マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
わたしたちの勝利――
実感が湧かずに突っ立っていると、リカの手首の通信端末が鳴った。ドクター・ロマンからだ。
《よくやってくれた! マシュ、リカ君。どうやらそこは映像が繋がらなくて、喜ぶキミたちを見られず残念だが》
日常の象徴である声を耳にして、ようやく実感した。
わたしもリカも生き延びることができた。これは本当に奇跡的なことなんだ。
《所長。これでようやく安心して……所長?》
オルガマリー所長は離れた場所で苦い顔をしていた。
「グランドオーダー……どうしてあのサーヴァントがその呼称を知って……」
わたしはリカと一緒に所長に歩み寄った。
わたしが所長に呼びかけると同時、フォウさんがリカの肩に飛び乗った。
「よくやったわ。マシュ、リカ。――マシュ。未熟でもいい。仮のサーヴァントでもいい。そう願って盾を開いたのね」
「はい」
「アナタは真名を得ても、英雄そのものになる欲が微塵もなかった。だからきっと宝具もアナタに応えたのね。あーあ。とんだおとぎ話。――でも真名なしで宝具を使うのは不便でしょ? いいスペルを考えてあげる。そうねえ……『ロード・カルデアス』はどう? カルデアはアナタにも意味のある名前でしょう?」
「はいっ。ありがとうございます、所長」
わたしは盾を撫でた。
――まだわたしはわたしに宿った英霊の名を知らない。この盾の名も知らない。でも、仮にでも名付けたこの盾は、確かにわたしに力をくれるものになったんだ。
わたしはリカを見やった。
リカはわたしの視線に気づくと、困ったように苦笑した。わたしも釣られて笑みが浮かんだ。
そこで――
状況にこれっぽっちもそぐわない、乾いた拍手が大空洞に反響した。
「いやまったく君たちがここまでやるとは。計画の想定外にして、私の寛容さの許容外だ」
大聖杯の頂に誰かが立っている。あれは、あの人、は――
「レフ教授――」
リカが呆然と呟いた。
オルガマリー所長が感極まったように、一目散にレフ教授めざして走り出した。
「レフ…ああ、レフ! 生きていたのね! アナタがいなかったら私……!」
「やあ、オルガ。君も大変だったようだね」
「ええ、そうなの! 予想外のことばかりで、頭がどうにかなりそうだった! でも! アナタがいれば何とかなるわよね!? 今までみたいに私を助けてくれるんでしょ!?」
「もちろんだとも。本当に予想外のことばかりで頭に来る。爆弾は君の足元にセットしたのに、まさか生きているなんて」
「え――?」
所長の足が遅くなって、止まった。何を言っているのか分からない、そんなふうにレフ教授を見上げている。
「いや。生きているというのは違うか。君はもう死んでいる。肉体はとっくにね」
――え?
何、を。何を言っているの? 意味が分からない。レフ教授の言葉を初めて理解できないものだと感じた。
「君は生前、レイシフトの適性がなかっただろう。肉体があったままでは転移できない。君は死んだことで初めて、あれほど切望した適性を手に入れたのだ。だからカルデアに戻った時点で、君のその意識は消滅する」
意識。肉体がない。――死者の残留思念? ここにいるオルガマリー所長が残留思念ってこと? そんな。だってちゃんと触れた感触もあった。所長自身、魔術も普通に行使していた。なのに。
――ただ、納得いく点が一つだけ。
ドクターからの通信は必ずリカの通信端末に届いた。所長も端末を着けていて、所長と直接連絡をしたほうがドクターも話しやすいはずなのにしなかった。
できなかったんだとしたら?
故障した、と所長は言っていたけど、まさか、そういう意味だったの?
「だが、それではあまりにも憐れだ。生涯をカルデアに捧げた君のために、せめて今、カルデアがどういう状態になっているか見せてあげよう」
レフ教授がかざした手の平に、金の四角錘が吸い寄せられた。
何もない中空が、大きな円形に穿たれた。――あれは、カルデアスだ。リカと冬木に転移してくる前と同じ。真っ赤なまま。
「嘘、よね? あれ、ただの虚像でしょ!? レフ!」
「本物だよ。君のために時空を繋げてあげたんだ。聖杯があればこんなこともできるからね。さあ、よく見たまえ。アニムスフィアの末裔。これがお前たちの愚行の末路だ」
レフ教授が腕を一振り。それだけで、オルガマリー所長の体が浮かんで、空間の向こうのカルデアスへと引き寄せられていく。
「最期に君の望みを叶えてあげよう。君の宝物とやらに触れるといい」
「や、やめてッ! だってカルデアスよ⁉」
「ああ、ブラックホールと何も変わらない。それとも太陽か。どちらにせよ人間が触れれば分子レベルで分解される。生きたまま無限の死を味わいたまえ」
反射的に駆け出そうとしたわたしを、後ろからリカが腕を掴んで止めた。リカは涙目で、それでも、行ってはだめと首を何度も横に振っている。
「いや、助けてッ、誰か助けて! どうして!? どうしてこんなことばっかりなの!? やだ、やめて、いやいやいや!! だってまだ何もしてない! まだ誰にも褒めてさえもらえなかったのに! いやあああああああ!!!!」
所長がカルデアスの表面に接触した瞬間、悲鳴は断末魔に変わった。
およそ人が上げる声とは思えない絶叫が、鼓膜だけでなく、この胸をも貫く。
――甘い諦観がわたしに囁いてくる。もう手遅れだ、彼女の命を諦めて心を閉ざしてしまえ。そうすればのちに残る傷は何もないぞ、と。
わたしはどっちつかずで。オルガマリー所長がカルデアスに沈んでいく様を見上げているしかできなかった。
わたしの腕を掴んでいたリカの手が離れた。その感触で我に返ったわたしは、急いでリカを背中に庇って盾を構えた。
あの男は今までわたしたちが「レフ教授」と慕った人ではない。そもそも人であるかさえ怪しい。何か、根本的に違う――!
「改めて自己紹介をしよう。私はレフ・ライノール・フラウロス。貴様たち人類を処理するために遣わされた、2016年担当者だ。――聞いているな、ドクター・ロマン? 共に魔道を研究した学友として、最後の忠告をしてやろう。未来は消失したのではない、焼却されたのだ。結末は確定した。貴様たちの時代はもう存在しない」
《――外部との連絡が取れないのは通信の故障ではなく、そもそも受け取る相手が消え去っていたからなのですね》
「……ふん。やはり貴様は賢しいな。真っ先に殺しておけなかったのが悔やまれるよ。まあ、それも虚しい抵抗か。カルデア内の時間が2016年を過ぎれば、そこもこの宇宙から消滅する。貴様らは我らが王の寵愛を失ったがために、紙クズのように燃え尽きるのだ!」
彼の宣言が合図だったかのように、大空洞が震動し始めた。
「ではさらばだ、ロマニ、マシュ。このままこの時空の崩壊に呑まれるがいい」
レフ・ライノールが聖杯と共にその姿を消した。
とっさにリカの腰に手を回して引き寄せて、盾を瓦礫への傘代わりに傾けた。
「ドクター! 至急レイシフトを実行してください!」
《分かってる! でもごめん、そっちの崩壊のが早いかもだ。とにかく意味消失さえしなければ深刻なダメージは……! ……!》
カルデアとの通信が途絶した。
こうなったらもう、ドクターたちがレイシフト実行を成功させてくれることを祈るしかない。
わたしはリカを改めて抱き寄せた。リカのほうも、わたしにしがみついた。
「リカ。大丈夫、リカ。わたしが付いてる」
それが最後。意識はそこで意味を失った。