マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
オルレアン1
“ディンドラン”
誰かがずっとその名を呼んでいる。
誰が呼んでいるのか。誰を呼んでいるのか。わたしには分からないけれど。
――――古い夢を、見ていたようだ。
わたしは眠気を振り払って、視界を明瞭にするために何度か瞬きをした。
体はベッドに横たわったまま。目の前にはまだすやすやと眠る後輩の藤丸立香ことリカが――あれ?
込み上げた悲鳴を渾身の意思力で飲み下した。
……そういえば、ゆうべはリカと一緒に寝たんだった。
ここはリカのマイルーム。今日から本格的に始まる任務に向けて、リカが不安がっていないか、怖くて眠れないのではないかと思い立って、わたしのほうから部屋を訪ねた。
リカはわたしに帰ってほしくないのが見え見えだったし、わたし自身、本心では緊張していたから、二人で就寝と相成った。
いや、正確には二人と一匹と表現すべきか。
「フォウ? キュ、フウウ?」
「フォウさん――おはようございます」
わたしたちの足元で猫のように丸まっていたフォウさんが、起きて、こちらに来た。
フォウさんはわたしとリカの顔の間に入って、リカの頬をぺろりと舐めた。
「ん……ぁ、せんぱい。おはよーございます……」
「おはよう、リカ。ちゃんと眠れた?」
「はい。緊張しましたけど……先輩が暖かかったから」
言い慣れないことを言われたので、とりあえず、リカの頭を撫でた。
――初グランドオーダーの朝は、こんなふうに平和に始まった。
食堂で、二人してパンのモーニングプレートを食べてから、わたしたちは二人(とフォウさん一匹)で中央管制室へ出勤した。
わたしとリカの入室に一番に気づいたのは、ドクター・ロマン。あれこれスタッフに指示を飛ばしていたのに。意外と切り替えが速いんだと初めて知った。
「おはよう。マシュ。リカ君。よく眠れたかな?」
「「はい」」
「うん。よろしい。それではさっそくブリーフィングを開始しよう」
まずは、レイシフト先で行う任務内容の確認について。
特異点の調査および修正。――その時代における人類の決定的なターニングポイント。わたしたちは飛び込んだ時代で、それが何かであるかを解明して、修正しなくてはならない。
並行して、聖杯の回収、ないし破壊。特異点の発生には高い確率で聖杯が使われている。それを除去することで、特異点修正の完全に成し遂げたと言えよう。
以上の二点がこのオーダーの大きな目標である、とドクター・ロマンは締め括った。
「二人ともいいかな? 分からない点があったら遠慮なく質問していいよ」
「わたしは特にありません。――リカは?」
「んと……ない、と思います」
と、ここで。ドクターでもスタッフさんたちでもない、第三者の掛け声がした。
「おい、そこのお調子者。いつまで私を待たせておく気だ」
このお声は……間違いない。“彼”と顔を合わせるのは実に一ヶ月ぶりだ。
「おっと、そうだった。気乗りしないからつい忘れていた。――リカ君は初めて会うよね? 彼……いや、彼女……いや、ソレ、ダレ? ええい。ともかくそこにいるのは、我がカルデアが誇る技術部のトップ、レオナルド氏だ。見た目から分かる通り、普通の性格じゃない。普通の人間でもない。というか説明したくない」
キャンバスから抜け出したモナ・リザがごときその人物を、リカは、見つめた。ノーコメントかつノーリアクションで、ただただ見つめた。
「まあ、普通の人間ではないね。だってサーヴァントだもん。――初めまして、
「だ、ダ・ヴィンチちゃんっ」
「うんうん。で? 他に聞きたいことがもっとあるんじゃないかな? ん? 今なら出血大サービスで割と突っ込んだ質問にも答えてあげるぞ」
ダ・ヴィンチちゃんに迫られた分だけ、リカは上体をのけ反らせて引いた。
「リカ君、素直に言っていいんだよ。何で男じゃないんだ、とか。何で外見がモナ・リザなんだ、とか」
ちなみにわたしはダ・ヴィンチちゃんに初めて会った時、まさにそんな感じのことを問い詰めた。その時の回答を大雑把にまとめると、「モナ・リザが好きだからモナ・リザになることにしたんだ♪」
……この瞬間のわたしの脱力感をお察しいただきたい。
リカは小さな声で「ない、です」と言ったきり、わたしの後ろに隠れてしまった。
やはりこの子には、ダ・ヴィンチちゃんレベルの芸術家は早すぎた。
「じゃ、私の紹介はここで終わり。これからはおもに支援物資の提供、開発等でキミたちのバックアップをする。私はマシュのようにそうそうレイシフトはできない。でもリカ君が私と正式に契約できたなら、その時はサーヴァントとして力になろう。そうなる運命を楽しみにしているよ、マスター」
言うだけ言って満足したのか、ダ・ヴィンチちゃんは中央管制室から退室していった。本当に自己紹介だけしかしなかった。
「話の腰を折られたが本題に戻ろう。――さっそくレイシフトの準備に入るが、いいかな?」
「お願いします」
「がんばりますっ」
わたしたちの返事を合図に、スタッフの皆さんが一斉に計器類の調整に入った。
わたしは指定されたコフィンに向かって歩いて、わたしの斜め後ろからリカが付いて来た。
――世界の命運がわたしたちに託されようとしているのを、否応なく肌に感じる。
弱気になっちゃだめ。リカが見てる。
「リカ。一緒に頑張りましょうね」
「はい先輩っ」
意識を取り戻すと、果てなく続く草原に立っていた。すぐそばにリカもいた。無事にレイシフトできたようだ。
――風の感触、土の匂い。どこまでも広くて青い空。
ふしぎ。映像で何度も見たものなのに、こうして大地に立っているだけで、こんなにも鮮明度が違う。
「先輩。あれ――」
リカが空を見上げていたので、わたしもそうすると。
――空に、光の環が展開されている。あんなもの、見たことも聞いたこともない。
わたしはカルデアに通信回線を開いて、応答したドクター・ロマンに上空の映像を送った。
《これは……衛星軌道上に展開した何らかの魔術式か? とんでもない大きさだ。北米大陸と同サイズ……? 何にせよ、1431年にこんな現象が起きたという記録はない。間違いなく人理焼却に関わる一端だろう。こちらで解析してみるから、キミたちは現地の調査に専念してくれいい》
「了解しました。これより作戦行動に入ります」
リカと頷き合って歩き出そうとした時。わたしの盾の隙間から、白くてモコモコした物体が飛び出して、リカの顔面にアタックした。物体の正体はフォウさんだった。
フォウさんの同行に驚く暇もあらばこそ。フォウさんは草原に下りて駆け出した。放置するわけにもいかないから、わたしたちは追いかけた。
フォウさんが立ち止まったのは、砦らしき建物の前。らしき、というのは、その砦、中がボロボロだったからだ。外壁は体裁を保っていたけれど、もう「砦」とは呼べない域まで損壊している。それに――
《意外とすんなり入れたね。兵士たちは……咎める気力がないほど萎えきっているとか?》
わたしは手近な兵士の一人を捕まえて、事情を尋ねてみた。
「シャルル王は休戦条約を結ばなかったのですか?」
「シャルル王? 知らんのか、アンタ。王なら死んだよ。魔女の――“竜の魔女”の炎に焼かれた。蘇ったジャンヌ・ダルクの地獄の炎にな」
その兵士の言葉が堰を切ったのか、兵士たちが次々に声を上げ始めた。
「イングランドに捕えられ、火刑に処されたと聞いた時は、それは憤りに震えたものだったのに」
「彼女は蘇ったんだ。あの悪魔と、邪悪の竜と取引して!」
「イングランドはとうの昔に撤退した。だが、俺たちはどこへ逃げればいい?」
「ここが故郷なのに、チクショウ、どうすることもできないんだ」
――わたしの知識では、聖女ジャンヌはちょうどこの年に没している。歴史上死んだはずの人物が生きていることに――
「フォウ、キャーウ!」
《マシュ! キミたちに高速で接近する大型の生体反応あり!》
太陽をバックに空を飛んでくる、あれは――ワイバーン!? 間違っても15世紀のフランスにいていい生物じゃない!
わたしは盾を実体化させて、リカとフォウさんを腕の後ろに庇った。
自分の体なのに、モーションが素早いことに驚いた。まるでこの霊基が、あんな幻想種を相手取るのは日常茶飯事だ、とでも言っているみたい。
「兵たちよ、水を被りなさい! 彼らの炎を一瞬ですが防げます!」
突如として現れた、
彼女は自らワイバーンの群れの前に出ると、純白の旗でワイバーンの一頭を殴打して退けた。
《おおう、サーヴァントだ! しかし反応が弱いな》
ドクターの言う通りだ。わたしもこの近さに至ってやっと彼女からサーヴァントの気配を感じ取れた。
けれど、紫衣のサーヴァントが「弱い」のはあくまで存在感であって、戦闘面では冬木で会ったサーヴァントたちに匹敵する膂力を発揮している。だって。
紫衣のサーヴァントに助勢した兵士は一人としていなかったのに、彼女は単騎でワイバーンの群れを撤退まで追い込んだのだから。
《よ、よし、何はともあれやったぞ! いやあ、手に汗とゴマ饅頭を握って見入っちゃったな》
ここで、ずっと無言だったリカが、おずおずと声を上げた。
「ドクター。そのゴマ饅頭って、管制室にお茶と一緒に置いてあったの、ですか?」
《そうだけど。あ、もしかしてリカ君が用意してくれたのかい?》
「は、はい。任務から帰ったら、マシュ先輩に召し上がってもらおうと思って、昨日から用意してあった、のに……」
わたしのために……リカの濃やかな気遣いが心を弾ませる。同時に――それを、勘違いとはいえ横から掻っ攫っていったドクターに敵意が沸き上がった。
「リカ、大丈夫。カルデアに帰るまでに一回分の戦闘リソースを残しておくから。エネミーはもう登録済みよ」
《やめて泣く。リカ君、キミからもマシュを止めて!》
「…………」
《リーカーくーーん!?》
はっ。いけない。ついいつものノリで寸劇を演じてしまった。
今は任務中なんだ。真面目にやれ、わたし。
紫衣の女性がサーヴァントなら、事情を聞いて、少しでもこの時代の修正のための手がかりを手に入れなくちゃ。
わたしは紫衣のサーヴァントに声をかけようとした。
フランス兵たちが血相を変えて叫んだ。
「そんな、貴女は――いや、お前は!」
「逃げろ! 魔女が出たぞ!」
魔女? さっき言っていた“竜の魔女”を指しているの? それがこの女性だと?
フランス兵は一斉に逃げて行ってしまった。
兵士たちのその行動に、彼女は一抹の寂しさを浮かべたものの、すぐに凛とした表情に戻った。
「あの、ありがとうございます。失礼ですが、あなたのお名前は――」
「ルーラー。私のサーヴァントクラスは
遮るように彼女――ルーラーは告げた。
「先輩、ルーラーって?」
「確か『聖杯戦争』そのものを守るために召喚される、エクストラクラスのサーヴァント。聖杯戦争の正しい運営のために、真名看破や対サーヴァント令呪、あとは10キロ近い範囲でのサーヴァント探知能力を持つ――で、よかったでしょうか?」
確認の意味でわたしはルーラーのサーヴァントを見た。
「はい。その理解で正しいかと。ただ、私はなぜか、本来与えられるべき聖杯戦争の知識を大部分持たないのです。真名看破も対サーヴァント令呪も持っていません。……これ以上込み入った話は、せめて砦から離れて」
ルーラーは手にした旗の実体化を解いて踵を返した。