マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
アメリカ1
情報が強制的に大脳に焼きつけられていく。文字の羅列がシナプスと同化しようとしているかのよう。
いいえ、同化なんて生易しいモノじゃない。これは、侵食だ。
■■の城■■■■■■の中心、■■の騎士たちが座る■■を盾として用いた究極の護り。
その強度は使用者の精神力に比例し、心が折れなければその城壁も決して崩れはしない。
かの護りの真名こそ、『■■は■■――――
やめて。お願いだから、これ以上、わたしを塗り潰さないで。
「
…
……
…………
飛び起きた。
――――悪い夢を、見ていたようだ。
全身がじっとりと汗を掻いている。
力を抜いて、ぼふり、ベッドに寝転び直す。汗ばんだうなじに色素の薄い髪が貼りついた。
胸の谷間に両手を当てると、まだ治まらない動悸が伝わった。
「せんぱい……?」
今ので、隣で寝ていたリカを起こしてしまったみたい。ごめんなさいね。
リカは心配げにわたしを見つめている。何でもない、と答えないといけないのに、あの感覚をまだ覚えていたわたしはすぐに言葉を発せなくて。
先んじてリカがわたしの胸の谷間に顔をうずめた。
わたしも亜麻色の髪にすり寄った。シャンプーの香りが鼻をくすぐる。
わたしたち、このまま溶け合えてしまえばいいのにね。そうしたら、わたしもあなたも、不安なんて欠片も感じなくなれるのにね――
――ディンドラン。またの名を「聖杯のヒロイン」。
詳しいエピソードが現代に伝わることはなかったが、ギャラハッドと融合したわたしは、聖杯探索における彼女の助力の大きさを知っている。
ギャラハッドがアーサー王とは異なる意味で我が主と認めた、ただ一人の乙女。
――わたしに融けたはずのギャラハッドが、それでもずっと呼び続けた名前。
――そして、わたしの顔色を心配げに窺う後輩に、あまりに似た長髪の面影。
「先輩」
リカがわたしに、バスタオルと着替えを差し出した。どれも丁寧に畳んである。
「汗がひどいです。このままじゃ冷えて風邪ひいちゃいます。シャワー、お先にどうぞ」
「……ありがとう」
わたしはタオル類を受け取って、個室に備え付きの小さなバスルームに入った。
服を全て脱ぎ捨てて浴室へ。シャワーのコックを最大にひねって、頭から冷水を浴びた。
――わたしはギャラハッドじゃない。リカもディンドランじゃない。
どうしても思考はそこに引きずり込まれた。
わたしがリカを大切に想うのは、融合したギャラハッドがディンドランによく似たあの子を求めているからなの?
この温かい気持ちは、わたしから生じたものじゃなく、ギャラハッドの影響を受けているからに過ぎないの?
自分のことなのに、どれ一つとして否定できない。
こんなに、大好きなのに――!
中央管制室へ出頭してから、わたしの顔色を見咎める人はいなかった。わたし自身、あんなに冷水を浴びたのに、特に体が寒いとは感じないのだから、デミ・サーヴァント様々だ。
もっともそれは、今もわたしと手を繋いでいるリカの手のあったかさのおかげもあるのだろうけど。
などと考えていると、ドクター・ロマンがブリーフィングを始めた。
ドクターはロンドン探索で明らかになった事実を改めて確認した。
今回は管制スタッフのみならず、カルデア館内の残り少ないスタッフ全員が集合して聞いている。そのほうが組織全体で危機感を共有できるからだとか。
「引き続き、特異点を探索して人類史を修復するという方針は変わらない。問題は――」
「魔術王の対処、だろ? グランドキャスター、魔術師の中の魔術師ときた。同じ天才として認めざるをえない。現状、探す手段も斃す手段も見当たらないなあ」
「頭を抱えたいのはみんな同じだよ。けど、やるべきことは分かっている。魔神の除去については、それを終わらせてから考えることにしよう」
話題は第五特異点へ切り替わった。
――今回の任務は、北米大陸。アメリカ合衆国、と呼ばれる超大陸だ。
魔術的には大して気に懸ける国ではないものの、人類史においてアメリカを外すことはできない。
「私的には、いつの間にか暗号を仕込んでいたことにされた国だな。描いている時にそんな余裕ないっつーの。あるとしたら、クライアントへの愚痴くらいだっつーの」
……ダ・ヴィンチちゃんからすれば、下手すると100年くらい先には“無辜の怪物”スキルを付与されかねない種を撒かれたんですものね。目の仇にするのも頷ける。
そんなアメリカにも独自の魔術体系があり、英霊たりうる偉人も実在する。
「ではレイシフトを開始する。マシュ、リカ君。準備を」
「「はい」」
わたしとリカ(と、フォウさんはリカに抱っこされて)は、一緒に専用のコフィンに入って身を横たえた。
次に目を覚ました時に目に映るのは、夜明けを迎えたばかりのアメリカ――…、…
…………
……
…
意識を取り戻すと、のどかな森に立っていた。すぐそばに、フォウさんを抱っこしたリカがいる。うん、レイシフト無事完了。
「ここが1783年のアメリカ大陸――」
「正確には、『アメリカ合衆国』はまだ生まれていないんだけどね」
「そうなんですか?」
「ええ。歴史上は、この1783年に終結する大英帝国との独立戦争を経て、アメリカは国家として成立するの。その功罪はどうあれ、世界史において絶対に欠かせない国家であることは間違いなし。となると」
「独立戦争でアメリカが勝てなくて、アメリカが独立できなくなるようにする、とか」
「そういう可能性はあり」
ただ、アメリカが独立の意思表明をした以上、独立戦争の勝敗程度で歴史の流れは変わらない。30~50年のタイムラグが生じるくらいだ。
《すまない、着いた早々、緊急事態だ! その先の荒野で、大規模な戦闘が発生している! これはちょっと普通の戦いじゃないぞ!?》
大丈夫です、ドクター。慣れたとは言えませんが、ここまでの旅を経て腹は据わっています。
「リカ、行ける?」
リカは首を縦に二度振った。
わたしたちはドクターのナビに従って走って、森を抜けた。
なるほど、荒野だ。ウェスタン映画でよく観た荒涼の背景がそのまま現実として目の前にある。サボテンやら朽ちた馬車やらがいかにもそれらしい。
戦っているのは、兵士らしき格好の人たちと――
「先輩、あっち! バベッジさんがいます! いっぱい!」
「落ち着いてリカ、バベッジさんはあんな信号トリコロール的カラフルボディじゃなかったわ!」
《二人ともが落ち着こうね》
「フォウゥ……」
すいません。悪ノリしました。
もう片方の勢力に目を凝らす。ずばり、ステレオタイプのレトロチック。世間一般に浸透したドワーフのイメージ像に武器を持たせたような外観の兵団だ。
――ふいに、風切り音がした。近づいてきている。
ミサイル!? ……ほどじゃないけど、危険な飛来物であるのは間違いない。デミ・サーヴァントのわたしが平気でも、生身のリカは――
“僕のディンドラン。ただ一人認めた我が主人”
こんな時なのに、いや、こんな時だからか。頭の中にギャラハッドの想いが響いた。
護らないと。
「
盾を中心に守護円陣を疑似展開した。
降って来た砲弾と榴弾は円陣に当たって空中で爆発した。わたしにもリカにも届かなかった。
「大丈夫だった?」
「はいっ。ありがとうございます、先輩」
「当たり前よ。だってわたしはリカの先輩なんだから」
そう。これはわたしの意思。わたしの中に融けたギャラハッドは関係ない。ない、はず、なのよ。
《マシュ、リカ君! 東からサーヴァントの反応だ。数は2騎。共にランサー判定!》
わたしは気を引き締めて盾を構え直した。
そのわたしたちの前に現れたのは、赤と黄の双槍を持った精悍な男と、同じく槍を片手に持ったゴージャスな金髪の男。どちらもサーヴァントだと分かった。
「王よ。見つけましたぞ。彼女がサーヴァントのようです。戦線が停滞するのも無理はない」
「さすが我が配下ディルムッド・オディナ。君の目はアレだな。そう、喩えるなら隼のようだ」
「滅相もありません。我が君……フィン・マックールの知恵に比べれば、私など」
ディルムッド・オディナにフィン・マックール。どちらもケルトの
「では戦おうか。我らフィオナ騎士団の力を示し、この豊穣たる大地に永遠の帝国を!」
「――リカ。何があってもわたしの後ろにいて。離れちゃだめだからね」
「フォゥゥ……」
「分かりました。先輩がケガしたら全部あたしが治します。思いきり前に出てください」
「ありがとう。先輩、頑張るから」
深呼吸一つ。わたしは盾を強く握って飛び出した。
苦戦はしたが、負けることもなかった。
わたしだってここまで四度の探索で強くなってるんだから。ディルムッドの双槍の効果が少し厄介だったことを除けば、それなりに奮戦したと自分でも言っていいと思う。
現に、フィンとディルムッドは撤退を表明したのだから。
敵が完全に戦域を離脱するまではと、気合を緩めず盾を構えていたわたし――を素通りして、フィンはわたしの後ろにいたリカに目を向けた。
「ああ、その前に大事を忘れていた。けなげな少女マスターよ」
「あたしですか?」
「君はこれからも
「――戦います。先輩と一緒に、いつか世界を救います」
「よい眼差しだ。今にも折れんばかりなのに気品高い。王に刃を向ける不心得はその眼に免じて流そう。その代わり、君が敗北したら、君の心を戴こう! うん。要するに君を嫁にする」
……ぶっちん、と。
堪忍袋の緒的なものが、わたしの中で大きな音を立てて切れた。
「こ、の……」
ああ、フランス以来だな、これ。
「セクハラサーヴァントぉぉぉぉ!!!!」
大上段からの盾振り下ろし――を、フィンはむかつくくらい華麗に避けた。
「実に気持ちのいい約束だ! ではさらば、さらばなり!」
フィンは意気揚々と、ディルムッドは気苦労をありありと滲ませて、一目散に東へ駆け去った。わたしの脚力では追いつけない迅速な撤退だった。
「リカ!! 大丈夫!?」
「は、はい! どこも何ともありませんのですっ。さっきの変な約束も特に何も感じてませんのです! ……だって」
リカは恥じらいを浮かべながらも、わたしを、まっすぐ見た。
「あんなチャラチャラした槍使いに先輩が負けるとか、ありえませんから」
――そうよ。誰があんなチャラ男サーヴァントに可愛い後輩を渡すものですか。この子の伴侶は、この子一人だけを誠実に愛し抜いて、この子をどんな危難からも守れる男じゃないと、このマシュ・キリエライトが許さないんだから。
「それじゃあこれからの進路だけど――ドクター。この近辺はどういう状況にあるのでしょうか?」
《さっきのサーヴァントたちが撤退した方角に陣営があるなら、反対側にも同じような軍隊が駐留しているはずだ。生命反応……が、かなり多くその座標に集まっている。大まかな進路はキミたちから西》
「了解です。西へ向かってみます。道中のナビをお願いします」
《ああ。任された。そう遠くはないから、日が暮れる前には到着できるだろう》
「リカ、歩ける?」
「足は元気です」
「じゃあ、二人で歩いて行こうか」
「フォウっ、フォフォウっ!」
「ごめんなさい。二人と一匹で歩きましょう」