マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
一夜の強行軍を経て。
わたしたちは、ジェロニモさんたちの拠点であるという、アメリカ西部の町に入った。
わたしの背に負ぶさっていたリカが身じろぎした。
「せんぱい――」
「起きた? リカ。具合は大丈夫?」
「はい。おかげさまで。……すみませんでした、先輩。重かったですよね」
「まさか。こんなに細いんだもの」
リカはわたしのうなじにすり寄った。くすぐったいよ。
「実は3騎目をここに匿っていてね」
「サーヴァントがいるのですか?」
「ああ。君たちを助けたのは、協力してほしいのも無論だが、何より彼を治療したいからだ」
ナイチンゲールさんが話題に食いついた。
「つまり私の出番ということですね。いえ、出番であろうがなかろうが、治療を求める患者がいるならば私は出向きます」
「頼む。君の治療があれば何とかなるかもしれない」
ジェロニモさんは、その傷ついたサーヴァントがいるという酒宿に、ナイチンゲールさんを連れて行った。
「あの、先輩。あたしも行っていい、ですか? ちょっとは手伝いできる、かも」
リカの治癒魔術の練度は、ちょっと、そこらの魔術師では比べ物にならないくらい高い。人手は多いほうがナイチンゲールさんの治療も捗るはず。
わたしは「分かった」と答えを返して、リカを負ぶさったままジェロニモさんたちが入って行った酒宿に向かった。
宿の部屋のベッドに横たわるのは、太陽色の少年だった。
鬣のような緋色の髪も、装束も、彼の心臓部に空いた穴から絶えず漏れる血液でどす赤く汚れている。
酷い……心臓が半ば抉られてる……!
「手伝いますっ」
止める暇もあらばこそ。リカはわたしの背から下りると、ベッドの横に膝を突いて、少年の手を握った。
「ごめんなさい。傷そのものは……大きすぎてあたしじゃ治せない、けど、痛みを減らすくらいなら」
「いや、このままで、いい。痛みがないと意識が保てない。それに、これは余が甘んじて受けねばならない罰なのだ」
「罰?」
「余を救うために、たくさんの人間が、犠牲になったのだ。ゆえにこの痛みは罰だ」
「――でも、それで気持ちが楽になるの、あなただけですよ」
リカが他人の意見に真っ向から反論した。明日は雪でも降るんじゃなかろうか。
「そんなの、体を苛めて楽になろうとしてるだけ。そのほうが、自分のために死んだ人たちへの後ろめたさをごまかせるから。心が痛いより、体が痛いほうが楽だから、あなたはそっちへ逃げているのです」
「……言ってくれるな」
「どんなに痛いかなんて、他人には絶対理解できませんもん。自己満足以外の何でもない」
リカの言い分に、意外にもナイチンゲールさんが賛同した。
「彼女の言う通りです。貴方には意識を保てる程度で鎮痛剤を打たせていただきます。ミス・藤丸、貴女の『治療』はお控えください。彼は私の患者です」
「は、い。ごめんなさい……」
リカは立ち上がってわたしの隣に戻って来た。
「――ところでジェロニモさん。彼は何者なのですか?」
「彼は、インド叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公、コサラの王ラーマ。現在召喚されているサーヴァント中、疑い様もなく最強だ。万全であればカルナが相手でも五分の戦いができるだろう」
ナイチンゲールさんはラーマさんの胸部の穴に両手を突っ込んでいる。ラーマさんの崩れゆく心臓を両手で掻き集めて押し留めているのだ。両者共にこんな力技が通用するのはサーヴァントゆえであろう。
白い手袋を血に汚しているナイチンゲールさんが、目尻から雫を散らして頽れた。
「……悔しい。悔しい、悔しい、悔しい、悔しい……!! 追いかける死の速度を鈍くはできても、止めることはできないの……!?」
彼女は己の力不足ではなく、目の前の少年を完治させられないという現実にこそ、泣いていた。
――しかし、悲嘆に暮れて放棄しないのがフローレンス・ナイチンゲールだと、ここまでの旅路で知っている。
「貴女たちに伺いたいことが一つあります。現在、彼の治療は叶いません。先ほど修復したはずの心臓が、すでに10パーセント以上損壊しています。絶えず治療し続けなければ、すぐに死に至るでしょう。――教えてください。彼を治療する方法を。私には知らない、その技術を!」
「……ドクター。ラーマさんの傷の分析、お願いします」
《一目で分かる。それはもう呪いの域だ。治療より解呪が先だよ。一番手っ取り早いのは、傷を負わせた本人を倒すこと》
やっぱり呪いだったか。ジークフリートさんの時と同じ。リカの治癒が効かないのも当然だった。呪いや治療阻害の魔術をかけられた対象には、リカの力は届きにくい。
《あるいは、ラーマ君の存在力を強化すれば、心臓必中の因果が解消されるか、それに近い状態に戻るはずだ。一番いいのは、生前の彼を知っているサーヴァントと接触することだ。『生前のラーマ』という設計図を知っているなら、ミス・ナイチンゲールの治療も効果が上がると思う》
「……一人、いる。この世界のどこかに囚われた……余の妻、シータ。はは、改まって言うと照れくさいな……」
「ふむ……アメリカ、ケルト、どちらに対抗するにせよ、ラーマの戦力があるかないかは大きい。彼を治療するために、彼の妻シータを探す。そのためにはナイチンゲールにご同行願わなければならないのだが――」
「は? 地の果てだろうと同行しますが、何か?」
言うと思った。彼女は絶対そう言うと思ったの。
「そのためには、もう少し効率のいい看護形態を模索するべきですね。ラーマ君、失礼します。暴れないように」
「な、なんとぉ!?」
ラーマさんが驚くのも無理はない。ナイチンゲールさんはラーマさんを、世に言う「お姫様抱っこ」したのである。
……見ているわたしのほうが照れちゃった。リカを抱き上げたことは何度もあるくせに。
暴れる代わりに喚くラーマさんを、ナイチンゲールさんは抱えたまま階段を下りて行った。専用のベルトを用意するとか。
《…………………》
ん? 通信の向こうでドクターが意気消沈しているような――ああ。
「特に引け目を感じなくても。ドクターだって一度は結婚してたじゃありませんか」
《はあ!? な、何でそんなこと言い出すんだい!?》
何でも何も、ドクター、左手に指輪してた時期があったじゃないですか。昔わたしがそのことをドクターに指摘したら、常時手袋を着けるようになったから、今は分からないのだが。
そこでジェロニモさんが大きめな咳払い。
「すまないが話を戻していいかな?」
「し、失礼しました。続けてください」
「――エジソンとケルトの戦士たちにどう対処すべきか。彼方の世界にいる魔術師殿。何か腹案はあるだろうか?」
ドクターは、おそらくほぼ正解の仮説を語った。
――無限の怪物、数千失っても困らない。これらのキーワードから、ケルトの戦士は無限増殖すると考えられる。エジソンが大量生産戦略で対抗したのは、ケルトには数でしか対抗できないと分かっていたからだろう。
無限湧きする敵に真っ向から戦争を吹っ掛けても勝てるはずがない。こちらが消耗するだけ。最終的に、策は一つに帰結する。
《暗殺。サーヴァントたちで、一気に王と女王を討ち取る以外に方法はない》
「――その通りだ。よくぞ言ってくれた、ドクター。貴方はさぞや名のある魔術師殿なのだろう。声だけ聞くと頼りないが、その頭は頼りになる」
ついにジェロニモさんにさえダメ出しされてしまったドクター・ロマン。
フォウさんでさえ、「強く生きろ」と励ます側に回った始末だった。
ジェロニモさんは、暗殺の成功率を上げるために、各地に散ったサーヴァントを集結させようと言った。わたしもそれには大いに頷いた。
何せ、いま戦力に数えられるサーヴァントは、わたしとジェロニモさんのみ。これじゃあまりに頼りない。
まず、ケルト侵攻へのレジスタンス活動をしているという二騎のアーチャーと、合流する。
彼らは最初から“こちら側”。どちらもゲリラ戦に特化していて、よほどの強敵と遭わない限り負けはないとの、ジェロニモさんのお墨付きだ。
その道中にあって、どうしても無視できないモノが一つ。
――ラーマさんだ。おんぶ紐の要領でベルトに固定されて、ナイチンゲールさんに背負われている。ボディバッグならぬラーマバッグ。
「……なあ、マシュかリカ。何とかしてほしいのだが」
「えっと……、……、……ごめんなさい」
「信念が強すぎて妥協できない、という狂化もあるんだと思い知りました」
「サーヴァントになったからこうなったのか、生前からこうだったのか、考えると恐ろしいが」
「味方がいない…だと…!? ――とぉ、な、何だぁ!?」
ナイチンゲールさんが前触れもなく全力疾走して行った。止める隙もなかった。
《て、敵性反応およびサーヴァント反応が複数確認されたっ。前方の町を包囲している。というか今さら思い出したけど、あの脈絡の無さこそバーサーカーだよね。今までそこそこ意思疎通可能なバーサーカーばかりだったから忘れてたけど!》
「り、リカ、走るわよ」
「はい先輩っ」
「フォウ!」
わたしはリカを抱き上げた。お姫様抱っこ……うぐ。ナイチンゲールさんとラーマさんのアレを見たあとだと、妙に照れる。わたしたちも第三者からはああいうふうに見えてたんだと思うと、よけいに。