや自動車も存在しないらしい。
もうひとつ島があるが、それは普段のプレイには関係ないので今は割愛する。
そのみっつの島でプレイヤーが何をするのかというと、自分を鍛えることだそうだ。
相違点が多い島で、唯一共通する点は塔だ。天を突き抜ける高さの塔が島の中心に存在する。
その説明は実際に塔で受けろってことらしい。
鍛えて何をするのか? プレイヤー間での最強を決める。簡潔に言えばそういうことだ。
月末に開催されるトーナメント制の闘技大会で優勝すれば、優勝したプレイヤーがいる島での物品が一週間割引になったり、モンスターが衰弱したりと得点があり、優勝した本人にはゲームマネーではあるが、賞金が出るらしい。額は大会によって違うらしいが。
更に最大の目玉がある。⋯⋯それは、ゲーム内にいる物語のキャラクターの一人と無条件で行動できるようになるらしい。
知名度を上げなければ彼ら彼女らと親密になるのは非常に難しいらしい。だから、みんなトーナメント戦で勝ち上がり、原作キャラクターとお近づきになりたいんだとか。
〈お分かりいただけましたか? もし、何か分からないことがあれば、もう一度ご説明させていただきます〉
「いや、十分だ。ありがとう」
〈では、島を選択してください〉
ヴゥンと音が左右と背後から聞こえる。視線を向ければ引き戸ができている。扉には文字が立体的なホログラフィーで浮かんでいて、それぞれ『学園島』『冒険島』『破滅島』と書かれている。
『学園島』は300年前の日本のような島。学園物の作品の登場人物が多い。
『冒険島』は冒険物で⋯⋯まぁ、まんまだな。
『破滅島』はモンスターが塔から出てしまった島だ。人間の生息域が数ヵ所に限定されていて危険な島だ。
〈扉を開ければ後戻りはできません。その島で確定します〉
やり直しは不可。入った直後にログアウトしてデータを消して再ダウンロードしても、VRのアカウントが記録されていて扉を開けたところからスタートするらしい。
俺は迷わず右の扉に向かう。
〈『学園島』でよろしいですね?〉
「ああ」
確認の声に頷いて、俺は『学園島』という文字が浮かんでいる扉のノブに手を掛けて捻る。
ガチャっと聞き心地の好い音をならした扉を引いて開けると、広がるのは青空だ。
わたあめのような雲が広がる青い絨毯が扉の向こうにある。それは扉からこちら側へ侵食を始めた。
扉の枠は青に塗り潰され、俺の足元にも青が⋯⋯いや、街並みが広がっている。幾つかのビルに住宅地、大手のショッピングモールに賑わう商店街。憩いの場だろう公園や噴水の広場。走る電車にモノレール。今では骨董品のガソリンで走る自動車やバイク。
学校のような施設。アトラクション満載の遊園地。一際眼を引く天を突く塔。島の全てを一望できる高さの上空に俺の姿はある。
後ろを見ても、上を見ても、左右を見ても、当然前を見てもあるのは青空だけ。キャラクターメイキングをした白い空間は既になかった。
「⋯⋯おい、これどうするんだ?」
〈プレイヤーの通過儀礼です。それでは、よい生活を〉
俺の質問に簡潔に答え、見送る言葉。それが耳に届くと、高度が下がっていく。
結末は見えた。これがプレイヤーの通過儀礼だというのなら、甘んじて受けよう。そう心を固めた。