使い魔のくせになまいきだ。 ~ マガマガしい使い魔 ~   作:tubuyaki

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前回のあらすじ:ルイズはニューカッスルに到着し、ワルドはさらにボコられた。


STAGE 35 戦術家になろう

 アンリエッタからの便りをルイズから受け取った皇太子ウェールズは、中身に目を通すと一瞬険しい顔をした。しかし彼は、その様子を心配そうに見つめるルイズに気が付くと、すぐに笑顔を浮かべて件の手紙を返すことを彼女に約束した。

 

「事情は分かった。あの手紙は、私が何よりも大切にしてきたものではあるが、姫の望みは私の望みでもあるからな。もちろんお返ししよう。手紙を置いてある私の部屋までご足労願いたい」

 

「私共の要望をお聞き届け下さり、有難うございます。ですが殿下、実はもう一つ他にお願いしなければならないことがございます」

 

「何だね?」

 

「その、ここアルビオンに至る旅路を共にし、途中で離れ離れになってしまった私の護衛のことなのですが…… 色々な不運と誤解が重なり、今この城に囚われているようなのです」

 

「何だと? 詳しく聞かせてくれたまえ」

 

 ルイズの口から事情が伝えられると、皇子の一声によって、ワルドはすぐさま釈放された。そして彼は、ルイズたちと共にウェールズの居室へと向かうことに相成った。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「いやはや子爵殿、君には随分と悪いことをしてしまったようだね! だが、言い訳がましく聞こえてしまうかもしれないが、明日にも滅びようとしている我々に使者が送られてくるとも思えなくてね」

 

「殿下は悪くありませぬ。私めが初めから素直に事情を話しておけば良かったまでのこと故、お気になさらないで下さい。むしろ私どもの方こそ、一行のまとまり無き振る舞いにて殿下に余計な手を煩わせてしまったことを申し訳なく思っております」

 

 ワルドはそう言ってウェールズに頭を下げる傍ら、魔王の方をぎらりと睨み付けた。ルイズが船から立ち去ったことで、その身元を保証してくれる者がいなくなり投獄されたワルドは、どうやら彼女を唆した魔王に対し腹の虫が収まらないでいるらしかった。だがその視線に気付かなかったウェールズは、ワルドの発言をもっぱら彼自身について述べたものと捉えたらしかった。

 

「うむ、貴族派の巣窟となったここアルビオンで、素直に王党派への使者と名乗れぬのも無理はない。だがしかし、子爵は本当に演技するのが上手いのだな。私もすっかり騙されてしまったよ。なにせあの船での子爵の口ぶりや態度と来たら、下賤な貴族派そのものであったからな。後で我々の正体を知った君の口から、トリステインの衛士隊長なのだと言う話を聞いた時も、君が祖国を売りに大陸を渡ったのだとしか思えなかったぞ。私には君が裏切者の目をしているように見えたのだよ!」

 

「いやいや、私めの演技など、殿下の足元にも及びませぬ。殿下のあの船での立ち振る舞いは、とても王族とは思えぬ程に下品下劣で、粗野な空気に満ち満ちておりました。普通、貴い血の方が下々の者に扮しようとも、その気品の高さはなかなか隠しきれるものではございません。しかし殿下の扮する空賊からは高貴さの欠片も漏れてこぬゆえ、中身まで見た目通りのものかと、私も騙されたのでございます。今でもあの空賊がアルビオンを統べる正統な権利を持つお方であるとは、到底信じらぬ思いでございます」

 

「君も言うではないか! ハッハッハッハ!」

 

「そういう殿下こそ! フッフッフッフ!」

 

 二人とも、口で笑いながら目が笑ってはいない。ルイズは顔色を青くしながら、二人にどう声を掛けたものかと戸惑った。

 

「さて、冗談はこれぐらいにして君たちを我が居室に案内しようではないか」

 

「そうですな。これ以上やると、私の婚約者の心臓に悪そうだ」

 

「ほう! そこなラ・ヴァリエール嬢は、君のフィアンセであったか!」

 

「へ? ええっ?」

 

 突然に険悪な雰囲気が霧消して眼ををぱちくりさせるルイズに、ウェールズはにやりと笑い掛けた。

 

「どうだい? アルビオン王家自らによるアルビッシュ(アルビオン流)・ジョークは楽しんで頂けたかな?」

 

 呆気に取られて理解の追い付いていない様子のルイズに、ワルドも説明を加えた。

 

「ルイズ、ここアルビオンでは際どいジョークで物事を笑い飛ばす風習があるのさ」

 

「なによワルド、脅かさなくたっていいじゃない! 心臓が止まるかと思ったわ!」

 

「ハハ、すまない。でもいい経験になったろ?」

 

「もう……!」

 

 顔を赤らめたルイズに、魔王もそっと小さな声で囁いた。

 

「世を見渡せば、この手の文化はままあるものです。こうやってジョークにのせて、普通なら言えないようなホンネをぶつけ合うのです」

 

「そうなの? トリステインではここまでやるのは考えにくいことね。こうやって、本音を……え、本音?」

 

 ルイズが絶句したところへ、ウェールズが丁度よく声を掛けた。

 

「さあ、ラ・ヴァリエール嬢。大した部屋ではないが、どうぞ中へ入ってくれたまえ」

 

「ルイズ、何も遠慮することはないぞ。なんせ、他ならぬ皇太子殿下のご厚意であるのだからな。さあ!」

 

 ルイズの胃は、きりきりと痛み始めた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ウェールズの住まう部屋は、王族のものとは思えぬほどに狭く、簡素なものであった。置かれた机と椅子は、実用のためだけを考えて作られたような装り気のないものであり、ベッドに至っては粗末とさえ言えるほどの代物であった。唯一飾り気のあるものといえば壁に掛けられたタペストリーぐらいなものだが、そこに描かれているのは戦場の様相であり、そのことからもこの城におけるウェールズ皇太子の質実な暮らしぶりが伺えた。

 

「大使殿を歓迎出来るような部屋ではなくて済まないね。王都にはもっと立派な部屋があったのだが、生憎ここまで追いやられてからはご覧の有様なのだよ」

 

「苦労なさっておいでなのですね」

 

「うむ。戦争とは常に苦労の絶えないものだ。まして劣勢の身であればなおさらだ。だが私は、存外この部屋が気に入っていてね」

 

 ルイズはその言葉に、思わず目をぱちくりさせた。彼女が見る限り、この場所は学院に設けられた寮塔の一部屋にも劣るように思われたからだ。

 

「それはまた、一体どうしてですか?」

 

「団結だよ」

 

「団結、ですか?」

 

 首を傾げそうになっているルイズへ、ウェールズはその言葉の意味するところを語った。

 

「今まで私は、軍務中はともかく城に帰れば王族としての特別な扱いを受けてきた。当然、そのこと自体は理解出来るし感謝もしている。しかしこうして、自分で言うのもなんだが質素に暮らしていると、私と志を同じくして苦労しながらも忠誠を尽くしてくれる臣下たちと、より深く通じ合える気がするのだよ」

 

 そう語る皇子は、僅かばかり愉快そうな笑みを浮かべていた。

 

「確かに、此度の内乱で王家から離れていった者は多い。だが、我々の元に残った者たちとの絆は、より一層深まった。それこそが、劣勢にも関わらず今日まで我々が戦い続けてこられた理由の一つなのだよ。明日はそれを示すに良い機会だ。決戦を前に運よく火の秘薬も手に入ったことであるし、反徒どもの目に本物の忠誠と信頼から生み出される力を見せ付けてやることが出来るだろう」

 

「殿下……」

 

 ルイズは彼の言葉を聞いていて悲しくなった。確かに君臣の間の揺るぎなき忠誠と信頼とが示されるのは素晴らしいことかもしれないが…… それと引き換えに、彼らはみな命を失うことになる。

 自分とそう年頃も変わらぬこの若き王子は、これから勝ち目のない戦に挑もうとしているのに、どうしてこんなに明るく振舞えるのだろうか? こんなにも情に厚く慈しみ深い殿下に、その先の未来がないなんてことがあっていいのだろうか? ルイズの心中には、そんな思いが渦巻くのだった。

 

「おっと、すまない。早く手紙を返さなくてはな」

 

 ウェールズはそう言うと、机の引き出しから宝石を散りばめた小箱を取り出し、その錠を解いた。箱が開けられると、その内側からアンリエッタ姫の小さな肖像画と、件の手紙と思しき封筒が姿をのぞかせた。ウェールズは封筒にそっと口づけをしてから中身を取り出すと、その文面を目で焼き付けるように、じっくり読み返し始めた。手紙は、その折り目がよれよれとなり、不用意に扱えば簡単に破けそうに見えるほどくたびれていた。ルイズは、そんなボロボロの手紙を愛おしそうに扱うウェールズの姿を見て、堪らなくなった。ウェールズは手紙を読み終えると、丁寧にそれを封筒へと仕舞い込んで、ルイズに差し出した。

 

「待たせたね。この通り、姫から頂いた手紙をお返ししよう」

 

「かたじけなく存じます」

 

 ルイズは首を垂れ、恭しく手紙を受け取った。彼女は手紙を手にしてもそれをすぐに仕舞い込むことはせず、しばらくの逡巡の後にウェールズに問いかけた。

 

「殿下、その…… 王軍に、勝ち目はないのですか?」

 

「万が一にも勝ち目はない」

 

 ウェールズは、その瞳に微塵の揺らぎも感じさせない表情のまま、淡々と答えた。

 

「我らが三百の軍勢に対し、敵は五万。これだけの戦力差がある以上、勝敗を覆すことは叶わない。だがもちろん我々もただでやられるわけではない。我が物顔でこのアルビオンにのさばるレコン・キスタどもを畏怖せしめるべく、しっかりと奴らの数を減らしてから朽ち果てるつもりだとも」

 

 ルイズはそれを聞いて、自問せざるを得なかった。このような目の前の悲劇を、自分は指を咥えて見ていることしか出来ないのだろうか? 一人の誇り高き貴族として、何か皇子にして差し上げられることはないのだろうか? 

 

 この城に来るまで、手紙を返して貰うという使命に頭が一杯だった彼女は、いざその手紙を手にした今、大きな虚しさを感じていた。

 

 私はなぜ、危険を冒してまでここに来たというのか? 私に出来ることは、私が姫殿下に託されたこととは、ただただ手紙を返して貰うこと、本当にそれだけに過ぎないのだろうか? 自分の全うすべき役割が、まだあるのではないか?

 ルイズが頭の中でぐるぐると考えを巡らせる中、魔王が呑気な様子で口を挟んだ。

 

「フム、彼我の戦力差、300対50000ですか。これはもうアレですな。もはや取るべき戦法は、一つに定まったもドーゼンですな」

 

「おや使い魔君、君には用兵の心得があるのかね?」

 

 ウェールズが意外そうに言う傍ら、ルイズは顔をしかめていた。

 

「ちょっとアンタ、知った風なことを言って殿下に失礼でしょう! いいから黙ってなさい!」

 

「いや、私は気にせんよ。例え使い魔であろうとも、我らの元に訪れた客人であることに変わりはない。遠慮などしないでくれたまえ」

 

「で、殿下がそうおっしゃるのなら……」

 

 本当にそれでいいのだろうかと、ルイズは迷いながらも口を閉ざした。

 

「それで君、先ほど言い掛けていたことの続きを聞かせてくれたまえ。敵は圧倒的多数だ。もはや勝ち目のない、絶望的な状況に我らは陥っている。君ならこれを、どうやって戦うのかね?」

 

「フハッ! そんなに聞きたいですか? フハハッ!」

 

 ああ恥ずかしい、やっぱりこいつの口を縛り付けておくべきだったと、早くもルイズは後悔し始めた。

 

「そもそも前提がオカシイのです。あなたは負けを確実視しておるようですが、とんでもない!」

 

「なに? それは一体どういうことだ」

 

 皇子の問い掛けに、魔王はマガマガしくも不敵な笑みを返した。

 

「私にはあります。あのニンゲンどもの軍勢を前に、勝利の絵を描くチカラがあります!」

 

「そんなバカな!」

 

 それまで成り行きを静かに見守っていたワルドが、たまらず声を上げた。

 

「君にはこのアルビオンの情勢が分かっていないのか? 今この状態から王軍が貴族派を打ち破ることなど、伝説のガンダールヴであろうとも不可能な仕業だろうに!」

 

 彼が声を荒らげる中、皇子ウェールズも予期せぬ魔王の言葉にただただ困惑している様子だった。

 

「我々が勝利だとは、ずいぶんと大きく出たものだな! しかしそこな子爵殿も言っている通り、我々の立場は絶望的なものだ。それこそ伝説の始祖の御使いの力を借りても勝てるかどうか怪しいものだ。それでも君は勝算があるというのかね?」

 

 訝しげな表情を浮かべる皇子に対し、魔王は自信に満ちた声で言った。

 

「私の読み通りに戦局が動いてくれれば、9割ほどで!」

 

 ワルドもウェールズも、そんなまさかというように顔を見合わせた。

 

「使い魔君、どうやら君の考えは、私には到底思いも付かないものであるのようだ」

 

「無理もありません。これはとある国の軍師が地道な努力の末に考え出した、チートのような戦法なのです」

 

「む、狡賢いやり口だったりするのか? して、その戦法とは?」

 

 魔王は、ユカイで堪らないといった様子で、こう答えた。

 

「包 囲 殲 滅 陣 で す !」

 

 皆が呆気にとられる中、魔王は得意げにその戦法の詳細を語り始めた。

 

「これは超重量の荷車に轢かれた者のタマシイが神様に導かれ、特典やら何やらを貰って流れ着くという異界の国ナロウの古文書に書き記されたサイキョーの戦法です。著者名は確かゴッツ・ゴーシュギとか言いましたかな? ともかくやり方はこうです。先ずこちらの軍勢を3つに分けます。中央が防戦でもちこたえている隙に、こちらの精鋭部隊の右翼と左翼が敵両翼を突破。そのまま敵中央の真横と背後につき、包囲網を完成させる…… 包囲殲滅陣。これが、私が描いた勝利の絵で「なに言ってんのよバカぁ!バカぁ!こんの大馬鹿ぁ!」ブヘェッ!!」

 

 ルイズにしこたま殴られた魔王は、大きくよろめいてビダンと床に倒れた。ワルドはその様子を見て、呆れながらに言った。

 

「なるほど、おそらくその戦法では瞬きするほどの間に全滅するだろうな。包囲した側が」

 

「そもそも、たった300人で5万人を囲えるのか?」

 

 魔王の珍戦術は、戦を知る二人からも全否定を以って迎えられた。

 

「あ、あんたって奴は……!」

 

「あれ、また私なにかやっちゃいました?」

 

 今なお怒りでふるふると震えているルイズをよそに、魔王は叩かれた頬をさすりながらも満足げであった。

 

「いやあ、なんというんですかね。こういうセリフ、一度で良いから言ってみたかったんですよね。やっぱり、ちょっと賢いフリってしてみたいじゃあないですか」

 

「何も殿下の前でしなくてもいいじゃない!」

 

 ルイズは羞恥のあまり、顔を真っ赤にして泣きそうになっていた。

 

「殿下、本当に、本当に申し訳ございません!」

 

「いやいや、気にしてはおらんよ。しかし何だ。君はなかなかに愉快な使い魔を持ったようだな」

 

「お恥ずかしい限りにございます」

 

「おやルイズ様、今のは私ホメられたんじゃあないですか?」

 

「黙れ」ドンッ!

 

 殺気交じりに拳を叩き付けたルイズへと加勢するように、ワルドも魔王へと忠告を与えた。

 

「そうだぞ使い魔君。これ以上不真面目なことを言ってルイズを困らせるようならば、分かっているのだろうな」

 

 彼はそう言いつつ、魔王を剣呑な目で睨み付けた。しかし魔王は、そんな彼を嘲笑うかのように言い返した。

 

「ホホウ、そうですか。ではお望み通り、これからはジョーダン抜きにして言わせて貰いましょう。しかし、分かっているのですか? この私にマジメなことを口走らせるということの意味を!」

 

「何が言いたい!」

 

「まあまあ、二人ともそう熱くならずとも良い。元々無茶を言った私が悪いのだ。どんなに頭を巡らそうとも結局は同じこと。どう這いずり回れば死に様がより良くなるかということは、いくら考えても詮無きことであるのだからな」

 

「殿下……」

 

 悲劇的な己の未来を飄々と語る皇子に、ルイズもワルドも押し黙った。しかし魔王だけが、それらをまるで気にした様子もなくウェールズへと語り掛けた。

 

「そうでもありませんぞ。歴史上、少ない兵力で大軍を打ち負かした例もあります。戦い方さえマチガえなければ、相手に大出血を強いることも出来るでしょう。よしんば勝てずとも、後は我々に任せれば良いのです! 私とルイズ様とで、必ずやアルビオンを征服して見せましょう!」

 

「こら! 魔王!」

 

 ルイズは慌てて魔王を黙らせようとしたが、言われた皇子は気分を害すどころか、むしろ愉快そうにくっくと笑いを堪えていた。

 

「ミス・ヴァリエール、私は一目見た時から気にはなっていたのだ。君の使い魔は一体、何の亜人なのか……? だが、なんと魔王だったというのかね?」

 

「ええと、その……」

 

 言い淀んだルイズに代わり、魔王本人が元気よく返事を返した。

 

「モチロン、その通りです!」

 

「ブフッ! いや、すまない。なるほど、反徒どもが我らを倒しても、後には魔王殿が立ち塞がるというわけか! 何とも壮大で頼もしい限りではないか。これで我々も、明日は安心して死んでいけるというものだ」

 

 おどけた調子で言うウェールズに、魔王は至極真面目なつもりで返答した。

 

「そう安心されるのもそれはそれで困りますね。ただでさえ、あなたたちの戦力は貧弱貧弱ゥ! とあざ笑われても仕方の無い数なのです。そう簡単に死なれては、世界征服の競合相手たるレコン・キスタの数を減らせないではないですか」

 

「おや、これは手厳しい!」

 

「当然です。ニンゲン同士、長々とつぶし合ってくれることこそが世界征服への近道ですからな」

 

 ルイズは再び魔王の口から爆弾のような発言が飛び出したことにくらくらした。ワルドも今の発言を聞いて口をあんぐりとさせている。

 

「魔王、お願いだからちょっと黙っていて! あんたの真面目は、他人にとっての不真面目なのよ!」

 

「何をおっしゃいますか、破壊神様。我々、世界征服のためにワザワザここまで来たのではないですか」

 

「手紙を返して貰うためよ!」

 

「ミス・ヴァリエール! 君は破壊神だったのかね!? こ、これは、人は見かけによらないものだ! ハハハハハ!」

 

「殿下!」

 

 リンゴのように顔を赤くしたルイズを前にして、ウェールズは酷く笑い転げた。どうやら今のやり取りが、彼のツボに入ったらしかった。ウェールズはお腹を抱えながら息を整え、ようやくのことで魔王に話し掛けることが出来た。

 

「随分興味深い話を聞けたものだ! すると私と君の望みは図らずも一致しているというわけだな! 私は出来る限り奮戦して、一人でも多くの反徒共を倒したい。君は君で大きな野望のために、あいつらの数を少しでも減らして欲しいと!」

 

「まあ、そうなりますな。ですから、お望みとあらば私はいくらでも協力致しますぞ。まあ、お望みでなくてもイロイロ喋っちゃいますが」

 

 相変わらずな魔王の一言一言にお腹を抱えるウェールズを見たルイズは、もうどうにもでもなれと、魔王への注意を諦めた。

 

「それで皇子殿は、具体的にはどのように戦うつもりなのですか? 先ほどは火の秘薬がどうとか言っていましたが?」

 

「うむ、大砲を撃つのに火の秘薬は欠かせぬからな。城壁の上に設けられた砲台から、撃てるだけ撃ち込んでやるつもりだ。やはり我々が戦うとなると、相手に勝っているのはこの城と兵の練度ぐらいなものだからな。だから我々も、それを頼みに戦うつもりでいるのだよ」

 

「なるほど、確かにこの城に入る時に堅牢そうな城壁がソビえておりましたな」

 

「ああ、堅城として名高きよく出来た城だとも。そもそも立地からして良い。ここは岬の突端であるから、敵の軍勢はこの城に一方向からしか近付けぬ。だから我々は背後を気にすることなく、安心して目の前の敵に集中出来るのだ」

 

「それで迫り来る敵を撃ちまくるというワケですな?」

 

「ああ、そうだとも。我ら王軍は一糸乱れぬ統率の元に大砲と魔法の射撃を繰り返す。反徒どもは弾と魔法の飛び交う嵐の中を進まねばならず、そして城の前に辿り着いてなお、そこには高くそびえる城壁が待ち構えることとなるのだ」

 

「ほう、それはナカナカの損害を敵に与えられそうですな」

 

「ああ、我らの数は少ないが、その10倍の働きはして見せよう」

 

 それを聞いて、ワルドは驚きの声を上げた。

 

「10倍! なかなかに野心的な目標でありますな。殿下、それほどまでにこの城は堅く、また王軍の士気は高いという訳ですかな?」

 

 ウェールズは彼ににやりと笑みを返した。

 

「それだけではない。何とも都合の良いことに、迫り来る敵の数だけは無駄に多いからな。大軍にとって、この岬は進むに狭かろう。故に敵方は、この城に近づけば密集していくこととなる。つまり我々にとっては、それがそのまま恰好の的となるのだ。どこへ撃っても、必ずその先に敵がいて当たろうとは、着弾を観測する手間が省けようというものだ」

 

「……反徒どもも、なかなかの犠牲を強いられそうですな」

 

「ああ、そうでなければ困る。我らは文字通り命を尽くして戦う訳だからな。何より栄えあるアルビオン王家の滅亡を決す戦いだ。父祖代々の誇りに掛けて、相手に楽はさせられんよ」

 

 皇子は明日の戦いを思って気が高ぶったのか、言いながらにしてその眼光を強めていた。

 

「すばらしい!」

 

 魔王はパチパチパチと、一人盛大な拍手を送った。

 

「相手を少数と侮り余裕ブッこいて近づいて来る敵勢は猛攻に晒され、その考えの甘さを噛みしめながら朽ち果てていくというワケですな? なんともマガマガしい限りではないですか」

 

「ふむ、それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」

 

「モチロンです。私どもにとっては、最大級の賛辞ですとも」

 

 ウェールズはそれを聞いて興味深そうに唸った。

 

「そうなのか。マガマガしいことが称賛されるとは、亜人文化の理解は難しいな。いやしかし、考えてみると戦争とはすべからくマガマガしいものであるのかもしれないな」

 

「それは確かに、殿下の仰る通りかもしれませぬ」

 

 ワルドもウェールズの言葉に同意を示した。

 

「さて、それで?」

 

 魔王はなおも興味津々といった様子で、ウェールズに尋ねた。

 

「その後はどうなるのですか? 大砲を一方的に撃ってオシマイというワケでもないのでしょう?」

 

「うむ…… まあ、確かに問題はその後だな。いくら我々が苛烈な砲撃を加えようと、それで撃ち尽くせぬ程に敵の数は多い。相手に多くの犠牲を強いるとはいえ、城壁もしばらくすれば破られよう。こればかりは多勢に無勢、どうしようもない」

 

「それで、どうなってしまうのですか」

 

 ルイズは声を震わせながら聞いた。

 

「いくら堅固な城とて、ひとたび敵の侵入を許せば後は脆いものだ。そうなったが最後、もはや多くの敵を討ち取ることは叶うまい。一人また一人と、倒されていくのみだ」

 

「ほう? では城壁を破られた後は、ノープランということですか?」

 

 無礼ともいえる言葉にルイズはハラハラしたが、ウェールズは難しい顔をしながらも律儀に魔王の質問へ答え続けた。

 

「敢えて言うなら、この城が廃墟と化すまで戦い抜くのみだ。城内は城壁と比べると心もとないが、それでも我々にとっては勝手知ったる我が城だ。攻め入る敵兵よりも地の利はある。それにレコン・キスタにとっても結果は知れたこの戦、あえてこの最後の局面で命がけの働きをしようと望む貴族らも少ないであろう。それゆえ最も危険な前線で攻城を果たすのはまずもって平民の傭兵に違いない。それに対し、我々は兵の数こそ少ないが、みな貴族だ。であるからして、せいぜい魔法を駆使して足掻くのみさ」

 

 傍からそのやり取りを聞いていたルイズは、意外そうに声を上げた。

 

「殿下、明日の戦では相手の貴族たちは腰が引けて出てこないというのですか?」

 

「おそらくそういうことになろう。無論、前線の近くに控えてはおろうが、わざわざ我らの魔法の狙いが定まるような距離までは近付くまい。最後の戦いで死ぬようでは、せっかくの戦勝もその恩恵が台無しだからな」

 

「しかし、それでは…… 相手が平民の兵だけでも、苦戦は免れ得ないのですか?」

 

 ルイズの素朴な疑問に、ウェールズは首を振った。

 

「ミス・ヴァリエール、平民の力を侮ってはいけない。いくら一対一では我ら貴族が平民を圧倒しようとも、戦場では数こそが力なのだ。ましてや相手は戦に飢えた傭兵たちだ。我々が一つ魔法を唱える隙に、相手方は何十もの矢を浴びせかけて来よう。それが一瞬ではなく、前線に立つ限り絶え間なく続くのだ。加えて、平民の中にもいくらかメイジは混ざっていて、魔法を浴びせかけてくる。到底、耐えきれるものではない」

 

 それからウェールズは、少し言い淀んでから言葉を付け加えた。

 

「正直に言おう。『我らの軍勢はメイジだけで出来ている』そうと言うと聞こえは良いが、実際は平民の数が圧倒的に足りぬのだ。魔法詠唱中の我らの身を守る平民がな。如何に強いメイジといえど、詠唱中は無防備になるものだ。伝説に拠れば、かの始祖とても詠唱の間には、その身を守る強き使い魔を必要としたと言う。ましてや我らは、いくら研鑽を積もうともその足元にも及ばぬ身だ。故に我らは戦となれば、平民の兵を、傭兵をかき集めねばならぬ。いくら我々が選りすぐりのメイジを抱えていようとも、詠唱中の身を守ってくれる傭兵の部隊がいなくては戦いにならないのだよ。メイジだけでやりくりするにも限界はある」

 

 そう言うと、ウェールズは軽くため息をついた。

 

「だがもはや趨勢が決した今、いくら金を積もうとも我らに付く傭兵はいないからな。メイジの一番の弱点たる詠唱中を突かれて、我らは息絶えていくことになろう」

 

「ふむ。カナしい末路ですな」

 

 魔王がしれっとそんな言葉を返す一方で、ルイズは大きく嘆き憂いた。

 

「そんな! 殿下は、悲壮なる決意を胸に決戦へ向かおうとしておられるというのに、誇り高きメイジらしく魔法に討たれて死ぬことすら叶わないのですか?」

 

 そんな彼女の言葉に、ウェールズは首を振って答えた。

 

「戦争とはそういうものだ。決闘のように貴族同士で魔法の腕を競い合うようなものではないのだよ。我々が戦場でその身の上を誇るとすれば、それはただ命果てるその時までに、いかに苛烈に戦い抜いたかを以って示すしか無い。名も無き傭兵の矢に、弾に、刃に倒れ、地に沈むこと。これが滅亡する王侯貴族の必然なのだ」

 

 ルイズは声を張り上げた。

 

「殿下! 殿下はこれまで、もう十分にお戦いになられたのでしょう? どうか、トリステインにお逃げ下さいませ!」

 

「ルイズ!」

 

 それはまずかろうとワルドが制止しようとするも、ルイズは一歩も退く様子を見せなかった。

 

「殿下、どうか私たちと共に……!」

 

 ウェールズは重々しい口調で彼女に語り掛けた。

 

「何を言う、ミス・ヴァリエール。君は今、トリステインの大使であろう。そのような言葉を軽々しく口にして良いものではない」

 

 それでもルイズは引き下がらなかった。彼女の胸の内は、悲劇的な最期を迎えようとしているウェールズを救いたい、またこのままでは悲嘆に暮れるであろうアンリエッタの望みを叶えたいという、その思いで一杯であった。

 

「畏れながら申し上げます。私は幼少のみぎりより、アンエリエッタ姫殿下と親しくさせて頂いておりました。ゆえに姫殿下が何を望んでおられるか、私にはよく分かるつもりでございます。確かに今、殿下からこの手紙はお返し頂きました。しかしお渡しした手紙にしたためられていた姫殿下の願いとは、本当にそれだけなのでございますか? 私には到底そうとは思えません!」

 

 ウェールズは固い表情のまま答えた。

 

「何を言いたいかは知らぬが、姫殿下は己の立場を違えた言葉など書いてはおらぬ。亡命は姫の望むところでも、ましてや姫のためになることでもない」

 

「殿下!」

 

 ウェールズの苦しげな言葉の端からは、それが嘘であることがありありと表れていた。だが同時にそれは、王家の義務を果たさんとする彼の意思が、もはや揺るがぬ域にまで固まっているということをも示していた。

 ルイズは、アンエリエッタの望みを果たすためであれば命も惜しくない覚悟でここまで来た。そんな彼女は、自分が肝心なことは何一つ果たせない、殿下を救い出すことも、姫殿下の憂いを払うことも出来ないという思いに駆られ、悔しさと悲しみの涙を目に浮かべた。思い嘆くルイズに、ウェールズはふっと笑いかけた。

 

「君は本当に真っすぐで正直なようだね。アンリエッタが君を信頼したのも頷ける。だが注意しなさい。それでは大使は務まらぬ。もっとも、滅びゆく我らへの使者としては適任だったかもしれない。名誉以外に背負うものの無くなった政府は、誰よりも正直になれるだろうからな」

 

 どうか分かっておくれというように、ウェールズは涙を流すルイズに微笑みかけた。

 

 そんなしんみりとした空気とは裏腹に、相変わらず魔王はひょうひょうとしていた。

 

「さて皇子殿、改めて聞きますが、本当に相手するのは平民だけなのですね?」

 

「うむ、我々が余程しぶとく粘らぬ限り、少なくとも爵位を誇るまともなメイジは最前線まで来たがるまい。傭兵に身をやつしたメイジもいないではないが、王軍に比べれば練度もそこまで高くはない。有能なメイジならば、そうそう爵位を失ったりはしないものだからな」

 

「ナルホド。それで、その平民相手に数でもって押し負けてしまうと」

 

「その通りだ」

 

「よーく分かりました。するとゲンジツテキには、城壁を破られた後はとにかく包囲殲滅の逆を行くことになりそうですな」

 

「ほう? 続けてみたまえ」

 

 ウェールズに促されて、魔王は彼自身の見立てを語った。

 

「城壁が破られたら、きっとあなた方は敵から包囲されるのを避けながら戦うことになるのでしょう? 自分たちが包囲殲滅されては事ですからな。敵に囲い込まれぬよう、障害物が多い場所や狭い場所へ移動し、少数対少数の戦いに持ち込み続ける。そうすればこちらは数の不利に悩まされることなく、またメイジとして平民を圧倒する戦いを続けられるのではないですかな?」

 

「うむ、今度はマシな見解で安心したよ。確かにそうなってくれれば理想ではある」

 

 ウェールズは含むところがありそうな様子ながらも、魔王の意見に一応の賛意を示した。

 

「だが現実には、なかなかそうも言っていられないものでな。城壁の突破を許すということは、城内へと敵が一挙に押し寄せるということでもある。そうなると数に劣る我々には、もはや包囲されぬように立ち回る余裕自体がなくなっていくであろう。もし仮に、城壁に勝るとも劣らぬ防御地点が城内にあるならば、突破されそうになった城壁から早めに撤退して城内戦に備える手もあろうが…… まあ、ないものを考えてもしょうがないな」

 

 魔王はそれを聞いて、目を怪しく輝かせた。

 

「諦めるのは、本当にまだ早いかもしれませんぞ」

 

「また何か思いついたのかね?」

 

「城の内が戦うのに適さないというのなら、新たに造って用意すれば良いのです。そう、地下を掘って! 延々と続くジグザグな道を掘って、そこに皆が待ち構えて戦うのです」

 

 ルイズははっと息を飲み、ワルドは真顔になった。魔王の意図するところの全容を未だつかみかねているウェールズは、難色の言葉を返す。

 

「うむ…… 言いたいことは分かる。地下陣地を構築し、そこに立てこもって、敵を引き込みながら戦えというのだろう? 確かに悪くはない発想だ。狭い場所で少数の手勢同士が面と向かい合ったならば、錬度の高いメイジが平民を相手に負ける道理はないからな。しかし、惜しいことにそれは出来ぬのだ」

 

「ナゼです?」

 

「結局、人手が足りぬ。時間もだ。そのような場所を設けるには、トンネル掘削の経験があるトライアングル以上の土メイジを掻き集めて穴を掘らねばならぬ。素人が掘っても崩落して味方が死ぬだけだからな。しかし我々には人手ばかりか、残された時間すら少ない。戦闘に従事している土メイジたちの中から穴掘りの要員を引く抜くことすら惜しい状況なのだ。砲撃で傷ついた城壁を補修するにも、土メイジの手を割かねばならぬ。故に、その戦い方は諦めるしかない。決戦を前にして、土メイジを大きく疲弊させる方が手痛いのだよ」

 

「ホウ? つまりあなたたちでは、地下に穴を張り巡らせるのは不可能だというのですね?」

 

「残念ながらその通りだ。我々は300しかおらぬ。しかし300もいるのだ。その我々全員が潜んで戦い続けられるほどの長大な穴を、そう簡単に用意することは出来ぬのだ。使い魔君、君のアイデアは決して悪くは無かった。しかしもはや死に体の我々には、それをやるだけの力も、時間も、もう残されてはいないのだよ」

 

 ルイズは既に、魔王が何を狙ってこんなことを話し続けたのか、はっきりと理解していた。理解した上で、ウェールズが口惜しそうに話すのを見て、彼女はもう居ても立ってもいられなくなった。ルイズは自らの内なる情動に突き動かされ、思いのままに口を開いていた。

 

「殿下、お願いでございます! 私めにも、殿下の戦いへ協力させて下さいませ!」

 

「何を言うのかね、ミス・ヴァリエール! 君はトリステインの貴族だ。アルビオンに関わる謂れは無かろう!」

 

 驚きながらも強い否定の言葉を吐いたウェールズへと、ルイズは必死に言い縋った。

 

「何をおっしゃいます! 始祖に連なりし王家は、例え国が違えど我ら貴族の崇め奉るところにございましょう? ましてや殿下は、アンリエッタ姫殿下にとっても大事なお方にございます。姫殿下の名代として訪れた私が、代わって殿下のお力に成りたいと願うこと、それがどうしておかしなことがありましょうか!」

 

 むむと、ウェールズは少しばかり口ごもった。アンリエッタがここにいたならば、確かにそのような望みをぶつけるであろうと、彼自身思ったのかもしれなかった。

 

「アンリエッタ姫殿下は、ただただ愛すべき人を失いたくないと願っておられるはずです。このまま殿下を失うことで、姫様がどれだけ嘆き悲しまれることか…… しかし、それでも殿下は、王家としての責務ゆえに亡命なさらぬのだと言います。ならば、せめて…… せめて殿下のために、私の力を使っては頂けないでしょうか?」

 

「しかし、君はトリステインの大使であろう! 役目を違えてはならぬ」

 

「その通りだ、ルイズ。ここは少し落ち着くんだ」

 

 ワルドも横から口を挿み、ルイズを止めようとしたが、彼女は止まらなかった。それまで皇子の話を聞きつつ彼やアンリエッタ姫のことを憂い、悲しみをこらえてきた彼女は、その思いの丈を切々と皇子に訴えかけた。

 

「殿下、確かに私は大使の任を帯びてここに参りました。本来あり得ないことです。ヴァリエール家はトリステイン王家の傍流であるとはいえ、私自身は所詮、学生に過ぎぬ身の上なのですから…… それにも関わらず姫様が私に使いを託されたのは、姫様に代わってその真の思いを伝え届けるためだと思うのです。ですから本当は、どうあっても殿下を引き留めたく存じます。生きる望みの無い戦場へ向かわれるのではなく、我が国へと…… しかし、こうして殿下のお話しされる様を見て、その決意は固く揺るがないものだと分かってしまいました。もはや私にはどうすることも出来ません。それが悔しくてならないのです」

 

 声を震わせながらのルイズの話に、ウェールズは黙って耳を傾け続けた。

 

「このまま、殿下のお命が失われると知りながら、何もすることが出来ずに国へ帰っては、あまりに忍びなく存じます。それに、もしここへ来たのが姫様であったならば、何もせずに帰ろうことなどあり得ません。 殿下が亡命を受け入れて下さらないというのならば、そしてこの地で命を散らすと言うのであれば……! せめて、せめて私めにも殿下の最後の戦いのお手伝いをさせて下さいませ! ここに来ることの叶わぬ姫様からの手向けと思い、私の力をどうかお使いくださいませ!」

 

 ルイズの訴えを聞き終えたウェールズが、彼女に言葉を返した。

 

「ミス・ヴァリエール。君の誇り高き在り方に敬意を表す。窮した我々を助けようという優しさ、アンリエッタのために尽くそうという友情と忠義。そして、自らの危険を顧みず、誇り高き貴族としての在り方を貫かんとする勇気。そのどれもが、何物にも変え難き君の美徳だ。そして、そんな君だからこそ…… この危険な戦いに巻き込むわけにはいかぬ」

 

 ウェールズの真剣な表情に、ルイズは溢れ出しそうになる感情を堪えつつ、黙ってその続きを聞いた。

 

「我々がなにゆえに、滅びると知りつつ勝ち目のない戦いへと赴くのか? その理由の一つは、まさに君たちのような者をレコン・キスタの魔の手から少しでも遠ざけるためなのだ。我らはここで死すとも、レコン・キスタに痛手を負わせ、その歩みを押し留めることは出来る。奴らはその歯止めの効かぬ欲望ゆえに、やがてはトリステインへ襲いかかる日が来よう。だが、その時を一日でも遅らせられるというのなら、トリステインの人々が一日でも多く平穏な日々を過ごし、また来るべき日に備えるための時間を稼ぐことが出来るというのなら、我々は喜んでこの身を捧げる覚悟でいるのだ。ミス・ヴァリエール、君の申し出は感謝に堪えない。私と命運を共にする騎士たちも、君のような素晴らしい心を持つ者がトリステインの未来を担っていくと知れば大いに喜ぶだろう。だが、そんな君だからこそ、ここは我々に任せて貰いたいたいのだ。君には、我々の守るべき一人として、これ以上の危険に晒されることなく帰国への途に付いて欲しいのだよ」

 

 ウェールズの思いを聞き届けたルイズは感激しつつも、ここが正念場とばかりに表情を引き締め、努めて落ち着いた口調で話し始めた。

 

「殿下、ここに残るという貴方の真意をお話し下さり、ありがとうございます。殿下にそこまで思い計らって頂けるとは、我々は幸せ者にございます。ですが、今のお話を聞いて私はますます殿下の戦いに力を添えねばならぬと確信いたしました。これは、単なる私のわがままや気の迷いなどではございません。これは、始祖より特異な力を授かった私に与えられた使命と思うからこそ、こうして殿下にお願い申し上げるのでございます」

 

「ミス・ヴァリエール、君はいったい……?」

 

 ウェールズは困惑しながらも、ルイズの口ぶりから何事か自分には思いもよらぬ事情があることを察したらしかった。

 

「殿下。私も、ただのしがない一メイジとして殿下の元に立ったのでは、なんのお役にも立てないことを重々承知しております。しかし何の因果か私には、今まさに殿下が必要とされているもの、それを用意するための力があるのでございます」

 

「それはもしや、君の使い魔君が語っていたことと関係があるのかね?」

 

「その通りにございます」

 

 ルイズは力強く答えた。

 

「先程も言いました通り、私はただの学生です。それも、使い魔を召喚するのがやっとのメイジで、トライアングルやスクウェアのごとく敵を鮮やかに屠ることは叶いません。それでも私はここへの道すがら、物取りや傭兵に襲われつつもそれらを返り討ちにし、また5万もの数から成るという貴族派の軍勢の目を盗んで、この城まで辿り着くことが出来ました。それを成し得たのはひとえに、私の持つ特別な力ゆえのことなのでございます」

 

 ウェールズはそれを聞いて、半ば納得したように言った。

 

「確かに、不思議には思っていたのだ。君たちが果たしてどうやってこの城までやって来たのか? 我々に捕まった子爵と違って、君らは早々に船から逃げ出したからな。だがあのような小舟では、とてもではないがこの城に至る長い航路を耐えられまい。かと言って、地上にはレコン・キスタの大軍がひしめいている。貴族派と関わりなき者が陣中を素通り出来るはずもない。さりとて、反徒どもと通じあっていたからあの陣を通れたのだとも思えぬ。そなたの持つ水のルビーは、姫からのこの上ない信頼の証だからな。それを持つそなたを疑うことは出来ぬ」

 

「私たちを信用して頂き、感謝に堪えません」

 

 ルイズは深々と頭を下げた。

 

「それでミス・ヴァリエール、君は一体どのようにして奴らの目を欺いたというのかね? 君の背格好では傭兵に紛れるのも難しかろう。かと言って空を飛べば奴らの良い標的にしかならぬ。いやはや、私には全く想像が付かない! どうすれば、あれだけ縦深があり隙間のない敵陣を越えられるというのだね?」

 

 ルイズは、いよいよ自分の身に備わった『特異な力』のことを明かすべき時が来たのだと、身を震わせ、そんな彼女の大決心を台無しにするかのように魔王はヒョイと口を挟んだ。

 

「まあ、越えたというよりモグったんですけどね!」

 

 ウェールズは目を真ん丸にして驚いた。聡明な皇子は、どうやらその一言でルイズらが何をしたのか察したらしかった。

 

「まさか地下か! 掘ったというのか、このニューカッスルの、硬い岩々ひしめく地下を! 一日も経たぬ内に、あの敵陣すら越えて!」

 

「恐れながら申し上げます。舟での上陸に時間を取られさえしなければ、もっと早くに到着することも可能でした」

 

「信じられん! そのようなこと、高位の土メイジでも難しい芸当ではないか!」

 

「私には土メイジの勝手はよく分かりません。ですが私のやったことは事実でございます。その証拠に、ここにいるワルドが閉じ込められた地下牢に穴が開いていて、その先が敵陣を越えた先へと繋がっているはずです」

 

 それを聞いて、ウェールズはまたぎょっとしたようだった。

 

「なんと、あれは子爵ではなく君の仕業だったというのか? あの穴で、君は前もって子爵に接触を図ったというのか!」

 

「お騒がせして申し訳ありません。ですが、確かにそれは私が掘ったものなのでございます。畏れながら、牢に入れるメイジに杖は持たせないものと存じます。ワルドにそのようなことが出来ようはずもありません」

 

「確かにその通りだ。あの穴を見つけて以降、子爵殿が隠し杖でも持っていたのかと思い探らせもしたが、何も見つからなかったと聞いている。どうやら君の力とやら、信じざるを得ないようだ。しかし精神力はどうなのだ? 流石にそれだけやっては、力が尽きよう?」

 

 ルイズは自らに備わった力の特異な性質を思い、打ち震えながら答えた

 

「それも心配ございません。この城の地下に穴を張り巡らせるぐらいのことは、今からでもすぐやって御覧に入れます」

 

「ぐらい? ぐらいだと!? 君はそこまで容易く地下を掘り進めていけるというのか!」

 

「はい。ご命じとあらば、地下に広大な陣地を築いてみせましょう!」

 

 ルイズの自信に満ちた言葉を聞いて、ウェールズは改めて衝撃を受けつつも事実を受け止めたようであった。

 

「なんということだ…… そのようなことが可能だというのなら、明日の戦い方が変わるというものだ。上手くやれば、丸一日、いやそれ以上も持ちこたえることが出来るやもしれぬ……!」

 

 そう語るウェールズの目には期待が漲っていた。それを見たワルドが、慌てて口をはさんだ。

 

「いかん、そんなことはあってはならん! どうか、お待ち頂きたい!」

 

 その場の視線が彼に集中した。

 

「殿下、期待させるような話をして、大変申し訳ない。しかしトリステインにはトリステインの事情というものがございます!」

 

 ワルドは顔に焦燥を浮かべたまま、ルイズに語り掛けた。

 

「ルイズ、君の気持ちはよく分かる。僕だって、立場がなければ殿下を助けるのにやぶさかではない。だが思い出すんだ! 君の一番の役目は手紙を持ち帰ること、これに尽きる。君の身を少しでも危険に晒すようなことは「待ってくれ子爵」……殿下!」

 

 悲痛とも言える表情を浮かべ始めたワルドへと、ウェールズは穏やかに語った。

 

「子爵、君の言うことはもっともだ。ミス・ヴァリエールを危険な目に合わせるわけにはいかぬ」

 

「そんな!」

 

 今度はルイズが悲痛な表情を浮かべる番だった。しかしウェールズは、すぐさま手ぶりでその反応を制した。

 

「だがしかし、しかしだ。反徒共は、明日の正午からこの城に攻め入ると通告して来ている。眠りの時間こそ必要といえども、実に半日以上もの時が残されている。ルイズ殿に一働きして貰ってから安全にお帰り頂くことも、十分に可能であろう」

 

「しかし……!」

 

 再びワルドが悲痛な声を上げる番となった。

 

「戦場では何事があるか、分からぬものですぞ! この最後の決戦とて、例外ではありますまい!」

 

 だが、彼の言葉にウェールズが揺らぐ様子は無かった。

 

「もちろん、分かっている。なんせ敵は、恥知らずの貴族派だ。昼に攻めると言っておきながら、早めに攻め入って来るぐらいのことは覚悟せねばならぬ。だがそれを考慮してなお、非戦闘員を乗せた船を地下の隠し港から送り出すぐらいの余裕はある」

 

「それでは……!」

 

 ルイズの顔色がぱっと明るくなった。

 

「頼む、ミス・ヴァリエール。トリステインからの勇気ある使者殿。我らの最後の戦いのため、そしてこの世界の未来のため、力を貸してはくれまいか」

 

「喜んでお引き受け致します! 殿下のために、最善を尽くします!」

 

 ルイズは目に涙を浮かべながら、熱く返事を返した。

 

「ありがとう、ミス・ヴァリエール。君の貢献に、我々は奮戦を以って応えるだろう。どうかよろしく頼む」

 

 ウェールズはそう言うと、ルイズに向け手を差し出した。ルイズは跪いてそれに応え、彼の手を取り、そこに唇を落とした。ルイズの熱意が実を結んだ瞬間だった。

 

 だがこのやりとりを快く思わない者もいる。それも、二人もいた。

 

「決戦前に船で脱出ゥ……? 途中で帰ったら、大陸支配がお預けではないですか!」

 

 そんなことをうそぶく魔王にワルドは青筋を立てつつも、やはり小声で言葉を返した。

 

「冗談ではない! まかり間違ってもルイズの身を危険に晒すことがあってはならぬというのに……! お前、よくも余計なことを吹き込んでくれたな」

 

 彼ら二人は、皇子とルイズが振り返るや否や、すぐさま平静を装った。若干の不機嫌さが表情に残っているワルドと違い、魔王はニッカリと良い笑顔を浮かべていた。

 

「ああ、なんてスバラシイことでしょう! 私もゼヒゼヒ協力いたしましょう! 何せ、ルイズ様のお力は穴を掘るだけにとどまりませんからな!」

 

「なんと! それもまた詳しく話を聞かねばならないな。だが先ずは、君にも感謝しなくてはいけない。使い魔君、君の提案のお陰もあって明日は良い戦いが出来そうだ。君にも何か報いるところが無くてはならないと思うのだが……」

 

 皇子はそう言いながら手の甲を魔王にも差し伸べようとしたが、それを見た魔王はぴしゃりと言ってのけた。

 

「ああ、そういうのはケッコウです。報酬を気に病むこともありませんぞ。どうせ最後はこの土地まるごとワレワレが頂きますからな」

 

「魔王!!」

 

 ルイズはすぐさま魔王に突っかかったが、ウェールズはくっくと愉快そうに笑うだけであった。

 

「君ならば、そう言うんじゃあないかとは思っていたよ! まあ、感謝しているということだけは伝えたかったのだ。君の主人は本当に素晴らしい人物だ。どうか、今後とも彼女を守っていってくれたまえ」

 

「モチロンです」

 

 魔王は得意げに返事を返した。実際には主人を守るどころか、主人に守られねばならぬほどのヘナチョコである魔王のこの態度が、ルイズには本当に信じらなかった。

 魔王の返事を聞き届けたウェールズは、次にワルドに向かってこう言った。

 

「子爵殿、我々の事情に付き合わせるようですまないね。だが、必ずや彼女を安全に帰すことを約束しよう。決してそのような状況にはさせまいが、もし万が一のことがあれば、私の命にかえても彼女を守り通すことを、ここで始祖に誓おう」

 

「……殿下にそうまでしてお約束頂けるのならば安心でございます。それに、婚約者の熱い思いをこの期に及んで無下には出来ませんからな」

 

 ワルドの言葉を聞き、ウェールズはほほ笑んだ。

 

「ありがとう、子爵殿」

 

「ですが殿下、一つだけ私からお願いしたいことがございます」

 

「何かね?」

 

「それは…… 後ほどお伝えしたいと思います」

 

 ワルドはそう言いながら、ルイズをちらりと見た。ルイズは何事かと、きょとんした表情を浮かべている。ウェールズは何か事情があるのだろうと察して、その場では願いの中身を追及しなかった。

 

「分かった。後で時間を作っておこうではないか」

 

 ウェールズは改めて3人に向き直って告げた。

 

「さあ、これから忙しくなる。今すぐ具体的な話を進めたい、と言いたいところだが、時間も時間だ。諸君らにはまず初めに、戦における最も重要な準備に取り掛かって貰おうか」

 

「最も重要な、準備ですか?」

 

 緊張が走った様子のルイズに、ウェールズはいたずらっぽく笑いかけた。

 

「ほらあれだ。飯を食わねば何とやら、と言うではないか。今宵は我ら王政府にとって、最後の夜となる。ゆえに、ささやかながらも宴の用意をしているのだ。諸君らも休むことなき移動とこの城に来てからのやり取りで疲れたであろう。先ずは我らの晩餐会にご出席頂き、英気を養って頂きたい。皆にも君らのことを紹介せねばならないからな」

 

「喜んで参加させて頂きます」

 

 ルイズとワルドは、恭しく礼をした。魔王はというと、食事と聞いてすでにウキウキし始めているようだった。きっと彼なりの美食家魂が騒いでいるのだろう。

 

「ではホールに向かおうか。我が父君と、それに付き従ってくれた真の忠誠を持つ仲間が待っている!」

 

 自室を去るウェールズの足取りは、部屋に入った時よりもずっと元気になっているようだった。

 

 


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