マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
――全ては紫衣のサーヴァントに話を聞いてから決める。それが現状で無難な道だ。
ドクター・ロマンにそう言われて、わたしたちは、砦を出て行ったルーラーのサーヴァントを追いかけた。
丘陵地帯の窪みの下。紫衣のルーラーは流れる小川の畔で、わたしたちを待っていた。
わたしはリカを抱えてから、丘陵を滑り降りて砂利に着地した。
「信用してもらい光栄です。まずは自己紹介からですね。私は真名をジャンヌ・ダルクといいます。貴女たちのお名前を聞かせてくださいますか?」
「はい。わたしはマシュ・キリエライト。デミ・サーヴァントです。この子はわたしのマスターで、藤丸――」
「リカですっ!」
びっくり、した。リカがこんなふうに叫んだのは、わたしが知る限り初めてだ。
「リカって、呼んでください」
「は、はい、リカさん」
リカはわたしの後ろに体を半分ほど隠した。
――そういえば、わたしは知らない。どうしてこの子が「リカ」と呼ばれたがるのか。もっと言うなら、どうして「
「ええと、貴女はこの聖杯戦争のマスターの一人であるとして、デミ・サーヴァントとは一体――」
「それはわたしから説明します。まず、わたしとこの子は聖杯戦争とは無関係です」
わたしは説明した。カルデアという機関。人理焼却。それを防ぐための、七つの特異点探索と修正。聖杯――
事情を全て打ち明けた末に、ジャンヌさんが浮かべた顔は険しかった。
「……よく分かりました。まさか、世界そのものが焼却されているとは。私の悩みなど小さなものでした」
「悩みというのは、やはり、あのワイバーンや、魔女と呼ばれていたことですか?」
ジャンヌさんは頷くと、今度は彼女の事情を打ち明け始めた。
今ここにいるジャンヌとは異なる、“竜の魔女”と畏怖されるジャンヌ・ダルクがこのフランスにはいて、ワイバーンを率いて国土を荒らしているという。国王さえ“竜の魔女”の凶手にかかって落命して、各地での民の混乱が著しい。
《歴史上、フランスは人間の自由と平等などと謳った最初の国であり、多くの国がそれに追随した。この権利が100年遅れれば、それだけ文明は停滞する》
「認めたくありませんが、あの竜たちを操っているのは“ジャンヌ”なのでしょう。竜の召喚は最上級の魔術と聞きます。まして、これだけの数ともなれば」
「…………聖杯、とか?」
《リカ君、正解。それなら竜種の大量召喚にも説明がつく》
なるほど。まだ推測の域を出ないけれど、“竜の魔女”問題はわたしたちにも関係あるものかもしれない。
「ジャンヌさんはこれからどうするのですか?」
「オルレアンに向かい、都市を奪還する。そのための障害である“ジャンヌ・ダルク”を排除する。主からの啓示はなく、その手段は見えませんが、ここで目を背けることはできませんから」
「……なんていうか、歴史書に書いてるままの人ですね。先輩」
「そうね。リカ、わたしたちとジャンヌさんの目的は一致している。今後の方針として、ジャンヌさんに協力するのはどう、かな?」
リカは、一度ジャンヌさんをじっと見てから、頷いた。イエスのサインだ。
《だね。救国の聖女と共に戦えるなんて、滅多にない栄誉だし!》
「リカのゴマ饅頭おいしかったですか? ドクター」
《そのネタここで引っ張るのかい!?》
引っ張りますとも。第一オーダーの間はこのネタで通そうと思うくらいには、腹に据えかねているのだから。
「改めて。マドモアゼル・ジャンヌ。わたしたちにはわたしたちの目的がありますが、あなたの手助けもしたい。これからあなたの旗の下で戦うことを許してくれますか?」
「そんな。こちらこそお願いします。どれほど感謝しても足りないほどです。ありがとう、マシュ、リカ」
リカは大きく首を横に振って、一拍ためらってから、口を開いた。
「魔女って誤解されてるの、ジャンヌさん、は」
「大丈夫です。いえ、フランス軍の兵たちが、もう一人のジャンヌと私を誤認するのは、悲しいですけれど。それは仕方のないことです」
「っ、ジャンヌさんはジャンヌさんだけなのにッ! ……あ」
リカは顔色を青くして、「すみません」と小さく言ったきり口を閉ざした。
ジャンヌさんと共闘することになった、翌日。
――情報収集のために赴いたラ・シャリテの街は、わたしたちが到着した時、すでにゴーストタウンと化していた。
火が燻り、立ち昇る煙。瓦礫と煤にまみれた家並み。血が飛び散った壁。どれも直視に堪えない。
大規模な破壊の爪痕は、少し前に反応を検知したサーヴァントによるものだろうと、ドクターが告げた。
「これをやったのは、おそらく“私”なのでしょうね。どれほど人を憎めば、このような所業を行えるのでしょう? 私にはそれだけが分からない――」
わたしにはジャンヌさんにかける言葉が見つからなかった。
《待った! 先ほど去ったサーヴァントが反転した!》
「数は!?」
《冗談だろ、数は5騎! と、ともかく逃げろ! 数で勝てない以上、逃げるしかない!》
「ですが――!」
《数が同じだったらいい、だが戦力的にキミたちの倍ある相手と戦わせるわけにはいかない! 即時撤退するんだ!》
わたしは未熟なデミ・サーヴァント。ジャンヌさんはルーラーとしてステータスダウンしている。
「――逃げません」
なのに、聖女の意志は固く。
「せめて真意を問い質さなければ……!」
その一瞬がわたしたちには致命的なロスタイム。
――かくて、“それら”は圧倒的な暴威をもって、わたしたちの眼前に舞い降りた。
「――なんて、こと」
数はドクターが先に告げたように、5騎。その中心に立つ――ジャンヌさんと全く同じ容姿をした、黒い女性。
「ねえ見てよ、ジル、あの哀れな小娘を! なにあれ、羽虫? ネズミ? ミミズ? どうあれ同じことね。ちっぽけ過ぎて同情すら浮かばない。ああ、本当――こんな
「貴女は……貴女は誰ですか!?」
「それはこちらの質問ですが……そうですね。上に立つものとして答えてあげましょう。私はジャンヌ・ダルク。蘇った救国の聖女ですよ。もう一人の“私”」
甲冑は黒く、旗は色褪せ、肌も蝋のように白く、黄鉛色の目だけが爛々としている。
神聖さという意味ではゼロ、むしろマイナス。魔女、と畏怖されるに相応しい貫禄を、竜の魔女は持っていた。
「そもそもなぜ救おうと思ったのです、“私”? こんな国を。こんな愚者どもを! 私はもう騙されない。もう裏切りを許さない。そもそも、主の声も聴こえない。主の声が聴こえないということは、主はこの国に愛想を尽かしたということです。だから滅ぼします。主の嘆きを私が代行します。まあ、貴女には分からないでしょうけどね。いつまでも聖人気取り。憎しみも喜びも見ないフリをして、人間的成長を全くしなくなったお奇麗な聖女さまには!」
《いや、サーヴァントに人間的成長ってどうなんだ? それを言うなら英霊的霊格アップとか……》
ドクター・ロマンのツッコミを初めて有難いと感じた。踏み躙られた廃墟で、禍々しい魔女と向き合うそのプレッシャーを、日常の断片が少しだけ遠ざけてくれた。
――だからって、戦いそのものがなくなったわけではない。
「貴女はルーラーでもなければジャンヌ・ダルクでもない。私が捨てた、ただの残り滓に過ぎません。バーサーク・ランサー、ヴラドⅢ世。バーサーク・アサシン、カーミラ。その田舎娘を始末なさい」
号令を受けて
串刺し公ヴラドⅢ世。血の伯爵夫人カーミラ。
どちらも現代の吸血鬼の代名詞として名高い、トップクラスの怪物。
「よろしい。では私は血を頂こう」
「いけませんわ、王様。私は彼女の肉と血、そして臓を頂きたいのだもの」
「強欲だな。では魂は? 魂はどちらが頂く?」
「魂なんて何の益にもなりません。名誉や誇りで、この美貌が保てると思っていて?」
ヴラド三世とカーミラは一見して優雅に会話しているけれど、その気になればわたしたちなんて一瞬で刺し貫けるに違いない。ドクターの言う通りだった。逃げに徹しないとわたしたちの誰も生き残れない。
「先輩……」
リカがわたしの背中に寄り添った。背中にリカのぬくもりが広がると同時に、小刻みな震えもしかと伝わった。
それでわたしも腹が据わった。わたしはリカの「先輩」だ――!
「行きます! ジャンヌさん、構えてください、来ます!」
「わ、分かりました!」
ヴラドⅢ世がバルディッシュを携えて迫ってきた。
わたしはとっさに盾で刺突を受け止めて、勢いに負けて大きく後退を余儀なくされた。でも、無駄ではない。わたしに集中したヴラド三世は背中ががら空きだ。
「ジャンヌさん!!」
「はぁぁ!!」
かけ声とほぼ同時に、ジャンヌさんは背中からヴラド三世に旗で殴りつけた。やった……!?
「
――そこにそびえ立ち、ジャンヌさんを食らわんとする鋼鉄の処女を、見た。
分かってしまった。あの宝具は“女”を殺すためのものだ。
盾でバルディッシュを弾き上げて、屈んで前転で抜け出した。そして、ジャンヌさんと背中合わせになった。
わたしは盾で、ジャンヌさんは旗で、左右から閉じようとした棘の棺をそれぞれに食い止めた。
でも、このままでは詰む。どうにか抜け出さないと、このままじゃ二人して棺の中に押し込まれる。
「美しくありませんわ」
高速で飛来した何かが棺に突き立った。鋼鉄の棺は重々しく倒れた。