マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
キャメロット1
――――では、藤丸立香の話をしよう。
全ては彼女の中に目覚めた特異な魔術に端を発した。
転嫁魔術。
他者が受けた傷を自分自身の体に「転嫁」することで、対象の傷を治癒する力。
転嫁した傷は彼女自身の傷となる。
彼女は他者の傷を引き受けるたびに同じ苦痛を感じ、その体は古傷だらけだ。
――それでも彼女が転嫁魔術を使い続けた動機は一つきり。
「傷ついた人に優しくするのは当たり前のこと」だから。
――しかしこの力を使った彼女の善意は尽く否定された。
親からは金儲けの道具扱いで、テレビにも出演。有名になった弊害として、世間からペテン師の烙印を押されて家に嫌がらせを受けることもあれば、逆に新興宗教から奇跡の子だと担ぎ上げられて連日勧誘されることもあった。
生活がメチャクチャになった。お前のせいだと、彼女の両親は毎日なじった。
厄介娘の扱いに辟易した両親にとって、カルデアからのスカウトは渡りに船だった。
両親は嬉々としてカルデアに彼女を厄介払いし、今日もどこかで、娘を売った金で遊び呆けているだろう。
かくて藤丸立香はカルデアでマスター適性者として見出され、ついには人類最後のマスターとなった。
「――以上が、ボクの知る範囲での、藤丸立香君の身の上だ」
わたしはドクター・ロマンの胸倉を掴み上げたい衝動に駆られたが、どうにか思い留まった。
ドクターに非はない。非があるとしたら、わたしにこそある。
わたしは気づかなかった。リカの「先輩」なのに、あの子が陰でどれだけ痛い思いをしてきたかちっとも分かろうとしなかった。
思い返せば気づくためのサインはいくつもあった。それを、わたしは自分のことばかりで。
「ドクターは、知っていたのですか? リカの魔術の正体を」
「知っていたとも。マスターの適性審査には、魔術系統の解析も含まれるからね。他者から己への、受身かつ一方通行の、献身と自己犠牲の癒し。それが彼女だけの神秘だ」
ドクターがこれほど憂えた目をしたのは、いつぶりか。
「過去は変えられない。そして、リカ君は誰に強制されたのでもなく、自分自身の意思で転嫁魔術を行使してきた。それ自体は罪じゃない。あえて指摘するならただ一点。隠したことが罪だった」
ドクターの言いたいことは分かる。ドクターは遠回しに、わたしは悪くないと、わたしが自分を責める必要はないのだと言ってくれている。
「でも、そうだとしても……わたしは」
わたしは、気づきたかったんです。
わたしを「先輩」と呼ぶあの子のことだからこそ。
「あの子は目覚めたらすぐこの中央管制室に来るだろう。その前に頼みたい。マシュ、リカ君には何も知らないフリをして接してやってほしい。本名と同じで、あの子にとって転嫁魔術は地雷原だ。一番心を許した『先輩』に同情の目で見られたら、ショックでリカ君が何をしでかすか」
「あの子の苦痛の上にあぐらを掻いて旅を続けろと言うんですか!?」
「そうだ。忘れてはいけないよ、マシュ。藤丸立香は、人類最後のマスターだ。あの子の心の問題に、全人類を巻き込むわけにはいかない」
ドクター・ロマンの言うことは途方もなく正しくて、わたしは泣きたくなった。
中央管制室のドアがスライドした。
駆け込んできたのは、フォウさんと――
「遅れてごめんなさい!」
――いつも通りに見える、わたしの後輩。
「リカ! そんなに走って、体は大丈夫なの!?」
わたしはついリカに詰め寄って、リカの両の二の腕を掴んだ。
「ぁ……はい。ごめんなさい。ご心配をおかけしました。長丁場だったので体が参っちゃったみたいです。でももう大丈夫ですから。次こそは頑張ります」
本当に? 重ねてそう問い詰めたかったけど、そうしたらわたしの本心を見抜かれそうで、言えなかった。
……待って。次?
「スタッフもちょっと緩んでるなあ。箝口令でも敷かないとダメかなこりゃ」
ドクターが表情を引き締めてわたしとリカを見た。
「マスター・リカ。マシュ・キリエライト。第六特異点の割り出しが終了した。引き続きキミたちには聖杯探索を行ってもらう。異論はあるかい?」
「あたしには、ありません。先輩は?」
「無いに決まってるわ。マスターが赴くのであれば、どんな死地へも付いて行く」
「ありがとうございます、先輩」
次の特異点について、ドクターが説明を始めた。
――時代は13世紀。西暦1273年。場所は、聖地エルサレム。第9回十字軍が終了し、エルサレム王国が地上から姿を消した直後の時代。西洋諸国がエルサレムから撤退したことは、人類史に多大な影響を与えた。
「実の所、第六特異点の予測はアメリカより早く出ていたんだ。けれどシバから返ってくる観測結果があまりにも安定しなかった。観測の光そのものが消えてしまう時があったんだ。つまり――」
「第六特異点は、カルデアスの表面に存在しない……その部分だけ、空洞になりつつある?」
「そうだ。第六特異点は人理から外れようとしている。『あってはならない歴史』になりつつあるんだ。これを放置しておけば、ソロモンの人理焼却をリセットできようと、人類史は大きな被害を負うだろう。今回もカルデアからできるバックアップは少ない。それでもマシュと共に行ってくれるかい、リカ君?」
「行きます。先輩が一緒なら」
ふわり、とドクターが表情を緩めた。
ドクターからコフィンに入るよう指示を受けたわたしたちは、いつも通りコフィンへ二人(+フォウさん)で向かったのだが。
「って、レオナルドなにやってんの!? 何で予備機のコフィンに入ろうとしてんだい!?」
「何って、私も同伴するんだけど。そういう流れだったでしょ?」
ドクターの怒鳴り声での訴えを、ダ・ヴィンチちゃんは見事に全却下して、コフィンに搭乗した。
……こうなったら止められないのがダ・ヴィンチちゃんだ。実際、大きな助けになってくれるだろう。
――リカの転嫁魔術について知った今、フォローの人手は一人でも多いほうがいい。
隣のコフィンで、リカがフォウさんを抱えて横たわるのを、わたしは見つめた。リカのほうもわたしの視線に気づいて、小首を傾げる。わたしは「なんでもない」と笑い返した。
――もう二度と、この子に
意識が戻った瞬間、砂と暴風がわたしの全身を叩いた。な、なにっ、砂嵐!?
「リカ、無事!? そばにいる!?」
「は、はいぃ! ここです、せんぱーい!」
「フォーウ!」
声のしたほうへ、盾を錨の代わりに砂に突き立てながら進んで、ようやく見えたリカをためらわず手繰り寄せた。わたしの胸に飛び込む形になったリカとフォウさんが、わたしにきつくしがみついた。
「ちょっとロマニ――ッ! この一面の砂漠、どう見ても13世紀のエルサレムじゃないんだけど――!?」
駄目だ。カルデアとの通信が安定しない。わたしたちだけでどうにかしないと。
まずはこの砂嵐を抜け出そう。でないと戦闘どころか立っているだけで命懸けの状態がいつまでも続く。
ダ・ヴィンチちゃんが杖で周囲をスキャンし始めた。その杖、そういう使い方もできたんですね。
「西に水源を発見した。あっちに水場があるようだ。というか、都市がある」
「ではすぐにでも西に向かいましょう。わたしやダ・ヴィンチちゃんはよくても、リカは生身の人間なんだから」
「あたし、まだ平気です」
「だめ。唇がカサカサで顔色も真っ青なんだから」
「はい……」
「フォフォウ」
リカの肩に乗っていたフォウさんが、リカのほっぺを肉球で押した。リカは苦笑してフォウさんを撫でた。
わたしたちは砂漠を歩き出した。
――いつになれば、どのくらいの距離を歩けば目的地に辿り着くかが分からない、というのは、それなりに精神に負荷をかける。前回の北米大陸横断は、馬もあったし、地理と距離を数字と図として常に見られたからこそ楽だったんだと思い知った。
10キロを踏破した頃、わたしはそんな益体もないことを考えていた。
「リカ、大丈夫? 足は痛くない?」
「痛くない、です。先輩、こそ……」
「わたしはデミ・サーヴァントだから」
「なら、よかったです」
そう言うリカの呼吸は荒い。今のところわたしもダ・ヴィンチちゃんも負傷はしてないから、転嫁魔術のせいではない、はず。ならリカの不規則な呼吸は何が原因?
するとダ・ヴィンチちゃんが酸素ボンベらしき物をリカに渡した。
「リカ君、はいこれ。着けて」
リカは素直にその器具を口に装着した。
「魔力の濃度が濃すぎるんだ。それは急ごしらえで作った魔力遮断マスクだよ。ここの大気は人間にはちょっときつい」
「あ……すみません。お手数をかけました」
「それほどでも。さあ、あと少しで水源だ」
見れば、砂嵐の向こうに大きな建物が見えた。神殿の様式に見えるが、聖地に神殿なんてあるわけ――
「ごめん。ここまで来てアレだけど、引き返そう」
なぜ、と詰め寄ったわたしに、ダ・ヴィンチちゃんは正面を見るよう促した。
何か、四足歩行の生き物が、神殿を中心に徘徊している。数は20匹を軽く超えていた。
「計測器が振り切ってる。人面獅子という外見的特徴からするに、あれらは竜種をも上回る最強の幻想種、スフィンクスだ」
「…………なぞなぞ?」
「を、解けば通してくれるほど生易しくないだろうね。とにかく、ここを進むのは自殺行為だ。別ルートを探そう。いざとなったら私の秘蔵の万能コテージを提供するから―――む?」
神殿のある方向から凄まじい速さでこちらへ走ってくる影は――生身の人間! 数は10人。内一人は手足を縛られた女性を抱えている。
穏やかならざる集団だと判断したわたしは、前衛に出て盾を構えた。
「先回りされたか――! 兵士を差し向けているとは、さすがは太陽王よ」
相手が人間なら、峰打ちで無力化する。ただし流血沙汰にならないように注意する。怪我人を見たリカが敵味方の区別なく転嫁を使ってしまわないように。
「時間がない、片付けよ! ただし一人は生かせ、貴重な情報源になる!」
「マシュ・キリエライト、行きます! ダ・ヴィンチちゃんはリカのガードを!」
わたしは向かってきた人間を片っ端から盾で殴って返り討ちにしてから、指示を飛ばしたリーダー格らしき人物へ肉薄した。
魔力防御スキルを発動するまでもない。全力を盾に載せて、ボディアタック!
「つぁ!? 私の仮面が……!」
わたしがぶつかった衝撃で髑髏面を落とした相手は、筋骨隆々とした女性だった。
女性の髑髏面が外れて初めて感知できた。彼女はサーヴァントだ! 気づけなかったのは多分、気配遮断スキルかそれに類するスキルを持つためと推測できる。
「申し訳ありませぬ、百貌様! こやつら、真っ当な兵士ではありませぬ! あの娘の紋様、おそらくは聖都の――」
「貴様たちは下がっていろ! 敵はサーヴァントだ、貴様らでは容易く殺され……ては、いないな。余裕のつもりか? 我ら山の民など殺すに値しないと?」
わたしは答えず臨戦態勢を維持した。
ちなみにわたしの後ろでは、戦いの隙に囚われた女性を救出したダ・ヴィンチちゃんが女性の拘束を解いていたりする。
「貴様ら……何者だ! オジマンディアスの手の者か!?」
「オジマン……え、え? どなたでしょう……?」
「いや、どなたでしょう、と言われてもな……貴様、ただの阿呆なのか?」
む。わたしの前でリカをアホ呼ばわりしたわね? 峰打ち、もう一発ほど叩き込んでいいかしら。
「ええい、今回も失敗だ! 撤退せよ! 奪取した食糧は落とすなよ!」
「あ、ま、待って、っくださ……せめてお話だけでもっ」
「ははは、待てと言われて待つハサンがいるか! さらばだ、ノロマども!」
百貌でハサンと呼ばれたサーヴァントは、髑髏面を着け直すと、砂嵐など意に介さない速度で走り去った。他の人間たちも同様に。