マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
ひとまず危険は去ったと見ていいだろう。わたしは盾を霊体化させた。
「先輩。ケガ、してませんか?」
今までなら気遣われて嬉しかったその確認が、今は空恐ろしい。
もしここでわたしが傷を負ったら、この子は迷いなく自分へ転嫁しただろう。
これからの戦い、リカの前では絶対に負傷できない――!
「キミ、起きたまえよー? 稀代の天才が目の前にいるのだよー?」
はっ。そうだった。攫われかけていた女性。
今はダ・ヴィンチちゃんが、女性のほっぺたを杖で小突いているが、彼女に目覚める気配は――
「――は!?」
あ、起きた。
彼女は事態を把握しかねたのかしばらく無言だったが、立ち直るなり気焔を吐いた。
「おのれ無礼者! 私をファラオ・ニトクリスと知っての狼藉ですか!」
ニトクリスというと、紀元前2000年前の古代エジプトの魔術女王だ。天空神ホルスの化身にして、冥界を統べるとも語られる、邪鏡「ニトクリスの鏡」の持ち主。
「私を薬で眠らせ、神殿の外にまで連れ出すなど、もはや温情はかけられません! ファラオから預かりしこの神獣を以て、その手足が砕けるまで試すことにします!」
「待ってください、女王ニトクリス! わたしたちは、暗殺者に捕まっていた貴女を助けただけなんです!」
「その証拠がどこにあるというのです! なぜ貴方たちは私を助けられたと言うのです? 偶然ここに居合わせたのですか? そして、名前も知らない私をわざわざ助けたと? それこそありえない話です! この終末の地において、無償で他人を助けるなど!」
「その通りだと言っています!! レイシフトしたのが偶然この地帯で! 名前も素性も知れないあなたを! 誘拐しようとした悪漢を退け! あなたを救出しました!」
「ぐ……っ」
悪い人ではなさそうだが、何て融通が利かない人。今はリカを休ませるためにも一分一秒が惜しいのに。
「その鎧は聖都の騎士たちのもの! 信用はできません!」
わたしの、鎧?
この鎧はギャラハッドの甲冑をベースにしてある。この鎧と同じ騎士たちなんて、ギャラハッドと同じ円卓の騎士くらい。ならば、円卓の騎士が集う「聖都」とは一体――
「行きなさい、スフィンクス!」
しまった。思案に気を取られ過ぎた。
「先輩――!」
リカがわたしに手を伸ばしている。まずい。あの子は、わたしのダメージを自身に転嫁するつもりだ。
――決めたでしょう、マシュ・キリエライト。二度とあの子に転嫁魔術は使わせないと。
そのためには、目の前の神獣が邪魔だ。
「こ、のおおおおお!!」
前に踏み出して、盾をフルスイング。スフィンクスの横っ面に叩きつけた。
「――お見事。それでいいのです。神獣の咢などその盾は容易く上回る」
「あ――――なた、は」
持っていた盾を取り落してしまいかけるほど、驚いた。
ベディヴィエール卿。アーサー王の近衛。王の最期を唯一看取った、夢守の騎士。その彼が目の前にいる。
「藤丸立香、という名の方はそちらのレディですね。私はルキウス。主のいないサーヴァントです。私でよければ助太刀を致します。我が銀腕、存分にお使いくだされば」
ルキウス? 他人の空似? わたしの勘違い? いえ、いいえ、わたしの中のギャラハッドが覚えている。この人はベディヴィエール卿で間違いない。
でも、そうか。あくまでわたしはギャラハッドと融合しただけで本人ではない。ベディヴィエール卿がわたしたちを警戒して真名を明かさないとしても順当な判断だ。
「せ、先輩」
「大丈夫よ、リカ。この人は信頼できる。――サー・ルキウス、助太刀、ぜひお願いします! わたしと一緒に、あの神獣を退けてください!」
ノーダメージで勝つためには一騎でも多くの戦力が欲しい。その点で、実力も性向も確かなベディヴィエール卿と出会えたのは至上の幸運だ。
隣へ来たベディヴィエール卿と頷き合い、先にわたしがスフィンクスに突撃した。
スフィンクスが前肢の鉤爪を振り下ろした。わたしは盾で鉤爪を弾いた。
スフィンクスが上半身を持ち上げた瞬間、わたしはスフィンクスの巨躯の下に滑り込んだ。
今まで戦った竜種と同じ。この手の生命体は、背中からひっくり返ると起き上がれない! というわけで、下からスフィンクスの腹部に盾を当て、スキル・魔力防御を発動。盾の反発力でスフィンクスを吹っ飛ばして、ひっくり返してやった。
「サー・ルキウス!」
「承知!」
ベディヴィエール卿がわたしと入れ替わりで前衛へ。
銀色の義手が淡く光った。その義手を、ベディヴィエール卿は手刀の形にして、ひっくり返ったスフィンクスへと振り下ろした。
「御免!」
手刀の一閃をもって、スフィンクスの巨躯が消失した。復元や再生の様子は見られない。
頼みの綱のスフィンクスを完全消滅させられて、女王ニトクリスは顔色が真っ青だ。
「あわ、あわわっ。オジマンディアス様から預かった貴い神獣が! な、何だというのです――!」
「ですので御免、と。こうでもしなければ収まらないと判断しましたので。そして話を聞きなさい、寝起きのファラオ。彼女たちが貴女を助けたのは本当です。何しろ私が見ていました。彼女らは、山の翁たちに連れ去られようとしていた貴女を見かけ、義をもってこれを救った」
「で、でもですね、エジプトの民でもない者たちが、私を助ける理由がですね、」
「では逆に問いましょう。聖都の騎士が貴女を攫う理由があると?」
女王ニトクリスがしゅんとしていく。ようやく冷静になってくれた。畳みかけるなら今がチャンス!
「信じてもらえたようですね! 女王ニトクリス!」
「きゃっ⁉ な、何ですか急に」
「あなたを助けた者ですが何か!」
「そ、それは、はい……感謝します、旅の方」
「ところでお水が飲みたいのですが! 果物とかも食べたいです!」
あ、この要求はわたしではなく、おもにリカのために。砂漠越えをしたんだから、水分と糖分の摂取は欠かせない。
「そうだー! 水浴びもしたいし、休憩もしたいぞー!」
「フォーウ!」
ふてぶてしい? 承知の上ですとも。
「い、いいでしょう! 特例中の特例として、貴女たちを私の客人とします。もてなしを受けたいのですね? であれば、私を神殿まで護衛しなさい。スフィンクスの問いに答えた者のみが招かれる、太陽王の複合神殿、
女王ニトクリスが天に片腕を掲げると、砂嵐が徐々に止んでいった。澄み渡る青空が視認できるようになった。
「空が――! 澄み渡るような一面の青色です!」
「佳い笑顔です。私も見栄を張った甲斐があります」
女王ニトクリスが初めてわたしたちに無邪気な笑顔を見せた。
「あとはこのまま西に進みなさい。二時間ほどで大神殿に辿り着くでしょう」
いざ踏み出したわたしたち――に、ベディヴィエール卿は付いて来ようとしない。
「あの、サー・ルキウスは――」
「私は大神殿に用はありません。また、皆さんが行かれるというのなら止める理由も」
そんな。せっかく頼もしい味方に巡り会えたと思ったのに、一緒に行けないの?
ベディヴィエール卿は申し訳なさげに常盤色の瞳を伏せてから、わたしたちに背を向けて去ってしまった。
ダ・ヴィンチちゃんがベディヴィエール卿の義手について羨ましがっていると、女王ニトクリスから叱責が飛んで来た。
「すみません、女王。つい貴女の存在を忘れていました」
「丁寧なようで辛辣ですね! 貴女、名前は!」
「あ、そちらも失礼しました。マシュ・キリエライトと申します。こちらはダ・ヴィンチちゃん。そしてこの子がわたしたちのマスターである、リカこと藤丸立香です」
「よろしい。遅きに過ぎましたが許します。皆、罪人名簿にない名前ですね。では改めて、私の護衛の任を与えます。大神殿まで私を守るように」
――そこからは、途中で海魔が出た以外は、穏やかな行軍が続いた。
女王ニトクリスによると、この時代には「
女王ニトクリスは大神殿まで懇切丁寧に案内する気ではなかったらしく、途中で先に行ってしまった。
わたしたちは最後の丘を越えて――顎を外しかねない光景を目の当たりにした。
まるで砂の海に浮かんだ海上都市!
とんでもない巨大建造物。ピラミッドへ至るまでの道は研磨された石床で整地されている。道左右には神像を象った柱に加えて巨大な粘土板。知識がないわたしでも、素晴らしい建造技術だと分かる。
これが太陽王にして建説王オジマンディアスの居城、
「入る前に確認だ。計測器によると、エジプト内部に一か所、さらに時空のおかしな所があるようだ」
「太極図の陽中の陰、みたいな?」
「うん、リカ君上手いね、そんな感じ」
中は涼しいだろうから、これまで暑い行軍を強いたリカの体も休まるはず。さっそく中にお邪魔しましょう。