マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
斜陽の谷間――中規模の軍事キャンプに、わたしたちは辿り着いた。
「ここ、アメリカ軍、でしょうか」
「うーん」
それにしては武器や弾薬のたぐいが見受けられない。代わりに、寄せ集められた背嚢の中には、びっしりと未使用の包帯が詰まっていた。別の背嚢にはガーゼやテープ。色んなラベルを貼った瓶。クッション材の上に綺麗に並べられた注射器の束。鋏によく似た、けれど少しずつ形状が異なる、何に使うのかよく分からない道具類――
「もしかして、医療キャンプ?」
外にせよテントの中にせよ、負傷兵が多すぎるのだ。あのレトロチックな戦士たちにやられたんだとしても、異常な負傷者数だ。仮にここをピンポイントで敵軍に襲われたら一溜りもない。
すると、布の色が異なる大きなテントから、初老の男性が出て来て、負傷兵たちに番号を割り振り始めた。番号を告げられた負傷兵は、いくつも構えられたテントの中のそれぞれに向かっていった。怪我をした兵士はお互い支え合いながら。
男性の目が、ふと、わたしに留まった。
「おや、お嬢ちゃんみたいなのも新兵に駆り出されたのかい?」
そうではない。誤解されないためにも、初対面の人には挨拶が欠かせない。
「いえ、わたしはここの兵士ではありません。名をマシュ・キリエライトと申します」
「り、リカですっ。こんばんは」
「これはご丁寧に。私はラッシュ。ベンジャミン・ラッシュという。このキャンプの軍医をしていたんだが……」
ベンジャミン・ラッシュといえば、独立戦争にも軍医として従軍した大物だ。そんな人物がいるということは、こちらはアメリカ独立軍なのかもしれない。
「――『していた』? 過去形?」
「ああ。ある日突然、赤い軍服の看護師が現れて、お鉢を取られてしまった。このキャンプの救護体制を一から十まで徹底的に組み直して、自身も負傷兵の看病をしているんだ。彼女が現れてから、キャンプの死亡者は劇的に減った。さぞ名のある衛生兵なのだろうが……今はあそこの重傷者用テントで一睡もせず兵士の治療を続けている」
妙に引っかかる物言いだ。赤い軍服の女性衛生兵。覚えておきましょう。
「あの、他のテントに行った兵士さんたち、は?」
「ああ。怪我人が絶えないんだが、彼女一人では一気に全員治すこともできないからね。いわば待合室みたいなものだ」
「――行ってもいいですか? あたし、ちょこっと医療の知識があるんです。何かお役に立てるかも、しれ、ないです」
何となく、リカはそう言い出す気がしていた。
リカの最も得意とする魔術は、治癒。知識どころではない。本来なら魔術は秘匿すべきものなのだが、特異点探索で秘匿なんてしていたらキリがない。
「構わんが……割とスプラッタだ。大丈夫かい?」
「
ラッシュ医師は、キャンプの一番隅のテントが比較的軽傷の兵士が休む所だと教えてくれた。そして何故か、衛生面にはくれぐれもくれぐれも! 注意するようにと、真剣にリカに言い含めた。
リカが目的のテントに向かった。わたしもリカを追おうとしたが、そこでドクター・ロマンから通信が入った。
「どうしました?」
《サーヴァント反応をキミたちの直近に観測した。今度は一騎だけだ。マシュ、近くにそれらしき存在はいない?》
わたしは神経を研ぎ澄まして、ぐるりと負傷者キャンプを見回した。――捉えた。ラッシュ医師が重傷者処置用と言っていたテントの中から、サーヴァントの気配を感じる。
わたしは意を決してそのテントに向かった。
布をめくって中に一歩入った――と同時、爪先1センチの地面に銃弾が炸裂した。
「――、へ?」
「治療中に不衛生な状態で割り込まないでください」
撃ったのは、血が飛び散ったエプロンを着た、赤い軍服の女性だ。だってその手に拳銃を握っている。
「清潔にしていれば感染症は防げます。そのためには衛生観念を正すことが必要なのです。ですので、そこを一歩でも踏み込めば撃ちます」
二度目の銃撃。弾丸はわたしの耳をスレスレに飛んでいった。さー、と遅れて血が引いたわたしである。
「ふ、踏み込んでいません!」
「踏み込みそうな目をしました」
理不尽だ。
「あの、あなたはサーヴァント、ですよね?」
「そんなことは関係ありません。召喚された以上、私は私の力が求められていると考えます。私の力とはすなわち治療。サーヴァントであろうがなかろうが、ここで全力を尽くすのみです。分かったならどきなさい。次の患者が来ます」
困った。会話が成立しない。
わたしが立ち尽くす間にも、彼女は負傷兵を(やや強引に)治療した。
負傷兵が、うわ言のように、「あなたは天使ですか?」と口にした。
「天使とは美しい花を撒く者ではなく、苦悩する誰かのために戦う者。貴方が苦悶し、それでも戦いを選ぶ限り、私は此処にいます」
――その格言、知ってる! 看護師という職種の祖、またの名を「クリミアの天使」。
「フローレンス・ナイチンゲール……!」
「人の名を用もないのに呼ばないでください」
「わたしたちに協力してください。特異点を修正しなければ――」
「愚かなことを仰らないでください。目の前に患者がいます。私が動く理由はそれだけです」
やっぱり通じない。でも粘れ。がんばれ、わたし。
「彼ら全てを治療する手段がある、と言ったら?」
「……今、何と?」
よし、食いついた。
「よろしいですか、婦長。通常の戦争であれば、犠牲者の数はどこかで歯止めが利きます。しかしこれは通常の戦争ではありません。敵は最後の一人が死ぬまで戦い続けるでしょう」
「患者は増え続ける、と言うのですか」
「はい、残念ながら。だからこそ根幹を断つべきなのです」
意味は正しく伝わったようだ。ナイチンゲールさんは反論しないで考え込んでいる。
やがてナイチンゲールさんは、エプロンと三角巾を外した。
「少々お待ちください。ドクター・ラッシュに患者への対処法を引き継ぎして参ります」
や、やった! 説得成功だ。
コミュニケーションに大いに問題があるサーヴァントでも、仲間を一人増やして戦力をちょっとだけでも上げられた。
「フォウ、フォフォウ」
足元にフォウさんがいつの間にか来ていた。リカと一緒じゃなかったんですか?
噛み癖のないフォウさんには珍しく、わたしの踵を噛んで、どこかへ引っ張ろうとしている。
もしかして――リカに何かあった?
全身の血の気が引いた。
わたしは、先に駆け出したフォウさんを追いかけて走った。
何が起きたかは知らないけど、まずあの子を一人にするんじゃなかった。わたしはリカの先輩でサーヴァントなのに、リカから離れ過ぎた。
到着したテント。わたしは入口の布を勢いよくめくった。
「リカッ!!」
「あ、先輩」
負傷兵が大勢横たえられたテントの中。リカは顔を輝かせてわたしをふり返った。
リカは普通に元気そうだ。
わたしは肩透かしを食らった。我ながらとんだ取り越し苦労をしてしまった。
「ちょっと待ってくださいね。――はい、終わりましたよ。もう痛みませんか?」
「はい…ありがとう、ございます……」
リカが治療した兵士の傍らから立ち上がって、わたしの前に小走りにやって来た。
「先輩はどこか具合悪いとこありませんか?」
「ええ。元気よ」
「よかったです」
「そう言うあなたは大丈夫なの? こんなに大勢の人に一気に治癒魔術を使うのなんて初めてでしょう。反動で疲れたりしてない?」
「倒れない程度には加減して使いましたから。それに今回はこれ。アトラス院の礼装だったんで、普段よりむしろ楽なほうでした。すごいですねこの礼装! 色んな回復効果が付与されてて」
リカは明るくしゃべっているけれど、顔に疲労が滲んでいる。負ぶさってあげたほうがいいのかな――
考えていると、銃声が一発、キャンプに鳴り渡った。
何事もなかったかのようにナイチンゲールさんが合流した。
「お待たせしました。行きましょう」
「……今、発砲しませんでしたか?」
「気のせいです」
「でも」
「峰撃ちです」
「言語変換が絶妙に間違っている気がします……」
「治療現場での私語は控えるように。行きましょう」
ナイチンゲールさんが踵を返した。リカが特に警戒心もなく付いて歩き出したので、わたしは周囲を警戒しつつリカに続いた。
そのわたしたちの行く手を遮って、例の三色ロボが壁になるように整列した。
「お待ちなさいな、フローレンス」
三色ロボの中央、それの肩の部位から、一人の少女が飛び降りた。
「どこに行くつもりなの? 軍隊において勝手な行動はそれだけで銃殺ものって知っていて? 今すぐ治療に戻りなさい。さもないと、痛い懲罰が待ってるかもよ?」
「私は、ここの兵士たちの根幹治療の手段が見つかるとのことなので、それを探りに行くだけです」
「バーサーカーのあなたに行かせるわけにはいかないでしょ」
……バーサーカー? え? フローレンス・ナイチンゲールがバーサーカー!?
「戦線が混乱したらどうするのよ。王様は認めないわよ、絶対に」
「そんな人物に私を止める権利などありません」
「うわお。やっぱバーサーカーは話通じないわね。これまで何度も思想的に衝突してきたし、いい機会だから片付けてしまおうかしら」
「その発想はエレガントではありませんが、同感です。この先の無駄話が省けます」
少女とナイチンゲールさんの間に不可視の青い火花が散った。
この一触即発の空気の中で口火を切れるのはわたしくらいだろう。
「お、お話し中すみませんっ! あなたもサーヴァントなのですか?」
「あなたも? って、まあ。あなたもサーヴァントなのね! よくってよ! ケルトの連中を撃退したと聞いて、まーたフローレンスが一人で暴れたのかと思ったけど。どうやらそうでもなかったようね。これは王様にとってグッドニュースかしら」
「先輩。アメリカって、王様いましたっけ?」
「いいえ、アメリカ合衆国は大統領制だから、いないはずなんだけど。――あの、失礼ですがレディ、あなたのお名前は?」
「レディ! いいわね、あなた、とてもいい。礼節ってものを分かってる。あなたに免じて真名を明かすわ。あたしはエレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー。世間ではブラヴァツキー夫人、が有名なのかしら」
ブラヴァツキー夫人。19世紀を代表する女性オカルティストだ。魔術協会とはあまり関わらず、独自のスタンスで、独力で神秘学を編纂した才女だとか。
《サーヴァントとしてここにいるということは、協会側のエージェントだったりするのかい?》
「無いわよ、この世界には。そもそもアメリカ以外の主要国家は滅んでいるし。でもあたしたちには『王様』がいる。彼が世界を制覇すれば、それはそれで問題ないわ。どこの次元からも切り離されたレムリアとなって、さまよい続けるのでしょう」
「そんなもの、治療とは認めません。悪い部分を切断してそれで済まそうなど、言語道断です」
オマエが言うな、という
「あなたたちは? フローレンスを連れてどこへ行くの? 場合によっては、あなたたち、あたしの敵ということになるかしら」
「違います。そうと決まったわけではありません。ナイチンゲールさんは、味方としてこの場を離れるだけなのです」
「ふーん。ちゃんとフローレンスの意図を汲める子なんだ。そこはちょっと安心したけど」
「話は終わりましたね。では出発しましょう、ミス・マシュ、ミス・藤丸。一刻も早く、一秒でも早く、この戦争を治療するのです」
ブラヴァツキー女史はとても残念そうにわたしたちを見た。
「仕方ないか。じゃ、よろしくね、カルナ。捕まえちゃって。一応ほら、敵に回るみたいだし」
直後、空から、錫杖みたいな槍を持った男が降って湧いて、わたしたちとブラヴァツキー女史の間に着地を決めた。
カルナ、って、え、彼が?
「心得た。その不誠実な憶測に従おう。――異邦からの客人よ、手荒い歓迎だが悪く思うな。